モザイクのLove Maze 〜仮面の狂宴 4 〜
魔界には珍しく、霧の立ち込んだ朝だった。
視界は悪いが、けっこう清々しい。が、滅多に飲まない酒を飲み過ぎ、三日酔いに突入しているライデンにとって、そんなことはどうでも良かった。
首の後ろをトントン叩いて、呻きながら空を見上げる。
霧のせいで黄金月も隠れ、少し薄暗かった。
「あぁ・・・もう、あんなに飲まなきゃよかった・・・。ルークの野郎・・・俺のリバースの早さ知ってるくせに・・・。」
ブツブツと文句を言いながら雷神大使館の門を出た。
正式に言えば、雷神界と魔界はあまり関係ないと言えば関係ないので、大使館も宮殿のある魔都とは結構離れた場所にある。
いつもなら面倒なので、瞬間移動を使うのだが、二日酔いならぬ三日酔いのため、そんな気力は全くなかった。
仕方なく、森を抜けることにする。
「たまには散歩もいいか・・・。」
何となく自分に言い聞かせるように、【DEMON’s
Forestt】へ入っていった。
瞬間、空気の匂いが変わる。
厳密には悪魔ではないライデン達、いわゆる精霊種の者には、下手に薬だのを打つよりも、こういった自然のものが一番よく効く。一気に体内のアルコールが吹き飛んでいくようだった。
「しばらくしたら、飛べるようになるかな?」
ライデンはテクテクと歩いていった。
その時・・・・
「・・・?冷てぇ・・・。」
ポタリと朝露が頬に落ちてくる。
手の甲で露を拭い、何とはなしにそれを見た。
「!」
声にもならないものが電流のように全身を走った。
「うあ・・・うわ・・・あ・・・・。」
言葉にならない。見なければいいものを、ライデンは、無意識のうちにその露が落ちてきた方向を見上げていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
狂ったような悲鳴がライデンの細い身体を突き抜けていった。
それほど、彼が見たものは衝撃的、且つ、信じられないものだった。
遙か上空、大木の幹に、まるで張り付けにされたかのように誰かが垂れ下がっていた。
黄金の髪が、流れていく朝の風に乗って、微かに揺れている。そして、着ている白い戦闘服にはイヤなくらい見覚えがありすぎていた。
彼を支えているのは胴体に深々と突き刺さっている杭、そして辛うじて両手が引っかかっている枝だけである。
「デーモン!」
酔いも一気に醒め、ライデンはそのまま上空のデーモンの元に飛んだ。
戦闘服を染め上げた血も既に乾き、首をがっくりと落としていた。顔にかかる黄金髪も、いつもは彼を飾る極上の宝飾品だが、今はその輝きこそ、この状況をいっそう気味悪くさせている最悪のオプションだった。
「デーモン!デーモン!」
頬を叩く。当たり前のように反応はない。
死・・・ライデンはその不吉な言葉を頭から払い去った。
永遠の命を持っている悪魔とはいえ、限度があり、器の限界がきたら、魂は離れ、やがて消滅していく。
「・・・息は・・・ある・・・か。」
とりあえずライデンはデーモンを担ぎ、地上に降りた。
「デーモン・・・。」
ライデンは人形のようになった血まみれの悪魔を担いだまま、魔都へと消えた。
結局、昨夜は情報局へは帰らず、屋敷でゆっくりくつろいだエースは、昼近くになってやっと宮廷に入った。
相変わらず騒がしい。
元々そんな騒がしさには我、関知せずのエースは真っ直ぐ長官室へと足を向けようとした。
「エース!」
突然、背後から声をかけられ、面倒くさそうに振り向いた。そこには、銀の髪をたなびかせ、ダミアンが尋常ではない様子でエースのほうを見つめていた。
「・・・で、殿下?どうなさったのですか?」
あまりのことにエースも驚く。
「・・・急いで参謀部へ行ってくれ。反逆者が分かった。」
「・・・え?」
思わず口を半開きで返事する。
「・・・でも、そんな情報でしたら、もう情報局にも入ってるはず、参謀部に行かずとも・・・。」
ダミアンは流麗な眉をキッ・・・と上げた。
「いいから早く行くんだ!」
低く呟くと、踵を返して執務室へ消えていった。
「・・・何だ・・・?」
何が何だか分からないが、とりあえず参謀部の方へ行ってみることにした。
コンコンッ・・・ノックをするが、返事はない。
鍵は掛かっておらず、少し迷ったが、エースは扉を開けた。
ムッとするような血の匂い。
いつものハーブティーの爽やかな香りが見事に掻き消されている。
まさか参謀部にまでスパイ・・・!
エースは急いで奥の部屋の扉を開けた。
そこには・・・。
「あ、エース。」
ゼノンがまず振り向く。ライデンはその隣で一心にルークの様子を見つめていた。全くエースに気付いてないようだ。
「どうしたんだ?ゼノン・・・。」
その問いかけ自体には答えず、ゼノンは無言のまま、その場から離れた。
「・・・!」
ゼノンが退いた後に現れた映像に、思わず息を呑む。
引き裂かれた戦闘服、その中央に位置する血溜まり。全く血の気を失い、ソファーベッドに横たわった姿。紛れもなくデーモンだった。
「ど、どういうことだ?」
どうにかそれだけの言葉を紡ぎ出す。
「さぁ・・・ただ、力でやられてるね。相手は天界の者。それもかなりの使い手と見たけど。普通の奴だったらとっくに消滅している。デーモンだから持ってるようなもんさ。・・・そのおかげで相手が特定できたけど。」
悪魔は死ぬと、その細胞は崩れ、塵と化し、跡形もなく消え去ってしまう。その時、同時に抹殺した相手の力から感じ取れる僅かな匂いも消えてしまうのだ。が、消滅できなかった場合、それが手掛かりになる。
「デーモンの力を甘く見たんだ。・・これがその手掛かりだ。」
ルークの手がエースの手を掴み、傷口に翳した。エースは何かを感じ取ると、信じられない顔で三名を見る。
「お前がよく知っている奴さ。飼い犬に噛まれたな。」
そう言い放つと、ルークは水晶の瞳をキラリと光らせ、エースを睨んだ。
それに答えることなく、エースの視線はゆっくりとデーモンの顔へ向けられた。
ごく自然に、エースの右手は黄金髪を撫でていた。指と指の間から極上の絹糸がこぼれ落ちる。
デーモンの口端に残った血の跡を拭ってやった。
そのままエースは部屋を後にした。
参謀部を出ると、丁度向かい側の壁に背をもたれ、腕組みをしてこちらを見ているフォーレルがいた。
「エース長官、デーモン閣下のご容体は?」
白々しく尋ねてくる。
「さぁ・・・俺の知ったことではない。とりあえず生きてはいるが・・・。」
「そうですか・・・では、行きましょうか。」
エースは、フォーレルの後ろに潜む影を見逃さなかった。フォーレルは上級天使特有の感情を読ませない微笑みを浮かべ、消えた。
もちろんエースも後を追った。
「今回の私の命は最終的に貴方を抹殺することでした。エース長官。」
森の上空を飛びながら、振り向かずにフォーレルは呟いた。沈黙のままエースも続いていた。
「私は遙か昔、大罪を犯し、何千年も閉じこめられていました。そして今回、大天使ミハエル様が私に罪を償えとこの命令を出されたのです。」
フォーレルは体勢を立て直し、真っ直ぐエースと向き合った。
「で?その話と、俺をこんな所に呼び出す理由と何か関係あるのか?」
「ありません。が、私は罪を償うことが出来ません。なぜなら・・・。」
フォーレルの両腕がエースを包み込む。軍服に頬を擦り寄せた。
「私は貴方を愛してしまった。」
そんな告白にも、全く無表情のままエースは凍りつくような視線ををフォーレルに向けた。
「俺はお前なんぞ愛してなどいない。」
「知っています。」
淡々と返事する。
二名はそのまま地上へ降りた。
「私と共に天界へ来ませんか?悪魔という名を捨て、もう一度、天界で生まれ変わるのです。私のことを愛して頂かなくてもいい。ただ、貴方と共にいたい。それだけ・・・。」
そう言い放つと、フォーレルはきつくエースの身体を抱きしめた。
「・・・そうして俺を天界に連れて行こうと、俺を抹殺しようとこいつは本当に自由になれるのか?え?ミハエルよ。」
びくっ・・・としてフォーレルの身体はエースから離れた。
『気付いていたのか?』
後ろの影がゆらりと揺らめく。
「当たり前だ。」
その瞬間、エースの鼻腔を刺す鉄の匂い。
エースは森を見上げた。ある木の幹に、まるでペンキをぶちまけたかのように真っ赤に染まっていた。僅かに残る、狂おしい独特の【彼の者】の香り。
ギュッとエースは拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、汗も滲む。
刹那、ソファーベッドの上で苦しいと一言も言わずに戦っている、【彼】の姿が脳裏を過ぎった。
「てめぇ・・・!」
低い声に、フォーレルは思わず顔を上げた。・・・それ以上動けない。地の底から響くような声。いつもは冷酷なルビーの瞳が血の気を帯びた、野獣のそれとなっていた。ふわぁ・・・と紅い炎のようなオーラがエースの背後で揺らめく。みるみるうちにそれは大きくなって、フォーレルの動きを禁じていった。
「うあ・・・!誰かぁ!」
助けを呼ぶように叫ぶ。・・・と、すぐ側に天界の者達が現れた。
「やっぱりな・・・俺を殺ったら、こいつは始末する予定だったのか・・・。死にたく無かったら下がってろ!」
「何を言うか!たった一名の悪魔で我々にかなうワケなかろう!一介の情報局長官の分際で!」
そう叫ぶと、エースのほうへ近づいてきた。
漆黒の髪が熱い炎の風に煽られて、空へ向けて舞い上がる。いつも後ろで髪を束ねていた細いリボンがプツリ・・・と切れた。
同時に、エースの後ろに、ゆらりと、黒い影が現れた。
「な、何だ?」
天界の者達がそれを凝視する。エースの影は今はっきりと形をとった。しなやかに伸びる胴体。四本の足がそれを支え、血に飢えたような紅蓮の瞳が見る者を魅了し、恐怖のどん底へ突き落とす。
エースは今まで握りしめていた両手を真横に伸ばし、掌を開いた。
ぼう・・・と火の玉が二つ出現した。
「貴様らぁ!よくも!」
エースの感情が暴走し、臨界点を突破した。
瞬間!
【DEMON’s Forestt】が巨大な炎に包まれた。
「お前!その影は・・・!」
天使達は驚愕の表情を隠せないまま、炎の結界に引きずり込まれた。
「馬鹿が・・・。」
エースは呟く。オーラを放ったままだが、髪と瞳は元に戻り、またいつもの情報局長官に戻っていた。『・・・そうか・・・』
エースは不意に聞こえた声に、上を向いた。
『またどこかで会おう。』
淡い光の影は上に向かって消えていった。
「何回来ても一緒だ。」
吐き捨てるように言うと、足下に落ちている軍帽を拾い上げようと腰を屈める・・・と、そこにはマネキンのように硬く、口らしきものを大きく開けた格好で、黒く燃え続けるフォーレルらしきものが映った。
が、全くの無視で、エースは炎の中へと魔都に向かって歩き始めた。
うっすらと明るい光が見える。もうそろそろ出口であろう。エースは歩を早めた。
少し進むと、人型が二つ並んで立っていた。
その正体にすぐ気付いて、エースは初めて口許に笑みを浮かべた。
「あ〜あ・・・。ダミアン殿下の顔が目に浮かぶ・・・せっかくの結界が壊れたって。」
「情報局の資料を盗んでったんだ。このくらいのリスクは覚悟の上だったろうよ。殿下も。」
全く悪びれない様子で言い放つエースに、ルークとライデンも笑う。
「ライデン、後は頼んだぞ。俺はダミアン殿下の所へお叱り受けに行ってくるから。」
ヒラヒラと手を振って、軍服のポケットに手を突っ込みながらエースは宮殿の方へ行ってしまった。
「あいよ!任せとけい!」
言うが早いか、ライデンは左手を胸付近まで上げ、水球を作った。右手でちょい、と球を弾く。
霧雨が森を包んだ。煙を上げながら鎮火していく。その様子を見ながら、はっとしたようにルークがエースに向かって叫んだ。
「エース!デーモンの意識が戻ったぞ!」
しかし、既にエースは宮殿に入り、扉を閉めんとしていた。
エースは、大広間を後回しで参謀部の方へ行った。
部屋にはゼノンがデーモンに付き添いながら、参謀部のコンピュータを使い、仕事をしていた。
「おや、エース。早かったね。ご苦労様・・・お茶がいい?それとも酒?」
「うん・・・いや、何もいらない。すぐに出ていくから。」
エースはソファーベッドからいつの間に移動したのか、ベッドの上で軽い寝息をたてているデーモンを見た。顔色はまだ良くはないが、息はさしずめ楽になっているようだ。
それを確認して、エースは参謀部を出ていった。
「ご苦労様、エース。迷惑ばかりかけたね。」
ダミアンが言った。
「いえ、大したことではありません。」
淡々と返事するエースに、ダミアンも苦笑した。
「それにしても・・・また大胆のことをやってくれたね。何千万年も魔都を守ってきた森を綺麗さっぱり焼いてくれちゃって・・・。人間界よりも草花の育ちが良いからいいものを・・・十年はかかるぞ、森が完全復活するには。」
「申し訳ございませんでした。」
深々と頭を下げる。ダミアンは頭を抱えて仕方なさそうに呟いた。
「・・・とりあえずエースには暫く、自宅謹慎してもらうぞ。もういいよ。下がっていいから。」
無言のままエースは広間を出た。
それを見送り、ダミアンも息を吐く。
「・・・まだ周りもうるさいし、暫くしたら落ち着くだろう。エ−スも・・・デーモンも。」
ダミアンはパチンッ・・・と指を鳴らした。
後ろから侍従が赤ワインの瓶とグラスを一つ持って現れる。
「・・・酌はいいよ。一名でやるから。」
侍従は一礼すると、音もなく消えた。
グラスにワインを注ぎ、細く白い指でつまむ。
「もう、そろそろ『逢月日』か・・・。」
窓の外を見上げる。
紅と黄金の月が少しずつ近付いている。五千年に一度の、二つの月が出会う日。
紅と黄金の空が一つになって、オレンジ色の空が出来上がる。
『逢月日』が近付き、オレンジ掛かり始めた空を見上げ、グラスを口に近付けたその時・・・。
「・・・っ!」
突然グラスが根元から折れ、床で砕け散り、破片とワインが散らばった。大理石の彫刻のような美しい指から鮮血が流れ落ちる。
「・・・何か・・・?」
そう呟いたのを最後に、ダミアンは再び空を見上げ、無言になった。
二つの下弦の月は、もうすぐ重なろうとしていた。
to be continude・・・
Presented by 高倉 雅