モザイクのLove Maze 〜仮面の狂宴 3 〜
情報局から少し離れた場所に、デーモンは気配と姿を消して立ちつくしていた。
二時間前、エースは既にここを出ている。
今まで殆どここで寝泊まりしていたために、着替えとシャワーを浴びに帰ったのだろう。少なくともあと一時間ぐらいは・・・デーモンは思った。
自分が疑われているのは別に意外だったわけではなかった。
確かに無関係の者が専用IDカードを持っていると言うことは例外中の例外、怪しんでくれと言っているようなものである。
そのくらい分かっていた。・・・が、デーモンは自分の無実の証明のためにここに立っているわけではなかった。ただ、エースの無実を願うことだけが彼の行動の唯一の理由だった。
・・・が、いつまで経っても誰も来ない。
今日は何もないのか?
それとももう既に・・・?
そんなわけない。長官室への出入り口はここだけ。
確かに窓は付いているが、蟻一匹入る隙間もないくらいに完全密閉だった。
別に悪魔は幽霊ではないので壁抜けが出来るわけではない。テレポート出来たにしても、それにはそれ相当のエネルギーが必要とされる。そんなエネルギーを使うと衛兵達に一発でバレること請け合いだ。
果てしなく地味だが、この方法しか不穏分子を見つける方法がなかった。
・・・とはいえ、姿はおろか、気配さえも完全に消す高等術は、魔界最高の戦闘能力を保持するデーモン一族、その長・・・つまり、デーモン以外にこのようなスタイルの調査が可能な者はナシ・・ということである。
それにしても、いい加減退屈してきた。デーモンも思わず欠伸を一つ。ゆっくりと背を伸ばした。
・・・と、遠くで足音がする。姿を消しているとはいえ、とりあえず物陰に隠れた。意識を目に集中させる。
ゆるゆると視界が明らかになり、ようやくはっきりしてきたその姿は、デーモンも嫌と言うほど知っている者だった。
「・・・!」
思わず息を呑んで、自分の口を塞ぐ。
副大魔王就任の際に長官室にいた、そしてここ最近、いつもエースの後ろにくっついているあの少年、ファルだった。全く怯えた表情もなく、ファルは扉の前に立った。頭上で微かな機械音。局員と言うことを確認し、扉が開く。そして、静かになった。
異様な静寂。
部屋の最奥部でカタカタと音がしていた。と、それは急に止む。
デーモンは背筋に冷たいモノが滑り落ちていく感覚を覚えていた。
ゴクリ・・・と唾を飲み込む。
ファルがノート型の何かを持って、易々と出てきた。
コードナンバーを押して扉を閉める。
デーモンは彼の後ろをついていった。
【DEMON’s Forestt】もかなり奥まで入っていた。
気付かれないように、慎重に、且つ大胆にデーモンは追跡し続ける。
ファルは迷うことなく歩いていった。
一体どこまで行くのだろう?
デーモンが木々をすり抜け、追いながら呟く。
・・・突然、立ち止まった。
慌ててその辺の木の陰に隠れる。
「・・・もうそろそろ、出てこられてはいかがです?」
ファルの声が森中に響く。
「・・・気付いていたのか。」
「はい、最初から。」
そういって振り向いたその顔には・・・。
「あっ・・・!」
魔界においては存在してはいけない瞳の色がこちらを見ていた。
「き・・・貴様ぁっ!」
デーモンの足元にある枯れ葉が舞い上がる。
サラサラの黄金髪は紅い月を目がけてそそり立った。完全なる戦闘態勢である。
しかしファルは、微笑みを浮かべたままで、黄金の瞳をたたえたまま無言だった。
「答えろ。お前は何者だ?」
動揺を悟られないため無理矢理に冷酷な声を作り、デーモンが尋ねる。
「私の名はフォーレル。大天使ミハエル様のお使いです。私の受けた命は、情報局を内部から揺さぶりをかけ、魔界一切れ者のエース長官を抹殺すること。」
「てめぇ!それなのに情報局の『特別任務』をしてたのか?」
『特別任務』の意味をイヤ言うほど知っているデーモンの怒りは殆ど爆発寸前だった。
ファラ・・・いやフォーレルは冷酷無比な笑みを口元に浮かべ、ふわりと宙に舞った。
「仕方ありません。命を果たすには味方を殺すことなど他愛のないこと。」
デーモンの怒りは頂点に達した。激しい青い炎となって一気に駆け上り、フォーレルの前に立ちはだかる。
「許さない!」
青い火柱が立つ。
瞬間、デーモンはフォーレルに向かって青い光の球を投げつけた。しかし、それはあっけないほど簡単かわされてしまった。
「な・・・なに・・・。」
「貴方ともあろう方が・・・迂闊でしたね。そんなにエースのことが気になりますか?いくら魔力で姿と気配を隠していても、貴方の心の中までは消せなかったと見える。私が長官室にいる間も、どんどん流れてくる貴方の感情に、私も思わず苦笑してしまった。」
かぁ・・・とデーモンの顔が上気する。
が、すぐに冷静さを取り戻した。
「ふざけるな、遊びはお終いだ。吾輩もそろそろ本気を出すぞ?」
そんな言葉にもフォーレルにはさして効果はなかったようだ。まだ不敵な微笑みを浮かべたままだった。
「何をそう熱くなっておられる?そんなに感情的になっておられるから私が結界を張っていたことなど気付かなかったでしょう?」
フォーレルが言い終わらないうちにデーモンの両手両足が結界の壁に引きずり込まれていた。
「しまった!」
自分ともあろう者が、こんな罠に引っ掛かるとは・・・。悔やんでみても始まらない。とりあえず呪縛を解こうと最大出力の魔力で抵抗を試みた。
「無駄ですよ。」
フォーレルの声が自信に満ちていた。見たところ、そう高位の天使ではない。なのにどうして・・・自分をここまで拘束できる力を・・・?
「ミハエルめ、こいつに力を転送しやがった・・・。」
デーモンがぎりりと歯軋りをする。フォーレルは左手をす・・・と上に掲げた。遙か下の大地で何かが折れる音がする。デーモンは視線だけ動かし、その音の主を捜した。・・・と、そこには信じたくないモノが浮かんできている。
血の気が一気に引いていった。
うすら寒いものが全身を巡る。目の前には直径十五センチはあろう木の枝が杭となってフォーレルの手元に届いた。
「やめ・・・!」
デーモンの声が震えている。こんな恐怖を覚えたのは初めてだった。いつもの調子なら、こんなちゃちな罠などとっくに気付いてシールドを張っていたのに・・・。むざむざ敵の手に落ちるなんて!
精一杯の力で戒めを解こうと頑張る。
「すぐに来ますよ。あなたの待つ方は。」
フォーレルは勢いづけて杭をデーモンに放った。
ザシュ・・・ッ!
異様な音。
生暖かい感触。
そしてオマケのように付いてくる激痛の波。
やっと目を自分の胴体に向けた。
明らかに身体の一部ではないものが、下腹部から背中にかけて自分を貫いている。
白い戦闘服がみるみるうちにどす黒い赤へと染め上げられていった。
微かな風に煽られて、前髪が頬に落ちてくる。
ゆっくりとスローモーションのように、身体は後ろにバランスを崩して、落下し始めた。
デーモンが最後に見たものは、自らを貫く杭、血、そしてフォーレルの後ろに揺らめく大きな羽を広げた、冷酷な大天使の影・・・だった。