モザイクのLove Maze 〜ARCADIA 4〜
「その後、デーモンはどうだい?」
数日後、ダミアンに呼び出され、再びエースは執務室にいた。
「は・・・さして変わった様子は。」
「記憶は?」
自由の利く左手でカップを抓み、覗き込むようにエースを見る。
「それは・・・まだ・・・。」
そう。まだだった・・・・。
あの日。
事を終えた瞬間、そのまま昏倒したデーモンを抱き上げ、文化局へ行った。
殆どそこの長の自室になっているらしく、温室に改造され、ありとあらゆる植物が所狭しと並べられる様は、ミニジャングルと言った感じだった。
「おや・・・?エース、どうし・・・・・・・・・。」
花に水をやっていた手を止め、ゼノンは彼の手から真っ青な顔した悪魔を受け取ると、胸元を慣れた手つきで開いた。
「・・・別に異常はないよ。・・・眠っているだけだ。」
ホッ・・・としたように胸を撫で下ろす。
「・・・でもダメだよ?あんまり激しい運動したら・・・まだ傷は治りきってないんだからね。」
まだ一言も話していないのに、ゼノンには全てお見通しだったらしい。
微笑みを浮かべながらも、軽く睨まれる。
「あっ・・・いや・・・。」
しどろもどろになるエース。
「まぁ・・・どうでも良いことだけど・・・。どう?喉乾いているだろう?お茶を入れるよ。」
そう言ってパチンと指を鳴らした。
すると2名の丁度良い位置に椅子が出現し、目の前には既に準備の整ったティーセットが透明のテーブルと共に現れた。
「・・・お酒じゃなくてゴメンね。この子達が嫌がるから。」
そう言って、後ろの植物達を指す。
「ああ・・・別にかまわない。」
デーモンが眠っている奥の個室の扉を少し開け、時々そちらを見ながら2名の沈黙は続く。
そして、それを破ったのはゼノンだった。
「記憶は?まだ戻らないの?」
突然の、しかもダイレクトな質問にエースは飲みかけたカップをソーサーに置き、小さく首を振った。
「そっか・・・まず、何故、その部分だけ抜け落ちているのかを調べないといけないんだけど・・・・何の異常も見付からないんじゃ、話にならないよ。」
エースは、何かを思いだしたようにゼノンを真っ正面から見つめた。
「その事で・・・少し話をしたい。聞いてくれるか?」
ゼノンは返事の代わりに空になった自分のカップに紅茶を注いだ。
「なるほどね・・・・。ものすごい頭痛のあと、一瞬だけ思い出したんだね・・・。」
時々懐いてくる草花を適当にあしらいながら、ゼノンは溜息をついた。
「そこで分かった・・と言うより気付いた事はデーモンの記憶は無くなっているわけではない。誰か、何かの力によって封印されているんだ。」
胸ポケットから煙草のケースを出しながら、エースは軽くゼノンの前でそれを振った。
「・・・?ああ・・・・良いよ。少しだけなら。・・・・でも・・・何のために?何故、デーモンにエースのことだけを忘れさせる必要があるの?」
「そこだ・・・。そこがよく分からない。俺のことだけ・・・・。」
エースの手の中の煙草が、潰されかける。
「多分その事にダミアン殿下は気付いてたんじゃないかな?たから・・・デーモンを疑っている・・・・違う?」
ゼノンの指摘に煙草に火を付けようとしていた手を止めた。
「一寸待て・・・何故、お前はその事を知ってるんだ?その事は俺と殿下だけの話じゃ・・・・。」
驚愕の表情を浮かべ、ただただゼノンを見つめるしかないエース。・・・と、草花と遊んでいたゼノンの手が止まり、口の端を歪めて笑った。
「・・・僕が知らないとでも?エース・・・。僕を誰だと思ってるの?文化局長なんだよ。」
クスクスと笑うその顔は、いつもの温和そのもののゼノンではなかった。
明らかに文化局長・・・いや、優秀な諜報部員の冷酷なそれだった。
流石の情報局長官もゾッとするほどの冷ややかな笑みを浮かべたまま、再びエースを見つめる。
「ダミアン殿下はデーモンを疑っている。デーモンに天界製造の武具で負わせた時、どこかの上級天使が乗り移ったと思ってる、そして、あわよくば
燻りだして抹殺しようという考えだ。そうじゃないのかい?そう言う話じゃなかったかい?エースよ。」
「・・・・・・・・・・・お前には敵わないぜ。ゼノン。全く・・・その通りだ。」
細い紫煙を吐き、エースは椅子の背凭れに全身を預けるように反り返った。
その様子を見て、ゼノンはいつもの柔らかい表情に戻った。
「やっぱりね。で?エースは?どう思ってるの?」
覗き込むようにゼノンは下から見上げてくる。
「え・・・?俺は・・・・違うと思う。」
何だか冴えない顔でエースの語尾はだんだん小さくなっていった。
「大丈夫だよ。多分デーモンじゃない。いや、絶対に。」
言いきるゼノンにエースは首を傾げ、ティーポットを手に取ると勝手に紅茶を注ぐ。
「何でそんなに断言するんだよ。何か根拠があるのか?」
「キミがさっき、デーモンを連れてきただろう?その時、この子達が何の反応も示さなかった。・・・植物ってのは悪魔や天使よりも色んなコトに敏感で
ね。どんなに僕たちが力を使っても分からない事でもこの子達だったらすぐに嗅ぎ分ける。だからだよ。」
その言葉にその辺にいた植物達が照れたように花弁を埋めた。
「・・・そんなもんかな?こいつらが・・・・?」
怪訝そうにエースが近くに寄ってきていた葉っぱをつん・・・とつつく。それにビックリしたのか、慌ててその葉は首を引っ込めた。
「苛めないの・・・。さぁ・・・そろそろ仕事に戻った方が・・・・・・・。」
立ち上がりながらゼノンは腕時計を見た。
「ありゃま・・・もうこんな時間だったね・・・。そろそろ帰ろう、今日は何だか疲れちゃった・・・。」
椅子から立ち上がって、エースはデーモンが眠ってるはずの部屋へ足を向けた・・・。
「・・・ゼノン!!!デーモンが!!」
ガタリと扉に背を凭れてエースは震える指で部屋の中を指す。
慌ててゼノンがそちらへ向かうと、クシャクシャになったシーツが無造作に置き捨てられ、既に蛻の殻だった。
「・・・あんな身体で・・・どこに行ったんだ!!」
言い終わらないうちにエースは文化局を走って出て行ってしまった。
「・・・・・・。」
何故かゼノンは一向に動く気配はない。
溜息をつくと、個室の中に入り込んだ。
「僕に何を頼みたいの?」
大きな声で尋ねる。
「気付いていたか?」
デーモンが不意にナイトテーブルの影から現れた。
まだ足元がおぼつかない。ゼノンは右側に回って肩を貸した。
「大丈夫・・・本当に・・・大丈夫。」
そっとその助けを断り、それでもデーモンは壁に凭れかけた。
「何も言わずに・・・ただ、従って欲しい。・・・我が家の・・・デーモン一族の魔剣を封印したのはゼノン、お前達、鬼族だったよな?」
考えてもいなかった質問に、ただ頷いた。
「じゃぁ・・・頼まれてくれ。あの剣を指定した場所に持ってきてくれ。それだけだ。何も難しい事は無い。」
少し息遣いが荒い。まだ完全に体力は回復していないのだ。
力の入らない身体を懸命に支え、デーモンはゼノンの顔を見つめていた。
「分かった・・・でもそれは・・・どういう事?」
きっと答えは返ってこないだろうと確信した上でゼノンは優しく尋ねた。
案の定、壁に凭れて息を整えている彼は唇を噛み締めて何も言わない。
「分かりました、きっと必ず・・・。閣下の御心のままに・・・。」
ゼノンが片膝を付き、最敬礼の形を示すとデーモンは安心したように歩を一歩進め始めた。
「ちょっと待って!!!デーモン、まだ動いたら・・・。」
しかし、静止を振り切ってにっこりといつもの無理した微笑を浮かべるとデーモンはゆっくりと文化局を後にした。
残ったのは・・・
「行っちゃったね・・・。」
当惑したように立ち尽くすゼノンと、主の心配事を察してか遠慮がちに頬を撫でる草花だけだった。
少しの日時が過ぎ・・・。
「え?」
ダミアンは驚いてグラスを持ち上げようとした手を止めた。
目の前には少し着崩した、紫のロングの軍服姿のデーモンが笑っていた。
「それはどういうことだ?」
瞳の奥に脅えたような色を見つけるも、デーモンは敢えて無視して話を続けた。
「ええ、逢月日恒例のマスカレードを今回も開催しようかと思いまして・・・。日付は遅れてしまいましたが、吾輩の怪我も、何より殿下のお怪我
の方も大分具合が宜しい様子。いかがでしょうか?」
「・・・ああ・・・・そうだったね・・・。う・・ん・・・。」
ダミアンの顔が曇る。
その瞬間、タイミング良くエースが入ってきた。
「これは・・・エース。どうしたのかね?」
ダミアンは少し顔色を取り戻してエースの入室を喜んでいる様子だった。
逆にエースは困惑したような表情で部屋の中の2名を見つめている。
「いや・・・デーモンが呼んでいるからと・・・。」
「遅かったな。まぁ座れ。」
自分の隣りの椅子をあてがって、デーモンは視線をダミアンに戻す。
「で、マスカレードの件なんですが・・・いかがでしょうか?殿下の具合が宜しければこのまま話を情報局と文化局のほうで進めていこうと思うのです
が・・・。」
「マスカレード?」
思わぬイベントの名称にエースは眉を顰めた。
「ああ、逢月日恒例のマスカレードだ。まさかお前・・・忘れたわけではなかろう?」
ジロリ・・・と横目でエースを見る。
はっとして、エースは頷いた。
「ああ・・・そうだったな・・・。で?今回はどうするって?」
「いや・・・まだ具体的な話は無いんだが・・・とにかくダミアン殿下に話を通そうと思って。マスカレードは情報局と文化局が主催だろう?だから
お前に来てもらったんだ。」
そこまで話を聞いてエースは不思議そうに周りを見た。
「で?その文化局理事長は?」
「ちょっとヤボ用だ。吾輩の用事で出張中。」
意味深な微笑を浮かべ、デーモンは言い放った。
「そう言う訳で・・・。ダミアン殿下、失礼いたします。」
座ったばかりのエースの袖を少し摘み、デーモンは退室を密かに促す。
慌ててエースも体制を整えたばかりの身体を起こした。
「え?ああ・・・失礼いたします。」
荒廃してしまった森がここにある。
ゼノンは一角獣を降りて近くの枯れ木に手綱を結びつけた。
「こんなになっちゃって・・・。」
改めて見上げる。
セピア色に変色してしまった森。
地面も砂に塗れ、死にかけた大地。
この森の守人である筈の鬼族はその大半が死に絶え、残っているのはゼノン、ただ一名だけである。
「魔剣を最後に封印したのは・・・僕の父さんだったっけ?」
果てしなく遠い記憶。
殆ど覚えてはいないが、紅い月に透ける様に輝く銀色の絹糸と、正反対の輝きを灯す金色の剣。
それだけは脳裏の片隅に残ってる気がする・・・。
「とにかく封印を解くしかないか。何てったって副大魔王サマの指令だもんね・・・。そんなワケで・・・お前はここで待っててくれるかい?」
一角獣は返事の代わりにゼノンの頬をゆっくりと優しく舐めた。
ゼノンは微笑んで甘えてくる従順な獣の水色がかった鬣をかき上げてやった。
クウン・・・と喉の奥から声を出し、早く用事を済ませて来いと言わんばかりにゼノンの肩を森の方へ押した。
「はいはい。」
押されてしまうがままにゼノンは森の奥へ歩き始めた。