2011年2月 |
『言葉』の使用方法に、間違ってはいないのですが違和感をおぼえることはありませんか? 「手掛ける」という言葉。 ○○会館は□□設計事務所が手掛けた、と。 表現・使用法・内容として何ら違っているものではありません。しかし、「軽さ」を感じてしまいます。 額に汗して必死に設計します。『手掛ける』のは非常に能力の高い建築家がさらりとやってのける、ニュアンスを含んでいるように感じられてしかたがありません。『設計した』とそのものずばりを言っていただけることが良いのかなと思います。 『近代的』はどうでしょう?国語辞典にもあるように、「近代」には今現在に至る少し前、の意味が明らかにあるわけです。 しかし、「近代的」はややあいまいになるのでしょうか、『現代』を含み場合によっては最先端の「近未来」をも含むこともあるような場合にも使われ、誤りでもないようです。 歴史の学習においては明らかに「現代」に至る過程の時代を言うのであって、 「近代的」の意味するところは『やや古い』を含んでいて当然と考えられます。 そこで、建築の世界において、雑誌記者さんが褒め言葉として「近代的なビルですね」と言っていただいても素直に喜ぶこともなく、逆に「古めかしいものを造った」と貶されているようにも捉えてしまったりもするわけです。 時間の概念でお褒めをいただけるのなら『次の時代をリードする』とでも言っていただけるといいのかな、 と思ったりもします。 小説などとも異なり、新聞・雑誌のことですから、深くは推敲されているものでもないですし、多くは、飛ばし読みとでもいうか、内容がさらりとわかれば良い、という程度ですから、いちいち目くじらを立てるでもないのですが。 それにしても、主語から始まり述語があって、という文章体系でないのが新聞などです。途中から別の主語のことを言って終わるようなものがけっこうありますよね (@_@;) メールマガジンがブログのようになっていますが、少しずつ書き加えています。 |
2011年3月 |
『ありがとう』という言葉に反対語が見当たらない。という記事が日経関連の雑誌にあった。 −−−−−以下、一部を引用(私見混じり)−−−−−− 小学生の国語?の一部の指導として反対語遊び?があるという。 寒い←→暑い おいしい←→まずい などで、では 「ありがとう」の反対語は??というコラムでした。 さて? 日常に使われる感謝を表す言葉ですが、考えれば意味が深く、ましてや反対語など簡単には思い浮かばない。 そこで、コラムの筆者氏も辞典辞書を調べまくる。さらには英語でありがとうは何だ?ではその反対語は? と考察を進めるが、日本語でいうところの「ありがとう」に含まれるニュアンスまでは表現しきれない、としている。 漢字で書くと、有り難い、有ることが難しい、有り難とう、でしょうか。 とすると、金八先生の送る言葉にも出てくるそうだが、(曲解があるかもしれません) 「おまえたちがここにいることは、有り得ない確率のなかで、父母の出会い、卵子、精子の結合、誕生、その後のすべての環境、これは何億分の一なんていう状態ではなく、数値で表せないくらいの確率で今ここにいる。それを大切に思わないでどうするんだ。」(のような台詞??) 有り得ないぐらいすばらしいことに対する「普通」「簡単」「当たり前」などがぴったりとはしないまでも反対語としては候補にあがるのではないだろうか、とコラム締めくくっていた。 また、最近では「ありがとう」が軽く使われていることに危惧もしている。 一方、このコラムに関する読者の意見と言うものが欄外に書かれていて、 「うらめしい」「恨めしい」「恨めしやー」が反対語です、と言い切る。 (引用・ここまで) この短信をお読みの方々はどのように感じられますか? 国語法上「恨めしい」かもしれませんが、あくまでニュアンスというものがあって、さっぱりとは割り切れません。 ありがとう、は いい響きの こころ和む 柔らかな 良い言葉とおもいます。 この度の東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されました皆様、またそのご家族の方々に対しまして心よりお見舞い申し上げます。 被災地の一日も早い復旧・復興を私共一同心より祈念いたします。 2011年4月 まずは、今回の大震災に被害を被った方々にお見舞い申し上げます。 未曾有の大被害から20日が過ぎ、突然に「ご遺族」となられた方々、 一家親族でお亡くなりもしくは行方不明となられてしまった方々に言葉もなく、 ただ、ご冥福を祈るばかりです。 今回の震災は津波が想定外であったことにすべて帰結しそうで、阪神のように 建物が潰れた被害は少ないようです。 これはマグニチュードこそ大きかった ものの、揺れの周波数が阪神とはことなり、建物の揺れを増幅するものではなかった幸運があったようです。 復興へ向かった動きも確実にでてきており、日本の底力を感じています。 想定外の津波とはいえ、直後からの原発に関わる騒動は東電の隠ぺい体質や、政府の危機対応がパフォーマンスのみで実行が伴わないなどいろいろ言われています。 この地震を契機に、意地の張り合いのように見えた国の予算、とりわけ子供手当とか高速道路無料化などが復興支援の名のもとに与野党が歩み寄る転機になる兆しはプラスの側でしょうか。 風評被害、過剰対応を回避し、国民の健康を守ることは政府の最低限の責務でしょうが、しかし風評被害・過剰対応は正確な情報が得られないことからマスコミが「専門家」を動員し、あれこれと騒ぎたてる事に原因があると思います。 何も知らない知らされないでは不安であるだけ。一方で断片的だったり一部が 隠されているのでは?という疑問符が付けばとりあえず過剰対応しておくしかない? ヨウ素剤を飲むか?飲まぬか? 産地名だけでスーパーでは入荷停止。 食料がガソリンが今どこにあって、いつ普通に供給されるのか、明確にしてくれれば買い急ぐこともない。10日も先になってしまうのではないか、との不明情報では少しあるときに余分に買っておこうか!になってしまう。 きちんと並んで譲り合っている、との報道も、どうも被災地のみで、買占め??のガスリンスタンドでは1台20L制限なのに満タンにしてそれでも足りずポリタンクもいっぱいにしている。それを注意すると胸倉をつかんで『金払うのにどこが悪い』とすごむ人もいるとか。 電車内の携帯や化粧をはじめとして日本のマナーってそれほど良くないのでは? AC!?以前はそれほど気になりませんでしたが、スポンサーがCMを流さない・辞退すると自動的?にACの広告が入るらしいのですが、閉口です。悪ふざけのCMは論外として、通常の企業CMがなにも不謹慎なことはないでしょう。 妙な切り上がる音楽AC♪〜は3回に1回ぐらいになっているようですが、 もういいです!!流すぐらいなら空欄にしては? 急遽人気グループを起用しての新バージョンも流れ出しました。使われた『詩』が売れているということもあるそうです。 津波の最高高さは果たして何M? エネルギーや海底地形、湾や入り江の形状によっていちがいに言えないのはそうでしょうが、あらゆる悪条件をすべて掛け合わせて「最悪」はどれだけの高さでしょう? 専門家は計算できるのでは? 港、港湾施設はそのときは諦めるが、人の住むところは計算された最悪の高さ以上の場所に限定したいもの。 逃げても逃げられない状況がよくわかりました。 多勢の犠牲を無駄にしないためにも、海岸線建築基準の改めての議論が必要なようです。 ギネス級の防波堤はもろくも倒壊したわけで、それに負けないもっと高くて頑丈な防波堤を造るのでしょうか。 残念ながら建築にはなすすべがありません。 1から4階は水没覚悟の使用方法、人の居住は5階以上、建物は鉄筋コンクリートに限る、などという条例ができたりするのでしょうか。 最後に、日本は一極集中しすぎていませんか? この巨大な地震・津波は東京に来ませんか? 考えただけでも恐ろしいことになりませんか・・・・ 2011年5月 震災関連のYouTubeの映像はお時間があれば見ておく価値があると思います。 テレビでは流れなかった素人撮影ながら臨場感のあるもの、その筋の方の撮影で何がしかの意味のありそうなものまで いろいろとUPされています。あらためてウッ!と見入るものの多いこと。 震災特需といえば建設復興関連と真っ先に思い浮かびます。 仮設住宅が筆頭でしょう。 おやっと思うその筋の方も想像していなかった特需があるようです。 例えば人の移動特需。 原発周辺を人が移動するのに、また被災地外からの応援部隊が入る・交替することに必ず必要で、 バスが大量に発注されている。一月に一度移動するのではなく毎日、日に何回も移動するのです。 平常時は『観光バス』です。フル稼働とか。 余震と表現されることが多いようですが、誘発の本地震もあるようで、専門家でも読めないのではないでしょうか。 鉄筋コンクリート造の建物に多くの方が避難し、さらに上階に昇り助かった方が多勢います。 鉄筋コンクリートはそもそも重いことから津波に強いのです。 ただ、大型ビルで総重量が効いているようで、 小型の鉄筋コンクリートビルは基礎もろとも倒れています。 避難ビルの建設は盛んになるでしょう。 地上から何階までは流され、波の通過に任せるか、どの階から上は居住や重要施設として使用するかは土地特性により かなり容易に条例などで指定できるのではないでしょうか。 津波が流れていきやすくするためには壁が無く柱だけで日常はガラスだけが嵌まっているような造りが良いわけですが、 いわゆるピロティ式は地震には弱く津波以前の震度7でかなりのダメージを受けてしまいそうです。 一長一短。 木造建物はあまりにも軽く、ちょっとした突風にはどうにか耐えても、圧倒的重量とスピードで迫り着て、 また引いてゆく圧力にはまったく歯が立ちません。 高台しかありません。 首都圏の湾岸地帯では大規模な液状化が起こり問題化しています。 もともと東京湾の埋め立て地ですから軟弱は当たり前で、そのことは何となく隠れてしまい、 都心に近いから、ニュータウンで環境が良いから、と人気地帯であったわけです。 埋め立てた側は「きちんと杭を打ってくれると思っていた」と言い、 買った側は「利便性と割安感」の尺度のみしか考慮していない? 内陸部でも元は水田、はまだ良いほうで、『沼』などの埋立地も非常に多くあるわけです。 漁港があり、そこで働く人々が住み付き、職住近接は無駄が無く便利であるわけです。 都心に近いニュータウンも夢のようなテレビドラマ的ライフスタイルがあるようです。 |
2011年6月
パラダイムシフトの必要性?
2011年7月
バリヤフリーとユニバーサルデザインとではどのように違うか!? ユニバーサルのほうがバリヤーフリーの進歩系でさらに包括的なもの、というもの。(一部議論としてバリヤフリーのほうがユニバーサルデ ザインより上位で包括的である、との意見もあるようだ) 要するに、誰でも、いつでも健常とか一部劣るとかそうした判断をするまでもなく当たり前に生活・活動できること。 当然じゃないかそ んなこと、というわけだ。 誰でもいつか歳を取る、大切なのは胸の炎、燃やし続けていること、とはいっても心は燃えていたって足が出にくくなり、腕が上がりずら くなり、目もなんとなくぼやけて、モスキート音などは聞こえない。 そんなことは当たり前じゃないか、であれば階段のけ上げを抑え、腰 の辺りに手すりを、明暗の差、色相輝度の差を大きく、光の案内だけ、音の案内だけでなく併用。 言うは易し行なうは難し。 手すりの取り付け高さをとっても人間身長3mの人はまずいないだろうが、単に骨盤天端高さと言っても20c mから30cmの高さの差となり、公の場で手すり1本付けるのは難しい。 一頃、空間の豊かさのひとつに、わざと段差を設け、シークエンスを楽しむといったことが設計に取り入れられた。 たとえば住宅では居 間、街中ではポケットパークなどでも少し高いところ、少し窪んだところを設けたりする。 歳を重ねてくると『なんでこんなところに段が あるのだろう』ということになる。でも出来た空間にはそれなりの変化があってやはり楽しめる。 では機械力・エレベーターの設置でしょうか? 住宅でも手すりは廊下、階段の両側にあることが基本だ。柱心々3尺では狭すぎる。片側手すりでは、利き手利き足があり行きは右手が便利 でも帰りは片側手すりでは役に立たない。いたるところにあるバリヤー、目ざとく見つけていきたいもの。 話し変わって仮設住宅。 報道の正確さは不明だが、大手ハウスメーカーの造ったものと、一部の地場の建設会社の造ったものとでは性能が明らかに違うとか。 どうせ数年で撤去するのはわかっているのですが。それにしても・・・。 隙間風、雨漏り、建具のガタピシがけっこうあるとのこと。 ともかくまだまだ数が足りない。どんどん造れ!!だから、それでいて発注価格は決まっているもののそれなりの利益はでるので、どんどん 受注する。 大手さんはまた次があるからそれなりにキチンとする。地場さんはその地では次はしばらくないのでともかく儲けて逃げちゃお う、とは考えたくは無いもの。 そこから一般住宅でも、大手はキチンとやります。地域の工務店はダメです、のような雰囲気的宣伝のネタとなるような行為は自分で首を 絞めると言えよう。 「一部の地場の会社さん」がんばって良いものを造ってください。そして本設の大きな住宅をあそこなら安心と、受注 しようじゃありませんか。 2011年8月 暑い夏に追い討ちをかけるような『節電』 高齢者が私ばかりが申し訳ない、というような思いからエアコンのスイッチを入れることをためらい熱中症となる。 我慢しないで下さい。あなたが悪いわけではない。 何を隠そう弊社でも梅雨明け宣言の月曜日からエアコンを入れている。28℃です。扇風機併用。日没プラス少々でエアコンは切るようにしている。 ここで、一応冷えていると感じるにはやはり設定温度は26℃かそれ以下にしないと快適とはならないでしょう。そこを2℃がまんし、扇風機併用にしてはいかがですか? これが今年の、これからの行きかたでしょう。 図書館に資料の物色に行きますが、暑い!本当に28℃なのでしょうか?設定が28℃では恐らく室温はそれ以上。 多くの屋内の暑さは建築的要因がある。 ■屋根断熱が良くない ■壁断熱が良くない ■窓遮熱断熱が良くない ■通風が良くない。 要は蓄熱してしまう。 都市の問題としてのヒートアイランド現象は一建築の問題としては屋上緑化などで少しは緩和に貢献できなくも無いが、それが一戸建ての住宅のレベルとしてはできることがまことに限られる。 木造住宅で屋上緑化もできなくはないが防水や土の重さなどを考えれば気が重い。ビルの屋上でも本格的に土を入れた屋上庭園から太陽熱を受け流す目的のみで緑化パレットを敷き並べる方法まで取り組み方にもレベル差・費用の掛け方に大きな差がある。 さて、新築も含め既存住宅でも熱負荷から少しでも解消される方法にいろいろある。 太陽熱が、直射日光が建物に当らなければ良い。 敷地が広ければ大きな枝張りの良い樹木を建物の南・西面にビッシリと植える。屋根にも日が当らないよう高木にする。副次効果として生い茂った葉の間を抜ける風は蒸散の気化熱を奪われ周囲の気温よりも温度が下がる。 ・・これは、神社仏閣の社務所・庫裏の話しになるのでしょうね。 普通の住宅地では恵まれても屋根を超えるような高さの樹木はたかだか1本。それでは直射日光に屋根・外壁・窓はさらされる。 屋根:しっかり蓄熱する重厚なものは避け薄く軽いものを、下地のその下に通気層をとって葺く。 その下の天井裏となる野地板の見上げ面には隙間なくたっぷりの現場発泡の吹付け断熱材を最低100mm。 壁:よしずを軒先から地面近くまで南・西面全面すきまなく立てかける(窓位置だけでなく)。 原始的方法ですね。でもこれが一番。 少し工業的になるとアルミ可動ルーバーで同様にする。 窓前だけという方法もあるが、外壁の蓄熱も防いでしまいたい。通風を確保できるヨシズでもルーバーでも窓をすっぽり覆えればLow-Eガラスはいらない。ペアガラスでありさえすればよい。多くの場合すっぽりは覆え無いのでLow-E併用のペアガラスとなる。ヨシズもだめで直射日光に露出してしまう外壁には遮熱塗料となる(下地通気がとれていることは当然)。 問題は何をするのにもお金がかかること。そして社会貢献的で、元をとるのに10年はあたりまえ。そしてものすべては10年程度でメンテナンスが必要。 さてご決断を(冬の暖かさを期待する方にはお勧めしません)。 2011年9月 地元の高齢者包括支援センターで講演を行った。 『安心ライフ』とセンターの側が題を付け、内容は、高齢者の方々が自立して自宅での生活をおくることができる『住宅』とはでした。 段差の解消、手すりの取り付け、節電の推奨のなか少しでも涼しく生活するために、といった内容でした。 ここで、当然なのですが、手すりは付ければ良いといったものではないことを繰り返しお話しました。標準高さなど無いのです。その手すりに頼る高齢の方一人ひとりによってみんな異なる、ということ。1本付けてハイ!一万円です、とサッと帰ってしまうような工事は高齢者対応工事ではありません。 知り合いの工務店に、チラシで知ったリフォーム会社に「手すりを付けて」と依頼すればすぐに付けてくれますが、それがそのまま使い易いかどうかは暫く使ってみてはじめてわかる。 対象高齢者の方の日常生活行動・身体特性が人のよりまったく違っているのです。 介護福祉に経験のある工務店さんなら良いのですが、「知っていますか?」などと聞いても「大丈夫!まかせてください」は請負者の常套句。地域の行政を介して資格のある方を紹介してもらうのが間違いの無いことでしょう。 話は変わって 標高1,500mというと軽井沢(約1,000m)より高く、もう山である。暮らしの場所ではなくなる。わざわざ出掛けて行くようなところとなってしまう。しかし文句無く涼しい。20.5℃であった。長期滞在の暮らしの場所としては少しゆずって日光中禅寺湖畔は約1,300mとか。湿度はいずれも多少高いのだけれども気温が圧倒的に低いので多少の湿度は呼吸が楽? ネットさえ繋がっていれば今どきはどこでも仕事はできるので(顔を合わせての打ち合わせはテレビ会議ではいまいち!)夏季の2ヶ月ほどの滞在は可能なのではなかろうか!? という現実的ではない空想・・・ もっとも標高だけでは気温は語れそうに無い。埼玉・熊谷市は日本一暑い街として有名だが標高は一説によると40m程度とか。東京区部西側とほとんど変わらないのに2〜3℃もしくはそれ以上高い。 避暑地・高地であっても一概には言えないのかもしれない。などと言いながら関東圏の避暑地を調べてみるのでした・・・。 2011年10月 『建築雑誌』(日本建築学会)にかつて以下ような対談が掲載された。一部の抜粋なので解釈が曲がるのかもしれないが・・・。 「世界各地に文化財となるヴァナキュラーな建物がある」というようなお話。「著名建築家」による設計などという建物ではなく、地元に根差し、長い年月をかけ発展し根付いたその土地らしい建物。多くの場合が住宅だ。 特に新興経済大国では自国の『古き良き』が見えずに古くて悪い、と、さらには経済発展には邪魔なものと決めつけられ、取り壊しの議論などかけらもなく、あっ という間に撤去され、跡地にただ金の力に物を言わせた高層住宅が建てられていく。『これが経済力だ!』と言わんばかりに。 全世界共通のNLDK的な部屋に機能を割り当てたその国の伝統的生活とは無縁な"立派"な住宅となる。 おまけに日本では住宅も商品になってしまっているので 、住み手にとって建築はつくり出すというより消費の対象でしかない。 住宅もスーパーで肉を買うような感覚で、食べるために屠殺するという経験が社会全体から 失われている。 昔の話を持ち出してもしかたがないが、村の住宅は匠の指揮の元、村人全員がかかわって造り上げていった。よって土地固有の、広くは国固有の個性が生まれてい った。 たとえば戸建住宅。 多くの場合、展示場に行き品定めをして買うことになった。その「品定め」の目はどこでどう養ったもの?? いつのまにやら、の生活感と 見よう見まねの"こんなもの"感覚ではないだろうか。 大きな尺度は費用対効果=金、である。 ここでハウスメーカーという産業の存在価値?を考えざるを得ない。 万人受けし、強くて、きれいで、早くできる、などであろうか。 忘れてはいけないのが、 結構良い住宅設備などが廉価であることだ。 これは量を購入するからにほかならない。 ある数を超えた購入では「市販品」ではないそのメーカー対応の市販品に 似ている商品が取り付けられる。 別に悪いことではない。 存在価値から言うと、鉄骨プレハブ系メーカーがメーカーらしいといえる。工場での主要部材の組み立て生産を行い一定に品質を確保するからだ。自動車の生産工 場のように。 木造で現場で切ったり叩いたりしている会社はどう見ても規模を大きくした工務店でしかなさそうだ。 自社で鉄骨系のように工場を持っているわけもでもなく( なかには加工場を持っているところはある)木材プレカット工場と契約関係で主要部分を作らせる。 自社には営業マンとわずかな設計社員、現場監督、商品発注の部署があるのみという『メーカー』もあるようだ。現場は大工さんの仕事場だ。 朝から夜まで電動工具がガーガートントン。 監督は10件以上は掛け持ち、現場は1件10分。大工さんの御用聞き。地場の工務店 の仕事となんら変わらない。 木造の家創りは地場産業。と以前にも書いた。 地場の大工さんもどんどんとメーカーの下に入り、工夫もなくメーカーのマニュアル通り組み立てる。 もっともさっさと組み立てれば一定の収入が得られ楽といえ ば楽。 木造系メーカーは最近ではどこのメーカーのものか看板を見なければわからない。 そのような家がかなり田舎に行っても建てられている。 東北大震災。 跡地にメーカーは営業攻勢をかけるべく、二重ローン対策などが政策として決定されるのを虎視眈々と狙っている。 当然と言えば当然の経済行為だ 。 日本国中が展示場のようになっていく。 一方、"建築家"に依頼して建てれば良いと言っているわけではない。 これまたローコストの故か、それがスマートと勘違いしているのか(需要があるからそれはそ れでまた経済活動)妙にペラペラで角・角している。 瓦屋根などにしようものならもう"建築家"ではなくなるのか?? 2011年11月 東京都による緊急輸送道路沿道建築物の耐震促進に向けた条例が施行された。 弊社の場合は足立区、葛飾区、墨田区、江戸川区および周辺の、具体的には日光街道、環状7号線、水戸街道、蔵前橋通り、尾久橋通り沿いに土地勘がある。 すでに都はこの条例に該当するとおぼしき建物の所有者に案内を送付した。 要するに、予想される大震災において主要な道路に面して建設された高さのある経年した建物が倒れ、道路をふさぐ可能性が想定される。この事態を未然に防ぐためにも早急に耐震診断を実施し、結果が「危険」であるならば補強工事を実施しなければならない、と強制する条例です。 さらに今回の条例にかかる建物は耐震診断の実施にあたってはほぼ100%の助成金が、補強工事に関してもかなりの部分の助成金を出す予算を計上しているので、自己負担がかなり抑えられ、場合によっては関連する一連の事務手続き費程度を除いたほぼ全額が助成されるという内容になっている。 やらない手はない。 社会貢献でもある。 さっそく1件の問い合わせがあり、10月末に下見をおこないオーナーにヒアリングとこの条例の概要の説明を行った。診断のための現地調査を今月半ば以降に行うことを確認した。 阪神大震災ではビルがコロンと横倒しになり道路をすっかりふさいでしまった写真が記憶されている。都でもこの事態は発生するわけで少しでも減らしておかなければ、隣接各地からの支援物資の受け入れを始めとして、震災直後には避難民のスムーズな都心から郊外への脱出の妨げとなる。 変わって、一戸建ての住宅や小さなビルでも耐震診断を行い、結果が思わしくなければ補強工事を行いたい。 上記の例のように公共の安全にかかわらない場合は助成金でほぼまかなえるというところまでは各行政では手厚くはないが、全工事費の半額程度は出ると思っていてよい(各行政庁による)。 リフォームをお考えなら、キッチンだけをきれいにするなどで終わることなく、骨組みも補強したい。 大震災で押しつぶされることなく、軽微な損傷は出たとしても、避難所ではなく自宅で生活を続けられる安心感は何にも変えることができない。 ただ、補強工事をうたい文句にやたらと補強金物を取り付け法外な金額を要求する詐欺はまだまだ発生している。ルールにのった診断を行い、不具合の説明を受け、耐震設計を依頼し、補強方法の提案を受け、どこまで性能が上がるのかを十分に説明を聞き、その後に工事契約をし、工事完了後には確かに耐震設計通りに工事が終わっているのかを確認し代金を支払う必要がある。 2011年12月 日本全体を覆う閉塞感。 日本のみならず世界を覆うと言ったほうがよいのかもしれない。 何かを、少しずつ、ではなく、ガラッと変えてしまいたいかなり根源的な欲求が渦巻いている。そんな中、大阪の選挙は壮観なも のがあった。 もちろん口先だけでなく実行がどこまで行われるのか見守る、ではなく、選挙民として口出しをして監視すること の必要性がある。 10月に続き『建築雑誌』(日本建築学会)からもう1回。 引用−−20世紀はモダニズムがあまりに普及してしまい、その廉価版に囲まれた世界に住んでいると、きちんとデザインされ たものと、その後のオートメーションでつくったものの微妙な差がわかるには、ある程度のリテラシーが必要なのではないか・・・・。−−ここまで 勝手な主観を含んだ解説としては、 ゴシック建築やロマネスク建築といった様式や装飾をもった建築が、20世紀の工業化社会の成立に伴い構造機能を前面に押し 出した、機能美、シンプル美を表現するものになり、職人技による彫刻や鋳物飾りやステンドグラスを取り付けた建築を否定的に とらえるようになった。 これはこれでひとつの大きな時代の流れである。 そこでは、鉄とコンクリートと大面ガラスで構成さ れるような、当初は "素っ気ない" 味の無い建物と捉えられもしたが、柱、梁、窓を絶妙なバランス感覚で創りだす Simple is Beautiful なものであることが比較的短時間のうちに世界に定着していった。 現代社会で創りだされる建物はいずれもこのモダニズムの延長であり、一部の宗教的建築などを除いてはオフィスビルも劇場も 病院も造形は内容のボリュームをそのまま表現している。 たとえば、建物のうえにさらに高くそびえる鐘楼などがつけられるこ とや、柱にライオンの彫り物が付けられるといったことはまずない。 そこには考え抜かれた絶妙なバランス感覚が表出された機能美だけが存在する。 一方で、ただ工業製品を選択し取り付け、要求される面積を造っただけのチープな建物が建つことがなんと多いことか・・・。 現代社会においての『その建物の存在』を 「だからこの建物が存在する」 と時代との脈絡において説明することができますか? と。 説明できないレベルの建物をいくら単純な経済行為だからといって造ってよいものでしょうか? と 言いたいのではないでしょうか。 本論ではないが「リテラシー」 literacy とか、日常のしゃべり言葉ではなかなか出てこないようなインテリジェンス?にあふ れる言葉を交わしている学者先生達。 本来の「識字」と訳しても意味が通じない。ここでは「情報の受け手としてだけでなく、 発信者としても十分に理解し認識できること」のような意味でお話をしているようです。 「従業員100人が仕事のできるオフィスを造ってください」と依頼され、執務室1,000uに休憩室、トイレ、社長室、応接室、単に 物理的部屋空間を冷暖房を付け、省エネにも配慮して、経済性に配慮して4億円でやらせていただきます、と。 そして出来上が ったものは果たして・・・。 発注者にも設計者・施工者にも『文化』を創っている、という意識・気概・責任感がどこまである のか? 単に経済行為、と割り切ってしまっているのか? これらが集まって都市が造られる。 万人に見られる、衆目にさらされる、というものだ。 『文化』・・を知らず知らず(・ではいけないのですが・)のうちにも構成してしまう? 発注者も設計者も もっともっと考えたいものだ。 |