ロナルド・ノックスの探偵小説十戒」及び「ヴァン・ダインの二十則」に対する反例
皆さんはロナルド・ノックスの記した「探偵小説十戒」、そしてヴァン・ダインの「二十則」を御存じだろうか?(解らない方は「風読人」/遵守則をご参照の事)
探偵小説十戒(「1928年度傑作探偵小説集序文」より)
(1)犯人は小説の初めから登場している人物でなくてはならない。又、読者が疑うことの出来ないような人物が犯人であってはならない。(例、物語の記述者が犯人)
アガサ・クリスティーの「アクロイド殺害事件」などはその典型だし(但し、女史は大切な部分を削除してしまったためフェアか、アンフェアなのか疑問が残る)、横溝正史の「夜歩く」は記述者が犯人でも立派に本格派として成り立っている。
(5)中華人を登場せしめてはいけない。(西洋人には中華人は何となく超自然、超合理な感じを与えるからであろう)
1928年当時は中国人、朝鮮人に対する差別。偏見などもあっただろうが、今ではそのような差別意識はないだろう。従って、中国人を登場させてもいいのではないだろうか?
実際、ぼくの後輩も中国人が探偵役の(厳密に言うと、中国人と日本人の混血なのだが)物語を書いている。
二十則(「1928年度9月号アメリカン・マガジン」より)
(3)物語に恋愛的な興味を添えてはならない。
ドロシィ・セイヤーズの一連の物語、横溝正史の「八つ墓村」、名探偵コナン、そして金田一少年の事件簿・・・、恋愛と併合した探偵小説は数多く見られる。
(7)推理小説には死体が絶対に必要である。
殺人以外でも、充分推理には対応出来るだろう。例えばチェスタートンの「青い十字架」は盗難事件であるし、同著「古書の呪い」は密室での失踪事件である。
(12)いかに多くの殺人が犯されるにしても、犯人はただひとりだけでなくてはならない。
かの「オリエント急行殺人事件」は犯人は探偵役、駅員、そして被害者以外全て犯人である。にも関わらずフェアな勝負である。
(16)推理小説には、長たらしい叙景の章節、わき道にそれた問題についての文学的饒舌、精緻をきわめた性格分析、≪雰囲気≫の過重視があってはならない。
推理するには死体の描写、犯行時の目撃情報、部屋の様子が事細かに記されなければいけない。また、一見何の変哲もない情景描写が事件を解く重要なヒントななりうるから。もしくは情景描写を入れる事で読者を混乱させるよいスパイスとなるから入れた方がよい。