オーケストラアンサンブル金沢 第126回定期公演より

コンポーザー・イン・レジデンス三善 晃による2002年度委嘱作品
            
三つのイメージ ー童声・混声合唱とオーケストラのための

                                            詞 谷川俊太郎 詩集「魂のいちばんおいしいところ」より 


三善 晃先生のサイン 指揮     岩城 宏之

ピアノ    木村 かをり

合唱     OEK合唱団

児童合唱  OEK合唱団エンジェル・コーラス




 
 【功労者】


ホームの合唱団で毎年三善 晃の作品を歌っているので、(今年だって5月まで歌っていた)
初めての方より、慣れているつもり。
ただし、‘歌う事’ではなく、‘譜読みがむちゃくちゃ難しい’と言う事に。

一人で音取りをしていると、鍵盤を前にして途方に暮れる。
何でこの音程が取れるの?取れるようになるの?
・・・・・・と。

練習は、おふたりのピアノ伴奏(松井晃子,鈴木 敬 両氏)が懇切丁寧にしてくれた音取りから。
OEK合唱団は、これまでの曲は楽譜をもらったら家で各自音取りをしてくるのが原則だった。
今年のこの曲だけは、お手上げ。
自分で鍵盤で取ろうにも、テンポやらリズムやらの変化がきつい&あちこちに散らばる変拍子で、
自分のパートだけ、さえも弾けない。
何度かの音取りを経て雰囲気をつかみ、なんとか自分で練習出来るまでにこぎ着けたのだ。

ピアニストのおふたりは合唱の5つのパートはもちろん、世界初演の曲のオケパートをみごとに弾かれ、
我々の練習をささえて下さったのでありました。パチパチパチ・・・
三善先生からも賛辞があったと聞いています。


団員達もおんぶに抱っこされてたわけではありません。

音取りの遅い我々にやきもきし、ステージオーダーに頭を悩ませたパートリーダー様はもちろんなのだが。
アルトパートの音取りデータをWeb上にたちあげたKO様。
原本をメールで紹介してくださったF様。
中日新聞に三善先生の寄稿があり、メールで全文を流してくださったKU様
(彼女はアルトだけのMLの管理人でもあり、パートだけのMLがあるのはアルトのみ、なのだ)。

ワタシ?家で娘と一緒に練習したくらいです。
おかげで、児童合唱部分まで歌いそうになってしまった・・・^^;)。


ホントに児童合唱は難しかった。
楽譜を読めない子達ばかりで、ほとんど指導者の口伝え。(伝統芸能のノリだな)
「火」の出だしはアクロバット、当日朝の練習も合わない。
指揮の見方に慣れず、速くなる(ナゼか遅くはならない)。
あれを聴いてしまうと我々がコケる。
「絶対児童合唱を聴いてはいけない」が大人の合い言葉だった。
しかしながら、本番一番強かったのは子ども達だった。
めだつ事故はほとんどなく、これまでで最高の出来を本番に持ってきた。
おみごと!
そして何より、ここ一ヶ月でみごとに声がそろって来た。
今から一ヶ月前の三善作品の「風のとおりみち」を歌ったら、ずいぶん印象が違うのでは、と思う。

ふたりの指導者(篠原陽子,清水志津両氏)の苦労、
毎回子ども達を送り迎えする保護者の皆様の苦労で、演奏会は成功したのでありました。


  【いちばんコワイのは・・・】

おととしまでは岩城マエストロだった。
昨年から佐々木 正利合唱指揮になった。
今年は・・・三善先生だった。

三善先生は実に耳のいい方で、自分の作られた曲の細部の音(8声だろうが)を聴き分けていらっしゃるという。
複雑な和音の移ろいが、三善ワールドそのものである事は、これまでの経験で知っているのだが、
しっかり音を取れている事だけで、三善ワールドに近づける事はわかっているのだが、それが実に難しい。
そして、三善先生の話し方は実に物静かで、その実どんなにはらわたが煮えくりかえっていようと、
決して表にあらわさない口調。

8/26の練習で、合唱はなかなか悲惨な状況だったのだが、我らの前では実に物静かであられた。
・・・練習後、佐々木先生は三善先生のボディブロー(静かに語る、のみ)を浴び続けたらしい。
おかげで、我々の練習が1回多くなってしまったのだ。(・・・やってよかったけど)


練習していて、三善先生の「三つのイメージ」への想い、っていうのがいまいちよくわからなかった。
「‘火’にはひとつひとつ違うイメージがある」と言われても、頭でわかっているようで、全然。
既に何度もステージにのった曲ならば、解説のひとつやふたつ楽譜やCDに載る。
「初演」のつらさは、そこにある。

そして目にしたのが中日新聞の三善先生の寄稿だったわけで。

そこで初めて、三善先生にとっての「火」はもっぱら戦火なのだとわかってきた。
9.11の火であり、東京大空襲の火であり、原爆の業火であり、目の前で友を殺した機銃掃射の火であると。

いったいどれだけ三善先生の想いを我々は伝えられるのか、と、ホントに怖くなった。
打ち上げでは満足そうでいらっしゃったので・・・よかった・・・の・・かな?

とはいえ、あまりに音を取るのが難しい箇所に「ごめんね〜、こんなに難しくして」な〜んて言われた三善先生、
とってもおちゃめでかわゆかったです。




  【本番直前一週間】

オケにとってもタイヘンな難曲だったようで。
でも、我々が他のパートにつられても、オケは全然平気。
岩城マエストロともども、現代曲にしっかり慣れていらっしゃる。

作曲者三善先生との指示の差が大きく出たのは、曲の途中に何度も入る語り。
三善先生はあくまで自然な「語り」であるように、リズムを刻むような風にはしてほしくなかったようです。
が、岩城マエストロはテンポ,リズムを正確に守るように、と指示。
「しゃべるんだったら合唱団じゃなくて、劇団員を雇った方がいい」と言う事で。
無機質に語る方が、かえって聴く人をどきっとさせる場合があるのだな、と、感心したものです。


また今回、岩城氏からいろんなエピソードを聴けて、実に楽しかったのでした。
既に日記でも書いた事だが、現代曲につきものの変拍子の取り方。

例えば5拍子なら「1・2・3・1・2」と口でいったりするが、3だけどうしても遅くなるか速くなるで正確に取れない。
「そこで、伴淳風にア・ジャ・パ・ア・ジャと言うと正確に取れると発見した。」そうで。
‘伴淳’って、どれだけの方、わかるかな?(私は話だけ・・)

そしてテンポの話。
古典派時代ならぬちゃんと生きてそこにいる作曲家の指定したテンポを守るために、
必ずメトロノームで確かめて練習に臨んでいらっしゃった。
合唱だけで練習していた時といささか違っており、それによって印象も違ってきて、おおっと思ったものだ。

それで岩城マエストロは「絶対音感ならぬ絶対テンポ感を持つ指揮者」と言われているそうだが、
ご本人は「必ず確かめているからであって、人間のテンポ感は絶対信用してはいけない」とおっしゃる。
その後に続いた話・・・
「電動ハブラシはきっちり2分、ト○レシャワーは必ず1分、5分を時計を見ずに当てると、狂いは1・2秒・・・」
岩城氏は‘絶対速度マニア’である事は間違いないようだ。

本番直前でさえ飛び出しが多い、しばらく間があった次が出られないなどの事故だらけで、
落ち込んだ気持ちで練習に臨んでいる合唱団員は、岩城マエストロのお話で結構ほぐれた気分になった。



そして本番、録音・録画のためにページをめくるのでさえ気を配る緊張したステージ。
「火」さえ乗り切れば・・・・あとは何とでも。
(一番気を遣った出だしはなんとかなったが、いつも間違えない所で2カ所出損なう・・・・ガ〜ン)
「水」も「人間」も気合いを込めて歌えた・・・が、最後の最後にふかいふかい落とし穴が。
男声の「・・・ひとつの・・」が聞えてこない。遅れて入ったのでしかたなく女声はあわせたところ、
オケが一拍ひきのばしてくれて帳尻が合ったハズが、今度は児童が拍どおりに「・・問い」と入り、
続いて女声、一拍遅れて男声の一部が入り・・・「問い」はみごとに一拍ずつずれてしまった。
(これはホントは全部同時に入るのだ。)
イタタ。
そこだけ聴きたくないが、様になってずれていたらそれも面白いかな、っとも思ったり。


本番まであともう何日かあったら、もうすこし何とかなったような気もする。
(アルトの「水」のおわりのパートソロ、3つに分かれた真ん中の音を違って取っていた事がわかったのが
ナント3日前、修正してもしても感覚が直らない・・・)
う〜ん、
合唱団は本番前の集中練習で急激に成長する。
全力疾走していて、あれが限界。
もっと早い時期に集中して練習しておきたかったと反省。

 


「乾杯の歌」は「火」だった・・。 乾杯は「火・・・火」(マジ)

・・・・超ゴキゲンなマエストロでありました。




  ↓三善 晃先生と
  三善先生はずっと子ども達のために、丁寧に
  サインをなさっていました。ちょっと手を休めて
  撮影に応じて下さいました。

佐々木先生と

↑佐々木先生と
直前から児童合唱の指導にあたった佐々木先生は、
子ども達にも人気。
サインに花丸を添えていらっしゃいました。
三善先生と

今回は甥っ子も参加




  


数日後、部屋においてあったチラシを見て娘が「あ、この人や」と。
何事かと思えば、舞台待機でステージ裏にいたとき、近くにあったバイオリンケースに、
‘アヒルちゃん’がおり、持ち主が「ここで飼っているんだよ。」と告白したとか?!
(おそらく、1stバイオリンのS氏)
その場で音楽教室が始まり、「これはバイオリン、ちょっと大きいこれはビオラ。」と、
ビオラの方を(おそらくI氏)を連れていらっしゃったとか。
「楽器が大きくなると、弾く人の態度もデカくなるんだよ」
う〜ん、ちょっと怪しげな教室だったかもしれない。