モザイクのLove Maze 〜仮面の狂宴 2 〜
長い廊下に足早な音が響く。
自室には戻らず、まっすぐ参謀部へ向かった。
ノックすると、明るい返事。
その声を聞いて、妙にほっとしたデーモンは扉が開かれるのを待った。
「おや、デーモン。お帰りなさい。・・・どう?戦闘は落ち着いた?」
「・・・ここは参謀部だろう?仮にもそのトップであるお前が何も知らんわけはあるまい?」
ルークは苦笑しつつ肩をすくめた。その様子が少し滑稽で、二名、顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「ま、ね。・・・艦隊二機、行方不明か・・・痛いよね。」
デーモンはソファーに座りながら溜息をついた。ルークもお茶セットを持って目の前に座る。
「・・・で?聞いたの?噂。」
デーモンに紅茶のカップを勧めながらルークは口を開いた。
軽く礼を言ってデーモンはカップを取り、一口含むと、ゆっくり頷いた。
「・・・先に言っておく。俺は全く信じてはいない。エースがどういう奴かなんて、ほんの一部しか知らないのかもしれないけれど、俺は絶対にエースではないことだけは無条件に信じているから。」
「それは吾輩も同じ事だ。」
下を向いたまま、デーモンも同意した。ルークはにっこりと笑うと、彼の方に顔を近付けた。その気配を感じて、デーモンも顔を上げるが、思っていたよりもルークの水晶色の瞳が近くにあって少々たじろぐ。
「俺の方も少しづつ調べている。大丈夫、心配すんなよ、デーモン。・・・そうだ、しばらく魔界(こっち)にいるんだろう?今日は俺の屋敷に来いよ。・・・どうせお前ンちはホコリかぶって片付いてないんだからさ。美味い夕飯作ってやるよ。」
それだけ言うとルークはデーモンの返事も聞かずに、おろおろしている彼の腕を鷲掴みにしたまま引きずって部屋を後にした。
ケルベロスが吠える夜。
眠れずにデーモンはソファーに座っていた。
目の前にはルークが、そしていたる所にゼノンとライデンが酔いつぶれて微かないびきを漏らしていた。
気を遣ったルークがゼノンとライデンも読んで、酒盛りしようと言い出したのである。酒宴自体はものすごく盛り上がり、ハイペースで飲んでいた三名が先にダウンしてしまったのである。
いつもならまず最初にデーモンが寝てしまうのであるが・・・。噂が気になって酔うまでいたらなかった。起こさないように立ち上がると、窓まで行く。紅い月の光に晒されて、デーモンの髪は黄金の滝のように見事なまでに輝く。
ほんの少し窓を開ける。涼しい風が滑り込んできた。
溜息を一つ。
「・・・眠れないのか?」
ぴくっ・・・として振り向いた。全てを包み込んでくれそうな優しい玉虫色の瞳がこちらを見ている。
「・・・安心しろよ。大丈夫。」
「ゼノン・・・。」
ゆっくり起きあがって、デーモンの隣に立った。
「エースは変なことはしない。俺らも調べるから。安心して眠れ。・・・しばらくゆっくりしろよな。」
ゼノンは薄く微笑んだ。
副大魔王閣下と呼ぶにはあまりにも儚げで、蜻蛉のような気配を感じさせられる。その細い肩にのし掛かる、多くの命、今回無くした艦隊二機の責任、果てはエースに関する嫌な噂。
いつも強がってばかりで、誰にも頼ろうとしない、稀代の副大魔王閣下は、いま、自分の目の前で、完全に無防備な姿をさらけ出すまいと必死で表情を作っていた。が、そうするには、彼の生来持っている素直で純粋な性質が邪魔をするらしい。
ゼノンは、かたち良いデーモンの黄金の頭をポフッ・・・と叩く。そのままクシュクシュ・・・と撫でた。
「くすぐったいぞ。セットが乱れるだろうが・・・。」
無表情のままではあったが、内心、どうしようもないくらいの安心感をデーモンは覚えていた。
ようやく寝入ったと思ったら、ものすごい音で起こされた。
最初は何かの音楽かと思っていたが、こうもうるさく、不規則に鳴り響くとノックだと気付いた。
「・・・う・・ん?」
明け方近くにウトウトし始めたデーモンは、前髪を掻き上げながら起き上がる。
「デーモン、起きろ!大変だ!」
ライデンが叫んでいる。何があってもいつでも脳天気な彼が大声を上げているということは尋常ではない。
慌てて立ち上がると、扉を開けた。
「どうした?ライデン。何があった?」
デーモンの姿が見えるのを待ちきれないように、ライデンは彼の胸付近を掴んだ。
「な・・・!どうした?」
「どうしたもこうしたも!大魔王陛下からの命令が今・・・!」
『大魔王陛下』という言葉で、デーモンの頭は完全にクリアになった。
「ちょっと待ってろ!すぐに来るから!」
「どういうことですか?ダミアン殿下・・・。」
静かに尋ねる。
目の前に座っているダミアンも、困惑したようにデーモンを見つめ返していた。
口調は冷静さを保っているが、デーモンの瞳は朝日を讃えたような海の色から、極北の氷海の色へと変化し、完全に怒りを表していた。
「私も分からない・・・。ただ、父上が例の騒ぎを嗅ぎつけたらしくてね・・・。徹底的にエースを探れと・・・。」
「『探れ』ですか?!そんな生易しいものではない!吾輩の元に届いた礼状には、ほぼエースが反逆者だということになっている!しかも・・・吾輩に・・・吾輩に・・・。」
「調査団の指揮をとれ・・・だろう?本当に驚いたんだよ、私も。父上が知らない間に礼状を出していたのだ。今朝、執務室の机の上に礼状があって、私も始めて知ったんだ。」
ダミアンの困り顔に、デーモンもそれ以上怒れない。溜息をつくと、再びダミアンを見る。
「では、その礼状を無効にすることは出来ないのですか?」
答えは分かっていても、訊かずにはいられなかった。
「無理だね。現『大魔王陛下』は父上なのだし。私はただの摂政の身、いかなる事であろうと大魔王陛下、サタン四四世の命令は絶対だ。・・・すまないけど・・・デーモン。」
「分かりました。無理を言ってすみませんでした。ダミアン殿下。」
デーモンは深々と頭を下げた。
ダミアンも、首を横に振る。
「いいよ。君が怒るのも無理ないのだから。父上が何を考えておられるのかは分からない。が、きっと君が以前、情報局でエースの下で働いていたのを思い出されて、君を指名したのだと思うよ。」
デーモンは一礼して部屋を出た。
部下を四、五名連れて、デーモンは情報局を目指す。
歩くスピードがだんだん速まり、その足音に合わせるかのように心臓の音も早くなっていった。
シンプルなの扉の前に立つ。
機能重視のエースらしい作りだった。
俯いて、微かな溜息をもらす。
「・・・デーモン閣下?」
不思議そうに後ろから声をかけられた。
「いや・・・行くぞ。」
ここまで来たからには仕方がない。ドアノブを掴むと、そのまま勢いよく押し開けた。
「すまないが、調査令状だ。」
右手に令状を持ち、デーモンは後ろに従えた部下達に目で合図を送る。
彼の両サイドをすり抜けて部屋に入っていく。
呆然・・・というより困惑した不審そうな視線がデーモンを突き刺す。
ざわめきに気付いたのか、長官室が乾いた音と共に開いた。分厚い報告書を持ったエースと、まだ諜報員と呼ぶには幼い印象をたたえた少年が出てきた。そして、その異様な雰囲気と様子に一瞬、目を見開く。そして、そのままデーモンに視線は移動した。
無言の質問。が、デーモンも哀しそうに視線を返す。
「長官室も探れ。」
デーモンが指示を出す。
エースはすぐ後ろにいた少年に報告書を渡すと、何か耳打ちしてツカツカとデーモンに近付いた。
「・・・なんだ?エース長官。」
少し震えた声で尋ねる。
「・・・申し訳ございませんが、私に少し、お付き合い下さいますか?閣下。」
それだけ言うと、エースはデーモンの二の腕を掴み、部屋を出た。
昼間というのに薄暗い森。
木が鬱蒼と生い茂ったそこは【DEMON’s Forestt】と呼ばれるのに相応しかった。
「離せ!吾輩をどこまで連れていく気だ?!」
思い切り腕を振る。が、エースはかなり強く掴んでいるらしく、びくとも動かない。
「いいかげんにしろ!」
デーモンはさらに力を入れ腕を振り、ようやく離れることが出来た。
と、同時にエースの足も止まる。
「・・・エース・・・?」
「・・・何しに来た?」
デーモンは肩を震わせる。
「何しに・・・って・・。仕方ない。大魔王陛下からの御命令だ。例のことでお前に疑いがかけられているのは知っている筈だ。だから吾輩に・・・あっ!」小さくデーモンの悲鳴が上がる。
エースがデーモンの左手首と、顎を掴んで大地に押し倒していた。グイッ・・・と首を絞められる。
「く・・・あっ・・・!」
ふわり・・・とデーモンの顔が紅潮する。
「・・・長官室管理の情報がごっそり盗まれたんだ。情報局長官である俺を疑うのは仕方がない。が、俺は何もしてはいない。よっぽど俺が一番怪しいと思ってる奴は・・・。」
さらに首を絞め、爪を立てる。
冷酷なルビー色の瞳が、より血の色に似て光った。
「お前だよ、デーモン。」
今まで苦しさに細めていたデーモンの目が、一心にエースを見つめている。
「・・・エ・・ス・・・。」
「当然だろう?もはや情報局員でもないお前が何故かIDカードを返さずにいる。何のためだ?副大魔王だろうが、ダミアンの寵愛を受けていようが、デーモン一族の頭領であろうが、今の俺にはそんなことは全く意味を持たない。ほんの一握りの者達にしか許されないモノを持っているお前の方が俺にとっては一番危険悪魔(じんぶつ)なんだ・・・分かったか!」
それだけ言うと、エースは首を絞めていた手を緩めた。瞬間、デーモンは凄い勢いで咳き込む。
「エース・・・吾輩は・・・。」
言いかけて、エースの顔を見上げた。先程とあまり変わらない瞳がデーモンを睨み付けている。
「いいか?覚えておけ。俺は何もやってはいない。いくら調べようと、俺からはその件に関しての埃は出てくることはないだろう。この件は情報局が独自のルートを使って全力で調査中だ。その中で俺が疑っているのはデーモン、お前だ。」
エースは後ろを振り向くと歩き出した。
一度も振り返らずに。
「待て!エース!吾輩はお前のことなど疑ってなどいない!・・・聞けよ!」
デーモンの叫びにも応じず、エースはそのまま消えていった。
「・・・馬鹿野郎!ぐふっ・・・!」
首には潰されるような違和感。
少し目に涙を浮かべて、デーモンはエースの捨て台詞を頭の中で繰り返していた。
エースはそのまま参謀部へ行った。
「ルーク、何か情報は?」
挨拶もそこそこに、エースは優雅にティータイムをしている彼の前に立つ。
「・・・情報局長官ともあろう者が他の部署に情報を求めに来るとはな。」
「うるせぇ、自分のテリトリーで騒々しいのに、そこに入ってくるわけないだろう?よっぽどルークの方が知ってるだろうが。」
「まぁね、調査団の隊長はデーモンだし・・・て?」
ルークは茶化すように尋く。
エースもクスリと笑って、そのまま机の上に右足をかけた。
「そういうことだ。・・・で?何かあるか?」
ルークは椅子を回転させると、コンピュータのスイッチを入れた。
「・・・あまりめぼしいのは入ってきてない。きっと情報局に入ってるモノの方が詳しいはずだ。」
エースはふう・・・と息を吐く。前髪を掻き上げた。漆黒の絹糸が紅い目の前にサラサラと落ちてくる。その様子を見ながらルークはにっこりと笑顔を浮かべた。
それに気付き。エースも彼を見る。
「ん?何だよ。」
「・・・エースのお気に入りのハーブティーが入ってるよ。」
少し考えてからエースは机から脚を外し、窓際まで行った。カーテンを全開にする。
魔界に太陽はない。変わりに二つの月が存在する。真昼には黄金の月、そして夜には血のような紅い月が魔界を見ている。
今、この時間は黄金と紅の月が入れ替わる頃だった。
「・・・頂こうか・・・。」
エースはどこか寂しげに呟いた。
ルークもそれに気付いたが、あえて無視して立ち上がり、お茶の用意をし始めた。
エースが情報局へ帰る頃には、もう調査団は消え、いつもの業務がいつものようにこなされていた。
局員達の挨拶に軽く答えつつ歩いてゆく。・・・と、長官室の前に先程の少年が立っていた。
「どうした?帰ったのではなかったのか?」
少年は耳を赤くしたまま俯いている。
エースはぴんときて少年の肩を優しく抱き寄せた。
「報告を最後まで聞いていなかったね。ファル・・・おいで。」
少年・・・ファルは嬉しそうに頷く。
二名は長官室へと消えていった。
ファルの細い髪が跳ねた。
汗が飛び散る。そのままそれはエースの半分開かれた軍服に弾けて滲んだ。ファルの腰が淫らな動きを始める。快感を貪るようにエースの上で踊っていた。
「はぁっ・・・!」
痺れるような感覚。ファルの中でそれは極上の快感に変わり、さらに己自身を鬩ぎたてる。
エースもファルの細腰をがっしりと掴み、自らの性を突き上げていた。
ファルが口づけを求め、顔を近付けてくる。真珠のような心地よい唇が転がってゆく。が、エースにはそう、快感だとは感じなかった。
森の中でのデーモンの瞳が焼き付いている。
ファルを征服している最中でも、それは離れなかった。
「長・・・かぁ・・ん・・・。」
悶えるようにファルの声が漏れる。
ぷるっ・・・と僅かに震えた。
「くぅっ・・・!」
エースの下腹部に生暖かい液体が弾けた。
「・・・・。」
何も言わぬまま、エースはその様子を見ていた。
すっかり満足してファルは自ら腰を引く。
「・・・長官・・・今日はどうなされたのですか?」
ファルの灰白色の瞳が真剣にエースを見つめてくる。ギクリ・・とエースは彼を見やった。
「いや、何でもない。・・・で?今回はどうだった?」
エースは煙草に火を付けた。蒼白い煙が一筋、上へ流れてゆく。
「は、偽造カードの押収、所有者の抹殺、全て作戦通りに。」
いつの間に服を着たのか、ファルはゆっくりと立ち上がった。
「では、次の作戦までゆっくり休むことだ。ご苦労。」
言い放つと、エースは窓の外の紅月を見上げた。