童謡に見るミステリ性


 童謡とミステリの関係は非常に深い。例えばアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」ではマザー・グースに見立てて殺人が行われる。しかし、僕がこの文の中で語ろうとしているのは、そのようなありふれたことではなく歌詞そのものがミステリになっている童謡の事だ。
 その例として童謡「山口さんちのつとむくん」を挙げる事にしよう。歌詞は以下の通りである。

みなみらんぼう作詞・作曲

1.山口さんちの ツトム君
このごろ少し変よ どうしたのかナ
広場で遊ぼって 言っても
絵本を見せるって 言っても
いつも答えは同じ「あとで」
つまんないナァ

2.山口さんちの ツトム君
このごろ少し変よ どうしたのかナ
大事にしていた 三輪車
お庭で雨に ぬれていた
けさは元気になったかな「おはよう」
返事がない

3.山口さんちの ツトム君
田舎に行ってたママが 帰ってきたら
たちまち元気に なっちゃって
田舎のおみやげ 持ってきた
つんだばかりのイチゴ チョッピリ
すっぱいね

 まずそれについて語る前にミステリの定義からしなければいけない。ここで江戸川乱歩の定義「主として犯罪に関する秘密が、徐々に論理的に解かれていく過程の面白さを楽しむ文学」に基づく事にする。
 この歌詞は一番でいくら誘っても断るツトム君の奇妙な行動が描かれている。二番でも同様に大事にしていた三輪車が庭で雨に濡れているのに放っておくという奇妙な行動が掛かれている。これは明らかに「謎」であり、ミステリを構成するのに必要な要素だ。三番の歌詞を見ると、田舎に言っていた母親がいなくて寂しかったことが解る。ここで筋が通った解決が示されるわけである。
 しかしここで疑問が残る。江戸川乱歩の定義によると「犯罪」の要素が含まれていなくてはならないことになる。しかし、1988年に北村薫の「空飛ぶ馬」を発端として加納朋子、青井夏海などが日常的な謎にスポットを当てた日常派というジャンルが登場している。
 つまり「山口さんちのツトム君」はミステリ性を含んだ童謡と言えよう。

参考文献
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