Another Side Stories 〜風塵〜 前編
朝がやってきた。
とりあえず平等に。
それはどこであっても・・・同じこと。
誰の頭の上にも太陽は昇る。
勿論、地獄でも。
「・・・ミュー、俺はさっき何と言ったっけ?」
熱々の紅茶が注がれたカップを目の前に置かれた瞬間、ソファーでくつろいでいた男は眉を顰めた。
が、そんなことなど気にも留めず、少し離れた場所で片付けている者は振り返りもせずに言い放つ。
「『冷たいアイスコーヒーを飲みたいと思わないか?ミュー・・・どう思う?』でしたっけ?」
声色もそっくり変えて、琥珀色に銀メッシュの短い髪の主は同じようなカップを手に目の前に座った。
「そうそう、そう言ったと思う。俺だって僅か数分前の台詞を忘れるほど年取ってる訳じゃないからな。」
「そうですか?いつも俺は年寄りだからと仰ってますから、てっきり忘れたと思っておりましたけど?」
温度も何もない言葉を乗せて、優雅な手付きで紅茶に口を付ける。
「少なくとも、私にアイスコーヒーをくれ・・・とは仰いませんでしたよね?」
トドメの一発とはこのことか?
それ以上何も言うことが出来なくなった・・・いや、言う気も失せた彼は、大人しくカップに手を伸ばした。
中央に位置する伏魔殿から放射線状に4つの大都市と6つの地方と1つの異界が存在し成り立っているのがここ、地獄である。
6つの地方の1つであるウッズサイド。
そこでまた一番離れた山際になかなか立派な屋敷がある。
その主が・・・先程からたかだかお茶の事で文句垂れている彼『シェラード』通称・シェリーであった。
特に役職に就いているわけではなく、自由気侭に生きている彼の横で何故か何時も引っ付いているのが、紅茶を満足げに飲んでいるミュー。
その他、数名の使用魔しか住んでいない。
本当に今の今までシェリーは働くことも無く、それでも何故か伏魔殿に出入り可能の通行書を持ち、おまけにトンでもなくド偉い方と旧知の仲であ
る・・・という噂がある。
その噂を聞きつけてか、藁にも縋る思いで彼を頼り、この屋敷を訪れる者は数多い。
いちいち会っていたらキリがない事も、相談の大多数は仕官の道を含んだ邪な理由だという事も分かっているのだが・・・。
全ての者に対し面倒がらず話を聞き、その為の何らかの道を与えてくれる。
それ故に、ウッズサイドの住民達からは『主(マスター)様』と呼ばれ、尊敬されているのだが・・・。
本悪魔、至って鈍く、関心がないためにそのことに全くと言って良いほど気づいていない。
悲しい性(さが)か・・・?
「ところでよ〜・・・ミュー。」
猫舌なのでチビチビとしか飲めない紅茶に悪戦苦闘しつつ、シェリーは突然話を始めた。
「さっきよぉ・・・コールがあったの知ってるか?」
コールとは官僚専用の直通端末であり、急な呼び出しや特別な用事の時にしか使用されないものである。
勿論、彼の屋敷にそれがある事は異例中の異例ではあるが・・・。
「私が貴方様にお取り次ぎをいたしましたので。」
やはり顔を上げず、既に空となっているカップをつまらなさそうに見つめながらミューはにべもなく言った。
「・・・・・まぁとにかくだ・・・。大将からの呼び出しだったんだがな・・・。俺・・・行きたくねーんだわ・・・ミュー代わりに行ってきてくれないか?」
この瞬間、初めてミューはシェリーの顔を見た。
アイスブルーの瞳がその色通りに冷たさを持って睨みつける。
「何をアホな事言ってるんですか?呼び出しを受けたのは貴方様でございましょう?私が行ってどうするんですか?」
「だがなぁ・・・どーも大将の呼び出しってのは気が進まないんだ。何か面倒な事になりそでよ。」
「・・・いつも自分から突撃してあらゆる面倒ごとを拾ってきて下さるのは何処のどなた様ですか?」
冷たい・・・冷たすぎる・・・その上非の打ち所無く真実そのままに言い渡されてシェリーは・・・黙り込んだ。
・・・3秒くらいだったが。
「それはそれとしてだ。」
気まずげに咳払いを1つ、ゴホンと吐き出して立ち上がった。
「そうだなぁ・・・やっぱり行く事にする。少し気になることもあることだし。」
「何か不穏な動きでもあるのですか?」
ティーカップを急いで引き、シェリーの礼服を直ぐに持ち出してきたミューの表情が微かに厳しくなった。
「いやいや、そういったヤツじゃなくって。」
慌てて手を振り、否定する。
素早く礼服に袖を通し、伏魔殿へのパスポートであるマント留めを付けた。
先程までのリラックスの極致にいた男とは思えぬほど、立派な貴公子が完成した。
「・・・ただな・・・。俺が得た情報によると、最近大将の様子が落ち着かないとか・・・。」
「・・・あの方が落ち着かないのは今始まった事ではございませんでしょうに・・・。」
マントの裾の皺を綺麗な流れに直しながら、ミューは顔だけを上に向ける。
「そりゃそうだけど・・・何かソワソワというか・・・ウキウキというか・・・ま、コールの内容も気になるし、その辺の所をちょっくら探ってくる。」
机の横にぶら下げてあった装飾用の剣を携え、シェリーはそのまま扉へと歩いた。
「お気を付けて・・・。」
久方ぶりに訪れた伏魔殿で、早速と言っては何だが友にでくわした。
「おう!シェリーじゃない。久しぶり。」
気さくに声を掛けてきたのは泣く子も黙る軍事局参謀殿。
職業柄、筋骨隆々のゴッツイイメージが付きまとうが、本悪魔・・・至って華奢で細身。
しかもふわふわブロンドの髪を長く垂らし、殿内ではアイドル視されてることに・・・実はこいつ、気づいてない。
トレードマークの蒼い紋様とデッカイ口に、思わず吸い込まれそうな錯覚を覚え、シェリーは曖昧な微笑みを浮かべた。
「久しぶり・・・元気だったか?お前の活躍はド田舎に居ても響いてくるぐらいだから都では大変だろう?女にモテまくって。」
からかう様な彼の口振りに、キョトンとする。
「・・・別に・・・。俺、こんなナリしてるからなぁ・・・女に間違えられることはあってもモテたことはないぞ?」
・・・類友?(笑)
軽くため息をつきシェリーは彼の肩を叩いた。
「ま、そんなことはどうでも良いけどさ・・・。大将どこ?今日はコールが有ったんで来たんだ。」
「ああ、デーさん?いつものとこ・・・・・・シェリー、用事が終わったらとっとと帰った方が良いぜ。ダミ様に見つからないようにな。」
不意に声を潜めた彼に、シェリーは眉を寄せる。
「何だよそれ・・・。俺何か悪ぃことでもしたっけ?」
尋ねてくるシェリーに、ぶんぶんと首を横に振って否定する。
「違う違う。最近デーさんがウキウキ気分らしくってさ・・・ま〜たどっかプラッと出掛けるんじゃないかってヒヤヒヤしてらっしゃるんだ。お陰で俺等に
あたるし・・・とばっちり受けるってこと。それによ・・・シェリー、最近ではお前の名前が頓に出てさ。そろそろ伏魔殿に呼んでこいって叫んでらっしゃる
し・・・用事が済んだら早いとこズラかれ。今度仲魔連れてそっちに遊びに行くからよ!」
その時、遠くから参謀殿を呼ぶ声がした。
どうやら上司を捜しているらしい。
それに気付いて軍事局のアイドル参謀は手を挙げた。
「じゃあな、また。ミューによろしく。」
「またな、ルーク。」
シェリーは軍事局参謀・ルークの走っていく姿を少し見送り、また先を急いだ。
いつものところ・・・そう、大将お気に入りの場所へ向かって。
途方もなく広い殿内に設置された移動ポイントを使い、一番奥も奥、誰も近寄りそうもない埃まみれの暗い一郭へと出た。
小さな本棚から一冊引き抜くと、壁から先に空間が出現し、細い下り階段がある。
転げないように一歩一歩確実に降りたら・・・乱暴な鉄を叩く音がしてきた。
罪を犯した者達が永遠の業火の中で死ぬことも許されず焼かれ続ける牢獄がここにはあるのだ。
恨みがましい特有の光を帯びた、視線だけで相手を殺せるような殺意をモノともせず、シェリーは平然と睨み返して先へ進んだ。
特別の結界を張り巡らされた半透明の扉に何の迷いもなく手を掛ける。
何も知らされていない者は指先一つでも触れただけであっという間に消滅してしまう強大な力。
シェリーはそれを開いて・・・今回も茫然とした。
確か・・・前回来た時は・・・持ち主の趣味趣向の赴くままにワケの分からない物品が犇めいてた・・・筈。
して今回は。
見渡す限りの大平原。
所狭しと花が咲き乱れている。
持ち主の意のままにそこは何とでも変化できる空間は・・・今現在、明らかに『ヤツ』の趣味だった。
そう『ヤツ』。
持ち主が旧知の友として親しくしている、勿論シェリーも飲み友達にしている彼奴。
それは大将と共に部屋の真ん中にいた。
「おやシェリー。久しぶりだね。」
銀色の二角を天高く聳えさせて、ゆったりと笑うのは文化局長官のゼノン。
「・・・何じゃあ・・・こりゃぁ・・・。」
挨拶よりも先に正直な感想をこぼすシェリーに、彼は気にも留めず近付く。
「君がここに来るっていう連絡が僕にも届いてね。ここで待ってたんだよ。」
「・・・っつ〜か、ヒトの話も聞けよ・・・相変わらず・・・。」
苦笑混じりにゼノンに手を挙げ、その隣でニヤニヤしている大将に声を掛けた。
「折角ヒトがゆったり茶を飲もうかとしてる時にコールしやがって、お前は・・・。」
腕を組んで真っ正面から睨んだポーズを作ってみる。
「ご挨拶だな・・・。良いじゃないか・・・どうせお前はヒマ扱いてるんだろう?それに何が茶を飲もうかとして・・・だ。吾輩がコールしてどれ
くらい経ってると思ってるんだ?」
真っ直ぐに伸びたストレートの金髪を耳に掛けながら笑う。
深紅の軍服に身を包み、邪魔ならしなきゃ良いものを、肩に掛けているマントの裾を足で邪魔臭そうに跳ね上げながら大将は立っていた。
「久しぶりだな、シェラード。元気だったか?」
「おかげさんで。」
言い放つシェリーに苦笑しつつ、目は奥に据えてあるテーブルへと促した。
「お前がコールする時はロクな事がないからな。ホント言うと来るのを躊躇った・・・が。」
既にセッティング済みのテーブルに3名腰掛け、再会を祝うグラスを重ねる。
その音はどこからか入ってきた風が掬い上げて去っていった。
「噂でお前が浮かれてるって聞いたもんで。面白がって来てみたっちゅうわけだ。」
「・・・相変わらず・・・憎まれ口ばっかりよく出てくるなぁ・・・。」
「テメェみたいなのと付き合うとそうなりたくもなるんだよ、デーモン。」
それ以上何も言わずに、グラスに口を付けた通称・大将、現地獄副大魔王のデーモンは楽しそうだった。
「で?何だよ。俺を呼び出してまた面倒事を押し付ける気じゃないだろうな?」
すっかり空になったグラスを少々手荒に置き、シェリーは軽く睨む。
すると意外そうな表情でデーモンは笑った。
「シェラードの場合、面倒事を押し付けられるんじゃなくて、自分の方から突進していくんだろ?」
ミューと全く同じ事を言われて本気でムッとする。
・・・お前にだけは言われたくねぇ・・・。
これが彼の本心だったが敢えて黙っておいた。
「それにしてもお前の情報網は大したもんだな。吾輩のお出かけの件、もう耳に入ってるとは。」
「・・・・・お・・でか・・・け?」
いとも軽く言い放ったデーモンに思わずお代わりを注がれたグラスを落としかける。
「そう、お出かけ。吾輩ちょっくら次の探査惑星に行ってくるから。」
まるで歩いて5分の商店街へショッピングに出掛けるかの様な口振りに呆れ果てる。
横目でゼノンを見ても・・・。
ヤツはかなり落ち着いてまるで多悪魔事のように話を聞いている風だ。
「ってか・・・オイ!!お前なぁ!!!今の役職はどうするんだよ!ダミ様だって勘付いてイライラしてらっしゃるんだろ?!天界だって何時また攻撃
してくるか分からねぇってのに!!大体なぁ!お前には責任感ってのと緊張感ってのがゴッソリ抜けてるんだよ!全く・・・エースはどうしたエース
は!!いつもなら彼奴が一番に反対に来るんじゃないのか?!おい!!エース!!!出て来やがれ!!!」
余りのシェリーの剣幕に毒気を抜かれて口を開いたままのデーモンに代わり、ゼノンがそれについては答えた。
「エースはね、今、金星の調査に行って留守なんだ。どうも生命反応があったようで・・・あと5,6年は帰って来ないと思うよ。」
それを聞いた瞬間、シェリーはピン・・・ときた。
・・・成る程そう言うことか・・・。
「はっはぁ・・・分かったぞお前の魂胆。鬼の居ぬ間にお忍びゴッコってわけか。大したもんだよ、え?デーモン。」
一応あれだけ叫んだことでスッキリしたのか、はたまたいつものように諦めたのか・・・シェリーは立っていた身体を椅子に預けた。
「ま、そういうことだな。」
悪びれずによく言うよ・・・。
ドッと力が抜けてズリズリと今度は椅子からズリ落ちそうになる彼を見て、デーモンはクスリと笑う。
「でもな、俺はお前の役目の責任はどうするのか、ちゃんと納得しない限りどこにも行かせやしねぇぞ。全力でお前の行動を阻止させてもらうか
らな。」
ズリ落ちながらも目は真剣(マジ)なシェリーは正面からデーモンを見据えた。
「大丈夫。分かっているさ、そんなこと。怒らせたらお前が実は一番怖いってイヤっちゅう程知ってるし。」
「ぬかせ・・・。で?どうするんだよ。」
間髪入れずに返す彼に極上の・・・そう、ホントは見てはならない最高の微笑みで一旦デーモンは黙り込んだ。
イヤ〜〜〜な予感がする。
「な・・・なんだよ。」
「だから『お前』を呼んだんだ。シェラード。」
予感が的中しそうで何だか・・・コワイ。
思わず逃げ腰になりかけたシェリーはどうにかして笑顔を作ろうとするが・・・失敗した。
僅かに頬の筋肉が痙攣したのみに終わった。
「別に吾輩は無理難題をふっかけようなどとは思ってないぞ?」
「・・・俺、帰るわ。用事を思い出して・・・。」
これ以上此処に居ると何を言い出すか分からない。
自己防衛本能でもってシェリーは起立した。
「茶を啜ってここに来るぐらいだからヒマなんだろう?シェラード。まだ吾輩は何も言ってないぞ?」
ニヤニヤしながらデーモンは両手を組んで顎に添える。
「『まだ』っつった!今から言い出すんだろうが!!!俺ぁ帰る!!帰るぞ!!!・・・って〜か、帰してくれ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!」
当然だが・・・それは完全に閉鎖されたこの空間の中で一際虚しく木霊しただけであった・・・。