H O L Y B L O O D 〜前編〜
異様なまでの感覚。
それは全然悪印象はない。
寧ろ暖かな気持ちしか流れてこない。
後ろから背中ごと、身体ごと抱きすくめられているよな感覚があった。
優しい腕。
優しい香り。
その者の性質から滲み出る温もりが、廻された腕、身体を通して伝わってくる。
どこかで覚えている気がするけれど・・・。
何故か思い出すことが出来なかった。
誰だろう?
誰が・・・誰が俺を紺碧の闇の淵から救って・・・くれた?
「・・・気がついたっ!」
嬉しそうな声が耳の奥で響きわたった。
目を開くのがもどかしい。
「ルーク・・・・!!!ルーク!!!!」
呼んでいるのは・・・ライデン?
取りあえず身体に残っている力を出して、ルークはゆっくりと目を開けた。
「良かった〜〜〜・・・。もう目が覚めないかと思った・・・。」
本当に嬉しそうに、ライデンは彼の首に抱きついた。
「どうした?ライデン・・・ルーク!!!」
声を聞きつけて、扉の奥からデーモンが現れるのが見える。
「気が付いたのか?ルーク!!エース!!エース!!!!」
すぐさま階段の上からエースを呼びつける。
「ルークが目を覚ましたぞ!!!」
足音が近くなり、エースも部屋に走り込んできた。
「もう大丈夫だ。心配いらない。あとは安静にして寝ていれば直ぐに前線復帰できるぞ。」
デーモンがルークの身体を開きながら話しかける。
「・・・俺・・・。」
何が起こってるのかよく分からない様子で、ルークは3名の顔を交互に見つめた。
「覚えてないのか?何も・・・。」
直ぐそばにあった包帯を巻きながら、エースが怪訝そうな顔をしている。
ルークはベッドの中で大きく頷いた。
ため息をつき、エースは掛けてあったシーツを捲り、ルークに見るよう促した。
「・・・?」
恐る恐る右腕を見やると・・・そこにはあるべきモノが無かった。
「?!・・・何で?どうして???」
驚きを隠せずに紫水晶の瞳が泳いでいる。
「お前は一週間前、天界に行くと言って出ていったきり行方不明だったんだ。ダミアン殿下がそれは心配なさって。総動員して捜索されたがどうしても
見つからない。そしたら・・・だ。お前、どこにいたと思う?」
デーモンがマントの下で腕を組み替えながらその辺の椅子に座り込んだ。
「お前がゼノンの館の前に倒れていたのをこいつが見つけたんだよ。」
そう言いながらライデンをつつく。
コクコクと小動物のように頷きながら、ライデンは改めて嬉しそうな顔をしていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・何で?」
「それはこっちが聞きたいことだよ。」
不機嫌そうにエースは伸びてきた管を掴み、ルークの右肩に装着する。
直ぐに不足していたエナジーが身体の奥へと流れ始めた。
「お前・・・天界へ何しに行ったんだ?」
デーモンが尋ねる。
しかし・・・何も思い出せないルークにはその質問に答えようがない。
「分からないんだ。」
「分からないって・・・じゃぁ何故ゼノンの館に倒れていたのかも・・・覚えているわけないわな・・・。」
この件についての質問は今のところ無駄だと悟ったのか、デーモンは立ち上がった。
「ま、その腕が再生されるまでゆっくりすることだな。吾輩はダミアン殿下に報告に行ってくる。」
言い終わらない内にデーモンの姿は消えた。
「そう言うこった。ほら、ライデン、そんなところでへばりついてないで・・・ルークももう大丈夫だから
、休ませてやろう。」
エースがライデンを掴むと、無理矢理引き剥がして扉の方へ行ってしまう。
ふと・・・気が付いて。
ルークは呼び止めた。
「ちょっと待って!・・・ゼノンは?さっきから姿が見えないけど・・・。」
その一瞬、表情が曇ったが、エースはまた笑顔を見せた。
「ああ、ゼノンは野暮用で伏魔殿に籠もりっきりなんだ。お前が気が付いたこと、ちゃんと言っておくから。」
もうこれ以上答えない意志表示のつもりか、エースはさっさと部屋を出てしまった。
途端に静かになる。
人肌にあわせ流れるエナジーは、ルークに猛烈な眠気を襲わせた。
何故・・・ゼノンのところに?
天界へ何をしに・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
考えようとしても纏まらない。
ルークの瞳は穏やかに閉じて、しばらくすると規則的な寝息を立て始めた。
「で?様子はどう?」
隣のテーブルでカシャカシャと物を片付けているエースに尋ねた。
「さっき目を覚ましたばかりだ。意識ははっきりしてる。ただ・・・。」
エースが言葉を切ったのを、不思議そうに首を傾げて、ゼノンは先を促した。
「何も覚えてないらしい。自分が天界へ行ったことも、その理由も何も覚えていない。」
バラバラになっていた書類を重ね、ファイルの中にしまい、やっとエースはその辺の椅子を引っぱり出した。
「そう・・・何も覚えてないの・・・か。」
意味深に呟きながらゼノンは何か考えている。
ふ・・・と溜め息を吐きながら、エースの手は飲みかけのブランデーへ伸びていた。
「ゼノン・・・お前何か掴んでるんだろう?」
エースのルビー色の鮮やかな瞳が、深紅に染まる。
薄暗い部屋の淡い光に反射して、その鋭さがいつもより増して見えた。
しかし、その色にも全く怯えた素振りも見せず、ゼノンは銀色の髪を掻き上げてうっそりと笑みを浮かべた。
「それについては・・・まだもう暫く・・・。」
「・・・しょうがねぇな・・・。ったく、実際問題、仲魔内でお前が一番何考えてるのか分からねぇよ。」
両手を挙げて、戯けたようにエースは降参してみせる。
そして、情報局へ戻るために立ち上がった。
「じゃぁ、お前が【ここ】に居る事も・・・?」
ゼノンはゆっくりと頷いた。
「もう暫くは・・・・僕を行方不明にしておいて。でも・・・宜しくと。」
返事の代わりにエースは軽く手を挙げ、部屋をあとにした。
デーモンは深紅のマントの下から白い腕を出し、目の前にセッティングされたカップを手にした。
「それは良かった。伏魔殿としても困るからね。軍事局参謀殿が消滅してしまうのは。」
同じようにカップを持った手をゆったりと口元へ運ぶ動作が、王族のみが所有する優雅さを醸し出している。
「しかし・・・。当のルーク本悪魔が何も覚えていないと言うのが吾輩には解せません。」
紺碧の紋様を顰めて、デーモンは音を立てないよう細心の注意を払いながらカップをソーサーに戻し、また腕を組んだ。
ダミアンもその言葉に小さく苦笑する。
「ま・・・ね。ルークがあ何故単独で天界へ乗り込んだのか?何故重傷を負ったのか?まず、彼をあれ程痛めつけられる者が天界にいたという事実。
これだけでも魔界側としては問題にしなければいけないことなのだが・・・。取りあえず彼が無事だったのが奇蹟に近い。早急に情報局長官と連携し
て、総司令本部も原因を調べてくれ。」
アッシュブロンドの髪がサラリと揺れ、デーモンを見つめた。
「分かりました。では早速・・・。」
そう言って立ち上がり、退席の礼を取ろうとしたとき、ノックの音が響いた。
「エースです。お呼びにより、参上いたしました。」
「どうぞ。」
軽い返事と共にエースが書類を持って滑り込んできた。
「ご苦労様、エース。・・・面倒なことになったね。」
紙の束を受け取りながらダミアンは優美な動作で椅子を勧めてくる・・・が、エースは一礼してそれを断った。
「すみません、急ぎの仕事が入っておりますので。・・・デーモン、まだここにいたのか?お前が伏魔殿に来ていることを知った副司令官が血眼で
探しているぞ。」
面白そうにエースは扉の向こうを指す。
折良く、バタバタと聞き覚えのある足音と、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「・・・ったく・・・彼奴は地獄耳だからな・・・。また吾輩を書類に埋めさせるつもりなんだろう。・・・すみませんダミアン殿下、失礼させて頂きます。」
慌てたようにデーモンは空間の闇に消えたのとほぼ同時に、副司令官ジュリアスがノックもそこそこに扉を開けた。
「わっ!!!・・・と、すみません殿下、急ぎの用でして・・・閣下!!デーモン閣下!!いい加減に溜まった書類の処理をお願いいたします!!!
閣下の机の上が雪崩れてしまわない内に・・・って・・・長官、デーモン閣下は?」
一気に捲し立てた後、やっと2名しか残っていないことに気が付いたのか、ジュリアスはキョロキョロと辺りを見回した。
クスクス笑いながらエースは窓の外を指さす。
「お前が捜してることにやっこさん、気付いて退散したぜ。」
「・・・長官、あなたですね。閣下を逃がしたのは・・・。」
見る間に膨れっ面になっていく彼の表情がおかしかったのか、2名は声を抑えるのも必死で笑いを止めていた。
「俺じゃないぞ、俺はただ、ジュリアスが探してるぞって教えてやっただけだ。」
「そういうのを逃がしたって言うんですよ!!!ああああああ!!!もう、これで陛下に怒られるのは私なんですから〜〜〜〜〜!!!」
入ってきた同様、慌ててデーモンを追いかけて出て行ってしまった彼を、2名は見送った。
「デーモンの下に付いたって奴はみんな苦労するな・・・。」
独り言を呟いて、エースはダミアンと顔を見合わせて笑う。
「・・・それはお前だって一緒だろう?エース・・・とにかく調査の件、よろしく頼むよ。デーモンにも言っておいたから。それと・・・。」
声を潜めて言葉を止めたダミアンにエースも表情を引き締める。
「・・・あいつは大丈夫です。今のところは。例の場所に居ます。そのことはルークには教えていません。」
「・・・そう・・・それが良い。今回のことが全て片付くまで、ルークには何も・・・。」
一瞬、暗い表情になったダミアンにエースは大きく頷いた。
「分かっております。では、失礼いたします。」
暖かい夢の中で、ルークは一名、彷徨い続けていた。
誰か居ないのか?
たった一名では寂しすぎる。
どうしようもない寂しさと悲しさが入り交じった感情に翻弄されて、涙を流して良いのか、声をあげて良いのかを迷っていた。
信じがたいほど真っ白な世界で、自分が息をしているのさえも怖い。
全くの無の世界。
気が付けばその姿は、血にまみれ、切り裂かれた戦闘服の中で醜い傷口が今にも破裂しそうな位に鼓動を打っている。
夢の中だからだろうか?
痛みがない。
体中の血が流れ落ちていくのを無感情に眺めながら、先の見えない視界に立ちすくんでしまい、どうしようもない不安にルーク自身、途方に暮れてい
た。
ふと・・・。
背後の現れたグレーの影が一つ。
振り向こうとしたら、気配で制されてしまい、誰なのかが分からない。
『怖がらなくて良いから・・・そう、精神(こころ)を楽にして』
精神はで語りかけてくるその者は、ルークの両肩に優しく手をかけた。
『怖がらないで。敵じゃない。酷い傷を負ってるね、じっとしてて・・・』
言われるがまま、ルークはその者に全てを委ねてみた。
かけられた手を通して、エナジーが滑り込む。
「・・・あんた・・・だれ?」
この世界の中で初めて発した言葉にも返事はなく、ただ無言のままエナジーをくれる者。
不意に襲う強烈な眠気を、ルークは必死で我慢したが・・・やはりそれは無駄な抵抗に終わってしまった・・・。
目を覚ましたときには、既に部屋の中は真っ暗だった。
一体何時間眠ってしまったのか?
ルークは少しだけ回復した体力を振り絞り、片手で身体を起こした。
・・・懐かしい夢を見た。
まだぼんやりとしている意識で、ルークは夢のことを思い出していた。
随分昔の出来事。
同じように記憶がないまま天界に行き、ボロボロになって発見され時、辛うじて思い出した事。
それが・・・今見た夢の出来事。
誰かが自分を助けてくれた。
消滅しかけた幼い自分を、冥府の底から引き上げてくれた大切な者。
結局誰だったのかが未だ分からない。
懐かしくて切ない、遠い想い。
思い出す度に泣き出しそうになる優しい過去に、ルークはベッドの上でポタリと・・・一滴(ひとしずく)落としていた。
presented by 高倉 雅