ザイクのLove Maze  〜敗れざる者達 2 〜

 

デーモンは一直線、エースの屋敷の方へ飛び続けた。
そして、思い出していた。
初めて情報局へ行った日のことを。
エースとの出会い。
ずいぶん若い長官だとは、亡き父を通して聞いていた。最初は、どうせ頭脳明晰なのを鼻にかけたような嫌な奴だろうと思っていた。
何故か、そう、思いたかった。
が、エースを初めて紹介されたとき・・・。
それまでの醜い考えは全て吹き飛んでしまった。
すらり・・・と高い背。見事に自分のものとしている軍服。軍帽から流れ出る黒髪は、絹糸のようだった。ゆっくりと自分に向かって振り向く。
切れ長の瞳。最高のルビーのような輝きをたたえ、それをただただ際立たせるための紅い紋様。
全てを計算されたかのような美しさだった。
紅い唇が笑みを浮かべる。
差し出された大きな手。
・・・と、ここでデーモンは首を激しく振った。
あれから程なくして【特別任務】を受けた。
最初の男は・・・思い出したくもない。
ただ、任務後、肌が擦り切れるほどに洗ったことだけ。自分の身体を駆使し、貪らせるだけさせた後に、先に仕込んだ術によって抹殺する。
いわば長官直属の刺客である。
デーモンは今まで、城内で見てきた【特別任務】の者達の顔が、聡明で美しく、なのに誰にも触れることを許さない痛々しい陰がある理由が、その時はっきりと分かった。そしてその者達は誰もが哀しいほどに美しすぎた。その中には、出世した者もいれば、そのまま宮廷から下がってしまった者もいる。いずれにしても過去は絶対に口にしない。その事についてはデーモンも同じだった。
あれだけ・・・あの事に関しては口外しないように・・・頼んだはずだったのに・・・。
大きな蒼瞳から涙が溢れそうになった。
慌てて袖口で拭う。
エースが自分に対して嫌悪感を抱いているのは分かっている。何度、躰を重ねても、自分の想いが伝わるはずなかった。
『吾輩が何をしたのかは分からない。ただ、嫌われていることだけは事実だ。』
下腹部の傷を受け、静養中にルークに漏らした言葉。
黙って微笑んだだけで、何も言わなかったルーク。きっとエースが自分を嫌いな理由を知っていたんだろう。だから直接の返答をしなかったのだ。
デーモンは色々なことを考えながら、ただひたすら、エースの屋敷へと急いだ。




 情報局長官になってから、こんなにゆっくりしたのは本当に何年ぶりだろうか?
エースは窓際にわざわざソファーを移動させて月見と洒落こんでいた。
自分の瞳と同じ紅月が揺らめく。
短く息を吐くと、目を閉じた。
意識はゆっくりと過去へ遡る・・・。
思わず息を呑んだ鮮やかな蒼。
全てを見透かされるような大きな瞳がこちらを凝視している。
情報局内の雑音が一瞬のうちに消えた。
誰もがこの小柄で、まるでダイヤモンドの原石のような不思議な輝きを思わせる彼に魅せられたのだ。黄金の髪が肩口で揺れる。
細く、壊れそうな線で形作られた姿。しかし、その中に見事なまでの威圧感と、存在感が見る者を惹きつけて離さない。デーモン一族の者と聞き、納得する。
ダミアンが放つ、支配者の持つカリスマとはまた違い、彼が何も言わずとも最高の者達が彼の元に自然に集まっていくであろう。
思わず、差しだした手。弾かれたようにその手を握り返してくる黄金の君。そしてにっこりと笑顔を見せてくれた。
・・・デーモンと初めて会った日のことである。
その日を境に、デーモンは情報局への出入りを始めた。
儚いくらい美しい肢体、その所為で寄せられてしまう好奇の視線。
何故かそれに嫌悪を覚えている自分がいた。
一所懸命に彼は働いてくれた。そしてエース自身もそれを誇らしく思っていた。が、時々見せる極上の笑み。しかし、エースに対してではなく、ダミアンへの敬愛の証。
激しい嫉妬の念に駆られていく。
何もかも得たくて、全てを自分のものに・・・。
エースはわざと【特別任務】を与えた。
男達に撫でまわされ、疲れて帰ってくるデーモンに対して、癒しの言葉をかける。自分だけが独占できるその瞬きの時だけを求めて。
いつの間にか躰をも求めていた。
醜くて、汚い己の本性がエースには分かっていた。それでも・・・。
何年も経ち、デーモンはとうとう副大魔王に就任した。
その時に自分を支配した感情は今までより更にどす黒く、気味の悪いものだった。
『独占欲』
副大魔王となり、我が手を離れてゆく黄金の不死鳥。
離せない、離したくない、離すものか・・・!
エースの中にある、呪われた『野獣』の血が叫ぶ。
だから最低の言葉を吐いた。
滅茶苦茶にしてやりたかった。
獣の顔が恐怖を浮かべたデーモンの瞳に映る。
紛れもなく自分の姿。
あの後、デーモンが走り去り、見るも無惨なことになった右手を隠しもせず参謀部へ向かっていた。何も言わないルーク。手当をしてもらいながらエースは今までのことを全てぶちまけた。
最後まで黙って聞いてくれたルークは、『傷に障るから。』と酒ではなく紅茶を出してくれた。
エースを罵倒するわけでも、同情するわけでもなく。ただ、黙って。
・・・目を開けた。
今、現在の風景が目に飛び込んでくる。
二つの月がもう、すぐ近いところまで寄っている。
【逢月日】が迫っていた。
・・・と、すぐ後ろの扉が大きな音をたてる。
振り向くと、髪を振り乱し、青ざめた様子のデーモンが息を切らせながら立っていた。
エースはあまりのことに暫く口をきくことを忘れた。
「エース・・・ルークに・・・。」
ものすごい形相でデーモンが迫ってくる。
「ルークに・・・全て話したのか?」
紅い瞳は少し落ち着きを取り戻し、いつもの笑みを浮かべた。
「何のことだ?」
「吾輩の任務のこと!全てルークに・・・ゼノンにもライデンにも話したって言うのか?」
デーモンが食い入るように、縋るように見つめている。
「・・・知っている。」
「え・・・?」
「ルークは知っている。全てを。」
頭を殴られたような衝撃がデーモンを襲う。
信じていたのに・・・信じて・・・。それだけは・・・。
「エース・・・!」
魔界一の剣と魔術の使い手とは到底思えない細い両腕が掴みかかるが、エースはそれを軽々と掴み取った。
「言ったはずだ、お前の頼みなど聞かない。絶対に。」
全く心にもない言葉が口をついて出る。
「でも!他の者に対しては口外しなかったお前が、何故、吾輩だけ!」
恐怖と怒りに満ちた表情のデーモンを見て、エースは唇を噛み締めた。
「お前を一生許さない。お前の存在は罪だ。デーモン。生き恥を晒して永遠にのたうちまわるがいいさ!」
『違う!違う!違う!』
エースの心の中で警鐘のように響く。が、野獣の血がそれを打ち砕かんとしていた。
「・・・吾輩が・・・つ・・・み・・・?」
カクカクとデーモンの身体が震えていた。
頭が真っ白になる。サァ・・・と血の気が引いていく感覚を覚えた。口の中は乾き、手足の先からしびれていく。
「罪だ・・・お前は・・・。」
ただそれだけを繰り返す。
エースの唇が無機質なデーモンの唇を塞いだ。
舌を絡め取り、吸い上げる。半ば茫然自失のデーモンに反応する気力もなかった。・・・筈だったが、躯の芯がぼう・・・と熱を帯びていくのを感じて酷くイヤになった。
「エ・・・ス・・・。」
硬くなりかけているそれをツィッ・・・と撫で上げられ、弾かれるような快感を覚えた。
紫の長い礼服の隙間からスパッツを引き下げた。直に触れられ、デーモンの躯が持ち前の敏感さを発揮し始めていた。膨らみかけたものにエースが軽く口付ける。巧みな舌の動き。
絶頂を誘う。
言葉とは裏腹なエースの優しげな行為に奇妙な幸福感がデーモンの中に生まれた。
「う・・・あ・・あ・・・あうっ・・・!」
無駄のないエースの攻めに、デーモンは我慢しきれなくなっていた。エースは一段と舌の技を速めた。鼓動のような反応が唇を伝わってくる。
「は・・・ああ・・・・・!」
デーモンの躯に汗が滲む。それと共に浮かぶ涙。
それを見たエースは、一瞬、次の行為への移行を躊躇したが、血が・・・呪われた血がそれを許さない。無造作にデーモンを壁際の方へ手を付かせた。
「やめ・・・!」
慣らしてもいない箇所にそれを打ち込まれる予感がして、デーモンは逃げようと躯を引く。
「いやぁぁぁぁ!・・・!ぐあぁぁぁ!」
悲痛に満ちたデーモンの悲鳴。引き裂かれたスパッツから覗く白い足。
伝う紅い液体。
それが今の潤滑油となっていた。
無情に繰り返される、拷問にも似たエースの動き。
「はっ!あ・・・!やぁ・・・め・・・。」
短い呼吸の中に潜むデーモンの声。
勢いをつけてエースは根本まで差し込んだ。
「うあぁぁぁぁ!」
引き裂かれるような痛み。
内蔵を突き刺すような感覚がデーモンの中で繰り返される。細い腰を支え、エースは既に理性を失いつつあった。
僅かに残る自己否定。
『ヤメロ!ヤメテクレェ!』
その時、最後の一突きがエースの限界を超えさせた。
「くぅっ・・・。」
低い呻き声が上がる。躯の中心の熱いところから、全身を駆け抜ける電流が流れる。
白濁した意識がデーモンの中に入っていった。
心臓に合わせて全てを流し込む。
・・・エースは大きく何回か息を吐き、そのまま腰を引いた。
支えられていたものがなくなり、デーモンは壁を伝って床に崩れ落ちた。
頭が痛い。
エースはのろのろとソファーへ向かった。
・・・と、ふとデーモンのグシャグシャになったまま放り出されている礼服を見つけた。血まみれの足。チクリ・・・と心が痛んだ。
しかし、何も言えずにエースは今着ていた自分の上着を背中に掛けてやった。
・・・それ以上・・・何もしてやれなかった。
デーモンは無言のままそれを肩に掛けると立ち上がる。そしてエースに向かって最敬礼をし、消えた。




 ようやく結界を破壊し、ルークはエースの屋敷の前まで来た。瞬間移動を使い全速力でやってきたが、果たして・・・?
嫌な予感を胸に、門をくぐろうとした。
・・・と、小さな影を見つける。
「・・・デーモン!」
慌てて近寄り、その姿を見るなりギョッとする。
足は裸足。血の固まりが所々に見える。エースの上着を羽織り、完全に憔悴しきっていた。
「・・・デーモン・・・。」
ルークの中に後悔が渦巻く。
デーモンはチラリと彼を見ただけでそのまま行ってしまった。
キッ・・・とルークは屋敷を見上げる。
そして、門を抜け、玄関のベルを鳴らしもせず、ヅカヅカと入っていった。




「エース!」
ルークは声を荒げながら扉を開ける。
瞬間、流れてきた重い、湿り気を帯びた空気に思わず怯んだ。
「・・・エース・・・。」
今度は静かに呼びかける。
絶対に人前では肌を曝さないエースが、完全に無防備な格好で、床を見つめたまま立ちつくす姿だけがあった。
「・・・デーモンが・・・今、出て行ったみたいだけど・・・?」
ルークは静かに扉を閉め、エースに近付く。
クッ・・・と短く息を洩らし、エースは肩を震わせた。
「エース・・・?」
「犯してやった・・・また。」
自嘲気味に呟く。
少しムッとした表情でルークはエースの前に歩み寄った。相変わらず下を向き、顔を見せない状態でエースが続ける。
「・・・喋っちまったのか?ルーク・・・。」
ルークはどきっとして顔をそむけ、小さく頷いた。それを確認したかと思うと、エースの右手が不意に挙げられた。
『殴られる・・・!』
覚悟の上でルークは瞳を閉じ、歯を食いしばった。・・・が、いつまで経っても衝撃はこない。
恐る恐る目を開けると、エースの肩が情け無いほどがっくりと落ちていた。
「・・・いいさ、いつかはバレることだ。約束したのに裏切ったのは俺だ。悪いのはルーク・・・お前ではないさ。」
語尾が心なしか震えている。
不審に思い、ルークはエースの顔を覗き込んだ。・・・と息を呑む。
「馬鹿だ・・・俺は。」
ルビーの瞳から雫がこぼれて落ちる。
「何年も、何千年も俺は隠せたはずだった。生まれた時からずっと俺は自分に魔力をかけて。ずっと大丈夫なはずだったのに・・・。俺の【血】が許してくれない。本当の罪は俺なのに・・・。」
そう言うと、エースはカーテンを開け放つ。紅月の光の元で、彼の肢体が晒される。
無駄のない筋肉。美しいブロンズの彫像のような身体。
ルークは目を細め、彼の肌に浮き上がっているものを見つめていた。
そこには漆黒の獣のような紋様がくっきりと刻まれていた。まさしくそれは・・・。
魔界に於いて既に伝説の魔獣と言われている【ブラックジャガー】の身体に刻まれたものと同じであった。
「これが許してくれない。我が亡き父【ブラックジャガー】の血が・・・。狙った獲物は逃がさない。捕らえるまではどんな手段であろうとも相手に食らい付く・・・魔界でもただ一名の獣と悪魔のハーフ。・・・この血のせいで!」
エースの体が震える。ぶるぶると、それが怒りなのか、悲しみの為なのか・・・ルークには分からなかったが、彼の肩を優しく抱きしめた。
「やめよう、エース。そんなに自分を卑下するんじゃない。お前が継いだのはそんなモノではないだろう?紋様だけだ。お前は悪魔だ。魔界で最高位の地位を誇る、伏魔殿直属の情報局長官だろう?デーモンを守るための最高の武悪魔だ。肉を喰らい、骨をも噛み砕かんする野獣ではない!絶対にだ!」
エースは水晶の瞳を一心に見つめた。
それは、デーモンを蹂躙した時でも、長官として部下を見るときでも、敵を嘲るときでも、ましてや心休まるときでも見せることの無かった、小さな子供の純粋な色の瞳だった。
ルークは、クスリと笑った。
「その顔を次にデーモンに会った時に見せてやれよ。・・・今日は・・・飲もうか?」
エースは涙を拭いて立ち上がり、最高の笑みを見せて頷いた。

 

                                                           to be continude