最近の名探偵コナンにおける考察


 今や総売上が一億冊突破した、探偵アニメ「名探偵コナン」だが最近になって、その傾向が少しずつ変化しているように思う。どう変化しているか。それは「アンフェア」になりつつある、ということだ。
 例えば、40巻に収録されている「博士の初恋」から「初恋・再開・別れ」までを見てみよう。あれは暗号に属する作品であるが、英語の動物の鳴き声を知らないと解けないものであり、特殊な知識を要するものである。しかし、中には義務教育過程で英語は習うものであり、フェアであるという反論もあるかもしれない。しかし、中学で習う英単語の量・質は日常会話で話せる程度であり、教師が余談で取り上げる以外は知る術がないのだ。ではどうしたら好いのだろうか。簡単な事だ。どこかにさり気なしに織り混ぜておけば好い。
 しかし、このようなアンフェアな事件がある一方、同巻収録の「疑惑のカレーライス」から「声が出ない・・・」までの作品は特別な知識も不要であり、フェアな勝負をしているのだ。
 本格推理小説というものは「知識の有無」で勝負するのではなく完全に「論理的思考」で勝負するものだと僕は考える。知識のみの勝負ならば作者、つまり探偵の方が有利に決まっているだろう。
 第一巻の沖野ヨーコ宅で起こった事件でこの作品はフェアな勝負をすると宣言しているようなものである。しかし、そういった暗黙の宣言をしておきながら「特殊な知識」を用いたものは、真面目に解こうと思っている読者にとって失礼に当たらないだろうか。誰だかの言葉ではないがこれではサッカーの試合中に審判が、アメフトのルールに変えるようなものである。
 フェア路線で行くのなら、フェア路線でずっと書いてほしいし、アンフェア路線で行くのなら完全にアンフェア路線に切り替えてほしいものだ。