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  2000年11月   以降,抜粋
 暑い夏でしたが(本当に妙に暑かった)、急に、涼しいを通り越して、寒いですね が挨拶となってしまいました。
今年は冬が来ないでズッと暑いのではないかな、と真面目に思った日もありました。
 このホームページもアップロードしたまま、「工事中」が続いていましたが、やっと「開設しました」とお知らせが出せる状況になりました。

 コンペで獲得したY診療所の仕事は順調に進んでいます。
(進行中レポート (2001年末にY建設ドキュメントに衣替え)に経過報告があります・ご覧ください)

 弊社としてはめずらしく、工場の仕事をしておりまして、千葉市役所に確認申請を出したところです。
「防火区画免除願」やら「工場調書」やら、やはり大きい建物なのですね。 ちなみに、延べ4,093.21㎡です。

  2000年12月
 お待たせいたしました!(どなたも待ってはいなかったですネ)いずれにしてもやっと、やっとホームページなるものを「開設しました!!」と公言する状況に至りました。

 実はこのホームページは9月下旬にはアップロードしていたのです。とりあえず場所の確保のためにアップロードし「工事中」を続けていたわけです。途中でご覧になられた方はさぞやあきれられたことでしょう。

少し時間がかかっていますが、「工場」の申請は消防にまわり、千葉市消防条例とかの千葉市独自(千葉市は政令指定都市!)の指導にややてこずっています。

  2001年1月
 あけましておめでとうございます
21世紀の幕が切って落とされました。
 今年は巳年。何を隠そう、新田は年男なのデス。(バレタ?!) 抱負は?ウーム!じっくりと腰を据えて良い仕事。でしょうか?(いつもと同じ)

 久々にデベロッパーさんがかんでいない、そこそこに規模のある集合住宅が手掛けられることになりそうです。ラフな計画がスタートしました。
 また、時代の流れでしょうか、男女の雇用機会均等の関係で、これまで男性用にしか造られていなかった事業所に多数の女性がやってくる、ということで、某本社ビルが増築+全面改装の計画です。

  2001年2月
 所属業界の新聞に「年男」の紹介として私についての記事+写真が載りました。
マー'いわゆる抱負というものを「語る」わけです。写真はさすがに一人でははずかしいので昨秋に娘の七五三で撮ったツーショットを使わせてもらいました。

 欠陥住宅が次々と生まれている状況に、行政もやっと「指針」をまとめ、その講習会が行われています。先日、都庁で行われた講習に参加しました。ほとんどがいままでも設計には組み入れていたことですが、一部にチェック用計算式が公開され、わずかの部分で感に頼っていたものがこの式を使うことにより安心して「なるほど」となりました。

 半官半民の共同住宅ですが、大規模改修工事の設計を行っています。昭和40年代に建てられた団地スタイルのRC4階建てです。老朽+手狭で壊してもいいのかな?と思うのですが、"官"のお金が入って建てられたものである以上、60年の耐用年数が来るまではよほどのことがない限り取り壊し新築はできません。2住戸を1戸につなげ、設備をすべて更新する方針です。

  2001年3月
  小シャレた建物。生活感の無い建物。生活しているから建物であり、非日常のハレの空間を日々維持していられるものでしょうか? 雑誌に時折登場するガラスとアルミの、内部はツルツル真っ白の壁。露出の階段はころんだら大怪我しそう。このような建物は美術館だけでたくさん。それにあこがれて、注文建築をして、結露に悩まされ、周辺からの視線に悩まされ、維持メンテナンスに心痛め、疲れてしまう。
 時の話題は軽快な・斬新なですが、評価に残るキチンとした建物は、生活を中心に据え使い勝手を考えた、落ち着いた中にもセンスの良さが光る、といった建物のようです。(最近の雑誌アンケートを見た感想)

 余談:有名な某W氏の「建物探訪」というテレビ番組があります。氏は「ウワーッ!」or「オー!!」と声を出されますが、まあ、その役をしている「役者さん」なわけです。番組への応募・売り込みは非常に多いと聞いています。が、採用は年に50件弱なわけです。
 これはすべてプロデューサーの選択で決まるわけで、レベルもそこそこのものから、なんでこれを取材したのか疑問のものまであります。
 私も某G住宅雑誌社の記者と懇意にしておりまして、作品としては特に雑誌に掲載されるようなアピールポイントは無いのだけれど、施主家族にとっては非常に住み易い良く出来た"普通の家"が完成しまして、当方からは連絡を入れてもしょうがないナ、と考えていても、先方から'定期的'に「何か完成していませんか?」と連絡が入り「こんなの有るヨ」と伝えると、もう、その場で取材が決まるのです。  こう言っては申し訳無いのですが番組にしても、雑誌にしても枠を埋めるのが仕事。

  2001年4月
   建築法令の「中間検査制度」が実施されるようになって1年ほどが過ぎましたが、 中間検査で検査員が調査するのはその時点だけ。
 先日も、某建て売り住宅の現場では、当ホームページの「欠陥」のコーナーで例示している「どろまみれ鉄筋」で工事が行われていました。コンクリートを打ってしまえば鉄筋がどこに入っているのは見えませんものね。!

 今月末もしくは来月頭に「進行中レポート」で紹介しているY診療所+Y邸の「一般公開」 スケジュールを発表します。5月26日頃になろうかと思います。

  2001年5月
 日本のリーダーが変わりました。いままでの人とはチョットちがって、何かをやってくれそうな、そんな気がしないでもありません。期待しましょうか。?
  今月末竣工のY邸+Y診療所がいよいよ最終段階で、「日曜、祭日、は仕事はしない」という現場周辺の方々との取り決めはありますが、音の出ない配管・配線やクロス貼りの下地つくりは進行しますので、設計監理は欠かせません。
5月26日土曜日、現場にて多くの見学の方々にお会いできることを楽しみにしております。

 オープンハウスのご案内
 当ホームページ上「進行中レポート」で長らくお伝えして参りました「Y邸+Y診療所」が程なく 竣工いたします。予定では5月末日です。
 引き渡し後は診療所の開院準備であわただしく、見学していただくことはできません。
オープンコンペにて仕事を頂きました物件でもあり、結果が皆様のご批評に耐えうるものかは不明 ですが、以下の見学日を設定しました。地下1階、地上3階、塔屋の鉄筋コンクリート造です。
どなたでも見ていただくことができます。
 一部で引き渡し直前の内装などの手直しを行っていると思われますが、自由にご覧になっていただけます。案内図を添付いたします。
   日時:平成13年5月26日・土曜日・午後1:00頃から5:00頃まで

  2001年6月
 5月26日・土曜日の「Y邸+Y診療所」オープンハウスには多数お運びいただきましてありがとうございました。
 おかげさまをもちまして、コンクリート打ち前後の雪による遅延、竣工まぎわの長雨などいろいろありましたが、どうにか終了にこぎつけられたようです。
 当ホームページでは7月の改訂までに写真を整理いたしまして、現在の「Y建設ドキュメント」に時系列で紹介をリニューアルの予定です。
 コンペ時の姿はほとんどそのままです。地下は総地下となり、内部間取り、診療の考え方などは約1年に及んだ設計期間の時間のにじみ出る、そんな建物になっているのか ナ と
思うのは自己満足以外の何ものでもないことはわかっているのですが…。(-_-;)

  2001年7月
 1月短信で書きました、デベロッパーを通さない民間のマンションの工事にかかりました。鉄骨造6階建て、延べ1,466.32㎡。当初の計画よりは約3分の2の規模です。
 デベロッパーが主導の計画ですと、敷地面積に対して容積率は目いっぱい、法規が許すだけ造るのが普通です。よって、よく日照権騒動などが起こるのです。
 今回の計画は、施主のお子さんが一部にお住みになるというもの。法規いっぱいなどは当初から望んではいらっしゃいません。
 駐車台数も100%以上で、すべてに余裕があります。

 某区内に200坪ほどの売り地が出ました。早速、不動産屋さんと建設業者さんが「マンションにしても3階止まり、では建売でさばいてしまおう!」となり、建売専門業者に声をかけプランを作らせました。私道を土地中央付近に付け、1区画20坪を切る19とか、18.5とかの敷地に建坪30位の上物がついて、分譲価格4,000万円を切る設定。
 「良いものを」より、先に金額の設定有りき、の計画。手馴れたもので、しかし、まったく面白味も無く、ただ数棟建っているというだけ。

 なぜ知ったか??不動産屋さんが知り合いを通して連絡してきたのです。「+アルファの味付けをしていただけないでしょうか?」
 一応お会いして、そのプラン、姿案を見せていただいたのですが、金額は決まっている(売りの見えが掛かりの上物坪単価は約50万円、しかし、発注単価は35万円などの40万円を切るところでなければならない)、部屋数は減らさない、駐車は確保する、デ、しばらくお話はしてきたものの私の手には負えません。
 専門業者さん、お見事!

デモ、工事代金坪40万円を切るところで請け負って、手抜きは無いのでしょう ネ!
それよりも、「持ち家」を促す政策はこれでいいのでしょうか?

  2001年8月
 築30年過ぎの木造住宅の改造相談を受けました。二世帯的に造ってあるのですが、家族の変化により、水廻りが一部不要になっていることと、和室のフローリング化+塗り壁のボード化です。
 私の持論の住宅工事は地場産業、がわかっていれば構造本体に影響しないこのような工事は近所の工務店に直接声を掛ければすぐに対応してくれます。

 この方は設計事務所に直接アプローチしてこられました。新しい手段です。
図面らしきものはほとんど必要としません。方針を箇条書きとしたもので紙は終わり。 50万円かからない、とフミマシタ。 調査は一部天井を剥がしたり、始めから大工を連れて行きました。工務店という名の建設業者には発注しませんでした。大工職人さんだけでできる、と読みました。

 見積もりを出してもらい、査定し、施主に報告し、了解を得て工事に取り掛かりました。
工事途中で当然監理は行い、大工の相談にのりながら、きちんとした工事をしてもらいました。私の報酬は4万円。1割デス。
 「そんな金額でやるな!」と同業諸氏からおしかりを賜りそうですが、気持ち良い仕事であったし、これで良いではありませんか。(^○^)

  2001年9月
省略

  2001年10月
 小さな木造住宅の新築計画が始まりました。
この施主は当初、「坪30万円代の家」にひかれていらっしゃって、その筋をだいぶ見て回ったと言うこと。
 成約は難しいな、と思っていました。50万とは言わないまでも、がんばって40万後半でしょう。お話は何回もお聞きしました。40万後半のお話ももちろんしました。
 このお話は次回としましょう。

 大事件が起こりました。アメリカ、N.Y.、ワシントンで大惨事です。あのショッキング、な旅客機がW.T.C.に突っ込むシーン。
 人事では有りません。  怒り!

しかし、W.T.C.がなぜ崩落? 途中階に突っ込んで、そこから上は壊れる。これはわかる。 崩れ落ちる とは。…。…。
 突っ込む、ジェット燃料爆発、一気に燃える、高熱、鉄骨アウト。上階の重みに耐えられず数十階分が落ちてくる。加速度の付いた衝撃。
 下まで行ってしまった。
その崩落の衝撃は、隣接のビルにまで伝わった。基礎は地下でつながっている。

  2001年11月
 9月11日。忘れることの出来ない日付となりました。WTC跡地ではまだガレキの山が撤去できないでいます。まだ数千人の方が行方不明。

 群馬県東村で村立美術館の設計コンペが公募で行われています。先日その敷地を見学してきました。敷地は平地より山の部分の方が広いのです。平地はお花畑にしよう、山に本体を建て、人造湖を見下ろそう、なんて考えています。ご同業はいかがでしょうか?

 設計の始まっている小住宅は坪単価では設計価値は言い表せないのですが、目標50万以内、ということで話は落ち着き、進んでいます。材料の選定など、気の抜けない状況です。
初めての地域なので、請負会社をネットで検索したり、設計の知人を伝って、優良工務店を紹介してもらったりしています。やはり、合い見積もりは欠かせません。

  2001年12月
  先日、対馬に行ってきました。九州の、朝鮮半島との間に有る対馬です。福岡経由の飛行機で連絡が良ければ3時間といったところ。もちろん仕事の打ち合わせです。
 今までで最も遠い現場は熊本でしたが、多少更新しそうです。大きな島ですから、少し車で走ると、島というよりは本州のどこにでもありそうな山間の村、という感じ。しかしあと少し走ると切り立った海岸。 大陸との交易の面影の残る普通の日本の一部。
 福岡の夜は結構盛り上がりました。

 アレッ!弊社としては不思議なこと。また木造住宅の改修工事を依頼されました。
今度の目的は、遮音・防音。SOHOでいままで単なる寝室であった部屋を仕事部屋に変更する。しかし、仕事の性格からしてかなり静かな部屋が必要、というご要望。
 木造住宅の遮音・防音ほど難しいもの無い。
事前・事後の騒音測定も提案しましたが、お金がかかる。感覚たよりですがともかくできる限りのことをやりましょう、ということで契約。

 部屋は重たくなります。骨組みも調べ補強します。補強後、床・壁・天井の下張りとして9mmベニヤ、その上から1mm鉛をすきまをすべて重ねて重ねて貼り巡らさせる。その上壁はPB12mm2枚張りの上クロス貼り、天井PB12mm1枚張りの上岩綿吸音板仕上げ、床PB12mm捨て張り+合板12mmの上カーペット貼り込み。窓ペアガラスサッシを独立して2セット取り付け、出入り口ドア戸当たり大型化の上、ドアに鉛1mm貼り込み。ザッとこの様な仕様です。もちろん監理は厳密に、ほとんど付きっきりになりました。

  2002年1月
 相も変らぬHPで申し訳ありませんが、この短信だけは読んでいただいているファン?がいらっしゃいますので、続けたいと思っております。よろしくお願いいたします。

 詩を読んでいます。
 めずらしいこと? わずかの言葉で気持ち・こころを伝える。すばらしいこと。
難しいものではなく、韻だのの専門的なことは抜き。作者の気持ちが手に取るように伝わってきます。
 やさしい気持ちになれます。
 普段、あくせくし過ぎているのですね。

  2002年2月
 Y建設ドキュメントにY診療所+Y邸の写真をUPしました。長い間写真撮影が出来ない状況でした。ご覧になってください。
   ハウスメーカーで契約を決めようとなさっている方からの相談を受けています。
設計も工事もメーカーでさせるわけです。2社にまで施主が絞りました。どちらにするかの品質のチェック・アドバイスから始め、契約に当たってのアドバイス・立会い、メーカーの作る監理を行う為に必要な図面の要求、そして現場での品質管理が私の仕事となりそうです。
 メーカーに100%任せておいたのでは、やはりズサン工事が心配。施主は契約の条件に第三者監理を行うこと、その監理を受け入れることを契約に盛り込もうとしています。

 メーカー側も少し前なら、拒否したかもしれませんが、いまは良い建物を、クレームな無い建物を、という点で一致するものがありますので、受け入れる方向です。
 あくまで設計・施工の品質責任はメーカーにあることには変わりはありませんが、うっかりミスや、つい「こんなものだろう」で終わっていたところが、監理者によってやり終わることが指示されるわけです。
 施主に代わって、現場を第三者がチェックして行く、これからの一つの選択肢でしょう。

  2002年3月
 ソルトレイクシティの冬季オリンピック。いかがでした?
長野で行われたのがつい最近のようです。長野の施設群、今は地元の小学生などがときどき使うことはあっても、閑散としているようです。なにかにつけ、箱つくりの好きな土建国家・日本のようです。
外国でも当然必要なものは造ります。しかし、既存を改装することがほとんどで、新築するにしても、その後の転用を始めから織り込んだり、本建築とせずに仮設とするなど、維持費がかからないような配慮をするのが当然のようです。

 全国にサッカースタジアムが造られています。中には誘致見込みで造って、結局1試合も行えないスタジアムをあるようです。
 また、いずれの施設も交通の便はかなり悪いようで、W杯期間はどうやっても行くのでしょうが、終了後の通常使用の時に、わざわざ出かけることをするのでしょうか?地方自治体としては「運動公園」として整備していく、などと言っているようですが、さらに税金をつぎ込むということですネ??

  2002年4月
スキーに行ってきました。暖かです。雪は申し訳程度。ロープーウェーで上がる上部は十分なのですが雪崩の危険とかで閉鎖。デモ、結構楽しめました。

 10月、11月にふれました小住宅は設計終了です。目標50万円以下、でした。が、
風呂は同サイズで最も高価なもの、キッチンは奥様のお考えでこれまたかなりいいもの、断熱は弊社仕様の全壁面・天井面発泡ウレタン吹き付け、照明器具はすべて設計内、外構工事もカーポート、塀もすべて入って、建坪でならして坪51万円。 エイ!どうだ!
 これにて一件落着。

  2002年5月

 DS速報
 「全日東京都本部会館(仮称)」
  設計コンペ デザインシステム案・惜敗!!優秀賞にとどまる      発表5月23日
 一般の設計者に広く公募されておりました「全日」の東京都本部会館・新築工事の設計案にデザインシステムも応募しておりました。
 「全日」とは社団法人・全日本不動産協会のことで、これまで東京には全国本部のビルを自前で所有しておりましたが、大阪府本部などは自前のビルであるにもかかわらず、東京都本部は借りビルに入居しておりました。
 いよいよ新築という計画に際して、従来から大手設計事務所とのお付き合いはあったのですが、今回はその事務所も一公募事務所として参加。
 多数の事務所と争うことになりました。5月8日、5社にしぼられた各社に本部長を始めとする建設委員会によるヒアリングが行われました。

   5月の短信
 ゴールデンウィークの狭間に短信を書いています。
静かな事務所です。今月中旬から始まる大改装工事の嵐の前の静けさ?
 大改装はいわゆる民間賃貸マンションです。18戸なのですが、既に6戸は経年的に終わっていて、今回は12戸+エントランス全体。コンクリートを剥き出しにまで解体撤去し間取りからすっかり改装します。
 既に終わっている6戸とデザインシステムの係わりは通常の設計監理で、設計し、合い見積もりで工事会社を決め、監理するものでした。
 今回、施主が提案されたのは、元請となるいわゆるゼネコンを使わずに、通常はゼネコンの手配によりゼネコンをお客様としている各専門業者(木工事、内装工事、水道工事、電気工事、サッシ工事、…)とそれぞれ契約を交わし直接工事をさせる、というもの。
 いわゆる「直営」。

 設計事務所は設計監理に加えて建設工事アドバイザー・コンサルタント業務も行うことになります。
 すでに、各業者ごとの合い見積もりは終了し、契約を待つのみとなっています。
 この方式の施主のメリットはいわゆる諸経費部分がかなり抑えられることでしょう。
設計事務所は通常の業務報酬に加えてコンサルタント報酬も加算されますが、施主にしてみればおよそ1割以上のコストダウンにつながっているでしょう。
 受ける専門業者にしても見積もり合わせという競争で受注するわけで、けっして儲けのある受注ではないのですが、施主の顔が見えて信頼の元に仕事を任せてもらえるわけですからヤル気が出るというもの。

 設計事務所は建設業法による建設業ではありませんので、あくまでコンサルタントです。 しかし総括する現場監督はいませんので、監督さんの仕事もすることになるでしょう。

 この事例での研究・経験いかんですが、新築の場合もできることでしょう。
 おって、成果をご報告いたします。

  2002年6月
 全日会館のビルのコンペの結果は上記のとおり(5月速報)、デシタ。
本部長ヒアリングにおいてもかなり手応えはあったのですが・・・(負け惜しみ)

    5月短信で書いた、某マンションの大改装工事は解体がほぼ終了し、新間仕切りの墨出し、サッシの改造などが始まっています。思いのほか、躯体は良好。順調に進みそうです。

 4月短信で書いた、某ハウスメーカーで建設が行われている住宅工事の純粋な"監理"のみの業務も順調に進んでいます。監督が雑談として話してくれたことには「普段はこんなに丁寧に監督に来ることはないし、基礎コンクリートを打つときにスランプ試験や圧縮強度試験用のサンプルを採ったりしたことはない」と。
    それでも、指摘事項は小さなところですがやはり有り、修正を求めました。どんなにしっかりとしたマニュアルがあっても、現場で組み立てる以上、マニュアル通りにはいかないところもあるのは当然です。指摘しなければそのままになってしまうわけです。すぐに大事故にはなりませんが、やはり何かの時の為には修正しておくのは当たり前。

  2002年7月
 やはり触れずにはいられませんネ。
Jリーグにはあまり関心はないのですが、ここまで盛り上がるとは。
FIFAサッカーWorld Cup

   日韓共催で日本はbest16、韓国はbest4。

 予選リーグで一つでも勝てばメッケモノ。なんて正直なところ思っていました。
  しかし、予選リーグ首位で通過。決勝トーナメントに出場したのですから、涙もの。
本当に「夢をありがとう」デス(^○^)

 ここで、World Cupにちなんだ小噺(パクリです)
 W杯の日本戦を見に行く新幹線のなかでのこと。友人とお互いフェイスペィンティング をしているのを、隣の列に座った子供が興味深々でみながら、 いっしょにいたおばあちゃんらしき人に「あれは、何?」と質問しました。
 おばあちゃんは「あれはフーリガンっていうのよ」と教えていました。

 監理は必要!と今更書いてもしかたがないのですが、かなり研究熱心な工務店さんに工事をしていただいている木造2階建ての住宅ですが、また、放っておいたら「困るナー!」という部分です。
 ホールダウン金物と筋違い固定金物があたってしまうこと。金物の使い方は言われなくても勉強しておいてくださいネ。一部取り付け済みの物はすべてはずし、まだのものは当然ですが、新しい物を設置してもらいました。工事が進めば見えなくなってしまう。しかし、何かの時に結果は現れる。
 工務店さんというところは、木造ですと大工さんにかなりの部分を任せてしまう。その大工さんは慣れた工事の方法で進めてしまう。

  2002年8月
 今年は台風が多い年でしょうか。
東京で生活しておりますと九州・沖縄の本当に強烈なソノモノは知らずにいます。河川のそばや裏山をかかえていらっしゃる方は雨は避けたいでしょうし、小高い土地の風の通りの激しいところの方はカゼよりは雨の方が良い、とおっしゃることでしょう。
 風には耐えられるでけ強く造れば良いのですが、経済的にはほどほどに、となりますし、竜巻のような突風にまで耐えるにはコンクリートの塊のような造りにしなければなりません。飛来物には窓は極めて弱い。壁にしてもボードを張ったようなものは弱く,突き抜ける場合もあります。
 浸水に関しては1階は駐車場にか使わず、生活はすべて2階からにしておけばほとんどの浸水には無被害で、水が引くのを待つことになりましょうが、日常生活がすべて2階からとは考えものです。

経済というものがすべてにひっかりそうですが、いかがなものでしょう。

  2002年9月
 大企業によるウソ、虚偽の報告、デタラメ。 日本だけに限らず、アメリカでは「会計先進国」のはずなのにその会計の操作によって超大企業が倒産。 既得権益を守ろうとする政治家・官僚。 京都議定書を反故にしようとする超大国。 戦争を始めたくてしょうがない超大国。

 なにやら、先の読めない、不安定な世相です。
 政治家、評論家、その道の専門家のおっしゃることもてんでんばらばら。
 指針が欲しい。
 といって、暴走・独裁者はいらない。

 少しさわやかなのは、水泳日本・復活か!!
パンパシ・水泳においてかなりの数のメダル・メダル。
メダルを獲った選手はまだ若いし、その下の正選手の代役の選手までメダル!!
層が厚くなっているのでしょうネ。(◎⌒∇⌒◎)

 建築の話は特に無し。
マンションの大改装は順調。ローコスト住宅は今月中に引渡し。

  2002年10月
 マンションの大規模改修は契約分は終了しました。
設計監理が弊社DSで、施工は分離発注により各専門業者と施主が直接契約を結びました。ゼネコンのよるコントロールの無い大掛かりな工事を専門業者それぞれの自主性に期待しつつ進行させました。
 いつどの業種が工事に入るか普通ですとゼネコンの監督がこまめに手配し、墨出しと言う壁の位置をどこにするかなどの寸法決めも行うのですが、今回は監督はいません。その時その時の中心となる業者が関連業種に連絡をし、墨出しも設計者立会いのもと行いました。
 うまくいきました (^○^)
各業者さんは普段はゼネコンの監督の指示通りに自分の範囲だけの仕事をするのですが、やればできるのです。

 監理者として困ったことは、どの業者さんの工事からも契約外となるチョットしたことがけっこう出てくるのです。誰かがやらなければ工事は止まってしまいます。
 新たな業者を手配し、施主にも了解を取り付け追加工事金をいただけることになりホッとしました。 これが、通常はゼネコンが抜け目無く手配し、場合によっては「諸経費」の中から支出することになるのでしょう。今回「諸経費」はありませんでした。

 結果、いつぞやも書きましたが施主としては総工事金額はゼネコン一括発注に比べて約1割低減されたと思われます。
 この手法は施主のメリットですが、各業種は自分で労災保険を掛けたり、何事も有りませんでしたが火災保険は今回は掛けませんでしたので、施主にはリスクがあります。
 まだまだ研究しなければ大規模工事では使えそうにありません。

近じか、静かになったビルでエレベーターの改造工事が始まります。これで最終終了。

  2002年11月
 いつぞやの「住まい塾」の講演の合間に、受講していた方に言われました。
「曲面がお好きなんですね」

 好きといえば好きですが、何もそれを意識して行っているわけではありません。たまたま、あと一味加えよう、とか、敷地にどうにかなじませよう、とか考えているうちに結果としてなってしまった、という産物です、としか申し上げようがありませんでした。
 ひとつとして同じ曲面は無いし、同じ材質のものもない。
だだ、見ようによって、「同じ調子の曲面」に見えてしまうものらしい。

   ところが、やはりそう見えてしまったのか、「曲面を取り入れて、是非設計して欲しい」というご依頼が入りました。
 どうもありがとうございます。

これが私の特徴なのかな? (^○^)
そうかもしれませんが、ほかの面も是非見てください。
 この建物の完成は約1年後になるでしょう。チョット掲載してみます。ご意見をお聞かせ下さい。

 2002年12月
 最近、コンペ(設計競技・多数の設計者がより施主の好みに合う案を提出し、選ばれる)でひとつの仕事をいただいた。施主の建物の新築にあたっての総合的相談相手の選択方法であった。
「建築家を選ぶ」そのひとつの方法。

 病気になったとする。「医師を選ぶ」際に「私の健康を回復する最良の方法を提案した人に私を診ることをさせてあげます」というコンペ(医療提案競技)は聞いた事が無い。
 医術こそその技量にピンからキリの差があるのにもかかわらず。そして、誤診により命を取られたりするのに医師を選ぶ制度は無い。死んでも医療費は払わなければならない。
名医は確かに存在する。一方でヤブもいる。日本の制度では医療費に差は生じない。

   大きなトラブルに巻き込まれたとする。「弁護士を選ぶ」ことに選択の方法が無い。人づて、もしくは弁護士会に電話するなどしかない。ネットで検索しても医師の情報と変わらず「私は過去に何人殺しました」とは書いてない。米国ではトラブルのそばに弁護士多数で売り込みは激しいらしい。
 その人選が最良なのだろうか?。
裁判で負けても「しかたがないですね」と、勝っても負けても弁護士料は払わなければならない。もっとも負ければ成功報酬の部分はないが・・・。

 新築建築に際してはコンペがある。
過大な労力を投入し、勝てば仕事だが負ければ大きな赤字が残る。
 昔から、メモリアル建築に対して公開コンペは開催され、著名な建築家への登竜門であった。最近は小さな住宅に対してもコンペである。それを個人が運営できないので代行して手数料を得る新商売も登場している。

 小さな住宅についても建築家がかかわっていく「いい時代」になった、と言える。
しかし、その選択方法が問題だ。
しかし、対案を考えても・・無い・・。
なにかの方法を建築家の内輪だけでなく既に建てた施主もこれから建てようとしている方もいっしょになって考えていかなければ、施主にも建築家にもハッピーな時代はこない。

 新しく私の施主になられた方がおっしゃった
「一般素人にとって建築家を知る方法が無い。断った方々には申し訳無いことをした」

   2003年1月
 3回目ですネ。(*^o^*)ノ あけましておめでとうございます
  みなさまにも新しい希望と計画を持たれていることと存じます。
ご期待に添えるよう努力してまいりたいと存じます。

 大規模ビルは扱っておりませんが(依頼が無い!)小さなビル、住宅にもどんどんと新しい技術が入ってきます。
 ビル内LANは当たり前になり、住宅内LANも普及期にきています。インフラと言えばそうですが、どこまで本当に必要なのだろうか?とやや疑問でもあります。インターネットを建物のどこにいても利用できる、別に文句はありません。携帯電話で写真が送れる、医療現場では非常に便利です。友達同士顔を送り合っても何になるのでしょう?やたらとメールをやりとりして何になる?
 地上波デジタル放送が大都市を中心に始まります。これも言い分はいろいろとあるでしょうが、現在の電波で特に不自由はしていません。BSもCSもいろいろあっていいのですが、すべてを必要とはしていません。

 こうして不特定多数の方に一方的に”短信”なるものを流してはおりますが、3~4年前には考えられませんでした。 いつのまにか、自然に、便利?だから人々の間に入ってくる!
 そんなイメージでしょうか (^.^)

新しい年。しっかり生きていこうとおもいます。

   2003年2月
 世の中、少し(?)かなり(?)困ったものですネ
 高度成長やバブル期のようなイケイケドンドンの経済状況はあり得ないこととして、しかし、通常の経済活動はしなければ、ますますしぼんでしまう!!!

経済循環の血液はお金なのですが流しているのは銀行のハズ。
日銀はどんどん川下の銀行に金を流しているわけですが、当の銀行は自己資本比率の分母となる貸出しをともかく絞り比率を少しでも大きく見せようとしています。

 不良債権をここでまた増やさないことは重要でしょうが、優良な債権となるであろう貸し出しまで渋っているわけです。
国債をどんどん買い込んでも、日銀→銀行→国に金が動いているのみで市中には廻ってこない。

 中小企業でもしっかりとした業績を残しているところもあるのです。
そこがささやかな活動拠点を新築しようと計画し、ここぐらいの予算がかかりますから7割方の新規融資をしてくれませんか、と相談に行った。

今、何かに不自由しているのですか?
これから10年確実に今の業績を保つかもしくは伸びるかするのですか?
なぜそんなリスクを、今、かかえるのですか?

そんなやりとりの後に出た回答は5割。
要するにいまだに企業の評価は担保であり、上物は半分、であるということ。

 企業価値の審査の方法は見い出せず、旧態依然とした貸出ししかできない銀行。
リスクを取りなさい。もっと収益を上げなさい。貸出さなければ収益は上げられませんヨ!!
 何千億円にのぼる債権放棄が今日もまた行われ、一方で健全な庶民のささやかな夢と、それがもたらすささやかな経済効果の芽が摘まれ、不景気スパイラルは深く落ち込んでいく。

   2003年3月
「グループホーム」をご存知ですか。老人福祉施設には該当しないのですが,一種の福祉施設です。寝たきりではない,自分のことはじぶんでできる老人達が集まって居住する。そんな建物。共同住宅と言えなくもないのです。しかし,やはり福祉的観点は必要で,ご老人達が安心して暮らせるよう,サポートする体制を作り,建物としても設備は「普通」ではなく,といって老人ホームではなく,バリアフリーは当然として全般的にやさしい施設,「施設」と言うと抵抗があるやもしれません。集まって・相互に協力し合い,生活していただくそんな「まんしょん」でしょうか。
 診療所も併設されます。

 医療福祉施設は弊社の中心的業務ですから,以前から勉強はしていましたが,いざやるとなると許認可やらやはり大変で,・・・。
事務的手続きはその道の専門家と協力関係ができました。場所は下町。区役所へヒヤリングに行きました。福祉課。
 「この地域は老人が多い割にこうした施設はまったくありません。早くやってください(^○^)。」

といっても,都なりの年間のスケジュールは決まっているのでそれに合わせて進むことになります。

   2003年4月
 戦争が好きな人はいないと思います。でも,もしかすると,その筋のご商売の方は,使ってもらわないことにははっきりとした性能がわかりませんし,さらなる最新兵器の開発のためにはいつまでも古いものを大切に持っていてもらっても売上になりませんから,やはり使ってもらいたいと・・・。
 建築も大地震がこないと進歩しない( これ現実(-_-;) )
 確かに,独裁者が大量破壊兵器を持っている,と思えば気持ちの悪いこと極まりない。しかし,有るかもしれない,無いかもしれない?
 私達一般庶民はマスコミを通じてしか物を知ることができない。報道は本当に自由に包み隠さずされているのでしょうか? 既にどこかで検閲とは言わないまでも何か操作は行われているのでしょうネ。

   2003年5月
 戦争の一応の終結。まずは早く終わってよかった。
しかし,その傷跡はというと,やはり悲劇が数多く,戦争行為にかんする報道は”そう伝えよう”としているからでもあろうが,何の罪も無い命が多数奪われている,と繰り返し流している。子供を一度に3人無くした父親の姿が何回も映し出されていたが,「何をどうしたらいいのか,教えて欲しい」。

     北の隣人は核を持っていると言う。なぜ,持ちたいのか。国民の大多数は飢えているというのに,核開発に膨大なお金を使っている。
 たしかに,核を持っていれば簡単にはアメリカに攻め込まれない。それはそうだろう。イラクはろくな武器を持っていなかったので,簡単に負けた,と言う。
 核を持っていてもそのメンテナンスにも膨大な費用がかかる。分解解体するよりも使ってしまった方が簡単だ。米軍の歩兵1人の装備は400万円だそうだ。戦争とはなんという金食い虫なのだ。

 それに比べ,不景気だから言葉に出してもしかたのないことだけれども,建築の歴史に,昭和末期から平成初年にかけての金ピカ建物の時期からその後の平成不況時期のローコスト一点張りで一時期とギャップの大きな安普請建物が,明暗として残るのだろうな,と思うのは一人だけではあるまい。

 

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