§救急アンソロジー
       - 夜間救急事務当直日誌から(2002〜2019)



(初めに)2002年からネット古書店の傍ら、病院の夜間救急当直の仕事に出始めた。これが大変きついけれども、人の生死と市民社会の裏事情に触れる仕事だった。病気やケガの急患から始まって、交通事故、自殺未遂に至るまで、いろんな患者が運びこまれてくる。その受付、保険証の登録、救急車の対応、医師と家族への連絡、会計etc…。ほぼ徹夜状態で翌朝家に戻り、犬と朝の散歩に出かけるときのすがすがしさ。結局そのままはまって抜けられなくなり、以来コロナが始まる2020年まで、断続的に県内の複数の病院で事務当直に従事した。
 最近身辺整理をしていて、その間のメモやノートを見て、思うところがあった。そこで捨てる前に一部を抜粋して、記録に残しておくことにした。何かの参考にでもなればと思う。(なお個人情報はすべて伏せてあります)。

〈2002年〉

 深夜2:30、救急車より一報。「心配停止の患者で、当直医師に電話をつないでくれ」。スピーカーの途切れ途切れの会話からは「首吊り」という言葉が聞き取れる。他の患者のカルテを探しに行っている間に、第二報。22歳女。→すぐパソコンで検索し、カルテを取りに行く。幼い頃から何度もかかっていて、カルテもたくさん、最近も産婦人科にかかっている。ノイローゼで入院したことも。
 2:42、救急車到着。隊員と看護師が懸命に心肺蘇生マッサージを施すも、すでに死亡している。廊下で医師が、付き添ってきた両親に報告。泣き崩れる母親。警察がコピーを取らせてくれと言ってきた紙を見たら、丸文字で「みんな本当に ありがとね」とあった。(12月)(⇒ 伊那谷スケッチ2002秋〜2003冬「桜桃の味」)

〈2003年〉

 夜10時過ぎ、28歳女性、睡眠薬を多量に飲んで救急車で運ばれてくる。意識朦朧。連れ添ってきた母親が言うには、ダンナと離婚沙汰になっている。そのダンナも遅れて現れる。
 カルテを見ると、1ヶ月前にも救急車で運ばれ、「第三者行為・自費」で形成にかかっている。「顔面打撲・切創」で顔を縫うが、よく見ると駅前で車に乗っている彼女をダンナが足で蹴り、ガラスが割れ、顔を傷つけたらしい。つまり一度目は、ダンナに蹴られて救急車、二度目は1ヶ月後、クスリを飲んで救急車。(4月)

 翌0時半、自殺未遂二人目運ばれてくる。23歳男、二種類のクスリを飲んだ。こういう連鎖って、あるんだろうか。鬱病で精神病院かかりつけ。家庭環境複雑。母離婚、父死別、祖母老人ホーム、亡き父の友人方の世話になっている。

〈2006年〉

 深夜4時半、ブラジル人ディスコで催涙スプレー・ガス中毒で、4人救急搬送。交通事故3名も加わり、大わらわ。眠れず。(4月)

〈2010年〉

 CPA(心肺停止)の患者、救急搬送時、入口のカメラ画像に白い雲のような玉が浮かんで見える。三日続けて見た。(同僚の当直者S氏談)

 深夜0時過ぎから成人式の流れで、20歳のアル中患者他、救急車で4人、眠れず。5:05、19歳男、顔面打撲で受診。後で警察が犯人ではないかと情報を聞きに来る。当直医師・看護師長と相談の上、個人情報保護を理由に、正式な令状がなければ教えられないと断る。(1月)

 天気のせいか、自殺未遂患者続いている。一人は錯乱し、Drの手をかじる。
 諏訪御柱祭のとき、精神科の入院患者がハッピ着て参加したり、7年間入院していた者もいる。

 兄弟で御柱事故。
 弟42歳。朝8時頃、里曳きの際、転倒。頸椎損傷で救急受診。再び御柱に戻るも、下肢の痺れと意識障害で、17:04救急再診。→入院

 兄45歳。立て御柱から転落して、17:23救急搬送。CPA→死亡。(5月)

〈2011年〉

 医事課から「被曝対応について」の回覧あり。
 深夜、福島からの原発自主避難の老人(80)、救急車で搬送。(3月)

 15歳(中3女)、出会い系サイトで知り合った男とホテルに行き、レイプされたと救急受診。顔見たら、まだあどけない子供。女の母親はとみると、白い杖を突いた人だった。(7月)

 深夜、患者途切れず、眠れず。1:53,2:58,3:26,4:18(QQ車),5:54(QQ車)
 
〈2013年〉

 病んだ十代の子等が救急車で運ばれてくる。ウツ病、薬物中毒、親の離婚…。みんな病んでいる。(5月)

 救急車で運ばれ、緊急帝王切開で生まれた子。18:28に誕生し、20:00に死亡。この世での生は、1時間半。母親(34歳)は死児を抱いて涙を流しながら、「ごめんね、ごめんね」と謝っていたそうだ。(6月)

 当直明け。いつものように日帰り温泉浸かって戻る。昨夜は、天気のせいもあるのか早い時間帯はえらくヒマだったが遅くなるにつれて混み出し、結局ほとんど不眠。深夜、雨の中車を運転中にくしゃみをして縁石に乗り上げ横転した交通事故の59歳のおばさん、諏訪湖畔で卒倒するのを目撃され救急搬送された意識喪失の24歳女性、自宅の階段から後ろ向きに10段ほど転げ落ち、横臥したまま5日間も過ごしてから救急車で運ばれた72歳男性。2日目に奥さんが糞尿まみれで倒れている旦那を見つけたらしいが、「このまま逝かせてくれ」と救急要請を拒み、数日間様子を見ていたとか。その合間に頭痛や嘔吐の患者や、魚の骨が喉に刺さっただの、ボタン電池を飲み込んでしまったらしいだのといった幼児が連れてこられる。(7月)

 当直明けの朝9時、誰もいない大和温泉の湯舟に浸かり、ボォーッとしている。虚脱感と至福と悔恨の気持ちが入り混じったエポケー状態。こういうひと時に浸りたくて、夜勤をやっているのかとさえ思う。
 昨夕は例のごとくに、些細な会計ミスをさもおおごとに指摘するレセプト・コピーのチェックに始まって、日曜とあって結構混んで複雑な会計が続く。22時半過ぎて、ようやく患者が途切れ、しばらくシモーヌ・ヴェイユの工場日記が収められた「労働と人生についての省察」を読み続ける。深夜零時まで珍しく患者来ず、うつらうつらしてきたところで仮眠ベッドに横になる。夢に入り始めたら、内線電話が鳴る。1時頃、72歳のお婆さん、下痢と嘔吐を訴えて来院。しばらくして点滴が終わり、診察室から出てきたのはいいが、待合の廊下で横になったり、トイレに駆け込んだまま出てこなかったりを繰り返した挙句、やっと会計が済んだと思ったら廊下で激しく嘔吐。やむなく看護士が再度当直の医師を呼び、再び点滴。CTも撮って、結局入院となる。
 そうこうしている間に、夫の浮気問題で死にたくなったと、降圧剤を大量に(といっても1シート14錠)飲んだ40歳の主婦が、当の夫に介抱されながら連れてこられる。それとほとんど同時に、今度は心臓が急に苦しくなったと言って、坊主頭のスポーツマン風の男が頭をびしょびしょにして、25歳の女を背負って現れる。関東甲信が梅雨明けしたと発表されたのが昨日だが、外は結構降っているらしい。結局、自殺未遂の主婦は胃洗浄をして入院。不整脈の若い女は、心電図と血液検査だけして帰ったが、会計処理など全部終わったのが4時半。それから仮眠に入るが、付き添いの家族の人に起こされたりして、やっぱり眠れない。ボォーッとした状態で何とか朝の引継ぎを済ませ、急いで大和温泉へ。湯舟からあがり、脱衣場で蛇口から水の滴が垂れる音を放心状態で聞いている。(⇒ 伊那谷スケッチ2013冬〜2014秋「労働とエポケー」)
 
 31歳女、幻聴(自分がバカだと言われている)。絶対に言われている。→警察に苦情を言いに行く。宗教、ホワイサイエンス。シータヒーリング、心理セラピー。伊那にセラピーの店を出す予定だった。

 38歳女、自殺未遂、救急ヘリ。

 ◎外来74 入院12 救急車48 深夜36
 一晩にこれだけの患者をこなしたのは、初めてだ。尋常でなかった。
 「自然の逆襲 天は怒った これが本当の雷だよ」


 夕方、湖畔の駐車場に着いた頃から、諏訪湖の頭上に黒雲が広がり雷が光り始めた。早めに病院に入り、仮眠室へ直行すると、すでにSが寝ていた。それから気がついたら雨が降り始めており、5時の引継ぎのときはかなりのどしゃぶり。しかし6時頃にはそれもやんで、地面も乾いてきた。7時、花火が始まるとまた降り始め、だんだんと雨脚も激しくなり、雷もとどろく。花火と雷が交互に錯綜して凄まじい様相を呈してくる。そのうち雷と風雨が花火を圧倒して、7時半に花火は中断。その頃にはもう救急の廊下にはびしょ濡れになった見物客が次々と避難してきて、低体温症や過呼吸を訴える急患が救急車やタンカで続々と運び込まれてくる。救急の廊下は彼らの滴らせる雨水で、一時は小川のようになり、サンダルではうっかり歩けないほど。
 救急車が着くたびに、事務3人で手分けしてひたすら新患登録。落雷に遭った患者や、乗っていたボートが強風と雨で転覆して湖に落ちた6人連れの家族など、患者の流れは途切れない。23時までトイレにも立てず、弁当にありついたのは深夜1時半。結局、会計・登録が一通り終了したのが、朝の5時半。当直を10年やって、こんな凄いのは初めてだった。 

 〈15日午後7時からスタートした花火大会は、50万人の観客が集まったが、強い雨と風のため20分余りで中断され、中止となった。帰宅しようとした見物客が殺到した諏訪市の上諏訪駅前は午後9時過ぎ、入場制限がかかり、長い列ができた。激しい雨などによる交通機関の乱れから帰宅できない人のために、避難所として諏訪市の施設や小学校の体育館などが開放された。
 15日午後4時過ぎから降り始めた雨は、諏訪で午後8時半までの1時間に観測史上最高の74.5ミリを記録した。JR中央東線は15日午後7時半過ぎから運転を見合わせていたが、午後11時に運転を再開した。岡谷市と下諏訪町で77軒の浸水被害が確認されており、長野地方気象台は諏訪地域に土砂災害警戒情報を出して警戒を呼びかけた〉(日テレNEWS24)。(8/15)

 AM1:54 仮眠室
 零時近くに上がって寝たが、結局、培養の検体を検査室に届けるため起こされ、眠れない。 一晩のこの仕事で、持っているエネルギーを使い果たしてしまう。エネルギーの総量は、年と共にどんどん減っている。それをもう少し違う方向に振り向けたい。そのために生活を変えたい。正ー反ー合。
 ここまで来て、これまで当直を辞めていった人間の気持ちがよくわかるようになった。そうだったのか、こんな気分で通っていたのか、と。あと、本当にもう一息の我慢。(9月)

 当直明け。大和温泉230円。アナログな建物。湯船の真ん中のガラスの壁に、魚の張りぼてがズラッ留めてある。みんな同じ方向を向いている中に、なぜか一匹だけ逆方向を向いている魚がいる。俺もそうか?(10月)

〈2014年〉

 今日も救急は混んだ。45名。怪我人が多く、午後には山で転落した老人が救急搬送されてくる。甲斐駒からの下りの尾根で突風に煽られて転落したが、自力で這い上がり、救急要請したらしい。高松からのツアー客で、付き添いのやはり六十代の男性が、警察からの質問に「長年山に登ってきたが、あんな凄い突風は初めてだった。天気予報では3時までは晴れマークになっていたのに」と大声で答えていた。(7月)

 昼頃、御嶽噴火。夜、病院救急外来、災害モードに切り替わり、一般患者受け入れ停止。トリアージタッグなどを用意して、遭難者の到着を待つも、火山灰による「気道熱傷」の患者など数名のみ搬送。ほとんどは県立木曽病院か松本方面へ搬送されたか。何かあれば深夜でも携帯で連絡待ちということで、23時家に戻る。(9/27)

 御嶽噴火から4日目。まだ噴火は続いていて火口付近では有毒ガスが発生し、「心肺停止」の遭難者20名以上が、収容されずに山頂付近に取り残されている。他にも灰に埋もれて発見されていない被災者がいるはずだ。3・11のときのことを思い出してしまう。はじめ冗談めいて見えてきたことが、一挙にとんでもないシリアスに変わっていく。何度も登った山だけに、他人事に思えない。今世紀は戦争と災害死の時代か。(9/30)

〈2015年〉

 救急事務Мさんの話。夜勤以外は、昼間、老健施設で働いている。6時間以上寝たことがない。Tさんも、夜勤以外は昼間会社で事務。窓口受付のHさんも、週末以外は薬屋とコンビニで働いている。(1月)

 ドクヘリで運ばれてきた患者のむき出しのスネに彫られたどくろのタトゥー。盗難車の軽トラを運転して、警察の検問を突破。パトカーとの追跡戦の末、橋でジャンプ。10メートル下の川に車ごと墜落。辛うじて助かった。24歳男。家族とは18年間絶縁状態。どくろのタトゥーが何ものかを語っていた。(5月)

 昼前、CPA(心肺停止)氏名不明患者救急搬送。別の救急車も重なり、松葉杖の貸し出しも出たりで手一杯。新人のAさん指導しながら、何とか乗り切る。
 夕方、畑の土手に倒れていたところを発見されて救急搬送された94歳のおばあちゃん、電子カルテの画面を見ていたら、見当識 人○ 場所○ 時× とあり、名前も場所も言えるが、何回聞いてもいまは「昭和13年3月」と答える。計算してみると、2015−1938(昭和13年)=77。94(歳)−77=17歳ということになる。人の意識にとって時間の認識がやはり一番ポイントになるのだろうか。しかしいまの時代を昭和13年と錯覚するというのは、ある意味で正しい認識なのかもしれないと後で思った。(7月)

 救急で緊急心カテになった自分と同じ年の男のカルテを見ると、ふだんは福島原発でトラックの交通整理をやっているとあった。離婚して身寄りはなし。(8月)

〈2016年〉

 80歳の老女、原付バイクで事故。その後、94歳の男性、農薬(パラコート)を1リットル飲んで、CPAで救急搬送。人工肛門の失敗多く、ここ数年塞ぎがちだった。(1月)

 昨夜、軽井沢でスキーバス転落事故。14人死亡。病院の救急はさぞかし大変だったろう。

 80歳位の女性、天竜川の橋桁に流されて引っかかっているのを歩行者が発見。身元不明で救急搬送、死亡。

 92歳老婆、認知症、左手打撲で受診。「おかあさん、痛い!」と叫び続け、診察室では医師をアホと殴る。

 86歳女性救急搬送。小脳出血、水頭症。
 (娘の話)母は夫を早くに亡くしていたので、常日頃から「早く死にたい」と言っていた。プライドの高い人なので、元の状態に回復できなかった場合、「なんで助けたんだ」ときっと文句を言うと思う。妹とも相談したが、緊急手術は行わずにこのまま看取りたいと思う。(2月)

 昨日は午後から春の嵐か、冷たい風吹き荒れる。救急は出だしからドクヘリ。西駒で滑落、昨日の荒天で3人。午後もドクヘリで2人運ばれてくる。当然だよな、あの天気で。

 45歳(女)、夫に後頭部を殴られ、救急搬送。「子供が重度心身障害者で自宅にいる。自分が以前DVで入院した際は、一緒に入院した」。(3月)

 春先は自殺が多い。今日も救急受付、朝一番に首吊り未遂(32歳女)。

 春の高校駅伝、控室で弁当食べながら見ていたら、トップを行く佐久長聖二番手の選手が、登り坂で後続に抜かれ、どんどん遅れていく。傍目にも足が上がらず、苦しそう。8位ぐらいまで落ちて、タスキを三番手に渡した途端、倒れ伏した。→二時間後、救急搬送されてくる。松葉杖ついて、帰宅。他にも駅伝選手、過呼吸などで数名救急搬送されてくる。

 認知症の老人(88)が、車いすで何やら大声で喚いている。横で2歳の児が、つられて泣いている。救急待合室休日シンフォニー。
 夕、空木岳から滑落した男性(32)が、ヘリで搬送。身元不明。すでに死亡。→家族から電話あるが、誕生日がわからない。夜、NHKのニュースで2200m付近で滑落とわかる。

 諏訪 建て御柱(本宮一)で、一人転落死(41歳)。人身御供?(5月)

 週末ごとに縊頸患者が救急車で運ばれてくる。お盆の先週は33歳男性。今日は84歳女性。共に夕方の混み合った時間にやってきて、救急の現場はそこでストップする。薬物中毒やリストカットならたいてい未遂で済むが、首吊りだけは助からない。(8月)

 29歳男、美和湖でジャンプ、バック転、転落。CPA、死亡。(9月)

 病院へ出勤して、前日隣組のHさんがCPAで救急搬送され死亡したことを知る。腹部大動脈瘤破裂。享年90歳。朝、畑やっていたときに聞いた救急車のサイレン音がこれだったのだ。
 翌夕、お焼香に寄る。親戚らしき人がぞろぞろいる中で、組の皆さんは故人の横に陣取って葬式の打ち合わせやらで忙しい。戻って犬の散歩をしていると、畑の横から帽子をかぶったHさんがふいと現れそうな気がする。合掌。(9月)

 夫婦で聾唖。58歳夫は、さらにTA(交通事故)で下半身麻痺、前立腺障害。手話通訳者連れて救急来院。(10月)

〈2017年〉

 朝いきなり腹部刺傷、自傷(40女)。救急大荒れ、患者3時間待ち。(2月)

 朝来るなり救急車2台。内1台はCPA(64歳男)、急性心筋梗塞。PCPSコール。
「5時起床、6時頃入浴。7時半ころまで2階の自室にいた。区の作業があり、7時55分頃あわてて外出。走って現地へついた途端、卒倒した。開眼したままで反応なし。来院時心肺停止」。 今朝は「市内一斉河川清掃」の日だった。もう一台の救急車も、作業の後、肩痛め搬送(94歳女)。ヘルパーも施設入所も拒み、独居。子はいない。(3月)

 6歳の女の子、交通事故CPAで搬送、死亡。母親、狂乱。診察他、ストップ。
 TA患者多し。急な暑さのせいか。(5月)

 知人の奥さん(73歳)、CPAで搬送、死亡。昨日、田植えで疲れ、今日、マレットゴルフ中に具合悪くなる。

 朝行くなり、いきなりPCPS(経皮的心肺保護法・救急スタッフ全員召集)52歳男。夜勤をやっていて、具合悪くなった。(6月)


 66歳男、肺Caケモ(化学療法)の方。介護タクシーで一人で来院。車椅子で診察室へ。診察中にCPA,死亡。(7月)

 夜、「イラク チグリスに浮かぶ平和」綿井健陽監督、DVDで観る。やはりイラクは地獄になっていた。バグダッドの救急病院の医者が言うには、一日に100から150人位の患者が運ばれてくるが、そのほとんどが銃か爆弾による死傷者。交通事故の患者などほとんどいない。事務や看護師もさぞ大変だろうな、などと思ってしまう。(8月)

 4tトラック単独事故(53歳男)、木曽から救急搬送。外傷性くも膜下出血。「両親は死にました。兄弟は縁切りました。職場?わかりません、忘れました」。(10月)

 一過性意識消失で救急搬送された86歳女性(独居)、診察終わってふらふらと会計方面へ行き、補聴器を返してもらっていないと騒ぐ。看護師と事務で心当たりを探すがない。→公衆電話のケーブルに引っかかっていた。(11月)

〈2018年〉

 「病院駐車場の車で陣痛」といういたずら電話あり。寒い中、看護師等と外走り回り、ほんろうされる。(1月)

 統合失調症の68歳の娘が、90歳の認知の母の面倒を見ている。娘、脳出血で救急搬送、入院。母が心配。

 ドクヘリ(92歳男・野焼き・全身熱傷)。CPA(34女、西友トイレ、子供4人、彼氏と車中泊、統合失調症)。その他救急車多し。(6月)

〈2019年〉

 モチを喉に詰まらせた老人(76男)、CPAで搬入→死亡。(1/1)

 朝来たら、41歳男CPA(練炭自殺)。(2月)

 以下、続く…。

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