ミステリの映像化における問題点
以前、創造部と言う僕の入っている大学のサークルで「映画について」というお題が出た事がある。その時書いた、僕のコラムを少し補足してこの問題を考えてみる。
さて、小説が映像化された時、一般的に詰まらなくなると言われている。これは僕の加入しているメーリング・リスト「このミステリはすごい」でも話題に登った話である。また、以前放映された赤川次郎の作品は原作とは著しく掛け離れていた、という話が早川氏を始めとする数人から聞かれた。
では、その理由を考えてみる。人気俳優を起用しなければ、またスポンサーの意向を重視しなければ番組が制作不可能となる。西村京太郎氏や山村美砂女史のドラマが「観光案内」を醸し出しているのはJRがスポンサーであるから、という側面もあるように思われる。また「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」が高い視聴率を得たのも各界の有名人(例えば、明石家さんま氏など)を犯人役にしたから、という面もあるかと予想される。その証拠に同じ倒叙ミステリでも、フリーマンは我が国では余り知られていない。
しかし、一方でミステリの映像化に成功した作品もある。例えば堂本剛氏とともさかりえ氏主演のドラマ「金田一少年の事件簿(以下、金田一少年)」がその代表例である。他にもジェレミー・ブレット氏主演の「シャーロック・ホームズの冒険(以下、ホームズ)」は熱烈なホームズファンの間でも人気が高い。
その理由としては両者ともに「原作に忠実である事」が挙げられる。ホームズの方は多少、時代錯誤や原作と違う場面はあるものの十八世紀、英国の世界観を崩すことなく再現されている。変わっている場面は、赤毛連盟にモリアーティが出てくる所等があげられるのだが、これはホームズ研究者の間でもあの計画には彼が関わっているのではないか、という説もある。従って、この変更は正しい選択だと言える。しかもBGMはホームズの特技でもあるバイオリンを基調としているために、「ホームズらしさ」が出ている。
一方、「金田一少年」の方も普段はのんびりとした金田一一が事件に一見出くわすと目付きが変わる様子が見事に描かれている。
やはり、映像化する時は「原作を越える」精神で取り組まないといけないように思う。そうでなければ原作者に失礼であるし、楽しみにしているファンに失礼である。