*伊那谷スケッチ(戦場を遠く離れて)
 9/24〜12/31

12/31 麻太郎の別名は、ザ・自然治癒力。蝮と格闘して脛を噛まれたときも、
農薬まぶしのエサを食べた鼠を食って死にかけたときも、ハクビシンと喧嘩を
して腹をザックリ裂かれたときも、獣医でアリナミン注射を1本打ってもらい、
あとは1週間も断食をしていれば、それでだいたい直ってきた。ところがエイズ
というのは、その自己免疫力を奪ってしまうわけだから、傍で見ていてもそれが
いかに恐ろしい病いなのかということがわかる。麻太郎がもうほとんど何も口に
できなくなって十日以上経つが、大晦日の今日は珍しく自分から寝床を抜け出
してきてコタツの横にはべり、一家団欒をして過ごす。こんな家族もある。

12/25 寒くなってから、老猫の麻太郎(またろう)の調子が悪い。口内炎
が悪化したのか、口のまわりにできた腫瘍がなかなか治らず、日に日に
ものが食えなくなり痩せていく。来年17歳になる牡猫で、人間で言えば90
歳ぐらいの老人にあたる。徒然草に「猫の経あがりて、猫またになりける
もの…」の話が出てくるが、まさにその猫またに成りあがった猫で、もう歯
はほとんど欠け、顔は傷だらけで目やにたらたら、くさい・きたない・こわい
の3Kが揃った猫である。時々、なんでこんな猫をいまでも飼っているのだ
ろう?と夫婦で不思議に思うこともあるが、17年近くも一緒に暮らしている
ともう家族の一員だから理屈ではない。
 あんまり様子がひどいのでとうとう獣医に見せにいった。すると診断は、
なんとエイズ! さんざんよその牝猫を追いかけ回し、喧嘩傷の絶えない猫
だったから不思議ではない。道理でちょっとした傷が直らないわけだ。獣医
の言うには、もう年から考えて、いまさら腫瘍摘出の手術などしても苦しむ
だけだろうだから、このままそっとしておいてやりなさい、とのこと。いまは家
で、古い電気毛布を敷いたダンボール箱の寝床で一日寝ているが、さてい
つまで持つかどうか、毎日心配しながら見ている。

12/12 畑を片付け、枯れ枝等を燃やし、ミニ・トラクターで整地をする。
五畝余りの家庭用菜園だが、このところの真冬並みの冷え込みで表土
がすっかり凍ってしまいカチンカチン。ミニ・トラではなかなか歯が立たず、
難渋する。もっと早くやっておけばよかったのだが、この秋は何かに急き
立てられるようにして、暇さえあれば山をほっつき歩いていたので仕方が
ない。9月11日以来、いやもっと正確に言えばアメリカがアフガニスタンに
報復爆撃を開始してからというもの、もうこの先いつまでこんな美しい山
の紅葉を楽しんでいられるかわからない、そんな気持ちでずっと過ごして
きたような気がする。

11/30 隣りのリンゴ園がようやく収穫を終え、鳥除けの発砲もなくなった
ので、ほっとする。プロパンガスにタイマーをセットして、夜明けから日没
までほぼ5分おきにパーンパーンと爆竹音を鳴らされていたから、我が家
では人も犬もややノイローゼ気味。とくに今年は発砲音を聞くたびに、どう
しても遠いアフガニスタンの戦場を思い浮かべてしまうから、余計気が滅
入った。
 今週はそれでも畑の整理をして真ん中に穴を掘り、籾殻で燻炭を焼いて
みた。火を点けて上から浅く土をかぶせ、真ん中に埋めた薪ストーブの煙
突から煙出しをし、一晩寝かせておく。火加減が結構むずかしく、燃え尽き
て灰になってしまってもいけない。翌朝掘り出してみると、1回目はごま塩
のような生煮えの出来だったが、2回目には真っ黒のいい燻炭ができた。こ
れが実にいい畑の肥料になるのだ。

11/22 隣家の爺さんが干し柿用の渋柿を分けてくれるというので、柿取り
にいく。下の取りやすいところはもうなくなっているから、10メートルほどの
梯子をかけて木に登り、てっぺんの辺りに残っている実を細工した竹竿の
先に引っ掛けて取るのである。ちょっとしたコツがいるが、道具類は全部爺
さんがお膳立てしてくれてあるので、1時間ほどでダンボール2箱分くらい取
れた。
作業の途中から、腰に結わえた籠に実を入れる際、くっついている小枝が
じゃまになり出し、取れるものはその場でへたから小枝を取って籠に入れて
いた。ところがいざ皮を剥いて吊るす段になって、「あら、どうして枝をとっちゃ
ったのよ。小枝がないと干し柿が吊るせないじゃないの!」と、女房から非難
を浴びる。そうなんだよね、どうしてこんな当たり前のことに、いつもその場で
は気がつかないんでしょうか?

11/20 今週は人と会うごとに、「見た? 見なかった?」の会話。もちろん
獅子座流星群のことである。我々も19日深夜、仮眠をとってから起き出し、
防寒着に身を包んで2時過ぎに犬を連れて外へ出た。玄関の戸を開ける
なり、流れ星が目に飛び込んできて、空を振り仰ぐとあっちからもこっちか
らもスーッスーッと矢のように星が流れている。「おーっ!」と何度も感嘆の
声をあげながら、歩いて二十分ほどの「ふるさとの丘公園」に急いだ。
 小高い丘の上になだらかな芝生が広がるここからは、伊那谷と中央アル
プスを一望のもとに見渡すことができる。着いてみると結構若い人たちが
集まっていて、流星を眺めながら携帯電話で友達と話したりしている。大き
な流星が夜空を走り抜けるたびに、「えー!うっそー、まじー? すっげえー!」
の歓声。横にいる女房は、「おまえらほんとにボキャブラリーが貧困なんだ
から。もうちょっと気の利いた形容はできないのかしら」と嘆いている。そう
いう我々もすっかり興奮してしまい、それから真っ暗な田舎道を空を見上げ
ながらあちこちうろついて、4時過ぎに帰宅。体はすっかり冷え切ってしまっ
たが、興奮はなかなか覚めやらなかった。

11/15 裏のリンゴ園に朝から人が来てがさがさやっていたから、今日
収穫するのかなと思っていたら、そうではなく鳥脅しの花火を仕掛けて
いたことがあとになって判った。数分おきにドン!ドン!と銃声のような
音が響くので、庭につないである我が家の駄犬はすっかり怯えてしまい、
家にあがってこようとする。困ったものだ。今日から狩猟も解禁され、銃
をぶらさげたハンターが早くも天竜川沿いに繰り出していた。ここしばら
く、週末ごとに晩秋の山歩きを楽しんできたが、これからはよくよく注意
しないとうっかり山へも入れない。いよいよ冬になったなと思う。


(晩秋の南ア仙丈ヶ岳)

11/5 雨上がりの昨日、朝起きて外を見ると、正面の木曾駒ケ岳の山
頂付近が雪で真っ白になっていた。初雪である。南アルプス方面も、
北部の入笠山までうっすらと雪化粧していた。そんななか、昔住んでい
た山の廃村に知人を訪ねる。標高1000メートルを越えるこの辺りでは
紅葉はもう盛りを過ぎたが、まだカラマツ林はオレンジ色に燃えていて、
それが雨上がりの澄んだ青空に映えて目に鮮やかだった。今年の紅葉
はことのほか美しいと会う人ごとに言う。ぼくもそう思う。
 今朝は家のまわりの畑にも霜がびっしり。いよいよ冬の気配である。

10/24 久し振りに畑に出て、里芋を掘る。去年まで大家の老夫婦が、
文字通り杖を突きながら耕していた畑だが、今年ついに爺さんが斃れ、
我々にお鉢がまわってきた畑である。家のすぐ横にあって便利な畑だ
が、長年、化成肥料や除草剤・農薬をたっぷり浴びてきているから、
相当土も痩せているだろうと思い、今年は花を中心にあまり積極的な
作付けはしなかった。
 案の定、里芋もたいして大きくはならなかったが、それでも昼のおかず
ぐらいにはなるだろうと思って、スコップを入れた。ところが掘ってびっく
り、ほとんど芋がついていないのだ。山で暮らすようになってかれこれ
15〜6年、毎年細々と自給用の畑を耕してきているが、こんなに芋が
取れなかったのは初めてだ。見た目にはきれいにしてある畑だったが、
やっぱり土だけは見ただけではわからないものだ。少なくとも向こう3年
は辛抱強く落ち葉を集め、堆肥をすき込み、気長に土作りをしていくしか
ないのだなと思い知らされた。

10/22 先週末、南アルプス塩見岳の麓、小瀬戸渓谷まで紅葉見物に
出かけた。雨上がりの快晴の一日で、まさに絶景としかいいようのない
原生林の紅葉が、谷沿いにどこまでもどこまでも続いていた。もしこの世
に天国というものがあるとすれば、それはこんな風景を言うのだろうなと
思った。
 天国も地獄もこの世に出現する。ニューヨークの摩天楼もアフガニスタ
ンの荒野も信州の山の渓谷も、同じこの世の一断面である。一方に天国
があれば、一方には地獄がある。もっともこの小瀬戸渓谷だって国土交
通省による大規模なダム工事が着工中で、途中5〜6キロの区間はすで
に水没することが決まっており、いつまでこんな紅葉が拝めるのかはわか
らない。永遠に続く地獄がないように(そう祈りたい)、永遠に続く天国もな
いのだろう。

 (小瀬戸渓谷・巫女淵の滝)

10/16 四季おりおりにそれぞれの趣があるが、伊那谷の十月はもっとも
美しい。天高く晴れわたった空に山並がくっきりと映る。山頂付近から
裾野にかけて日々紅葉が広がっていく。たわわになるリンゴや梨の色も
冴えてきて、あちこちで収穫祭を兼ねた祭りや催しで賑わう。厳しい冬の
前の一瞬の輝きを惜しんで人々はこの時期めいっぱいに動き回るのだ。
 山国の寒さにも役割があるのを知ったのは、住んでみてからのことだった。
森の紅葉も、青空に突き刺さる鮮やかな花の色も、朝晩の冷え込みと昼間
の気温差あってこその話である。朝がしっかりと冷えてくれないと、実りの秋
も始まらない。リンゴの黄色い果肉に甘い蜜がかかり、梨が上品な香りを帯びる。
「熟する」ということは、寒暖の揺りかえっしに耐えることなのだった。
 地底に引っ張られるような冷気を感じて目を覚ます。そんな夜明けの日は
必ず晴天となる。今日すること、したいことを寝床の中で思い巡らし、闇の
白むのを待ちかねるようにして起き出す今日この頃である。(y)

10/6 しばらく体調を崩して、寝たり起きたりの状態が続いていた。10年前
の湾岸戦争のときもそうだったが、あまりに根を詰めて、毎日戦争や犯罪
のニュースばかり追っかけていると、結局体にくる。
 今日は伊那谷のあちこちで神社の祭礼があり、夜に入ってからもどこか
の打ち上げ花火の音が聞こえている。毎日何の変哲もないありきたりの一
日をふつうに暮らせることの有難さ。それをあらためて噛み締めてみるべき
ときなのかもしれない。

<今日の一言>
「ジェノサイド(大量殺戮)のおそろしさは、一時に大量の
人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死が
ないということが、私にはおそろしいのだ。(略)死においてただ数であると
き、それは絶望そのものである。人は死において、ひとりひとりその名を呼
ばれなければならないものなのだ。」(石原吉郎)

9/24 一昨日から一気に冷え込んで、とうとうストーブを出す。軽井沢では今朝
初氷。平年より1ヶ月早く、観測史上最も早い記録だという。これまでが真夏並
みの暑さだったから、余計にこたえる。もう異常気象はとどまるところを知らない。
おまけに最大の環境破壊である戦争が、自称文明国の手で着々と準備されてい
るわけだから、どうもやる気が出ない。それにこのところ米国の同時テロ事件の
影響でか、副業のインターネット古書店の方の売上げがさっぱりである。店主の
ぼく自身、しばらくは毎晩テレビのニュースにかじりつきっぱなしで本を読むどころ
ではなかったのだから致し方ない。
 しかしもういい加減、正義と力だけをふりかざす米国大統領の空疎な演説も聞
き飽きた。事件後2週間経つが、少なくともテレビや新聞の報道に接する限りでは、
あれだけの事件を引き起こした背景に、米国がこれまで行ってきた他国への強引
な武力干渉や中東政策の偏向を米国人自身が認める発言に接したことがない。
アメリカという国家が世界の一部の民族からどれだけ憎まれているのか、そのこと
に対する省察を抜きに、どれだけ用意周到で大掛かりな武力行使をアフガニスタン
に向けて行なおうと、テロを根絶することができないのは火を見るより明らかである。
 そんな思いでいたところ、ニューヨーク在住のユダヤ系女流作家スーザン・ソンタグ
の次のようなメッセージが知人からメール転送されてきた。これこそ本当に聞きたい
と思っていたアメリカの知識人の声なので、少し長くなるが、以下にそれを全文紹介
させてもらう。

> > 出典:    FAZ 9月15日(土)発行
> > 掲載面:   Feuilleton (45面)
> > 著者:    Susan Sontag
> >
> >
> > 「 その殺害者たちは卑怯者ではなかった 」
> > ( Feige waren die Moerder nicht )
> >
> > ショックに沈むアメリカ : 論説の誤った一致性
> >
> >
> >
> > 驚きのあまり声もなく、悲しみに沈むアメリカ人であり、
> > ニュ−ヨ−ク人でもあるこの私にとって、この前の火曜日と
> > いう日ほど、巨大な現実がわれわれの頭上から崩れ落ちて
> > きたあの日ほど、アメリカという国がその現実の姿から、
> > これほどまでに、大きく遠くかけ離れてしまったように
> > 感じられた日はなかった。
> >
> > 起こった出来事と、その出来事の受け止められ方と、
> > 理解のされ方の間におけるアンバランスは、
> > すなわち一方では、ほどんど総ての政治家たちと
> > ( NY市長のジュリア−ニを例外として )、他方においては、
> > テレビ解説者たちが ( Peter Jennings を例外として )
> > まったくひとりよがりのナンセンスな言葉や、恥を知らずの
> > 欺瞞に満ちた発言ばかりに終始していたという状況は、
> > 私の心を不安に陥らせ、重く憂鬱にさせるに十分過ぎるほど
> > であった。
> >
> > この出来事を解説する( ことができる権限を持った )
> > 声というものは、あるひとつのキャンペ−ンを展開させようと
> > ひそかに示し合わせているのか、とさえ私には思えた。
> >
> > 彼らの目的とは: 世間一般を、これまで以上に愚民化
> >            することである。
> >
> > 今回の出来事は、”文明”や”自由”、”人間の尊厳性”
> > または”自由社会”に対する”卑怯”な攻撃などではなく、
> > アメリカ合衆国に、世界で唯一の、自称最強国に向けられた
> > 攻撃なのであるという自明の事実を、どうして認めないでの
> > あろうか ?
> >
> > この攻撃は、アメリカという国がとった政治、国家利益の追求と
> > その行動によって導かれた結果であることを、なぜ認めようと
> > しないのであろうか ?
> >
> > アメリカが、現在も、イラクへの爆撃を続けていることを、
> > 果たしてどれだけのアメリカ人が知っているのであろうか ?
> >
> > もし、”卑怯”という言葉を口にするのであれば、その言葉は
> > むしろ、報復爆撃を空から行う者に向けられるべきであって、
> > 他の人間を殺すためには、自らの命をも断つことを覚悟した
> > 者に向けられるものではない。
> >
> > もし、われわれが勇気について、この唯一の、道徳的な
> > 見地からみて中立である美徳について語るのならば、
> > 暗殺者たちを、− たとえ、彼らをどのように呼ばわろうと
> > しようとも −、彼らたちを卑怯であると非難することは
> > できない。
> >
> > われわれの政治リ−ダ−たちは、声を揃えて、すべては
> > 正常な状態にあると信じ込ませようとしている。
> >
> >
> > いわく;
> >
> > アメリカは何も恐れてはいない。
> >
> > われわれの精神は不屈、不変である。
> >
> > ”彼ら”を探し出し、”彼ら”に罰を与えるであろう。
> > ( 誰がその”彼ら”であろうとしても )
> >
> >
> > アメリカは、これまでと同じように真っ直ぐに、揺らぐこと無く
> > 立っていると、まるでロボットのように国民の前で、
> > 何度も、何度も、繰り返して述べる大統領がこの国にはいる。
> >
> > つい最近まで、ブッシュ政府の外交政策を激しく批判して
> > いた公務に携わる多くの人物からは、いまや、
> > ただひとつだけの声が聞こえるだけである:
> >
> > それは、彼らが、アメリカの全国民と一緒になって、
> > 全員一致して、恐れることなく大統領を支えていこうという
> > 声である。
> >
> > テレビの解説者は、われわれが死を悲しむ人々のために、
> > 心の支えとなるべく?命になっていると報じている。
> >
> > 当然のことながら、国際貿易センタ−の中で働いていた
> > 人々が、どのような変わり果てた姿となってしまったかを
> > 伝える、戦慄を起させるような画像はわれわれの目には
> > 示されていない。
> >
> > そのような画像は、われわれを意気阻喪させるだけであろう。
> >
> > ようやく、2日が経過した後の木曜日になって
> > ( ここでもジュリア−ニ市長は例外であったが )、 
> > 初めて、犠牲者の数についての公式発表がなされた。
> >
> > あの火曜日は卑劣な行為があった日として、歴史に記録される
> > ことになり、アメリカが再び戦争に直面した日とされているにも
> > かかわらず、国民には、すべては正常な状態にある、または、
> > 少なくとも、正常な状態に戻りつつある、とアナウンスされて
> > いたのである。
> >
> > 何がいったい正常な状態であったと言えるのであろうか ?
> >
> > そして、今回の出来事は、あの真珠湾とは何ひとつとして
> > 共通するものなどありはしないのだ。
> >
> > いま、最も真剣に反省され、考慮されなければならないことは、
> > − おそらく、すでにもうワシントンやその他の場所で始まって
> > いることではあろうが −、アメリカ諜報機関が露呈した
> > とてつもない無能さぶりと、特に近東における、これからの
> > アメリカの政策の在り方と、それと、この国における
> > きちんとした軍事上の防衛計画についてである。
> >
> > しかしながら、はっきりと判ることは、この国の指導者たちは、
> > − それは、いま現在職務についている者、その職務につこうと
> > している者、また、かってその職務にあった者らを総てをふくめて −、
> > 唯々諾諾としたメディア、マスコミの力を借りて、一般大衆には
> > あまりに多くの事実は知らしめまいと、心に決めていることである。
> >
> > かって、われわれは、ソビエトの政党大会において聞かれたような
> > 全員がこぞって拍手賞賛し、自分たちだけが正しいとする
> > 月並みな発言を軽蔑し、さげすんでいた。
> >
> > ここ数日のメディア、マスコミにおける、ほとんど総ての政治家と
> > 解説者たちの口から出てきた、いかにも信心家ぶった、
> > 現実の姿をゆがめた美辞麗句による画一的な一致は、
> > 民主主義にはふさわしくないものである。
> >
> > またさらに、わが国の政治指導者たちは、彼らが
> > 彼らに与えられた仕事とは、世論を操作することであると
> > 理解していることが明らかになった。
> >
> > それは、国民の信頼を得るための操作であり、死者への
> > 悲しみと苦痛を上手に処理するための手際である。
> >
> > 政治は、ひとつの民主主義におけるこの政治は、
> > − 意見の不統一と、矛盾を結果としてもたらし、
> >    率直さを促進させながらも−、
> > 精神療法と取って替えられてしまっている。
> >
> >
> > われわれを共にして、死者を悲しまさせんことを。
> >
> > しかし、われわれを共にして、愚行に身を任せる
> > ことの無きことを。
> >
> > ほんの僅かな歴史に対する意識が、すでに起こった出来事と
> > これから起こるであろう出来事へのわれわれの理解を
> > 助けることであろう。
> >
> > ” わが国は強力である ”
> > この言葉は、すでに何度も、何度も繰り返し聞いた。
> >
> > 私には、この言葉はちっとも慰めにならない。
> >
> > いったい誰が、アメリカは強力であることに
> > 疑いを持つというのであろうか ?
> >
> > しかし、現在、アメリカが示すべきものは、
> > ただその強さばかりではあるまい。
> >
> >
> >
> > ENDE
> >
> >
> > 注: 
> >    * Susan Sontag はアメリカの作家、1933年生まれ。
        著書に「ハノイで考えたこと」「反解釈」「隠喩と
        してのエイズ」等、翻訳多数。
> >
> >    * 事件が起こった9月11日、アメリカン・アカデミ−の
> >      招待客としてベルリンに滞在。
> >      NYへ帰るフライトを待つ間に、この寄稿を作成。
> >
> >    * 原文は英語。

→戻る