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社長挨拶
当社は創業者木田豊が1937年に電気絶縁材料、なかでも、雲母、(マイカ、MICA)を取り扱う商社を設立以来、雲母一筋に85余年、数少ない同業者の中でも雲母の老舗という定評を得てまいりました。
戦後の我が国における家庭電気製品の開発は目覚ましく、天然マイカの需要の伸びも著しく、石油ストーブの窓、家庭アイロン用、あるいはトースター用、さらにマイカコンデンサー用と電子部品関係などに多方面に天然マイカは使われて参りました。
また、JR、各電鉄会社やボイラー、湯沸かし器ののぞき窓など重電関係の工場設備の高電圧、高温度電気絶縁体材料としても、一般には目に見えない所で、貴重な素材として使用されています。
顧客のこのような要求に答える為、インドとの直接取り引きを始め、自社で輸入し、加工も行っております。
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天然マイカの中でもインド産の硬質マイカ(マスコバイト)を主に取り扱い、種々な加工品を自社生産し、また、インドにも自社工場を持ちあらゆる加工を専門としております。
他方近年は人造マイカの耐熱性の向上により、耐熱性電気絶縁材料への需要も高まり、天然マイカより価格も安く、加工性もよく大きなサイズのある人造マイカへの要求も高まって、アスベスト製品に代わる用途も開けて参りました。
このような人造マイカ及び電気絶縁材料一般の加工もしておりますので是非御用命下さい。
代表取締役 木田 淳
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会社経歴
1937年 豊商会を設立。事務所を都島区に置く。
1947年 資本金¥500,000で株式組織に改組。
1947年 木田豊が初代代表取締役に就任。
1958年 事務所を現住所に移し、雲母加工部門を設ける。
1962年 インドと直輸入を始める。
1967年 インド人の、S.L.ルングタを駐在員に任命し
1967年 現地の情報の収集と品質の検査に当たらせる。
1979年 木田博が2代目代表取締役に就任。
1983年 金物工具の輸出業務を始める。
1990年 2代目の長男、木田淳 入社。
1990年 インドに電子部品の輸出を始める。
1995年 資本金1,000万円に増資。
1999年 電子部品の輸出先が倒産し、電子部品の輸出業終了。
2004年 インド駐在員、S.L.ルングタ死去し、その子息の
2004年 Indu K.Rungtaが駐在員業務を引き継ぐ。
2005年 Indu K.Rungtaをマイカ加工技術習得のために呼び寄せる。
2008年 2代目の三男、木田敏 入社。主に輸入業務に携わる。
2012年 2代目の孫、 木田渉 入社。主に自社加工部門に携わる。
2016年 2代目が引退し、木田淳が3代目代表取締役に就任。
2016年 木田敏が取締役専務に就任。
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