「コイン、ミーハー半生を語る」

〜DNAにミーハーが組み込まれてるんです、私〜

 

 

 

 

 

歌謡曲好きの両親のもとに産まれたため、小さい時からベストテンや夜のヒットスタジオを

見て育つ。典型的な夜型幼児。ちなみに当時母は布施明の大ファンで、「シクラメンのかほり」

が常にBGMで流れていた。(この前掃除をしていたらベスト盤←もちろんLPが出てきた。

やるなぁ、母)

そんな私の初恋はもちろんブラウン管の中。彼の名はジュリー(沢田研二)

当時の彼は「TOKIO」の少し前で「love〜抱きしめたい」をトレンチコートの襟立て

ちゃったりして唄っており、そんな渋い彼に私のハートはノックアウト。眠い目をこすりつつ、

ベストテンを楽しみに待っていた木曜日の夜。

ある日思い切って母に「私、ジュリーと結婚がしたいの」と打ち明けるが、「あの人結婚してる

し、子供もいるわよ」という非常に現実的な回答をもらい、初恋終了(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

ピンクレディーを唄い踊りまくる小学校低学年期、たのきんトリオ・松田聖子の話題で

持ちきりだった中学年期を経て、シブがき隊にハマる。(正直たのきんには好みのタイプが

いなかった)。初めてレコードを買う。ヤッくんのちょっと不良っぽいカンジに心ときめかす

日々。まさか現在主婦のアイドルになるとは予想もしなかった・・・

そんな私は「キャンディ・キャンディ」なら断然テリー派。

この頃はアイドルが全盛で妹は中森明菜の大ファンだったし、私はさらにジャニーズ少年

(当時の名前)もかっこいいなぁと思ってた。恐るべし、女子の好みを確実に突いてくる

ジャニーズの戦略(笑)。

「明星」や「平凡」等の芸能誌を友達と交代で購入して回し読む毎日。ちょっとおませな

友達が買ってた「セブンティーン」も毎週(当時は週刊だった)読んでたなぁ。

「レッツゴーヤング」や「ヤンヤン歌うスタジオ」「レッツゴーアイドル」等のいわゆるアイ

ドル番組のチェックもかかせませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして中学入学を控えた頃、まさに彗星のように現れたチェッカーズ。そりゃー、人気

ありまくりでした。彼らの話題でお弁当タイム(横浜市は中学からお弁当になります)や掃除

タイムは終了。夜は夜でベストテン番組や誕生日に買ってもらったラジカセで「三宅裕司の

ヤングパラダイス」内のコーナーをチェックし、合間に思い出したようにとってつけたように

勉強をする有様(笑)。

私は最初尚之(藤井)派、後に裕二(大土井)派へ。が、ギターとベースの区別もつかない

ショボイ中学生でした。(今でも時々怪しい時があるんですが)

初めて自分の意志でコンサートに行ったのもこの頃。もちろんチェッカーズ。

会場は横浜市文化体育館でした。

吉川晃司CCBなんかも人気あったなぁ。女性アイドルだとおニャンコクラブ全盛(今の

モーニング娘のようだった)。私は菊地桃子(彼女は「モモコクラブ」出身)が好きで、よく

友達と物真似したりしてました。妹は工藤静香・中山美穂のファンで、我が妹ながらホント

ヤンキー系が好きだよなぁと思ってました。

ちょっと男子バレーなんぞにもうつつを抜かし、その流れで徳永英明(富士フィルムバレー部

が出演してたCMソングが「輝きながら」だった)を聴いたりもして高校へ。

 

 

 

 

 

 

 

この頃空前の「バンドブーム」というのがやってきて、バービーボーイズユニコーン

米米クラブ等を聴きまくる日々。今思えばソニーの人たちばかりね・・・

 ジャニ系だと光ゲンジが大人気。私はあんまり彼らには興味がなくて、むしろバックの

スケートボーイズに注目してたなぁ。(一部の子は後にSMAPになるのだ。)

自分も何かやりたくて「Hot Wave Festival」(高校生の高校生による高校生のための音楽祭。

出演バンドもスタッフも全部高校生というのがウリでした。毎年8月に横浜スタジアムで

やってました。今も若干形&名称を変えて残ってるみたい)のスタッフもやりました。

色んな学校の子と友達になれて楽しかった。

コンサートもぽつぽつ行ってました。授業サボって、慶応であった米米の学園祭ライブに

行ったりもしました。(ちゃんと制服もトイレで着替えた)ユニコーンはFCにも入っており、

就職したある日「解散します」の手紙が送られてきて哀しかったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダラダラ高校生活に別れをつげてなんとか短大へ。一応短大生っぽく(?)サークル活動や

バイトがメインの日々。この頃は引き続きユニコーンやKANB’z等を聴いてました。

カラオケもよく行ったなぁ。

そして就職。社会人ってキビシイのね、と思いつつも就業後にはちゃんと合コンなんかも

やって(なんと知り合いのつてで某男子バレー部の人ともしました。そりゃー感動したっす。

「いや〜ん、TVで観てた人が目の前に〜〜!!」ってカンジで。デカかった。そして

めちゃめちゃ酒に強かった…)、いわゆるフツーのOLが板についてきて、そろそろミーハー

魂も燃え尽きるかと思いきや、福山雅治を知ってしまう。

そもそもは妹が「かっこいい人が今井美樹のドラマに出てるよ(「明日があるから」のこと)」

と言っていたので、興味を持ったのがはじまり。私がハマったのは「愛はどうだ」。

福山は緒形拳の勤めるおもちゃ会社の部下で、家に連れてきたところ娘役のつみきみほと出会

い、恋に落ちるという設定で、あまりのかっこよさに「うちにもあんなイイ男連れてきて〜、

おとーさーん」と思ったものでした。(←ムリムリ)

その後、彼は「ひとつ屋根の下」のちぃ兄ちゃんで一気にブレイク。その頃私もFCに入る。

というわけで、彼のライブはたいてい妹と行きます。

山崎まさよしを知るのはもう少し後。有線で「One more time,one more chane」を聴き、

歌詞に桜木町という地名が入っていてとっても親近感。その直後に出たアルバム「HOME」

ですっかりハマったもののそういう人はとても多かったらしく、ライブのチケットが全然取れ

なくてイライラ。

FCに入会したのでした。

 さらにマツモトキヨシのCMで及川光博の絵に描いたような王子様っぷりにやられ、その後

ドラマ「with love」ですっかりファンに。

 そして山崎つながりでスガシカオCOILとまんまとオーガスタの戦略にはまり()

現在に至る。

 てなわけで、私のミーハー魂は尽きることがなく、それどころかますますメラメラと燃え

上がる一方なわけで、でもまぁこんな人生もありかなと思っているのです。