デザインシステム・短信-2   バックナンバー(抜粋)

  2003年6月
   SARS。新型肺炎。そろそろ終息に向かうのでしょうか?
幸いですが,逆に不思議にも日本に感染者が出ない。これだけ国際交流の盛んな時代に,同じアジアなのに・・である。水際の業務はそれはそれは大変なことであろうし,おかげで感染者は無い。台湾人医師なる人が関西地方一周の観光はしたようだが,二次感染者は出なかった。

 どうも偶然らしい。入ってこないのも偶然の産物でいつ入ってきてもおかしくないとも言われている。「風邪かな」と近所の診療所に行ってはいけないらしい。街のお医者さんにはSARS対策は何も無く,ただ「患者」が来たと言うだけで10日間閉鎖になるだけ。
 たしかに,迷惑な話だが,患者本人にもわからないのだからしかたがない。
 人類はまた学習している。ただ犠牲も大きい。

 そうしたときに,鉄,木,コンクリート,ガラス,石と昔から変わらない物質を組み合わせ空間を創る。創っていた?
 ほんの少し前にプラスチックなるものが使われ出したが,それは石油から作られたが,今,植物繊維などから作られるようになり地球環境に優しいものへと変わろうとしている。
 新建材がまずありそして高気密・高断熱ハウスシックを創り出した。これも一部に予知した人はいたわけだが,便利や流行?で採り入れ「なぜかわからない」病気を創り出していた。

 7月から法規にハウスシック対策が加わる。接着剤規制(合板など全般が関連),換気の義務化が主ではあるが,本来,なくても良かった法律ではなかったか? 建築家の見識というもので防げたのではなかったか?
 品確法も同じだ(これは過去の短信でふれた)。手抜きを行う愚かな業者がいた結果だった。

 人類はまた学習している。ただ犠牲も大きい。

   2003年7月
 建築関係ホームページはいずこも7月1日からの建築基準法の改正のことにふれています。
ハウスシックは社会問題となりついに法律も変わったわけです。
 確かに便利な建材は多く,昔と比較になりません。土と木と紙だけを(それしかなかった!)組み合わせ建物を造っていた。いつのまにか,表面の1mmだけはチークの本物を薄く割き,中はベニヤの「貼り合わせに木」を使うことに慣れてしまった。ムクに比べて狂わないし,貴重材の節約にもなった。フローリングや内装パネルに多用されている。
 そのことがいけないのではなく,接着剤が悪かった。ホルムアルデヒド系物質を含む接着剤は強力なのだ。が,結果はご覧の通り。その後接着剤が研究され,その他の揮発性物質の研究もされつつある。
 7月1日からはF☆☆☆☆とういマークを纏った合板などが「適正」なものとして使用される。
 また,それでも揮発性物質はゼロとはならないので,住宅だけに限らず,すべての生活が行われる部屋には機械換気を行うことが義務付けられた。建物は高気密高断熱・省エネになり換気をなるべく行わないことが省エネである風潮がある。そこで,全室に換気扇を設けスイッチを切れないようにしながら24時間常に少しづつ換気を行うこととしたわけだ。

 昔の家は隙間だらけだった。そして自然材料で造られた。
 それがいいとは言わないが,設計者の良心,工事をする者の良心により,また建材メーカーの研究により自主的に良くしていきたいものである。なんでも法律,がいいのだろうか?
 性善説 or 性悪説 ?

 ディーゼルエンジンの排気ガス問題も同じかもしれない。自主規制だけでは黒煙も有毒ガスも出つづける。やはり一気に法的規制をかけてしまうのが早道なのか (-_-;)

    2003年8月
 「ネット上のコンペ」に参加しませんか。もしくは,参加しないのですか?
と質問やら,問い合わせをいただきます。
 建てたい方はそれほど「自分の意見・スタイル」を探せないでいるのでしょうか?
「自分や家族がどう生きていくのか,が,わからない」方がコンペをしてください,とおっしゃるのかな? と思っています。

 某コンペ社の募集要項を読んで見ることはたまにはあるのですが,そして,提出され公開されている応募案を見たこともあるのですが,「これが施主の求めていたものなの?」といつも疑問に思います。
 確かに「施主」は素人とすれば「こう住みたい」「カッコイイ家がいい」ではあってもそれを目に見える形にはすることはできませんし,要望の羅列に対して20も30もの案が出てくるのですから,これまた困ったもので,結局なんとなく「選ぶ」。
 ハウスメーカーを「選んで」「買う」よりは意識は高いわけですが,以降,設計屋の案がベースになります。それもひとつの方法とは思います。でも,もっと勉強して,自力で助言者としての建築家を選考していくことを行ってもらいたいと思うのです。

 コンペを仕事としないで欲しい。コンペ会社にコンペの開催を依頼しないで欲しい。
   うわごとデス。

 雑誌やテレビも編集者のごく狭い範囲のなかの例しか取材がなされないのが実態。
 なんでこれが取材されているの?と思うことも多いはず。

 家を造るのは2年3年がかり。と認識して下さい。
案を出して下さーい!はてっとり早い,かもしれませんが,やはり自分の家ではない,気がします。
 建築家選びに1年以上はかける。
 ではどうやって助言者・協力者を選ぶの??

 コツコツと地道に探してください。何人もに会ってください。その人の既に完成した建物を見せてもらってください。「案」をすぐに出したがる人??。手が勝手に動きますから!などとおっしゃる方もいるようです。「いりません。あなたのチェックをしているのです!」。
 人の好み,作風の好み,最新の知識を習得しているかなどを知り,「人」を決めることが先決です。それから「案」に入ります。
 既に作風などはチェック済ですから施主としては建築家の力を引き出すことに努める,これです。
 いいなりはダメです。たくさん勉強してきたわけですから,こうしたら!こうしたら?をぶつけつづける,これがめざす「我が家」への道です。  ((o(^ー^)o))♪

  2003年10月
 良い秋。と言う言葉使いはあるのでしょうか。秋らしい秋のようです。
 運動会,ひさびさに朝から夕方までフルに見たり参加したりでした。

 建設大臣・今はこう呼びませんが,どうも私の業界ではコチラのほうが合っているような気がします。
 内閣改造で替わりました。少しホッとしています。
もっともこれから何をやってくれるかは別の話。  理由はいろいろ。風のうわさの一つに過ぎませんが,例のシックハウスに関する法律は前女性O大臣の独走・暴走?だったとか??

 確かにシックハウスは大問題です。VOCなど「症」になってしまっている方にとっては大問題です。この法律。一説に拠ると時限立法かもしくは大臣告示として規制をかける方針で検討していたものが「大臣の個人的ヒステリックな考え方」で「法律にします!」と記者会見していまい,収拾がつかず,そのまま法律になったとか?

 建材の製造業者がVOCなどを使わなければそれでいい(チョット単純かな?)。自主規制も選択肢にあった。もう下地は十分にあった。案の定,建材はアッと言う間にすべてF☆☆☆☆(ほとんどVOCなどが含まれていない基準)になってしまった。
 それでも一旦法律になってしまったものだから,役人としてはもしかして無認定品ではないかF☆☆☆品ではないか,と写真を撮っておけ,納品書を保存しろだの設計者・監理者の手間を増やすことばかりを指導している。当方としても法律だから今は従うしかない。
 一部の欠陥を欠陥とも思わずに工事をしている不勉強な人にしてみればこれは実効があるのかナ (-_-メ)

         2003年11月
 良い秋。と言う言葉使いはあるのでしょうか。秋らしい秋のようです。と10月の短信で書きましたが,加えて雨が結構まとまって降ります。
 メールで雨漏りの相談を受けました。

 正直なところ,設計監理者が付いていさえすれば絶対に雨漏りはあり得ない,とは言いきれません。 (-_-;) 
 コレは太古から,構造物というものがが生まれたときからあるわけで,「手は尽くしている」にもかかわらず起きる予期せぬ出来事なのです。

 ならば,監理なんて頼まない!とおっしゃらないで下さい。
 手は尽くしているのですから。監理がなかったらもっとひどいことになっているかもしれません。
 理由はいろいろ。デザイン先行で昔のように大きな屋根をドンと掛ければ雨など漏らない,とおっしゃる大工さんもいるでしょう。しかし,技術は進んでいます。使わない手はない。個性はますます多様化しているのに大屋根の建物しか造れないのですか?

   また,一度漏ってしまうと,なかなか単純でないこと=すぐに原因を突き止めて,一発で補修を完了することがなかなかできないことが多々あることがいちばん当事者を悩ませます。( ; _ ; ) 
 屋根(勾配のある通常の屋根か平らな屋根・屋上かは問わず)からの漏りは比較的簡単。外壁からがやっかいな場合が多いのではないでしょうか。それもコンクリート造の仕上げがタイル貼り。方法はあるわけで,ただ,ココ!と見つけられない。コツコツと見つけていくしかないのが現状です。漏れている建物にいらっしゃる方のお気持ちはわかりますが,建設会社が逃げ腰でない限りケンカすることなく 根気良くココと思うところをつぶしていくことをお勧めします。悪しからず。

     2003年12月
 2003年最後の短信となりました。今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 タウンハウスとは何か?ご存知ですか?
 集合住宅であるわけですが、共同住宅ではない。一般論として「長屋」がタウンハウス、「アパート・マンション」が共同住宅。

 今年初めからシリーズでタウンハウスを手掛けていました。
1棟は今年の内に、もう1棟は来年2月に完成します。
初めの1棟は木造、次は鉄骨造。

   なぜタウンハウス?
都心の高密度地域では成り立ちませんが、容積率が200%以下の地域で、環境重視ならば戸建感覚でアパートらしくなくかつ1戸建てではとてもとれないような大きな庭・緑地スペースも持っています。単純に貸室面積効率だけでは各住戸に階段がありますので低くなりますが、なにしろ1戸建て感覚。自分の家デス。
 単純に昔ながらの長く並んだ長屋では・・・?
Oタウンハウス、とりあえず実績「実績・集合住宅・Oタウンハウス」にUPしてあります。ご覧あれ

    2004年2月
 なぜかいまだに”欠陥住宅”とか”手抜き工事”とかの用語がネット上やマスコミ上で言われています。

 住宅性能保証制度やシックハウスに関する法律など、元々キチンとあたりまえのようにクリアしていた設計事務所や工務店には無用な存在で、ISOなどに見られる「書類を積み上げる」ことに何らかの価値を見出すお役所的発想ではないでしょうか??
 「建売り住宅」。これは買い主の要望とは無関係に販売する側が「このあたりが売れ筋、or 無難なところ」と平均的な需要を見越し建ててしまいそれを売り出すもの。これには「保証書」はあったほうが良いですネ。

 きちんとした設計で、きちんとした監理を受けつつ、きちんとした工事しかできない工務店が施主といっしょになって創る住宅・ビルはもうそれだけ手がかかっているのです。
 性能保証してもらっても10年間。きちんとした建物は10年でなんらの問題は生まれてこない。

 シックハウスが施行されてから半年が過ぎました。

 2件の引渡しを終え、今また2件を近々引き渡します。
役所は法律をまもらせるのが仕事ですから、仕方がありません。しかし提出する書類はつまらぬカタログのコピーや工事中の写真などなど。もう慣れて設計者も施工者も抜かりなく準備はしてありますが、2部提出のうえ検査が終わると1部が戻ってきます。
これも建売住宅用の対策でしょう。引渡し書類の一部として施主に渡しますが、カタログのコピーですし、注文住宅ですと完成までにコピーではないカタログの本物がかなり集まります。結局は廃棄ですネ。
 役所にしても保存とは言ってみても紙の山を作るばかり。どうしてこうも紙がお好き??

 シックハウス用の強制24時間運転換気扇。
 これも引渡し後1ヶ月点検では2件が2件ともスイッチは切られていました。
 「付けておいていただいた方が健康にはいいんですヨ!」と申し上げてはみるものの、もともとF☆☆☆☆の製品や天然素材系しか使っていませんし、タバコも吸われない、普通に窓やドアの開閉はありますから、回しておいた方がいいとは思うものの、0.5回はいかにも多い。かなりの程度の高気密を目的とした建物では0.5回でしょうが、これも任意選択制度で施主と設計者との協議事項として、行政の関知外と法律の柔軟運用をしてもらいたいもの。
 7月の新聞記事に「換気扇メーカー」に神風!!のようなものもありました。1件の家に使われない換気扇が数台、少なくも2台は増えました。

    2004年3月
 物の価格を考えることは非常に難しいこと。  例えば、自動車。仮に300万円としましょう。メーカーがTVや新聞雑誌で広告をし、販売会社に売り、そこでもチラシを折り込み、訪問営業マンがいる。T社やN社があるのはわかっているから、パンフレットなどいっさいない、ホームページ上だけの告知とし、十分に見比べた人はネット上で注文し、現金をもって受け取りに行く。こうしたら200万円??(これに近いことは行われているが、個性化のためのオーダーシステムで、流通コストの削減のためのものではない)。

 住宅では?
 ハウスメーカーによるTVのCM、新聞雑誌広告、立派なモデル住宅展示、多数の営業マン。一説によると3000万円の家の販売経費は800万円とか1000万円とか。よって3000万円の家を購入して、その日のうちに転売しても実価値2000万円程度でしか売れませんヨ、と。
 もっとも、転売するために購入したわけではありません、が。

実価値2000万円の家を買うのではなく創るのに設計事務所に10%の設計監理料、工務店の経費も約10%、締めて2400万円。とういう計算も成り立ちそうです。

 どちらのほうが より 価値 があるか、・・・・

     2004年4月
 診療所の設計が始まっています。
デザインシステムは診療所の効率的配置に関する著作権(文化庁登録)を有していますが、やはりそこは診療の仕方にドクターの個性が出ます。
基本はワンマンコントロールであり、動線の極小化であるわけです。
そこに癒しを求めて病んだ人々がやってくるわけですから、やさしさ・明るさを建築的に演出する必要があります。
もちろんドクターであり看護師であるの要素が最大ですが、もしも叶うならば 「その空間にやって来ただけで、心の癒されから病そのものも直ってしまう」そのような空間を創りたいと思います。

 華美は不要ですから、そうコストを要するわけではありません。
と言ってもプラスαはどうしてもかかります。均質にならんだ裸の蛍光灯だけで機能は満たしますが、 優しさがありません。清潔から壁は全面白一色、などという診療所はさすがに見かけません。
 木を使ったり、均質なブラインドではなく、柄のロールスクリーンを使ったり住宅的くつろぎ・優しさが必要でしょう。小児科ですと突然マンガのキャラクターがあったりしますが、それはそれでしょうがなにも幼稚園児ばかりではありませんし、かえって落ち着かないものです。

     2004年5月
 建物に起因する事故が社会問題となっています。
 東京の集客施設において子供の死亡事故があり、それをきっかけとし全国的に「建物による事故」を見直そうとする動きです。
 とてもよいことだと思います。機械装置に人間が追いかけられる!!
うかうかしていられません。
 一部の心無い人々は「老人・子供の問題」としていますが、向かっていくところはあきらかに高齢化社会であり、誰にでも優しい建物でなければなりません。
回転自動ドア、エスカレーター、動く歩道、確かに便利ですが乗り込みにタイミングを計っている老人子供はよく見かけるところです。

 雑誌に特集も組まれました。
認識しずらい階段、手すりに配慮の無い廊下、滑りやすい床、ただ付けました・スロープ、角のとがった工作物、これらはみな普段はなんともないのですが、子供は予想を超えた行動をとりますし、雪のとき、急いでいるときには大きな事故につながります。

 大きな施設では当然のこととしてバリヤフリー化が叫ばれ、そのようになっていますが(?)手すりやスロープを付けました!!だけで「これで使えるの??」というものも実際には多い。
 身近な住宅でも雑誌に掲載されるカッコイイ写真には手すり子のほとんどない吹き抜けの手すりや、片側にまったく手すりも壁もない階段などを見かける。施主は「うちには子供はいない、老人はいない」というが「あなたは歳をとらないのですか?」・・・。確かにその写真の場所にしっかりと手すりが付いている場面を想像すると、『手すりの無いこと』だけがデザインで、付けたらおもしろくもおかしくもない場所となってしまう。そんな場所を設計するその程度の設計者だからすることがなく手すりを無くした、ということでしょうか??? (ーー;)

     2004年6月
   T-タウンハウスが「週刊・全国賃貸住宅新聞」の主催したコンテストで
    (「設計実績」 に収録 )
しっかりデザインされた賃貸アパート に選ばれました。
 些細なことで恐縮です。

 アパートといいますと、建蔽率・容積率ともにできるだけいっぱいまで造り、賃貸経営するからにはできるだけローコストで利回りのみの追求になりがちです。
 それはそれでしかたがないことなのです。誰が見ても「いままでの普通のアパート」では新築のときはそれなりとしても、経年でだんだんと人気は無くなりついには空き室がでるようなことになってしまいます。取り繕いのリフォームをしても骨組みは変えられませんので賃料の下げで入居者確保にならざるを得ません。競争力の低下です。

 避けるにははひとつ。
今、最新型?でデザインされているものにすることです。
街並みにも貢献しなければなりません。これは建築としての使命です。
 目いっぱいの容積率でも工夫次第。 ローコストでも工夫次第。
建物は見て美しくなければなりません。住んで感動あるものでなければなりません。

 それが超高層ビルであれ住宅であれアパートであれ!!!!!。

     2004年7月
 梅雨らしからぬ雨の無い”雨の季節”が過ぎています。カラ梅雨?夏の水は大丈夫?

 小児科の開院までカウントダウンになっています。建築工事は95%終了。
医療機械のセット、電子カルテシステムの構築、新規スタッフを迎えての診療シミュレーションが行われています。
 小児科単科ですと診療所側が最も気を使うのは「感染症」の子の扱いです。内科の併診も多く行われるところですが、感染症とはわかってもアイソレートしておく場所がないのが通例でしょう。他の子に「院内感染」する可能性が高いのです。
 待合のコーナーを分離します。診察室も第2診察室を設けます。空気の流れも排気を中心とします。「流れ込んでも、拡散する前に吸い出してしまう」、そんな配慮が必要です。
 次は雰囲気つくりでしょう。幼稚園・保育園の設計にも共通点がありますが、「子供」を意識するあまり「子供に媚びる」ような設計に流れがち。端的な例が壁の仕上げがマンガ柄のクロス貼り。小児科の対象は出生直後の子から小学生いっぱいはまず「小児」。マンガ柄で気を引かせるのは幼稚園児まででしょうか??小学生ともなるとかえってその雰囲気をバカにすることもあるのですが、「マッ、いいか」と受け流してくれることを設計者としてはあまく期待したりして・・・(~_~)。
 結構、やっかいな問題です。

     2004年8月
 カラ梅雨が過ぎました。夏の水は大丈夫だそうです。新潟や福島で降りすぎましたがそのことで山間部にはタップリと水、ダムにはいっぱいだそうな。でも節水はしましょうネ。

 自然のコントロール、所詮は無理とあきらめるのではなく研究している方もいらっしゃるのでしょうネ。
 暑い夏は熱中症の問題もあります。現場で働く人は一般的には頑丈そうに見えるもの。しかし生身の人間には違いありません。外気温が40度では、根性だけでは仕事になりません。35度を超えたらスポーツも控えたほうが良いようです。

 ビル(に限らず住宅でも)にはリニューアル工事がどうしても必要です。 自動車は洗いますよネ。建物は洗わないのですか? 洗ってください。 ワイパーブレードは劣化が始まるとすぐ交換。 建物も劣化しますから、傷んだ部分は取り替えてください。雨漏りは顕著にでます。 既存車にカーナビを付けましたか?あったほうが便利ですネ。 光ケーブルの入っていないビル、入れたほうが便利です。オートロックになっていないマンション、オートロックにしませんか? 周辺技術が進みますから、ビルにも最新の技術を付加して、経済的劣化を避けたいですネ。 こんなニリューアル工事がお盆明けから始まります  。



  以下は、「すまいと」という、建築情報サイトからの引用です。 少し長くなりますが、ご参考まで。日ごろモヤモヤしているものが バーッと出て、スッキリ!という感じがします。
すまいと  は、ここから http://www.sumaito.com

『 No.41 リフォーム番組の罪…
  現実と遊離しすぎでは
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 TVのリフォーム番組が結構人気を集めているようです。
しかし、いいかげんなところもいっぱいあって、視聴者(消費者)をミスリードすることが心配です。 その理由をいくつかあげてみます。

○構造安全性なんてドーデモイイのか“匠”が行き当たりばったり的に壁を壊し、 「ここに大きな窓を開けましょう」などと、かっこいいデザイナーをやってます。 しかし、かなり老朽化した住まいです。 もともと、壁量が不足しているであろう壁を減らせば、ますます強度は低下します。 耐震性をチェックしているようにはみえませんから、 小さな地震で倒壊ということにならなければいいのですが。

○設計、見積、工事契約はどうなっているのか普通、 設計者はデザインを依頼されてから設計し、工務店から見積をとります。 そして工務店は工事契約した後に施工にとりかかります。 でもそんな過程はほんの少しも見えてきません。 今どき現場で、壊しながらデザインを決めるなんてお気楽なことしていたら、 予算はどんどんオーバーしますし、施工者にはソッポを向かれます。 そんなの、プロの仕事じゃありません。 トラブルのもとです。 これは、テレビ局が全額を負担している(推測)からこそ出来ること。 でも、これが普通だと消費者に誤認されたら大変です。 あちこちでトラブル続出でしょう。

○“匠”は設計者か、職人かデザイナーが、いきなりノコギリを使ったりします。 そりゃあ、設計者には子供の頃から図画工作の好きな人が多いことは事実です。 私もデザインした家具を自作するためにノコギリは手にします。 でも人様に提供できるような技術ではありません。 彼らはデザインのできる職人さんなんでしょうか。 それなら、設計も施工も見積りのゴチャマゼも、行き当たりばったりなことも少しは理解できますが。

それにしても、メディアは上っ面しか見ませんね。 売ること(視聴率)しか考えないからでしょう。だからヤラセも横行するのですね。 真面目にやれよプロデューサー!ディレクター!。 真面目にやれよ放送作家! このての番組、興味本位で数回は見ましたが、だんだん馬鹿らしくなってきて、 その後は見てません。 それどころか、最近はテーマ音楽を聞いただけでもムナクソ悪くて…

メディアで使われる『巨匠』『達人』『カリスマ』『匠』に、うさんくささを感じるのは私だけでしょうか
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 さて,No.41にテレビのリフォーム番組では、以上の様な設計から完成までのプロセスが全く見えない ということを書きましたが、漏れ聞くところ、次の様な理由によるらしいです。
● 注文主とテレビ局が直接契約するらしい。
(注文主と設計者の設計契約、注文主と施工者の工事契約は存在しない?
 じゃあ、欠陥クレームはテレビ局が受ける?)
● 注文主はデザインや、施工者の選定に関与できないらしい。
(そんなバカな!)
● 設計者はデザインの決定権を持っているらしい。
(デザイナーのやりたい放題?インフォームドコンセント不要!クレームを受ける心配なし!そりゃ楽だ)
このように,かなり非現実的な世界のようです。
先日テレビをつけっぱなしでいたら、その番組が始まってしまいました。
その回の“匠”は、『ぬくもりのセラピスト』と紹介されていましたが、いったい誰がそう呼んでいるのでしょうか。
人ごとながら恥ずかしくなって、急いでチャンネルを切替えました。』

ここまで。

     2004年12月
 寒くなってきました。夏の暑さと冬の寒さ、建築的に考えますと、冬は0℃から約20℃に温度を上げるわけでその差は20℃。夏は35℃から25℃に下げるのでその差は10℃。いずれもエアコンや火で温度差を作るのですが、断熱が一番の問題となります。
 木造の場合昔から行われている断熱に壁の中にグラスウールを詰め込むものがある。正直に申し上げて私も7〜8年前まではこの方法を習慣的に採用していました。詰め込むと言っても詰め込みきれない狭い箇所はありますし、屋内側の壁に密着させ動く空気を造らない、と言っても綿の袋を間柱にステープラーで留めるわけですから隙間だらけ。それでも入れないよりは入れたほうが良いわけでそうしていました。空気が対流すれば熱は逃げる。隙間は内部結露を発生させる。
 そこで大工さん任せにせず、グラスウールを隙間と言う隙間にちぎっては詰め、ちぎっては詰めコンセントボックスの裏にも詰め込み、その後に農業用フィルムで室内側を全面的に覆い湿気が壁内に入り込まないようにし、下地のボードを張る。こうしたこともありました。しかし、大工さんも監督も監理者もものすごい手間。(ーー;)
 最近ですとメーカー住宅では合板と発泡スチロールボードが一体となった断熱合板を壁・天井に打ち付ける方法がとられています。打ち付けた後にできる小さな隙間はハンディな缶入りの発泡ウレタンをチュウーッと吹付けます。これはそれなりの良い方法です。欠点は画一的な「家型」の家しか造りにくい事。メーカーに向いている方法でしょう。

 「外断熱」が一部でもてはやされているようで、外断熱でなければ家ではない、というような論法でも語られているようです。確かに悪いことはあまりない。ただ、構造体としての木造部分の厚みをタダ空洞にしておくしかない。ニッチでも浅い(10cm位)収納でも造ればいいのですが、そのようなものが壁という壁にあってもしかたがない。細かな工作はすればするほど工費がかさむ。そして外に外に壁が厚くなる。どの窓も浅い出窓のようになる。

 デザインシステムでは木造でも鉄骨でもコンクリートでも何かの一つ覚えのように現場発泡ウレタン吹付けを使っている。躯体を組み外壁を組み、屋根を葺きサッシを入れ雨が室内に入らない状態まで「殻」をつくりその時一斉に吹付ける。隙間は発生しようがない。どこからどこまでも一体に吹付ける。サッシ周りにも、コンセント周りにも。いかがでしょう?

     2005年1月
 あけましておめどとうございます。2005年・平成17年・昭和80年ということです。

 急に昨年末から寒くなりまして、体調を崩されていらっしゃるかたも多いのでは??

特に明るい話題も逆に暗い話題もない平穏な新年でしょうか。昨年の大きな災害に遭遇された方には申し訳ありません。 TVでは東海地震などのシュミレート結果などが先日放送されていました。超高層ビルでは建設当時不明であった挙動をする、とか津波はかなりの大きさで発生するとか、もういつ起きても不思議はないのですネ。大きな地殻変動を伴うので事前予測はできる、しかし、それが3日後なのか、1時間後なのかはわからない、とのこと。5分後では困ります。
 住宅を例に取れば、ほとんどの方はローンです。それもかなりの程度無理をして・・・。災害は無いことを前提としています。さらに、
 「資金は十分過ぎるほど用意しました。地震で絶対倒れない家にしてください」
とおっしゃる方にお会いしたことがありません。まわりの家が6〜7割倒れるときには、自分の家もしかたがないのかナー(?)が暗黙の了解事項になっているかとも考えてしまいます。今までに一度だけ「建築の法律で決まっている計算で出てくる強度より2割だけ強くしてください」との依頼を受けたことがあります。構造担当と相談しながら×1.2とした覚えがあります。  これとて、マグニチュード8.5に耐えられるのですか???クエスチョンマークはいくつつけてもわからない。

良い年としていきましょう \(●^∇^●)/

    2005年2月
 スマトラ沖地震、ほんとうにすごかったようです。津波がクローズアップされました。地震=津波は昔からのことなのですがここまで映像が流されることは今までには無かったこと。入り江状の場所では高さは10mを超えたとか。ビルの4階にいてどうやら助かる、そんな感じです。10分後に来る!ではそれから高台に行くことは不可能ですから、頑丈なビルにとりあえず逃げ込むしかない。日本でも海岸地域ではそのようなビルが指定されています。普段から確認しておきたいものです。しかし、民間のビルやマンションですから、鍵をいつも開けておくことは難しく、地域の責任者(町会長さん?)に預けておく、といってもしっかりとした話し合いが必要です。波・高潮の圧力も半端ではありませんから指定されるビルもかなり頑丈なものでないと二次災害も心配です。

 一方で防犯も大きな問題となっています。最近では空き巣はどうにか防いでも、強盗、力ずくの押し込みはどうしたら良いのやら?
ピッキング、サムターン回し、鍵の破壊、サッシの破壊。防犯ビジネス花盛りです。それを商売としている方々は売り上げ急増!でよいのかもしれませんが、どこまで対処すれば良いのか、悩みどころです。考えられることすべて!を準備するであればお金だけの問題となるので話は早いのですが・・・。本当にそこまで重装備にするのですか?
 「そのぐらいで止めておこう」の準備をして、その上で被害がでたら、犯人の方が上手でしたネ!と笑っていられるわけではありません。
 ライフルで撃っても貫通しないガラスを入れ、ドリルを受け付けない鋼板のドアを取り付け、壁はもちろん鉄筋コンクリートでなければ話しにならない。警備保障会社とも契約し、これでやっと安心!?
 さてさて!? !?

     2005年4月
 10年過ぎたのですネ。 阪神大震災。そうしたら新潟中越地震。インド洋スマトラ沖地震・津波があったと思ったら、地震は起きないのではないか?と安心?していた福岡で、玄界島は壊滅状態!!。その直後、またスマトラ沖で今回は津波こそ小さかったもののすさまじい揺れ!!

 3月の短信で「日本の家屋は30年で建て替え」のような資源の浪費ははなはだしい、というような記事を掲載しましたが、もしその通りならば、地震で倒壊する家屋はごく少数のはず。ところが倒れる倒れる。
 実は結構長く使われているのです。何を言いたいかと、・・・・、建築強度に関する法令・指針は大災害のたびに強化されてきたのが工学の歴史。
 昭和56年に建築基準法大改正があったわけです。その後、その新法を守って建てられた家屋・建築がもう24年経っていますから建物の8割は新基準の建物ばかりになってくれる????確かに阪神地震ではこの新しい法律にのっとたと見られる比較的新しい建物に被害は少なかったのです。事実!。
 では56年以前の建物はすべて撤去し新法で建て直せ!!となってしまいそうですが、それは個人の持ち物。そう簡単にはできません。見た目に壊れそうには見えないし、長年住み慣れて愛着はある。さすがにキッチンセットや風呂、トイレなどは骨董品的になってくるとプチリフォームはする。しかし、基礎、土台、柱、梁など主要部分は見直すことはない。大変ですもの。費用も、工期も。ましてや工務店さんに任せても、そこそこに付け易いところに補強金物などを取り付けて、終了になってしまう。それでOKか???

 耐震診断 耐震補強は工学的に確立しています。
国土交通省からマニュアルも発行されています。
 診断には簡易診断=おおよそ倒れ易いか、大丈夫そうか、もし良くない判定ならば次の
     一般診断=建物の間取りを起こしなおして計算も使って判定します、さらにウーン!
           のときは
     精密診断=厄介な計算をあれこれします。そしてそれをベースに
     補強設計に入ります。
補強設計は建築全般を広く深く知らないとできません。基礎のコンクリートに鉄筋を追加して打ち増しをし、基礎と土台がはずれぬように引き付け金物を取り付け、窓を少なくし壁を新しく設けたり、屋根の本瓦をおろして軽量な屋根葺き材に替えたりします。もちろんその際には見た目のリフォームも行っても構いません。

 大地震の際に、倒れるべくして倒れる建物は、揺れ始めから10秒で倒れると言われています。揺れが大きいですから、揺れている最中に歩くことなど出来ません。揺れが収まってから・・・・なんて言っている間に建物の下敷きです。実際に阪神の数千人のお亡くなりになった方々はそのほとんどが建物の下敷きとなったことが原因です。
 大震災の後で、建物はやはり使えなくなるかもしれません。しかし、耐震診断に基ずく耐震補強をしておけば、建物は傾くかもしれませんが倒れはしません。生き残れるのです。

     2005年6月
 5月からメールマガジンを始めました。2社(ルート)で合計100人程度の方にご登録いただきました。ありがとうございます。現在創刊号を含め計4号が発行済みです。今後ともよろしくお願いいたします。

 公共工事における談合はすさまじいようです。今回問題になったのは「橋」。利幅が大きく民間工事で無理して受注している分を公共工事ですべて獲り返そう??といているのか、予定価格の98から95%の受注と言いますから、「予定」が漏れているとしか言いようがありません。役所の中に工事会社とつながっている人が居り、工事会社には役人の天下りの人がいる。多くの場合先輩・後輩で、軽い気持ち??で教えてしまう??何年か先には自分がその立場になり会社から給料をたくさん貰いたいですし、うまくルートを作っておくことがすべて自分の為ですネ。どうせ元は税金ですし、誰が”痛い”のかはわからない。

 談合ではなくても当たり前のように行われていることに「あれこれ込みの工事発注」があります。
 ある建物を建てることがあったとします。本来は設計者は建物を純粋に設計し、工事会社はその建物を造る。この受注に談合はないとします。
 ところが、役所側の都合により、やや特殊な什器や装置を建物に付属する一体のものとして、設計も工事もお願いしたい、という場合がかなり多くあります。
 本来こうした特殊な装置などはそれ単独で専門業者の入札を行い建物に据え付けさせるものです。
しかし、設計、見積り、入札などが何回にもなってしまいます。そこで「あれこれ込みの工事発注」です。
 これは設計者も請負会社も「おいしい」のです。
 特殊装置の設計も設置工事もその専門業者でないと出来ない仕事ですから、設計者は図面や仕様書を専門業者に作らせます。特に何もしません。図面等の取りまとめだけです。しかし「込み」ですから工事費はUPします。小さな施設で建物が3億円、装置が5億円なんていうことはザラです。建物の設計費用は3%程度として本来1,000万円程度のものが突然2,000万円以上に変わります。工事会社もしかりです。受注予定3億円が突然8億円になり、そのうち5億円分はほとんどなにもせず経費だけはすんなりと貰えるのです。

 いろいろなことがあると思います。多くの業種がありますので、それぞれでそのような話は聞きます。
 例えばコンピューター、IT関連などです。
考えようによってはそれが効率的なのかもしれません。

わかりません (ーー;) でも税金であることには違いはありません。

     2005年7月
 世の中を騒がせている「悪質リフォーム」。これではリフォームをお考えの方々まで「騙されそうだから、しばらく止めておこうか」となりはしないでしょうか。
 以前から書いていることですが、ご自分で業者と渡り合ってもムダ!!小さな工事でもFeeは支払ってコンサルタント、設計事務所を依頼すること、それがすべてでしょう。支払った以上の「質」は確保できますから。

   次に談合。先月のつづきとなりそうですが、腹が立ちます。役所サイドの予定価格の決め方、これもかなりいい加減の積み上げではあるのですが、けっこういい線はいっているもの。しかし、2割はどうみても裁量の余地アリ、というイメージがあります。というのも、材料はメーカーから買う訳ですから、メーカーの言い値がそもそもあるわけです。それに、これは本来いじめたくは無いのですが、職人の手間賃・工賃。たとえば技能工1日=17,500円などのオーソライズ?されている単価があります。しかしゼネコンと役所の契約に使われても、ゼネコンが職人さんに支払っているのかどうか??下職いじめは昔から言われていること。そして、最後に諸経費をいくらとするか?いわゆる目に見えた利益です。現場経費、直接経費、本社経費など経費にもいろいろ。 (ーー;)

 6月中頃、東京の繁華街のビルの外壁が滑り落ち通行人及び自動車に大きな被害がでました。その後の報道がありませんので詳細は不明ですが、ビルの所有者、管理者は責任を問われるものと思われます。
 所有者・管理者にはビルを健全な状況に常に保つ義務があります。建築基準法にも規定されています。特殊建築物の報告対象物件ですと毎年行政庁に対して状況報告する義務を負わされています。小型のビルですと、報告義務はありませんが、でもたとえば外壁が落ちるという事故に責任がなくなるわけではありません。
 この事故を起こしてしまったビルはかなりの大きさですから報告義務があるのではないでしょうか??調査のときに外壁の落ちそうな兆候は発見できなかったのでしょうか??調査を実施した建築士にも何がしかの責任が発生するのかもしれません。
 おろそかにしてはいけません。貼り物をしているビルやマンションは多数あります。貼ってある以上残念ながら永久はなく剥がれます。コンクリートの躯体は余程竣工からの時間がたっていることでなければヒビ割れで落ちるということは無いでしょう。タイル貼り、モルタルの厚塗りはいずれコンクリートの躯体から剥がれます。10年過ぎたら管理者自らもチェックしたほうが良いと思います。手の届く範囲で小型ハンマーで軽くたたきます。良く付いているところは中まで一体でコッ、コッとすべて詰まっている音がします。心配ありません。浮いているところは木琴をたたくようなコーンッ!といい音がします。これはNG。もう部分的にはがれているわけでいずれ落ちる!ということになるでしょう。事故になる前に貼り直しをお願いします。

       2005年9月
 世の中、予定外の選挙戦に入ったのですが、盛り上がっているのは政治家先生とその予備軍だけ?のような気がするのは私だけでしょうか。

   郵政解散とネーミングしたはいいが、野党はそれだけではないと論点を郵政から離している。ここは論点を絞らないといけないのではないでしょか?  郵便の制度そのものが悪いわけではない。 郵貯と簡保がいけない。 政府保証をうたい、国民から貯金、保険の名目で金を集め、それをそっくり公共事業に使ってしまう。 別の言い方をすると、国債をことごとく郵貯・簡保の資金で買わせそれで国を運営している。 郵貯・簡保がなければこの国は回らない。現在的に郵貯・簡保にお金を預けている人がすべて「自分のお金を払い戻して!」と言ったら、そのお金は全く無いんです!

   そこで問題がある。民営化したら、国債は危なくて買えないとなる。国には返す力はありませんから、新規には預けられない。 では、発行しないかといえば、ともかく足りないのですから、日銀に直接引き受けさせるしか手はない。国民に直接買わせようと「□○で国債!」なんて宣伝をするが、そんな危ないものを今さら誰が買うのでしょう??

 この借金漬けの国をどうするか、が問題なのです。

 無駄な公共事業、海外向けODA、自衛隊海外派兵、地方公共団体も地方債をかなり発行し、わけのわからぬ(というと叱られる)ことに遣っている。 自分の身(フトコロ)はかわいいですが、国全体を考えないと、子、孫、その先にどんどん送って借金が膨らんでいってしまう。自衛隊を海外派兵するとそれで潤う会社があるんです。道路を造ってもそう。

 厄介な難しい問題なのです。ですから、そうしたことを専門で考える人に委託しているのです。
不思議なのは、やはり、地元利益誘導をまだ考えているのでしょうか? 過去に汚職や詐欺などで政界を去った?人がゾロゾロ出てくることです。そうした人達に政治を行う資質があるのでしょうか??
 「よーく 考えヨー!!」

でも、自分の選挙区となると大所高所の考え方と立候補者の顔ぶれをみると「どれもダメ!」が結構ある!!
これは所属政党のふがいなさの表れではありませんか!!??

 さてさて、ココは建築のページです。 ♪(=^_^=)/
今年の一級建築士の二次試験の製図のお題は「防災学習のできるコミュニティ施設」。
地震、台風が相次ぎます。そうなのでしょうネ。

 昭和56年以前にできた建物。 耐震診断をして下さい。
もう、近いんです。それ以降でも検査済み証のない建物も。
 アスベストらしきもの、触らないでそっとしておいて、専門家の検査を依頼してください。
除去工事に対して助成金を出す自治体もありますので、地元自治体に問い合わせをしてみてください。
 「住まいをデザインする」改訂版に鋭意?取り組んでいます(メールマガジンにて)

 原油高騰に端を発して、資材の値上げが続いています。便乗もあるでしょう。これまで、材料デフレ状態でもあったので、ここぞとばかり??の値上げです。
 鉄が高いのは中国の経済発展に伴う建設ラッシュでスクラップ鉄まで高値で取引されることは確かにありました。ココに来て原油です。直接資材の原料であるもの、輸送費の燃料代にからむもの、便乗、いろいろです。
 企業努力もされていますが下請けメーカー、材料メーカーからのつきあげですし、現実に燃料などは日に日に上がっています。よい意味での非常にゆるやかなインフレ傾向は資本主義の社会では必要です。しかし、「デフレ」的ななかでもそれなりに落ち着いていた資材価格がまた、食料なども輸送費などの理由から値上げが検討されています。
 このあたりで止まってくれないと、おかしくなりそうです。

     2005年11月
 朝夕肌寒くなってくると考えるのが暖房のこと。
 なにが良いのか、は難しい問題です。
まず、気密性を高めること。今時の家は肌に感じる「隙間風」は過去のものになったのでしょう。しかし、意識的に気密性は高める設計と工事を行わないと目に見えない隙間はいっぱいです。しかし、気密を高めるだけでは窒息してしまう。計画的に換気を行わないといけません。時間当たり0.5回は法定の最低限です。普通に換気扇を付けたのでは寒気がドンドンと入ってくることになり暖房の効率も落ちてしまいます。暖めながら入れるなど、エネルギーの必要なこととなります。計画的にまんべんなく淀むことなく空気を回しながら換気する。

 次に断熱性を高めること。グラスウールかファイバーセルロースの吹き込みか発泡ウレタンの吹き付けかなど施工性・コストの問題は一時のイニシャルと長期のランニングを合わせて考えないといけません。当然開口部(窓など)は重大な欠点ですから、断熱サッシや木製気密サッシとし、単にペアガラスではなくLow-Eペアガラス、真空ガラスなどを検討しなくてはなりません。寒冷地ではペアとかの以前に気密性の高いサッシの三重化なども当然のように行われます。

 そして、暖房器具はどうしましょう?
床暖房。熱は電気とガスの両方あり。輻射暖房の代表選手。しかし深夜電力を使用した蓄熱式床暖房だけは勧められません。夕方になると暖かさを感じられなくなるばかりでなく、次の通電時間が来るまで追加で電気を送り暖めることが出来ません。 エアコン、これも電気とガスの両方あり。加湿しないとどうしても乾燥します。空気を暖めますので暖気は上、寒気は下と物理法則の通りとなり暖頭寒足でいやですネ。床裏断熱を徹底することである程度は緩和されます。 ストーブも開放型でなければ特に悪くありません。直の暖かさが欲しい方にはやはりストーブ。火が見えそれだけでも暖かそう。FF式を選択し、給排気は屋内の空気を使いません。やや少なくなってきているようですが床暖房と並び吹抜などには効きます。暖炉も良いものです。換気に気をつけましょう。
 石油やガスを裸火で燃やす室内空気を利用するものはさすがに部分暖房には使用するものの、設計に織り込むようなことは無く、年に数回のシンシンと冷えるような日に臨時に使用するようなものとなってきています。

 かつては、真冬の室内でもシャツ1枚で過ごすようなエネルギー多消費なアメリカ的ライフスタイルを見よう見まねで行っていたこともありましたが、今年はウォームビズ。夏はクールビズでした。冬には1枚余計に着こんで暖房温度を1度・2度下げましょう、というもの。自然な姿でしょう。

 掲示
 中央防災会議「東海地震に関する専門調査会」、「東南海、南海地震等に関する専門調査会」、「首都直下地震対策専門調査会」、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」では、防災対策の検討のため、震度分布の推計等を行ってきました。今般、この一連の調査結果を整理したことにより、「表層地盤のゆれやすさ全国マップ」がまとまりましたので、公表します。

  http://www.bousai.go.jp/oshirase/h17/yureyasusa/index.html

地震の揺れが「1」の時、地盤の良くないところでは1.65倍の揺れが起こる土地がありそうですヨ。いうもの。
耐震改修を急ぎましょう。

     2005年12月
 平穏なはず(?それなりに問題はありますが)の建築界に大波紋が広がっています。
 「士」商売は「性善説」でいかなければ成り立たないのではないか!!??。

 姉歯さん、やっていたのですネ。一刻も早く資格剥奪、逮捕、懲役・・・。構造計算は確かにブラックボックスの部分があります。それは否定しません。であるからこそ、「やるべきことは全てやっている」状態でなければならないわけで、故意にデータを改竄するとは・・・(ーー;)

 姉歯さんとしてもここいらでずいぶん大量の仕事をして儲かったのでしょうか? 裏金を木村建設にバックさせられていたような話もあるようなので???ですが。
 注文主(ヒューザー etc)の指示を聞き入れないのなら別の設計者に替える!と言われた、といいますが、これはどこにでもある話し。で、従ったわけです。法を犯してまで。

 建物を造ってしまってから売る商売は無くなるものではないとは思いますが、売って利益を出すわけですから、その利益は少しでも多いほうがいいに決まっている。また、競争であるわけですから、他社との同様物件は少しでも安いほうが売りやすく、買い手もつきやすいのはあたり前でしょう。
 しかし、買う方としては、まさか、法を犯してまでコストダウンを計っているとまでは考えていないわけで・・・。
 「法を犯していない」までも、法ギリギリであることが業界の常識であることが白日の下に知らされたことも一般の人々のとって「勉強」になったのではないでしょうか。

 現在の法規は震度6で倒壊しない、となっているのですが、「倒壊」とは崩れ落ちない、周囲に迷惑はかからない、ということで「そのまま住める」ことを保証しているものではありません。傾く、柱・梁その他も壊れて使い物にならない状態でも崩れ落ちてはいない、そんな状態でしょうか? もっとも余力というものがあり、その時の使い方もあるので使い物になる状態の小破損で耐えるのかもしれません。しかし、商売としての売り商品ですから法以上に過剰の強度を持たせることなんてあり得ないでしょう。
 いみじくも「不経済設計、過剰設計をしろっていうのか!」と国会でかみついたヒューザー社長。

 マンションに限らず、戸建の建売住宅でも同じこと。「法さえ守っていれば」例え倒壊したとしても設計者にも施工者にも追及の手は及びません。もっとも、設計はしっかり、でも現場の段階でコストダウンを計ってしまい「手を抜く」ことは古くから現在まで続くモラルの問題で、そのときは第三者監理が力を発揮します。

      2006年1月
 あけましておめでとうございます。2006年

 05年はいずこでも言われているように、「住」の不安、「食」の不安が一気に噴出したかのような年でした。
耐震強度の偽装なんて考えてもみませんでした。違法はしてはいなくとも限りなく法規ギリギリで余力無し(?)アルツハイマー病は実は狂牛病だった(?)狂牛病とわかっていてもアルツハイマーと言ってごまかしている(?)。
 いやですネ。 しかし、一市民としては知る方法も無い!!! (ーー;)

 06年はスッキリとした明るい年としたい!!

この冬は「暖冬」の予報がありましたが、しっかりと寒い。ウォームビズもその通りなのですが、どうしても暖房温度を上げてしまう。室内20℃ではやはり寒い。既存建物では急に断熱を強化しましょうと言われても、・・・・。
 やはり、暖房温度設定を上げて、どうにか20℃を保つしかありません。

 暖かくして、この冬を乗り切りましょう。
それにしても寒い。日本海側の豪雪は戦後の記録(?)で一番とか。
「56豪雪」と言われた記録は今でもWeb上のあちらこちらに見ることが出来る。今年の雪は「06豪雪」と呼ばれるのだろうか。56の時の建築的記録は日本建築学会より記録誌が発行されているし、学生の時に授業で生ナ話を聞いた記憶がある。
 過疎の集落が交通遮断状態・陸の孤島化する。市街地でも雪の重さで家がつぶれる。雪下ろし、除雪の費用の1年分を既に使ってしまった。などなど。
 被害が拡大しないことを祈ります。こんな時にすることのないイラクに何百人の兵士を送っていたり、「景気は回復した」と言って酔っ払っていたり、豪雪も危機ですヨ。

      2006年2月
 今年の冬はしっかりと寒い。地球温暖化はどこかの遠吠えであり、実は進んでなんかいない。

 などと考えるのは。誤り。どうも北極振動・気流が暴れていることが原因で、温暖化とは別のことらしい。

 温暖化は着実に進んでいる。 温暖化ガスの排出はどうにかして抑制していかなければならない。そして平行して植林。
 牛のゲップがいけない、という説もまことしやか。

先月、「06豪雪」となるか!!と書いたが、その後は急に暖かくなって雪崩の危険が出たり、雪害は別の方向へ行っている様子ですね。

   家は人を、家族を守る最後の砦であるわけだ。 精神的な最後の帰結はベッド(寝床)だそうだ。疲れて、戦いに敗れて、どうすることも出来なくなって本能的に家に戻り、無意識にたどりつくのは寝床。 精神的な安定のすべての根源、等身大の自分の身、精神をやわらかく包んでくれるのも寝床。

 元来なまけものの人間は朝が来て、起き出さなければならないことはわかっていても、ヌクヌクとしたせっかく暖めていた寝床から出たくはない。 もう5分、あと2分とギリギリまで、あるいはもう過ぎていると慌てる時刻までもぐっていたい。

 寒いこと=眠りが浅いこと、らしい。 フトンをたくさん掛けるだけで暖をとるのではなく、部屋そのものも適当に暖かいのが良いことであるのは論を待たない。 就寝時は暖房を止めるから、普通には徐々に室温は下がってしまう。 そこで、(またか!と言われるが)断熱である。高気密である。

 北欧の実験ハウス(単に実験ではなく実用化も可能らしい)では暖房器具一切無し、照明やテレビなどの電気器具の出す熱、人の出す熱だけで十分に暖かく、高性能熱交換型換気扇で計画的に換気を行なうことでなんら問題の無い生活が出来るのだそうだ。 

 屋根の断熱400mm、壁350mm、床下300mm、サッシはペアガラス三重サッシとか(正確な数値ではありません)。 イニシャルコストが心配だが、暖房一切無しでのマイナス費用でそう長い年月をかけてランニング的に回収するようなものでもないらしい。

 ぐっすりと眠りましょう。 つい寒いので、昼間外に出てお日様に当たることをしないと、また夜部屋でコウコウと照明を点けて夜更かしをしたりすると、生活のリズムが乱れ、熟睡できないそうです。朝、パッと日を浴びて、午後もう一度30分でもいいから日を浴びながら歩くような生活習慣が、家の造りとあいまって熟睡の ヒ ケ ツ \(●^∇^●)/ 

      2006年4月
 やはり氷山の一角だった「姉歯事件」。 と、マスコミで取り上げられた、

『札幌市の二級建築士がマンションなどの耐震強度を偽装していた。「姉歯事件」が発覚した当初から姉歯建築士は特異例なのか、「氷山の一角」なのかが議論されてきましたが、結果的に言えば、「氷山の一角」だったことが証明された形です。』

 一連の構造計算書偽造事件を受け、マンション所有者が自主的に構造計算を点検したところ発覚した。 これは、「安心」のためには必要なことか? 本来ならば行いたいことではないはず。 費用もかなり掛かることではあるし、万一「不良、不適、偽装」などの結果になってしまったとして、さて、補強工事に着手できるのでしょうか、販売元に対する訴訟を起こすのでしょうか??
 といって、不安なまま生活するわけにもいきません。厄介な問題です。

 構造計算は万能ではない、というか、使い道がいろいろあると知っておくべきと思います。
ご承知の通り、0.3倍の強度しかない、とは現在の建築基準法に定められた法ギリギリを「1.0」とした場合です。無理して1.5倍にすることもないのですが、それぞれの目標設定が必要です。永住するマンションと賃貸マンションとでは設定が異なるでしょうし、高機能のオフィスと一般的な用途のオフィスとでは設定が異なるでしょう。限りなく「1.0」を目指す構造計算もあり得るということです。
(それでもキチンと造っていれば命は守られるのですヨ。だだし住み続けられるかどうかは別)

 木造2階建て住宅では構造計算に裏づけされた、簡易な算数を用いる「壁量計算」を行えば本格的な構造計算は不要と規定されています。実験値的にも明らかで構造計算を行うのと同等以上の結果がでます。その上、普通は要求壁量の2倍や3倍に簡単になってしまいかなり強度は高いものです。
 それを、さも「しっかりとやっています!」とポーズ的に木造2階建てでも構造計算をして結果を出しています、を謳い文句にするところが現れてきています。

 逆に「ギリギリを狙うために計算を行っているのではないか?」と疑われてもしかたがないのかな?

 手間を掛けて、せっかくあった余力を削ぐ!!   本末転倒!!

 話しは変わって。 確定申告はお済でしょうか。送られてきた書類の中に下書き用の申告用紙がありその余白に、次のような印刷がありました。ご記憶はありますか?

●国の歳出1,000円あたりの使いみちは、次のようになっています。
(平成17年度一般会計当初予算)
わたしたちの健康や生活を守るために     246円
県や市町村の財政を調整するために      196円
国債を返したり利子を支払ったりするために  224円
道路や住宅などの整備のために        92円
教育や科学技術をさかんにするために     70円
国の防衛のために              59円
その他                   111円

多い順に記載するならば「国債」が2番目です。でも、3番目に書かれています。行政側もあまり強調はしたくないのはわかります。私たちの支払った税金の22.4%はお金に余裕があって国債を買った人(個人は少数で銀行が主のよう)に利息などとして渡っているのですネ。


      2006年5月
 耐震偽装を毎月書いている(申し訳ありません、と思いながらもやはり世間を騒がせている重大問題であることで今しばらく、ご勘弁をお願いいたします)。

 一応は「別件逮捕」ではあっても逮捕。検察の狙いは「詐欺罪」。総研の内河さんはまだ檻には入っていない。

 建築士法の改正、建築基準法の改正など国会に提出された。 違反したら50万円の罰金が300万円になったりするが20数万人もいる建築士、何かしたら、どんどん免許停止、剥奪でもいいでしょう。その責任もあるわけだから、建築主、デベロッパーも考え方を変えていただかないといけない。 「安かろう、悪かろう」はいつの時代、どの分野でも共通である。 もっとも、正当に報酬をいただいてもヌカ喜びで、本来的な技術力に欠ける方もいるのでしょうネ。 試験さえ通ればいいわけで、そこから先の「研修」も建築士会などでは考えているわけだが、そもそも加入は義務ではないので、加入率は低い。姉歯も業界団体に加入していない一匹狼。

 今回の別件逮捕のキッカケである「名義貸し」というのはどうもハッキリわからない。
○□デザイナーがいて、その人は無資格。 でもマンションの設計はしたのですネ。 仮にその人が「開設者」として一級建築士事務所を開設・経営し、「管理建築士」として一級建築士を雇っていて、その建築士が事実上の責任をとる形にすれば、デザイナーさんは自由に「設計」をしても何ら問題はない(?)わけです。 建築士法では開設者と管理者は別で構わないし、開設者が資格者である必要はない。

 多くの中小事務所は開設者と管理者は同一人物です。
このデザイナーさんは姉歯を管理者のように使っていたわけですネ。その姉歯はデザイナーさんのやることをチェックするでもなく、名前だけ使わせて、放任していて、報酬のみ受け取っていた。 施主・建築主に対する詐欺行為です。

   さて耐震偽装。 ヒューザーは安く造ってそこそこに売り抜けて利益を出したい。鉄筋の量まで減らして、とは知らなかったのでしょうネ。 最後の物件を知っていて売ったというのは詐欺でしょうけれど。 イーホームズは架空増資したのは商法の違反。 偽装を見抜けなかったのはおかしいけれども、これはどこの行政庁の審査でもドングリの背比べ状態。 これは制度疲労的面があるので、民間機関であれ、行政であれ見直しは必要でしょう。

 ここから先は施主や買い主の自助努力系になります。 マンションはこうした訳で、「しっかり造りました」=「値段は少々お高いですヨ」という物件が「安心そう」に見えてくるかもしれません。 売主・事業会社は儲かって笑いが止まりませんネ。 何が適正か? 性能表示3等をとることと、お値段との相関関係はいかに!!??!!

     2006年7月
  梅雨のある温帯モンスーン。 四季それぞれで表情豊か。 気候風土はぴかいちの国と思います。

ところで、「雨降って地固まる」という格言があります。
どういうことを言っているのでしょう。

 記念すべき式典の当日に雨、とすると決まってでる定型言!!
ほんの少量降って、その後に表面が乾くとなんとなく「硬くなっている」風に見えるので、というところでしょうか??
ごたごたや変事のあとでは、前よりも事態がよく治まることのたとえ、ではありましょうが、
いつのときかに「良かった」ことが実際にあったのかどうかは疑問です。
 一種の「ごまかし」? 悪いことがあった。 悪いままにしておけない。 なんとか繕う。 という発想。

 実際、梅雨時に「雨が降れば」 山が崩れ、河川は増水しあげくは堤防決壊。 街でも、足元が濡れるのは当然のこと、洋服まで濡れる。 あまり良い造りではない建物では雨漏り。 適量に降って「いいネー」と言うのは植物ぐらい。
 首都圏の地下にはそれはそれは巨大な容量の「雨溜め槽」が造られている。 例えば
http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/works/saigai/sonae/gaikaku/index.html
   http://www.nilim.go.jp/lab/pcg/tokyo/chapter_4.pdf
日常は気づいていないが、江戸川や神田川の例だが、都市に住むことには非常に大きな努力がいるようだ。
 植物にとって必要なだけ降って、あとはダムのある山間部などにこれまた「適量」だけ降ってもらうといいのですが、うまくはいかないようで・・・・。

 建物でフラットないわゆる屋上、もしくはルーフテラスのある場合は、降らぬ合間をねらって、ルーフドレインのまわりを清掃してください。 ホコリ・土が溜まって排水が悪くなっていることが多く、時間で100mmも降ったりすると、プールのようになってしまいます。

7月1日 建築士の日
1950年に建築士法が施行されたことを記念。耐震偽装で信頼が揺らいでいる建築。
全国には一級建築士が約30万人、二級建築士が約65万人います。(Koyomi365から引用)
確かに、揺らいでいます・・・・。

     2006年8月
  7月短信で触れた直後からの大雨。被害が続発です。 次ぎは台風のシーズンです。
 読売新聞の1面トップに書かれていましたので多くの方々がご存知のことでしょう。
今、建築の資格が揺れています。

 事の始まりは「姉歯」であることはその通りなのですが、実は業界内部でも「建築士」の資格をどうして行こうか?はかなり継続して議論され続けていました。というより、議論が続いています。
 建築家協会、建築士会、建築事務所協会が大きな団体として存在します。だいぶ議論は煮詰まってきており、当初離れていた考え方も歩み寄ってきていました。そして「継続的能力開発」な学習を既存建築士に義務付けていこう、としてその制度が試行されているのです。
 ちなみに弊社会社案内の項目に出てくるCPD制度もその一つであり、継続的学習を続けています、という一つの宣言でもあるわけです。

  ちなみに「姉歯」はどの団体にも属さず、いわゆる一匹狼であったわけです。そうした方々はかなりの数がいるようです。もっとも加入していないと細かな政令の改正などの情報が入りませんし、講習会などにも出られません。入っていて当たり前とも思えるのですが、・・・・。
 そんなことを思っているうちに、国土交通省で建築士法の検討に入った、と伝わってきて、6月の末には「既存建築士に再試験を行う」との情報が業界誌の載りました。  それからです。大騒ぎは。 (@_@;)
 再試験を行った結果によっては既存一級建築士は新一級建築士に認定、もしくは二級建築士に格下げ。(>_<) エンドユーザーさんにとっては「大いに結構!」というところでしょうか。  読売新聞『「もう一度大学受験をし直せ、と言われているようなもの」とかある行政の主事は「私はもう受験をしない」』などのインタビューが掲載されました。
 よく比較されるのですが、医師や弁護士に更新制度や再試験制度がありますか? 昨日まで診察をしていて、試験に落ちたので今日から医師止めました!!ということは社会的大混乱です。 そんな人に診てもらっていたんダ!!

 建築士再試験の場合は学科試験でしょうから、そして構造が中心でしょうから、構造専門の方々が新一級建築士に認定されやすいのでしょうか? 意匠デザイン、統括的な仕事の建築士は見てわかるけれども、それを計算し図面を描くことは行いませんので、昔ーし、大学で習った構造の教科書を引っ張り出してきても、今ではわかりませんし、ましてや最新の解析方法などわかるハズがありません。そこは専門家である「姉歯」ではない構造専門家と協働しているのです。  国土交通省も協働がいけないとは言ってはいませんが、協働先の「専門家」の作った図面を見て適正であることを自分の判断で行え!とは言っているわけです。
 ごもっとも、ではあります。しかし、ビルの柱の1本1本がなるほど地震に耐えうる、と判断しろ!は何のために専門家と協働し、高度な専門知識で設計しているのでしょうか。いろいろの取りまとめをしている「取りまとめの専門家」である建築士が高度な専門知識がわかるならば「構造の専門家」はいらない!!また、逆に「取りまとめ」がわかる範囲で設計すること、などの低い一般化している技術だけでビルを造らなければならないことになる。

 何かの決定をみれば「お上」の指示には従わなければなりません。
 既存建築士=まな板の上の鯉
 (ーー;)  どうも、一級建築士の上の特別資格「構造建築士」などが創設されるようです。

         2006年9月
  1日は防災の日。 関東大震災から今までずいぶん時間がありますが、関東では大地震が起こっていません。 いつ起こっても不思議は無いのですが。
 各地でそれぞれに訓練がいろいろと行われています。
 お近くの「避難所」がどこかご存知ですか。
学校や公民館などが指定されているので確認しておきましょう。急場をしのげる食料や水が用意されています。また多くのそうした建物は「耐震改修」が終わっているハズで、大地震の後も建っているハズで役目を期待されています。

 しかし、改修の目標は現在の基準法と同等程度まで耐震性能を上げること、にあるわけで、「改修完了」は絶対に壊れないことではないのです。 どうにか倒れずに残って、避難民を目的通りに収容してもらいたいものです。
 避難すること=大地震直後に助かっていること、です。
阪神の例を出すまでもありませんが、大地震そのもので倒れた家の下敷きになってしまった方々がいかに多かったことか。
 いつも同じ話のようですが、やや古いお家にお住まいの方はまず「診断」そして「補強工事」を。

 話しは変わって
日本のリーダーが替わろうとしています。
「リーダー」ってなんですか? 誰がなってくれ、と頼むのですか? 野球部のキャプテンはこの人ならチーム全体を引っ張っていける、と考えられる人を互選などで決めますネ。町会長となると無給のボランティアなのに名誉職であるのかもしれないけれど、かなりメチャクチャな仕事量があるようです。こうした地域力はこれからますます重要になってこようとは思いますが、無関心層も非常に”増加”しているのも否めないと思います。
 「地域活動?」「自分には関係ないネ!」
ではなく、まずはお祭にぶらっと行ってみることからでいいですから参加してください。
 こうした小さな力がいずれは国をも動かす力になるのではないか、・・は、少し大げさですけれど・・・。
避難して、知らない人ばかり、自分は面倒をみてもらって当然だ! ではありません。面倒を見てくれる人達は公務員ではなく、地域のボランティアです。自警団も消防団もトイレの設営も炊き出しもみんなボランティアです。

       2006年10月
  シンドラーエレベーターの事故なのか過失なのか人為的ミスなのか、安値落札のツケなのか。”もの”が創られるには綿密な設計思想と実施設計能力と、なにより重要なことは、この場合プログラムの正確さで「想定外」は許されない。また、現場での組み立ての精度は当然のこと出来得る限り正確でなければならない。  幼児がシュレッダーで指を落としてしまう。これも「想定外」で済まされるのか? 設計思想の問題である。  ガス湯沸かし器は建築の問題で、P社というこの筋では通っているメーカーであり「なぜ一酸化炭素中毒」???考えられない事故なのであろうか? これも人為的ミス??  プールの排水循環の吸い込み口に児童が引き込まれてしまう。 プ−ル全体のデザインというものは私たち設計業者の仕事となる。しかし、吸い込み口からろ過機がどうなって、は設備の問題(と片付けてはならないが)。 ろ過機が悪かったわけではなく、吸い込み口の格子がはずれていた!!、しかし、吸い込まれ始めたら、すぐに機械を停止し、点検口を開ければ救出できるような設計はできるのではないか?     設計の罪は大きい。 しかし・・・・。  自動車にアルコール検知装置を標準で装備し、エンジンをかける際にその装置を働かせ、「検知せず」でないとスタートしないようにする、という。  しかし、まったくアルコールを口にしない下戸にとっては、その装置代はいくらダ!? となりそうですネ。  モノ創り・造りにはすべてをなんでも盛り込む設計もあれば、取捨選択するものもある。 経済性という重要な指標もある。  住宅でも、ビルでもおよそどのような地震でも損傷しない、というものを建てることは可能だ。 安心を保険と考えればそれを買える人は買っていただきたい。  60年80年の間に一度も大きな地震に見舞われること無く、ビルに耐用年数が過ぎてくれれば、よかったですネ。となる。 (記:10月1日)

        2006年11月
 一般的に「建物」というと「独立した一つの構造体と一通りの設備ももち、雨、風を凌げる」もの、となりましょう。 しかし、世の中、見渡してみると、雨、風を凌げないではしょうがないですが、独立した構造体をもたない「準建物」もかなり多いようです。
 例えば、橋の下、高架道路、高架鉄道の下、大きな地下の空洞の中などです。
 これを”オシャレ”に囲っている「室」はほんとうに多いです。

鉄道の高架下に各種の飲食店や物販店があります。駅に近ければ必ず使われ、鉄道各社では相当の賃料を稼いでいるはずです。在る一定の距離を過ぎると店はなくなり、倉庫になり、駐輪場、もう少し過ぎると駐車場となりそれ以上では、ただの高架下となるようです。

  駅というのはそれ自体、集客施設ですから最近の鉄道各社の駅の再開発はすさまじいです。
昔ですと、キオスクと立ち食いソバ屋ぐらいしかなかったです。改札の並びに旅行センターぐらい。
最近ではおよそ何でもあり。ロータリーをへだてて立つデパートもうかうかしていられない。
 これは商業施設という立派な建築です。
 一度造ったらそのまま使う、ではなく、どんどん改装し、常に新鮮。 かかわる、デザイナー、工事業者はもう忙しくて忙しくて、という状況のよう。

 話し変わって。
建築資材の値上がりが続きます。
 鉄の第2弾の値上げが進行中。 銅の電線が次々と盗まれる事件が続く。 衛生陶器、キッチンなどの箱物、など連鎖反応のようです。
 理由は決まって「原油価格の高騰」。
 ものの値段が上がる。 景気とは関係ない。 しかし、原油が上がると石油元売会社の収益が良くなる!!原油が上がると石油元売の株価が上がる。これは、便乗値上げをし、利幅が増えているということ。そして社員のボーナスが増える。 「いいことなんですか?」

 わかりません。
 100円の仕入れ値ものを120円で売っていた。50円元値があがった。では170円で売ればいいのか、と思うところ、ついでに175円で売るようになる。
 商売のことはおよそ設計事務所などをやっていてもわかりません。
買う人がいれば、需給のバランスですから200円にしてしまってもいいようです?????いくつ?マークを付けても付けすぎることはない。???? (記:11月3日)

      2007年1月
 あけましておめでとうございます。2007年、平成も19年となりました。

弊社は平成元年1月の設立登記ですので、まる18年が経過したことになります。
大小おりまぜて60数棟、規模の大きいこと、小さいことに貴貧はなく1棟、1棟丁寧に対応してまいりました。その中には既に大規模な改修改装を行った建物もあります。これからも愛され、大切に使われていくものと考えております。

 さて、猪年には大きな事件・事故が起こりやすいとの過去の記録があります。言葉としての「事件」も「事故」も良い響きはありません。過去の記録は記録として、それらを塗り替えるような大きな「慶事」があることを期待します。

 1月は行事が多く、いつの間にか1月末を迎えてしまうようなことも多いと思います。
 川柳に
「正月と思っていたらもう正月」 とか
「新年と思っていたらもう年末」 などがあるようです。
時のたつのはきわめて早いので1日1日を、その時、その時を「コレをやった!」と言えるような、全力投球と言いましょうか、確実に進むことをしないとただ時間のみが無為に過ぎていってしまうもののようです。

 幸いにも、デザインシステムは短いもので半年、長いもので2年などで確実に物理的姿形になる、という仕事をさせていただいております。
 その内容から、鉛筆を持ったまま、ボーッと過ぎていくように感じられる時間もあります。額に汗して必死に線を引いている時間もあります。
 モノ創りをさせていただけて、よかった、といつも感謝しております。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

       2007年2月
   話しは建築関連ではありません。 このシーズンは「受験」です。 昔はほんの一部の人を除けば「受験」とは大学受験のことを指したと思います。近頃は「どこの?」「大学?」「中学?」ということになり、街で見かける小学生と思しき子供達は学校のランドセルではなく『N』と書かれたリュクや『Sp・・』というカバンを提げ、午後9時半を過ぎようとしている電車で帰路に着き、さらには「12時前に寝るようなヤツは合格なんかするわけないゾ!!」と塾の教師に言われ続けているのですネ。

 なぜそうなる?
 公立の中学が情けないから。 単純です。 学力と言う点では明らか、いじめに対処できない、教師は公務員病に侵されている、教育委員会なんて言葉だけで何もできない。  一部の荒れる生徒に教師が何も出来ないでいて、その荒れが広まってしまう。 教師は「私たちには”手段”が与えられていないからなにもできない!」とうそぶいたりする。  見切りをつけて中学お受験。

 中学校側の選考方法にも問題あり!?
 やはり、普通の小学校では習わないようなことまで出題されるのですネ。 それに対抗するには受験テクニックを磨かねば、というわけで、進学塾に通いだす。電車中の広告にありますネ。『N』の問題。 けっこう難しい。こうしたお勉強とは縁遠いオトナには手強いわけですが、子供達はスラスラ解かないとその先のメインの問題が待っているのですネ。  中学校としては頭こそ良い!子供は獲れるかも知れないが、青っ白い、育ち盛りなのに寝ていないから伸びられない「虚弱体質」の子供を数え切れないほど「生産」することの片棒を担いでいることを自覚しているのだろうか??  選考方法を単に難問奇問を解かせるのではなく、面接、運動、グループワーク観察といった、単純採点は出来ないかもしれないが、試行錯誤をしてもらいたいものだ。

 荒れる子=親がかまわない子。 生まれた時から、車に寝かされ親はパチンコ? 手作りの食事なんかしたことがない、いつもファミレスかコンビニ弁当? 親子の会話?そんなものありません? 給食費だって不払いが当然?   一方で、親は「まとも」なのですが、自分のキャリアが大切でフルタイムどころではなく、残業なんて当たり前で仕事に打ち込む親もいる。 学歴も教養も高く『育児環境を整えろ!』と行政に訴えかける。 ゼロ歳児からの保育、学童の保育の環境を造れ!!と言う。  子供はかわいいが考えの一方で「子供は自分のキャリアにはジャマ」とも考えているのかもしれない。  結婚しない男女の増加、結婚しても出産しない女性の増加、行政は「少子化対策」といって税金を投入しても『根っ子の根っコ』に触れることが出来ず、上部だけの「対策」を後手後手に打っている。
 挙句の果て、兄が妹を・・・・といった事件も発生する。 めぐまれた家庭って何だ??
 イジメ問題にしても、議員、教育委員、教育官僚たちは「きちんと手を打っていく」「全力で取り組む」とか言ってみたところで、下に指示を出すだけ。 自ら現場に行き、荒れる児童生徒を直接指導してみなさい!!それからモノを言え!!
特に「校長」に権限を与える、というのはまったくダメ。 愚の骨頂!!  そもそも「校長試験」に通っただけで子供よりも出世なんだから。 無事定年になってからどこへ天下ろうか(?)ぐらいしか考えていない。そのうえ、まったくの閉鎖社会の中の天下人であるだけで、一般職員は身が可愛くてモノなど言わず、定期転勤を待つのみとなる。

  ああ、嗚呼、教育再生!!!
 現在の官僚、国の運営を仕切っている高級官僚たちは全員東大出のエリートなのかもしれないが、自らの出世しか頭に無いのか!?、出世して事務次官になりました、外郭団体に天下りで理事長になりました、経済的には税金を自らにどんどん流し込みリッチかもしれないが、それが「やりがいのある人生ですか」? 「外資系企業」に勤め、M&Aをバシバシまとめあげ、そのたびに億単位の手数料を手にすることが「やりがいのある人生ですか」? 

        2007年4月
 すっかり暖かくなって、新入生歓迎の入学式まで桜がもつのかどうか?
例年ですと、入学記念写真は「桜の木の前で」となるのでしょうが、すっかり葉桜??
 地球温暖化。 日本での今冬の雪の少なさは記録的。

 京都議定書を批准しないアメリカも方向転換し、考えざるを得ない状況のようです。もともと共和党政権は油田やオイルからみの票で成り立っている政党のようですから「石油を使わないようにしましょう!」とは言い難い政権党。しかし、
 ニューヨークの2月にTシャツで歩く市民の姿がニュースで流れます。北極の氷山は確実に小さくなっているようです。 オーストラリアの旱魃はひどく、従前、大河であったものが干上がってしまっている映像も幾度と無く流されています。  これではさすがに世界一のエネルギー浪費国アメリカも重い腰を上げざるを得ません。 遅いんですヨ!!

 今、私たちに出来ること。 真剣に、少しでもよいから行わないといけません。
 その一方で、小さな意見でしょうが、いずれまた氷河期がくるのだから、気にする必要は無い! というものもあるようです。 いずれにせよ、限られた資源をいかに使い伸ばすかが、地球温暖化も遅らせる有効な手立て、と同義語のようです。

 建築は高気密・高断熱で省エネルギーを計って、とはわかっていますが、そこに投入される「製造エネルギー」が膨大で、考えると「建築行為はしてはいけないのではないか??!!」とまで思ってしまいます。
 単純な材料であるコンクリート。その基のセメントは石灰石とその他調合の鉱物を高温で焼いて造る。固まる時にも熱を出しながら固まっていく。 鉄。もちろん製鉄所で鉄鉱石とコークスを高温で焼くことから始める。 身の回りのクギ1本にしてもそれは冷たい物体かもしれませんが、そうなるまでにはものすごい熱が使われたわけです。

 超高層ビル? 造ってはいけないのかもしれない。 巨大建造物? これも造ってはいけないのかもしれない??

 一部地方では木造の復権が言われて久しく、学校の校舎などが木造でかなりの規模まで造られている。
昭和30年代などはどこの小学校の校舎も木造が当たり前だった。 暖かさがあった。 鉄筋コンクリートになって3階建て、4階建てと効率よくかつ不燃化したことで、メリットは大きいのだが、冷たく、おもしろみがなく、画一的となり省エネとは言えないものであった。
 木造、クギやボルトを極力使わず、ほぞとくさびだけでガッチリとまることはありえないことなのでしょうか? 今の建築基準法は「不燃化」を第1に掲げるがごとく、小さな住宅しか基本的には木造を認めていません。

        2007年5月
  苗の準備から、田植えの季節。 しょうぶの咲く頃。 びわも店頭に出てきています。
初夏を感じる、 梅雨を感じる? そんな季節に移ってきました。
  ここで、メールマガジン『住まいをデザインする part-2』のコラムに書いたことを再掲いたします。 (以下)

 耐震診断、耐震補強工事をどうお考えですか?
阪神大震災の記憶が少し薄れようとしています。 能登半島地震が起こりました。
 昭和56年以前の建築の一戸建て住宅は少なくなってきたのかもしれません。
でもまだ30年ですから、数多く存在し使われています。
 壁は多いですか?
10年以内程度でお建て替えを考えていらっしゃるのでしょうか?
しかし、建て替える以前に大地震が発生すると、1階が潰れます。
1階が2階に押し潰され、2階が1階の上に落ちてくるのです。

実大実験1 http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20070420/506994/
実大実験2 http://www.bosai.go.jp/hyogo/index.html

  E-Defenseと呼ばれる実大建物を加振台で揺らして壊れるまで観察する実験が行われているその動画の記録を見ることが出来ます。
スケール感が今ひとつなのですか、観察者席で動く人がいますので、実大なのだ、とわかります。
むやみに大きな振動を加えて壊すことを楽しんでいるわけではなく、入力波といわれる振動は過去の地震から得られた実動に近い再現波なのです。
ややショッキングともいえる映像なのですが、是非公開されているうちにご覧になって下さい。
補強工事に100万円かかるか200万円になってしまうのかは補強の方法、手間のかかりかたで異なってきます。
そのコストパフォーマンスが全く読めないことが工事に踏み切れない一番の大きな障害です。
 もしかすると、建て替えをするまでの十数年間、大地震は起こらないのかもしれません。そのために多大な費用を掛けるのですか? ということです。
 でも、数ヵ月後に起こってしまい、1階はすっかり潰れ、命にかかわってしまうかもしれないのです。
  

       2007年7月
 建築基準法とその関連法令、規則、国土交通省告示などが一斉に改正(?)されました。
詳細をここに述べる必要もないでしょうが、改正の全容がいまだ100%公表公開されていないのです。
 ただ、わかっているのは「姉歯」事件とそれと似たような故意を基にする法令違反が数件出てしまい、国として一般国民に対して「国はこれだけのことをしています」という”ポーズ”を示さずにはいられなかった、ということではないでしょうか。

   「性善説」にたった法律から「性悪説」を前提とした法律へ。

 本来、構造設計は最低限法律は守りなさい、現場での工事を設計通りに行いなさい、を徹底することが目的ではなかったのでしょうか。
 厳罰主義はOK。 ピアチェックもOK。

 それがどうしたか、  「建築士は全般にたるんどる!! 確認申請書には1字1句誤りのないものを出せ!! 誤記等があればその場で却下、取り下げ、再提出、申請料も再度払い直し」というようなことになったわけです。
 また建物は工事中によりよくするため、あるいは建築主の要望でどんどんと変更されるものです。  「変更は『計画変更申請』を先行して提出し、申請中は工事を止めること!!」というようなこともある。 それは「変更したもの」が合法かどうか判断できるまでストップということなのでしょう。
 言いたいことはわかりますが、そのために資格者がいるのだし、そもそも「建設行為」が「経済行為」であることがわかっているのでしょうか??

 ともかく、今月中ぐらいまでは建築確認申請が非常に提出しずらい状況です。
様子がわかりませんので・・・・

 では、一般国民は利益になったのでしょうか。
「姉歯」は出なくなる、ということにしましょう。
家やビルを建てたいと言う人と、20年、50年関係が無いという方とがいらっしゃるので、かなりの少数の方々しか関心の無いことなのでしょう。
 「姉歯」がいなくなることは歓迎!!でしょう。
 お建てになられる方々は、設計期間が増えます、確認手続きが長くなります、ほんの少し大きなビルからピアチェックの費用が追加でかかります、変更のたびに変更申請料がかかります、場合によっては工事が一時中断します、これらは総事業費の増加につながります。

       2007年10月
   10月1日は「都民の日」であることをご存知でしょうか?
もっとも、都民にしか関係しませんし、それも小中学生、都立高校の生徒諸君と教職員の方々にしか関係無さそうです。
そう、学校・職場がお休みなのです。!!(@_@;)
 各県にも県民の日とかがあるのでしょうネ。 お休みですか? 

 10月1日から、あれこれが変わりました。首相、郵便局、各種物の値上げ、・・・・。

 新しくなりかけた(?)自民党が古い体質に返ってしまった(?)。これは少し様子を見ないとわかりません。
改革が全てではないような気がしますし、といって、古いままで良いとも言いません。「市場原理」「自由競争」は結構ですが、「弱者切捨て」も考え物!! 何でも手厚く保護をすれば良いとは誰も言いません。怠けている方を救済することはないのですが、勤労者が報われず、「企業だけが儲かったが、給料は減っている」とよく言われることは、実態がそうなのでしょう。 景気が少しづつ上向いている? ということに実感が持てない事は誰しもが言っていること。
 それにしてもまたゾロ政治資金の裏会計処理が暴露されています。首相関連団体まで(>_<)

 郵便局が今までのようではなくなる。民営でできることは民間で。正論です。古い利権の塊のような組織は必要ありませんが、無くすべきはソコで、郵便事業が悪いわけではない。 JRもNTTも民営化して収益力はついたのでしょうが、元々国有財産であった、土地・建物まで企業に「あげている」のですから元でのかからない企業活動なのですネ。スタートのリスクが無いともいえるでしょう。「国が大株主」であるからキチンと儲けさえ出してくれれば、それで良い!ということでもないでしょう。

 景気が本調子で上向いているわけでもないのに、物価だけが上がっていく!!
「原油高」がすべての元凶のようで、なぜ原油が値上がりか?というと「実需」の買いで品薄ではなく、投機筋が値上がりそのものをたくらんでドンドンと買っている、当然どこかで売り払い利益を獲るのでしょうから、いつかは下がるのでしょうがその前に、物価は上がってしまうのですネ。一度上がってしまったものは簡単には下がらない。世界に”カネ”は有り余っているという。その行き場が無く、原油を買ってみたり、小麦を買ってみたりしている。 「市場に任せる」ではなく、試しに、一度、「規制」をかけてみたらいかがだろうか??

 なんでも自由というのはかなりマヒした感覚ではないでしょうか!!??

 建築確認申請;多少の柔軟性が出てきた模様。 しかし、疑心暗鬼で国土交通省に怒られない様にしようとしている民間確認検査機関は会社によってバラバラで、方や検討書(概要書など)は300枚とも400枚とも言われるところから、ほんの10数枚でOKという、審査技術に自信のあるところ(?)まであり、おかしい。
 徐々に動き出してはいる様子なのだが、まだまだ慎重。 おまけに バラバラ (@_@;)

      2008年1月
 2008年 平成20年 明けましておめでとうございます。

大正は97年、昭和は83年とのことです。

 12月上旬になって急に建築確認が動き出したような気がします。
7月のナカに「預かり」をした木造3階建て(どうもこの木造3階というのが曲者らしい?)細かな指摘がやっと10月になって一度だけあり、それは「待ってました!!」とばかりにすぐに対応したのですが、それからまた1ヶ月経ち、でまた小さな指摘がひとつ。
 もともと、そう大きな指摘を受けるような申請はしていないわけですから、「小さな」不整合とでもいうもの、もしくは、法規に合法は明らかなのですが、検討式を添付するように、などという「ご指導」を受けました。

 そしてやっと、構造指摘が12月に入った直後に来ました。
そう、法律の構造の基準が改正になったわけではないのです。インチキする人がいる為に『厳格化』されたのです。(もうおわかりいただいていますよね)
 よって、指摘事項は「新書式」になっていますから、「記入が足りない」だの「この部材の検討式も付けてほしい」だの「計算書」にある記載を「図面にも記入」とかのみ。 いわゆる「誤り」はないのです。

 指摘そのものは6月20日以前とまったく変わっている感じはしません。
変わるはずもないのですよね。 ただ、以前よりは丁寧に、見落としがないように見ているのでしょうね。
それはそれで当然といえば当然、仕事ですから。
 そんな訳で、昨12月26日にめでたく「建築確認」がなされました。 祝 !!

さて、 年も改まり、当ホームページにさっそく足を運ばれ「短信」をご覧いただきましてありがとうございます。

 環境問題はかなり深刻のようです。
パタゴニアの氷河がほとんどなくなってしまった、とか、北極の氷はどんどんと減っている、太平洋の小国、水没の危機に瀕している国があったりしている。
 昨夏は異常に暑かったことは記憶に新しく、何か少し違う、と日本人にして感じられる状況になってきている。
 二酸化炭素排出権とはおかしな概念で、排出削減に届かない分を、よその、そう化石燃料などをさほど使わない国から買取り、自国での未達成の排出分を埋め合わせるという。 マッ、地球的に見れば、総排出量はどうにかして「守られた」ことになるのかもしれないが、削減できないでいること自体が問題だ。 中国などは「もっと排出させろ」と「削減は既にあるレベルに達してしまっている先進国のエゴだ」「我々は今、発展途上にあるのだから」と。 かっての高度成長期の日本のような、「歩いてきた道」を近隣の超大国が進んでいるのだから、人口的に数倍もある国がすべて「中流」的になるまで成長させろ! ではいったいどれだけの二酸化炭素が発生してしまうのでしょう。

 建築の範囲では、「省エネ」精神を発揮し、出来る限り省エネ商品を採用、施工しなければならないと考えます。
そこで悩まなければならないことは、コスト。 
 単純に、単板ガラスとペアガラスではサッシ部分として1割以上のUP。
 次に、なるべく単純な形、外壁+屋根が単純で面積が少ないこと=真四角+切妻などが省エネには一番!!。それに外断熱です。
 しかし、省エネ性能のみを追うことが命題ではなく、やはり自由自在の「欲しいもの」があり、そこに矛盾は覚悟で性能を付加していく、それが『設計』と心得、邁進していきたい。

        2008年2月
資源を持たない日本のこれからをあれこれ思い描きます。
世界に誇れるものは何か? 世界から尊敬されるモノは何か?
「京都議定書」に絡むことは当然のこととして、輝かしい(?)技術があります。

米国の相対的地位の失墜と資源国台頭、BRICsの猛烈な勢いの影響力の増大。
この流れの中にも日本のチャンスを見出すことができるのではないでしょうか。

軍艦をインド洋、ペルシャ湾に派遣することで「世界の一員」となった、
と喜んでいるのはかなり違うのではないでしょうか? 
もちろん、現時点で「それしか手がない」
との高度な政治判断での決定でしょうから、何百億円もの油をタダで外国の軍艦に給油し、
産油国を喜ばせるのも「国際貢献」かもしれません。

庶民は油を極力使わないようにしていますから、
せめて軍事的に使わないと一定量が消費されませんものね。
軍事は京都議定書とは無関係の世界です。

中国の「公害」はオリンピック開催を危ぶむような声さえあります。
多くの国々のチームは開会直前まで日本で合宿トレーニングを行うようです。
「北京での長期滞在はチョット・・・」ということのようです。
これは上記のチャンスの一部かもしれませんが、「公害」を克服してきた「技術」が日本にはあります。

現在、東京にて新金融街構想が着々と進んでいるようですが、
「金融」は「サブプライム」ではありませんが、
所詮マネーゲーム(?)。
それに傾倒する政策(?)は、それだけ、とは言っていないのでしょうが、
「利ざや」をとる、「手数料」をとること「儲かればいい」は発展とは思えません。

それだけではなく、「金融」と「製造」、「技術」の一体化した展開。
日本がこれから世界で貢献していく姿だと思います。
優秀な日本企業の民生技術こそが絶大な武器であり、それを血液として支える金融を強化すること、
そうしたなかから世界をリードしていけるのは日本なのかもしれませんから・・・。

『200年住宅 』の構想。 すばらしいことと考えます。日本の住宅は30年サイクル、とよく言われます。
「再生紙」問題はけっこう笑えます(?)と言ってはいけないのですが、再生よりも新パルプ使用のほうが 結果として安い。
ゴミの分別収集もどんどん進められています。 一方で焼却場を高性能化して、プラスチック
は焼却しても公害となるガスは出ません、分別リサイクルは手間ですし安くはないから燃やしてしまいましょう、 と新工場も建設されます。

「ものづくり」屋からしますと、よいものを、しっかりと丁寧につくって、長く使うこと、
いつも気にしていることです。

       2008年3月
  ひな祭り、 春分の日、 卒業式、 年度末      春
長く寒い季節を越えて、気温こそまだまだ低いものの、日差しはさすがに暖かく、夜が明けるのも早まり、日の落ちるのも遅くなってきていることが実感できます。
 ”あたご ”と小さな漁船、 方やかすったキズと塗装のハゲ、方や真っ二つで中央部が抉り取られ海底へ沈んだ。
 ミサイル打ち落としコンピューターゲームの帰りでたるんでいた。 当てておいて救助活動もせずただ見ていた。 せっかく当てて真っ二つにしてのだから、その後どうなるのかつぶさに観察研究して次のゲーム開発の際に役立てようとしたようだ。

 4月から政府出しの小麦の価格を30%値上げだそうな。 通達も出て「政府が値上げするのだから、業者も無理せず値上げするように」というもの。
 確かに小売業者が「価格据置!セール」をすることは中間業者やメーカーに大きな圧力となり出荷価格にそのままは反映できなくなり、消費者は大きく値上がりせずによかった! とはなっても、売る者、造る者は利益が圧迫され従業員の給料は上がらない。 結局は人々の購買力はだんだんと下がってしまう。
 そんな親心からの心配のようだ

 なすすべが無い??のか、無能でなにもできない??のか、成り行きに任せるのみで『遺憾です』と言う事は誰でもできるわけで、全てにおいて「何かが滞っている」ように見えるのはなぜだろうか・・・・。  全てを放ったらかしにしてただ見ているのみに見えるのはなぜだろうか・・・・。

***** ***** ***** *****   建築士受験製図塾。 2月上旬より開講しています。 いつからでも、受講する方のスケジュールに合わせて受講開始できます。 今年はお試し受験で、来年が本気に望む試験、というロングスケジュールにも対応する、ほとんどマンツーマン指導の講座です。 詳細は上記のグリーンの『建築士受験製図塾』ボタンをクリックしてください。

       2008年4月
 4月1日午後5:50にオレンジ色の丸い塊が遠くの西の建物の陰に入っていきました。
気が付いてみるとずいぶんと北に廻っています。すごくまぶしい(見ているのは目に良くないのでしょうが・・)物体が建物の陰に入ると同時に、照明が必要になりなにやら物悲しくなります。こう書いている間にも丸いまぶしい物体を隠してしまった建物はすっかりシルエットとなり、今はその周辺の空だけがほんのりと淡いオレンジ色となり、そしてそれがだんだんと茶色、そして赤銅色へと変わります。

 本日は特に外出することもありませんでしたので、街のフレッシュマン?達の姿がまぶしいとかいう感想も持つことはありませんでした。 チョットした感動は上記のオレンジ色の物体を何となく5分ほど眺めていたことでしょうか・・・・。
 つい先日の近隣の学校の卒業式に御呼ばれで出席した時の校庭の桜はまだつぼみだったのですが、週末に一気に咲いて、昨日の雨と今日の強風でかなり落ちてしまったのは残念です。

 事務所の窓からもうひとつ見ているものがあります。
駅前再開発ビルの立ち上がりです。
 起工式にお招きをいただいたのが2006年11月中旬でしたから、長い地盤面下の工事があって、今は16階ほどまでフレームが組みあがった様子が良く見えます。41階+複数層の塔屋部分とかで44階程度まで上がるの予定です。想像はするもののピンとはくるものではないようです。
 再開発とか、大規模開発などで、大型の建物はけっこう出来上がるのですが街中で中型、小型のビルの新築中の姿を見かけません。

   暫定税率、「暫定」ですから終わっても当たり前なのでしょうけれど、「維持」しなければならない派とそうでない派とのどちらが本当に正しいのか、よくわからない。 ひとつの商品に三重にかかっている税金、まあ、おかしいのでしょうね。 しかし、ないと困る人達も多いのが実態のよう。 取るなら取るでいいけれど、納得のいく使い方をしてくれさえすればいい。 これが大方の国民の声でしょう。一度徴収が終わって手元にお金があると、何の目的のお金であるかがあいまいになり、職員の娯楽・遊興にまで廻ってしまったりする・・・。 公僕もだらしのないものです。

       2008年5月
 例年のゴールデンウィークよりは多少気温が低いように感じられます。
この時期、一気に気温が上がり、半袖、ポロシャツで休みを過ごすことが常だったような気がしています。3日間”平日”がはさまれて4日間連休。 学校は暦通りですが、民間の職場は4月29、もしくは4月26(土)から5月6日までの11日間お休みのところもある様子。
 ひところはマスコミでも○○連休!!!と報じたものですが、今年などはそうした報道は無いようです。先月書きました弊社事務所から見える駅前再開発の工事は10連休で、18階あたりにあるタワークレーンも止まったまま動きません。おだやかな日が続いています。

 「暫定税率」復活で世の中騒がしいです。 あれこれ値上げで「デフレ脱却!」でもなく、消費者物価は確実に上がっている。 一般国民にとっては何も良いことなどないのにデフレではなくなったと喜ぶ(?)人もいるようで 不思議??

 建築の設計料の値上げの話が専門雑誌の隅っこに、一記事というよりはどこかの話し、として書かれています。
 値上げというよりも、ここまで「厳格化」された確認申請とその認可されるまでの期間に対してそれなりの作業量に見合った報酬を見てください、とお願いするものです。
 木造3階建てに関しては申請そのものを受け付けていない審査機関まであるわけで、厳格化にともなって「では、今まではなんだったんだ!?」という状況も生まれて、解消されていないのです。

   「士」業の報酬って、確かにわけがわからないところがありますよね。
総工事費の10%、とか言うから、どこが利益でどこが実労の部分かわからない。
お客様とのお話しの中で、
  お打ち合わせ時の専門職として:1時間当たり経費込み\10,000._
  構想を練りスケッチや打ち合わせ用図面を作ること:これこそ見込み総工事費の2%
   (出しようがない、もしくは実労働時間経費込み、所長・スタッフ平均ならし1時間当たり
     \10,000._)
  図面化(1枚の製作に2日かかり、整合や加筆修正に1枚当たり1日)として:\60,000._
     /1枚
  確認申請業務(戸建住宅で):\200,000._
  構造事務所外注費:実費
  設備事務所外注費:実費

 特に、構造事務所の負担は非常に増えていて、木造2階建て以外では、私共、意匠事務所を通さずに直接お支払いいただきたいですし、契約に関しても、意匠事務所の指示を受け入れることを条件に建築主と構造事務所とで直接結んでいただけるよう、ドンドンとシフトしていこうと考えています。
 大型となれば設備事務所ともそのようにしていこうと考えています。

 意匠図のUPの段階で総工事費の10%に近く、今現在では木造2階建ての構造図は特別のことがない限り意匠事務所が作りますから、1週間かかりで:\300,000._

 そこで、上記はいわゆる「実費」に部分であって、直接経費、間接経費、利益などは入っていません。 国土交通省の告示によると実態としてこれらの経費一式は 「実費」 と同額、とされています。

 全てを合計しますと、住宅のとき一括で総工事費の10%というのは極めて「直接的実費」のみをいっているような気がします。

 文字通り「武士の商法」のようです  (@_@;)  今後は、構造、設備 分離の方向で、意匠事務所がすべての取りまとめと確認申請をするわけですから、増加時間に対する多少の実費をご相談の上、決めていくのが良いのかナ、と思っているところです。  

 これらは「すべて個別にご相談」ですから、弊社の製品を明日から出荷価格で10%値上げします!!と宣言すればいいメーカーとは全く異なり、宣言すればそれで良いというものでは全くないのです。

(記:5月1日)

          2008年7月
   またまた、 いまさら  ですが・・・。
 目黒区内に仕事がありまして、区役所に通っています。
1966年竣工ですから、42年になろうとしているのですね。学生時代、その丹精な姿を見に、足を運んだことがあります。 しかし、そのときは「千代田生命本社ビル」であったわけで、見学を申し込めば見ることが出来たのかもしれませんが、外からだけ見て帰ってきました。
 今は、改修こそされましたが、自由に見ることが出来ます。区役所として使われていますから。
 これからでも遅くはないと思います。見る価値あり、です (おはずかしい・・・)
庁舎建築に限らず、最近建つ建物とは受ける感覚が違う。それをうまく言えないのはボキャ貧とそもそも個人の感性の深いところとが共鳴していることであり、コトバにはならないものなのかもしれません。
 各所のホームページにもかなりの数が掲載されています。「千代田生命本社ビル」で検索。
 写真ですとみなさん、同じところを撮るのですよね。そこがウリですから。いつもそうですが、写真を見るのとその場に入って中にいる実体験していることとは全く違いますよね。
 村野藤吾という建築家、日比谷の日生劇場、箱根のプリンスホテルなどマッタリとしていながら、細身な繊細なヒューマンスケールな肌にしっくりくる、そんなところが好きです。
 不勉強な者がかつての巨匠の表面的なところだけをとらえてものを言ってもしかたがないのですが、丹下さんのエイヤッ!とドンとした建物もきらいではありませんし、前川さんのエスプラナードも好きです。
 いまの、現在の建物は薄いとか軽いとか、さらにコンピューター時代の何でも解析できます、ねじれた建物など、やることが無くなってめずらし風変わりなものを建てることに走っている。 もっとも、上海やドバイではそうした建物オンパレードで変わっていなければ、目立たなければ建物じゃない!!
がまかり通っています。(上海は見ましたが、ドバイは写真だけ・・)
 東京駅周辺再開発などでそれは新しいビルが次々に建っていますが、
”味 ”がありますか?
各設計者も悩んでいるのでしょうネ。
 超大型ビルでは優秀な設計者でもまとめることに精一杯なのでしょうか? プロジェクトに味を付ける時間も限られていますしネ。
外観デザインコンセプトの部分に外国人建築家に起用することも多いようですが、それで、良くなりましたか?
 ではといって、中小型建物や住宅レベルの大きさのものにしっくりくるものがありますか?
 街を丹念に探せばあるのでしょうね。 一般的に言って、探す対象が雑誌に掲載されている、もの、を対象とするからいけないのでしょう。 そもそも編集者は変わったものが欲しいわけですから・・・。
 最新のニュースとしては、東京中央郵便局が建て替わるそうです。現在のファサードを残しつつ38階建てのガラスカーテンウォールのビルになるとか。
 歴史的文化的価値のあるビルの所有者は半世紀の時が過ぎると外部から保存要望が出たりして自由に建て替えもできません。この郵便局も経済論理からだけすると、あっさりと超高層にすれば余計な部分保存のような経費もかからずに済むわけですが、世間がうるさいので部分保存という形に決着のようです。街が変わっていくことと文化の継承とは相容れないのでしょうか。
 メジャーな雑誌でなくてもいいのです。しっくり人肌の温度の、また、じっくりと造り込んだ(と言っても奇異なものではなく、職人芸がこれでどうダ!とコテコテでもなく・・)そんな建物の特集を年に1号でいいですから組んでいただけませんか(?)探すのは大変でしょうが・・・
   (記:7月1日)

      2009年2月
   暦では大寒が過ぎ、まもなく立春をむかえます。 しかし、まだまだ寒い日が続いていますし、インフルエンザの流行情報も 多くなってきています。
国立感染症研究所 感染症情報センター
http://idsc.nih.go.jp/index-j.html
 環境省は1月30日、今春のスギ・ヒノキ花粉の飛散量予測(確定)を公表しました。
昨年末に発表した速報と同じく、飛散量は全国的に例年(過去10年の平均)並みかやや多いとか。
飛散開始時期は例年並みとみているようです。
 前シーズンと比較した飛散量は、東北と関東で前年並みか、やや少なめ、 東海、北陸から九州で一部を除き多めになるという。
 スギ花粉前線を見ると、関東から近畿の太平洋側と中国の一部、四国、九州で2月20日ごろに飛び始め、 東北南部で3月1日ごろ、東北北部で同10日ごろとなっています。

 何かで読んだ記憶ですが某超大企業経営者の言葉だったと思います。
利益をしこたま溜め込んでいるとのことで 「我が社は仮に全く仕事が無い状況が数年続いても現在の雇用を維持していける」
その舌の根が乾かぬうちに、臨時社員は言うに及ばず、正社員にも希望退職者を募り始めた。
 『会社は誰のものか』 『会社は誰の為のものか』
 古くから言われていることで、単純に株主のもの、と答えるのも単細胞極まりない。
 これでは廻るものも廻らなくなる。 サラリーマン経営者とオーナー経営者とでは 判断基準その他裁量権とでも言うものがだいぶ違うようだ。
 もっとも、家族的経営が、温情が、会社存続の危機を招くのかもしれないが、 アメリカ式経営は破綻している。
 恥もなく資本注入された企業の経営者が法外な給与をまだ取っている、と新大統領が不快感をあらわにしている。
(記:2月1日)

      2009年5月
   出し抜けですが、ものの値段の疑問はかなりの程度あるのではないでしょうか?
以前から エッ! と思うものに便器などの値段があります。
便器ひとつ40万円という定価が付いています。 いざ合い見積もりの書類には約6掛けくらいの (場合によっては5掛け・半額くらい)値段で入ってくるので多少はホッとするのですが、 「であるならば、『定価』・『メーカー希望小売価格』など始めから表示しないで下さい」となる。
しかし一方で『オープン価格』という参考にも価格が表示されない方式もあり、Net上であれこれ検索を掛けなくてはいけない場合もある。

 住宅機器の場合はほとんどが定価などの表示がある。キッチンやユニットバスその他です。
そこから推察して、あるときは 「半値、八掛け、2割引き」とやる。すなわち元表示の32%が買値だ!!と踏む。
これは極端として、便器ひとつ40万円はナゼなのですか???
感覚としておかしくないですか? それはいろいろな機能が付きました。でもネ。です。
 概算見積りの段階ではいつも悩まされます。

一方で、鉄や木材、コンクリートの値段には当然経済情勢によって変動はするのですが「相場」があり決まっています。
   目の子、坪単価という指標がありますが、不思議と詳細を積み上げていった合計価格とそう大きな開きが無く示されます。
 であるから、逆に45万円ではかなりのローコスト、60万円ぐらいが普通の仕様、それ以上ならチョッと良い材料などを使っている、などなどおおよそを検討をつけたりします。

 便利と言えば便利、危険と言えば危険。

   新緑のさわやかな季節となりました。ゴールデンウィークとはいえ、何の休日なのか不明なまま休日を過ごしていることがけっこうあるのではないでしょうか。
   休日であり他人事のような気もしますが、行政機関などではパンデミックに備えてのあれこれを広報しています。食料から始まり、マスク、ゴーグル、手袋、消毒剤などなどです。ライフラインのストップはまずない、とのことですが、万一を考えてとも広報では言っています。 水際作戦が功を奏しますように、と祈る?のみ・・・・。
   (記:5月1日)

     2009年7月
   今年も半年が過ぎ後半戦に入ります。
 人生80年時代。もっとかもしれません。
 住宅を子育てを始めた時期に取得します。
35歳としましょうか。 子育てが一段落するとほぼ同時に多くの方は定年を迎えます。
その時住宅はというと、少しのメンテナンスはしてきたものの、30年経っています。
痛みも少し目に付きます。 住み方も変わってきました。 物もたくさん増え、 30年前では想像もしなかった家電などもあちらこちらにあります。

 さてこれから20年以上、多くの方はいままで歩んできたのと同じだけの長さを生活することになります。
「終の住まい」どころではなく、「これからの住まい」を考えなければなりません。
先祖代々に渡って暮らしてきた「地域」との縁などもあり、あっさりと自分の代で売り払い、「楽?」なマンション住まいに切り替えてしまう、というわけにも行かないことも多いのではないでしょうか。

 さて考えどころです。そもそも基本がしっかりしているかどうかわからない30年前に購入した建売住宅を「耐震補強もしてすっきりさっぱり今風にリフォームします」というパックリフォームが複数社で行われており、売上も順調なようですが、それに乗ってしまうのは手っ取り早いのかもしれませんが、30年前にはあわただしかった住宅の選定も今は時間がありますから「パックリフォーム」に乗ることもありません。

   ともかく、うわべだけ、「キッチン、風呂を入れ替える。便器を最新型にする」などだけは止めたほうが良いと考えます。 見かけが良くなっても家は基礎であり、柱であり梁であるわけです。
 耐震改修にしても金物をドサッと取り付けて「はい、強くなりました!」という詐欺まがいの商法もあるわけです。
 あと30年、+もう少し住むのですから、基礎の補強から始めて、震度6でも倒れることはしない、その強さを確保して、その後に見かけの綺麗さをあれこれしていきたいとお考えください。

  震度6でも倒れることはない、これは難しい技術です。工学の世界に「絶対」はないので・・・。
柱・梁の補強、劣化している部分の取替えで間に合わなければ、屋根の瓦を下ろして金属板葺きに替える、外壁のモルタル塗を落としてボード張りの方式に替えるなど、建物の軽量化も計らなければなりません。

 さらには減築も考えてはいかがでしょう。 巣立っていった子供たちの納戸となってしまっている部屋やまったく使われなくなっている部屋を思い切って取り壊してしまう。 スッキリとコンパクトにこれからの30年間を必要とする部分のみで暮らしてみる、そうした計画もあるのではないでしょうか。

     
       2009年8月
 ローカルな話ですが、この短信の2008年4月でも触れました。
弊社の窓から見える駅前再開発ビルは年末を境に、変化が無いように見え続けていました。というのもこの頃に外装のパネルがすべて組みあがり、タワークレーンも解体され、足元や内装は急ピッチで進んでいるのは駅前に出るとよくわかるのですが、弊社の窓からは変化が見られないということでした。

 高層部の大部分は分譲マンションですから、これでもかというぐらいにチラシが折り込まれて来ます。
低層部には商業施設、公立図書館が入る予定。
 古くから個人商店が軒をつらねるアーケードのあった商店街だったのですが、この再開発でこの個人商店のかなりが立ち退き、アーケードは維持管理がむずかしいとのことで撤去されました。

   物理的建物の老朽化と商店主達自身の高齢化などもあり自力での建て直しや数店がまとまっての建て替えなどができずに商店の活力は低下し老朽化するのみで、権利関係が複雑で住人と権利者のみの話し合いでは混乱するのみで解決の糸口も見出せないでいたところ、駅前の立地は生かせるわけで、開発業者が行政の露払いによって「再開発」を仕掛ける。
 行政が出てくれば住民達も少しずつ動き始める。 方程式は見えているわけですが、時間は5年なのか10年なのかは見えないのです。

 そんな再開発も工事は2006年11月に着工し今年7月がグランドオープンで低層部の独立区画の路面店では一部営業が始まりました。キーテナントの食品スーパーの開業は来月とのこと。

 さてそのようななか、問題点も見えます。 幅員6Mほどの生活道路をはさんだ再開発とは反対側の”街 ”です。
知り合いの商店主がいます。 すれちがえば挨拶もしますが、この再開発に取り残されたブロックは自助努力で建て替えなどを考えていかなければなりません。 再度行政が出てきて調整をする??ことは当分の間は無く、どんどんと老朽化は進むのではないでしょうか。
 運なのでしょうか? 戦後ずっと1本の道路の両側でそれぞれの商業を営み、そこに住まってきました。 個人商店街が形成されイベントも行われていました。道路1本隔て、半分が再開発。それはそれで悲喜こもごもでしょう。 残った半分も複雑な想いがあるでしょう。 老商店主はいつものように店をあけ商売をしています。

 国としての人口は増えない、住戸数はこうして500戸増える、それなりに埋まる。どこかで500戸空き家になる。バブルの最中に「都心」をあきらめ?郊外へと住居を求めた人々のリターンなのか、利便性を求めてのセカンドハウスとしての購入なのか、さらには単に投資の対象なのか、新しい住民が増え活性化するのか古くからの伝統的?生活までも何らかの力によって変わっていくのか、しっかり見ていかないといけないでしょうか・・・ 


        2011年2月
『言葉』の使用方法に、間違ってはいないのですが違和感をおぼえることはありませんか?

 「手掛ける」という言葉。 ○○会館は□□設計事務所が手掛けた、と。
表現・使用法・内容として何ら違っているものではありません。しかし、「軽さ」を感じてしまいます。
額に汗して必死に設計します。『手掛ける』のは非常に能力の高い建築家がさらりとやってのける、ニュアンスを含んでいるように感じられてしかたがありません。『設計した』とそのものずばりを言っていただけることが良いのかなと思います。

 『近代的』はどうでしょう?国語辞典にもあるように、「近代」には今現在に至る少し前、の意味が明らかにあるわけです。
 しかし、「近代的」はややあいまいになるのでしょうか、『現代』を含み場合によっては最先端の「近未来」をも含むこともあるような場合にも使われ、誤りでもないようです。 歴史の学習においては明らかに「現代」に至る過程の時代を言うのであって、
 「近代的」の意味するところは『やや古い』を含んでいて当然と考えられます。
そこで、建築の世界において、雑誌記者さんが褒め言葉として「近代的なビルですね」と言っていただいても素直に喜ぶこともなく、逆に「古めかしいものを造った」と貶されているようにも捉えてしまったりもするわけです。
 時間の概念でお褒めをいただけるのなら『次の時代をリードする』とでも言っていただけるといいのかな、
と思ったりもします。

 小説などとも異なり、新聞・雑誌のことですから、深くは推敲されているものでもないですし、多くは、飛ばし読みとでもいうか、内容がさらりとわかれば良い、という程度ですから、いちいち目くじらを立てるでもないのですが。

 それにしても、主語から始まり述語があって、という文章体系でないのが新聞などです。途中から別の主語のことを言って終わるようなものがけっこうありますよね   (@_@;)


 
メールマガジンがブログのようになっていますが、少しずつ書き加えています。




2011年3月
『ありがとう』という言葉に反対語が見当たらない。という記事が日経関連の雑誌にあった。
−−−−−以下、一部を引用(私見混じり)−−−−−−
小学生の国語?の一部の指導として反対語遊び?があるという。
寒い←→暑い
おいしい←→まずい
などで、では
「ありがとう」の反対語は??というコラムでした。
さて?

 日常に使われる感謝を表す言葉ですが、考えれば意味が深く、ましてや反対語など簡単には思い浮かばない。
そこで、コラムの筆者氏も辞典辞書を調べまくる。さらには英語でありがとうは何だ?ではその反対語は?
と考察を進めるが、日本語でいうところの「ありがとう」に含まれるニュアンスまでは表現しきれない、としている。

 漢字で書くと、有り難い、有ることが難しい、有り難とう、でしょうか。
とすると、金八先生の送る言葉にも出てくるそうだが、(曲解があるかもしれません)
「おまえたちがここにいることは、有り得ない確率のなかで、父母の出会い、卵子、精子の結合、誕生、その後のすべての環境、これは何億分の一なんていう状態ではなく、数値で表せないくらいの確率で今ここにいる。それを大切に思わないでどうするんだ。」(のような台詞??)

 有り得ないぐらいすばらしいことに対する「普通」「簡単」「当たり前」などがぴったりとはしないまでも反対語としては候補にあがるのではないだろうか、とコラム締めくくっていた。
 また、最近では「ありがとう」が軽く使われていることに危惧もしている。

 一方、このコラムに関する読者の意見と言うものが欄外に書かれていて、
「うらめしい」「恨めしい」「恨めしやー」が反対語です、と言い切る。
   
  (引用・ここまで)

 この短信をお読みの方々はどのように感じられますか?
国語法上「恨めしい」かもしれませんが、あくまでニュアンスというものがあって、さっぱりとは割り切れません。

ありがとう、は いい響きの こころ和む 柔らかな 良い言葉とおもいます。


 この度の東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されました皆様、またそのご家族の方々に対しまして心よりお見舞い申し上げます。
 被災地の一日も早い復旧・復興を私共一同心より祈念いたします。

    2011年4月
まずは、今回の大震災に被害を被った方々にお見舞い申し上げます。
未曾有の大被害から20日が過ぎ、突然に「ご遺族」となられた方々、
一家親族でお亡くなりもしくは行方不明となられてしまった方々に言葉もなく、
ただ、ご冥福を祈るばかりです。
 
 今回の震災は津波が想定外であったことにすべて帰結しそうで、阪神のように
建物が潰れた被害は少ないようです。 これはマグニチュードこそ大きかった
ものの、揺れの周波数が阪神とはことなり、建物の揺れを増幅するものではなかった幸運があったようです。

 復興へ向かった動きも確実にでてきており、日本の底力を感じています。

 想定外の津波とはいえ、直後からの原発に関わる騒動は東電の隠ぺい体質や、政府の危機対応がパフォーマンスのみで実行が伴わないなどいろいろ言われています。

 この地震を契機に、意地の張り合いのように見えた国の予算、とりわけ子供手当とか高速道路無料化などが復興支援の名のもとに与野党が歩み寄る転機になる兆しはプラスの側でしょうか。

 風評被害、過剰対応を回避し、国民の健康を守ることは政府の最低限の責務でしょうが、しかし風評被害・過剰対応は正確な情報が得られないことからマスコミが「専門家」を動員し、あれこれと騒ぎたてる事に原因があると思います。
 何も知らない知らされないでは不安であるだけ。一方で断片的だったり一部が
隠されているのでは?という疑問符が付けばとりあえず過剰対応しておくしかない?
ヨウ素剤を飲むか?飲まぬか? 産地名だけでスーパーでは入荷停止。

 食料がガソリンが今どこにあって、いつ普通に供給されるのか、明確にしてくれれば買い急ぐこともない。10日も先になってしまうのではないか、との不明情報では少しあるときに余分に買っておこうか!になってしまう。

 きちんと並んで譲り合っている、との報道も、どうも被災地のみで、買占め??のガスリンスタンドでは1台20L制限なのに満タンにしてそれでも足りずポリタンクもいっぱいにしている。それを注意すると胸倉をつかんで『金払うのにどこが悪い』とすごむ人もいるとか。 電車内の携帯や化粧をはじめとして日本のマナーってそれほど良くないのでは? 

 AC!?以前はそれほど気になりませんでしたが、スポンサーがCMを流さない・辞退すると自動的?にACの広告が入るらしいのですが、閉口です。悪ふざけのCMは論外として、通常の企業CMがなにも不謹慎なことはないでしょう。 妙な切り上がる音楽AC♪〜は3回に1回ぐらいになっているようですが、
もういいです!!流すぐらいなら空欄にしては?
 急遽人気グループを起用しての新バージョンも流れ出しました。使われた『詩』が売れているということもあるそうです。

 津波の最高高さは果たして何M?
エネルギーや海底地形、湾や入り江の形状によっていちがいに言えないのはそうでしょうが、あらゆる悪条件をすべて掛け合わせて「最悪」はどれだけの高さでしょう?
専門家は計算できるのでは? 港、港湾施設はそのときは諦めるが、人の住むところは計算された最悪の高さ以上の場所に限定したいもの。
 逃げても逃げられない状況がよくわかりました。 多勢の犠牲を無駄にしないためにも、海岸線建築基準の改めての議論が必要なようです。 ギネス級の防波堤はもろくも倒壊したわけで、それに負けないもっと高くて頑丈な防波堤を造るのでしょうか。
 残念ながら建築にはなすすべがありません。 1から4階は水没覚悟の使用方法、人の居住は5階以上、建物は鉄筋コンクリートに限る、などという条例ができたりするのでしょうか。

 最後に、日本は一極集中しすぎていませんか? この巨大な地震・津波は東京に来ませんか?
考えただけでも恐ろしいことになりませんか・・・・

    2011年5月
震災関連のYouTubeの映像はお時間があれば見ておく価値があると思います。
テレビでは流れなかった素人撮影ながら臨場感のあるもの、その筋の方の撮影で何がしかの意味のありそうなものまで
いろいろとUPされています。あらためてウッ!と見入るものの多いこと。

   震災特需といえば建設復興関連と真っ先に思い浮かびます。 仮設住宅が筆頭でしょう。
 おやっと思うその筋の方も想像していなかった特需があるようです。
 例えば人の移動特需。 原発周辺を人が移動するのに、また被災地外からの応援部隊が入る・交替することに必ず必要で、
バスが大量に発注されている。一月に一度移動するのではなく毎日、日に何回も移動するのです。
平常時は『観光バス』です。フル稼働とか。

 余震と表現されることが多いようですが、誘発の本地震もあるようで、専門家でも読めないのではないでしょうか。
 鉄筋コンクリート造の建物に多くの方が避難し、さらに上階に昇り助かった方が多勢います。
 鉄筋コンクリートはそもそも重いことから津波に強いのです。 ただ、大型ビルで総重量が効いているようで、
小型の鉄筋コンクリートビルは基礎もろとも倒れています。 避難ビルの建設は盛んになるでしょう。

 地上から何階までは流され、波の通過に任せるか、どの階から上は居住や重要施設として使用するかは土地特性により
かなり容易に条例などで指定できるのではないでしょうか。
津波が流れていきやすくするためには壁が無く柱だけで日常はガラスだけが嵌まっているような造りが良いわけですが、
いわゆるピロティ式は地震には弱く津波以前の震度7でかなりのダメージを受けてしまいそうです。 一長一短。

 木造建物はあまりにも軽く、ちょっとした突風にはどうにか耐えても、圧倒的重量とスピードで迫り着て、
また引いてゆく圧力にはまったく歯が立ちません。 高台しかありません。

 首都圏の湾岸地帯では大規模な液状化が起こり問題化しています。
 もともと東京湾の埋め立て地ですから軟弱は当たり前で、そのことは何となく隠れてしまい、
都心に近いから、ニュータウンで環境が良いから、と人気地帯であったわけです。
 埋め立てた側は「きちんと杭を打ってくれると思っていた」と言い、
買った側は「利便性と割安感」の尺度のみしか考慮していない?
 内陸部でも元は水田、はまだ良いほうで、『沼』などの埋立地も非常に多くあるわけです。

 漁港があり、そこで働く人々が住み付き、職住近接は無駄が無く便利であるわけです。
都心に近いニュータウンも夢のようなテレビドラマ的ライフスタイルがあるようです。
     

 

      2011年6月

パラダイムシフトの必要性?
 『自然にやさしく』は人間の尊大な考え方で、 「地球に何かをしてやっている」という考えがどこかに潜んでいる。ではなくて、 この大切な地球になるべく負荷をかけずに「生かしてください」と祈る、 お願いをする、ひとつの行きかたと考える。  同様に『自然に打ち克つ』ではなく、 畏怖の念をもって「やりすごす」ことが地球上の生きかたなのではないだろうか。  
 防波堤で津波を食い止めようではなく、高台に住み、避難ビルへ逃げやり過ごす。 耐震ではなく免震が行きかたではないだろうか。  
 『想定』は学者先生達が多勢集まり議論し、時間がかかる間に 「日本ではM9.0はあり得ない」など、 たいした根拠のない”常識 ”になってしまい、備えを忘れさせることに加担したりする。  
 一方で『液状化』など誰でもわかりそうなことを、沼地や海岸を埋め立て『宅地』に見せ、 経済論理だけで分譲してしまう『人災』もあった。  埋め立てた側は「きちんと杭を打ってくれると思っていた」と言い、 買った側は「利便性と割安感」の尺度のみしか考慮していなかった。
  『やさしく』するのも、『やりすごす』にも『想定』は必要で、そこに『技術』が登場する。  原発は効率トータルで省エネ度は高い。 しかし危険をコントロールすることが難しい。

 自然界にはかつて地球誕生のころ放射性物質・濃度は極めて高く、生物の存在はなかった。 その濃度が何億年かかり下がったからこそ生物の登場となった。  現在的に自然界には超低濃度でしか存在しない放射性物質を わざわざ作り出しているのが原子力技術。  フランスは推進派、ドイツは考え直そうとしているらしい。  さて節電。 ピーク時が足りない。うまくコントロールしないと突然大停電になる。これはわかる。  夜間電力は余っているのだから、 ネオンは点灯、ナイター興業はフル照明で、深夜コンビニも営業、深夜電力は割引、 電気自動車の充電は原則、家庭での深夜電力を前提に料金などの議論がされている (昼間に自由に充電されてはピークが不安定だ)、 水力発電所の水を夜間にもう一度高所にポンプアップし、昼間に再利用する。  
 
 これらの ”夜 ”の電力を利用しましょう!!は 原子力発電があるからこその発想になっている。 
 火力だけなら火の焚き方を夜間は小さくすればよい。 原子力は一度焚きだせばもう止まらない。コントロールはエネルギーロスとなる。 よって、使いましょう!になる。  

 最近は、お天気次第のところはあるにせよ、車に乗らない。20km程度が限度ではあるが 自転車で役所でも現場へでも出かける。 駐車場も気にしない。気分は爽快。椅子に座り、PC に向かってる時間が非常に多いのでそこで1時間のタイムロスはあるがわざわざフィットネスクラブ に通うことを考えれば、必要が有りかつ体を使うので連続有酸素運動として非常に良いことだと勝手 に納得して動いている。
 PCに向かう時間が夜間にずれ込むことも多くなったが、頭がスッキリして いるような気がする。デメリットはなさそうだ。これから1ヶ月以上は雨模様。ややも気が落ち込み そうです。  
 気にしているのは疲れることではなく、交通事故。時として『自転車レーン』などと書いてある 『車道』がある。片側2車線に+幅員1.5m程度の路肩?がある。これはありがたい。  しかし、交差点が近づくと右折帯を作っているため自転車レーンがスウッーとなくなってしまう。 かえって危険で車が寄ってくる。  
 自転車通行可の歩道も増えているが、小さな道と交差するたびに歩道の切り下げを越えなければ ならず、ある程度のスピードでは越え難い。  時として10mm以下程度のときはどうにか軽いショックで越えられるが、 多くは基準通りか20mm程度以上ある。これはもう近所にお買い物、であれば気にもしない程度であ ろうが先を急いでいる?者には耐えられない。 
 本来、軽車両は車道を走るのが当然である。  都バスのボディCMにもそう書いてある。 しかし、東京の道路は危険である。 車道の左隅を車を気にしながら遠慮がちに走っているのに、 クラクションを鳴らすヤツがいる。 
 腹も立つがいちいち立ててもしかたがない。 ペダルに力を 入れるのをやめ、より安定姿勢になり、我が物顔車両をやり過ごす」。  
 これも地球上の生きかたなのでしょうか

    2011年7月
 バリヤフリーとユニバーサルデザインとではどのように違うか!? 
ユニバーサルのほうがバリヤーフリーの進歩系でさらに包括的なもの、というもの。(一部議論としてバリヤフリーのほうがユニバーサルデ ザインより上位で包括的である、との意見もあるようだ) 
 要するに、誰でも、いつでも健常とか一部劣るとかそうした判断をするまでもなく当たり前に生活・活動できること。 当然じゃないかそ んなこと、というわけだ。 
 誰でもいつか歳を取る、大切なのは胸の炎、燃やし続けていること、とはいっても心は燃えていたって足が出にくくなり、腕が上がりずら くなり、目もなんとなくぼやけて、モスキート音などは聞こえない。 そんなことは当たり前じゃないか、であれば階段のけ上げを抑え、腰 の辺りに手すりを、明暗の差、色相輝度の差を大きく、光の案内だけ、音の案内だけでなく併用。 
 言うは易し行なうは難し。 手すりの取り付け高さをとっても人間身長3mの人はまずいないだろうが、単に骨盤天端高さと言っても20c mから30cmの高さの差となり、公の場で手すり1本付けるのは難しい。 
 
   一頃、空間の豊かさのひとつに、わざと段差を設け、シークエンスを楽しむといったことが設計に取り入れられた。 たとえば住宅では居 間、街中ではポケットパークなどでも少し高いところ、少し窪んだところを設けたりする。 歳を重ねてくると『なんでこんなところに段が あるのだろう』ということになる。でも出来た空間にはそれなりの変化があってやはり楽しめる。 
 では機械力・エレベーターの設置でしょうか? 
 
住宅でも手すりは廊下、階段の両側にあることが基本だ。柱心々3尺では狭すぎる。片側手すりでは、利き手利き足があり行きは右手が便利 でも帰りは片側手すりでは役に立たない。いたるところにあるバリヤー、目ざとく見つけていきたいもの。 
 
 話し変わって仮設住宅。 
報道の正確さは不明だが、大手ハウスメーカーの造ったものと、一部の地場の建設会社の造ったものとでは性能が明らかに違うとか。 どうせ数年で撤去するのはわかっているのですが。それにしても・・・。 
 隙間風、雨漏り、建具のガタピシがけっこうあるとのこと。 
ともかくまだまだ数が足りない。どんどん造れ!!だから、それでいて発注価格は決まっているもののそれなりの利益はでるので、どんどん 受注する。 大手さんはまた次があるからそれなりにキチンとする。地場さんはその地では次はしばらくないのでともかく儲けて逃げちゃお う、とは考えたくは無いもの。 
   そこから一般住宅でも、大手はキチンとやります。地域の工務店はダメです、のような雰囲気的宣伝のネタとなるような行為は自分で首を 絞めると言えよう。 「一部の地場の会社さん」がんばって良いものを造ってください。そして本設の大きな住宅をあそこなら安心と、受注 しようじゃありませんか。 

    2011年8月
 暑い夏に追い討ちをかけるような『節電』 高齢者が私ばかりが申し訳ない、というような思いからエアコンのスイッチを入れることをためらい熱中症となる。 我慢しないで下さい。あなたが悪いわけではない。  何を隠そう弊社でも梅雨明け宣言の月曜日からエアコンを入れている。28℃です。扇風機併用。日没プラス少々でエアコンは切るようにしている。  ここで、一応冷えていると感じるにはやはり設定温度は26℃かそれ以下にしないと快適とはならないでしょう。そこを2℃がまんし、扇風機併用にしてはいかがですか? これが今年の、これからの行きかたでしょう。  図書館に資料の物色に行きますが、暑い!本当に28℃なのでしょうか?設定が28℃では恐らく室温はそれ以上。  多くの屋内の暑さは建築的要因がある。 ■屋根断熱が良くない ■壁断熱が良くない ■窓遮熱断熱が良くない ■通風が良くない。 要は蓄熱してしまう。  都市の問題としてのヒートアイランド現象は一建築の問題としては屋上緑化などで少しは緩和に貢献できなくも無いが、それが一戸建ての住宅のレベルとしてはできることがまことに限られる。 木造住宅で屋上緑化もできなくはないが防水や土の重さなどを考えれば気が重い。ビルの屋上でも本格的に土を入れた屋上庭園から太陽熱を受け流す目的のみで緑化パレットを敷き並べる方法まで取り組み方にもレベル差・費用の掛け方に大きな差がある。  さて、新築も含め既存住宅でも熱負荷から少しでも解消される方法にいろいろある。 太陽熱が、直射日光が建物に当らなければ良い。 敷地が広ければ大きな枝張りの良い樹木を建物の南・西面にビッシリと植える。屋根にも日が当らないよう高木にする。副次効果として生い茂った葉の間を抜ける風は蒸散の気化熱を奪われ周囲の気温よりも温度が下がる。 ・・これは、神社仏閣の社務所・庫裏の話しになるのでしょうね。  普通の住宅地では恵まれても屋根を超えるような高さの樹木はたかだか1本。それでは直射日光に屋根・外壁・窓はさらされる。 屋根:しっかり蓄熱する重厚なものは避け薄く軽いものを、下地のその下に通気層をとって葺く。 その下の天井裏となる野地板の見上げ面には隙間なくたっぷりの現場発泡の吹付け断熱材を最低100mm。 壁:よしずを軒先から地面近くまで南・西面全面すきまなく立てかける(窓位置だけでなく)。 原始的方法ですね。でもこれが一番。  少し工業的になるとアルミ可動ルーバーで同様にする。 窓前だけという方法もあるが、外壁の蓄熱も防いでしまいたい。通風を確保できるヨシズでもルーバーでも窓をすっぽり覆えればLow-Eガラスはいらない。ペアガラスでありさえすればよい。多くの場合すっぽりは覆え無いのでLow-E併用のペアガラスとなる。ヨシズもだめで直射日光に露出してしまう外壁には遮熱塗料となる(下地通気がとれていることは当然)。   問題は何をするのにもお金がかかること。そして社会貢献的で、元をとるのに10年はあたりまえ。そしてものすべては10年程度でメンテナンスが必要。 さてご決断を(冬の暖かさを期待する方にはお勧めしません)。    

    2011年9月
 地元の高齢者包括支援センターで講演を行った。 『安心ライフ』とセンターの側が題を付け、内容は、高齢者の方々が自立して自宅での生活をおくることができる『住宅』とはでした。 段差の解消、手すりの取り付け、節電の推奨のなか少しでも涼しく生活するために、といった内容でした。  ここで、当然なのですが、手すりは付ければ良いといったものではないことを繰り返しお話しました。標準高さなど無いのです。その手すりに頼る高齢の方一人ひとりによってみんな異なる、ということ。1本付けてハイ!一万円です、とサッと帰ってしまうような工事は高齢者対応工事ではありません。  知り合いの工務店に、チラシで知ったリフォーム会社に「手すりを付けて」と依頼すればすぐに付けてくれますが、それがそのまま使い易いかどうかは暫く使ってみてはじめてわかる。  対象高齢者の方の日常生活行動・身体特性が人のよりまったく違っているのです。 介護福祉に経験のある工務店さんなら良いのですが、「知っていますか?」などと聞いても「大丈夫!まかせてください」は請負者の常套句。地域の行政を介して資格のある方を紹介してもらうのが間違いの無いことでしょう。  話は変わって  標高1,500mというと軽井沢(約1,000m)より高く、もう山である。暮らしの場所ではなくなる。わざわざ出掛けて行くようなところとなってしまう。しかし文句無く涼しい。20.5℃であった。長期滞在の暮らしの場所としては少しゆずって日光中禅寺湖畔は約1,300mとか。湿度はいずれも多少高いのだけれども気温が圧倒的に低いので多少の湿度は呼吸が楽? ネットさえ繋がっていれば今どきはどこでも仕事はできるので(顔を合わせての打ち合わせはテレビ会議ではいまいち!)夏季の2ヶ月ほどの滞在は可能なのではなかろうか!? という現実的ではない空想・・・  もっとも標高だけでは気温は語れそうに無い。埼玉・熊谷市は日本一暑い街として有名だが標高は一説によると40m程度とか。東京区部西側とほとんど変わらないのに2〜3℃もしくはそれ以上高い。 避暑地・高地であっても一概には言えないのかもしれない。などと言いながら関東圏の避暑地を調べてみるのでした・・・。   

      2011年10月
 『建築雑誌』(日本建築学会)にかつて以下ような対談が掲載された。一部の抜粋なので解釈が曲がるのかもしれないが・・・。 「世界各地に文化財となるヴァナキュラーな建物がある」というようなお話。「著名建築家」による設計などという建物ではなく、地元に根差し、長い年月をかけ発展し根付いたその土地らしい建物。多くの場合が住宅だ。
 特に新興経済大国では自国の『古き良き』が見えずに古くて悪い、と、さらには経済発展には邪魔なものと決めつけられ、取り壊しの議論などかけらもなく、あっ という間に撤去され、跡地にただ金の力に物を言わせた高層住宅が建てられていく。『これが経済力だ!』と言わんばかりに。
 全世界共通のNLDK的な部屋に機能を割り当てたその国の伝統的生活とは無縁な"立派"な住宅となる。
 おまけに日本では住宅も商品になってしまっているので 、住み手にとって建築はつくり出すというより消費の対象でしかない。
 住宅もスーパーで肉を買うような感覚で、食べるために屠殺するという経験が社会全体から 失われている。
 昔の話を持ち出してもしかたがないが、村の住宅は匠の指揮の元、村人全員がかかわって造り上げていった。よって土地固有の、広くは国固有の個性が生まれてい った。
 たとえば戸建住宅。
 多くの場合、展示場に行き品定めをして買うことになった。その「品定め」の目はどこでどう養ったもの??
 いつのまにやら、の生活感と 見よう見まねの"こんなもの"感覚ではないだろうか。 大きな尺度は費用対効果=金、である。
 ここでハウスメーカーという産業の存在価値?を考えざるを得ない。 万人受けし、強くて、きれいで、早くできる、などであろうか。 忘れてはいけないのが、 結構良い住宅設備などが廉価であることだ。 これは量を購入するからにほかならない。 ある数を超えた購入では「市販品」ではないそのメーカー対応の市販品に 似ている商品が取り付けられる。 別に悪いことではない。
   存在価値から言うと、鉄骨プレハブ系メーカーがメーカーらしいといえる。工場での主要部材の組み立て生産を行い一定に品質を確保するからだ。自動車の生産工 場のように。
   木造で現場で切ったり叩いたりしている会社はどう見ても規模を大きくした工務店でしかなさそうだ。 自社で鉄骨系のように工場を持っているわけもでもなく( なかには加工場を持っているところはある)木材プレカット工場と契約関係で主要部分を作らせる。
 自社には営業マンとわずかな設計社員、現場監督、商品発注の部署があるのみという『メーカー』もあるようだ。現場は大工さんの仕事場だ。 朝から夜まで電動工具がガーガートントン。 監督は10件以上は掛け持ち、現場は1件10分。大工さんの御用聞き。地場の工務店 の仕事となんら変わらない。
木造の家創りは地場産業。と以前にも書いた。
  地場の大工さんもどんどんとメーカーの下に入り、工夫もなくメーカーのマニュアル通り組み立てる。 もっともさっさと組み立てれば一定の収入が得られ楽といえ ば楽。
木造系メーカーは最近ではどこのメーカーのものか看板を見なければわからない。 そのような家がかなり田舎に行っても建てられている。
東北大震災。 跡地にメーカーは営業攻勢をかけるべく、二重ローン対策などが政策として決定されるのを虎視眈々と狙っている。 当然と言えば当然の経済行為だ 。
日本国中が展示場のようになっていく。
一方、"建築家"に依頼して建てれば良いと言っているわけではない。 これまたローコストの故か、それがスマートと勘違いしているのか(需要があるからそれはそ れでまた経済活動)妙にペラペラで角・角している。 瓦屋根などにしようものならもう"建築家"ではなくなるのか??

    2011年11月
東京都による緊急輸送道路沿道建築物の耐震促進に向けた条例が施行された。

 弊社の場合は足立区、葛飾区、墨田区、江戸川区および周辺の、具体的には日光街道、環状7号線、水戸街道、蔵前橋通り、尾久橋通り沿いに土地勘がある。
すでに都はこの条例に該当するとおぼしき建物の所有者に案内を送付した。

 要するに、予想される大震災において主要な道路に面して建設された高さのある経年した建物が倒れ、道路をふさぐ可能性が想定される。この事態を未然に防ぐためにも早急に耐震診断を実施し、結果が「危険」であるならば補強工事を実施しなければならない、と強制する条例です。
 さらに今回の条例にかかる建物は耐震診断の実施にあたってはほぼ100%の助成金が、補強工事に関してもかなりの部分の助成金を出す予算を計上しているので、自己負担がかなり抑えられ、場合によっては関連する一連の事務手続き費程度を除いたほぼ全額が助成されるという内容になっている。

 やらない手はない。
 社会貢献でもある。

 さっそく1件の問い合わせがあり、10月末に下見をおこないオーナーにヒアリングとこの条例の概要の説明を行った。診断のための現地調査を今月半ば以降に行うことを確認した。

 阪神大震災ではビルがコロンと横倒しになり道路をすっかりふさいでしまった写真が記憶されている。都でもこの事態は発生するわけで少しでも減らしておかなければ、隣接各地からの支援物資の受け入れを始めとして、震災直後には避難民のスムーズな都心から郊外への脱出の妨げとなる。

 変わって、一戸建ての住宅や小さなビルでも耐震診断を行い、結果が思わしくなければ補強工事を行いたい。
上記の例のように公共の安全にかかわらない場合は助成金でほぼまかなえるというところまでは各行政では手厚くはないが、全工事費の半額程度は出ると思っていてよい(各行政庁による)。
 リフォームをお考えなら、キッチンだけをきれいにするなどで終わることなく、骨組みも補強したい。
 大震災で押しつぶされることなく、軽微な損傷は出たとしても、避難所ではなく自宅で生活を続けられる安心感は何にも変えることができない。

 ただ、補強工事をうたい文句にやたらと補強金物を取り付け法外な金額を要求する詐欺はまだまだ発生している。ルールにのった診断を行い、不具合の説明を受け、耐震設計を依頼し、補強方法の提案を受け、どこまで性能が上がるのかを十分に説明を聞き、その後に工事契約をし、工事完了後には確かに耐震設計通りに工事が終わっているのかを確認し代金を支払う必要がある。

    2011年12月

 日本全体を覆う閉塞感。 日本のみならず世界を覆うと言ったほうがよいのかもしれない。
何かを、少しずつ、ではなく、ガラッと変えてしまいたいかなり根源的な欲求が渦巻いている。そんな中、大阪の選挙は壮観なも のがあった。 もちろん口先だけでなく実行がどこまで行われるのか見守る、ではなく、選挙民として口出しをして監視すること の必要性がある。

  10月に続き『建築雑誌』(日本建築学会)からもう1回。

 引用−−20世紀はモダニズムがあまりに普及してしまい、その廉価版に囲まれた世界に住んでいると、きちんとデザインされ たものと、その後のオートメーションでつくったものの微妙な差がわかるには、ある程度のリテラシーが必要なのではないか・・・・。−−ここまで

 勝手な主観を含んだ解説としては、
 ゴシック建築やロマネスク建築といった様式や装飾をもった建築が、20世紀の工業化社会の成立に伴い構造機能を前面に押し 出した、機能美、シンプル美を表現するものになり、職人技による彫刻や鋳物飾りやステンドグラスを取り付けた建築を否定的に とらえるようになった。

 これはこれでひとつの大きな時代の流れである。 そこでは、鉄とコンクリートと大面ガラスで構成さ れるような、当初は "素っ気ない" 味の無い建物と捉えられもしたが、柱、梁、窓を絶妙なバランス感覚で創りだす Simple is Beautiful なものであることが比較的短時間のうちに世界に定着していった。

 現代社会で創りだされる建物はいずれもこのモダニズムの延長であり、一部の宗教的建築などを除いてはオフィスビルも劇場も 病院も造形は内容のボリュームをそのまま表現している。 たとえば、建物のうえにさらに高くそびえる鐘楼などがつけられるこ とや、柱にライオンの彫り物が付けられるといったことはまずない。 そこには考え抜かれた絶妙なバランス感覚が表出された機能美だけが存在する。

   一方で、ただ工業製品を選択し取り付け、要求される面積を造っただけのチープな建物が建つことがなんと多いことか・・・。
 現代社会においての『その建物の存在』を
「だからこの建物が存在する」
と時代との脈絡において説明することができますか? と。
 説明できないレベルの建物をいくら単純な経済行為だからといって造ってよいものでしょうか?
 と 言いたいのではないでしょうか。

 本論ではないが「リテラシー」 literacy とか、日常のしゃべり言葉ではなかなか出てこないようなインテリジェンス?にあふ れる言葉を交わしている学者先生達。 本来の「識字」と訳しても意味が通じない。ここでは「情報の受け手としてだけでなく、 発信者としても十分に理解し認識できること」のような意味でお話をしているようです。

 「従業員100人が仕事のできるオフィスを造ってください」と依頼され、執務室1,000uに休憩室、トイレ、社長室、応接室、単に 物理的部屋空間を冷暖房を付け、省エネにも配慮して、経済性に配慮して4億円でやらせていただきます、と。 そして出来上が ったものは果たして・・・。
 発注者にも設計者・施工者にも『文化』を創っている、という意識・気概・責任感がどこまである のか?  単に経済行為、と割り切ってしまっているのか? 

 これらが集まって都市が造られる。
  万人に見られる、衆目にさらされる、というものだ。
『文化』・・を知らず知らず(・ではいけないのですが・)のうちにも構成してしまう?
 発注者も設計者も もっともっと考えたいものだ。
 
                                                             

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