「王家の紋章」パロ 1

                     
冬〜地の季節〜




「姫さま、もうお休みなさいませ。」

ヘンヘネトは侍女頭のメルティの声に我に返った。

同時に、部屋に火を燃やしているというのに、息が白く見える事に気が付いた。

粘土板の文字を読もうとしていて、風の音に意識をさらわれていたらしい。

「おそろしい風の音でございますわね。今夜も‘白いもの’が降りるのでしょうか。

さあ、暖かくしてお休みなさいませ。」

「・・・まだ、半分も読めてはいないわ。」

「根を詰めても読めるものでございますまい。明日、ムーラ殿にお聞きなさいませ。

またこの間のようにお風邪をひかれては、国のお父上、お母上に申し訳がたちません。」

ヘンヘネトが夜具に身をもぐりこませるのを見届けると、メルティが灯火を一つずつ落としていった。

「メルティ、ずいぶん着ぶくれしているのね。」

「ほほ、このような姿は国の親兄弟には見られたくはありませんわ。では、おやすみなさいませ。」

主人の少し笑った顔に安心した侍女は、退室していった。






エジプト王メンフィスと、王妃キャロルの第1王女であるヘンヘネトは、

イズミル王治世8年、ヒッタイト皇妃として嫁いできた。

彼女が14歳になったばかりの頃、ヒッタイトとの和議のあかしとして、突然話があがった。

母に似た快活な性格の娘を宿敵のもとに嫁がせる事に、ファラオは苛立ったが、

かれこれ10数年以上にもなるヒッタイトとのいざこざを収拾させるために、他に手は無かった。

若すぎる結婚に母である王妃は難色を示したが、

「12・13歳での結婚など、ごく普通の事」と大臣達から諭されれば、反論は無力だった。

父王にかわいがられて育ったヘンヘネトにとって、父とはあまり変わらない歳(いや、さらに年上)の

皇帝に嫁ぐ事は抵抗がなかった。

(歴代のファラオには、姉妹どころか自分の娘だって妃に迎えるのはめずらしくない事だ。)

「イズミル様は、実は王妃様にご執心でしたのよ。」という母の侍女頭のひそひそ話に、

14歳の少女はかえって胸をときめかせた。



「父上、母上、わたくしは立派にオリエントの平和の礎となれるよう、務めます。

弟メンカウラー、妹ケメシトも健やかに育っております。ご心配には及びません。」

聡明な娘が頬を紅潮させて宣言しては、両親は承諾するより他は無かった。



出立の朝、訪ねてきた母が、愛娘を抱きしめながら言った。

「ヘンヘネト・・・ヘレン、わたくしの願いは、あなたが‘平和の礎’となる事ではありません。

あなたが、ひとりの女性として幸せになってほしい・・・それだけなのですよ。

愛されるより、愛する事、

受け入れられなかったら、相手の気持ちを思いやる事を忘れないで。

あなたが幸せならば、国事など、後からいやでもついてきます。」

思い詰めたような母の表情が、今から嫁ごうとする娘には、別れの悲しさとしか受け取れなかった。

「お母様、心配なさらないで。ヘレンはお母様のように、必ずやりっぱな皇妃になります。

ヒッタイトの言葉と文字を覚えたら、お母様にそれでお便りを出しますわ。楽しみにしていて下さいませ。」



花嫁がヒッタイトの首都ハットウサに着いたのは、火のように暑い季節が終わった頃だった。

初めて皇帝イズミルにまみえた時の事が、 ヘンヘネトにとって最初のつらい思い出だった。

すらりと背が高く、美しい方・・・

謁見の間に通されるとすぐ、どの方が王かはっきりとわかった。

あいさつを終え皇帝と目が合った時、イズミルはうろたえたような表情を浮かべ、一瞬目をそらした。

いきなり、ほほをはたかれたような気がした。

・・・自分の顔が引きつったのを隠すのがせいいっぱいだった。

「遠路はるばる、さぞつらい思いをなさった事であろう。婚儀の日までゆっくり休まれよ。」

という、皇帝のねぎらいの言葉がうつろに聞こえた。


    わたくしはやはりただの人質でしかないのだろうか?

    イズミル様の、あの目は何だったのだろう?

    ・・・この黒髪のせい?この黒い目のせい?


・・・イズミル様は、実は王妃様にご執心でしたのよ・・・

ヘンヘネトの胸にわいた疑念は、婚儀の夜、確信となった。

嫁ぐ事が決まってから、母や乳母やらが、毎日のように‘花嫁の心得’を ‘作法’を説いたものだから、

ヘンネヘトはそれなりの覚悟を持って、その夜を迎えていた。

だが、月が中天に達する頃になっても、王は渡ってはこなかった。


    夜伽もできぬ子ども扱いをされたのであろうか。

    それとも、王はまだお母様の事を・・・。


そして空が白みはじめる頃、昼間の疲れと緊張が極限に達し、糸が切れるように倒れてしまっていた。



あれ以来、王との会話も形だけのもの。

皇妃である立場上、議会で意見を求められるが、前もって伝えられた通りに話すだけだった。

形だけの皇妃に、エジプトからの侍女以外、すべて軽く扱われているように思う。

うわべは丁重に遇されているようでも、目でわかる。

「お前はただの人質だ」と・・・!

いや、認めるわけにはいかない!自分は大エジプトの王女なのだ。

勇猛なメンフィス王の、そしてナイルの娘と謳われた王妃キャロルの第1王女なのだ。

父王に似た美しい黒髪、黒曜石の瞳、美しい顔立ち、

母王妃に似た明るく優しい気質は、弟と妹たちだけでなく、家臣達の信望も集めていたのだ。

ヘンヘネトは務めて快活に振る舞おうとした。

が、あらゆる生活習慣の違い,作法の違いが彼女の神経を傷みつける。

なかでも、王が幼少の頃より仕える女官長ムーラの厳しさは、(母に聞いていたとはいえ)

ヘンヘネトがいまだかつて体験していないものだった。

いったいこの人は、何を楽しみで生きているのだろう・・・と、

故郷で同じ立場にいたナフテラの事を思い出しながら考える。

そして女官長と自分の侍女達の確執も、彼女の悩みのひとつであった。


そして、冬の寒さー。

木の葉が色づき、やがて空に舞い始めるまでは、めずらしさで毎日飽かずに外を眺めていたものだった。

だが、おそろしい音で冷たい風が吹き荒れ、雪が舞い降りるようになると、

いくら夜の砂漠の寒さを知るエジプト人とはいえ、その寒さには耐えられなかった。

侍女達がひとり,ふたりと体調を崩していくと、ヘンヘネトの忍耐も続かなくなっていった。

熱を出して3日間寝込んだ後、彼女から微笑みが消えていた。

4日目に見舞いに訪れた王もまた、彼女の顔を無表情で眺めていた。


ヘンヘネトの幼い時から側に仕えるメルティは、彼女の表情がひましに暗くなってゆく事をひどく心配した。

故国にこちらの様子を伝えるべきか悩んでいたが、

エジプト王妃からの書簡が届いた頃から主人の様子は落ち着き、忠実な侍女頭はひとまずほっとした。






『そうだ、明日もう一度ムーラのところへ行って聞いてみよう。

だいたいの意味がわかれば、どの言葉がどの読みか、少しは考えられるわ・・・。』

すこし暖かくなってきた夜具の中で、丸めていた体をちょっと伸ばしてみる。

『他に何か持っていけるものは無いかしら?

ナツメヤシのハチミツ漬けだったら、ムーラは大丈夫かしら・・・』

風の音が遠くなっていく・・・・やがてヘンヘネトは眠りについた。



   
 




オリジナルな人物がメインのお話を初めて書いたような・・・。
キャロルとメンフィスの娘が、見た目メンフィス似だったら・・・のお話。
聞くところによると、黒髪の方が金髪より遺伝では優位だとか。
つまらんお話ですが、
あと2回くらいで完結ですので、おつきあいして下さるとうれしいな。

古代エジプトの生活については山ほど本がありますが、ヒッタイトについては皆目わかりません。
ついつい「天は赤い河のほとり」の背景が頭に浮かびます。まあ、許してやって下さい。

ものの本によると、古代エジプトのどの王朝の王女も、身代わりとなる美女も、
ひとりたりとて他国に嫁いではいないそうです。

それだけエジプト王国の誇りが高かったのですね。
(「ナイルに生きる人びと」 山川出版社)

でも、それではこのお話は成立しません(爆)。
それどころか、アイシス姐さんのエピソードも成立しなくなります。
だいたい死亡率が高いこの時代、王家の血統を護るためにも、
ただひとりの王女を他国に嫁がせる、なんて愚行は許されるはずがないのです。
だから、目をつむってください。(爆)

エジプト王の沽券にかかわる、という事もあるのですが、
それ以外の理由の方が大きかったりして。
ナイルのほとりに生まれた古代人はすべて、死んだら適切な処置を受け
(つまり、ミイラにしてもらって)
しかるべき儀式を受けて埋葬される事を望むのです。
でないと、来世での幸福な生活が約束されないのです。
戦死したファラオの遺骸も、ちゃんと持ち帰ってミイラにしていますものね。

となると、きゃろるちゃん救出のために異国で死んだ兵士達、
よほどの忠誠心&覚悟であった、とみなされるべきでしょう。
この世での生どころか、
来世の幸福も投げうっているのですから。