◎四国別格二十霊場を歩く(讃岐編) 2025年3月


  88番大窪寺で四国歩き遍路を結願してから、ちょうど四年。この間、私生活でもいろいろとあり、なかなか動けなかった。おまけにこの数年続く異様な夏の暑さには参った。特に親の後、愛猫が死を遂げた去年など何もやる気がせず、無為に日々を過ごすうちに古希を迎えた。さすがにこのままではいかんと思い、亡き猫の一周忌を機に、再び四国遍路に向かうことにした。今回は別格二十霊場を電車やバスも利用して歩く。以下、覚書も兼ねて綴る。

3/19(水)雪/晴

 伊那沢渡発9:08 → 名古屋・岡山経由 高松香西着15:46
    ~2㎞ 別格19番香西寺  *高松泊

*昨夜から伊那は季節外れの大雪。大窪寺方面から阿讃縦走路(こんぴら道)をよじ登って大瀧寺へ至るルートは、結局諦めて正解だった。馬籠から中津川を過ぎるまで、真冬のような雪景色が続く。

 名古屋も結構寒い。新幹線のホームで自由席乗り場を探していたら、なんと3/15から「のぞみ」の3号車は指定席になり、自由席は1・2号車のみとなったと表示がある。道理で長い列ができているわけだ。列車がついて乗り込もうとしても、朝の山手線並みの混雑でしかも皆大荷物を引きずっているから、ドアの内側に入り込むだけでも一苦労。もちろん席など取れるわけがなく、押し合い圧し合いして通路に立ったまま京都まで。京都でやっと席を見つけて座れたが、まだ立ったままの人も多く、とても持参の弁当を広げる余裕はない。もし従来通り3号車まで自由席だったら、ほぼ全員が座れただろう。岡山で降りるとき、さすがに車掌がアナウンスで自由席の混雑を謝っていたが、これがJRの「新サービス」というものの実態なのだ。
 岡山から高松行きの快速に乗り換えて、やっと遅めの弁当を広げたが、列車は混雑してきて4人掛けのボックス席もいっぱい。かまわず弁当をつかっていると、ローカル線だから揺れが激しく、鮭の骨を噛んだ瞬間にがくんときて頬を付き、口内炎に。出発から先が思いやられる。

 高松のひとつ手前の香西駅で下車。無人駅でトイレもない。目指す別格19番香西寺は駅から2㎞ほどとあったので、あまり詳しく調べもせず歩き出した。しかし案内も何も出ていない。持参の遍路地図には寺から寺へのルートはあっても、駅からの道順など出ていない。途中のコンビニの駐車場にヤマトのトラックが停まっていたので、ドライバーに道を尋ねる。しばし考えて、方角だけは「あっちの方」と教えてくれた。言われた方に国道を歩いていくと、道路標識に「82番根来寺」と見える。いやひょっとしてあのドライバー、寺の名前を勘違いしたんじゃないかと疑いが生じ、元来た道を戻る。
 交差点にガソリンスタンドがあったので、従業員に尋ねる。すると今度はかなり詳しく、「その斜めの道をまっすぐ行って、三つ目の信号を左に入ったところ。角にたこ焼き屋があるからわかる」との説明。今度は間違いないと思い、言われたはずの道をまっすぐ歩いていくが信号など全然出てこない。一本向こうの車が行き交う国道を見ると、ちゃんと信号がある。ひょっとしてあの道の間違いではないかと思い、国道側にまわって歩いていく。スマホを取り出し、ふだんめったに使わないグーグルマップを調べても、車であと3分と国道の太い道が出てくるばかりでよくわからない。すると向こうに散歩中の老人が現れた。走り寄って道を聞く。「そりゃ逆方向だね。わたしがそこまで一緒に行くから」と案内してくれる。そして出た道は、先ほどガソリンスタンドの従業員が教えてくれた道で、ずっと先に最初の信号が見えた。方角もたしかにヤマトのドライバーが言った通りだった。

 すっかり時間をロスしてしまったが、まだ16時半前、何とか納経には間に合いそうだ。4年ぶりに白衣を着て、本堂でお経を唱える。帽子をかぶり、リュックを背負って納経所へむかうと、正面に住職が座っていて合掌してくる。慌てて片手で挨拶して入っていくと、「失礼だがあなたはこういうところに、いままで参拝したことはあるのかな。合掌は両手でするものです。荷物を背負って、帽子をかぶったまま拝んだりはしていないでしょうな」。「いや、これは失礼しました。4年前に88寺を結願しまして、久しぶりの四国なものですから。いろいろと作法を忘れておりまして」と恐縮する。ともかく新しい別格二十霊場の納経帳に揮毫してもらい、紫檀と腕輪の数珠玉をいただき寺を後にする。
 結局、駅までの帰り道も迷ってしまい、乗る予定の電車に最後は走ったけれども間に合わず、30分待って次の電車で高松へ。駅から550mというビジネスホテルも、最初別の方角へ歩き始めて迷ってしまい、18時過ぎようやく到着。人の言うことを素直に信じられず、いまの自分の姿を象徴するかのような四年ぶりの四国入りだった。


3/20(木)春分の日 曇り/晴れ 寒

 ことでんバス高松駅7:10 → 塩江8:30
 椛川ダムルート 徒歩約3時間30分(13㎞) 別格20番大瀧寺
  打ち戻り 大瀧寺~塩江 *塩江温泉泊


*そもそも今回は四年前に結願した88番大窪寺をスタートし、前回歩かなかった10番切幡寺までの道を行き、別格1番大山寺まで打ち戻してから二十霊場を回るつもりだった。勿論別格の寺だけ回るとなれば距離が離れているから、途中の移動は電車・バスを使う。しかしせっかく大窪寺まで行くのであれば、一番近い別格20番大瀧寺へ行かない手はない。ところがよく調べてみると大瀧寺までのルートは、大窪寺からのものも含めていくつかあるが、どれをとっても長くてきつい。別格二十寺の内、最難関ルートのひとつである。同じ宿に連泊して送迎を頼むか、早朝のバスに乗って出発点に向かうしかない。
 結局天候もにらみながら迷った末に選んだのが、塩江温泉からの椛川ダムルートである。となると大瀧寺を打った後は、ロープを伝う急峻な山道を下って大窪寺方面へ再び向かうより、塩江まで往復してバスで高松へ戻り、逆打ちで二十寺を回る方がいいのではないかという結論に達した。実際別格の寺は讃岐と伊予に固まっている。

 港町高松は雰囲気のあるところだが、いつも着くのは夕刻で出発は朝早くだからゆっくり見物したことがない。駅と港が接しているのがよい。ここから一度は小豆島遍路にも渡ってみたいものだ。
 朝7時10分発塩江温泉行きのバスに乗る。一日二本。これを逃すと夜までもうない。祭日ということもあるが、市内を縦断する1時間20分の道中、途中で乗り降りした地元客一人を除いて、乗客はずっと自分一人だけ。四国でも路線バスの廃止が相次いでいるが、この便もいつまで運行しているのかわからないな。
 塩江でバスの運転手に「これから大瀧寺ですか? 今朝は霜は降りたけど、天気はいいから大丈夫でしょう。頑張ってください」と声を掛けられる。途中、今夜泊まる予定の温泉ホテルに余分な荷物を預けて出発。ここから片道約13㎞の道のりである。

 9時前スタート。落合橋で車の行き交う国道193号から静かな県道へ抜けて、椛川ダムまでゆっくり登って行く。二車線のきれいな道だが、ほとんど車は通らない。出発時は持ってきたものを全部着込んで、ウインドブレーカーに身をこごめて歩き始めたが、登るにつれ汗ばんできて、日向の坂道で長袖のタートルネックを一枚脱ぐ。あれが目指す大滝山だろうか。ダムの向こうに見える山々の中腹から上はまだら雪が残っている。昨日は四国の山も結構降ったとみえる。山道をロープ伝いに登るこんぴら道ルートを取らなくてよかったとつくづく思う。

 ダムの管理事務所を越えたところから下りになり、ダム湖伝いの北風がびゅんびゅん吹き抜けてゆく。今度は寒くなって脱いだシャツをまた着る。ダムの端まで来たところで一車線になり、川沿いに狭い旧道の九十九折りの山道を登って行く。ところどころに残雪が目立ち始め、この先はどうなっているのやらと心配し始めた頃、辛うじて車が一台通れるだけの坂道を、後ろから7人乗りのミニバンが追い越してゆく。と思ったら、5分もしないうちに降りてきた。無理もない。中腹あたりまで坂を登ってきたら、日陰のカーブなど凍った雪がアイスバーン状態になっていて、4駆でスタッドレスを履いていても結構きつい。杖がなければ、歩くだけでも滑りそうだ。
 こんなところにも集落があったのかと思う廃屋を横目に、延々と雪道を登って行くと電柱に見覚えのある赤い遍路道の印が出現。その先のガードレールには青い別格二十霊場の遍路道の印も見える。何かほっとする。そしてようやく三叉路が交わる尾根筋の六角堂に出た。その手前で向こうから降りてくる笠をかぶったお遍路さんと初めて出会ったが、険しい顔をして挨拶を交わしたのみ。実際、そこから標高950mの大瀧寺へ向かう尾根筋の道は雪も多く、北風も吹きすさび、表情も険しくなるのが当り前だ。登りで大分汗をかいたが、また冷えてきて持っているものを全部着込んで歩く。前回まではミドルカットのトレッキングシュースで歩いていたが、今回は舗装路歩きが大半と考えて、ローカットのウォーキングシューズを履いてきた。だがまさかいきなりこんな雪道を歩くことになるとは思っていなかった。頼りになる金剛杖がありがたい。

 何とか滑らずに雪道を歩いて、ついに別格20番・四国八十八ヶ所総奥の院大瀧寺へ到着。徒歩3時間半。鐘を打って、納経する。住職の言うには、今年は八十八寺でも結構雪が降って行くのが大変なところが多いそうだ。納経所の前には、徳島側の車道を登ってきたらしいオートバイの女性参拝客までいる。さすがにこの先の雪道は諦めたらしく、来た道を下っていった。

 日当たりのいい境内で、サンドイッチの昼食。隣の西照神社にも詣でて、再び雪道を恐る恐る下って行く。
 山頭火や高群逸枝の遍路日記を読んでも、一日七~八里はふつうに歩いている。もっと遡って藤村の「夜明け前」でも、主人公の青山半蔵一行は木曽の馬籠から江戸への八十三里を十一日間かけて歩いたとある。つまり毎日七~八里、30㎞前後は歩いた換算だ。昔の人はそのぐらい歩いたのだ。その身体感覚をときどき味わった方がいい。そんなふうに自分に言い聞かせながら、塩江までの戻り道を歩く。
 3時間余りで、道の駅塩江着。今日のホテルは食事なしの部屋しか取れなかったので、何か食べるものは残っていないかと探したが、コロッケぐらいしかなかった。勿論コンビニなどない。途中の赤松食堂に数日前電話したら、夜もやっているけど今日は祭日だから昼間売り切れてしまうかもしれない。来るのなら早めに予約してほしい。ラーメンぐらい残しておくからとの返事。ラーメン一杯で予約するのも何だかばかばかしくて、成り行き任せにした。それに今日はあの雪道も含めて、往復26㎞以上歩いたからもうくたくただ。ホテルについて温泉に入ったら、もう外に出る気はしないだろう。
 チェックイン時にフロントで何か食べるものを売っていないか聞いたら、カップうどんぐらいならあるという。しょうがない。今夜はこれとコロッケでビールでも飲んで早寝しようと決める。

 今日歩きながら浮かんだ歌。

♪地図と現地はちがう こんなにちがう
 行ってみなけりゃわからない ことがある
 こんな雪道ばかりが どこまで続くのか
 坂を下りたり登ったり 北風びゅんびゅんと

♪地図と現地はちがう こんなにちがう
  紙を見ているだけでは ちっともわからない
 スマホ見ているだけでは 全然わからない



3/21(金)晴れ/暖

 ことでんバス塩江8:41 → 高松駅9:48
 高松駅10:52 → 塩入駅12:09 ~2㎞別格17番神野寺・満濃池
 塩入駅14:23 → 箸蔵駅14:57 ~3㎞別格15番箸蔵寺 
  箸蔵駅 ~徒歩6㎞ *阿波池田泊


*昨夜、ホテルの売店で買ったビールと日本酒とカップうどんとコロッケの組み合わせが悪かったのか、珍しく二日酔い気味。アジア系の団体さんが入っていて満員だったせいか、ホテルのサービス悪し。民宿八十窪と比べてもしょうがないが、他に泊まるところがなかったから仕方がない。どうせ朝食もなしだから、そのままバスに乗って高松へ。駅前のうどん屋で朝昼兼用の食事をとる。
 それにしても今回初めて電車やバスを利用して移動しているが、時刻表に合わせて歩くのがこんなに気を遣うものだとは思っていなかった。一本乗り逃がしてしまうと、ローカル線だから、次は何時間も待たなければならなくなる。予定が全部狂ってしまうから、いやでも決めた電車に乗らなければならない。これが結構なストレスになる。おまけに泊まる宿も必然的に駅に近いビジネスホテル中心にならざるをえない。民宿や遍路宿なら、たどりつけば夕食が用意されているが、ビジホとなると外食かコンビニ弁当となる。たしかに電車やバスを使えば長距離の移動は楽だが、逆に時間には追われるのだ。

 高松から多度津で土讃線に乗り換えて塩入へ。まったくの無人駅である。田舎道を2㎞ほど歩いて満濃池へ。75番善通寺から徒歩3時間ほどのところにあるが、前回は不勉強で満濃池のことも知らず、通り過ぎてしまった。長安帰りの空海が唐の土木技術を取り入れ、決壊を繰り返す満濃池をわずか3か月で築堤したという伝説のため池である。(司馬遼太郎の「空海の風景」の冒頭に、かなり詳しい描写がある)。実際に目にしてみると、ため池というにはあまりに大きい。ほとんど湖と言いたくなるほどだ。その畔に別格17番神野寺がある。

 納経を終えて、丘の上の大師像の横から満濃池を眺める。シャンティ(平和)と言うしかない素晴らしい眺めだ。八十八寺を含めて、いままで四国で巡った寺のうちでもっとも落ち着いて美しい眺めのひとつである。
 ひと息ついて出ようとしたところで、白衣にリュックのお遍路さんが駆けてくる。話をしていると何度も四国を廻っているご仁のようで、大瀧寺など四つあるルートのすべてを踏破しているとのこと。自分が行ったときなどもっと雪が凄かった云々。お寺の名前を番号だけで呼ぶので、何を言っているのかすぐにはわからない。こういう人はいささか苦手なので、湖畔のベンチへ移動。物欲しげに寄ってくる野良猫を横目にサンドイッチを食べて、次の電車で箸蔵駅へ。

 塩入から箸蔵へはわずか4駅だが、途中から完全に山の中に入り、坪尻駅ではめったに見られないワンマン列車の運転手のアクロバット術がみられる。どう言ったらいいのだろう、駅のホームが線路からⅤ字型に戻ったところにあり、前方の運転席にいた運転手が一時停止して行き先の看板と運賃箱を手に後方の運転席まで走り、駅のホームまで後方から運転して停車。ドアを開閉して乗降客を確認すると、また前方の運転席まで看板と運賃箱を手に走って再出発となるのである。こういうアクロバット術は初めて見た。ローカル電車の旅には、こういう楽しみもある。

 箸蔵駅では途中から乗ってきたお遍路さんの夫婦と降りる。10分ほど歩いてロープウェイの箸蔵駅へ。その脇から山道の遍路道が出ている。昔ながらの雰囲気のある山道だが、結構な急坂である。まだ時刻は3時過ぎ、約2㎞の山道をゆっくり登ってゆく。今日は昨日までとは打って変わって暖かい日で、だんだん汗をかいてくる。40分ほど登ったところで、高灯篭が見えてくる。その先の大きな草鞋を3枚掲げた仁王門をくぐってからがまた長い。鳥居を抜けて参道を歩いていくと、赤い橋の手前にいかめしい烏天狗の像が。ここでおやっ?と思ったのだ。さらに階段を登って行くとロープウェイの駅と納経所があり、ここが本堂かと思ったところは護摩殿で、本殿はさらに階段を上った先にあった。こんな大きな寺だとは知らなかった。ほとんど神社ではないか。本堂でお経をあげて、ここのご本尊が金毘羅大権現で、ここはこんぴら奥の院にあたると初めて知った次第。神仏習合の集大成のようなお寺だ。

 納経所に降りていくと、先にロープウェイで来ていたお遍路の夫婦が揮毫してもらっていた。納経を済ませ、時計をみると16時半。これから歩いて下りても箸蔵駅16:57発の阿波池田行きの電車には間に合わない。16:45発の最終のロープウェイで降りて、阿波池田のビジネスホテルまで6㎞の道のりを吉野川沿いに歩いていくことにした。
 川沿いのビジホにたどりついて、コインランドリーでまとめて洗濯をする。夕食は缶ビールとコンビニ弁当。 


3/22(土)晴れ/暖

 阿波池田駅8:13 → 琴平駅8:39 金刀比羅宮参拝(奥宮まで往復2時間半)
  琴平駅12:13 → 海岸寺駅12:48 別格18番海岸寺
   海岸寺駅13:57 → 観音寺駅14:25 タクシー約15分 別格16番萩原寺
   ~徒歩8㎞  *観音寺泊

*昨夜からひどいくしゃみの発作と鼻水、喉が完全にやられている。眼も痒い。汗をかいたり冷えたりを繰り返し、気温も激しく変動したためか、重い花粉症か鼻風邪にかかったのだろう。いままで歩き遍路で風を引いたことはないので、風邪薬の類は全然持ってこなかったのが悔やまれる。どうするか。ここで寝ているわけにはいくまい。やはり歩いて治すしかないだろう。

 阿波池田駅から特急で琴平へ。今日の午前中は、初めからこんぴら参りの予定でいた。結果として、奥の院の箸蔵寺を先に訪れたことになる。
 やはり名高い金刀比羅神社、しかも土曜日とあって人出も凄い。ほとんど人をかき分けるようにして、タオルで鼻水をぬぐいながら延々と続く階段を登って行く。邪気を吐き吐き奥宮までたどりつき、汗びっしょりになったTシャツを着替える。往復約2時間半。

 何とか参拝を済ませ、入り口のうどん屋で薬局の場所を聞き、風邪薬を購入。服用したらいくらか楽になり、予定通り午後の電車で別格18番海岸寺へ。無人駅のすぐそばの海際に宿坊も兼ねた本堂があり、そこから10分ほど歩いて線路を渡った山際に奥の院があった。なかなかの風格である。山道に沿ってミニ四国百八ヶ所霊場の石仏が並んでいるが、途中まで回ったところでとても次の電車に間に合わないと気づき、35番清滝寺のあたりで下りることにした。丘からの瀬戸内海の眺めも素晴らしい。できれば体調のよいときに、もっと長く過ごしたい寺だった。

 観音寺駅まで出て、別格16番萩原寺まではタクシーで行くことにした。帰りは歩くつもりだから、よくよく道順をみながらタクシーに揺られる。この萩原寺も67番大興寺を歩いたときに回れば楽だったのだが、前回は別格の寺のことは念頭になかった。
 萩原寺もとてもいい雰囲気のお寺だ。とくに今日は午前中、人ごみのこんぴら参りをしてきたから、余計静けさが身に染みる。納経所では本堂で一緒だった子連れの車遍路さんが駆け軸を広げかけていたが、ぼくが入っていくと「この人を先に」と譲ってくれる。

 萩原寺から観音寺駅まで約8㎞の道のりを先ほどのタクシーの道順とスマホを参照しながら歩いていく。おかげでグーグルマップの見方もだいぶ慣れてきた。ひたすら歩いていると、だんだんウォーキングハイとでもいう状態に入ってきて、風邪も吹き飛んでいきそうだ。2時間近く歩いて観音寺駅着。駅近くのビジネスホテルにチェックイン。何とか一日乗り切れた。


3/23(日)晴れ

 
観音寺駅7:54 →川之江駅8:09
 川之江駅~タクシー約25分 65番三角寺
 三角寺 ~徒歩地蔵峠越え(約5㎞)別格13番仙龍寺
 仙龍寺~堀切トンネル抜け ~10km 別格14番椿堂(常福寺)
  ~徒歩8km *川之江泊


*寝る前に風邪薬を服用して鼻水はどうやら治まった。喉の痛みは続いているが、何とか今日も頑張ろう。
 川之江駅下車。一台だけ待っていたタクシーに乗り、65番三角寺へ。今日も片道は楽をさせてもらう。歌謡曲好きな年寄りの運転手の言うには、「三角寺は川之江の方が近いのに皆さん伊予三島から行く」「そりゃしょうがないよ、遍路道がそうなっているんだから。自分も前は三島から歩いた。今回は逆打ちだから別だけど」。念のために名刺をもらって、タクシーを降りる。「あまり無理をしなさんな。また呼んでくれ」。

 朝の三角寺にはリュックを背負った歩き遍路がすでに数人納経所の前にいる。本堂で挨拶して、奥の院の別格13番仙龍寺へ向けて、脇から出ている山の遍路道にかかる。登りこそ普通の里山歩きの感じだったが、地蔵峠(765m)を過ぎてから長い下りにかかると雰囲気は一変。深い森の中、滑落しそうな細道に次々と現れる石仏の数々、苔むした石畳、滝、すばらしい遍路道だ。途中で登ってくる夫婦連れとすれ違ったが、登りはさぞきついに違いない。

 約2時間半かけて仙龍寺到着。靴を脱いで2階の本堂へ上がって納経。奥では先達と思しき白装束のお遍路さんが知らないお経をあげている。まるで洞窟の中で燈明をあげているような静謐な雰囲気。大瀧寺以上に、四国総奥の院というにふさわしい寺だ。
 参拝した後、境内でサンドイッチを食べていると、今日は日曜とあってバスの団体客が坂道を登ってぞろぞろやってきた。入れ替わりに正面の坂を下りてつくづく本堂を眺めやると、川沿いに4階建ての寺院が崖にそそり立つようにして建っている。久万高原の45番岩屋寺やチベットの仏教寺院を思いださせるような建物である。いまだにコロナの影響か、宿坊が客の受け入れを中止しているのが残念である。

 14番椿堂へ行くにもいくつかルートがあるが、仙龍寺の住職の勧めもあり、無理をせずオーソドックスに堀切トンネルを抜けて行くコースを取ることにした。トンネルまでは新宮ダム沿いにゆるやかに上っていく道。ほとんど車も通らず、歩いていて苦しくない。以前はこの辺まで路線バスが出ていたらしいが、いまは廃止。久々に1.2㎞のトンネルをマスクをして歩く。路肩に段差のある狭い歩道がついてはいるが、下水が染み出ているのかところどころぬかるんでいて歩きにくい。おまけにあのゴォーッという車の騒音である。抜けるまで約15分の忍耐。やはりトンネル歩きはできれば避けたいな。
 仙龍寺から2時間ほどで平山バス停に到着、路線バスの廃止に伴い、いまはオンデマンドタクシーの停留所になっている。ここからは4年前も三角寺から歩いた道だ。なだらかな下りの遍路道をゆっくり歩いて別格14番椿堂へ。ここは前も雲辺寺への途次立ち寄って雨宿りさせてもらったことがあるのだが、納経はしていない。そんなお寺が別格二十霊場の内、半分近くある。いまになってみれば勿体ないことをしたものだと思う。八十八寺を巡る途中に寄ればそんなに大変でなくても、そこだけ単独で行こうとするとかなり距離がある、そんなお寺が結構あるからだ。ただ今回はきちんと納経して各寺の数珠玉をいただき、全部回ったあかつきには数珠を完成させるという終活の目的もあるので、一度行った寺でも全て廻ることにしている。

 さて椿堂で納経を済ませ、住職に川之江までの道を尋ねると、「歩くと2時間くらいはかかるよ。でも途中から川沿いに昔の職人たちがよく歩いた旧道があって、そこを行くといい」と言われる。よほど朝のタクシーを呼ぼうかとも思ったが、時計を見るとまだ15時。風邪薬を飲みながらの道中でさすがに疲れていたが、片道タクシーを使ったら片道は歩く。せめてもこれが歩き遍路の仁義じゃないか。そう言い聞かせて国道192号を川之江方面に歩き始めた。
 スマホを見ながら行くと、たしかに途中から川沿いに土佐北街道という旧道が交わり、そこに入ると車の往来もまばらな昔ながらの田舎道が続いていた。何度か人に道を尋ねながら、1時間45分歩いて川之江駅着。四国では白衣に杖を突いて歩いていると、皆親切に対応してくれる。
 ホテルに入ってさすがにぐったり。今日も外食に出る元気はなく、コンビニで缶ビールとおにぎりとつまみを買ってきて夕食。もうヘロヘロだ。明日は少し寝坊して、川之江城から海でも眺めて帰ろう。
     

3/24(月)曇り/森林火災

 川之江駅9:49 → 木曽福島15:24 →  塩尻16:00 → 沢渡17:31着

*朝起きてネットのニュースを見たら、岡山・今治で森林火災とある。テレビをつけたら、やはりこのニュースをトップでやっていた。今治・伊予西条間は鉄道も道路も通行止め。ネットの路線情報では、予讃線全線で運転見合わせとまである。体調が悪くなければ、今朝は伊予土居まで行き、別格12番いざり松延命寺まで行く予定だった。もう一泊すれば、まさにその森林火災の現場に近い別格11番生木地蔵と10番西山興隆寺まで歩くはずだった。やれやれである。この時代、ちょっとした旅に出ても何があるかわからない。(そうでなくても今治・伊予西条間には54番延命寺から64番前神寺まで、伊予の八十八寺が集中している。ここを歩いているお遍路たちはさぞ大変なことだろう)。
 最悪の場合、またこのビジホに一泊することになるのか? 念のため、朝食弁当を取りに行った時、フロントに連泊の可否を確認する。二日分払ってもらえれば、それでいいとの返事。何だかぐったり疲れて、朝風呂に入って一休み。朝食を取り、ともかく荷物をまとめて、9時過ぎに駅に行ってみたが、肝心の駅員がいない。仕方なくJR四国の問い合わせ窓口に電話してみると、止まっているのは今治・伊予西条間のみで、他は折り返し運転で現在は通常通り運行しているという。どうやら岡山まで行けるらしい。ほっとする。

 岡山からは新幹線ひかり(1~5号車自由席)に乗れて、ゆったりと名古屋まで行けた。特急しなのに乗り換え、木曽福島から塩尻へ。
 途中、車窓から山の向こうに見える美濃から木曽にかけての旧中山道は、この4年の間にほとんど歩いた。特に恵那から十三峠を経て大湫・細久手・御嵩宿へ至る山道など、とても雰囲気が残っていてまた歩きたい。だが四国遍路と比べて、街道歩きだけでは何か物足りないものがある。それは何だろう?
 しょっぱな香西寺の住職に指摘されて反省したが、4年も間が空くといかに自分が「傲慢」で「雑」になっていたかがわかる。やはりただの街道歩きとは違って、白衣を着て金剛杖をついて歩く四国遍路の旅は、襟を正し〈礼節〉を知る巡礼の旅でもある。自分は真言宗の門徒ではないけれど、それでもお大師様と同行二人。たどりついた寺院で鐘を突き、お経をあげ、納経をし、住職と挨拶し、地元の人に道を尋ねる旅は、それなりの意味があるのだ。四国は遠いけれども、やはり時々出かけなければならないな。電車から木曽の山々を眺めながら、強くそう思った。

(*なお愛媛の山林火災は、3/27夜のまとまった雨でようやく鎮火に向った)

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