H O L Y  B L O O D  〜後編〜

 

 

闇と精霊の森、それが鬼族が生まれた場所だった。
冷たく湿気に満ち溢れた空気が闇の中で物音一つ立てずに蠢き、小さな精霊達が侵入してくる者を容赦なく消滅させてしまう。
そこは、生きとし生ける者が入れる場所では無かった。
完全に守られた、ある意味「聖域」の様な森で鬼達は生まれた。
精霊では適わない巨大な相手から森を守るために、彼らは門番として、それが当たり前、自然の摂理だったと言わんばかりに殆どの者が大きく、
強く、凶暴な性格を宿した。
頭(こうべ)の頂点に突き出した角の色で彼らの力は決定した。
最高の力を持ち合わせた者は銀色の角を持ち、それは遺伝性ではなく、力を蓄えることが出来たのなら自然に変化する。
時代が流れ、その森から出ることを余儀なくされた彼らは、その性質を買われて伏魔殿、引いては魔界に大きな利益と力をもたらした。
最強の魔力を持つエリート集団【デーモン一族】
次第に二つの力がシンクロし、併せ持った力を持つ存在が鬼族の長となる。
しかし、第一次天魔大戦の激戦の中、生来の戦闘本能を剥き出しにした鬼は・・・全滅した。
ただ一名、大魔王の加護の元、隠された子を残して・・・。

 

 

「ルークが帰ってこないの?」
報告を聞いたゼノンは珍しくその眉を顰めた。
その様子に、少し驚いた素振りを見せながらもライデンは椅子に凭れてリラックスしたまま話を続ける。
「そ、天界に行くって言ったっきり一週間。理由も無いままにあいつが、だよ。」
不満そうな顔をあから様にして、立ち上がったゼノンの姿を目で追った。
「ホント、何しに行ったのやら・・・。ダミ様もそりゃ心配してさ。デーモンもエースも必死になって探してはいるんだけど、何しろ行った先が先だろ?
ルークの気配を掴むことが出来ないで、相当苦戦してるみたい・・・ってゼノン・・・どうしたんだよ。そんな鉛飲み込んだような顔して・・・。」
窓辺に寄り添い、目を閉じたまま考え事をしている彼に、ライデンは何だか迷子の子犬みたいな顔で椅子から乗り出し、顔を覗き込もうとする。
「あ・・・ごめん。ライデン、一つだけ頼まれてくれる?」
ようやくライデンの顔を見たゼノンはいつもの優しい表情ではなかった。
口調こそはいつものそれだったが、顔は今まで見たこともないくらいに真剣なものである。
それに一瞬、背筋を伸ばし、ライデンは構えた。
「・・・な、なんだよ。」
「デーモンとエースとダミ様にね、僕も暫く留守にするから、文化局の仕事を頼むって・・・何ならライデン、お前が局長代理してくれる?」
突然、とんでもないことを言い出したゼノン、ますますいつもらしからぬ状態に心配になり、さすがのライデンも大声を出す。
「あのなぁ、俺は伝書鳩でも飛脚便でも無いんだぞ。ったく・・・。ルークに何があったのかが分かってるみたいだな、お前は。それは俺にも言えない
ことなのか?!」
「言えない。」
言い終わらない内に間髪入れず放ったゼノンの台詞からはそれ以上何も言わせない完全なるオーラが放たれている。
こうなってしまったら・・・ホントにライデン、何も言えず、椅子から離れて扉へと向かった。
「別に良いけどさ・・・。伝言はしておく。お前も直ぐ・・・帰ってくるんだろ?」
不安が抜けきらない彼に、ゼノンはやっと笑顔を見せた。
「当たり前でしょ?」

 

 

ライデンが帰ってしまった後、ゼノンは直ぐに剣を手に取った。
それは飾り用ではなく、唯一自分の手元に残った鬼族としての証、光を断ち切り、なぎ払う戦闘用のもの。
鈍色のそれを腰に携えて、転移したのは天界の入り口だった。
ここまでくればルークの気配を微弱ながら感じることが出来る。
全神経を集中させて呼びかける。
どこにいるのか?何をしているのか?どういう状態なのか・・・もしかしたら?
不安に溺れそうになりながらもゼノンは呼んだ。
「・・・いた!!!」
何をしに行ったのか?それはライデンの話を聞いた時から分かっていた。
彼奴に会いに行ったのだと。
遙か昔、ルークがまだ天使だった頃、魔界に墜ちることに協力してくれたあの者に。
風の噂で彼は死にも勝る酷い罰を受けたことを聞いていた。
その事をルークが気にしないわけはない。
・・・そんな奴だ・・・あいつは。
ゼノンは古い記憶を呼び起こしながら歯噛みする。
悔しい思いが交錯していた。
天界の入り口と言うにはあまりにも場違いに見える鋼鉄製の扉の前でゼノンは剣を構えた。
確かにルークはこの中にいる。
そして・・・彼が会いに行った相手も。
一瞬、闇色に光った剣を力を込めて振り下ろした。
がっ・・・・。
小さく抵抗する音が響き、その後・・・扉は真っ二つに切り裂かれる。
と同時に、中で警護していた2名の天使の胴体も真っ二つに切り取られ、扉と一緒に横倒れた。
一歩中に入ってそれを一瞥し、歩き出したゼノンの表情には、魔界で見せる優しげな面影はどこにもなかった・・・。

 

 

向かってくる敵は何の情けもなく振り下ろされる剣の餌食になり、城の中は死体が山積みにされていった。
銀色の髪には返り血が飛び、城を彷徨う時間が長くなるほど彼を悪魔たらしめん姿へと変貌させていく。
真っ直ぐにルークの気配を追って突き進んでいく。
今のゼノンにとって、天使達の攻撃は集ってくる羽虫程度にしか感じなかった。
最奥部の地下深く・・・鉄格子を介した場所にルークは横たわっていた。
見張りも誰も居ない・・・と言うことは、その必要性が無くなるぐらいに痛めつけられているという事である。
入り口と同じように鉄格子を切り、ゼノンはルークを抱きかかえた。
「ルーク!!しっかりしてルーク!!!」
肩を揺さぶり、声をかけるが・・・小さく震えるように頷いただけで、また意識を手放してしまった。
魔界で軍事局の参謀を務め、デーモンを凌ぐとまで言われる魔力の使い手である彼をここまでにする相手とは・・・?
ふっと・・・思考の奥地に入り込もうとしたその時、後ろの方から強烈な殺意とともに剣が振り下ろされてきた。
ルークを抱きかかえたまま、危機一髪、その攻撃を避け、相手の顔を見た・・・が、驚きはしなかった。
寧ろ予想通りの展開にゼノンは苦笑する。
「・・・元気だったみたいだね。」
声をかけたが返事はない。
衣服は身体が見えるほどにボロボロで、異常なまでに発達した筋肉が不気味に見えた。
そして、その瞳は黄金に輝き表情などこそげ落とされている。
「どんな罰を与えられたかと思っていたけど・・・思った通りだったんだね。「洗脳」・・・か。」
振り返るのと同時にゼノンがかまえた剣は、相手の喉元にピタリと向けられ、動きを封じている。
そして相手の剣もゼノンの心臓真っ直ぐに突き出され、1ミリでも動けば直ぐに貫けそうな位置にある。
互いに身動きがとれず、その奥に潜む思いを探るため数瞬が過ぎた。
天を裏切った者への罰。
その最高刑が「洗脳」。
二度と裏切りを許さないために、幽閉し、直接神の意志を罪人へ移植する。
その時の苦痛は死の方が楽だと言われ、「洗脳」を行われた者は、物言うことも許されず、自分の意志を抹殺され、ただ、神の名の元に戦うこと
だけを強いられる。
その為の肉体改造、力。
「ルークの血は美味かったかい?お前があの時一番大切に思っていた友の血を啜るのはそんなに快楽かい?」
答えがないのは分かっていても、尋ねずにはいられなかった。
抱き上げたときから分かっていた。
ルークの右腕は切り落とされていた。
恐れていたことが既に行われていた。
剣をかまえたまま、ゆっくりとルークの身体を下ろし、立ち上がる。
「そう言えば・・・お前もこいつと一緒に魔界へ墜ちたかったんだろう?でもあの時・・・僕はルークしか魔界の門の中に引きずり入れることが
出来なかった。さぞ僕を憎んでいることだろう。」
慎重に剣を頭上へかまえて左手を刃に添える。
「憎むなら僕だけを憎め。ルークは・・・やらない。」
『・・・ぜ・・・の・・・ん・・・・・・・・・・・・・・。』
苦痛に歪めた顔を露わに、同じく剣を右下に構え直した彼・・・ガルテルの口から声が発された。
「・・・ふ・・・ん。憎しみ勝って声も取り戻せた?でも残念だったよ。僕は君と一度くらい話をしてみたかったな。ルークは渡さない。
お前になんか絶対に渡さない。でも・・・ただお前を殺すという意志で消滅させるにはわざわざ誰にも告げずにお前に会いに行ったルークに
申し訳ないから・・・こう考えることにしよう。お前は嘗てのガルテルじゃない。お前はガルテルによく似た化け物だ。あんなに良い奴だった
ガルテルの身体を乗っ取った哀れな怪物を・・・僕は殺すことにするよ。」
静かな声が地下牢に響いて、石畳の中にその声が消えたが合図だった。
一瞬早くガルテルの剣がゼノンの首めがけて横になぎった。
寸での所でそれをかわしたが、空気を切り裂くその勢いはゼノンの首の皮一枚を裂いている。
すい・・・と流れた血を襟で拭い、軽く床を蹴ってゼノンの身体はガルテルを飛び越えた瞬間、頭から剣を突き下ろす。
が、そこに彼の身体はなく、床の石が大きな音をたてて破壊されただけだった。
途切れることなく攻撃は続き、必死で受け止めるゼノンの表情にも、ガルテルの表情にも余裕はなくなっていた。
気の緩みが命取り、互いの力を感じてるからこその真剣勝負。
一瞬の隙をついたゼノンの気がガルテルの身体を反対の壁まで吹き飛ばした。
もんどり打って倒れ込もうとする彼だったが、そう上手いこといくわけがない。
痛みも何も感じないかのように、驚異的な脚力で、飛び起きゼノンに向かって飛んできた。
「ぐっ・・・!」
あまりの力に、さすがのゼノンも声をあげ、全身全霊で攻撃を受け止め、かわす。
「ガ・・・ルテ・・・ル・・・。」
その時、小さな声が後ろから聞こえてきた。
「ルーク・・・!!!」
頭上で剣を受け止めていた力がほんの僅か・・・抜けた。
勿論ガルテルがそれを見逃すはず無く・・・。
一瞬の出来事だった。
不意に受けていた力が軽くなり、視線を戻したその時、左肩から右の腰骨にかけて熱い感触が、火を付けたかのように広がっていった。
焼け爛れるような痛み。
「がっ・・・!!!!!」
心臓まで達さなかったのは、用心のために着込んできたアーミースーツのおかげであり、それでも内蔵を一直線に切り裂かれた激烈な痛みは、
何を持ってしても紛らわすことなど出来なかった。
「うあぁっ!!!!!!」
あまりの痛みに短い悲鳴しか発することの出来ないゼノンは、それでもルークを庇いながら倒れまいと頑張る。
『ぜ・・・の・・・ん・・・。』
再び発された自分の名前に、苦笑混じりの表情でゼノンは床に血を吐き出した。
「・・・お前に・・・呼ばれても・・・嬉しくも何ともないよ・・・。ガルテル・・・。」
精一杯の力でゼノンは立ち上がった。
自分の血で滑り落ちそうになる剣を握りしめ、輝きを失わない刃先に全てを集中させ、ガルテルの心臓を貫こうとスタートした。
「たぁああああ!!!!!」
あと一歩でその身体を抉ろうとした・・・その時。
赤い閃光がゼノンの頬を切り、駆け抜けた。
霞む視界の中でガルテルの両腕が真っ直ぐに突き出され、両手の平の中から同じく赤い光の珠が発射されていく。
今の彼がワザと外すはずはない・・・何か意図が・・・?
後ろを見た瞬間、ゼノンは無意識のうちに足を反転させてルークの元へと走った。
必死で腕を伸ばし、微かに息を吐くルークの身体を突き飛ばす。
そして・・・。
怒濤のような音とともに、石壁が天井近くから砕け、バランスを失い、床の上へと落ちてきた。
ゼノンが上げたであろう悲鳴はその破壊音に掻き消され、響くこと無かった。
気が付けば、小さな欠片の石が山と詰まれた塚の上で空しく駆け下りていく姿だけ・・・。
その様子を見届けてガルテルは手を下ろし、剣を引きずりながらゆっくりとルークが倒れてる傍に歩み寄った。
散々痛めつけ、これ以上は殺す意外なさそうな姿のルークに何をしようと言うのか、分からない。
とにかく目の前の邪魔者は消えた、「洗脳」を行われた際の呪縛により、ガルテルの身体は血や肉を啜ることでしか生き長らえられない。
その本能に忠実に従い、彼は反抗しないルークのもう片腕を手に取り・・・。
ざぐっ・・・・・・・・・・・・。
それは確かに肉を抉り、心臓を貫く音だった。
不思議そうな感じでガルテルは自分の胸を見つめる。
真っ正面から両刃の剣が一閃。
身体の中の骨ごと刺し貫いてそれは背中から出てきた。
塚の中から血塗れの手が生えている。
銀色のオーラがその隙間からはみ出し、パワーを堪えきれなくなって一気に爆発した。
口から血を流し、背中もズタズタにされて、銀色の鬼が悲しそうな瞳を湛えている。
「ガルテル・・・ごめんね。」
無表情のまま凍り付いた顔を確認し、ゼノンはゆっくりと腕を引いた。
思いの外簡単にその腕は引き抜かれ、ルークの腕を握りしめたまま彼の身体は前のめりに倒れた。
「ぜ・・・の・・・ん・・・・・・・・・・・・・・るー・・・く・・・・・・・・・・・・・・・・ご・め・ん・ね・・・・・・・。」
黄金だった瞳は元の琥珀色に、発達した筋肉があっと言う間に小さくなっていった。
まるで蝶の脱皮のようにそれは元の美しい天使長だった者へと変化し、その表情は笑っていた。
「ガルテル・・・。」
呟くとゼノンは這うように彼の側へ行き、開いたままの瞳を手で押さえ、閉ざしてやった。
先ほどの衝撃で原型を留めていないであろう背骨は痛むどころの話ではないが、どうにか両足を地面に踏ん張らせて、ルークの身体を抱えた。
そのまま、2名は空間の狭間に隠れ、魔界に辿り着いた・・・所まではゼノンも覚えていた。

 

 

 

 

何度も何度も眠りから覚めては涙を流し・・・と繰り返していた。
暖かいオーラは銀色。
誰のオーラなのか?
それは分からなかった、最後まで。
自分が天使だった最期の瞬間、魔界へ引き上げてくれたの者も天界から何故か協力してくれた者も同じ色。
もうそれ以上は思い出すなと誰か知らない者が叫ぶ。
思い出すことで得られる喜びも嬉しさもない、あるのは切なさと悲しみだけだと。
警告している。
だから・・・諦めた。
「あなたがそう言うのなら・・・俺はもう忘れる。思い出さない。」
見えない誰かに宣言するようにルークはベッドに横たわったまま口にした。
右腕が疼きだす。
再生をする為に、その部分の細胞と魔力が動いているのが感じ取れた。
また眠ろう。
・・・今度こそ夢に魘されずに眠れる。
忘れようと決めたから。
そう思って、目を閉じた。

 

 

ルークはどうしてるだろう?
そのことばかりが気になった。
身動き一つ出来ないまま、自ら隠れたエースの自宅。
自分の館まで連れ帰ったところまでは何となく覚えてはいるのだが、それからが分からない。
匿ってくれたエースが後で教えてくれたことによれば、屋敷の前で半死半生のルークと、それ以上に危険な状態だった自分を最初に見つけた
のはライデン。
彼の細腕で2名を転移させ、デーモンの屋敷へ運んできたときにはさすがの彼らも驚いていたらしい。
意識はないままに自分が口にしていたのは自分の身を隠してくれ、ルークには自分が傷ついていることを言わないでくれ・・・だったという。
ワケも分からぬまま、彼らはその通りにしてくれたこと、そして無意識の自分の発言に対し、ゼノンは諸手をあげて褒めてやりたかった。
まだ意識があったとき、力を振り絞ってルークにかけた呪詛。
記憶の封印。
天界に行くと言ったときからこの瞬間までの記憶をゼノンは己の身体の中に封印した。
もう二度と、ルークが傷つかないために。
魔界に転生したときと同じ様な、涙色の瞳を二度と見なくてもすむよう。
知らない方が良い、忘れた方が良い事実も時にはある。
知っているのは自分だけで良い。
そう、信じるしかなかった。
それしかもう・・・。
ふと、最後にみたガルテルを思い出した。
笑っていた。
薄れる意識の中で彼が呟いてた。
「ルークをよろしく。」
その返事をゼノンは今、口にした。

 

「一生守るよ。僕の全てをかけて、ルークを。だから安心して。」

 

 

 

 

全ての事実がルークに戻ってくるのはそれから気の遠くなるような時間が過ぎてから。
最後の天魔大戦にてルークを庇い、ゼノンが消滅した時のことである。

 

                                                                    F I N

                                                               Presented by 高倉 雅