ゼミレポート
武力による平和と話し合いによる平和の
いずれを選ぶか

 川辺一郎、前田哲男、岡本三夫の各先生方の講義およびグループプロジェクトを通じて、「日本の安全保障」について学んだ。ここでは仮想的ケースとして、日本がならず者国家 (rogue country)の侵害を受けた場合に対する安全保障という一つの切り口から、表題のテーマについて考えることにする。

 安全保障にあたっては、「最悪の事態を想定して、最大の対応をする」は当然である。
突然に原発の例を持ち出して申し訳ないが、原発事故のケースでは、「最悪の事故を想定して、最大の予防措置をとる」ことに誰も異論はないであろう。
ところが軍事的脅威に対する安全保障になると、「軍隊があるから戦争がおこる」とか「未来の希望を先取りして、軍縮を図る」と言った議論がまかり通るのは何故であろうか。
日本人は、原発事故の恐ろしさを身に感じているのに対し、紛争の可能性、侵害の恐ろしさを身に感じていないため(平和ボケ)、脅威の認識の違いが原発事故と軍事的脅威とでは違った感覚で受け止めているのではなかろうか。

 軍事的脅威に対する対応に3つの型の安全保障があることを知った。次の順番で将来指向的であり、同時にこの順番で努力と時間がかかる。

T.対立と威嚇
  現在の政府施策、日米安保の基盤である。
  新ガイドラインではアジア太平洋に対する脅威にも対応することになる
U.共通の安全保障(戦う世界)
  国連憲章の基盤であり、日本は国連中心主義を標榜している
  地域集団的安全保障がヨーロッパでは進んでいるが、東アジアでは遅れている
V.話し合いで解決(戦わない世界)
  国連および世界が将来向かおうとする方向であり、人間的安全保障を含む
  しかし、なかなか一気には進まない

 「対立と威嚇」の段階では、脅威の認識度合いにより個別安全保障に必要な軍備に差が出る。最悪の事態を想定するにしても、日本の官僚体質では自己組織を守ろうとして新しい脅威を無理に創ろうとするから警戒が必要である。さらに紛争の発生、無用の軍拡競争を抑えるためにも、国防関係情報の公開が強調されている。日本はアジアの他の諸国に比べると、防衛関係の情報公開が進んでいるそうであるが、最近中国との関係が進展し、あとは北朝鮮をどう見るかにより、対応が大きく違ってくる。
 「共通の安全保障」では、小回りを利かすには、東アジアの地域集団的安全保障が提言されている。しかし、日本の安全保障という観点で、中国―日本の共同軍などは誰の頭にもないであろう。米軍を期待しているのなら、2国間安保と一緒ではないか。宿敵同士だったフランスとドイツが共同軍を組織できるまでには、地道な信頼醸成措置があったことを銘記すべきである。
 「話し合いで解決」が究極の目標であることは、論を待たない。これには対話がキーワードである。北欧の斡旋に期待するばかりでなく、日本もコーディネーターの真似事ぐらいしてほしい。北朝鮮との対話が再開したとか、小渕首相が人間の安全保障を日本外交の基軸にすると演説したとかのニュースを船内の新聞で読んだ。わずかでも兆しが見えれば幸いである。

 ガザ地区を訪れて、暫定和平合意によりそれなりの安定状態を実現しているのに驚いた。地道な話し合いで戦いを避けえることを知った。しかしこの解決には時間がかかる。NATO軍の空襲時だけ安心して眠れたと言った現地の証言が印象的であった。「話し合いで解決」が目標だとしても、集団的安全保障による「懲らしめて解決」する道も残しておかなければならないのかもしれない。日本の場合は、この段階にも程遠く、日米安保による個別自衛に頼らざるを得ないのが現状であろう。

 こうしてみると、T.対立と威嚇、U.共通の安全保障(戦う世界)、V.話し合いで解決(戦わない世界)は三者択一ではなく、T→U→Vを目指して三者を平行に進め、軸足をT.対立と威嚇から、U.共通の安全保障(戦う世界)へ、さらにはV.話し合いで解決(戦わない世界)に移す努力をすべきである。そのときのキーワードは、T.は情報公開、U.は信頼醸成、V.は対話と言えよう。
共通の安全保障、話し合いで解決に向けて軸足を移す計画のマイルストーンと中期、長期日程を目に見える形で示すべきである。
以上


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