ザイクのLove Maze  〜敗れざる者達 1 〜 

 


相変わらずキタナイ。
他悪魔に世話されるのが結構嫌いなデーモンの屋敷には、必要最低限の侍従しか住んでいない。
だからデーモンの個室の掃除をする者はおらず、いつも部屋は引っ越し中のように段ボールとホコリがたまっていた。そのくせ、本悪魔は異常なまでに収集癖がある。モノは増える一方、片づくどころか、ますますヒドイこととなっていた。
さらに、このところ宮廷に泊まり込み、書類の整理に追われていたため最悪の事態となっている。
眉間にシワを寄せ、デーモンは盛大に溜息をついた。
せっかくの長期休暇。ここの片付けで終わってしまうのだろうか?
こうなったら掃除好きのルークでも呼ぼうか?
本気でそう考えていたとき、玄関のベルが鳴る。
とりあえず、今、この現実から逃げる手立てを得たデーモンは、一目散に扉を開けに行った。
「やぁ、おはよう。」
銀の角、赤茶色の髪、そして玉虫色の瞳がにっこりと笑いかける。
「ゼノンか・・・。」
「悪かったな、俺で。・・・え?誰を期待してたんだよ。」
「イヤ・・・その・・吾輩は別に・・・。」
・・・実は掃除好きの奴を期待していたんだ・・・などと言えるわけでもなく、口ごもるデーモンを軽く睨み、ゼノンは勝手に入り、扉を閉める。デーモンは応接室へと彼を通した。
「お前の部屋は?・・・あ、そうか、キタナイのか?相変わらず。」
意地悪な笑みを浮かべてソファーにどっかと座り込んだ。右手に持っていた酒をテーブルの上に置く。
「『相変わらず』は余計なことだ。」
つまみとグラスを持ってきながらデーモンは膨れる。
「で?お前がわざわざこんな所まで来るとは珍しいな。何かあったのか?文化局はいつも平和そうだけど。」
琥珀色の液体がグラスの中を満たしていく。二名は軽く乾杯のポーズを取り、一口飲んだ。
「そりゃそうだ。表向きは。ウラはコレで結構大変なんだ。」
「愚痴なら帰れよ。」
デーモンが先程の逆襲をする。ゼノンも『参ったな・・・』という顔をして笑った。
魔界においてでも、何でこんなセクションがあるのだろう?・・・と思われがちな文化局。その名の通り、『文化』に関するありとあらゆるモノを取り仕切る局ではある。が、それは表向きのこと。
本当は、天界、冥界、人間界へとスパイを送っている、大魔王陛下直属の秘密組織である。そこの元締めが、今、デーモンの前に座ってのほほんとした顔で酒を飲んでいるゼノンであり、トップクラスの諜報部員である。
このことは各セクションのトップにしか知らされていない、最重要秘密事項の一つであった。
「イヤ、別に用事という用事ではない。ただ、さっきダミアン殿下に呼び出されてね。」
ゼノンはソファーの背に右腕をかけた。
「また珍しい・・・。お前何かしくじったのか?」
楽しそうにデーモンはもう一口飲んだ。
「俺ぁ、お前らじゃないからな。スパイに入り込まれたり、ドジって怪我するようなお馬鹿さんでもない。」
「・・・何かトゲがあるな・・・。」
グラスをテーブルの上に置き、デーモンはゼノンを睨んだ。
「で?何だよ、本当に。ダミアン殿下から何か言われたのか?」
「天界と人間界が手を組んだそうだ。」
ゼノンの言葉にデーモンは鼻で笑う。
「そんなこと、何百年も前から分かってることじゃないか。」
が、ゼノンの顔は極めてシビアだった。
「いや、今度正式に手を組んだらしい。そして、俺らが何万年も守ってきた『蒼の惑星』に侵入したそうだ。」
『蒼の惑星』と聞き、デーモンも一気に真面目になる。
「蒼の惑星・・・だと?」
ゼノンは頷き、続けた。
「そう、蒼の惑星だよ。・・・というわけで・・。」
言いながらゼノンは服の内ポケットから一枚の紙を取り出した。それが何を意味しているかをすぐに理解したデーモンは、自室を見たときよりもさらに派手で盛大な息を吐いた。
「・・・長期休暇がパァだ・・・。」
「そういうこと。部屋の片付けもまた、先送りって事だな。」
今度はゼノンが楽しそうにグラスを傾ける。
テーブルの上に放り出された紙にはイヤになる程はっきりとした文字で【出動命令】と書かれてあった。
と、ふと、何かに気付いたデーモンはゼノンに尋ねた。
「・・・アレ?待てよ・・・。エースは?エースはどうした?」
いつもはこういう令状はエースが持ってくることになっていた。
誰が決めたかは分からないが、必ずと言っていいほど、デーモンの所にはエースが毎回、酒と共に訪れることが常だった。
・・・とはいえ、令状を持ってきて、デーモンに渡した後、酒を飲んでいる間は、全く何も話さない時間が過ぎていくのだが・・・。
「・・・エースはまだ、自宅謹慎中だろ?結界を壊したのと、スパイ侵入の不祥事で。」
呆れたようなゼノンの口調に、やっとデーモンも思い出す。
そういえば、あの時気が付いてから今まで一度も、エースの姿を見ていなかった。その上、【DEMON’s Forest】も跡形もなく燃え尽きていて、相当驚いたことも覚えている。森はエースが吹っ飛ばしてしまったこと、いつの間にやらフォーレルも死んで、事件解決になっていたことも、周りの者から聞いた話だった。歩けるようになって久しぶりに宮廷に行ったときも、例の噂はキレイさっぱり消えており、代わりに自分の負傷のことのほうで話題騒然だった。
「そうか・・・そうだったか・・・。」
長い髪を耳に掛ける。掛かりきれなかった髪の房が、グレイの頬の上に落ちてゆく。
デーモンにはずっと疑問に思っていることが一つ、あった。
エースが森を焼き尽くしてしまうほど、何故、感情を暴走させたのだろう?
情報局時代にも、エースは何が起ころうと冷静沈着で取り乱すようなことは、ただの一度もなかった。なのに何故・・・?
よっぽど情報局から盗まれたことが歯痒かったのだろうか?
天界の者を一番近くに置いていたことが悔しくて・・・?
どう考えてもデーモンには理由が分からなかった。あんまり考えすぎて、デーモンの顔が歪んでくる。「どうした?傷が痛むのか?」
ゼノンが妙な顔になってきたデーモンを心配そうに覗き込む。
「いや、何でもない。」
何だか小さな痛みを覚えてしまう考えを捨てるために、グラスを一気に空けた。




「ルーク、出動命令だ。」
二、三日後、デーモンは参謀部に出向いた。
「あぁ、すでに召集、待機させてるよ。いつでもオッケーだ。」
今まで後ろを向いていた椅子が回転し、デーモンの方を向く。
「相変わらず、手回し良いな。」
デーモンはその辺にあった椅子を勝手に引き寄せて背もたれを前にし、またがる形で座った。
「大変だねぇ・・・。そちらも。せっかくの長期休暇がパァになったそうだな。」
ルークが笑いを堪えるように呟く。思い出したくないことをぶり返され、デーモンはぶぅ・・・と膨れた。
「ホラホラ・・・そんなに膨れたらキレイな顔が台無しだよ。」
ルークは身を乗り出してデーモンの脹れっ面を人差し指で潰した。
「『キレイな』はいらん。」
ぷいっとデーモンはそっぽを向いた。
ルークは目を細めてふんわりと笑みを浮かべ、立ち上がった。
「キレイなものをキレイといって何故悪い?俺はデーモンはキレイだと思うよ。エースはそんなこと言ってくれなかった?」
ルークの最後の言葉が彼の一番痛いところをついた。
何にも言わなくなってしまったデーモンに、ルークはティーポットを持ったまま振り向き・・・と、思わず熱湯入りポットを落としそうになった。
静かな湖水色の瞳が、ますますこぼれ落ちそうに大きくなり、透明のガラス玉のような涙がつぅ・・・とデーモンの頬を転がっていった。
「なっ!ちょっとぉ・・・まいったな・・・。」
ルークは慌ててポットを置き、デーモンの前に跪いた。
デーモン自身も、自分の瞳から伝い落ちてくる液体の存在に驚いて、そのまま固まっていた。
彼と目線を合わせたルークは困ったようにとりあえず頭や背中を軽く叩いた。
「・・・ごめん、ごめん。泣かないでくれよ。ったく・・・仮にも天下の副大魔王閣下だろう?」
「・・・す・・・ない・・。」
掠れ気味の声でデーモンが呟く。
「え?」
ルークはデーモンの口元のほうへ耳を近付けた。
「すまない、ルーク。」
迷子の子猫のようにルークを見上げる。
「そんな顔するな・・・。それにしてもエースの奴・・・。お前が【特別任務】の時・・・!」
しまった・・・!という顔でルークは口を押さえた。
「デ、デーモン・・・。」
ルークは恐る恐る顔を見た。呆然・・・その言葉がもっとも相応しい。明らかに動揺の色が伺えた。
「な・・・何で・・・!」
屈辱に満ちた、【特別任務】のことだけは情報局以外では絶対漏らしてはならないタブーのはず。
エースにも漏らしてくれるなとあれだけ頼んだはずなのに・・・。
あまりのことに目が泳いでいるデーモンの様子を見て、ルークは首を振った。
「違う!違うんだ!」
「・・・どうして・・・何で・・・エースが・・・吾輩は・・・。」
完璧に錯乱しているデーモンの肩を、ルークはしっかり掴んだ。
「デーモン!しっかりしろよ!悪かったよ、デーモン・・・本当は知ってたんだ。エースに全て聞いた。情報局の【特別任務】がどういう意味を持ってるのか、お前がそれを遂行してきたことも、全部。」
デーモンの目が見開く。唇をきゅっと引き締めて、一生懸命、水晶の原石のようなルークの瞳を見つめている。
その沈黙と、握りしめた手で彼が何を言いたいのか、ルークには痛いほど分かった。
「大丈夫。誰にも絶対口外しない。信じてくれ・・・それに、エースは・・・。」
『エース』の名を聞き、我に返ったかのようにデーモンはルークの手を振りほどいた。
「待て!デーモン!」
ルークが止めるのも聞かず、部屋を走り出た。
扉を閉めた直後、派手な爆音と微かな地響きがする。慌ててデーモンの後を追い、閉ざされた扉に手をかけた・・・とビリリッ!と電流が走り、思わず手を引く。どうやら出てこられないように結界を張られたらしく、ルークは舌打ちした。
「しまった・・・!俺としたことが・・・。」
ルークは壁に向かって拳を叩きつけた。

                                                           to be continude