☆四国歩き遍路日記 

  第四回 孤独な春遍路(香川・完結編) 2021(令和3)年3月



 相変わらずコロナは続いている。首都圏の緊急事態宣言も継続中で、コロナが完全に収まる気配はない。歩き遍路も、残すは讃岐のみ。ともかくあと一回で結願なのだ。今回も見切り発車とする。だいたいのプランは前回戻ってから練ってあるが、実際に香川の旅館・民宿などに問い合わせてみると、やはり休業中のところが多い。予定を組みなおし、四国の天気予報をにらみながら3月中旬出発。

 讃岐は四国4県の中で一番面積も狭く寺も集中しているので楽かと思ったが、甘かった。険しい山越えと長い街歩きが交互にやってくる独特の風土だった。



3/12(金)曇り/雨 伊那〜伊予三島
 
 朝9時の高速バスで長野伊那発。馬籠を抜けると恵那山の大きな山容が迫ってくる。スーパーガードプロN95マスクをしっかりつけ、名古屋から新幹線で岡山へ。岡山から予讃線特急で四国入り。前回最後の伊予三島16時着。さすがに四回目ともなると、瀬戸大橋を渡ってもあまり感慨が湧かない。むしろ出発までの事務のごたごたや集中して行なった薪運び、留守中の家の手配などでぐったり疲れている。四国はやはり遠い。

(ビジネスホテルマイルド泊〇 食事ボリューム凄い。ブルーカラーの人達でぎっしり)


3/13(土)雨/曇り 伊予三島〜65番三角寺〜民宿岡田 歩行距離約20q

 雨が小降りになるのを待って、チャプスを履き、折り畳み傘を差して朝8時出発。途中、国道沿いのローソンで食料等を仕入れて歩き始めたら、道の角に「へんろ道」の標識。矢印のシールも目にして、やっと四国に戻ってきた実感がする。
  高速をくぐり、へんろ道の標識に従い傘を差して歩いていると、ツツーっと寄ってきた軽トラから、爺さん夫婦が手を差し出してきて「ご苦労様です」と五百円玉のお接待を受ける。ありがたく頂戴する。これが四国なのだ。元気が湧いてくる。


 その後、物凄い湿気の中、ひびき休息所を経て三角寺へ至る山道で道に迷い、20分ほど行って引き返す。途中の横手に入る細道を見落としていた。とくに雨の時はこういうミスをしやすい。でも今日はそんなに長い距離を歩くわけではないから、ゆっくり進む。

 三角寺へ着くと、階段の下にはマウンテンバイクが4台。本堂横の東屋には高校生風の若者グループが屯して奇声を発していた。春休みでお遍路ツーリングをしているらしい。雨はようやく上がったが、山道で右往左往して汗をかいたせいか冷えてくる。
 納経を済ませ、山門前の車道を標識に従って左に降りて行くが、10分ほど歩いても例の矢印が全然出てこない。ひょっとしてさっきのは車用の標識だったかと気づき、門前まで坂を引き返して近くの人に尋ねるとやはり歩き道は逆方向だった。ここは遍路地図でもちょうど頁端にあたっていて、わかりづらい。今日二度目の道迷い。まだまだ調子が出てこない。

 ほとんど車の通らない田舎道をどんどん下っていくと、海を見渡せる丘の芝生にテーブルと椅子が出ていた。そこでサンドイッチの昼食。再び住宅街に入り、高速をくぐり抜けたところで、右手にへんろ道の矢印。地図では車道をまっすぐになっているのだが。矢印をたどっていくと、角にまた矢印があり、その上は白いテープで塞がれていた。道角で迷っていると、細道から軽トラが下りてきた。運転していた婆さんに尋ねると、「たしかに昔はへんろ道だったけど、畑の中の道で消えかけていて迷う人も多いから、私がテープで塞いだの。上で畑をやっていると、一日に3人もお遍路さんから聞かれることがあって」とのこと。


 そうかなるほどと元の道に戻り、別格14番椿堂へたどりつくとまた雨が激しくなってきた。小じんまりとしているが、椿の花と蘇鉄?の木に囲まれたとても雰囲気のあるお寺で雨宿りにちょうどよい。賽銭箱に朝お接待でもらった五百円玉を投げ入れて、切らしていた線香とローソクの箱を頂く。
 雨が上がるのを待って国道を川沿いに上り、境目峠を山のへんろ道で越え、池田町佐野へ。宿へは15時半頃着。先着のお遍路が一人、もう洗濯をしていた。

(民宿岡田泊〇 設備は古いが万事至れり尽くせり)


3/14(日)曇り/晴れ 民宿岡田〜66番雲辺寺〜67番大興寺〜68番神恵院・69番観音寺〜70番本山寺 30q

 今年93歳になるという民宿岡田の名物爺さんに昨夜たっぷりレクチュアを受けて、朝7時見送られて出発。話には聞いていたけど、手書きの地図にiphoneまで使いこなし、使命感をもってやっているからこそ、いつまでも達者なのだろう。実際、今回もこの民宿がやっていなければ、お遍路がよく利用する山向こうの青空屋もコロナ休業しているし、八十八ヶ寺中最高峰(911m)の雲辺寺越えは困難を極めたにちがいない。幸い天気も回復した。感謝。


 雲辺寺への登りの山道は予め覚悟していたから、汗びっしょりにはなったがそれほど苦痛ではなかった。しかし雲辺寺からロープウェイ駅と五百羅漢を抜け、青空屋が見えてくるまでの下りの山道が思った以上に長くきつく、膝にきた。日曜日とあって、そこを何組もの登山客が喘ぎながら登ってくるのに行き合った。


 67番大興寺の境内で、民宿岡田でお接待でもらったおにぎりを頬張っていると、バスが到着して団体客がどっと本堂へ。一足先に納経を済ませてよかった。

 歩き遍路が少ないからなのか、大興寺の坊さんが次の神恵院への行き方をていねいに説明してくれた。しかし矢印を頼りに観音寺の市街地を抜けて、神恵院にたどりついたときには雲辺寺越えの疲れが出てきたのか、さすがにぐったり。たいていの人はここで泊まるらしいが、ぼくはまだ5qほど先の本山寺近くに宿の予約を取っている。
  疲れ果て、琴弾八幡宮にも寄らず、川沿いのへんろ道をひたすら歩き続けて今日の宿へ16:30頃着。同じ30qの歩行とはいっても、山越えの30qでは疲れ方が全然違う。反省。本山寺は明日に回して、早くビールが飲みたい。

(本大ビジネスホテル泊△ ワンルームマンションをホテルに改造。全部個室で部屋は広いが、国道の交差点のすぐ脇で車の騒音でよく眠れず。そのせいか頭の中でドアーズのライダーズ・オン・ザ・ストームが始終鳴り響いていた)


3/15(月)曇り/晴れ 70番本山寺〜71番弥谷寺〜72番曼荼羅寺〜73番出釈迦寺・奥之院捨身ヶ嶽禅定〜74番甲山寺〜75番善通寺 23q

 ビジホ近くの24時間営業のスーパーで買ってきた朝食を食べ、8時ごろ出発。本山寺へ行くと、民宿岡田で一緒だった区切り打ちの徳島在住の初老の男性遍路と行き合う。昨日は雲辺寺越えで時間を食い、観音寺には16時45分に着いたとか(納経打ち切りの15分前)。

「ゆっくり回るつもりだったけど、急に親戚が亡くなったと連絡があってね。葬式に行かなければいけなくなった。今日は善通寺まで打ったら、電車で戻るつもりだ」。
「それは残念。お遍路していれば、それだけで十分供養になると思うけどね。でも徳島に住んでいるのなら、またいつでも来れるじゃない」。
「女房もそう言うんだよ。じゃ」と言って別れる。

 弥谷寺までの11qは住宅地を抜ける長い旧へんろ道を行く。途中、菅笠を被った逆打ち遍路とすれ違い、挨拶する。去年の秋はうるう年とあって、たくさんの逆打ち遍路と行き合ったが、今回は初めて。

 弥谷寺は愛媛最奥の岩屋寺を思わせるような山寺。岩壁にくりぬいた仏像は、どこか遠いインドのアジャンタの石窟などを思わせる。やはり山寺はどこも雰囲気があっていい。


 そこから旧へんろ道を経て、曼荼羅寺〜出釈迦寺と廻り、時間がまだあったので、納経所に荷物を預け、山の上に見えている奥之院捨身ヶ嶽禅定を目指す。舗装はされているが直登に近い急坂の登りだ。結構な年の婆さんが上から降りてくる。喘ぎながら登ること30分余り。登り切ったところに奥之院があり、下界を見下ろしながら鐘を突く。
 そのさらに上を見ると、切り立った岩山に鎖が垂れている。「これより先は聖域につき、一切の飲食等禁止」の立て札。鎖をたぐって、行けるところまで登るが、足がすくんできて頂上は諦める。これ以上は岩登りの装備でもなければ危険だ。標高で言えば、わずか481m。しかし山はたんに高さではない、険しさなのだということを思い知らされる。


 膝をかばいながら急坂を出釈迦寺本堂まで降りてきて、再びリュックを背負い、甲山寺を経て弘法大師誕生の地75番善通寺へ向かう。

(善通寺宿坊泊〇 コロナ禍の平日とあって200人泊まれる宿坊に宿泊客はわずか3名。しかも男性客は自分一人で大浴場の温泉を独り占め。コロナで悪いことばかりでもない)。


3/16(火)晴れ/小雨 善通寺〜76番金倉寺〜77番道隆寺〜78番郷照寺〜79番天皇寺〜80番国分寺 27q+


 善通寺御影堂で朝6時からお勤め。坊さん9人が鐘を鳴らしながら朗詠するお経を、宿坊に泊まったお遍路3人が黙って聴いている。その間約40分。終わって真っ暗な地下の戒壇めぐりを済ませ、朝食。なんだかんだで出発は8時近くになる。

 今日は善通寺から丸亀・宇多津・坂出と市街地のへんろ道をひたすら横へ横へと歩く。アップダウンこそあまりないが、コンクリートの車道をリュックを背負って30q近く歩き続けるのは、やはり疲れる。四国の国道歩きは一生に一度でいいなとつくづく思う。
 途中、野宿でもしながら歩いてきたのか、大きなリュックを背負った男性遍路と札所ごとで出会い、ことばを交わす。久々の歩き遍路だ。道隆寺の前の道を通りかかると、「お遍路さーん」と声がかかり、小さな手焼きのお地蔵さんをプレゼントされる。彼ももらったとにっこり笑って言う。


 郷照寺地下にある3万体の観音像を納めたという万体観音堂を拝んでから、境内でサンドイッチの昼食。そこからへんろ道の矢印に従って坂出市内に入り、ほとんど人のいないアーケード商店街を歩いていたら、有線放送でどこか聴いたことのある歌声が。一瞬立ち止まって耳を澄ます。なつかしいニール・ヤングのヘルプレスだとわかった。杖を手に、何だか不思議な気持ちになってくる。

 天皇寺では神社と寺の区別がつかず戸惑いながら納経。白髪の女性遍路が地に伏して熱心にお経を上げていた。車の行き交う11号線を歩き、国分寺まで打つと16時半。えびすやをはじめ、近くの旅館・民宿はほとんどコロナ休業なので、やむなく予讃線で4駅行った高松駅前のビジネスホテルに泊まることにした。明日はここまで「電車通勤」して戻る。

(パレス高松泊)


3/17(水)曇り/晴れ 国分駅〜81番白峯寺〜82番根香寺〜83番一宮寺 25q

 朝ホテルを出たら、路面がびっしょり濡れていた。昨夜はかなり降ったらしい。
 駅前のうどん屋味床で朝食。老夫婦が朝5時からやっている老舗のうどん屋だが、天ぷらなどをトッピングしたあと、めん汁を自分でレバーを引いて注ぐのには驚いた。高松は初めてだが、港町らしく落ち着いた雰囲気の地方都市だと感じた。

 電車で国分まで戻り、歩き出す。五色台の山のへんろ道に入り、結構な登りが続く。あえぎながら3qほど登ったところで車道に出る。根香寺を先に行くなら、このまま突っ切って山道を行くが、白峯寺への矢印は車道に沿って左手に出ている。


 ところが車道と交差する一本松へ出たときから、ダダダダという銃声やドスンドスンという砲声が間近に響くようになった。すぐそばに自衛隊の演習場があるのだ。最近は尖閣諸島問題などもあり、有事を想定した演習が本格化しているらしい。金網に張られた「立入禁止 KeepOut」の看板を横目に、流れ弾など飛んでこないことを祈りながら先を急ぐ。
 自衛隊の金網を横手に見ながら再び山道に入り、81番白峯寺へ。山の中の深いたたずまいのあるお寺だ。しかし納経を済ませ、再び森の中のへんろ道を根香寺目指して歩いていても、上空には演習のヘリコプターが飛び交い、うるさいことこの上ない。せっかくの静謐な山寺の聖域が、これでは台無しだなと思って道際の石標を見たら、「陸軍用地」とある。つまり戦前からここは軍隊に収容された土地だったのだ。


 あれこれ考えながら歩いていたら、前から中年の男性遍路が歩いてくる。「あれっ?根香寺を先に打ってきたんですか?」と聞くと、「いや、そうじゃなくて十九丁からずっと山道を来たんです。気持ちのいい道ですよ。白峯寺からはまた打ち戻します」との返事。何度も回っている人らしい。
  一丁は約109m。この白峯寺と根香寺を結ぶ古道には、丁石と呼ばれる道標がまだ41基も残っていて、国指定史跡にもなっている。そうか、車道で演習場の横を通らなくても、ずっと森の中を歩いて来れたんだなと納得する。もし今度来ることがあったら、多少遠回りになってもそうしよう。


 だんだんヘリの音も遠ざかっていった。素晴らしい森の道を抜けて82番根香寺を打ち、手前のへんろ小屋でおにぎりを広げる。五角形の部屋の中はよく手入れされていて、気持ちがいい。壁にはここで休んでいった遍路たちの納め札がぎっしり貼られている。


 ここまでは山道のきつい登りなどはあっても、ほぼ想定内だった。しかしここから鬼無市街地を抜けて83番一宮寺に至る12km余りの道のりが、道に迷ったりして長かった。街歩きでいつも道に迷うのだ。へんろマークの矢印を頼りに歩いていると、横道に横道に抜け、まるで迷路に入ったみたいになり、地図を見ても結局どこを歩いているのかわからなくなってくる。街歩きは、さすがに四回目ともなると飽きたなとつくづく思う。
  でもそんなとき思い浮かべるのが、これまでの途上で出会った何人ものお遍路たちの顔や姿だ。AさんもBさんも、彼も彼女も、あの爺さんもあの人もここを歩いて行ったんだな。そう思うと、「よし、もう一息頑張らなくちゃ」という気持ちになる。

 くたくたに疲れて、16時過ぎ、83番一宮寺着。納経を済ませ、今日の宿・天然温泉きららに着くと、着ていたものを全部洗濯機に投げ入れ、まっすぐ温泉へ。

(天然温泉きらら泊〇 部屋は温泉から離れた別棟のマンションだが、広々としたワンルーム。食堂もあり、温泉も深夜まで入れる)


3/18(木)晴れ 一宮〜84番屋島寺〜85番八栗寺〜86番志度寺 26q

 春の高松がこんなに寒いとは思わなかった。北風吹きすさぶ中、ウインドブレーカーに身を縮め、川沿いに高松市内を10q余り縦断。屋島寺への登りにかかる。これがきつかった。
  地図だけ見ていると、この高低差がよく読めないのだ。高松市郊外とあって、ウォーキングをしている市民は目立つが、白衣を着て歩いているお遍路の姿は他にない。朝はあんなに寒かったのに、汗びっしょりになって屋島寺に着く。


 納経を済ませ、壇ノ浦を望む丘の上に立つと、湾を隔てた五剣山の突き出た岩山が見える。次の八栗寺はあそこにあるのだ。また結構な登りだなと覚悟を決め、急坂のへんろ道の下りにかかる。しかしこの下りの落差がまた半端でない。看板に日英両語で注意書きがある通り、雨の日だったら本当に滑って危険だろう。(実際、あとで聞いた話だが、外国人のお遍路が足を滑らせて転落し、大きなリュックが木の枝に引っかかって宙吊り状態になり、救命ヘリが出動する事態になったこともあるそうだ)。

 膝を気にしながら何とかそこを下り終え、壇ノ浦を渡って対岸の八栗寺への登りにかかる。ロープウェイ駅の手前に、老舗のうどん屋があったので、そこで腹ごしらえをする。

  昼食後、ロープウェイ駅の脇を抜けて、山のへんろ道を登る。かなりの登りだが、今度は予め覚悟しているからさほど辛くはない。曲がり角の丁石の石標には、銀色や金色の納め札が置かれている。何度もここを歩いている先達がたくさんいるのだ。
 八栗寺からは対岸の台形をした屋島をはじめ、その向こうに小豆島まで見える。小豆島にも八十八霊場があって、家人が一度回ってきたが、その写真を見ると八栗寺と同じような岩山が続いている。たぶん地形的にはつながっているのだろう。


 八栗寺を打って車道を下り、旧道を歩いて昔の面影が残る志度の街並みを抜けて86番志度寺へ。納経帳の最後に閻魔大王の揮毫もしてもらう。

 17時過ぎ、今日の宿・たいや旅館で風呂を浴び、夕食を食べに外に出ようとしたら、玄関からリュックを背負った白人青年が「素泊まりお願いしまーす」と言って飛び込んできた。

(たいや旅館泊〇 食事は朝食のみだが、何もかも行き届いていて気持ちがよい。洗濯もお接待でしてくれる)。


3/19(金)晴れ 志度〜87番長尾寺〜88番大窪寺 結願 22q


 いよいよ最終日だ。当初は88番まで打ち終えたら、もう一泊して一番まで戻ることも考えたが、明日明後日と雨予報。留守中の家のことも気懸かりである。それにお礼参りは高野山に行く予定なので、今回は過去には戻らず、このまま88番で打ち止めにして長野に帰るのも悪くないなという気になる。

 今日泊まる予定の民宿八十窪の女将さんから、家族を病院に送迎する都合で16時前には帰れないと言われているので、朝食後ゆっくりして8時出発。志度湾から八栗寺のある五剣山の特徴ある山並みを眺め、志度の町を後にする。長尾寺までは途中から旧へんろ道に入り、暖かい春の日差しを浴びてのんびり歩く。87番長尾寺を打って、前山までの旧へんろ道をたどりながら、みんな最後はここを通ったんだなと感慨が湧く。(でもおれはもう一生に一度でいいよ)。


 道の駅で昼食後、おへんろ交流サロンで「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」と「同行二人」のバッジを頂く。任命書は第596号。もうそれだけの数の歩き遍路がここまで歩いているということだ。
 さてこの先どうやって大窪寺まで行くか、女体山越えにはどの道を行ったらよいのか? 係の女性に相談する。女性もそんな相談を受けるのは久しぶりのことだと、地図を出してきて説明してくれる。結果、林道途中から四国のみちコースに合流して女体山を越える多和神社コースを行くことにする。大窪寺まで所要約3時間。


 国道を山王バス停で折れ、林道を1時間ほど歩いて四国のみちと合流。そこから山頂まで1q余り山道を登って行くのだが、上へ行くにしたがって道幅も狭く傾斜も急になり、最後は四つん這いになって木の根っこと鎖を伝って岩山の山頂に出た。下界を見渡して、前山ダムの入口に「山道急峻 展望抜群」とあったのはこのことかと納得した。よくここまで来たものよ。汗びっしょりになってTシャツを着替える。


 山頂からはほとんどまっすぐの下りの山道だが、これがまた屋島寺の下りを思い起こすような急峻な坂である。南側斜面に咲き始めた山桜が美しい。
 所々に「こころをあらい こころをみがく へんろ道」と書かれた鯖大師本坊明善和尚の黄色い札が枝からぶら下げられている。よく見ると「令和3年2月9日」とある。あの和尚さん、この真冬にここを通ったのかと感心しながら道を下りて行く。


 ついに下まで降りきって、88番大窪寺本堂でローソクとお線香をあげ、お経を唱えていると膝ががくがくしてきた。
 3年前亡くなった母をはじめ、若くして逝ったTよ、幼馴染のSよ、突然亡くなったIさん、ついに会えなかった中島光祥師よ、みなの霊よ安かれと祈る。

 ほとんど他の歩き遍路と出会わない孤独な春遍路だったが、来てよかったと思う。何よりも留守中の家族と、そしてあちこちでお接待にあずかった四国の皆さん、本当に心からありがとう。南無大師遍照金剛。感謝。

(民宿八十窪泊〇 広々としたトイレ洗面付きの個室。気さくな女将。赤飯。今回泊り客は自分一人。翌朝は5q先のバス停まで車で送ってくれた)


*全体を振り返ってみると、二年かけて区切り打ち4回。
1回目 2019年3月 徳島〜高知 外国人を含め、まだたくさんのお遍路が歩いていた(15日間 長野からの移動日1日を除く・以下同じ)。
2回目 2019年10月 高知〜愛媛(14日間)。
2020年春は全国にコロナの緊急事態宣言が出ていて行けず。
3回目 2020年10月 愛媛 コロナで宿の休業多し、お遍路も減る(10日間)。
4回目 2021年3月 香川(7日間)。計46日間で四国を回ったことになる。

 この間、もちろん長野の山や木曽路も歩いたから、履きつぶしたトレッキングシューズは2足。予算は一泊二食付き6500円の民宿代が基本となる(但し3回目の秋だけgo toトラベルの恩恵に与る)。バカにならないのが四国までの往復の交通費で、区切り打ちだとこれが嵩む。

 さて長野に戻ってから1週間。四国遍路は一生に一回でいい、もう二度とあの国道歩きなどやるものかと思って帰ってきたが、おへんろ交流サロンでもらった四国八十八寺・別格二十寺のDVDなど見ていると、全然行ってない別格の寺や奥之院がいかに多いことか。四国霊場の世界はまだまだ奥深い。今度は今回行けなかった別格や奥之院の寺を中心にまた回ってみようかなどと妄想しながら地図をにらんでいる自分に気づく。困ったものだ。

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