古典の再版ラッシュの分析:二〇〇六年度「このミステリがすごい」を中心に


 古典とは純文学では、明治以前のものを指す場合が多い。しかしここで言う古典とは、新人に影響を与えた作家を指すものとする。例えばエラリイ・クイーンは一般文壇では現代作家として扱われるが、本稿では古典に分類する。
 さて、二〇〇六年版の推理小説専門誌「このミステリがすごい」(宝島社,2006/12,p145[1])には足立忍のコメントとして「旧作の翻訳ラッシュ」という言葉が見られる。その証拠にE・W・ホーナングや、ドロシー・L・セイヤーズの翻訳が目についた。([1]p179-181)
 このことからして、海外古典の再版が相次いでいることが解る。
 また、このことは日本の古典にも当てはまる。「一九四七年に「不思議の国の犯罪」でデビューした([2]p9)」、天城一が二〇〇五年度の三位にランクインしており、また二〇〇六年でも同著者の『島木警部のアリバイ事件簿』が八位にランクインしているのである。
 つまり近年、古典の再版が相次いでいるのである。  さてこの原因を考えてみよう。一つはポスト本格派の見直しがある。ポスト本格派とはN・M卿の造語で「戦後の混乱期で日本にあまり紹介されなかった作家で」ある[3]。その一例として、ナイオ・マーシュやマイケル・イネスなどが上がっている。
 確かにマイケル・イネス「ストップ・プレス」やナイオ・マーシュ「アレン警部登場」などが新訳として出ている。しかしこれだけの理由ではハード・ボイルドの古典、エド・マクベインや、本格派の古典、セイヤーズの新訳が出ていることが説明しにくい。実はポスト本格よりも黄金期以前の作家の翻訳が圧倒的に多いのである。また国書刊行会からは黎明期の作家、エミール・ガボリオ「ルルージュ事件」が出るようである。黎明期の作家は明治時代に黒岩涙香らによって訳されている[4]。
 第二の反論としてなぜ今更、古典作品を翻訳する必要があるのか、というものが挙げられる。仮にナイオ・マーシュなどのポスト本格時代の見直しだとしても、混乱期を乗り越えた七〇年代、八〇年代に見直せばよかったのではないか。
 この旧作ラッシュの背景には推理小説の不振という理由があるのではなかろうか。「ミステリーが売れなくなってしまっ」([1]p75)た結果、翻訳ものに依存せざるをえなくなってしまったのである。
 では海外の新人作家のみでもいいのではないか、という疑問が残る。しかし時代に淘汰されていない作家は真価が解らない。そこで時代によって品質が保証された古典作家を選んだのではないか。また[1]p71にあるように「古典を読む読者の育成」という使命感もあるかもしれない。
 つまり再版ラッシュの裏側にはミステリの衰退が見えているのである。