空 色 の 涙
act 3
窓から見える2つの月明かりが真っ暗な部屋を照らしていた。
その月に誘われるように窓辺に向かう。
小さく開いた窓から一陣の風が舞いこんだ。
机の上の書類が飛び散る。
書類はスローモーションのように床へと落ちていった。
デーモンは、その動きをじっと見つめていたが、静まった紙たちを見届けると再び月へと視線を戻した。
月の光だけで照らされる暗闇の遥か彼方に、かつて憧れた碧い惑星(ほし)が見えたような気がした。
自分にとってその碧は、安らぎをもたらしてくれるかのように染み込んでいく。
刹那、碧が幻であったことを知る。
すーっと流れる涙は頬を濡らす。
幾重にも重なって。
それは途切れることを知らないまま、彼を濡らしつづけた。
エースは、ルークの部屋に居た。
「何だって、このクソ寒いのに寒中水泳なんてやらかすんだ? ライデンやデーモンじゃなくても風邪ひくのは当たり前じゃないか。」
「んで? わざわざ病人に会いにきて出てくる言葉はお小言だけ?」
部屋に入るなり、馬鹿だの何だのとまくしたてるエースに、ウンザリしながら言った。
「バーカ。それだけ心配してるって事だろう? ん? まだ熱あるな。」
くしゃくしゃっとルークの頭を掻きまわして、ついでに額に触れると言った。
「また馬鹿って言った・・・。」
スネるルークに笑いながら、毛布を整えてやる。
「かと思ったら、妙に優しいし・・・。」
おとなしくされるがままに言った。
「デーモンが心配してたぞ。」
ルークの身体がビクっと動く。
「デーモン、何か言ってた?」
「別に・・・。そうだな、心配・・・というより、気にしてたっていう感じな。何かあったのか?」
エースから顔を逸らす。
「別に・・・。別に何も無いよ。何も無い・・・。何も無いから・・・。」
「ルーク?」
「あんたが心配するようなことは、何も無いよ!!!」
ルークは、ガバッと起き上がる。
「ルーク? 何を言ってるんだ?」
「俺は、デーモンを独占したかったんだ。あんたから取り上げたかったんだ。だから・・・。でも、駄目なんだ、俺じゃ。きっと、俺じゃデーモンを安心させてあげれない。
心配ばかりかけてる。いつも、こうだ。こんなだから! 俺はただ、デーモンに振り向いて欲しかったんだ!!!」
ルークは、今にも泣きだしそうに・・・しかし、涙が溢れることはなく、エースを見つめていた。
「ごめん。」
ルークは言った。
「エースに言ったって仕方が無いよね。」
「ルーク・・・。」
「デーモンの執務室に行ったんだ。その時、エースが先に居て・・・、それは別に珍しいことじゃない。ただ・・・デーモンが不安そうにエースを見たんだ。
そして、安心したように微笑んだ。あんなデーモン見たこと無かった・・・。俺は、デーモンに心配かけてばかりで、あんな顔はさせてあげられないのかな・・・って。」
「お前・・・。」
「ごめんね、エース。俺、横恋慕したかったんだ。無理だって分かってても。」
「ルーク。」
エースは、言った。
「『吾輩が甘えてるのだろうか、ルークに。』」
「エース?」
「お前がぶっ倒れたとデーモンから聞いたとき、そう言ってた。」
「デーモンが?」
ルークをベッドに寝かせながら言った。
「『余計な心配ばかりさせているのかもしれない。』」
「そんな・・・。」
ルークは首を大きく横に振った。
「お互い様だな、お前達は。」
エースは、手を挙げる。
「早く良くなれよ。でないと、デーモンが元気にならない。」
「エース・・・、ごめんって、デーモンに言っておいてくれる?」
「ああ。」
「エース、ありがとう。」
エースは、照れたように笑うと、ルークの部屋を後にした。
「デーモン、良い?」
数日後、ルークはデーモンの執務室を訪れた。
「もう良いのか?」
デーモンの顔がパッと明るくなった。
「ごめんね、心配掛けて。」
殊勝にいうルークの背中に腕をまわす。
「デ・・・デーモン!」
慌てるルークに構わず、その腕に力を込める。
「良かった。」
溜息とともに吐き出されたその一言は、ルークのわだかまりを溶かしていく。
ルークもデーモンを抱きしめる。
「ごめんね。」
「あのね、デーモン。お願いがあってきたんだけど。」
改まってルークは言った。
「ん?」
「あのさ・・・。」
言いづらそうなルークを黙って待つ。
「この前、エースと話してたでしょ、天使の話。」
「盗み聞きしたな。」
ふざけて睨む真似をするデーモンに、ルークは胸を撫で下ろす。
「でね、伏魔殿の警護なんだけど、俺に任せてくれない?」
「駄目だ。」
即答する。
「どうして?」
「危険だ。」
「だから、警護するんでしょう?何も、副大魔王自ら警護することないでしょう?」
「陛下や殿下の御身に関わる事となれば、吾輩が出ていくのが当然だろう。」
「でも、まだお二方の身が危険だと決まったわけじゃないでしょう?」
「しかし、そう考えたほうが妥当だろう?時間の問題だ。」
「デーモン!」
「いざと言う時は呼ぶから。」
「そうなったら遅いでしょ!!!」
「何を騒いでるんだ。ルーク、お前の声は外まで筒抜けだぞ。」
「あ・・・。」
「エース!」
背後からの突然の声に、2名は驚いて振りかえる。
「だってエース。デーモンが俺に警護させてくれないんだ。デーモンが陛下や殿下の警護するのは当然ならば、俺が副大魔王を護るのは当然だと思わない?」
食って掛かるように言うルークに言った。
「お前の言い分は分かる。しかし、デーモンの立場もある。」
腕を組んでエースは言った。
「では、こうしたらどうだ? デーモンは陛下と殿下を。そしてルークは闇宵宮及び枢密院の警備を総括する。」
「エース!」
「エース!」
驚いて声をあげるデーモンとは対象的に、ルークは目を輝かせた。
「分かった。そうするよ。」
執務室を飛び出しかけたルークをデーモンは引きとめた。
「ルーク。内密に、だぞ。」
「分かってるって。」
そして、本当に飛び出して行った。
「どういうつもりだ、エース。」
ルークの出ていった扉を閉めながら、溜息混じりに振りかえる。
「ああでも言わないと、収集つかないだろう?」
「だからって・・・。」
納得行かない。
「ルークも子供じゃないんだ。」
「そうじゃなくて、危険だろう?」
「それが、ルークを子供扱いしてるって言うんだ。」
エースは煙草に火を点ける。
「危険はお前も同じだろう? それに、ルークなら情報局として願ってもない魔材だ。」
「吾輩が言いたいのは。」
灰皿をエースのほうに差し出す。
「今回の件は、吾輩の不注意から発生したも同じなんだ。吾輩の責任なのに、ルークを危険な目に遭わせる事など無いではないか。」
煙草を親指でポンと弾き、灰を落とす。
「それを言うなら俺もだろう?俺も知っていたんだ。」
「でも、エースは局員を動かしていた。吾輩は別のことに気をとられて、そんな事思いもしなかった。」
「そこが変なんだ。」
紫煙を吐き出して言った。
「お前が一番危険を察知しそうなのに、何故思いもよらなかったのか。」
デーモンは、エースを見る。
「気を引き締めたほうが良さそうだな。」
「最近、良く見かけるね。」
ライデンは、ルークの傍に掛け寄った。
「あ、ライデン。」
雷亭の嫡子であるライデンの屋敷は、闇宵宮に隣接している。
プライベートでは良く会う2名だが、勤務時間内には滅多に顔をあわせない。
それは、ライデンがあまり一定のところに居ないということもあるが、ルークが枢密院より奥には滅多に近づかないというのもある。
「うん。デーモンのお使いでね。最近多いんだ。」
「ふーーーん。ねえ、ちょっと休憩しない?俺んちおいでよ。」
「でも・・・。」
「良いって。だって、さっきから何をするでもなしに、ぶらぶらしてるだけじゃん。ちょっと休憩と思ってさ、」
「そうだね。」
『休憩』という言葉に誘われて、ルークはライデンの屋敷へと向かった。
「ライデンの部屋って、久々。いつもあっちの家に集まるじゃん。」
あっちの家とは、森の奥に張られた結界の中に建てられた屋敷。
「そうだよね。それかデーさんち。」
「そうそう。」
他愛ない会話が続く。
「ねえ、何か事件?」
「え?」
唐突にライデンが訊いた。
「だって、さ。デーモンも良く見るのに、お使いって変だよ?」
ライデンの邪気のない笑顔に惑わされがちだが、伊達に雷神界の後継者ではない。
こういう何気ない一言にドキッとさせられる。
「・・・。」
答えを逡巡している間に、ライデンが言った。
「天界・・・絡んでるでしょ?」
「・・・ライ・・・デ・・・。」
「だって、俺だって感じるよ、天界の気。」
嬉しそうに言う。
「おかしいなって思っているところに、ルークってば滅多に近寄らないくせに最近、日参してるんだもん。」
「まだ、ハッキリしたわけではないんだ。」
観念したように言った。
「ふ〜ん。」
「俺も協力するよ。」
「それは、出来ない。」
「なんで。」
「まだ極秘段階だし・・・。」
ライデンは食い下がる。
「だってさ、ダミ様達に常に一番近い位置に住んでんのは俺なんだよ。」
「自分の立場分かってる?」
「なにさ、立場って。」
膨れっ面なる。
「だって、デーモンやルークだって真夜中にこんなところに居たら変じゃん。俺だったら、誰も怪しまないんだよ。」
正当な理論に言葉に詰まる。
しかし、ルークも引く訳には行かない。
雷神界の皇太子を危ない目にあわせるわけにはいかなかった。
「ダメって言ったら、ダメ。」
思わず強い口調になる。
「ルーク!」
「ダミアン殿下も皇太子だけど、お前だって皇太子なんだぞ!!!」
「何さ! いつもそんなことは言わないくせに!!! ルークなんて嫌いだ!」
ライデンは部屋を飛び出した。
「ライデン!!!」