《§伊那谷スケッチ 番外編 2024》


◎猫の尊厳死  ミミの最期 (2024年3月19日)


 今日は死ぬのにもってこいの日だ
 生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている
 すべての声が、わたしの中で合唱している
 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった
 今日は死ぬのにもってこいの日だ
       (ナンシー・ウッド編 めるくまーる)

      *

 12歳になる雌猫ミミが、全然ものを食べずにコタツの下から動かなくなったのは、3月の初め。その後数日して黄色い胃液を何度も吐き、水も飲めなくなった。

 去年の秋にも同じ症状が出て、その時は動物病院に連れて行った。(ちょうどイスラエルがガザに報復爆撃という名のジェノサイドを開始した頃のことだ)。
 ミミは別荘地の屋根裏で生まれた気の強い猫で、ターキッシュ・アンゴラと日本猫の野良のあいの子。ふさふさとした白毛と青い目が特徴で、手足が長く、ふだんはおとなしいのだが、自分の嫌なことをされると歯を剥きだして抵抗する。年を取ってから初めて飼った雌猫で、ぼくにはとてもよくなつき、過剰に甘やかしてきた。家ではいつもべったり一緒で、女房からは「まるで愛人関係ね」とまで言われてきた。

 激しく嫌がるミミを女医さんと押さえつけて、採血と補液の注射をした。結果、尿毒症でかなり腎臓をやられていて、点滴治療をしないと危険な状態だという。ただし利かん気の強い猫だから、じっと点滴を受けてくれるかどうかはやってみないとわからない。そう言われれば仕方がない。ともかく点滴入院をお願いして帰ってきた。
 家に戻ってネットで調べると、腎臓を患う猫はよくある話で、適切な治療を受けないで重症化するとひと月ももたないとある。末期はほとんど動かず寝たきりとなり、最期はとくに苦しむこともなく意識朦朧となって眠るように息を引き取るケースが多い、などと書いてある。
 女医さんもびびっていたぐらいだから、狭いケージに閉じ込められてきちんと点滴注射など受けているだろうか、場合によってはそのまま連れて帰って自然死させてやる方がいいのだろうかなどと思案しながら数日後様子を見に行くと、意外とおとなしく点滴を受けていた。ふだん自由に外を出歩き、飼い主が留守にするときも二階のテラスの猫穴から好き勝手に出入りしている猫だが、さすがに観念したのかネックカラーをされたまま黙って点滴を受けている。「ミミ!」と呼びかけると、蚊のなくような声で返事をする。
 結果として1週間入院して、腎臓の数値もかなり改善し、ようやく少し飲み食いできるようになったところで退院した。その後も補液の注射に通うことを勧められたが、その度に嫌がるミミを押さえつけて注射するストレスを思うと、とてもそこまでする気にはなれなかった。狭いケージで死んだようにぐったりして点滴のチューブにつながれていたミミの姿を思うと、今度悪くなったら、やっぱり自然死の方向で看取ってやろう。もう12歳、「ミミ婆」なのだ。その方があいつには相応しい。その代わり腎臓病用のキャットフードとヘルスカーボンを毎日飲ませて水分に気を配り、できるだけよい環境を整えてやることにした。

 以来約4か月、アップダウンはあったものの、比較的病状は良好に推移し、一時はサンマを喜んで食べるまでに回復した。
 ところがひと月前、もう一匹の雄の飼い猫サバに嫉妬のためか襲われ、指にケガを負ってから元気がなくなり、痩せて毛もぼそぼそになり、もう半分あっちへいっているような状態で寝ていることが多くなった。よっぽどまた点滴補液に連れて行こうかとも思ったが、嫌がるミミを押さえつけて注射をし、身動きできないケージに閉じ込めて1週間点滴入院をしても、また2〜3か月もすれば元の木阿弥。その間のストレスや心身の消耗を考えると、延命治療の空しさは一度やれば十分だと思った。たかが猫、されど猫。ミミが安心してあの世へ逝けるよう、できるだけ良い環境で気をつけて看取ってやるしかないなという結論に達する。

     

 今年は3月に入ってから何度もボタ雪が降り、その度に重い雪かきに追われた。
 ミミは飲まず食わずのまま、意識がもうろうとしてきているのか、だんだん挙動不審になってきて、ちょっと目を離すとふらふらとどこかへ行ってしまう。夜はぼくの部屋で寝て、朝になるとベッドの枕もとに乗ってくるのだが、脱水症状がかなり進行していて、ウエットティッシュで顔をぬぐってやると、かさかさに固まった目ヤニが取れる。
 なんといっても水の皿を前に、飲みたくても飲めない水をじっと見て座っている後ろ姿が切なくてつらい。脱脂綿に水を含ませて口元に持っていっても、顔をそむけるばかりだ。ただ背中をさすってなでてやるしかない。こんな感じで、いつまでもつのか。
 しかもネットで調べたのとは違い、ミミの場合、末期になるにつれて、徘徊行動がひどくなってきた。外へ出たまま帰ってこない時間がどんどん長くなる。去勢した雌猫だから、ふだんからそんなに遠くへは行かないのだが、気がつくと家からいなくなっていて、なかなか帰ってこない。寒風吹く残雪の道を「ミミ! ミミ!」と呼びかけながら、何度歩き回ったことか。 最終的にテラスの猫穴はブロックとレンガで塞ぎ、トイレも部屋の猫トイレかペットシーツでさせ、夕方からは外に出さないようにした。
 それでも徘徊は続き、ある晩気がついたら、猫穴を塞いでおいたブロックとレンガが倒れていて、ミミが勝手に出て行ったことに気づいて焦る。周囲はもう真っ暗闇で、雪模様の怪しげな天気の下、近くの墓地の先まで、懐中電灯で照らして「ミミ! ミミ!」と探し回る。ついに逝ってしまったかと諦めて帰ってきたら、2階の部屋に戻っていた。ああ、よかった。思わずしゃがみ込んで抱きしめる。
 翌日はみぞれ雪が吹き荒れる異様な天気だった。こんな日にミミが逝ってしまったら、探す方も最悪だったろう。 


3/13(水) ミミ、飲み食いしなくなって11日目


 ミミ、今日も家に閉じ込めておいたら、外に出せ出せといってきかない。朝、後ろからついて行ったら墓地の先の角で、雪解けの泥水を舐め、そのままAさん宅の先までヨロヨロ歩いて行くので抱き上げて連れ戻す。いつも墓地の先まで下って行き、そこから東の雑木林の斜面に入るヤブの近くでウロウロしている。猫は死ぬ時姿を隠すというが、どうやら死に場所を探しているとしか思えない。人に隠れて死ねる場所を。結局今日は、朝昼夕と3回もミミを追いかけて連れ戻す羽目になった。
 夜中になっても何度もガウッガウッと枯れた呻き声を発し、爪研ぎをガリガリこすって外に出たがる。ドアを手で開け、扉をこじ開けんばかりの様子だ。無視して寝ていると何度もベッドに乗ってきて、おれに頬をすり寄せてくる。いよいよ、もうこれ以上は閉じ込めておけないなという気持ちになる。だって連れ戻しても連れ戻しても、ただ家に閉じ込めて餓死するのを待っているしかないのだ。まるでミミは、「家なんかで惨めに死にたくない。猫にも自由を、尊厳死を!」と言っているかのようだ。「わかった、わかった。明日は好きに出してやるから、今晩だけは勘弁してくれよ」と言って最後のお別れをする。
 明け方、猫が死ぬ夢を見る。白猫ではなかったが、はっとして目覚めて横を見ると、ドアの傍にミミが寝ていた。


3/14(木) 穏やかな日和 ミミ、絶食12日目


 朝、犬の散歩から戻ってドアを開けたら、ミミが飛び出してくる。朝食を済ませたらゆっくり歩いて付き合ってやろうと思っていたのだが、こうなれば仕方がない。目立たないようにそっと後をついて行くと、よろよろと20mくらい歩いたらしゃがみ、またよろよろ歩いてはしゃがみ込むを繰り返し、100mほど行った駕篭立場跡の石仏の先、農機具小屋の前でまたしゃがみ込んで思案している。ふと立ち上がると、道路を横切り、決然とした様子で藪を抜けて東斜面の雑木林の向こうに消えて行った。明らかに死に場所を求めて行ったのだ。それを肯しとしよう。もう連れ戻さないぞ。
 そこまで見届けてから、一人で家に戻る。もうここへは帰ってこないだろう、そう確信してミミの使っていた食器や皿を全部洗って仕舞う。
 久々にお天気も上々で、小春日和のような実に穏やかな一日。まさしく「今日は死ぬのにもってこいの日」だ。


 夕方、約束があって伊那市まで出て、6時頃帰る。これでミミを本当に見放したのだなという実感が迫ってきて、車を運転していても何か胸騒ぎがして落ち着かない。女房が夕方、柴犬モモを連れてAさん宅手前の藪までミミを探しに行ったが、呼んでもどこからも反応はなかったという。
 おれはもうミミとは約束したから、迎えにはいかないよ。本人がまだ生きていて家で死にたいと思うなら、夜のうちにきっと帰ってくるだろう。


3/15(金) ミミ、帰らず

 
 ミミは朝になってもやっぱり帰ってこなかった。新月の昨夜は快晴で、満天の星月夜。寒暖計は朝−4℃をさしていたから、あの体で外でうずくまって過ごしていたとしても、ミミはもう生きてはいないだろう。
 朝食後、庭先にミミを埋める場所のあたりをつけてから、亡骸の捜索を始める。ミミが消えて行った藪を抜け、東側の雑木林の急斜面を歩き回るが、どうしても見つからない。どこかに斃れていれば、白猫だからきっと見つかるはずなのだが、わからない。林の斜面を降りたり登ったり横切ったりして1時間半ほど探し回って、とうとう諦める。どこか見えないところに隠れて逝ってしまったのか、あるいはキツネか獣にでも襲われたのか。ともかくミミの姿は消えてしまった。
 家に戻って、ミミの寝床に敷いてあった自分の古いトレーナーや座布団を捨て、猫トイレやペットシーツを始末、テラスにあった猫ボックスや爪研ぎもまとめて外で燃やす。
 それでも諦めきれず、夕方、今度は長靴を登山靴に履き替えて杖を持って林の捜索に行く。獣道に沿ってゆっくり探してみたが、やっぱり見つからない。20年余り前、16歳で猫のエイズに罹り、やはり死ぬ寸前に失踪してしまった雄猫麻太郎のことが頭をよぎる。またやられてしまったよ、どこを探してもいない。せめて亡骸をこの手で葬ってやろうと思ったのに、消えてしまった。さらば、ミミ。猫らしい猫だった。12年間、濃密だったよ。ありがとう。


3/16(土) 晴れ ミミの死に場所


 今日は女房の誕生日。午後、レストランから戻った後、疲れて横になっていてもミミがふとベッドに乗ってきそうな気がして落ち着いて休めない。どうしても諦めきれず、軽トラで下の郵便局の駐車場まで行き、そこからまだ歩いていなかったAさん宅下の山道を登ってみる。水路を隔ててかなりな急斜面の崖になっているので、とてもここまでは降りてこれまい。下の水路沿いにも歩いて東斜面を観察してみるが、白いものは見えない。
 戻って夕方の犬の散歩を済ませてから、今度こそ本当にこれで最後だと、三たび東斜面の雑木林に挑戦する。Aさん宅下の斜面はやはり形跡なし。雑木林に戻って、ミミの足跡でも残っていないかと獣道に沿って歩いていると、ちょうど斜面の中腹で、白い小さな羽毛の破片が目に留まる。鳥の毛だな、これは。その少し下に獣が潜んでいたのか、土がむき出しになっているところがあり、そこにも白い毛が散乱していた。ひょっとしてと思い、近寄って手に取ってみると、間違いないターキッシュ・アンゴラの血を引くミミの白毛だった。「ミミ! ここにいたのか!」。
 そのすぐ下のイチイの木陰にも、ミミの白毛が散らばっていた。ここでうずくまっていたところを、キツネか獣にやられたらしい。あたりを見回すが、他に何も残っていない。全部見事に食われてしまったようだ。散乱したミミの白毛を手に取り、しばし呆然と立ち尽くす。向こうには飯田線の線路を隔てて、天竜川と中央アルプスが望まれる。ここがミミの死に場所だったのだ。


 昨日も同じ獣道を通ったが、ミミの遺体ばかり探していて、散乱した毛には気がつかなかった。もう昨日の朝の時点で、ミミの姿は跡形もなくなっていたことになる。一昨日の日中は近くで墓石の工事や長芋掘りのトラクターの騒音がしていたから、獣が徘徊していたとは思えない。たぶん昼間はじっとうずくまって過ごし、夜になってから襲われたのだろう。ほとんど死ぬ寸前の朦朧状態だったから、もう夕方には事切れていた可能性もある。
 ただすでに死んでから食われたのか、まだ息のあるうちに襲われたのか、それは神のみぞ知ると言うほかない。よく頑張ったよ、ここまで。ミミを、祝福してやりたい。
 白毛をかき集めて持ち帰り、仏壇で焼香して手を合わせる。


3/17(日) 曇り 風強し ミミの尊厳死


 朝、ミミの死に場所の写真を撮りに行く。散らばった白毛の残りを集め、ビニール袋に入れる。結構生々しい毛もあって、本当にここで食われたんだなと実感する。でもこれだけすっかり食い尽くされていれば、かえってすっきりして諦めもつくというものだ。本当に、一気に消えてくれたものよ。見事というしかない。半端に遺体の一部が転がっていたりしたら、よけい辛いだろう。(ミミだって若い頃はよく鳥やネズミを捕まえてきて、おれのベッドの下でカリッカリッと齧っていたじゃないか)。
 それにしても、最後まで好き勝手にわがまま放題を押し通して逝った猫だったなとつくづく思う。だからあれだけ何度も連れ戻して、せめて家で死んでくれと頼んだのに。
 ミミの白毛をまとめて、庭の白椿の苗木の下に埋め、花を供える。いつも掃除するとき苦労していたミミの長い猫毛が、まさかこういうかたちで残るとは。
 でもミミは最終的に自分の死に場所を見つけたのだ。人からは隠れて、あそこで死ぬ気でうずくまっていたのは間違いない。実に穏やかで、死ぬのにもってこいの日に。これが一匹の雌猫が体を張って選んだ「尊厳死」だった。魔性の猫、ミミの魂よ、虎に食われて逝った高丘親王のように天竺まで飛んで行け!

 それにしても動物といえども、延命治療をしないで自然死を遂げるというのは、結構大変なことだ。
 人家がすぐそこに見え、ローカル電車の音さえ聞こえてくるこんな里山でも、真っ暗な夜ともなれば野生の掟が支配する動物の世界が出現する。キツネやハクビシンはもちろん、家の横の畑にカモシカが来ていたこともある。裏山に入れば、まれに熊だって出没する。
 とくに我が家は集落のはずれの一軒家なので、人間界と自然界の境界に位置していて、獣もよくやってくる。中でも雑食性のキツネは常連で、雄猫のサバもよく追われ、猛然と吠える番犬のモモをコンコンとからかって帰ったりする。以前、車に撥ねられて死んだ雄猫のタマを庭に穴を掘って埋めてやったときも、穴が浅すぎたのかキツネが何度もきて掘り返し、埋めたタマの尻尾を齧っていったぐらいだ。向こうも生きるために必死なのだ。
 病気で極限まで弱って死ぬ寸前だったミミが、あの晩まだ生きていたかどうかわからないが、キツネにはほとんど抵抗できなかっただろう。あっという間にやられてしまったに違いない。せめて猫毛を発見して持ち帰れただけでも、肯しとしなければなるまい。

 ミミの介護を始めて5ヵ月。この間、能登の大地震があり、ガザでは大虐殺がいまだに続いている。そんな中、一匹の猫にすぎないけれども、長年連れ添ったペットをこういうかたちで亡くすのは、やはり哀しいものだ。ミミを喪って、自分が猫とどれだけ深い共依存関係にあったかを思い知らされる。飼い主が自分の気持ちを納得させるまでには、まだしばらく時間がかかりそうだ。


    


「墓碑銘」


麻太郎(雄猫) 1986〜2002 享年16歳 猫のエイズ末期に失踪死。
ポン太(雄犬・雑種) 1991〜2004 享年13歳 老衰 ペット霊園で火葬。
タマ(雄猫) 2003〜2011 享年8歳 事故死 庭に埋葬。
リラ(雌犬・柴) 2004〜2017 享年13歳 甲状腺癌が全身に転移 庭に埋葬。
ミミ(雌猫) 2012〜2024 享年12歳 尿毒症 雑木林で逝く 残された猫毛のみ埋葬。

 


「♪ミミに捧げる詩」



ミミ、おまえがいなくなって寂しいよ
勝手に消えてしまったおまえ
ミミ、いつもべったり一緒だったね
だからおれは一人ぼっちじゃなかった

ミミ、目をつぶれば思い出す
長い手足と青い目をしたおまえ
ミミ、我がまま放題な奴だったね
おまえの白い毛の柔らかさ

♪猫は死ぬ時姿を隠すというが
穏やかな日が降りそそぐ春の日に
余命いくばくもないおまえは
雪解けの森に消えて行った

何日も森を探し回った
ついに見つけたのは白い猫毛
ターキッシュ・アンゴラのふさふさした毛だけが
森の木陰に散らばっていた

♪ミミよ、ここにいたのか!
ここがおまえの死に場所だったのか
残された白い猫毛を
手に取って呆然と立ち尽くした

今日は死ぬのにもってこいの日
満天の星がきらめく新月の森で
イチイの木の下にうずくまったおまえは
野生の掟に身を捧げたのだ

♪ミミよ、ここにいたのか!
ここがおまえの死に場所だったのか
屋根裏に生まれたおまえは
こうして天に翔び立ったのだ

ミミ、水も飲めなくて苦しんだおまえ
ウロウロと徘徊を繰り返したおまえ
ミミ、年を取るのは辛いものだね
それはヒトもケモノも同じ

ミミ、おまえのことは忘れないよ
長い手足と青い目をしたおまえ
ミミ、目をつぶれば思い出す
おまえの白い毛の柔らかさ

(2024・4)

 


 

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