§本屋病―古本屋昨今
実際に本を読んでいる時間よりも、本屋で本を手にとってページを繰
ったり背表紙を眺めている時間の方が好きだ。いや、ひょっとしたらそ
うして過ごしている時間の方が長いかもしれない。そんな人が結構いる
のではないか。僕もその一人である。
町の書店や古本屋をはしごしては、これという明確な理由もなしに漠
然と本を物色しながら過ごした厖大な時間! それを思うと時々暗澹た
る気持ちに襲われることもある。もしそれを実際に本を読むことや外国
語を勉強することにでも充てていたら、今頃おれは数か国語を操る大変
な読書家になっていたかもしれないなどと思いながら、今日も相変わら
ず本屋で書棚を眺め回している。こうなってくると、これはもう「本屋
病」というようなものだと思う。
しかしその一方で、本屋で無為に時間を潰しているときほど至福の時
間もまたとない。とくに気に入った古本屋で過ごす時間は一種の白昼夢
にも似た時の過ごし方であって、書物という夢のかけらに囲まれて、こ
こでないどこかもうひとつ別の世界にタイムスリップしていってしまう。
そんなことを繰り返しながらむなしく歳を取っていく、そういう人生
だってある。
僕の場合、元々小さい頃から道草を食って帰るのが好きな子供だった
上に、十代後半の頃、通っていた高校がたまたま早稲田の古本屋街の先
にあり、学校の帰りに古本屋通いの味を覚えてしまったのが運の付きだ
った。地下鉄で一駅の距離を電車にもバスにも乗らずに歩いて行くと、
通りの両側に数十軒の古書店が軒を並べている。それを一軒一軒冷やか
しながらはしごしていくのだが、当然店ごとに棚揃えや雰囲気が異なり、
最後の店を出る頃には、いつもぐったりと心地よい徒労感とでもいった
ものに全身を浸されていた。本を買っても買わなくても、その徒労感を
味わえればそれで満足だったのである。
そのまま学生時代も早稲田で過ごしたから、だんだんひいきの店が決
まってきて、はしごする店の数も次第に絞られてきた。いつも必ず寄る
店、気が向いたら寄る店、時間と体力があったら寄る店といった具合に。
もちろんその頃になると、ひいきの店に関しては、どの店のどの棚にど
ういう本があり値段はいくらか、ということまでだいたい覚えてしまっ
ていた。
パチンコ屋の先の谷書房を振り出しに、外国文学が充実している二朗
書房をはさんで何軒か出入りし、その先文献堂の手前で入ろうか素通り
しようかいつも一瞬躊躇した。ここは左翼関係の文献が揃っていて知る
人ぞ知る古書店だったのだが、ガラス戸を開けて出入りする際、中央の
番台に座ったおやじにギョロッと睨まれるというおまけがついた。眼鏡
の奥の眼光鋭いその視線に耐えられる自信がなければ入らない方がよか
った(十年ほどして、おやじさんはバイクで本を配達中に交通事故に遭
って帰らぬ人となった。しばらく若い人が店番をしていたが、おやじさ
んの居なくなった文献堂はすっかり生気が抜けたようになり、その後し
ばらくして店を閉じた)。
それから通りを渡って文学関係では一番の蔵書数を誇る文英堂でたっ
ぷり時間をつぶし、どの本にもきれいにパラフィン紙をかけている並び
の安藤書店で掘り出し物を物色し、再び横断歩道で引き返して出版・マ
スコミ関係が充実している古書現世へ。そこからまた……という具合に
古本屋のはしごは続いていく。そしてだいたい最後は日本近代文学専門
の平野書店で切り上げて、交通量の激しい明治通りを渡り、商店街を高
田馬場駅の方へと歩いて行くのだった。それでもまだ物足りなければ、
駅前の芳林堂書店へ立ち寄り、新刊書を立ち読みしてから家路についた。
もちろんこれ以外にも、中央線沿線や小田急線界隈の古本屋にもよく
足を延ばしたから、必然的に本が溜まってきた。そうすると今度は、何
かあると溜まった本を売り捌いて、小金を捻出する必要が出てくる。こ
れがいちばん手っ取り早い金の作り方だからである。ウロボロスのよう
に自分の手足を食って糧に変えるのである。これをよくやった。
売りに行く本屋もだいたい決まってきて、いつも気前よく高値で買っ
てくれる早稲田の安藤書店、高円寺の老舗都丸書房、下北沢の幻游舎な
どに持って行くことが多かった。まだ古本にも然るべき相場というもの
があって、当時学生によく読まれた文学・思想関係の本なら、定価の三
分の一から、ものによっては半額近い値段で買い取ってくれたものであ
る。だからリュック一杯背負っていけば、アルバイトの日当分ぐらいに
はなった。これを何度もやっていると、五木寛之の「古本名勝負物語」
ではないが、売り手の予想値と買い値とがピッタシ合うなんていう芸当
も度々演じられるようになった。思えばまだ高度経済成長の神話が巷で
辛うじて生き残っていた時代である。この頃が、僕にとっては古本屋と
の付き合いの蜜月だったと思う。
その後、本屋病が嵩じて、とうとう池袋の芳林堂書店本店に就職する
ことになるのだが、仕入れを経て回された売場が理工書だったせいもあり、
長年の本屋めぐりの蓄積を発揮できる機会はなかなかやってこなかった。
だいたい本屋などに勤めていると本が読めなくなる。毎日毎日おびただ
しい量の新刊書の洪水に立ち会っていると、目移りばかりしてしまって
一冊の本を始めから終わりまでじっくり読むことができなくなるのだ。
それでいて、仕事が終わってからよその本屋で立ち読みをして帰るのが
ひそかな楽しみだったから、相当病気も重かったと言わねばならない。
それから失業したり旅に出たりを繰り返して、信州の山村に移り住ん
だ。村に本屋などなかったから、時々松本や長野などの都市部や東京に
出る機会があると、本屋のはしごをしては飢えを癒した。それに上京す
るときはたいてい風呂敷いっぱいの本を片手に持って行き、馴染みの古
本屋で売れば、交通費ぐらいは捻出できた。
ところが、である。七〜八年前からだと思うが、以前は然るべき値段
で買ってくれた古本屋から、本を買い叩かれるようになった。こちらの
予想した額と相手の提示額とがどんどんずれていくのだ。え?これだけ
にしかならないの。おかしいなと思いながらも、しばらくは上京する度
に本を抱えていったが、ある時点からそれもやめてしまった。不況もあ
るが、本のリサイクルを謳い文句にした全国チェーンの古書店が近くに
できたので、そこに本を売りに行って事情がわかったからである。
申込書にサインして持ってきた本を預け、待つことしばし。名前を呼
ばれてカウンターに行くと、買取り金額が用紙に記載されていた。え?
ゼロが一桁ちがうんじゃないのとあまりの安さに驚く。これじゃここま
での車のガソリン代にもならない。店員に念を押したが、金額に間違い
はないというので売るのはやめにした。捨てるのとたいして変わらない
値段だったからである(ちなみに千円の新刊本が一冊三十〜五十円程度、
五百円の文庫本が一律五円か十円)。
その代わり、棚に並んでいる本の値段も確かに安い。新刊がだいたい
定価の半額。しばらく置いても売れない本は一律百円〜三百円の棚に移
される。このダンピングコーナーを物色していると、時々とんでもない
掘り出し物にぶつかったりする。誰かが埴谷雄高の「死霊」が百円で売
られていたといって嘆いていたが、ぼくも小林秀雄の「ドストエフスキ
ー全論考」(定価三千八百円)や大西巨人の「神聖喜劇」などが百円で
売られているのを見て、信じられない思いをしたものである。一種の価
格破壊が進行しているわけで、既存の古本屋が本を買い叩くようになっ
たとしても、これは仕方がない。
もっともこの頃では、このチェーン店のやり口を逆手にとって、「こ
れがこの値段じゃあんまりじゃない」という掘り出し物は、見つけたら
できるだけ買うようにしている。他にまともな古本屋もない田舎のこと
とて、絶版になった文庫や全集を始めとする結構な本が捨て値で出回る
ことが多い。それを買い集めて、フリーマーケットやインターネットを
通じて、本当に欲しい人に売るのである。もちろんいくらかの手数料は
上乗せするが、手間暇を考えれば、半分はボランティアみたいなもので
ある。いつになっても「本屋病」から抜け切らないぼくの、これが趣味
と実益を兼ねた最近の古本屋遊びである。
(2000年8月)
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