モザイクのLove Maze 〜ARCADIA 6〜
宴も佳境に入りつつあった。
ダミアンはベルベットが張られた紫紺のソファーに腰掛け、優雅な手つきで舐めるように酒を味わっている。
そして、猫目石色の瞳は広間を見つめ・・・いや、凝視に近いかもしれない。
ある一点を見つめている。
その視線の先は・・・。
広間のほぼ中央でさり気なく・・・談笑中のデーモンに寄り添う彼の姿。
エースだった。
現・情報局長官。
彼が今、消滅することになったら魔界は・・・考えたくもないことになるだろう。
情報の流出、天界・魔界・人間界入り乱れての大混乱。
そしてそこに何らかの隙はできる。
その時が・・・。
ダミアンの口の端がニヤリと不気味に上がった。
ふと、デーモンの真上に存在するシャンデリアが目に入った。
何百本もの蝋燭が掲げられた重厚な造り。
しかも、かなり高い位置に在る。
もしもあれが落ちたら・・・。
ダミアンの瞳が金色に光った。
瞬間、シャンデリアを支えていた太い鎖が、下の喧騒と音楽に千切れた音を掻き消された。
引力の法則に従い、受け止めてくれる筈の床に向かってまっすぐに落ちてゆく。
シャンデリアに飾りを与えている蝋燭は落下の速度が上がるにつれてどんどん炎を消し、更に速度と勢いを増す。
そしてその真下にはデーモンが居た。
そのまま・・・そのまま・・・。
ダミアンの笑みが喜びを増していった。
その時。
「デーモン!!!!」
複数の声が一斉にデーモンの方向に放たれた。
はっとしてデーモンも見上げる。
まさに間一髪、シャンデリアの破片が絨毯に飛び散る直前、誰かがデーモンの上に覆い被さって5メートル向こうへ飛ばされていた。
細かい粉末状の破片が顔の周りを汚していたが、どうやら痛めた所は無さそうだった。
「・・・うっ・・・イタタ・・・。」
フルフルと髪を振ると下敷きから這い出てくる。
デーモンは上に被さっていた者を見て驚いた顔をした後、にっこりと笑みを浮かべた。
「間に合ったな・・・。」
「ああ・・・。何とか間に合ったみたいだね。」
彼も頭を振ると、顔を上げて笑った。
銀色のサラリとした髪、そしてまるで大理石のようにしなやかで艶みのある銀の二角。
瞳の色が見たことも無い銀色へと変化していたが、まさしくそれはゼノンの姿だった。
「ゼノン・・・何だその格好は・・・。」
場違いなくらいデーモンの呑気な台詞に流石のゼノンも呆れ顔だ。
「え?・・・何か知らないけど・・・君の剣の封印を解いたら僕の鬼としての封印も解けたみたい・・・。ま、それはともかくとして・・・。」
ゼノンは脇に挿した剣をデーモンの手の中に返した。
「数万年もの間、僕達が預かっていた封印の剣をお返しいたします。デーモン一族の長よ。」
金色の剣は主の元に戻り、なお一層輝きを増したかのように見える。
デーモンは剣の鞘を抜いた。
白に似た銀色の剣先が、下に落ちてからも消えずに残ってた蝋燭の灯火に光っている。そしてそれは真っ直ぐに・・・。
「ダミアン殿下・・・。いや、ダミアン殿下であって、ダミアン殿下で無い者。」
デーモンは指し示していた。
「で・・・デーモン・・・・・・。」
ダミアンの視線が泳ぐ。
大広間中の時間が止まったかのように静かになっていた。
「どういうことだい?」
しかし、デーモンはしっかりとした瞳でダミアンを見据えていた。
「デーモン?!」
ルークの信じられない声がデーモンを制そうとする。
それさえも無視して、デーモンはゆっくりとダミアンの座る玉座に歩み寄った。
「この剣はデーモン一族の剣。放たれる光をその瞳に写すとお前の目は潰れる。何故なら、ダミアン殿下や吾輩を傷付けたモノと反対に、
これは魔族にしか触れることの出来ない剣だから。さぁ・・・お前はコレに触れることができるのかな?」
既に仮面を剥ぎ取って、妖しく残虐に輝くデーモンの瞳に、ダミアンは椅子から立ち上がり後退りを始めていた。
「あなたが正真正銘ダミアン殿下であるとするならば、この無礼、吾輩の命で払わせていただこう。しかし・・・。」
デーモンは玉座へ確実に近付いていく。
「デーモン!!」
エースの声が下から聞こえた。
「黙っていろ!!」
一喝するとデーモンはとうとう、ダミアンを壁際まで追い詰めた。
「で・・・デーモン・・・・・・・。」
心なしかダミアンの声と身体が震えている。
「くそう!!!!!」
小さな舌打ちが聞こえたかと思うと、ダミアンの隠されていた左から小刀が、デーモンに向かって差し出されてきた。
「甘い!!!」
軽く飛び上がると、デーモンは階段の手すりのトップに立つ。
「見たか!!者どもよ!!此れはダミアン殿下ではない!偽者だ!!」
デーモンの宣言が広間全体に響いた。
「何だと?!」
様々な驚愕の声が波紋のように広がる。それに気付きダミアンも観念とばかりにデーモンの胸を狙って再び小刀を突き出してきた。
「器はダミアン殿下でも中身が違う・・・そんな腑抜けのような者に吾輩が倒せるか!!」
デーモンはヒラリと飛び、剣を構えてダミアンに向かって振り下ろした。
「くっ!!!」
流石に器はダミアンだけある。
たかだか小刀一本でデーモンの剣を受け止めてきた。
重なり合った金属と金属の間から火花が飛び散る。
きぃいいん・・・・・と耳を突き刺す音が鳴り響いた。
「お前の目的は何だ?!ダミアン殿下に乗り移り・・・誰を狙う?!」
デーモンの問いかけに何の答えも無い。
ただ、必死の形相でデーモンに刃向かい、小刀を振り回しているだけだ。
「ダミアン殿下を最初は狙っていたのではないのか?!何故だ!!何故にこんな・・・・!!!!!!!」
デーモンの顔が見る見るうちに蒼ざめていく。
考え付きたくなかった最悪の答え。
デーモンは振り向いて誰かを見つけた。
一番に目に入ってきたのは・・・こちらを真剣な面持ちで見守っているエース・・・!
「エース長官!!!」
突然呼ばれた名前に、エースは弾かれた様に顔を上げた。
「デーモン?!」
何か危険なのか?!そう思ったエースはすぐさま助けに行こうとして階段を登り始めようとする。
しかしそれは大声で制した。
「違う!!吾輩は大丈夫だ!!そうじゃなくて大魔王様だ!大魔王様が危ない!!奴等の本当の目的はサタン四四世だ!!行けぇええ!!!」
迸る様な命令にエースは大魔王の部屋に急いだ。
暗がりの石畳の廊下を、固いブーツの踵が叩きつける音だけが響く。
エースはこれからの戦いにとって邪魔な装飾品を全て脱ぎ捨てて、全力疾走で大魔王の寝室を目指していた。
ここで大魔王陛下が死んだら・・・。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
とにかく大魔王陛下の御命を守ること。
それがデーモンからエースに課せられた命令だった。
伏魔殿の別館、そこに大魔王が臥せっている寝室がある。
ただひたすら、エースはそこを目指していた。
「ふふ・・・ふふふふふ・・・・・・・・くくくく・・・・・。」
エースが飛び出していったのを確認したダミアンは無気味な声で笑い始めた。
その様子に眉を顰め、更に怒りを露にしたデーモンが大きく剣を振り翳す。
「何が可笑しい?!」
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!!!何が可笑しいかだと?!まだ気付かないのかね?デーモンよ。・・・副大魔王というの
は、とんだ間抜けでも務まるって事かい?!可笑しくって涙が出るよ!!!」
既にそれはダミアンの声ではなかった。
明らかにその器から出るには不自然極まりないモノ。
とうとう本性が出てきたらしい。
「・・・どういうことだ?」
湖水の瞳を極北の色に変えて、デーモンは剣先をダミアンの首筋ギリギリまで突きつけると問いかけた。
「死にかけたサタンにトドメを刺したところで、天界に何か利益があると思うのか?魔界を揺るがすには内部の・・・それも戦略の中央を破壊した方が
得策だとは思わないのかい?」
笑いが止まらず、息の絶え絶えに言い放つダミアンに、デーモンはふ・・・と手を止めた。
「なん・・・だと?」
「お前の記憶が何故無くなったのかなんて我々の知った事ではないわ!!我々の本当の目的は・・・魔界を揺るがし全てを大混乱に導くこと。
少し前だったけど刺客を送ったが失敗したっけね・・・まぁ、ミハエル様の力を借りても所詮は堕ちかけた天使。我々も期待はしていなかったがね。
彼は馬鹿だったよ。何てったって抹殺しに行った獲物に惚れてしまったのだからな。」
びくり・・・とデーモンの身体が震えた。
その様子を見て、ダミアンがさも嬉しそうに笑い転げる。
「はっはっはっはっは!!!!・・・艦隊二機の撃墜、副大魔王のお前の抹殺、そんなモノには用は無い。我々が望むのは・・・!!!」
怒りが頂点に達し、デーモンはダミアンの身体という事も忘れて魔剣を振り上げ、左胸に標準を合わせたその瞬間・・・!!
ザクリ・・・・・・・・・・!!!!
嫌な音が小さく鳴った。
しかし、デーモンの手によって発せられたモノではない。
何故ならデーモンの剣はまだ一滴の血にすら触れてはいなかったのだから。
「・・・・がはぁっ・・・!!」
背中から胸を刺し貫かれる直前、ダミアンの口から鮮血・・・いや、何かの影が一瞬、飛び出してきた。
「しまった!!」
後ろから響く悔しげな声はルークのものだった。
「ルーク・・・!!」
信じられないという顔でデーモンが呟く。
「大丈夫だから。この剣は俺の精神を受けて出現する物。本当に殿下の身体を突き抜けたワケじゃない。それよりも・・・さっき出てった影の方
が心配だから・・・デーモン、早く!!!急いでエースの元に行って!」
ルークの声に背中を押されてデーモンは剣を持ったまま、エースが走り去った方向へ急いだ。
「サタン様・・・?」
一応ノックをしたが、いつもの通り返事は無かった。
もう既に外は暗く、天を刺す様に伸びている山の頂には紅月が上り詰めようとしている。
「・・・。」
静かに静かに扉を開くと、薄手のカーテンに背を向けた形で誰かがベッドに身を入れていた。
「サタン様・・・。」
天蓋付のベッドは調度良く月の影を遮り、中の者の眠りを妨げない造りになっている。
気配は無い・・・。
天使はおろか、侍従達の気さえも・・・。
一名・・・?
そんなワケは無いだろう?
魔界の最高権力者であるサタン四四世の寝室に警備の者も居ないなんて・・・。
エースは部屋の中に入り込んだ。
おかし過ぎる。
「どうして・・・?」
エースはベッドに近付いた。足音を忍ばせ、途中で寄った情報局から掴み取ってきた剣の鞘をいつでも抜けるようにかまえる。
すると・・・。
こつり・・・と何かが足元にあたった。
「っ!!」
声を立てないように細心の注意を払い、暗がりの中を月の光頼りに凝視する。
そしてそこには・・・。
最初に見えたのは手らしきモノだった。
しかしそれはあるべきところにくっ付いていない様だった。
何故ならそれの横には脚らしきモノが転がっていたから。
職業柄、その様な肉片を見ることには慣れているが、今の状況が状況だけに眉を顰める。
何故・・・こんな所にこのようなものが・・・?
少し視線をずらすと、甲冑を被ったままの頭が見つかった。
それは大魔王の警護を任とする近衛兵達の着用するそれに間違いは無かった。
「・・・・これはっ・・・・・・!!!!!!!!!」
エースはすぐに気配を感じ、後ろを降り返った刹那・・・!!!
デーモンが剣を握りしめた手の中は、既に汗でじっとりと濡れていた。
先ほどのダミアンとの戦いが理由ではない。
何か嫌な予感が・・・デーモンの胸中を掻き乱していた。
「エース・・・!!!!」
目の前に開け放たれたままの大魔王の寝室が見えた。
「エース!!!!!」
デーモンは更にスピードを上げ、部屋に飛び込んだ。
一瞬の出来事だった。
少なくともエースにとっては・・・。
信じられない表情でエースは自分の胸を染め上げていく赤褐色に見とれてしまった。
痛み・・・?
そんなもの感じない。
「エース!!!!」
悲鳴のような声。
「・・・デ・・・ーモン・・・・・?」
思いがけず自分の声が小さなことに気付いた。
スローモーションのようにデーモンがこの部屋に入ってくる様子が見えた。
一瞬、デーモンの視線がうろつき、自分に向かって静止する。
そして見る間にその表情は悲痛なものへと変貌していった。
「エース!!!!!!!!!!!!」
鼓膜に何かフィルターが入ってしまったかのように遠くに聞こえる。
何か・・・?
何か俺のこの姿は何か・・・変なのか?
もう一度エースは自分の身体を見下ろした。
そして驚く。
左胸から飛び出した刃渡りの大きな剣先。
内臓を抉り出され、胸の辺りが途端に熱くなる。
「デーモン・・・・・・・・・・。」
エースは剣を胸に抱いたまま前のめりに倒れこんだ。
そしてデーモンの両腕にすっぽりと・・・入り込んだ。