五木寛之著『生きるヒント』より

 メリカのオハイオ州の大学で、こんな実験が行なわれたそうです。
  木でつくった小さな箱の中に土を入れ、そこに一粒のライ麦の種をまく。
そして水を与えながら、数十日それを育てると、貧弱な一本の麦の苗が育ち
ます。そのあとで箱をこわし、土をきれいにふり落して、その貧弱なライ麦が
芽を出し、その生命をささえていくために一体どれほどの根を土の中にひろ
げているかを物理的に計測するのです。
 目に見える根はすべてその長さを測り、見えない根毛もこまかく計量し、土
の中にはりめぐらされた根や水分や、鉄分や、カリ分や、生命をささえる養分
を必死で吸いあげながら一本のライ麦が育つために要する生存の努力を、
数字として換算します。
 その結果、およそ信じがたいことですが、小さな木の箱に網の目のように伸
びていたライ麦の根の総延長数は、じつに一万一千二百キロメートルに達し
ていたということでした。

 風にそよぐ一本のライ麦が、その貧弱な生命をささえるために一万一千二
百キロメートルの根を目に見えない土中に張りめぐらし、そこから必死で生命
の糧を吸いあげつつ生きつづけているというのは、じつに感動的ではありませ
んか。
 このことを考えると、生きてこの世に存在するということは、一体どれほどの
働き、どれほどの努力が必要であるかということを痛感せずにはいられません。
ライ麦とくらべてその何百倍、何千倍もあるひとりの人間が、ただ誕生し生存
していく、そのためだけにも、じつは目に見えない無限のいとなみがくり返され
ているのではないでしょうか。(略)

 そのことを考えますと、どのように生きるかということよりも、ただ生きて
この世に存在しているということ自体が、すでに驚くべき価値ある行為
である
ように思えてくるのです。
               
   (角川文庫)                          

  *小中学生のいじめや自殺が繰り返し問題になっている昨今、仏教への
    深い造詣に裏打ちされた五木氏のことばは、胸にひびく。この「生きるヒ
    ント」シリーズは、パート5まで出て、ひとまず完結した。近年の五木氏の
    思索の集大成と言ってよいだろう。ちなみに、平成6年度長野県公立高
    校入試国語の問題は、この本の一節から出題された。

    私事になるが、五木氏とは昔、小生が早稲田の学生新聞の編集をしてい
   た頃、何度かお会いしたことがある。いま作家で活躍している先輩の山川
   健一氏らがたいてい一緒だった。五木氏はお会いすると必ずといっていい
   ほど、何かうまいものをごちそうしに連れていってくださった。不思議なもの
   で、何を話したかはあらかた忘れてしまったが、何を食べたかはいまでも覚
   えている。
    何年か前、伊那市の文化講演会で十数年ぶりに氏の肉声に接して、感慨
   深いものがあった。「暗愁」という言葉をめぐって話された講演の内容もさる
   ことながら、一時間半立ちっぱなしでしゃべりつづけて乱れない、その気力・
   体力にも敬服した。
    年をとってますますつまらなくなる作家と、いよいよ渋みを加えて円熟して
   いく作家とがあるが、五木氏は明らかに後者の数少ない一人である。(T)
  
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