番外「躓きの石? 高野山お礼参り余話」 2021年11月
いきなりつんのめって、リュックを背負ったまんま顔から倒れ伏した。高野山の大門をくぐってひと息つき、砂利の敷き詰められたゆるい坂を下り始めた直後である。ふもとの九度山から慈尊院を経て、町石道と呼ばれる弘法大師ゆかりの山道を約20km、7時間余り歩いてようやく高野山の入り口にたどりついたばかりであった。
何が起こったのか、自分ではさっぱりわからなかった。上半身を起こして足元を見ると、トレッキングシューズの靴紐が緩んでいた。これを踏んづけてしまったのか?と思い、靴紐をしっかり結び直して起き上がると、ズボンの右膝のあたりが擦り切れて破れている。辛うじて右手を突いたから顔面打撲は免れたが、右の頬にも痛みがあり、気がつくと眼鏡のフレームも曲がっており、遠近両用の視界も歪んでいた。結構なダメージである。
「大丈夫ですか?」という親切な市民の皆さんからの声が四方からかかるが、「いや、大丈夫です」と自他共に言い聞かせて、リュックを背負い直して金剛杖を突き人混みの中を歩き出す。コロナがようやく下火になって紅葉シーズンを迎えた11月3日祝日の高野山は、人と車とバイクの渦でごった返していた。
春に四国の歩き遍路を結願して以来、一度高野山にお礼参りをしたいと思っていながら、コロナ禍でなかなか踏み出せなかった。四国の一番霊山寺から八十八番大窪寺まで各寺で揮毫してもらった納経帳も、最初の高野山奥之院の頁だけ空白のままである。高野山だけは女房と一緒に行くと約束していた手前、犬猫三匹の面倒や畑や天気や仕事のことなどもあり、やっと伊那谷を出発できたのは秋も深まった11月2日のことだった。
九度山の旅館で一泊し、ケーブルカーで行く女房とは別れて、こちらは朝6時出発。慈尊院からの登りの町石道は一町(約109m)おきにサンスクリットの五大元素(空・風・火・水・土)を刻み込んだ石塔の卒塔婆が建てられた山道で、高野杉の森閑とした森の中はさすがに昔ながらの雰囲気が残っていた。鳴門の一番霊山寺で購入した金剛杖も握りの覆いはすでに取れてむき出しになり、そこからサンスクリットの同じ五文字がくっきり見えている。
しかしゴルフ場の脇道にさしかかると、休日とあってホールインした歓声がすぐ横からあがり、背後からはスポーツウエアを着たトレイルランニングの市民ランナーの吐く息が次々と迫ってきて、白衣を羽織り金剛杖を突いてとぼとぼ歩いている自分が、何か場違いな姿にすら思えてくるのだった。四国でも、例えば十二番の遍路転がし焼山寺への山道では、たまたま歩いたのが日曜日だったせいかトレランの人たちに驚かされたことがあるが、それでもあそこではまだ歩き遍路の方が多勢を占めていた。しかしここ高野山では、休日は山道を走っている市民の方が圧倒的に多い。大都市大阪が近いせいもあるが、これが時代というものなのだろうか。
途中、山道を下りてきた白衣の遍路と一人だけ行き会い、お互いおっという感じで挨拶を交わす。上に行くにしたがい、車やバイクの騒音が森の切れ目からぶんぶん響いてきて(おまけに救急車のサイレンも)、途中二か所で車道を横切るところでは、渋滞で列をなした車の間を辛うじて通り抜け、先の様子が思いやられてきた。正直言って、できればこのまま上にたどり着きたくない、森の中だけにずっといたいような気分だった。だから7時間余り歩いて、やっと大門までたどり着いたときも、ほっとする気持ちと共に、排気ガスのむっとする匂いとあまりの人と車の多さにめまいすら覚えていた。皆、マスクぐらいしているとはいえ、超三密過密状態である。当然、疲労で足も少しふらついていた。だから、ひょんなことで躓いて倒れてしまったのだろう。四国ではどんなに疲れても、こんなふうに倒れたことは一度もなかった。だから何が起こったのかさっぱりわからず、そのことが逆にショックで、大門からさらに1時間歩いて奥之院まで行き、ようやく納経を済ませて満願を果たしてからもいまひとつ気分が晴れず、夜は通りの酒屋で買ってきた般若湯を宿坊の部屋で遅くまで飲んで寝た。
二日酔い気味で翌早朝の寺の勤行を済ませ、朝食後女房と再び大門へ向かった。彼女も前日はケーブルカーで高野山駅まで行ったものの、やはりあまりの混雑ぶりでバス3台待ちで大門まで行くのは諦め、女人道を迂回して奥之院まで行き、大門からの壇上伽藍・金剛峯寺に至るメインロードは歩いていなかった。
さて二人で大門まで戻ったところで転んだ理由がやっとわかった。大門から車道に下る砂利道には砂利が流れるのを防ぐため直径10cm長さ3mほどの丸太が数メートルおきに敷かれていたのである。まるで太い樹木の根が地上に浮き出て這っているような按配である。昨日はあまりの人と車の多さにあてられて、山道から登ってきた自分は、この足下の丸太に全然気づかなかったのだ。
フレームの歪んだ眼鏡をかけ直し、擦りむけて脛がむき出しになったズボンをあらためて見下ろして、やれやれと思った。こういうことってあるんだよな。そしてふと思い起こしたのは、四国の51番石手寺の遍路道で出会った格言である。曰く、「大きな石にはつまずかないが、小さい石につまずく。御用心御用心」。本当にその通りだな。
来春は高野山から熊野古道を歩くつもりでいるが、休日の高野山だけは絶対に避けようと思った。
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