数学的ものの見方と推理小説
推理小説には数多くの数学の話が登場する。その中で最も有名な例はコナン・ドイル作の「最後の事件」、「恐怖の谷」に出てくるモリアーティ教授が二項定理についての論文を書いた、という物だ。他にも横溝正史のある作品には「a=b,b=c ∴a=c」という代数の公理が登場している。
しかし、推理小説を読むに当たって本当に必要なのは数学の知識などではなく、数学的なものの見方である。一見、同じように聞こえるが、両者は違う。数学の試験で公式をそのまま覚える人は数学で好い点は取れるかもしれないが、数学的な考え方が出来ていない。しかし、一個の公式を覚えただけで他の全ての公式が数分で関連付けられ、一個の公式を覚えるのみであとは覚えなくても証明すれば好いという人は数学的なものの見方が出来ている人だ。
注意して頂きたいのは公式の丸暗記を否定している訳ではない。僕が言いたいのは、推理小説で要求されるのは後者の方だと言う事である。つまり言葉を変えれば、分析能力と洞察力が必要とされると言う事である。
例えばこんな問題を考えてみよう。
>天使、悪魔、人間がいる。天使は真実しか言わないし、悪魔は嘘しか言わない。また人間は嘘の事を言
>う時もあれば、本当の事を言う時もある。
>「私は悪魔だ」
>「私は天使だ」
> さてこの中に人間はいる?
これが一回読んだだけで解ける人は数学的なものの考え方が出来ている人だろう。数学の難しい方程式や微積分の話など登場しないが数学なのだ。
しかし推理小説となるとそれが一段と難しい。エラリイ・クイーン、有栖川有栖の「月光ゲーム」などは全ての手掛かりを提示した上で読者に謎を解かせるタイプなのだが、言葉がありすぎて・・・小説だから当然なのだが・・・どれが本当に必要な情報か解らなくなってしまう。その中から本当に必要な情報を探し出し、矛盾のないように組み立てる、それが数学的ものの考え方であり、推理小説を読む上で必要とされている事だと僕は思う。
参考文献
- 有栖川有栖「月光ゲーム Yの悲劇'88」創元推理文庫
- コナン・ドイル「恐怖の谷」偕成社
- エラリイ・クイーン「アメリカ銃の秘密」ハヤカワ・ミステリ
- エラリイ・クイーン「ローマ帽子の秘密」ハヤカワ・ミステリ
- エラリイ・クイーン「スペイン岬の秘密」ハヤカワ・ミステリ
- 横溝正史「夜歩く」角川書店
- 教研出版「高等学校 数学I」
- 教研出版「高等学校 数学II」
- 教研出版「高等学校 数学A」
- 教研出版「高等学校 数学B」