☆高野山から熊野本宮へ 熊野古道小辺路を歩く 2022年3月


 昨秋、高野山の町石道を歩いて以来、次回はぜひ歩いてみたいと思っていたのが熊野古道小辺路(こへち)だ。紀伊山地を通って、高野山と熊野本宮という仏教と神道の二大聖地を最短距離で結ぶ参詣道。地図上ではほぼ直線だが、その間、伯母子峠・三浦峠・果無峠と1000m級の峠を3つ越え、三泊四日で行くことになる。
 例年になく寒さが厳しかった伊那谷は今年は雪も多く、ストーブの薪もほぼ焚き尽した。ウクライナ戦争も勃発し、この先世界がどうなるかわからない。重い腰をやっと上げたのは3月の下旬だった。



〇一日目 3/28(月) 曇り・寒 水ヶ峰越(高野山〜大股)16.8km

 標高867mの高野山はまだまだ寒かった。伊那を出た昨日は異様に暖んだ日で、ジャンバーを持っていくかどうか迷ったが、やはり持ってきてよかった。麓の九度山辺りでは梅が満開だったが、ケーブルカーで一気に高野山に上がるとぐっと冷え込みがきつくなる。まだシーズンオフとあって、小辺路入口近くの宿坊の泊り客は自分一人。コロナもあるだろうが、昨秋の紅葉時の混雑ぶりが嘘のようだ。

 ジャンバーを羽織って朝の勤行に出る。坊さんたちのお経を聞きながら、真冬の朝のお勤めはさぞ寒いだろうなと同情する。でもそれが修行なのだ。一人膳の朝食を済ませてから8時半出発。今日は大きな峠越えはないので、のんびり歩く。

 女人道と分かれて薄峠まで、わりと単調な林道歩きが続く。そこから山道に入り、急坂を下りきったところで御殿川を渡り、大滝集落へ出る。小さな山間の集落だが、熊野古道が世界遺産となったこともあってか、公衆トイレや休憩所など充実している。(これは小辺路全体を通して感じたことだが、熊野古道の場合、道標や標識が要所要所にしっかり立っていて、まず道に迷うことはない。その点では四国の遍路道よりずっと歩きやすい)。

 民家の前を抜けて山道を登りきると高野龍神スカイラインに出た。しばらく車道を行く。歩道はないが、道路脇の所々に「この先小辺路 歩行者あり」の絵看板が立っている。四国の国道の遍路道を思い出す。水ヶ峰分岐を上ってまた林道に入り、途中の東屋で昼食のおにぎりを頬張っていると、リュックを背負った初老の夫婦と黄色いヤッケに身を包んだ女性と出会う。今頃の季節、こんな天気で歩いているのは自分一人かと思っていたら、他にも道連れがいた。

 林道タイノ原線から最後の山道の急坂をどんどん下って大股バス停に出る。時計を見るとまだ14時過ぎ。さてどうするか。今日泊まる予定の温泉ホテルは、ここから小辺路を離れてまだ3q以上川沿いに歩かねばならない。横を見ると、先にバス停に着いていた京都からきた夫婦が携帯で同じホテルに送迎を頼んでいたので、便乗する。14時半宿着。チェックインにはまだ早い時間だったが、もう温泉にも入れるという。有難い。

〇二日目 3/29(火) 曇り/霧・寒 伯母子峠越(大股〜三浦口)15.9q

 昨日のバス停までホテルの車で送ってもらい、朝8時大股を出発。京都からの夫婦と若い男性も後ろからついてくる。

 伯母子(おばこ)岳(1344m)までの急な登り坂を歩いている途中からどんどん霧が出てきた。桧峠で上から降りて来た登山者に聞くまでもない質問をする。「なんにも見えませんか?」。答え「なーんにも見えない」。でもせっかくだから山頂まで登ることにする。晴れていれば360度、さぞ素晴らしいパノラマだったと思うが、今日は真っ白にガスっているだけで、寒風吹きすさび、うっかりしていると吹き飛ばされそうな雲行きだ。辛うじて伯母子峠の避難小屋まで下りたら、京都の夫婦が早めの弁当を広げていた。

 そこから、昔旅籠があったという上西家跡までの山道はまだ一部雪も残っていて、所々崩落個所もある難所続き。通れないときは尾根筋の迂回路まで戻るようにと看板が出ている。あとで民宿の主人に聞いた話では、この辺で転落して川の方に降りてしまい遭難する登山者が毎年出るという。
 しばらく行くと突然オアシスのように緑の苔に覆われた上西家跡が現れた。いかにも昭和のはじめまで旅籠があったという場所らしく、陽当たりも良く、視界も開けている。往時はさぞ巡礼者などで賑わったことだろう。もしここに山小屋でもあれば、ぜひ泊まりたいところだ。苔むした岩に腰かけて、弁当を広げる。

 天気が良ければ、ここで昼寝でもしたいところだったが、こう寒くてはそうもいかない。しかもそこからの山道の下りが、実に延々と長く続いた。おまけに途中から石畳の急坂になり、これでもかこれでもかとばかりにひたすら下っていくしかない(熊野方面から上ってくる場合は、相当きつい登りになることは覚悟)。やっと登山口入口まで下り切ったら、突然携帯の呼出音が鳴る。今日泊まる民宿の主人からだった。15時過ぎ、宿に着いたら、とうとう雨が降り出した。やれやれである。

 世界遺産・熊野古道小辺路を三泊四日で歩く場合、テント泊や避難小屋を使わなければ、どうしてもこの十津川村三浦口で一泊せざるをえない。しかしこの谷間の集落で泊まれる宿は二軒の農家民宿だけで、全部で四組で定員いっぱいである。そのうちぼくが泊まった小辺路沿いの民宿は、県有形文化財にもなっている大きな門が目印の築300年の古民家。年老いた足の悪い母親と50代後半の長男が二人でやっている。それぞれ板戸で仕切られた各十畳ほどの部屋が四つあり、内二つが客用、一つが母親用、一つが台所に接した居間兼食堂兼長男の寝室になっている。

 宿に着くとすぐ薪風呂を焚いてくれ、狭い湯舟に浸かってから部屋で休んでいると、「お客さん、もう食事にしませんか」との声。時計を見るとまだ16時半である。もう一部屋の客は、直前にキャンセルになったらしい。居間兼食堂に出ていくと、おばあちゃんが横のコタツに座ってテレビをガンガンかけて観ている。缶ビールを飲みながら焼き魚など箸で突いていると、横からおばあが何か言うのだが、テレビの音がうるさくてよくわからない。そのうち何かDVDの録画を息子がかけて、脱サラして箱根で喫茶店を始めた主人の話を西田敏行の語りでやっていた。途中長いCMが入り、今度は画面が紀伊山地に移り、まさにいま自分が座っているこの民宿の門と古民家が画面に映し出されてくるではないか。まだ幾分若く、足もしっかり立つおばあが、息子と一緒にニコニコ笑ってTVに映っている。それから約2時間、TV画面を見ながらおばあの講釈を聞かされ、時々息子も台所から覗きに来て、長い夕食の時間が終わった。部屋に引き揚げたら19時を過ぎていた。WifiもFMもつながらないので、河鹿ガエルのホロホロというなつかしい鳴き声を聞きながら、眠剤を飲んで早寝する。

〇三日目 3/30(水) 晴れ・暖 三浦峠越(三浦口〜十津川温泉)19.2q

 早めに宿を出たかったので、6時半朝食にしてもらい、7時出発。今日は三日目にしてようやく天気に恵まれる。朝の内は霧がかかっていたが、三十丁の水で喉を潤し、三浦峠に近づいてきたあたりから陽が射してくる。やはり山は晴れるとそれだけで気持ちがいい。谷を隔てた正面に、昨日越してきた伯母子岳の山容が見える。山頂から長い尾根線を引いて谷へ落ちてきている。あそこをずっと歩いてきたのだ。


 三浦峠を越えて古矢倉跡に出た頃には快晴になる。昔、茶店があったところだ。リュックを降ろして近くの陽だまりに座り、しばらく何も考えずにうつらうつらする。こんなひと時をもらえたことに感謝。

 谷の向こうの山脈の今西集落を望みながら、矢倉観音堂まで降りてきたところで、昼食。つまみに柚餅子まで入った贅沢な民宿弁当だ(食事はホテルより美味かった)。おにぎりを頬張っていると、もう一軒の農家民宿に泊った京都の夫婦が鈴を鳴らしながらやってくる(熊出没注意の看板があちこちに出ている)。三浦口より3qほど奥に入った民宿は、途中崩落箇所があり、行くだけでも大変だったそうだ。でも設備や食事は良かったという。ただ70代の老夫婦がやっており、いつまで続けられるかはわからない。「世界遺産といっても、泊まるところがなければね」などと話しているうちに、コロナ禍で廃業が相次ぐ四国の遍路宿の話になり、奥さんはこの一月に四国遍路を結願したばかりだということがわかった。最近は一人で歩く女性遍路がやたらと増えているそうで、ある宿では6人の泊り客全部が女性の一人遍路だったとか。

 山道から西中の集落への降り口では崩落があり、迂回路がなかなかわからず、少し道に迷う。昨日の民宿では、西中まで降りれば村営バスがあるから、それに乗れば十津川温泉までの約10qも楽に行けると強く勧められたが、バスの時刻まではまだかなり間があり、それに川沿いにくねる県道を見やると狭い車道だが桜も満開である。天気もいいし、花見がてらゆっくり十津川温泉まで歩くことにした。16時、川沿いの温泉ホテル着。

〇四日目 3/31(木) 曇り/雨・蒸す 果無峠越(十津川温泉〜熊野本宮)15q

 十津川にかかる小辺路の吊り橋は、来てみたら工事中で全面通行止め。車道をぐるっと迂回して、元の道に出なければならない。ホテルのフロントにかけあって、車で登山口まで送ってもらう。

 7時半出発。今日は午後から雨予報なので、降られる前に何とか峠を下りてしまおうと石畳の急坂をかなり飛ばして歩く。4日目ともなると足腰に痛みが出ているが、いちいち気にしてはいられない。

 それにしても石畳の坂を上がったところに現れる果無集落は、花咲き乱れ、まさに天空の理想郷といった絵になるような山里だ。そこを過ぎて山道に入ると、西国三十三観音石仏が現れ、三十三番から順にひとつひとつ拝みながら石畳道を登って行く。かなりの急坂を二時間近く登り詰めたところで、果無峠に出た。峠には先客が二人。初老の男性登山者二人組で、伯母子峠の避難小屋に泊まって三浦口は通過し、ここまで二泊三日で来たという。健脚である。道理で大きなリュックを背負っているわけだ。まだ元気が余っているらしく、一人は80mほど上の山頂まで往復してくると言ってスタスタ行ってしまった。いろんな人がいるものだ。

 上りもきついが、下りもきついのが果無峠である。三十三観音石仏を全部カメラに収めているもう一人の登山者を追い越して、雲行きを気にしながら急坂を下って行く。眼下にははるか熊野川が蛇行して見えてくる。正午過ぎ、とうとう山道を抜けて、八木尾バス停に下りる。何とか降られずに済んだ。あの石畳の急坂を雨に濡れながら歩いたとしたら…と考えると感謝、感謝と言うしかない。

 道の駅奥熊野古道ほんぐうで、ベンチに座っておにぎりを食べる。ここまで来れば、あとは案内板に従って、熊野本宮まで歩いて行くだけだ。三軒茶屋跡で横からきた中辺路と合流。九鬼ヶ口門から鬱蒼とした杉林に入り、しばし森の中を歩いて熊野本宮大社に至る。そこからさらに奥の院にあたる大斎原(おおゆのはら)の大鳥居を抜けて、高野山の奥の院と目に見えない聖なる糸がつながったことを実感する。


 15時過ぎのバスで熊野川に沿って一時間ほどかけて新宮へ。大きくて荒々しい熊野川を車窓から眺めながら、中上健次の小説をしきりに思い出す。作家と風土というのはたしかに切っても切れないものがあるのだ。

 新宮駅近くのビジネスホテルに向かう途中、ついに雨が降り出した。翌日はまた急に寒くなり、朝の特急で熊野灘、伊勢湾を眺めながら帰途につく。名古屋から中央線で木曽福島、塩尻へ至ると日陰には雪が積もっていた。

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