ウサギの瞳

昨日、幼馴染の慎に彼女ができたと自慢された。可愛くて、優しくて、凄くいい子。しまいには「オマエも早く彼氏の一人や二人作れ」とまで言われた。余計な御世話だ。人の気も知らないで。次の日、外にでたら丁度慎が歩いていた。

「よぉ、響香。目ぇ真っ赤だけど徹夜でもしたのか」
「いや、ちゃんと寝たよ。七時間半睡眠。熟睡」
普通の顔を作る。ポーカーフェイスが得意だと友達にはよく言われるけれど、慎相手だと通じる気がしない。
「まぁそんなこったろうとは思ったけどな。オマエは睡眠時間だけは削らないだろうよ。まさか泣き明かしたのかと思ってちょっと心配しただけさ」
変なところで鋭いのはやめて欲しい。ポーカーフェイスが崩れそうになる。ここで泣き出すわけには行かない。声を震わせるわけにもいかない。難しい注文だ。
「心配してくれたの? らしくない」
そっけない口調で言い返す。これで今は精一杯。
「心配したさ。そんなことがあったら世も末だなぁ、ってな」
慎が肩をすくめておどけて見せる。人も気も知らないで何を言うんだ。いや、知られても凄く困るけど。とりあえず溜息をついて半眼になる。
「馬鹿。……慎に心配されるなんて、あたしも落ちたものだわ」
空を仰いで大仰に言ってみる。声は、震えなかっただろうか。言葉の通りに聞こえただろうか。間違っても、気にされてることがちょっと嬉しかったなんて気付かれてはいけない。
「そりゃそんなウサギみたいな目で来られた日にゃそれに触れないわけにも行くまい」
苦笑を浮かべる気配。まっすぐに慎の顔が見れない。
「ウサギねぇ……そんなに目立つ?」
気付かれないわけは無いとは思っていたけれど。友達に指摘されるだろうなとは思ったけれど。まさか慎に気付かれるとは。不覚。
「気をつけてみてれば、気になるくらいかね」
「……そっか」
じゃあ、気をつけてみてたんだ。気をつけてみるのは彼女の顔くらいにしておいてよ。変に人を期待させないで。

小さく、溜息をつく。
昔から、変なところには聡いくせにこういう話は鈍いんだ。せめて人並みには気付いてよね。そうしたら、こんな風にあたしがウサギみたいな目になることもなかったのに。まぁ、無理なこといってるとは思うけど。

「ウサギってさぁ」
何気なく言葉が滑り落ちる。意識せずに唇から洩れる。
「ウサギがどした?」
聞き零さずに合いの手を入れてくる。……あたしは何がいいたかったんだろう? ちょっと考えながら言葉を繋ぐ。
「ウサギってさぁ、寂しいと死んじゃうんだってさ。それくらい寂しがりなんだって」
「……ほぅ。難儀な生き物だな」
「でさ、一人で寂しくて、ずっと泣き続けてたら目が赤くなっちゃったんだってさ」
「……なんか聞いたことある気もするが、それは本当にそうなのか?」
「知らない」
「……まぁいいや。で? 寂しいのかオマエは」

寂しいよ。
とっさに言いそうになって言葉を飲み込む。
慎に彼女ができちゃって、もう今みたいに話せなくなることが寂しい。好きだと伝えられずに終わってしまった恋心が寂しい。慎の隣にいるのが、あたしじゃないことが寂しい。

寂しがり屋のウサギ。私は、そんなに寂しがり屋だった?

「さーねー」
泣きそうになるのを堪えて、無理やり笑みを浮かべようとする。これは、ばれたかもしれない。
「まぁ寂しくなったら俺がいつでも遊んでやるからよ。こう、色々と」
手をわきわきさせながら慎が茶化す。気付かなかったかな。気付かなかった振りをしてるのかな。……気付きたくないのかな。
「ばーか。そういうのは彼女と仲良くやってなさいよ」
何とか泣き笑いを苦笑に変える。多分、これは苦笑に見えるはず。ちらりと慎を窺うと、はっはっは、とか笑ってた。……馬鹿。
「まぁそれはそれとしてだな。……冗談はともかくとしても相談に乗るだけは乗るからな。話聞くしかできんけど」
照れたのか、どこか遠くを見ながらぶっきらぼうに言う。
いつも馬鹿みたいにふざけてるけれど、ふとした時に優しい。そういうところが、好き。……好きだった。忘れなくちゃいけない。もう、恋心を殺さなくちゃいけない。もう彼女ができてしまったから。慎が優しいのは、あたしが幼馴染だから。期待をしちゃいけない。
「……ありがと」
また、泣きそうになった。笑顔を作れない。ちょっと俯いて、肩をすくめる。慎から顔を隠すように。
「まぁそんな機会は永久に来ないだろうけどねー」
目をぎゅっと閉じる。涙が引くように。相談なんてできない。当たり前のことだ。
「なんだそれ」
無理やり笑顔をつくって、明るすぎず、暗すぎないトーンで茶化す。
「慎に相談するようになっちゃ、あたしもおしまいだってこと」
「オマエなぁ俺を何だと思って……まぁいいや」
ちゃんと隠せたかな。平気だって言う演技で。騙された? それとも、騙されてくれた?

「そう言えば昨日、こっちの担任がさ……」
他愛無い話題を振ってくる慎。これなら、大丈夫。多分、大丈夫。こういう話題なら、きっとあたしも泣きそうにはならない。笑っていられる。

ようやく学校につく。ちょっとだけほっとする。
「あぁ、だりぃなぁ。今日体育あるんだよな。めんどくせぇ」
「はっは。こっちなんて数学が二時間あるんだから。贅沢言わない」
「俺は数学の方がいい。体育とかわれ。俺のかわりに五キロ走れ」
「絶対ヤ」
「け。数学で指されやがれ」
普段と変わらない、やり取り。多分、ちゃんと笑えてる。

ここで笑顔で別れられたら、きっと大丈夫。今日一日、家に帰るまでは泣かないですむ、と思う。

なのに、別れ際突然頭をわしわしと撫でる慎。心臓が跳ね上がる。顔が紅潮するのを抑えられない。
「笑ってりゃ誰もきづかねぇよ、そのウサギの目」
平静を装えない。何とか一言だけ、返す。
「……誰がウサギよ」
「誰だかな。じゃーな」
肩越しに手を振って慎が歩き去った。それを見届けてから、あたしは速攻で女子トイレに駆け込んだ。あんまり風情は無いけれどそんなことに構ってはいられない。個室に入った途端涙が両目から止まらなくなる。声を立てないように細心の注意を払って、吐息だけで泣く。涙は暫く止まらない。ほかに泣き場所を作った方がいいかもしれない。誰も来ない、特に慎が知らない場所。

寂しがり屋のウサギ。あたしはウサギじゃない。寂しくて死んでしまうことは、多分無い。だけど、やっぱりちょっと寂しいよ……慎。

HRまではあと二十分。なんとか泣き止めるか、ぎりぎり。仕方ないから今日一日はウサギの目で過ごそう。

女性バージョン。これもまた、想像。
うさぎは寂しいと死んでしまうって、どこが初出なんだかわかりません。

別視点→うさぎの瞳


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