世界制覇をキミに ( the world conquest to you )



by 佐藤クラリス (宮崎駿ネットワーカーファンクラブ)



 このページは、「宮崎駿ネットワーカーファンクラブ」の佐藤クラリスの作品「世界制覇をキミに」全文を掲載しています。なお、無断転載等は厳禁です。



作品の紹介

 世界を斬る! 渾沌の現代世界、欲望の海に漂流する億万の民を救うべく、彼らは起った。百万の大軍、百兆の軍事費はおろか、超大国の指導者すら操り、世界制覇の理想を実現する戦略家たち。「人を救えずして、何が世界制覇か」。頭脳と勇気の限りを尽くし、未来を築く彼らの活躍を見よ!


履歴

 2007年04月17日 初出
 2007年06月07日 完
 2007年06月15日 更新(字句や句読点の整理など。詳細はソースをご覧下さい)
 2007年06月19日 解説と名言集 追加
 2007年07月01日 作品紹介 改訂
 2007年07月28日 作品紹介 改訂
 2009年02月15日 F−22編隊画像 追加
 2009年02月21日 バレッタ専用機の発進画像 追加
 2009年03月05日 ハンバーガー画像 追加
 2009年09月23日 表紙画像 変更


第一話:2007.04.17 〜 最終話:2007.06.07

世界制覇をキミに

 この作品はフィクションであり、登場する人物、地名、制度、年号などは全て事実と違っているので、悪しからず。(^_^)

 参考文献:司馬遷 史記(平凡社)
        吉川英治文庫 三国志(講談社)
        司馬遼太郎 坂の上の雲(文春文庫)


目次

第 1話 「就職活動」
第 2話 「アイギス連邦」
第 3話 「インドラ帝国」
第 4話 「チョンファーレン帝国」
第 5話 「ペートル共和国」
第 6話 「ヤマタイ自治共和国」
第 7話 「チョンファーレン帝国の憂鬱」
第 8話 「チョンファーレン帝国の希望」
第 9話 「チョンファーレン帝国の反撃」
第10話 「ヤマタイ自治共和国の迷走」
第11話 「激突!ペートル共和国」
第12話 「バレッタの失脚」
第13話 「ヤマタイ自治共和国の離反」
第14話 「バレッタの復活」
第15話 「東アジア連合の成立」
第16話 「東アジア連合の戦略」
第17話 「バレッタ暗殺計画」
第18話 「バレッタに死を!」
第19話 「バレッタの失踪」
第20話 「チョンファーレン帝国の暗雲」
第21話 「動乱」
第22話 「動乱2」
第23話 「首都へ」
第24話 「アイギス連邦の失敗」
第25話 「チョンファーレン帝国の栄光」
第26話 「世界制覇をキミに」

おまけ: 解説と名言集



第1話 「就職活動」

究極まで研ぎ澄まされた計画は、偶然の顔をしている。


その日、アイギス連邦国家安全保障会議議長ポルクスはいつもの道を急いでいた。最高裁判所の前を通り過ぎ、その生け垣の色を確かめ、歩道間際までせり出している保安局のレンガ造りの角を曲がれば、目的の「安全保障会議ビル」は目の前である。ところが、角を曲がった途端に視界に飛び込んできたのはビルではなく、一人の女性だった。

「きゃあ〜!」

二人ともかなりのスピードだったので、避けることも出来ずにまともに激突してしまった。ポルクスは歩道に腰をつき、女性の方は体重が小さいため、吹っ飛んで歩道に倒れた。彼女の持っていたファイルが飛び散った。

「いたたた…」

「女性の味方」を自認するポルクスは、自分の痛みを忘れて、女性の救護に向かった。彼は騎士(ナイト)のつもりだった。

「大丈夫ですか?」

この場合、若い女性だったら「大丈夫ですか、お嬢さん」と云うべきだろうし、失礼な云い方だが、若くない女性だったら「大丈夫ですか」で終わらせるべきだろう。ポルクスは女性を瞬時に値踏みして、ためらうことなく云った。

「お嬢さん」

「ええ、大丈夫です」

顔をしかめて起きあがった女性のスタイルと仕草は、ポルクスの願いの通りだった。もし、この世にポルクスの好みを知り尽くした神様が居るとしたら、その神様が天から下した天使と云うべきだろう。

その女性は、色白のやや丸みを帯びた細面で、大きく開いた切れ長の眼をした東洋人だった。髪は緑色を含んだサラサラの黒髪で、ボブカットである。服は濃い紺色のブレザー+スカートであり、これは国家安全保障会議事務局女性職員の制服である。やや短めのスカートから出ている脚はほっそりとしている。靴は機能性から黒のローヒールだがやや高めに設定されているのは議長の趣味である。ポルクスの視線は彼女の眼に釘付けとなった。立ち上がりながら、手で髪を上げ、キッと睨み付けた眼は、ポルクスにトドメの一撃を加えた。彼は彼女の虜になっちまった。

「お怪我はありませんか?…おお、膝をすりむいているじゃないですか」

「大した事はありません。…それより、貴方は議長ではありませんか。大変失礼しました」

「そうか。キミはウチの職員だな。いやいや、議長とか職員とか関係ないよ。ええと、キミは何と云う名前だ」

「バレッタ・超(チャオ)と申します。事務見習いで入ったばかりなので、大変失礼しました」

「そうか、そうか。バレッタ君か」

「議長、申し訳ありませんが、ファイルが散らばっているので、そちらを片付けて宜しいでしょうか」

「ああ…。そうだ、わたしも手伝おう」

「とんでもありません。議長には議長しか出来ないお仕事があります。この様な仕事をやるべきではありません」

おやっとポルクスは思った。只の事務職員とは思えない、重い発言。好みの美人だと云う以前に、どうもただ者ではないと云う動物的カンが疼いた。

「…なるほど。バレッタ君、先ほどの失礼も謝罪したいし、キミとちょっと話をしたい事もあるので、手が空いたら議長室まで来てくれないか?」

「謝罪なんて、とんでもありません」

「いや、キミはちょっと面白そうだ。ああ、云っておくが、セクハラの件じゃないからね。最近、法令遵守とか、企業統治とか、危機管理とかうるさいんだよ。いや、うるさくなくとも、そんなことはしないから…」

何か支離滅裂と云う感じだが、ポルクスの「誠意」が通じたのか、

「判りました。では、1時間後に議長室に伺います」

「よろしく頼む」

ポルクスはその場を離れ、バレッタの云う「彼しかできない仕事」へ復帰した。つまり、国家安全保障会議議長室の椅子の人となった。早速、電話をかけた。

「エラト、ちょっと来てくれ」

呼ばれた保安課長エラトから、ポルクスはバレッタの情報を聞いた。

「はい。3日前に事務見習いとして採用しています。出身や履歴は不明ですが、保証人は我が国の信頼の置ける人物です。採用ルール上、全く問題有りません」

「彼女の採用に問題が無いのは判った。ところでキミの評価を聞きたいのだが、彼女の我が国に対する忠誠心、及び、特筆すべき能力はどうかね」

「議長が懸念されるのは東洋系の名前ですか? それに関しては十分にチェックしました。忠誠心は全く問題有りません。また能力は『大きく打てば大きく鳴り、小さく打てば小さく鳴る』と云った所でしょう。わたしの判断できるレベルではありません」

「なるほど。底知れない謎の美女と云うワケだな…。エラト、有り難う」

保安課長が去ってから程なく、バレッタが出頭した。
すらりとした体型。黒っぽい制服と黒髪の間にひときわ目立つ色白の顔。まるで玉(ぎょく)の様なその顔の中に、黒い宝石の如くに輝く大きな眼。ブラックホールのように、観る人の心まで吸い込んでしまいそうだ。ポルクスはその眼に吸い込まれる事に心地よい感触を憶えるのだった。

「バレッタ君、掛けたまえ。膝は大丈夫か?」

「問題ありません」

「キミの事をちょっと調べさせてもらったよ。…あ、いやいや。キミの過去がどうのこうのと云う話じゃないんだ。それについては全く問題ない。何しろ、我が国はその人物の過去に興味はないんだ。知りたいのは、その人物が我が国にどう貢献してくれるか、それだけだ。さて、キミの評価は高い。キミはこのアイギス連邦に何をもたらしてくれるのか。それを聞かせてくれないか?」

バレッタは一旦伏せた視線をスッと上げ、ポルクスの眼に射込んだ。

「それは…アイギス連邦による世界制覇です」





第2話 「アイギス連邦」

 世界制覇は「酸っぱいブドウ」ではない。


 世界制覇。それは「力こそ全て」と云う人々にとっての最終ゴールである。全世界を思うがママに動かす。全世界に号令する。その美しい響きは、人類が文明を生み出してからの数万年間、常に歴史を支配してきた。
 人間の眼は全世界を一望する事が出来ない程に狭い。その手は全世界の土を一度に掴み取ることが出来ない程に小さい。その脚は全世界を一度に踏破する事が出来ない程に短い。しかし、人間は有限の体躯を以て無限の野望を志す存在である。
 自分を脅かす者の居ない世界。自分に逆らう者の居ない世界。軽く目配せするだけで全ては意のままに行われる。それは心に平安と満足をもたらす至福の世界であろう。至福の空間を広げるために人間は努力してきた。自分の部屋の広さから始まり、家、村、町、国、そして一望出来ない程に遠くにある外国にまで野望を広げたのだった。
 限りある野望など無い。自分に逆らう者は滅ぼし、自分と同じ物を求める者は倒し、奴隷や屍にした彼らを踏みつけて、上に一人立つ事がいわば人類の夢であった。人間の歴史の中で繰り広げられた無数の戦争の大半は野望の投影であり、その結果実際に億万の人間が死に、百倍する人間が王の野望の実現のためにかり出された。更に今もかり出されている。
 それほどのエネルギーの消費にも関わらず、世界制覇を成し遂げた人間は歴史上存在しない。始皇帝、チンギス・ハーンと云った有名を馳せた英雄も支配地域は限定されており、文字通りに全世界を支配したわけではない。
 さらに、科学文明の進歩で各国の国力は急激に向上しており、独立志向を強める彼らを軍事力で支配下に置くのは困難となっている。
 よって、世界制覇と云う言葉は、一つの夢ではあるが既に手の届かなくなった夢であると考えられている。あたかも膨張する宇宙の縁に輝く星の様なものだろう。少なくともアイギス連邦国家安全保障会議議長ポルクスは、その様に考えている。だから、彼がバレッタの言葉を聞いたときには、とまどいと失望が生まれた。「有能な人間だと思ったのだが、ただの誇大妄想狂かハッタリ屋だったのか…」と。

「世界制覇か…。確かに我が国は世界唯一の超大国である。しかし、我が国はそんな物までは必要とはしていないのだ」

答えたポルクスの声は、心なしか、沈んでいたのだ。

これに対して、バレッタは冷たい眼でにらみ返した。

「アイギスの国家指導者たる議長は眼が見えないのでしょうか? 世界唯一の超大国ですって? 既にアイギス連邦は危機の崖っぷちにあります。それに気が付かないのでしょうか? このままではアイギス連邦は早晩独立を失い、他国の支配する所となるでしょう」

彼女の言葉でポルクスの顔色が変わるのには3秒しか要しなかった。

それからの30分間、ポルクスの顔色は赤くなったり青くなったりと信号のようであった。最後は、上気しながらも安堵した表情になり、やっと落ち着いた。

「バレッタ君。キミはやはり私の見込んだ通りの人物だったようだ。キミの提案は極めて重大である。この件は大統領に報告しなければならない」

ポルクスはそう云うと、大統領との面会を早速に準備すべく椅子を蹴って廊下へと飛び出した。と思ったら急にドアから顔を出して、

「バレッタ君。キミはそれまでここで待っていてくれたまえ」

と言い残して足早に去って行った。で、ポルクスは秘書官も残して行った。

「秘書官のアレクトーです。バレッタさん、よろしく」

「こちらこそ。ところでお聞きしたいのですが、我が大統領はどのような方なんでしょうか。わたしはテレビでしか観た事が無いので」

「その質問はごもっともです。我が国の大統領ハデスは近年まれにみるエネルギッシュな大統領です。特に外交に関心が深く、昔から友好関係の深い国々を歴訪しております」

「なるほど。では友好関係の薄い国々には外務大臣が行かれているのでしょうか?」

「いえいえ。そのような国は我が国では重視しておりませんので、どなたも訪問しておりません」

「判りました」

 程なく、ポルクスから電話が掛かってきた。大統領の執務室まで来るようにとの連絡だった。
秘書官のアレクトーに導かれて、バレッタは大統領執務室に入った。

 重厚な木製のドアが開き、その先には更に重厚な家具と壁面が待ちかまえていた。どんな訪問者もその偉容に怖じ気づくであろうと云った雰囲気である。大統領の机は長さが3m程もある一枚板で作られており、その真ん中に収まっているのがハデス大統領であった。彼はバレッタを見ると立ち上がり、机の前のソファーに招いた。その側にはポルクスが立っていた。アレクトーは一礼してドアを閉め、立ち去った。

「お待ちしていました、バレッタさん。先ずはお掛け下さい」

「大統領閣下、恐縮です。バレッタ・チャオと申します。初めてお目にかかれた栄光に感謝致します」

「早速ですが、ポルクス議長から話がありました。バレッタさんの提案は極めて重要であると。取り敢えずお聞きしましょう」

 ハデスは身長2m近くの長身だが、その割には幅がある。顔や手も大きく堂々たる体格である。もじゃもじゃの灰色の髪に赤ら顔と云う、恐ろしげな雰囲気を晒している。
 さて、ハデスの云い方は丁重ではあったが、その表情にはちょっと影が差しており、明らかに気乗り薄であることが判る。側近のポルクス議長から話が有ったとき、最初は会おうとはしなかった。バレッタが東洋系の若い女だと云う事が理由である。若い女などに国際社会の機微が判るはずがないと云う考えであった。しかし、自らを英雄と自認している手前、器量の大きい行動をしようと考え直した結果、しぶしぶながらも会うことにしたのだ。

「大統領閣下、有り難うございます。その話をする前に、実は今朝、出勤途中で面白い光景を見ました」

「ほう、それはどんなものですか?」

ハデスは、この意外な切り口にちょっとびっくりした様だったが、冷静な口振りで答えた。

「3匹の野犬が一つのホットドッグを取り合いしているのです。その内の2匹は共に大きく強そうで、残りの1匹だけが小さな犬でした。大きな2匹は激しい戦いを繰り広げ、残りの1匹は怯えながら遠巻きに見ているだけでした。やがて大きな2匹は互いの牙で大きく傷つき、共にがむしゃらに追いながら走り去りました。その後にはホットドッグが残されていました。残りの1匹はそれを一人でせしめて食い尽くしたのです。どうでしょう、なかなか面白い光景だとは思いませんか?」

「ふむ、この話に出てくる犬が我が国を含む3つの国だと云うのですね」

 ハデスはにやりと、せせら笑いながら云った。「こんな初歩的な比喩など子供だましだ」と云わんばかりの鼻息である。その鼻息は当初の無関心ぶりを吹っ飛ばしたようだ。

「おお。流石は大統領閣下、お見事です。では例えばアイギス連邦は大きな一匹の犬として、残りの大きな犬と小さな犬はどうでしょう?」

「それは知れた事です。我が国の最大のライバルと目される、チョンファーレン帝国とペートル共和国がそれでしょう」

「アイギス連邦は人口3億人、常備軍150万人、GDPは世界第1位です。一方、大統領閣下がライバルと云われるチョンファーレン帝国は人口13億人、常備軍230万人、GDPは世界第6位。また、ペートル共和国は人口1億4千万人、常備軍100万人、GDPは世界第10位です。軍事力の大きさは経済力に比例します。兵隊の数だけでは国力を知る事は出来ません。チョンファーレン帝国もペートル共和国も恐るるに足りません。大統領閣下はなぜこの様な国々を恐れるのでしょう?」

バレッタは歌でも歌うように、すらすらと列強の国力を示す数字を並べた。ハデスは息を呑んだ。ポルクスは溜息をついた。ハデスはバレッタに反論した。

「その数字は、今現在の物だろう。20年先を考えたまえ。急激な成長を続けているチョンファーレン帝国は我々の背中にたどり着くだろう。そして、我々を抜こうとする。何しろ彼らは世界の覇権を狙っているのだから。それを防ぐ為に我々は彼らと争うことになるだろう。結果、漁夫の利を得るのはかつての超大国であり、いまだに大量破壊兵器を保持しているペートル共和国ではないか。バレッタ君はどうして彼らを軽く見ることが出来るのか」

「それは、チョンファーレン帝国を超える脅威が迫っているからです」

「何? チョンファーレン帝国を超える脅威だと? それはどこだ」

「エウロペ同盟こそ、アイギス連邦の最大の脅威です」

「ははは。何を寝ぼけた事を云っているんだ。あそこは我が国とは遙か昔から友好関係にあり、政治的経済的に不可分である。彼らは我々無しには生きて行けないんだ。しかも小さな国家群であり、つまりは烏合の衆。ちょっと脅しを掛ければすぐに分裂する様な連中だ」

「それではなぜ彼らは同盟を作ったのでしょうか?それはアイギス連邦に対抗するために他なりません。エウロペ同盟は約30カ国の国家同盟であり、共通の通貨を使用しています。人口4億6千万人、常備軍140万人、GDPはアイギス連邦を超えます。烏合の衆とおっしゃいますが主要5カ国だけで全GDPの75%を占め、アイギス連邦の足元に迫ります。しかも科学技術は世界の最高水準で、通常兵器及び大量破壊兵器の開発生産能力も高いのです。言うなれば我が国が二つ存在すると云っても過言ではありません。天に二つの太陽無しと云います。いずれ両国が争うのは時間の問題でしょう。昔からの友好関係と云いますが、利害が極まったとき条約すら1枚の紙切れになってしまうのが国家の関係です。何を以て大統領閣下はチョンファーレン帝国の方が脅威であるとおっしゃるのでしょうか?」

ハデスの赤ら顔が黒く変わった。

「うーむ」

ハデスはバレッタを睨み付けたがキリッとしたその顔に変化はなく、やがてハデスの方が視線を落とした。

「いや、良く判りました、バレッタさん。あなたの考えは正しいかも知れません。いや、正しいでしょう。では、お聞きしますが、我が国はどうすべきだとお考えか?」

「強力な国家は世界の覇権を求めてこそ、その力を維持し続けることが出来ます。覇権を求めない国家は慢心し、腐敗し、結局はその力を失うことになります。アイギス連邦は世界の覇権を求めなければなりません。では、世界の覇権を得るためにはどのような戦略を採るべきか。最大の脅威はエウロペ同盟です。しかし、エウロペ同盟と争っていては次の脅威であるチョンファーレン帝国に漁夫の利を得られてしまいます。ならば、チョンファーレン帝国は他の列強と戦わせるに限ります。彼らを戦わせることにより彼らの力を削ぎ、アイギス連邦が漁夫の利を得るのです」

「そ、そんな事が出来るのか? 可能ならば、これ以上の選択肢は有り得ないが」

「可能です。チョンファーレン帝国包囲同盟を作るのです。チョンファーレン帝国の躍進に脅威を感じる周辺諸国、つまり、東のヤマタイ自治共和国、北と西のペートル共和国、南のインドラ帝国。これらと我が国が軍事同盟を結び、各国が同時にチョンファーレン帝国に軍事的挑発を行い、経済活動に回るべき資本を軍事で消耗させるのです。その結果、東アジアの列強の国力は低下し、我が国の優位は保証されます。
 そこで、我が国は全力を以てエウロペ同盟に外交的恫喝を仕掛け、同盟の分断を行います。無駄な軍事力を使わないので我が国は資本を経済活動に使用でき、国力を一層高めることが出来るのです。自らの国を富ませながら、外交で他国を消耗自滅させる。この戦略が実施されるとき、我が国の繁栄は永劫の物となるでしょう」

「…すばらしい。実に素晴らしい。わたしはこれほど完全な大戦略を観た事も聞いたこともない」

ハデスは本心から感動しきっていた。英雄を自認する自分の政治が上手く行かないのに苛立っていた日々だったが、バレッタの計画を聞き、ついに自分の望む物が手に入るのだという実感に触れた。

「バレッタさん、よくぞこの計画を教えてくれた。わたしは砂漠でオアシスにたどり着いた人の気持ちが判った。ポルクス議長。よくぞバレッタさんを紹介してくれた。感謝する」

バレッタは、
「とんでもありません、大統領閣下。全てはこれからです」

ポルクス議長は、
「バレッタさんを推薦した甲斐があったと云うものです。何れにせよ、バレッタさんの云う通りこれからが勝負です」

「うむ、そうだな。バレッタさん、わたしはあなたにこの国の外交を任せたいと考えている。つまり外務大臣だ。良いだろうか?」

「大変な名誉ですが、そんな事が可能なのでしょうか?」

「勿論可能だ。わたしはこの国の最高責任者であり、この国の繁栄に役立つことであれば、それを行う義務がある。どうだ、ポルクス?」

「わたしもバレッタさんの処遇に賛成です」

「バレッタさんの提案するチョンファーレン帝国包囲同盟はバレッタさんの手で作るのが一番良いだろう。能力の高さは既に証明されているし適任と考える。そして成功すれば功績は全てバレッタさんのものとなる。どうだろう?」

「大統領閣下の命令とあれば、喜んで職務を全うします」





第3話 「インドラ帝国」

 虎の威を借りたキツネは獅子の牙を持っていた。


 アイギス連邦に於いて、政府幹部の人事異動が突然発表された。外務大臣に無名の外交官バレッタ・超(チャオ)を起用、同時に特命全権大使(相手国の元首に対して派遣される大使)としてインドラ帝国に派遣する計画が公表された。この異例の動きは各国の関心を呼んだ。

 バレッタは外務大臣に就任したものの、チョンファーレン帝国包囲同盟(暗号名は「C包囲同盟」、又は「包囲同盟」)結成に全力を尽くす為、事務の大半を副大臣に任せることにした。一方で、包囲同盟を推進するために情報組織員を中核とするプロジェクトを組織した。プロジェクトリーダーはバレッタであり、業務を報告すべき上司は大統領ただ一人であった。予算は議会に対しても非公開だが推定で100億ダラーを計上している。必要ならば大統領の承認の下、軍の使用も可能とした。
 危険を伴う外国での活動を保証するため、専用のシークレットサービス(VSS)を設置した。通称、「バレッタ親衛隊」と呼ばれた。職務内容は国内外に於けるバレッタ大臣の警護、既存の情報組織との連携による情報収集活動、バレッタの副官的職務、バレッタ専用スタイリスト業務にまで及んだ。結団式の際、隊長マールスはバレッタに誓った。

「あなたの安全は我々が名誉に賭けて保証します。我々は例え壁になってでもあなたを守ります」

その言葉はいずれ現実となるだろう。
 バレッタが出発するまでの間、外務省はインドラ帝国と大使派遣受け入れの交渉を行っていた。インドラ帝国は特使派遣の真意が読めない為、大使が無名の外交官であることを理由に難色を示した。しかし、最後は親善訪問であると云う事で何とか呑ませた。

 いよいよバレッタはインドラ帝国に入った。皇帝カルルは宮殿にバレッタを招き、新任の挨拶を受けた。

「初めてお目に掛かります。アイギス連邦外務大臣バレッタ・超(チャオ)と申します。以後、よろしくお願い致します」

「おお。これはご丁寧な挨拶。こちらこそよろしくお願い申し上げる。わたしはインドラ帝国皇帝カルルです。長旅でお疲れでしょう。今日は歓迎の宴を催しますので、そこでおくつろぎ下さい」

 インドラ帝国皇帝カルルは60歳ほどの男性で、頭にターバンを巻き、妙に日焼けした顔をしている。
帝国を先代から引き継いで20年経つが、堅実な政策で定評があり、外交に関してはチョンファーレン帝国との国境争い以外は難の無い政策である。人をよく用いることが出来ると云われている。

「恐縮です。ところで早速ながら、わたしが貴国に参りました理由をご説明いたしたいと存じます」

「重要な事でしょうな」

「勿論です。端的に申し上げれば貴国の運命を左右する事柄です」

「おお。それはどう云った事でしょうか?」

「空港からこの宮殿に参ります間に大河を見ました。そこには陶器のツボと真鍮のツボが並んで流れていました。真鍮のツボはこう云いました。『波が大きく沈みそうだ。もっとわたしに近付きなさい。二人で力を合わせれば大きな浮力で沈むことはないだろう』。すると陶器のツボが云いました。『とんでもない。あなたに近付いたらぶつかって、わたしは割れて沈んでしまうだろう』と。なかなか興味深い光景だと思いましたが、皇帝はどうお考えになりますか?」

皇帝はにやりと笑って答えた。

「…チョンファーレン帝国ですな。あなたの任務は我が国とチョンファーレン帝国の分断と見ましたが、如何かな?」

「ふふ。いや、これは失礼しました。残念ながら、そのような小さな話ではありません」

「すると、どう云う話でしょう?」

「そもそもこのインドラ帝国は人口11億人、常備軍130万人、GDPは世界第11位です。一方、隣国であるチョンファーレン帝国は人口13億人、常備軍230万人、GDPは世界第6位です。人口はチョンファーレン帝国と同等に多く、しかもゼロを発明した民族と云う事で優れた科学者や技術者が極めて豊かです。その国力の可能性はチョンファーレン帝国を上回っています。つまり、二人の皇帝が並んでいるようなものです。しかし、帝国に皇帝が二人居ないように、東アジアに二つの巨大帝国が存在し得ないことは明らかです。どちらかがどちらかを飲み込むことになるでしょう。皇帝はそれがどちらであるべきだとお考えですか?」

自分の帝国が潰れても良いのかね、と云わんばかりの挑発的な質問である。沈着冷静にして温厚と評される皇帝もさすがに色を為した。

「…なんと無礼な事を。生き残るのは我がインドラ帝国だ」

「ならば、生き残るためにどんな政策を行っているのですか?」

「外交ではチョンファーレン帝国との友好維持。それと諸国との友好促進だ。内政では軍事力増強。それに我が国は大量破壊兵器を持っている。国際緊張を起こさず、一方では兵を強くする。我が国の平和は盤石ではないか」

「いいえ。それでは生き残ることは出来ません。いつまでも二人の皇帝を許すと云う事でしょう。チョンファーレン帝国の国力増強は急激です。今は二つのツボは共に陶器かも知れませんが、間もなくチョンファーレン帝国は真鍮となるでしょう。そうなれば彼らは必ず襲いかかってきます。それからでは遅いのです。チョンファーレン帝国の発展がインドラ帝国を滅ぼすのです。その前にチョンファーレン帝国の国力を削ぎ滅ぼすことがインドラ帝国の生き残る唯一の方法なのです」

「無茶なことを言うな。彼らと戦争でもやれと云うのか?相手は大量破壊兵器を持っているんだぞ」

「それは貴国も同様でしょう。それに我がアイギス連邦も保持しています。如何でしょう?我がアイギス連邦が後ろ盾になります。我々と軍事同盟を結び、共にチョンファーレン帝国を弱めませんか?」

「いや。アイギス連邦は遠い。軍事同盟など有事の役には立たないだろう。我々はチョンファーレン帝国を目の前に見ているのだ。火事が起きたときにアイギス連邦まで水をもらいに行ったのでは間に合うはずもあるまい。チョンファーレン帝国とは友好関係を結ぶしかない」

「我が軍は原子力空母を中核とした機動部隊を全世界に配備しています。火事が起きたらすぐ消しに行けますよ」

「チョンファーレン帝国と我々が争ったら、アイギス連邦が漁夫の利をせしめるのではないか?」

「無駄な懸念です。インドラ帝国とアイギス連邦は運命共同体になろうというのですよ。それに何もしなければインドラ帝国がチョンファーレン帝国に飲み込まれるのは時間の問題です。インドラ帝国には既に選択肢など無いのです」

「しかし、チョンファーレン帝国の軍事力は大きい。それを我が国一国で引き受けるのでは叶うはずもあるまい」

「我々はチョンファーレン帝国包囲同盟を構築中です。そう、周囲の国全てを動員するのです。これが完成すれば彼らは最低でも3方向から同時に軍事的脅威を受けることになります。戦略の基本として二正面作戦は避けるとありますが、ましてや三方向からの脅威には如何にチョンファーレン帝国といえども対応する手段はありません」

「なんと。アイギス連邦はそこまで用意しているのか…」

「更に、これは我が大統領の密命ですが、もし貴国がチョンファーレン帝国との国境付近を新たに影響下に置いたとしても、包囲同盟の活動の中であれば、それは認めようとの事です」

「なんと。領土拡張まで認めるというのか」

「如何でしょう、皇帝。何もしなければチョンファーレン帝国に飲み込まれる。チョンファーレン帝国と友好関係を結んでもついには飲み込まれる。だが、アイギス連邦と手を組めばインドラ帝国は東アジアの太陽になる。利害がこれほど明らかなのに何を迷っていらっしゃるのですか。いまこそ、ご決断を」

「判っているが、事は国家の重要問題だ。大臣たちとも図らねばならない。今暫く待ってくれないか?」

「それは構いません。但し、決断が遅れますと情報がチョンファーレン帝国に漏れ、包囲同盟が破られる恐れがあります。ご相談なさる相手は厳しく選んで下さい」

「判った」

 皇帝カルルは緊急に会議を開いた。大臣たちはチョンファーレン帝国に買収されており、対決を避ける意見を展開したが、皇帝がバレッタの作戦を説明するに至り、反論する事が出来ず、結局皇帝の提案を認めることとなった。
 インドラ帝国が包囲同盟に参加する事は決定した。

 その頃、バレッタは迎賓館にあり、バレッタ親衛隊の情報部員から報告を受けていた。盗聴装置は既に取り外しておいた。

「インドラ帝国の大臣5名がチョンファーレン帝国のスパイと接触して、包囲同盟の内容を漏らしたようです」

「判りました。ありがとう」

 隊長マールスはバレッタに囁いた。

「閣下。それではまずいことになるのではないですか?」

「いえ。予定通りの好機です。以下、命令である」

「ハッ!」

 隊長マールスは直立不動の姿勢をとり、命令を受けた。

「大統領の承認後、直ちに太平洋艦隊司令部に命令。第6機動部隊はインド洋に進出し、第1級非常事態体制を敷け。インドラ帝国の制空権を確保し、チョンファーレン帝国を牽制せよと」

「命令は受領しましたが、戦争を始めるのですか?」

「牽制は戦争ではありません。包囲同盟の情報を得たチョンファーレン帝国はどう行動すると思いますか? それの予防です」

「あ。なるほど、そう云う事ですね」

 マールスは命令を実施すべく走り去った。バレッタは席を立って、宮殿にカルル皇帝を訪ねた。

「どうしました、バレッタ大臣」

「陛下。悪いニュースです。貴国の大臣5名が先ほどの秘密会議の内容をチョンファーレン帝国のスパイに漏らしました」

「…そんなバカな!彼らは皆信用のおける人間だ」

「証拠を持参しました。通信記録、会話内容、銀行口座の記録、証拠写真、全て揃っています」

 その資料をせわしげにめくりながら、皇帝は苛立った。

「な、なんと云う事だ。彼らは買収されていたのか?」

「処分をお願い致します」

「勿論だ」

「それと、情報によりますとチョンファーレン帝国がこの情報に激怒し、インドラ帝国に軍事的恫喝行動を起こすとの事です」

「そ、それだ。それを恐れていたのだ」

「ふふ。…失礼。陛下、何のための包囲同盟なのですか? こんな時こそ頼りになるのが我がアイギス連邦だと申し上げたばかりではないですか?」

「いや。まァ…そうなんだが。どうする積もりなのだ」

「既に我が機動部隊が貴国を守るために接近中です。200機のステルス戦闘機でお守り致します。まもなく武官が参りますので、貴国との連携防衛行動の打合せを行わせて下さい」

「そ、そうか。判った。全て任そう。いや、頼りになるな、バレッタ大臣」

「ありがとうございます。で、包囲同盟は貴国に於いて承認されたのでしょうか?」

「無論だ。しかもこんなに手際の良い行動を見せてもらったのでは誰も文句を言えまい。包囲同盟の一日も早い完成を期待しているぞ」





第4話 「チョンファーレン帝国」

 結果と原因は似ている。


 …時間はバレッタ大臣のインドラ帝国訪問まで少し戻る。

 チョンファーレン帝国の中枢、通称「シュトラッセ」と云われる地域がある。最も奥に帝国の宮殿があり、更に宮殿の最深部に皇帝ルワールスは大臣を集め、会議を開いていた。
議題は、アイギス連邦新任外務大臣のインドラ帝国訪問の意図に関してである。

会議の形式は独特で、重臣メンデが議長を務め、大臣たちが自由に発言する。最終的にはメンデが意見をまとめ、会議室奥に座る皇帝に報告し承認を得ると云う方式である。指示は会議中随時に行われ、また、皇帝は会議の決定を拒否することが原則的にない。

「バレッタなどと云う外交官は聞いたこともありません。なお、情報を収集中です」

「情報によれば親善訪問とのことです。これはそのまま信じて構わないと思います」

「いや、おかしいと思わんか?アイギス連邦が無名の外交官を外務大臣に据えるなど、ちょっと有り得ない。何か大きな意図を感じる」

「そりゃ考えすぎだろう。前の外務大臣に不祥事があったんだろう。そう云った噂も有ったことだし」

「インドラのスパイからの情報は他にないのか?」

「有りません」

「ったく、金ばかり欲しがって、情報を一向に寄こさない」

「それはともかく、新任外務大臣の最初の訪問国がインドラ帝国と云う事は、ひょっとすると我が国との友好関係にクサビを打ち込む意図かと思いますが」

「確かに。アイギスは我が国を目の敵にしているからな。我が国を孤立させようとしているのかも知れない」

「この辺の情報は無いのか?」

「無い。因に我々の賄賂作戦でインドラの大臣の半分は我々の言いなりだ」

「まァ、異変が有ったらすぐに連絡が入るだろう。異変が無ければインドラは我々の言いなりだ」

「万が一、インドラがアイギスの言いなりになったらどうする?」

「その時は、インドラの大臣を使って皇帝を止めさせる。更に、我が軍を国境付近に集結させ恫喝を加える。これで皇帝は云う事を聞くだろう」

「それは間違いない所だ」

「じゃあ、国境付近での『大規模な軍事演習』を予定しようか」

「準備だけはしておけ」

「何日掛かる?」

「最優先で実施します。動員数10万人で3日間を要します」

「それなら十分だ」

 議論に結論が出たので、それをとりまとめ、重臣メンデは会議室奥に鎮座する皇帝に報告した。

「皇帝陛下。ご報告致します。アイギス連邦の外務大臣がインドラ帝国を訪問した件です。情報収集中ですが、現状での危険は認められません。但し、念のためにインドラ帝国国境付近に10万人を配備致します。対外的には『大規模な軍事演習』と発表します」

「うむ、判った」

 皇帝ルワールスは50歳代だが、ヒゲをはやしているため60歳位に見える。身長は2メートルに迫るほどの長身で、裾の長い民族服を着用している為、見る者に非常な威厳を与える。
 皇帝を受け継いでから10年ほどしか経っていないが、先帝の政治によるひずみを修整する事に専念せざるを得ない状態だ。国力増強を叫ぶ先帝は急激な産業推進・商業振興を行い、それによりヤクザは勝ち組としてボロ儲けし、真面目な人間は取り残され、更に自分の財産や土地までだまし取られて貧民にまで落ちてしまった。金持ちと貧乏の差が20倍以上と云う状態になり、国民の不満は急激に悪化した。拝金主義がはびこり、権力や地位や利権を金で買う事が一般化した。役人は上から下まで腐敗し、汗を流して働く者は学歴や知能のないバカであり、頭の良い人間は学歴を金で買い、クーラーの利いた部屋でパソコンの前に座り何億と云う金を動かすものだと云う風潮が広がった。女たちは金持ちの妻や妾になることに奔走し艶色を競っている。その軽薄さも人々の心を荒ませた。国民の怨念は国内に向かい、政府を非難するデモや暴動が頻発している。政府は軍隊を使って鎮圧しているが、血は血を呼び、返って国民の不満を高めている。このままではついに革命にもなりかねない状況なので、国外に敵を作って国民の目をそちらに向けようと必死の努力をしている。
 そんな事情の中で発覚しつつある「チョンファーレン帝国包囲同盟」。皇帝はこれを好機と見た。周辺諸国が我が国を侵略しようとしている。人間の防衛本能により国民は敵に対して一致団結し、国民の不満も沈静化するであろうと。よって、皇帝は危機を煽るために過剰とも云える軍事行動を決断した。
 ところが、会議から2日しか経たない深夜に驚くべき情報が次々と入ってきた。

「チョンファーレン帝国はインドラ帝国国境付近に大軍を集結中。軍事行動の前兆と思われる」

「インドラ帝国はチョンファーレン帝国に厳重に抗議」

「インドラ帝国はアイギス連邦と相互安全保障条約を締結した」

「これに伴い、アイギス連邦太平洋艦隊の機動部隊がインド洋に進出し、共同で防衛訓練を実施中。アイギス連邦の作戦機は200機を超える」

「防衛訓練の目的はチョンファーレン帝国の軍事的挑発行動を抑制するためである」


 皇帝ルワールスは緊急会議を開いた。

「これは一体どう云う事だ。我が軍の移動が筒抜けの上、同盟締結の原因にされているではないか?」

「敵の謀略です。我々はまんまとハメられたのです」

「アイギスの動きが早すぎるのはおかしいと、他国は誰も思わないのか?」

「それに対しては、アイギスの外務大臣訪問の目的が侵略計画をインドラに知らせる事であり、防衛条約を結ぶためだったと、まことしやかに説明されています。つまり、アイギスは事前に情報を掴んでいたのだと云う論法です」

「原因と結果が逆じゃないか」

「くそ。やられた、完全にやられた」

「これでは我々は世界的に侵略者扱いではないか?」

「それどころではない。包囲同盟への影響が絶大だぞ。我が国が侵略主義的国家だと触れ回ることにより、今度はペートル共和国が容易に包囲同盟に加入することになるだろう。そうなれば包囲網は完成寸前だ。我が国の危機だ」

「…バレッタ大臣だ。これが元凶だな」

「間違いない。これはとんでもないくせ者だぞ」

「対策はどうするんだ」

「取り敢えず、軍事演習は取りやめだ。軍隊の目的を…そうだな、土木事業にすり替えろ。洪水対策の為、堤防工事に来ましたとでも云っておけ。そして実際に工事をやるんだ」

「戦車と大砲しか持っていないのにか?」

「だったら、スコップと土嚢を空輸しろ!」

「判った!」

「その上で、インドラに対して『誤解であり、同盟への加入は撤回して欲しい』と伝えろ」

「時間稼ぎにしかならないだろう」

「それでもペートル共和国は疑うだろう」

「特使だな。すぐに送って誤解を解くのだ」

「大変です!」

「な、なんだ。これ以上驚くことがあるのか?」

「バレッタ大臣は既にペートル共和国の宮殿に入っているそうです」

「まずい! まずいぞ!」

「こうなったら、止むを得ん。暗殺しよう」

「まさか。ペートル共和国の宮殿ですぞ。せめて空港くらいにしないと」

「生かしておいたのでは、これ以上何をするか判らんぞ。可能な限り早く暗殺しろ」

「誰にやらせる。いや、暗殺者は誰であるべきだ?」

「我が国が絡んでいると判れば逆効果だ」

「インドラにやらせるか?インドラに災いを持ち込んだと云う動機ならば、それなりに説得力はあるだろう」

「アイギスと云う手もある」

「ここはインドラで行こう。ペートルの空港で襲撃だ。その様に手配せよ」

 重臣メンデは会議室奥に鎮座する皇帝に報告した。

「陛下。我が国に対する包囲同盟対策の件でご報告致します。インドラ帝国は包囲同盟に加入いたしました。ペートル共和国の加盟も時間の問題であります。対策として、インドラ帝国に対しては軍隊移動の理由が土木工事であると言い訳し、同盟加入の撤回を求めます。ペートル共和国に対しては特使を派遣し、理解を求め、包囲同盟加入を引き延ばさせます。また、包囲同盟の主役であるアイギス連邦のバレッタ外務大臣は暗殺いたします。暗殺者はインドラ帝国の者が行います。以上です」

皇帝ルワールスはあからさまに渋い顔をした。

「暗殺はまずい。このタイミングで暗殺などあったら、犯人が誰であれ、我が国が疑われるのは明らかではないか。一番得をしたヤツが犯人と云う言葉を知らないのか? とにかくこの決定はダメだ」

「ははっ」

 異例の差し戻しが発生した。大臣たちが冷静さを失っていたのが原因だが、他に対策が思いつかなかった事が最も大きい。

「暗殺が出来ないと云うのなら、バレッタと同様に外交官を使って、同盟を破るのが良いのではないか?」

「あるいは、逆に我が国に有利な同盟を結ぶとか」

「云うのは簡単だが、そんな計略が有るのか?」

「それほどのアイディアを持った外交官がいるのか?」

「すぐに各省から人材を推薦するようにしよう」

「事は急を要する」

結局、効果的な対策の無いまま会議は終了してしまった。


★参考資料: 出来事の順

バレッタ、インドラ帝国に到着

     チョンファーレン帝国、対応会議
     チョンファーレン帝国、『大規模な軍事演習』の準備開始

インドラ帝国、緊急会議により包囲同盟参加決定
インドラ帝国の大臣が包囲同盟の内容をチョンファーレン帝国に漏らす

バレッタ、インドラ帝国皇帝を訪ねる
大臣のスパイ行為とチョンファーレン帝国の恫喝を連絡

インドラ帝国、チョンファーレン帝国の『大規模な軍事演習』に厳重抗議

インドラ帝国、アイギス連邦と相互安全保障条約締結

アイギス連邦、第6機動部隊がインド洋に進出し、第1級非常事態体制を敷く

     チョンファーレン帝国、緊急会議
     チョンファーレン帝国、『大規模な軍事演習』を撤回




第5話 「ペートル共和国」

 どん欲なケモノはエサに弱い。


 インドラ帝国とアイギス連邦の相互安全保障条約の締結を確認したバレッタは歓迎式典をすっぽかして、ペートル共和国へ向かった。兵は神速を貴ぶ。チョンファーレン帝国の逆襲を防ぐ為にも包囲同盟の締結は急ぐ必要があった。
 チョンファーレン帝国は自らの失態で凶暴な隣国と云うイメージを生み、それに対してペートル共和国は恐怖心を募らせていた。バレッタの訪問を難なく認めてくれたのがその証であった。
 バレッタは宮殿に首相ババチコフを訪ねた。

「初めまして。アイギス連邦外務大臣のバレッタ・超(チャオ)と申します。以後、よろしくお願いします」

「わしはペートル共和国首相のババチコフである。ところでキミの手口は見せてもらったぞ」

 予想外に高慢ちきな発言である。ババチコフはやや低めの背丈に関わらず巨大な体格をしていた。どうやらウオッカの飲み過ぎで幅方向に進化してしまったようである。歳は60代で、頭はほぼ禿げており、残った髪の毛は脂で皮膚にこびりついている。まん丸の顔の中央付近に小さな細い眼があり、丸眼鏡をしている。典型的な秘密警察上がりの顔である。体格の割にきびきびした歩きをするのもその職業の影響であろう。威嚇的な云い方で会談の主導権を握ろうと云う魂胆も見え見えである。

「閣下。わたしの手口とは何のことでしょうか?」

「ふん。我々はキミの全てを知っている。このファイルを見たまえ。1メートルにもなるだろう。これがキミに関する調査の内容だ。キミは常に監視されているのだ、そう、常にだ」

 ババチコフは指を強く振りながら、強調した。

「恐れ入ります、閣下。では、わたしがペートル共和国を訪れた理由もご存じと云うことですね」

「無論だ。キミは親善のためではなく、チョンファーレン帝国包囲同盟の締結のためにここに来たのだ。そうだろう」

「ご明察の通りです。さすがは閣下」

 鮮やかな手口でインドラ帝国を包囲同盟に引きずり込んだ切れ者に誉められ、ババチコフは頬をゆるめた。

「ハハハ。だが、キミの希望は叶えられないのだ。なぜなら、我が国はどの陣営にも組みしないからだ」

「それはどう云う事でしょう」

「分からんかね。我が国はかつて世界最大の陸軍国として世界の半分を支配しようとさえした超大国なのだ。人口1億4千万人、常備軍100万人ながら、我が国の国土は世界最大の広さを持っている。つまりこれは可能性なのだ。かつての栄光は決して過去の物ではないと云うことだ。判るかね、この意味が」

「つまり、再び世界の覇権を狙うために、今は局外中立を保って国力の充実に力を注いでいるのだ、と云う事ですね」

「ふん。さすがだな。その通りだ。よって、包囲同盟には参加しない。判ったかね、我が国の外交が」

「つまり、ペートル共和国は亡国を選んだと云う事ですね」

「な、なんだと。我が国が亡国だと」

「その通りです。その理由をご説明いたしましょうか?」

「云ってみろ」

「かつての栄光はともかく、現在のペートル共和国は弱小国です。人口わずか1億4千万人、常備軍100万人、GDPは世界第10位に過ぎません。一方、隣国のチョンファーレン帝国は人口13億人、常備軍230万人、GDPは世界第6位です。しかもチョンファーレン帝国は経済・軍事力とも急激な発展を遂げております。
 その外交は虎狼の如く凶暴であり、約束は1枚の紙切れほどの価値もありません。即ち約束は必ず破り、のらりくらりと言い訳をするだけです。この様な真実のない侵略主義的国家が急激に巨大化しているのです。その隣国ペートル共和国の安全が、積み重ねた卵の様に危ういのは誰の目にも明らかでしょう。ましてや、名君と云われるババチコフ閣下がそれを察知していないわけはありますまい。如何ですか?」

「うん。まァ。チョンファーレン帝国の脅威は判っている」

「であれば、その危機を回避する外交を行うべきでしょう。局外中立などと云ってチョンファーレン帝国の脅威拡大を放置するのではなく、チョンファーレン帝国の国力を積極的に消耗させる事です。具体的には彼らが経済発展に回すべき資本を軍事に回させると云う事です。さすればチョンファーレン帝国は衰え、結果、ペートル共和国の安全は守られます。ペートル共和国はその間に経済を発展させ、チョンファーレン帝国を追い抜き、再びアジアのリーダーになるべきでしょう。これが包囲同盟の価値です」

「まァそうだが、かつての敵であるアイギス連邦と同盟を結ぶのは隷属だと云って何かと抵抗が有るのだ」

「フフフ。いや、名君のババチコフ閣下ともあろう方が、その様な些細な事に心を乱されているのは実に妙なことだと思いましたので。いや、それどころか、もし包囲同盟に入らなかった場合の害の大きさをお考え下さい。
 チョンファーレン帝国は周りを包囲同盟国に取り囲まれ、軍事的な圧力を同時に数カ所から受け、当然ながら大きな危機を感じます。彼らは出口を求め、唯一同盟に入っていない貴国に向かうでしょう。貴国と安全保障条約を結び背後を守ろうとします。しかし、良く考えて下さい。チョンファーレン帝国は真実の無い国です。都合の良いときだけ貴国を利用し、包囲同盟の圧力が小さくなったら貴国を捨てるでしょう。これは明らかです。しかも貴国にとって重大なのは、チョンファーレン帝国と同盟を結ぶことによって世界を敵に回すと云う事です。合計で人口14億4千万人、常備軍330万人と云う巨大勢力。しかも虎狼の如き凶暴な勢力を他国が見過ごすワケはありません。包囲同盟、更にはエウロペ同盟すら危機を覚えて貴国に敵対するでしょう。如何にチョンファーレン帝国といえども世界を敵に回すことは出来ません。軍事費の増大による国力消耗で滅亡は必至です。貴国も同様でしょう。
 また、貴国がチョンファーレン帝国の希望に背いて彼らとの同盟を結ばないとした場合、害はもっとひどくなります。彼らは力ずくで包囲網の出口を求めようとするでしょう。生き残りを賭けて貴国に攻め込み、占領・支配することでしょう。隣国であること、国境線が極めて長いこと、そして軍事力の大きさから、貴国は容易に侵略され更に滅亡は必至です。その時になって初めて包囲同盟を望んでも手遅れです。故に亡国と申し上げたのです。
 包囲同盟に入れば、チョンファーレン帝国の脅威を削ぎ、再びアジアのリーダーになることが出来ます。一方、包囲同盟に入らなければチョンファーレン帝国に滅ぼされるか共に滅ぶかです。これほど利害がはっきりしているのに迷う必要があるでしょうか。ペートル共和国は今、危急存亡の時に立っているのです。閣下はどの選択が必要だと思われますか?」

「ふん。これでは選びようがないではないか。我が国は包囲同盟に入るしかないと云うワケだな」

「それが貴国にとって最も正しい選択であると考えます。
 更に大きな利益があります。チョンファーレン帝国との国境問題は貴国に有利に運ぶでしょう。チョンファーレン帝国は周辺国全てから軍事的圧力を同時に受けるのです。如何なる大軍、如何なる軍事的天才が居ようとこれには対抗出来ません。国境は間もなく貴国の影響下に入るでしょう」

「大きな利益だ。うむ、包囲同盟に入るのは良いだろう。しかし、チョンファーレン帝国の国力が弱まるまでには多くの時間が掛かるであろう。そんな悠長な事をしている間に包囲同盟が分裂してしまうのではないか?」

「それは杞憂です。チョンファーレン帝国も軍事・外交両面で包囲同盟切り崩しを掛けてくるでしょうが、それを防ぐ為に包囲同盟は最高司令部を設け、同盟国の連携を助けようとしています」

「なるほど。それも良いだろう。ところで、我が国にはアイギス連邦と同盟を嫌う勢力もある。それらを利益誘導したいのだが、手助け願えるか?」

「どのような物が御所望でしょうか?」

「現金、観光、子息の留学…そう云ったものだな」

「ごもっともです。ご苦労をお察しします。判りました。リストを閣下から頂き次第、出来るだけ対応いたします。それで宜しいでしょうか?」

「助かる。…いいだろう。我が国は包囲同盟に加入する。これから閣議を開き、決定することにする」

「有り難うございます」

「ちなみにキミ、いや大臣の今後の予定は?」

「閣議決定を待ち、次の訪問国に向かいます」

「ヤマタイ自治共和国ですな」

「それはご想像にお任せします。では別室に下がっておりますので」


 バレッタが退室したのを確認して、ババチコフは外務大臣ロマンスを呼んだ。

「どう思う?」

「は。実に危険なことだと考えます。包囲同盟に入れば、アイギスの手下としてチョンファーレンと争うことになるでしょう」

「わしもそれを思った。しかし、少なくとも3国が同時に圧力を掛けると云う事なので、我が国だけがその義務を背負うわけではない」

「しかし、閣下。局外中立の方がチョンファーレンにも恩を売ると云う事で、利益は大きいと思いますが」

「中立のままだとチョンファーレンの傲慢は拡大する一方ではないか。インドラ帝国を見たか。バレッタが到着した途端、圧力をかける為に軍隊まで動かす有様だ。こんな国とやってゆけるか」

「しかし、我が軍はチョンファーレンに対抗出来るほどの量と質を持っておりません」

「その為の包囲同盟ではないのか? それにして外務大臣がこの有様では閣議決定はムリか? …そうそう、ロマンス。お前の息子はアイギスで一番の大学に留学したがっていたな。あれ、OKになったよ」

「え。ほ、本当ですか」

「本当だ。バレッタ大臣直々の承認だ。どうだ、包囲同盟も悪くあるまい」

「…全て閣下にお任せいたします」

「結構」

 かくして、ペートル共和国も包囲同盟に加入した。




第6話 「ヤマタイ自治共和国」

 屈折したヤツは一番危ない。


 ペートル共和国を後にしたバレッタは、一路ヤマタイ自治共和国へ向かった。

 アイギス連邦にとって因縁の深い国である。100年以上昔のこと、ペートル共和国は領土拡張に燃えており、チョンファーレン帝国の一部を併合した。その勢いに恐怖したヤマタイ自治共和国は国力を全て軍事力に傾け開戦した。兵站が破綻する寸前にアイギス連邦の調停で終戦し、奇跡的にペートル共和国を追い出すことに成功した。その後チョンファーレン帝国の領有を巡ってアイギス連邦と無謀な戦争を行い、一度は滅亡した。やがて占領を経て自治共和国として再生した。実質的にアイギス連邦の属領である。行政の最高責任者は総理大臣であるが、アイギス連邦大統領の承認の下で任命される。古代ローマの属州総督に近い。
 アイギス連邦に於けるヤマタイ自治共和国の位置づけは、その工場であり、また、その市場である。高い水準の技術力と生産力を有しており、アイギス連邦の指示により、アイギス連邦の国民のために大量の商品を生産している。この場合、彼らは手足であり、頭はあくまでアイギス連邦が握っている。
 ヤマタイ自治共和国はアイギス連邦の市場でもある。高度な製品、特に通常兵器類を大量に購入している。

 彼らは列強からは「豚」或いは「家畜」と呼ばれている。その巨体は大きな市場であり、しかし、牙を持っていない。牙はアイギス連邦により、神経ごと抜かれているからだ。ヤマタイ自治共和国は人口1億3千万人、常備軍僅かに26万人、GDPは世界第2位と云う巨大さである。
 その巨体からすれば、100万人の常備軍を持ち、東アジアに覇権を唱える事が可能なほどだが、アイギス連邦の属領と云う立場に貶(おとし)められている為、独立国ですらないのが実状である。ヤマタイ自治共和国の中には、これを恨みとして覇権主義を声高に唱える勢力が着々と力を蓄えつつあった。彼らの目標はヤマタイ帝国の復活である。

 バレッタはそんな土地へと降り立った。
空港には国務大臣旭野が出迎え、一路首相官邸へと向かった。
総理大臣那須香は官邸ロビーに出迎え、歓迎の挨拶をした。

「わたしはアイギス連邦外務大臣、バレッタ・超(チャオ)と申します。これからも宜しくお願い致します」

「これはこれはご丁寧な。わたしはヤマタイ自治共和国総理大臣那須香です。よろしくお願い致します。ハデス大統領には先日お目に掛かりました。その節は大変お世話になりましたとお伝え下さい」

 那須香は50代の男性で、小男と云って良いくらいの背丈でありガリガリに痩せていた。髪は長めでオールバックに固めている。顔は身体に比べて大きいが骨張っていた。落ちくぼんだ目だけがギラギラと光っており、それは若干色の付いた眼鏡で隠していた。

「かしこまりました。所で、今回参りました理由はチョンファーレン帝国包囲同盟の締結に関する事です」

「はい。存じております。既にインドラ帝国、ペートル共和国とも締結済みとのこと。残るは我が国のみと云う事ですね」

「その通りです。貴国が包囲同盟に加入すれば包囲網は完成します。しかし、貴国は憲法で戦争を放棄し、軍隊を持たないと云う国家です。その様な国家に対して、チョンファーレン帝国に軍事的圧力を掛けろと云うのは無理な事です。よって、我が国としては貴国に対して包囲同盟に加入すると共に、我が軍の活動拠点の役割を負っていただきたいのです」

「勿論可能です。我が国は貴国との安全保障条約を永きにわたって結んでいますので、その延長線上で対応が可能です」

「有り難うございます」

 話は簡単に終わるはずだったが、ここで那須香首相が眼を光らせて踏み込んだ。

「そこで、ご相談があります」

「何でしょうか?」

「包囲同盟に入るからには、我が国もチョンファーレン帝国に軍事的圧力を掛ける役割をしたいのです」

「いや、しかし。それでは貴国の国是、アイデンティティと云う物が蔑(ないがし)ろになってしまうのではないですか?」

「我が国はかつての我が国ではありません。国力は充実し、世界にその役割を求める事が出来るほどに成長したのです。この度の包囲同盟の一翼を担い、一層国際社会に貢献し、その国際的地位を高めたいと考えるのです。と云うワケですから、是非我が国にも軍事的圧力を掛ける役割を果たさせて下さい」

「貴国の希望はもっともです。人口1億3千万人、常備軍26万人、GDPは世界第2位と云う世界有数の大国でありながら、東の片隅に追い詰められているのはとても耐え難いことでしょう。必ずや世界に雄飛し、ひいては東アジアのリーダーとなるべき国家です。包囲同盟がそのきっかけになるかも知れません。判りました。大統領に報告し、貴国の希望が通るように動きましょう」

「おお。有り難い。よろしくお願い致します」

 バレッタの言葉に気をよくした那須香首相はもう一歩踏み込んだ。

「もう一つお願いがあります」

「何でしょうか?」

「我が国が包囲同盟で大きな役割を果たした場合、我が国固有の領土の復活に力を貸して頂きたいのです」

「…固有の領土ですか。具体的にはどこでしょう」

「現在の、所謂『緩衝地帯』です」

「確かにあそこは貴国のかつての領土でしたが、今やチョンファーレン帝国と貴国間の緩衝地帯になっています。それを領土にしたいと云うのですか?」

「領土とは云いません。我が国の影響下に置きたいのです。包囲同盟でチョンファーレン帝国の影響が小さくなった場合、緩衝地帯の位置を、よりチョンファーレン帝国側に移動しても良いのではないかと、そう考えます」

「…仮定の話なので答えることは出来ませんが、他の国々がどう思うでしょうか? 領土的拡張主義と見られてしまうのではないでしょうか? 具体的に検討されているのですか?」

「いや。あくまで仮定の話です」

「そうですか。事は重大なので真剣に検討すべきと考えます」

「有り難うございます。では、宿舎の準備が出来たようなので、そちらに移動をお願い致します」

「包囲同盟への加入決定はいつ頃になるでしょうか?」

「これから臨時閣議を開催しますので、明朝には決定を報告できると思います」

「よろしくお願いします」

「その後に閣下の歓迎式典を用意しています」

「ありがとうございます。参加させて頂きます」


 バレッタは首相官邸を退出し、宿舎となる高級ホテルに入った。
最上階から3フロアを貸し切り、真ん中のフロアのみを使用する。3フロア全ての盗聴器撤去と電波妨害はバレッタ親衛隊が事前に行っている。GPSジャマー(GPS妨害装置。精密誘導兵器への対応)、対空ミサイル、脱出用ヘリコプターの設置も完了している。ホテル周辺のビル屋上にはバレッタ親衛隊が貼り付き、交差点や道路にはヤマタイの警官数百人が警備に動員されている。更に付近上空にはAWACS(空中警戒管制機)が飛行しており、ヤマタイ周辺海域のアイギス連邦第7艦隊とデータリンクしながら半径数百キロメートルの上空を警戒している。艦隊は臨戦態勢を敷いており、即座に戦闘機を急行させることが出来る。

 バレッタ親衛隊隊長マールスを呼んだ。

「防諜は?」

「完了しています」

「ヤマタイの首相官邸はどうでした?」

「世界中に筒抜けです。1時間後にはチョンファーレンにも届くでしょう」

「予定通りですね。では、ヤマタイ国内の状況報告を」

「はい。ヤマタイ政府は二枚舌を使っています。
国民に対しては、包囲同盟はアイギスから押しつけられた要求であり、アイギスとの安全保障条約の関係からこれを拒否することは出来ないと云っています。所謂ガイアツを言い訳にしています。
一方、政権党に対しては、ヤマタイ帝国復活の好機であり包囲同盟での活躍が帝国の未来を開くのだと云っています。ヤマタイが血を流せば流すほど国際社会に於ける地位は高まり、失われた領土の復活も夢ではないと喧伝してます。
憲法との関係に関しては、改憲を予定しているので集団的自衛権はおろか戦争すら問題なしとの見解です」

「国民の士気は?」

「極めて低く、批判的です。マスコミ各社の世論調査をみても同盟参加は反対90%程度となっています」

「ヤマタイ政府の対策はどうですか?」

「彼らの見解では、ヤマタイ民族は被害者意識が極めて高いので、チョンファーレンから先制攻撃が有った場合、世論は完全に逆転するとの事です。これに関しては、今までの歴史的事例及びVSS(バレッタ親衛隊)のシミュレーションでも同様の結果が出ています。よって、彼らの作戦では圧力を掛けてチョンファーレンの暴発を誘導し、世論を味方にする積もりです」

「ありがとう」

「ところで閣下、ヤマタイにはどこまでやらせる積もりなんですか?」

「他の包囲同盟諸国同様、チョンファーレンに軍事的圧力を掛けることになるでしょう」

「もし、チョンファーレンが暴発した場合は?」

「包囲同盟が連携して総攻撃を加える。ヤマタイも喜んで加わるでしょう」

「もし、ヤマタイが勝手な行動を取ったら?」

「ヤマタイ政権の首を飛ばす。隊長、その為の盗聴でしょう?」

バレッタは隊長に、にこっと笑った。


注:
AWACS, Airborne Warning and Control System, 空中警戒管制機。半径数百キロメートルの戦闘空域や警戒空域に於いて、あらゆる空中目標を探知し、情報分析、友軍への指示、管制を行う航空機。いわば空中司令部。




第7話 「チョンファーレン帝国の憂鬱」

 追い詰められたときに本当の力が出れば大国。


 チョンファーレン帝国皇帝ルワールスの元には悪い知らせが束になって届いていた。

「チョンファーレン帝国包囲同盟が完成。加盟国はアイギス連邦、ヤマタイ自治共和国、ペートル共和国、インドラ帝国(GDP順)」

「包囲同盟の合計は人口約17億人、兵力400万人、GDPは全世界の40%」

「包囲同盟国の連携を助けるために、包囲同盟最高司令部を設置。長官はアイギス連邦バレッタ外務大臣」

「各国世論調査結果。包囲同盟に対してアイギス連邦は賛成50反対50、ヤマタイ自治共和国は賛成10反対90、ペートル共和国は賛成40反対60、インドラ帝国賛成50反対50」

「包囲同盟国各軍の動きが活発化。国境に兵力の移動を実施中。国境添いに恒久的防衛線を設置中」

「アイギス連邦第7艦隊と第3艦隊が連合艦隊を結成。緩衝地帯及びヤマタイ自治共和国周辺に展開中。兵力は艦艇約200隻、航空機約2千機、兵員は海兵隊を合わせて約24万人」

「極秘。ヤマタイ自治共和国は軍事的活動を希望し、アイギス連邦はそれを認めた」

「極秘。ヤマタイ自治共和国は包囲同盟の見返りに緩衝地帯の領有或いは統治をアイギス連邦に求めた。アイギス連邦は不承認」

 新たな情報が入るたびに大臣達は右往左往し、会議は紛糾した。
重臣メンデは大臣達を落ち着かせる必要があった。

「みんな、落ち着け。圧力は戦争ではない。敵の挑発に乗らずに耐えることだ。我々の攻撃を奴らは待っているのだ。だが、耐えるだけではダメだ。万が一の戦いの準備が必要だ。軍隊、国民が一丸となって、この国難に向かって行こうではないか」

「メンデの云う通りだ」

「しかし、ヤマタイの領土拡張志望を聞いたか。許し難い事だ。属領に落ちた理由を連中は歴史から学ばなかったのか?」

「待て。先ずは話をまとめよう」

「包囲同盟諸国の動きはどうだ?」

「包囲同盟各国は我が国の国境付近で活発な動きを始めています。陸続きのペートル共和国及びインドラ帝国は国境付近に恒久的な要塞を建設中です。海で隔たったアイギス連邦及びヤマタイ自治共和国は大量の海軍艦艇及び航空機を海域に展開し、我が国の主張するEEZ(排他的経済水域)は無視されています」

「国際法違反ではないか?」

「一応、彼らが主張するEEZ(排他的経済水域)内ではあります」

「トラップだな、これは」

「我々の主張するEEZ(排他的経済水域)を根拠に彼らを攻撃すると、逆に彼らは自分たちが被害者であると主張するだろう。ヤマタイの世論は逆上して包囲同盟支持に走るだろう」

「ヤマタイは自分が加害者だと鈍くて、被害者だと驚くほど敏感だ」

「ヤマタイの世論を敵に回すのはまずい。我々の協力者や工作員が働きにくくなる」

「…続けます。兵力は我が国が230万人に対して、敵が400万人であり、ランチェスター第2法則によれば戦力比は1:3であります」

「これではかなわないではないか。何とかしろ」

「劣勢を何とか同等以上にまで持ち上げるのが作戦だ。これは我々軍人に課せられた使命だ」

「と云うか、その数は軍の総数であって、全軍を我が方に回せるわけではない」

「そりゃそうだ。アイギスにしてもせいぜい40万程度だろう」

「再計算しろ」

「はい。…ただいま計算しました結果、敵の正面兵力は最大で200万人と思われます」

「数では同等と云う事か」

「それでも大軍だ」

「各個撃破しかないな」

「戦線の長さから云って、インドラが狙い目か」

「高山が邪魔している」

「山岳部隊を使えば問題ない」

「ヤマタイは海が邪魔している。海軍、空軍しか使えない」

「海軍、空軍共アイギスがダントツだ。全くかなわんぞ」

「黙って見ているしかないか」

「いや。彼らも世界世論が恐い。あからさまに侵略行為をする事はできない。つまり放っておいても問題ないと云う事だ」

「だったらいっその事、マスコミを乗せた船を一杯浮かべておくことにしよう。万が一彼らが失態を犯したら、それこそチャンスだ」

「そいつはいい」

「失態を仕掛ける…と云う手もある」

「その方法はペートル共和国及びインドラ帝国にも使えるな」

「つまり、マスコミを無敵の盾に使おうと云うワケだな」

「それは採用するとして、万が一戦闘が始まった場合の準備も必要だ」

「何れにせよ兵隊が足りない。予備役を使おう」

「1ヶ月で350万人まで増やせ」

「兵器が足りない。使える工場は全て使え」

「予算は3倍に増やせ。敵との生産競争だ」

「しかしこれでは一般産業部門が資金不足と工場不足でストップしてしまいます」

「一般産業が生き残っても、国が亡びてしまえば元も子もあるまい。やるんだ」

「ちょっと待て。そんな事をやっていたら、連中の思うつぼだぞ」

「兵力の増加と兵器の増強が不要だと云うのか」

「その通り。連中の目的は我が国の疲弊だ。疲弊の原因は過度の軍事費だ。かつてのソビエトや北朝鮮が滅んだ理由はここにある。連中はその再現を狙っているのだ。だから、我々はそれには乗らない。いや、返って、連中が圧力を掛けるために大量の軍事費を使っているのを尻目に産業を振興する。疲弊するのは我々ではなく連中だ。彼らがそれに気付いたとき、包囲同盟は破綻する。我々は待っていれば良いのだ」

「うむ。それは一理ある。しかし、連中もバカではあるまい。我々が動かなければ、もっと姑息に仕掛けてくるのではないか?」

「マスコミの顔をしたスパイを使って我が軍を攻撃し、我々が反撃すれば記者を殺したと宣伝するか」

「或いは、自らの手でバレッタ大臣を暗殺するとか?」

「我が軍の服装をしたスパイ軍を使って、包囲同盟軍を攻撃させるとか?」

「偵察中の包囲同盟兵士を拉致し拷問をかけたと言いふらすとか」

「きりがないな。守る側はあらゆる事を想定しなければならないが、仕掛ける側は一点突破で良い。極めて有利だ」

「これを避ける方法はあります。こう云った謀略が効を奏すのは、我が国と包囲同盟の緊張関係が有ってこそです。緊張関係が無ければ、これらは謀略だとすぐに判るものです。ですから、我が軍の非常事態体制を解除し、通常体制に戻すべきです。つまり、何事も無かった様な顔をしていれば良いのです。そうすれば彼らは空振りを演じ、最後はバカらしくなって止めてしまいますよ」

「しかし、現に敵は我々を包囲しているのだし」

「国際世論の監視の下で何もできない敵は敵ではありますまい。ならば敵でない物に対して、我々は無視をすれば良いのです」

「どう思う?」

「うーん。確かに云われてみれば納得と云う気もするが、じゃあ、今までの大騒ぎは一体何だったんだと云う気がする」

「それはバレッタ・チャオの魔法ですよ」

「…いや、バレッタの魔法はこれからだと思う」

「どう云う事だ」

「我々が先制攻撃をすれば、彼らは予定通り反撃する。彼らにその準備は出来ている。これは判る。
我々が攻撃をしなければ、彼らは攻撃しない。マスコミが抑止力になっているから。でも本当か?もし、彼らが電撃的に攻撃すれば、我々は即座に中枢部をやられて倒れる。その後で彼らが先に攻撃したのだと非難しても何にもなるまい。戦いは既に終わっているのだから。もし、バレッタが電撃戦を考えていたら、我々は無視どころか完全武装しなければならないのではないか?」

「…実にそうだ」

「大モルトケの思想(先制攻撃主義)を最も忠実に実施しているのはアイギス連邦軍だからな」

「やっぱり兵力の増加と兵器の増強が必要だ」

「何れにせよ我々は膨大な軍事費を使わなければならない。すると我が国の疲弊そして滅亡は必至なのか?」


注:
1.EEZ, exclusive economic zone, 排他的経済水域。国連海洋法条約に基づいて設定される経済的な主権がおよぶ水域。
2.ランチェスター第2法則(集中効果の法則)
 ランチェスターは航空戦の損害率から簡潔な数式によって戦闘が計算できることを発見し、戦力を数値モデル化すると云う道を拓いた。その第2法則は集中効果の法則と呼ばれ、近代戦のように一人が複数の敵を攻撃できる場合、戦力比は兵士数の二乗になり、大兵力が極めて有利となる。能力が等しい兵士同士が戦った場合、兵士数3:5ならば、戦力は9:25となる。
 フレデリック・ウィリアム・ランチェスター, Frederick Wiliam Lanchester, (1868年10月28日-1946年3月8日)イギリスの自動車工学・航空工学のエンジニア、王立航空協会の名誉会員。
3.ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラフ・フォン・モルトケ, Helmuth Karl Bernhard Graf von Moltke, (1800年10月26日 - 1891年4月24日) 。通称、大モルトケ。プロイセン王国の軍人。陸軍参謀総長として天才的な手腕を見せ、ドイツ統一(ドイツ第2帝国)に多大な貢献をした。素早い動員と先制攻撃こそが勝利をもたらすという理論を実績により確立した。




第8話 「チョンファーレン帝国の希望」

 人有る処に人無く、人無き処に人有り。


 チョンファーレン帝国は追い詰められた。帝国は包囲同盟により軍事的圧力を受けつつあり、抑止力としてマスコミを国境線に配置したが、いつ何時、包囲同盟軍が電撃戦を決行するか判ったものではない。兵の動員、兵器の増産で国内はてんやわんやの状態となった。しかし、これらの準備は帝国の安全を保障するものではない。真の安全保障は、帝国周辺のパワーバランスを帝国側に有利にすることでようやく得られる。その為に必要なのは軍事力だけではなく、更に同盟政策である。軍事力をハードウェアとすると、外交はソフトウェアである。両者が効率よく一体的に機能する時、国家の安全保障は確立する。
 ハードウェアは動き始めた。ソフトウェアも動かなければならない。外交戦略家の出番である。彼らの仕事は現状の分析と要点の見極め、アイディアの抽出と選択、作戦計画立案、そして実行。これらを機能的に行う為に帝国外務省には外交戦略部と云う組織がある。短期・中期・長期の外交戦略案を作成し、政府はそれを承認すると共に関係省庁に指示し実行させている。外交戦略部のメンバーは普通の公務員や外交官とはちょっと違う。IQ(知能指数)190以上、性別不問、年齢は12歳以上、作成する戦略案は国際法を無視して構わない。帝国中から選ばれたエリート集団である。現在12名が在籍であるが、まず席には居ない。海外に出張しているか、深い山にこもっている。
 今回の危機を打破する為、帝国は全ての省庁に広く対策案を求めた。しかし、帝国13億人の運命を預かると云う責任の重さ、更にバレッタの築いた鉄壁の包囲同盟と云う困難さから、帝国首脳部の眼鏡にかなった案は出てきていない。よって、外交戦略のプロ集団である外交戦略部に白羽の矢が立ったのである。

 普段は空席の目立つ外交戦略部だが、今日は緊急会議と云う事で12名中9名が出席している。緊急会議だったら全員出席が当たり前なのだが、宇宙ステーションで勤務中の者1名、飛行機が墜落して時間通りにはたどり着けないもの1名、砂漠に修行に出て行方不明1名との事である。

 会議が始まった。議長は外務大臣モーモスその人である。

「会議の事前情報は既に配布した通りである。我が国の未来は諸君らの頭脳に掛かっていると云って過言ではない。忌憚無い作戦会議をお願いする」

「先ず、包囲同盟のポイントだが、我が国の経済的・軍事的発展への畏れがスタートラインだ」

「左様。包囲同盟諸国は我が国に隣接している為、その畏れが大きい。アイギスはそこに付け込んだと云える」

「包囲同盟最高司令部長官、つまり4国を束ねる最高権力者のバレッタがこの劇の主役だ」

「その権力はアイギス大統領さえ超えると云われている」

「包囲同盟軍は現在活発な準備行動を取っているが、すぐに軍事行動を起こす兆しはない」

「しかし、アイギスは先制攻撃主義であり、近距離のヤマタイや緩衝地帯から我が帝都に電撃戦を行った場合、我が国の中枢は1時間で制圧されるだろう」

「敵側の攻撃手順は、先ず通信及びレーダー妨害、次に巡航ミサイルによる軍事目標及び政府中枢機能への同時攻撃。これで我が国の防衛機能は80%以上破壊される。レーダーシステム、命令システム、すべてだ」

「そうなった場合、我が国は大量破壊兵器を使用する。目標はヤマタイ及び緩衝地帯だ」

「運搬手段は?」

「戦略爆撃機、巡航ミサイル、弾道ミサイルだ」

「敵の電撃戦でどれだけ生き残るのだ?」

「最悪で20%」

「我々の報復に対する迎撃。敵はどう動く?」

「敵は我が戦略爆撃機をAWACSで探知、戦闘機で撃墜。地上発射巡航ミサイルも同様。地上発射弾道ミサイルは弾道ミサイル迎撃システムが担当。水中発射巡航ミサイルと水中発射弾道ミサイルは近距離のため迎撃が間に合わない」

「対潜水艦戦はアイギスが得意だぞ」

「核爆雷を用意しろ。海中をかき回して探知を遅らせる」

「撃墜された爆撃機や巡航ミサイルは水中で自爆させろ」

「弾道ミサイルを高空で爆発させて電磁パルス兵器とする」

「アイギスはそれに対応済みだぞ。効果は小さいだろう」

「報復攻撃は世界大戦へのトリガーとなるだろう」

「いや。第一幕だけで相互抑制が掛かり、そこまでだ」

「衛星国は亡び、大国は残る」

「報復攻撃案は取り敢えずここまでだ。詳細は軍に詰めてもらおう」

「次は外交だ」

「包囲同盟を崩す」

「そのためにはアイギスの脅威を喧伝しなくてはならない」

「その通り。アイギスこそ最大の敵なのだと」

「世界最大の軍事力を持ち、世界の軍事費の半分を使い、GDPは全世界の28%を1国で占めるのだ。その脅威は100年後の我が国よりも遙かに大きい」

「包囲同盟はアイギスに漁夫の利を与えるためにあるのだ」

「我々はアイギスの為に共倒れをさせられている」

「次の標的はエウロペ同盟だ」

「軍事的恫喝による分断と各個撃破をやるだろう」

「アイギスは世界制覇を狙っており、それを強力に進めている」

「彼らは世界の王にふさわしいだろうか?」

「軍事力で他国を制圧するだけの戦闘国家ではないか」

「彼らの云う自由は自らの自由であって、他国には自由はおろか独立さえ認めようとはしない」

「我々は強盗と仲良くやってゆけるだろうか。いけるはずがない」

「そこで世界三分の計だ」

「アイギス連邦、エウロペ同盟、そして東アジア連合」

「東アジアは経済圏同盟を結び、アイギスの干渉を排して行かなければならない」

「東アジア連合はエウロペ同盟と安全保障条約を結ぶ」

「共にアイギスからの自由と独立を守るためだ」

「アイギスが攻撃してきたときには、両陣営が共同でこれを撃つ」

「世界三分の計はこれでよかろう」

「次は具体的な作戦だ」

「包囲同盟を崩す」

「彼らの弱点はインドラ帝国だな」

「皇帝カルルは我が国の軍事力を特に畏れている」

「しかも大臣は我が国のいいなりだ」

「この辺はバレッタが修整を加えたはずだ。チェックしろ」

「アイギスの脅威と目的を説くことにより理解を得ることが出来る」

「みやげは?」

「賄賂と経済援助、国境付近に於けるインドラの影響力を認めること」

「何を要求する?」

「包囲同盟に対するサボタージュ」

「行動を遅らせる。すっぽかす。言い逃れする」

「可能なのか?包囲同盟最高司令部はチェックしないのか?」

「インドラの官僚システムの中で可能だ。皇帝は下を叱る振りをすればいい」

「次はペートル共和国」

「インドラが崩れたと知れば、潮目を見るのに長けた首相だ。すぐに反応するだろう」

「インドラと同じ論法で説得は可能だ」

「何を要求する」

「インドラと同じ。更に、東アジア連合の主宰を依頼すれば喜ぶぞ」

「功名心が異常に強いからな」

「みやげは?」

「主宰だけで十分だ」

「十分か?」

「過剰に与えるとつけあがる」

「次はヤマタイ自治共和国だが」

「ここはムリだろう」

「欲望むき出しで東アジアの覇権を狙っているからな」

「こんなのを東アジア連合に入れたら、まとまらん」

「虎から逃れるために連合を組んだのに、内側から狼に喰われることになる」

「インドラとペートルが崩れれば、包囲同盟は終わりだ」

「ただ、時間稼ぎは必要だ。例のバレッタとヤマタイの会見の内容を漏らせ」

「どこから漏らす?」

「アイギスのマスコミだな。情報源はヤマタイ関係者と云う設定だ。情報漏洩は彼らの専売特許だからな」

「効果は?」

「ヤマタイの政権のクビが飛ぶ」

「属領の飾り首など何の役に立つのか」

「政界が混乱してくれれば、時間稼ぎにはなるだろう」

「更に効果的なのは、ヤマタイの国民が包囲同盟反対に一段と強く結束することだ。まァ、どうせ政権に押しつぶされるだろうが」

「我々の協力者が増えるのは良いことだ」

「バレッタのスパイを入れるなよ」

「効果を上げるために、電撃戦に対する報復攻撃の内容もマスコミリークさせよう」

「心理作戦のターゲットはヤマタイと緩衝地帯か」

「自分の頭上に大量破壊兵器が降ってくると知れば、彼らの恐怖はすごいぞ」

「しかも、その恐怖の原因を作っているのが自分たちの首相と知れば、怒りの方向は我々にではなく、アイギスと自分たちの政府に向くだろう。効果は絶大だ」

「戦わずして勝つと云う事だな」

「厭戦気分を増幅しよう。更に世界に広げる操作もせよ」

「よし。ではこれを実行することにしよう」

「誰がやる」

「誰でも適任だと思うが」

「強いて云えば、そう…彼だな」

「彼か」

「来るのか? いや、来れるのか?」

「もうすぐ来るそうですよ」


 程なく、警備から連絡が入り、彼が到着したことを知らせた。

「すみません。遅くなりました」

 会議室のドアが開き、一人の青年が入ってきた。

「待っていたよ」

「議長、彼こそが今回の任務に最適と判断します」

「判断の根拠は何だ?」

「彼はまれにみる、運の良い人間なのです」


注:
電磁パルス兵器。
電磁パルス(EMP, ElectroMagnetic Pulse)は、高々度の核爆発や雷などによって発生するパルス状の電波であり、核爆発のばあい、強烈なガンマ線が高層大気と相互作用することにより、広域にわたって発生する。その効果はケーブル・アンテナ類に大電流を流し、それらに接続された電子回路を焼き切ってしまうことである。この作用を軍事兵器として利用したものが電磁パルス兵器である。




第9話 「チョンファーレン帝国の反撃」

 天与の幸運、人事の幸運


 彼の名前はジュリオ・劉(リュウ)、20歳。IQ198。外交戦略部在籍5年と云う中堅であった。すらりとした体型に細面、黒い髪はやや長め、切れ長の眼が印象的である。

「ジュリオ。飛行機が墜落したと聞いたが、大丈夫か」

「ええ。パイロットの操縦が上手かったようで、何とか付近の飛行場に着陸できました。胴体着陸ですが」

「墜落の理由は?」

「戦闘機に攻撃されました」

「なんだって?」

「アイギスか?」

「たぶん…。我が軍のマークが付いていましたが、F22なんて持っていませんよね」

「ステルス機か。レーダーにはサバ缶の大きさにしか写らないと云う」

「そうそう。目の前にいるのにレーダーには写っていないと云う、恐い存在だ」

「インドラで作戦中のヤツだな」

「こちらの情報が漏れているようです。これは暗殺未遂ですね。他のメンバーも気を付けた方がイイ」

「保安レベルを上げよう」

「それはそうと、会議は終わったようですね」

「ああ。結論は見えているだろうが、軍事関係は報復攻撃案を採用、外交戦略は世界三分の計を採用、外交戦術はアイギス脅威論をベース、ターゲットはインドラとペートル。ヤマタイにはマスコミリーク攻撃…と云う結論だ。で、遊説者はキミだ」

「わたしですか?」

「キミはまれにみる運の良い男だ。それが理由だ。今回の撃墜事件が証明しているじゃないか」

「外務大臣はそれでOKですか?」

「無論だ。異存はない」

「了解です。では、外出してきます。会議の議事録は後で通信で送って下さいよ」

「先ずはどちらに行くのだ」

「インドラ帝国です」

「キミの肩書きは特派大使だ。危機を感じた国が普通に取るはずの行動だ。アイギスから見ても違和感はないだろう」

「護衛部隊も100人付けよう」

「幸運を!」


 ジュリオが空港に着くと既に特別機が用意されており、警護部隊を伴って一路インドラ帝国へと向かった。機内では送られてきた議事録を読み、何件かの指示を出した。やがてインドラ帝国に到着し、皇帝カルルに会う為、宮殿に入った。

「皇帝陛下。お久しぶりでございます。ジュリオです。今回は特派大使として参りました」

「おお。ジュリオ君か。久しぶりだな。で、今日は例の包囲同盟関係の話だな」

「ご明察の通りです。インドラ帝国は極めて危険な道に入ってしまったと考えます。そもそも陛下は、帝国にとって世界でどの国が最も危険であるとお考えですか?」

「そんな事は答えるべきではないが、他ならぬキミだ。実はキミの国こそが最も危険であると考えている」

「それはなぜでしょう?」

「国力の伸びが著しい。軍事力、経済力ともにだ。隣国の我が国としては、否応なく危険を感じざるを得ないではないか。しかも、すぐに国境線に軍隊を動かしたりして、極めて傲慢で威嚇的だ」

「ごもっともです。全ては我が国の手落ちであります。我が国のみならず、貴国と共に経済発展を成し遂げることが、この東アジアを豊かにする術(すべ)だと気付かなかったのです」

「ほう。それは具体的にどういう事か?」

「即ちです。世界で最も危険な国家はアイギス連邦です。
 お考え下さい。世界最大の軍事力、世界の軍事費の半分を消費する軍事大国、しかもGDPは全世界の28%を一国で生み出すのです。大量の兵器を外国に売って巨大なGDPを得ているのです。アイギスは正に死の商人です。戦争をけしかけ、緊張を生み出し、それをテコに大量の武器を敵味方無く売って生活しているのです。
 この様な国家が世界のリーダーになれるでしょうか? なれません。世界には常に戦争が起き、平和は決してやってきません。ではアイギスは貴国の友人になれるでしょうか? なれません。もしなったなら、貴国はアイギスの手先として戦争をする事になるでしょう。アイギスの金のために、貴国を焼くことになるでしょう。
 そのような国を相手に、どうして貴国は同盟など結んだのでしょう? それは我が国の手落ちが有った為です。我が国は自国の安全保障を得るために国を豊かにしようとしました。しかし、我が国の安全は自国だけでは得られないのです。貴国やペートル共和国と共に経済的発展をしてこそ、この東アジア全体の平和は得られるのです。それに気付きました。やっと気付きました。まことに申し訳ないと、我が皇帝も申しております。
 このまま包囲同盟を放置しておいては、東アジアの国々は共倒れです。経済発展に投下すべき資本を無駄な軍備につぎ込むのです。それで最も得をするのは誰でしょうか? アイギス連邦です。緊張を創り出し、武器を売りつけると云ういつものやり方です。我々はそのワナにはまっているのです。そして、この事態の行き着く先は東アジアの衰退です。我々は膨大な軍事負担のために喘ぎ、経済発展は失われ、果てしない軍備だけが残るのです。ひとかけらの平和すら残りません。そこに国家の発展はありません。そのすぐ側で、けしかけたアイギスだけが漁夫の利を得るのです。結局、我々はアイギス一人を豊かにする為に潰し合いを演じようとしているのです。
 こんな愚かな政治があって良いものでしょうか? 我々も愚かでした。だが、今からでも遅くないと思います。東アジア全体の発展を考え、包囲同盟からの脱退を考えていただきたいのです」

「いや。わたしもアイギスの危険性は気付いていた。しかし、貴国の恫喝的な行動とバレッタ大臣の説得が有ったために、ついアイギスの危険を忘れてしまった。だが、包囲同盟が生まれてしまった今、どうしようもないだろう。もし、我が国が脱退しようとしたら、アイギスの反撃は考えるも恐ろしいことだ」

「はははは。これは皇帝ともあろう方が何と些細な事に心を惑わされているのでしょう」

「些細ではないだろう。アイギスの怒りが我が国を襲ったら、奴らはペートルと組んで我が国を滅ぼすだろう。これ以上恐ろしいことなどあるまい」

「はははは。アイギスは決して貴国を攻めることなどできません」

「それはなぜだ?」

「世界三分の計を用います」

「世界三分の計?」

「その通りです。アイギスは確かに巨大な国家です。しかし、世界はアイギス1国のみで成り立っているのではありません。先ずエウロペ同盟があります。アイギスに対抗する為、彼らは同盟しました。その巨大さはアイギス以上です。アイギスが本当に畏れるのは最大のライバルであるエウロペ同盟です。
 更に、世界の勢力はアイギスとエウロペだけではありません。我々東アジアの国々があります。人口25億4千万人、常備軍460万人。我々が同盟を結びアイギスに対抗するとき、世界は3つの勢力の争いとなるのです。
 アイギスは世界制覇を狙っています。その為にはエウロペと東アジアを制圧しなければなりません。もし我々が東アジアの連合を作り、しかもエウロペ同盟と手を結んだらどうでしょう。
 アイギスがエウロペを攻めるときには、我々がアイギスを背後から襲います。また、アイギスが東アジアを攻めるときには、エウロペが背後から襲います。つまり、アイギスは挟み撃ちの形になり、東アジアもエウロペも制圧することができません。世界はようやくアイギスの野望を止めることが出来るのです。これこそが世界三分の計です。ですから、アイギスは貴国を攻めることが出来ないと申し上げたのです」

「…なるほど。世界三分の計か。可能なのか?」

「その為にわたしが貴国に参りました。皇帝陛下におきましては、我が皇帝の計画にご賛同を頂ければ十分でございます。ペートルとの交渉、エウロペとの折衝はすべてわたしが行いますので」

「計画が上手く行きそうなら参加しても良いが、失敗したら我が国の破滅だ。包囲同盟からの脱退は出来ない」

「そこまでアイギスを畏れていらっしゃるとは。では、包囲同盟の力が実はそれほどではないと云うことを証明いたしましょう」

「なんだと。まさか」

「まだ外務省から情報が入っていませんか? ではTVを付けてみて下さい。ヤマタイでは包囲同盟関係で大きなスキャンダルが起きていますよ」

 皇帝は早速従者を呼び、執務室に備え付けの大型液晶TVを付けた。そこでは、ジュリオの云うとおり、ヤマタイ自治共和国での大スキャンダルが報じられていた。

「アイギス連邦の新聞社が大スクープを発表」

「ヤマタイ自治共和国の複数の高官が認めた情報によると、包囲同盟参加に際して那須香首相は、ヤマタイ自治共和国の軍事的活動を敢えて自ら希望し、アイギス連邦はそれを認めた」

「同じく、ヤマタイ自治共和国の複数の高官が認めた情報によると、包囲同盟参加に際して那須香首相は、見返りに緩衝地帯の領有或いは統治をアイギス連邦に求めた。アイギス連邦はこれを拒否」

「同じく、ヤマタイ自治共和国の複数の高官が認めた情報によると、包囲同盟の先制攻撃があった場合、チョンファーレン帝国は大量破壊兵器によりヤマタイ自治共和国及び緩衝地帯を攻撃する計画を決定した」

「この情報に対して、ヤマタイ自治共和国政府報道官は全面的に否定すると共に、これはチョンファーレン帝国の情報戦であると断定した」

「ヤマタイ自治共和国政府は国民に対して次の様に説明している。包囲同盟加盟はアイギスから押しつけられた要求であり、アイギスとの安全保障条約の関係からこれを拒否することは出来なかった。所謂ガイアツに責任を転嫁している」

「一方、ヤマタイ自治共和国政府は政権党の公式集会の中で、包囲同盟はヤマタイ帝国復活の好機であり、包囲同盟での活躍が帝国の未来を開くのだと云っている。また、ヤマタイが血を流せば流すほど国際社会に於ける地位は高まり、失われた領土の復活も夢ではないと発言している。これはスクープ情報と一致している」

「同じく、ヤマタイ自治共和国政府は政権党の公式集会の中で、包囲同盟に於いて軍事的活動を行うことと憲法との関係に関して次の様に発言している。改憲を予定しているので集団的自衛権はおろか戦争すら問題ないと」

「このスクープに対して、緩衝地帯の国民、ヤマタイの野党及び国民はヤマタイ政府に対して激怒している」

「自ら進んで戦争を引き起こそうというヤマタイ政府の意図は極めて危険な侵略主義的発想である」

「しかも過去の侵略主義的発想を反省することもなく、そのままに緩衝地帯を領土化しようという野心は世界平和の敵である」

「その野心を隠すためにアイギスの外圧だと言い訳するその卑劣さは政権として許し難い」

「ヤマタイ野党は統一して与党及び政権を打倒するとしており、全国規模のストライキ及びデモを実施する予定である」

「これに対してヤマタイ政府は、チョンファーレン帝国の謀略であり、武力でこれを鎮圧すると明言している」


 ジュリオは皇帝カルルの呆然とした顔に向かって云った。

「これが我がチョンファーレン帝国の力なのです」

 皇帝カルルの反応を確認してから続けた。

「包囲同盟の一角は既に崩れました。ヤマタイは当分包囲同盟どころではないでしょう」

「しかし、デモくらいでは政府は倒れないだろう」

「デモで死者がでます。なにしろ武力鎮圧ですから、その程度の事故は当然発生します。デモは過激化し、ヤマタイにあるアイギスの基地周辺にまで及びます。アイギスは当分の間ヤマタイを基地に使う事が出来ないでしょう。政府はその責任を負って倒れます」

「そうか。そこまで君たちは工作できるというのか」

「全てはヤマタイの愚かな選択が招いた事なのです。ヤマタイの国民は怒っています。これが原動力です」

「我が国が貴国の云う事を聞かなければ二の舞と云う事か?」

「まさか。陛下はヤマタイ政府のように愚かではいらっしゃいません。ですから、正しい選択をして頂けると信じております」

「どうしろというのだ。やはり同盟からの脱退か」

「それは陛下が望まれておりませんので、同盟へのサボタージュをお願いしたい」

「サボタージュ…でいいのか?」

「同盟の機能が低下すればそれで良いのです。必ずしも脱退と云った強い意思表示だけが良いとは限りません」

「それならば、わたしも気が楽だ。いいだろう。貴国の要求を呑もうじゃないか」

「有り難き幸せに存じます。ところで、陛下の側近に不穏な連中が居ることをご存じですか?」

「ああ、アイギスから推薦された大臣たちか」

「アイギスから買収された彼らを見逃しておくと良からぬ事をするやも知れません。如何ですか? お任せ願えれば、わたしの方で彼らを片付けておきますが」

「いや、別に彼らがわたしを脅かしているわけではないのだ」

「しかし、奴らはスパイですぞ。全ては陛下とインドラ帝国の為です」

 ジュリオは皇帝カルルに顔を近付け、切れ長の眼に鋭い光をたたえながら云った。

「まァ確かに危険だな。ではお願いしよう」

「かしこまりました」




第10話 「ヤマタイ自治共和国の迷走」

 大国を隣国に持つ小国は謙虚でなければ危うい。


 その時、バレッタは太平洋上空にあった。チョンファーレン帝国がインドラ帝国に特使を派遣したと云う情報にかすかな不安を感じたため、インドラ帝国のタガを締め直すのである。  空飛ぶ包囲同盟司令部。ボーイング747の特別仕様機であり、大統領専用機に似た造りとなっていた。世界中の情報をリアルタイムで収集・処理でき、命令を世界中に下すことが出来る。護衛として、AWACS(空中警戒管制機)1機と長距離戦闘機10機が周囲を警戒しており、必要な場所では空中給油も可能になっている。
 バレッタが送られてきた情報を執務室でチェックしているとき、バレッタ親衛隊隊長マールスが入ってきた。

「閣下。ヤマタイ政府がマスコミによる攻撃を受けています」

 バレッタは視線を上げて、マールスに対応した。

「情報を」

「アイギスのマスコミにより、ヤマタイ政府の領土的野望が暴露された。これは盗聴内容のマスコミリークです。犯人はチョンファーレンに間違い有りません。信頼性は90%以上です」

「なるほど」

「これに対して、ヤマタイ国民と緩衝地帯国民が激怒。チョンファーレンの扇動も入っています。大規模なデモが始まりつつあります。また、我が国の基地に対する妨害活動も開始されています」

「ヤマタイ政府の対応は?」

「総理大臣那須香は武力鎮圧を宣言していますが、他の閣僚及び実働部隊の指揮官は批判的です。流血が起きれば、事態は一段と悪化するとの判断です」

「当然の判断です」

「政府内の意思は分裂し、収拾がつかなくなりつつあります」

「那須香ではこの事態を乗り切れないか?」

「我がチームのシミュレーションでは、首相の引退しか解決の手段はありません」

「命令!」

「ハッ!」

「ひとつ。包囲同盟司令部は目的地を変更する。直ちにペートル共和国に向かう」

「了解!」

「ふたつ。ヤマタイ自治共和国及び緩衝地帯にあるアイギス連邦基地は第1級非常事態体制に入れ」

「みっつ。第7艦隊はヤマタイ自治共和国及び緩衝地帯にあるアイギス連邦基地の安全な使用を確保するために、必要なあらゆる手段をとる準備をせよ」

「それと、那須香首相を呼び出せ」


 間もなく、大型モニターに那須香首相の疲れ切った顔が現れた。

「バレッタ閣下。火急のご用件とのことですが」

「貴国にあるアイギスの基地周辺では妨害活動が生じているとの情報がありますが、事実ですか?」

「…一部でその様な動きがありますが、警察及び軍隊を動員して鎮圧する予定です。ご安心を」

「判りました。信じましょう。但し、基地への乱入や妨害活動が有った場合、我が国は実力で基地周辺の治安を確保しますので、予め通告しておきます。また、我が軍の基地防衛行動により生じたあらゆる問題は貴国の治安能力不足によるものですので、これも予め通告しておきます。以上です」

 大型モニターの画質でも、那須香首相の顔色が土気色に変わったことが鮮明に判った。

「うぐ…わ、判りました。全力を尽くします」

「努力よりも結果をお願い致します。では…」

 通信は終わった。

「マールス。ヤマタイの防諜はどうでしたか?」

「例によって、学習能力が無いというか、世界中に垂れ流しです」

「予想通りですね。困った連中です」

「閣下。那須香首相はどう行動するとお考えですか?」

「彼の内閣は倒れるでしょう」

「それはどうして?」

「もし、彼の云うように軍隊を動員してデモ隊を鎮圧するのなら、大量の流血により事態は一段と悪化するでしょう。それはヤマタイの大臣達の想像と同じです。事態が悪化すれば、基地周辺の治安はもっと悪化するでしょう。彼は責任を取って退陣しなくてはならなくなります。また、彼の命令を軍隊が聞かないとすれば、基地周辺の治安は保てません。彼はやはり責任を取って退陣しなくてはならなくなります。どうです? どっちにせよ、彼は退陣することになります」

「確かに、その通りであります。では、基地周辺での戦闘は必至ですか?」

「それはありません。那須香首相が退陣することにより、事態は沈静化するでしょう。但し、騒ぎが完全に収まり、基地が完全な機能を発揮するまでには1週間ほど必要になると思います」

「閣下。もう一つ宜しいでしょうか?」

「何でしょう?」

「目的地をペートルに変えた理由ですが」

「チョンファーレンの特使がインドラに行ったのと時を同じくして、チョンファーレンがヤマタイに仕掛けた。これは偶然ではありません。インドラへの見せしめとして、ヤマタイを使ったのです。つまり、インドラは既にチョンファーレンの説得に応じたと見て良いでしょう。となれば、今、重要なのはどこでしょうか?」

「…判りました」


 こちらはヤマタイ自治共和国政府である。臨時閣議を開催中である。

「アイギスのバレッタ大臣は基地の安全を確保しろと云ってきているんだ。確保できないのなら、アイギス軍の力で周辺を攻撃制圧する積もりだ。死者は1万人じゃ済まないぞ」

「そんな事態になったら、次の選挙は戦えないぞ」

「で、全ての責任は我々ヤマタイにあると」

「奴らの言い分は当然だ。そう云う契約で同盟に入ったんだから」

「あんな同盟に入るから、こんな問題が起きるんだ」

「今さら、そんな話をしても仕方ないだろう。前向け、前」

「軍隊を治安出動して、なんとしてでも基地周辺の治安を確保するんだ」

「軍としては、お断りだな。大半の国民が反対している。我々は国民の側に付きたい。国民を守るべき軍隊が国民を殺す事は出来ない」

「何を云ってる。さんざん殺してきたじゃないか」

「そんな昔の話をしてるんじゃないだろ。貴様、もう一度云ってみろ」

「いいかげんにしろ」

「大体、首相が悪い」

「そうそう。昔の領土を返せなんて云うバカが何処にいるのか」

「しかも、自分から戦争させろと云っているし」

「あの発言で国民を敵に回してしまったんだ」

「首相の発言のせいで、国民が怒っているわけだから、責任は首相が取るべきだ」

「そうそう。国民の怒りを解くには、首相が辞任するしかない」

 那須香首相は身体を震わせながら叫んだ。

「貴様。内閣のメンバーなんだろ。なんて言いぐさだ」

「へ。連帯責任なんてまっぴらだ」

「だいたい、首相官邸は盗聴されっぱなしじゃないか」

「セキュリティって知ってんのか?」

「こう云っちゃナンですが、盗聴器が少なくとも200個も付いているんですよ。これは建設当時から組み込まれたに違いない」

「盗聴よりも、バカな発言をした人間の話をしているんだ」

「恥を知れ、恥を」

「腹切れ、腹!」

「お前。いやしくもオレは首相だぞ。なんて事を云うんだ」

「たかが属領の飾り首じゃないか。サルでも出来るぜ」

「政権党も悪い」

「何がヤマタイ帝国の復活だ」

「100年前で脳味噌が止まっちまっているんだよ、あいつらは」

「普通に戦争の出来る国だと?」

「誰だよ、血を流せば流すほど国際社会に認められるんだとか云ったバカは?」

「どうせ、自分の一族は絶対に血を流す気はないんだろう」

「そりゃ当然だ。なにせ我々はエリートなのだ。ヤマタイの支配者。遺伝子からして兵隊とは違うのだよ」

「愚かな国民にはそれが分からんのです」

「国民は愚かが一番!」

「高みの見物ってヤツだな」

「話をまとめよう」

「治安出動はいやだ。それで良いな」

「当然だ。国民の9割以上が反対しているんだ。国民の敵になりたくない」

「混乱の原因は首相だ。それで良いな」

「OK」

「選挙に勝てない」

「議員が好き。普通の人になるのはイヤだ」

「よって、この事態を収拾するには首相の辞任が必要である」

「その通り」

「と云う事で、那須香首相。あなたには辞任してもらうしかない。これが大臣の総意です」

「国家のために、首相は死ななければならない」

「これがホントの責任内閣」

「あなたの犠牲は永遠に讃えられるだろう」

 那須香首相は椅子から立ち上がって吠えた。

「き、貴様ら。なんと云う無責任で愚劣な連中だ」

「自分で腹が切れないと云うのなら、我々が切って差し上げましょうか?」

「那須香さんよ。自分の不始末は自分で片付けろよな」

「我々にとって、いや、我が国にとって、あなたは迷惑なんですよ」

「お、おのれ。組閣の時、お前達はさんざんわたしに媚びていたくせに、今、この様な破廉恥忘恩な事をやりやがって、このままで済むと思うなよ」

「いいかげんにしろよ、那須香さんよ。時間がねえんだよ」

「新首相は国務大臣の旭野くんが昇格でいいな」

「異議なし」

「じゃあ、早速にアイギスに連絡して、この異動の承認をもらえ」

「了解」




第11話 「激突!ペートル共和国」

 競り合って勝ってこそ、真の強さ


 ヤマタイ自治共和国の政府が倒れ、新政権が発足したとの情報は世界を走った。
 新総理大臣旭野は包囲同盟を堅持する事を明言したが、軍事的な支援を撤回、あくまで包囲同盟の補給基地の役目に徹することを宣言した。これは元々バレッタ司令長官が望んでいたことなので、即座に承認された。旭野首相は更に、旧領土の復活に関する前政権の発言を全面否定すると共に、前首相及び政権党首脳数百人を国家反逆罪及び国家転覆罪の容疑で拘束中であることを明らかにした。  これを受けて、緩衝地帯及びヤマタイの人民は平静を取り戻し、アイギス基地に対する妨害活動も止んだ。しかし、包囲同盟の受けた影響は小さくない。最大のショックは包囲同盟の力が思ったほどではないと云う、致命的なイメージ低下であった。更に、チョンファーレン帝国が世界の隅々まで食い込んでいると云った見えない畏怖が急激に力を持ち始めた。
 包囲同盟は形の上では破綻していない。でも、現場では異変が起きている。まず、インドラ帝国の動きが鈍い。包囲同盟司令部の指示が正しく伝わらないし、実施されても納期を無視している。皇帝は部下を叱って督促しているが、何ら効果はないとのことである。何しろ、20人に及ぶ大臣の入れ替えがあり、チョンファーレンの息の掛かった大臣が大半だと云われている。しかも、前の大臣達はその後消息不明のと噂が絶えない。
 次に、ヤマタイ自治共和国は軍事的支援を停止し、補給基地に専念している。これはこれで良いのだが、26万人の軍事的圧力が無くなったと云う事実はチョンファーレンを大きく力づけている。包囲同盟による、チョンファーレン国境線付近の軍事拠点整備はそう云った雰囲気の中、遅々として進まない状況となりつつある。

 バレッタ司令長官はこの状況下、ペートル共和国に到着した。

「既にチョンファーレンの特使がババチコフ首相に会っているとの情報です」と、マールス隊長が伝えた。

「特使は具体的に誰ですか?」

「チョンファーレン外務省外交戦略部主任ジュリオ・劉(リュウ)です」

 バレッタは露骨に不機嫌そうな顔をした。

「イヤなヤツが来たわ」

「ご存じですか?」

「昔、会ったことがあります。世界に百人は居ない、外交の天才ですね。しかも類を見ない強運の持ち主です」

「これからどうなさいますか?」

「すぐにババチコフ首相に会わなければなりません」

「今すぐにですか?」

「その通り。一刻を争います」

「ババチコフの所在を確認します。…宮殿には居ません。ジュリオと外出したとの事です」

「…先を越されましたね。でも確認しましょう。我々は宮殿に向かいます」

 黒塗りの特殊装甲ベンツ3台が専用機から降ろされた。それらは空港まで迎えに来たバレッタ親衛隊の車と合流し、タイヤを鳴らしながら、宮殿へと向かった。

 ババチコフは宮殿の奥深い一室で、ジュリオと話し込んでいた。

「確かに、キミの云う通り、アイギスこそ最も恐るべき国だ。それは最初から判っていた。漁夫の利を得るのは奴らであって、我々はエウロペ同盟と戦わされ、また東アジアの国同士も戦わされ、結局は亡びてしまうだろう。最後まで残り、世界を我が手にするのはアイギスになるだろう。それは許し難いことだ。
 更に、世界三分の計。これは見事だ。この計画を実現すれば勝てるかも知れない。我々も協力したい。サボタージュと云わず、我々は包囲同盟を脱退しても良いと考えている。
 ただ一つ問題が有る。それは、君らチョンファーレンの脅威だ。これを解消しないことには、我々は安心してアイギスを敵に回すことは出来ない。アイギスと向かい合っているときに後ろから君たちに撃たれたら、我々はおしまいだ」

「閣下。我が国に対してご不審を持っていらっしゃるのは良く判ります。全ては我々の外交の責任です。自国の繁栄よりも東アジア連合の繁栄をこそ、優先すべきでした。これは我が皇帝も心から謝罪しています。そこで、我々が東アジアの覇権を狙っているのではない事を証明するため、東アジア連合の盟主をペートル共和国にお願いしたいのです」

「なに? 東アジア連合の盟主を我々に…?」

「その通りです」

「良いのかね? 東アジア連合は世界3大勢力の一つとなる、巨大な力だぞ」

「だからこそ、です。閣下の外交力により、東アジアを一つにまとめ上げ、アイギスに対抗出来る勢力としたいのです」

 ババチコフはぎらりと輝いた眼を隠す為に、やや黙想し、上気した顔で眼を見開いた。

「…いいだろう。我が国の力を試してみたい」

「その際、ヤマタイも東アジア連合に加えるべきと考えますが」

「確かに、ヤマタイも入ってくれると力強い。何しろGDPでは世界第2位だからな。しかし、あそこはアイギスの属領であり、大臣はアイギスのスパイや日和見主義者ばかりだ。云う事を聞くまい」

「恫喝により怯えさせ、独立国になる事をエサにし、道理を以て東アジア連合の利を説けば、可能かと」

「そうか。そうだ、キミに任せる。交渉をまとめてくれないか?」

「は。閣下の代理として、交渉して参りましょう」

「うむ。頼む」

「では、包囲同盟離脱の件、決まりと云うことで宜しいでしょうか?」

「そうだ。決まった」

「バレッタ司令長官がこちらに向かっているようですが」

「うるさい女だ。だが、我が国のハラは決まった。最後通告して追い返してやろう」

「よろしくお願い致します。では、わたしはこれから、閣下の命によりヤマタイに向かいます」

「頼むぞ」

 ジュリオはババチコフ首相に一礼すると、退出した。室外に待機していた警備隊を伴い、広い廊下を足早に移動した。

「まもなくバレッタが来る。ババチコフが変心しないか盗聴しろ」

「はっ」

 薄暗く遠い廊下の先に動きが見え始めた。どうやら20人ほどの人間がこちらに向かってくるようだ。ジュリオは隣の警備隊長に聞いた。

「隊長」

「はっ」

「キミは登山をするか?」

「…はい。得意な分野ですが」

「山道は狭い。キミが下山中に登ってくる人達を見掛けたら、どうする」

「ぶつからない様に、我々が道をあけます。登山者優先ですから」

「そうか。では、我々も道をあけよう」

 ジュリオは立ち止まり、廊下の壁を背にした。続く警備隊もそれに倣った。

「みんな。バレッタ閣下のご尊顔を拝見しておけよ」

「え? では、あの連中が?」

「撃たないのですか?」

「おいおい。キミたち。ここはペートルの宮殿だぞ」

「…そうですね」

 警備隊員は夏でも冬でも全員黒のロングコートを着用している。その下には、近接戦闘火器である、ヘックラー・ウント・コッホの短機関銃MP5、MP7とか、ファブリックナショナルのP90が装備されている。その時が来れば、1秒間に1千発の銃弾が飛び交うことになる。彼らは引き金に指をかけたまま、廊下の壁に並んだ。異様な光景と云えばそうだが、数10人がすれ違って銃をガチャガチャ鳴らすよりはましであろう。バレッタと親衛隊は、その一団に差し掛かった。バレッタが射抜くような視線をジュリオに飛ばした。ジュリオもバレッタの眼に視線を送った。その時の気迫で、他の連中は廊下に照明が灯ったような気がした。みな、銃の引き金に力が入った。が、バレッタたちはその脇を走るように過ぎ去った。

「さ。行こうか」

 ジュリオは出口に向かった。

 一方、入り口で暫く待たされたバレッタは、ようやくババチコフ首相と会談を始めた。

「バレッタ閣下、今日はどう云ったご用件でしょうか」

「貴国に対するチョンファーレン帝国の恫喝を除くためです」

「確かに、先ほど、チョンファーレンの特使がお見えでした。我が国が呼んだのです。我々は東アジア連合の結成に同意しました。これに伴い、包囲同盟からは脱退いたします」

「東アジア連合…ですか? それはどんなものでしょうか?」

「まだ公にする時期ではありません」

「加盟国は、貴国とチョンファーレンと、他に何処でしょうか?」

「それはいずれ明らかになるでしょう」

「チョンファーレンの脅威をお忘れですか? 彼らと同盟を組んだら利用されるだけです。何の得にもなりませんよ」

「それには答える必要がありません」

「貴国が包囲同盟に留まるにはどう云った条件が必要でしょうか?」

「条件など有りません。とにかく、我々は包囲同盟から脱退する。ハデス大統領によろしくお伝え下さい」

 質問の隙を与えず、同盟脱退通告だけをされて、バレッタたちは空港に戻るしかなかった。バレッタ親衛隊隊長マールスが聞いた。

「閣下。やっぱりさっきのジュリオとか云う外交官のやった事でしょうか?」

「間違い有りませんね。あれだけの短時間でペートルをひっくり返すとは、恐ろしい敵です」

「やっぱり、あの時射殺すべきだったのではないですか?」

「ふふ。相手も同じ事を考えていたようですよ。物凄い殺気でしたから」

「それはともかく、これで包囲同盟は事実上崩壊ですね」

「詰めが甘かったかな…」

「閣下。私たちは心配しています。責任が閣下に降りかかってくるのではないかと。更に、閣下を失脚させようとする勢力がアイギスにあります。彼らがこの機に動き出す可能性は高い。それも心配です」

「ありがとう、心配してくれて。あなた達の心配はわたしも既に知っています。でもピンチの後はチャンスと云うじゃないですか」

「そうありたいです、閣下。何れにせよ、我々はあなたを守ります」




第12話 「バレッタの失脚」

 外交最大の敵は内政


 時間はバレッタがアイギスを離れたときに少し戻る。

 チョンファーレンの特使がインドラ帝国に向かったと云う情報を得たバレッタは、インドラに向かう準備を始めた。チョンファーレンの反撃の予感がしたからである。それは結果的に当たり、当たるどころか、包囲同盟崩壊の前兆だったわけだが、バレッタは後顧の憂いをなくすため、ハデス大統領に釘を刺しておいた。

「大統領閣下。では包囲同盟司令長官として、インドラ帝国に出発します」

「ご苦労だが、よろしく頼む。チョンファーレンもこのまま大人しくしているはずはないからな」

「そこで大統領。こんな話があります」

「ほう。いつもの謎々か」

「ある人が、この建物の中に虎が現れたと云いました。閣下は信じますか?」

「おろかな。こんなところに虎が現れるはずあるまい。信じないな」

「別な人がやってきて、同じ事を云いました。閣下は信じますか?」

「いや、信じられない。何かの間違いだと思うだろう」

「また別な人がやってきて、同じ事を云いました。閣下は信じますか?」

「3人が3人とも同じ事を云うのだ。信じよう」

「そもそも、この建物の中に虎が現れるはずなどありません。しかし、3人が同じ事を云うと、閣下ほどの聡明な方でも信じてしまいます。わたしはインドラに出かけますが、留守の間にわたしの行動を疑り、閣下に誹(そし)る者は3人では済みますまい。閣下に於きましては、先ほどのエピソードを思い出していただき、わたしの行動にやましい事が無いことを信じていただきたいのです」

「バレッタ君は我が国の名誉を高めるために行動してくれている。それはわたしが一番知っている積もりだ。キミは心配することなく、職務に専念してくれ」

「ありがとうございます」

 さて、アイギスは成果主義の国柄である。外国から来た野球選手でも、活躍している間は熱烈歓迎してくれる。外国、それもかつての敵国から来たロケット科学者でも、国の名誉を賭けた月ロケットの開発を任せてくれる。しかし、一旦彼が不要になれば、その捨て方は過酷である。職場と予算を取り上げ、しかもかつて敵国では誰でもやっていた事をネタに名誉を剥奪するなど平気でやってのける。
 そんな国柄でバレッタの行動はどう評価されるかが問題である。アイギスの最大のライバルに注力する為、2番目のライバルであるチョンファーレンを東アジアごと衰退させる作戦は見事に成功したかに見えた。しかし、チョンファーレンは逆襲し、逆に世界の勢力をアイギス連邦、エウロペ同盟、東アジア連合の地域同盟に三分するという計画を仕掛け、その計画は完成しつつある。
 バレッタの作戦は失敗した。作戦が上手く行っており、アイギスの名誉が高められているのなら、膨大な予算と巨大な権力を与えていても良いだろう。だが、一旦失敗したのなら、最早彼女に用は無い。予算も権力も奪い取り、彼女をボロ切れのように捨てる時がやってきたのではないか。大統領がそう判断しても良いのではないか。そのように考える勢力が、アイギス政府内には充満している。
 バレッタの成功に対しては、彼らは拍手と讃辞と祝福を送った。内心の嫉妬心やら焦りは愛国心という仮面で隠されていた。しかし、バレッタの成し遂げた包囲同盟にほころびが生じた。ヤマタイ政府の失態と大規模なデモ及びアイギス基地に対する妨害である。しかも、時を同じくして、インドラ帝国では大規模なサボタージュが組織的に行われているとの深刻な情報も流れつつあった。包囲同盟は大丈夫なのか?司令長官のバレッタはこの事態を収拾出来るのか?外野の関心はそこに集まった。国家にとってまだ大した事態ではないと考える人々と、これはチャンスだとほくそ笑む人々がいた。

 話を戻そう。バレッタがインドラ帝国に向かって出発した直後、外務省の副大臣が早速ハデス大統領にすり寄った。

「大統領閣下。お耳に入れておきたいことがあります」

「なんだ?」

「はい。バレッタ大臣のことですが」

「彼女がどうした?」

「はい。包囲同盟の件を大臣に任せておいて宜しいのでしょうか?」

「彼女は適任だと判断している」

「そもそも彼女はチョンファーレンの血を引くものです。私が密かに調査しました結果、彼女には親族がおり、それはチョンファーレンに棲んでおります」

「で?」

「大臣の作戦はそのチョンファーレンに対するものです。お考え下さい。親族が居る国に対して攻撃など出来るものでしょうか?」

「現にやっているではないか?」

「いえ。手加減している。いや。もっと云わせていただけば、チョンファーレンと気脈を通じて劇を演じていると云う危険性があります」

「それを云ったら、実は君がチョンファーレンと気脈を通じて、大臣を失脚させようと動いていると云えるのではないのかね? 一番得をするのは、チョンファーレンだし。まァ、冗談だ。忘れてくれ」

「はい。確たる根拠もないのに、申し訳有りませんでした。ただ、もう少し云わせて頂きますなら、大臣の権力は膨大です。包囲同盟の責任者も影ではこう云っております。4国の軍事力を動かせる大臣の権力は、失礼ながらハデス大統領を超えると」

「そりゃまあそうだろう」

 さりげなく流したが、副大臣は、ハデスの眼の中に不愉快なものを見て取った。やはり権力が上回るというのは我慢ならん事だろう。これは効き目がありそうだ。

「そうそう、実に不愉快なことがございました。インドラの大使館に行ったときの話です。私が大使館に入りましたら、インドラの大使以下、主要なメンバーが勢揃いでした。応接室に通され、香ばしい紅茶や珍しい菓子などが並べられました。で、私が早速、大統領の代理として参りましたと云った途端、どうなったとお思いですか?」

「さあ?」

「なんだ。大統領の代理か。てっきりバレッタ大臣の代理かと思ったと云われ、大使はさっさと退席してしまいました。しかも、紅茶は安物に替えられ、菓子はなくなりました。私の相手はインドラの書記になってしまいました」

 ハデスの顔色が変わった。

「けしからん」

「はい。実にけしからん連中です。一事が万事、この様な有様で、今やアイギスを代表するのはバレッタ大臣と思われているようです。いや、これは失礼しました。余計な話をお耳に入れてしまいました」

「いや。現場の話は聞いておきたい。また、何かあったら聞かせてくれ」

「はは。かしこまりました」

 会心の一撃。副大臣はほくそ笑んで退出した。執務室に戻ると、電話した。

「ああ、私ですが。例の件、思ったより上手く行きましたよ。今がチャンスですよ」

 ハデス大統領はぷりぷりしていた。バレッタは大統領を蔑(ないがし)ろにし、自分が世界の王になろうとでもしているのではないかと云う恐怖感に苛立っていた。

 翌日、事態を一層悪化させる情報が入った。ペートル共和国が包囲同盟を離脱するようだとの情報である。包囲同盟に大きな打撃を与えるこの情報は、楽観的な人々を失望させ、バレッタの不幸を喜ぶ人々に行動を促した。
 早速、大統領を訪れたのは、国防大臣である。4国の防衛を指揮するバレッタ司令長官の登場により、己の地位が下げられたと感じ、バレッタに強烈な不快感を持っている人物である。

「大統領閣下。お話があります」

「なんだ?」

「包囲同盟の件です」

「ペートルが離脱すると云う、あの話か?」

「その通りです」

「チョンファーレンに遣り手がいるようだ。バレッタ司令長官を出し抜くとは」

「私の入手しました情報によれば、事実は異なります」

「なに? どう云うことだ」

「バレッタ長官はペートルに到着する時間をわざと遅らせ、チョンファーレンの工作を手助けしたとあります」

「なんだと? そんなバカな」

「これは事実です。しかも、バレッタ長官とチョンファーレンの特使とは顔見知りだと云う情報です」

「なんだと?」

「これは長官自ら認めています」

「どう云うことだ。バレッタ長官の行動には疑問がある」

「閣下。そこですよ。私も疑問を持っています。これは想像ですが、ひょっとして長官はチョンファーレンのスパイなのではないですか?」

「おい。君。それは暴言だぞ」

「いえ。数々の証拠がそれを裏付けています」

「云ってみろ」

「まず、先ほどの2つ。わざと遅れた。顔見知り」

「うん。それは判った」

「次に、ヤマタイの件です。ヤマタイの前の首相との会見の時、チョンファーレンの盗聴が判っていながら、ヤマタイの首相に失言をさせた。これが混乱の原因となったわけですから、つまりは、長官がヤマタイの混乱をわざと引き起こしたと云うことです」

「それはちょっと強引すぎるのではないのか? それは結果論だろ」

「そうでしょうか? 結果を導くために頭の悪いヤマタイの首相を利用したとすれば、十分に意図的だと思いますが」

「確かに、結果の重大性を考えれば、そう云った芝居も有り得るな」

「納得していただきまして、有り難うございます。次にインドラ帝国のサボタージュの件です」

「うむ。これも聞いている。大規模かつ組織的で、包囲同盟の活動に障害となっているそうだな」

「はい、事態は重大です。そこです。インドラのサボタージュを黙認しているのは一体誰でしょうか?」

「皇帝は督促しているそうだが」

「閣下。それはフリですよ。連中は組織的にやっている。私の部下に尋問の専門家が居るのですが、彼が現地で調査した結果、どうやら上層部からの指示が出ているようです」

「上層部から?それは誰だ?」

「皇帝ご本人です」

「なんだと。本当なのか?」

「事実であります」

「そんな重大な話はバレッタから聞いていないぞ」

「もちろんそうでしょう。なぜなら、バレッタは大統領に秘密にしているからです」

「なぜだ」

「知られると不都合だからです。それは自分の失敗になると云った単純なことではなく、バレッタの作戦だからです」

「バレッタの作戦?」

「そうです。バレッタはインドラがサボタージュをしていることを黙認しているのです。なぜなら、包囲同盟を破綻させ、チョンファーレンの利益を図ることがバレッタの最終目的だからです。つまり、これがバレッタこそチョンファーレンのスパイだという根拠です」

「うーむ。これは実に重大な事だ。事実を確認しなければならん。バレッタだ、バレッタを呼べ!」

「事実を確認する方法があります。こうしたら如何ですか? バレッタにやましいことが無ければ、命令に従って帰国するでしょう。当然です。だが、もしバレッタにやましいことが有れば、作戦の途中であるとか云って、逃げようとするでしょう。もし逃げようとしたら、大統領はバレッタを解任すれば宜しいのです。逮捕から先は私がやります。如何ですか?」

「見事だ…。それで行こう。早速バレッタに連絡を取りたまえ」

 その時、バレッタはペートル共和国の空港にあり、ジュリオが向かったと思われるヤマタイ自治共和国に向けて出発しようとしていた。ヤマタイまでジュリオの手に墜ちたら、包囲同盟は完全に終わりだからだ。

「司令長官。本国から緊急通信です」

「繋いで下さい」

 画面に映像が出た。

「国防大臣のレーダーだ。大統領の代理として命令する」

「大統領の代理?」

「外務大臣バレッタは直ちに本国に帰還せよ。これは命令である」

「閣下。本国へ帰還せよとの事ですが、ヤマタイ自治共和国が危険な状態であります。包囲同盟の維持の為に、すぐに向かう必要があります。よって、本国への帰還はそれが終了してからにお願いしたいのです」

「なに? 命令を聞けないと!」

 レーダーは大袈裟に驚き、動揺したような仕草をした。

「命令には従いますが、実施時期を遅らせて頂きたいのです」

 レーダーは目を伏せ、非常に残念そうな顔を作り、次に毅然と画面を見据え、宣言した。シェークスピアも真っ青の見事な演技である。

「大統領の命令を伝える。バレッタ・超(チャオ)は現時点を以て、包囲同盟司令長官及びアイギス連邦外務大臣を解任する。尚、国家反逆罪の容疑があるので、直ちに身柄を拘束する!」

「い、一体、なにを!」

 さすがのバレッタもここまでの想定外な事態は予想できなかったとみえ、狼狽を隠せない。そこへバレッタ親衛隊隊長マールスが飛び込んできた。彼の狼狽もひどい。

「バレッタさん、大変だ! 味方に包囲されている」




第13話 「ヤマタイ自治共和国の離反」

 トドメを刺せるときには、躊躇してはならない。


 ペートル空港に駐機しているバレッタの司令機は数百人の特殊部隊によって包囲されていた。黒く光る特殊な防護服を付けた彼らは正式には大統領警護隊と云う組織だが、通称では「大統領親衛隊」、あるいは、「黒いハンマー」と呼ばれている。
 シークレットサービスと競合する組織だが、アイギスでは組織の競合は敢えて行われている。アイギスの官僚連中の意識では、競争原理こそが組織の健全な発達を保証するものであり、単一の組織に単一の業務を任せると、腐敗堕落が発生すると信じられている。よって、大統領警護と云う目的に対しては、シークレットサービス、大統領警護隊、陸軍特務警備隊と、3つの組織が連絡も協調関係もなく、互いに勝手に動いているという状態である。
 今回、大統領警護隊がバレッタ拘束に動員されたのは、たまたまペートルで大統領警護の事前調査をやっていた事による。何れにせよ、バレッタとその親衛隊は拘束目前となった。
 バレッタは、瞬間的に状況を把握した。つまり、これは大統領が虎を信じたと云うことであった。首謀者は大統領の代理にまで成り上がった国防大臣レーダーとみて良いだろう。冷血非情、目的万能主義との評判の彼が政敵の失脚を実行した場合、逆襲を防ぐ意味から、弁明や弁解のチャンスは与えないだろう。解放と引き替えに自分の罪を認めるか、それとも誰一人聞く者もない密室で潔白を主張しながら、精神が崩壊するのを待つかの選択となるだろう。何れにせよ、最大の庇護者と思われた大統領の信頼が失われた事で、自分が元の地位に復帰することは望めないだろう。
 正念場である。ここでの動きが、これからの自分の運命を決定的に変える事になるだろう。

 逃げるか? 身柄拘束を避けるために、司令機を無理矢理飛ばして、他国に逃げる。例えば、チョンファーレンに亡命とか。だが、それでは、自分がスパイだと認める様なものではないか。レーダーの思うつぼだ。
 ならば、レーダーに立ち向かうか? どうやって? バレッタ親衛隊と大統領警護隊では数も火力も違いすぎる。更に、こちらは飛行機に立て籠もっているワケだから、逃げ場がない。場合によっては火を付けられてしまうだろう。成り行きで焼き殺してしまっても、レーダーは言い訳が出来る。死人に口なしとなり、これまたレーダーの思うつぼだ。
 ならば、レーダーと交渉するか? 彼にとって不利な情報と引き替えに、大統領に対する弁明の機会を作れと云うか。いや、弁明のチャンスを作ったら、レーダーにとって不利な展開になることは判っているはずだ。だから、決して弁明のチャンスを作るまい。
 ならば、彼にとって不利な情報と引き替えに、大統領に或る物を渡して欲しいとする。これではどうだ。彼が或る物の真意を知らないとすれば、容易に実行してくれるだろう。もし、大統領が冷静になれば、その意図したところを判ってくれるかも知れない。
 自分の復権には、これが最も可能性が高そうだ。賭けてみるだけの価値はある。

 バレッタは3秒でここまでたどり着き、次の2秒で、表情と雰囲気を変え、画面に映るレーダーに向かった。あたかも絶望に打ちひしがれ、主人に許しを乞う奴隷の様な演技である。

「…レーダー閣下。もう終わりです。私は全てを失いました…」

 涙をボロボロこぼしながら、身を震わせた。声も涙でつまり気味である。

「気の毒だが、当然だ。敵と内通し、大統領を蔑(ないがし)ろにする愚かな輩の末路だ」

「すべては私の愚かな行動のためです。わたしはこれで終わりです。もう終わりです…うっ、うっ」

 レーダーはいい気分だった。彼は世界最強のアイギス軍の国防大臣であり、つまり、世界は自分の物という手応えがあった。それはこの上もなく喜ばしいものであった。自慢の物であった。自分の存在意義それ自体であった。
 ところが、バレッタという女がやってきた。軍人でもない部外者が、僭越にも自分の上役として世界の4大国を統べる重職に就くとは、実に許し難い屈辱であった。その許し難いヤツが、画面の向こうではあるが、今や自分の足元にひれ伏し命乞いをしているのだ。これ以上いい気分というのは滅多にあるまい。やっと手に入れたその優越感とバレッタの見事な演技に心を打たれたレーダーは、ちょっと余裕を見せることにした。

「…愚かなキミだが、大統領にも情けはある。最後の願いだ。何か大統領に伝言とかあるか?」

「うっ、うっ…。そ、それでは、私の愚かさを笑っていただくと共に、わたしくの謝罪を込めて、この置物をお渡し下さい。空港で買ったものです」

「虎の…置物か? 別に珍しいものでもあるまいが、まァ、いいだろう。大統領警護隊の隊長に渡せ」

 やがて、大統領警護隊は機内に入り、バレッタ親衛隊の武装を解除し、バレッタを含む全員を拘束した。バレッタ親衛隊の一部は抵抗する構えを見せたが、バレッタの命令で武装解除した。大統領警護隊は半数が機内に留まり、拘束した連中を見張りながら、アイギスに向けて離陸した。

 一方、ヤマタイ自治共和国ではジュリオが旭野首相と会談をしていた。場所は首相官邸だが、ここが盗聴に対して無防備なのは周知の事実となっていた。よって、ジュリオは自分の警備隊員を使って、盗聴装置の探知やら通信妨害やらを行い、普通に密談が出来る環境を作っていた。

「やあ、ジュリオ君。久しぶりですね。まァ、チョンファーレンとは暫く関係が良くなかったからな」

「はい、旭野首相。就任おめでとうございます。ところで、今回は東アジア連合に関するご提案に参りました」

「東アジア連合? それはどう云ったものですか?」

「その前に、お聞きしたいのですが、あなたの国はいつまでアイギスの属国をやっているのですか?」

「…アイギスと我が国は安全保障条約で強固に結ばれている。アイギスの基地も多く存在しているし、経済的・文化的な繋がりも深い。我が国とアイギスの関係は永遠だ」

「アイギスは貴国のために何をしてくれているのでしょうか?」

「我が国の安全を保障してくれている」

「ではお聞きします。もし、アイギスと友好関係のある大国が貴国と対立関係になった場合、アイギスはどちらの国を選びますか?」

「それは…仮定の話なので答えることは出来ない」

「アイギスは大国の方を選ぶでしょう。それは閣下も既にお判りのはずです。そもそも、貴国はアイギスと対等の独立国家ではありません。属領という、いわば奴隷の様な立場です。アイギスの大統領が属領をどう考えているか、想像された事はありますか?
 大統領はアイギス国民の繁栄と安全を保障しなければなりません。それが大統領の義務だからです。アイギスの国民は己の繁栄と安全を保障してくれそうな大統領を選挙で選びます。これは、大統領と国民が交わす一種の契約の様なものです。ところが、貴国には大統領を選ぶ権利はありません。アイギスの国民ではないからです。よって、大統領は貴国の繁栄や安全を保障する義務はない。もし、アイギス国民の利益と貴国民の利益が相反した場合はどうでしょう。大統領は貴国の国民を捨て、自国民の利益を選びます。当然です。
 先ほど、アイギスと友好関係のある大国が貴国と対立関係になった場合、アイギスはどちらの国を選ぶかと申し上げましたが、まさにその事です。これで貴国の立場がお判りでしょうか。アイギスの得にならなければ貴国は切り捨てられます。これがアイギスとの安全保障条約の正体です。アイギスは貴国の事を考え、その安全を守ってくれる国などではありません
 これは貴国にとって、極めて危険な状態です。世界第2位のGDPを誇る超大国でありながら、属領の立場。なんと云う屈辱でしょう。アイギスの工場として、アイギスに尽くしているのに、アイギスは奴隷としか見ていない。なんと云う傲慢でしょう。更に、安全保障条約のために膨大な犠牲を国民に強いている貴国の心の拠り所は、国家の安全をアイギスが守ってくれると云う事だったはず。ところが、それは絵空事に過ぎない。
 では、アイギスの本心は何か? 貴国を東アジアに対するクサビとして利用する事、それだけです。アイギスは歴史的に西へ西へと侵略を進めてきました。先ずは西部開拓時代に大陸を西へ西へと向かいました。とうとう西海岸にたどり着きました。次は、太平洋諸島を手に入れました。更に、東南アジアに進みました。我がチョンファーレンにも手を伸ばし、貴国と我が領土を争い、勝って貴国を属領としたものの、チョンファーレンの領土は手に入れることが出来ませんでした。しかし、諦めたわけではなく、懲りずに再び我がチョンファーレンを征服しようと考えているのです。
 その野望の先兵が貴国です。貴国を我が国と戦わせ、疲弊したところで総取りしようとしているのです。奴隷に未来がありますか? 無いでしょう。なぜ貴国はこの様な立場のまま、アイギスの奴隷として感謝されることもなく、消耗して亡びようとするのか、理解に苦しみます。そして、かつて東アジアの昇る太陽として、植民地諸国の希望の星だった独立国家ヤマタイの栄光を思うとき、あまりの落差の大きさに、貴国の国民のため、涙を禁じ得ません」

 旭野首相の顔色は紅潮していた。目を伏せていたが、心の動揺は隠しようもない。ジュリオは続けた。

「閣下、コウモリをご存じでしょうか? 獣のようであり、鳥のようである生き物です。貴国の現状はまさにコウモリの様です。東アジアにありながら、アイギスの手先として、我が国をはじめとする東アジアの国々に敵対しています。我々からすれば、東アジアの裏切り者、敵であり、アイギスからすれば、黄色い猿、単なる奴隷に過ぎず、尊敬する気もない。誰にも尊敬されず、憎まれて、しかも国民の犠牲は大きい。一体、貴国は何者なのでしょうか。何をこの東アジアにもたらすために存在しているのでしょうか? 閣下、教えて下さい」

 耐えきれず、旭野首相は口を開いた。

「ジュリオ君に云われなくとも、そんな事は判っている。アイギスの奴隷、東アジアの敵、軽蔑すべき手先、富から疎外された国民。民族の誇りもなく、過去の栄光は地に堕ち、飛来する黄砂の舞う地べたをはいつくばって蠢(うごめ)いている愚かな民族。ああ、そうさ。それがこの国の真実だ。だったら、キミは聞くだろう。あなたは首相でしょう。なぜ、こんなままで放っておくんだ。民族の覚醒、国家の再建、独立国家の復活はないのか? と」

「おっしゃるとおりです」 

「無いんだよ、そんなのは。この国は骨の髄までアイギスに乗っ取られているんだ」

「それはどういう事でしょう」

「高級官僚の2/3、国会議員の1/2はアイギスのスパイだ。誰がスパイだか判らないが、常に監視され、常に報告されている。それは間違いないんだ。少しでも不穏な動きが有れば即座にアイギスに届き、水面下で始末される。
 わたしが首相になった直後、アイギスに挨拶に行った。総理大臣恒例の行事さ。ハデスの別荘に招かれた。そこで膨大なファイルを見せられた。わたしに関しての調査資料だ。生まれてから今までの些細な出来事や失敗の全て。金の出入り、家族の行動と嗜好。有力者との交友関係…全てだ。秘密の話し合いの内容まで詳細に報告されている。まるで、わたしの周りの人間が全てアイギスのスパイのようだ。いや、実際にそうなのだろう。キミは監視され報告されている。裏切るなよ。そう云われて呆然として帰ってきたよ。
 ハデスの話によれば、我が国の政財官界と所謂文化人全ての人間のファイルが整備されているそうだ。試しに誰かの名前を挙げたまえと云うから、友人の名前を挙げたら、15秒後に厚さ20センチメートルのファイルが届いた。で、彼には裏金が20万ダラーほどあるな、財界から献金を不正に1千万ダラーばかりもらっていると、リストを示してくれたよ。もし、キミがその人物の失脚を望むなら云ってくれ、30分後にはマスコミに流れ、2日後には彼は失脚しているだろうと云っていたよ。誰にでも隠し事や失敗はある。それをテコに、新しいスパイになってもらうのだそうだ。スパイにならないのなら潰すとね。わたしは勝てないと思ったね。これでは、アイギスの奴隷になるしかないじゃないか」

「はははは」

 ジュリオは驚くほど大きな声で笑った。

「…いや、これは失礼しました。閣下が余りにも世界に疎いもので、思わず笑ってしまいました」

「世界に疎い? どう云う事だ」

「要人秘密ファイルなど周知のことです。どこの政府でも作っていますよ。我が国でもアイギス並のファイルシステムはとっくに整備しています。この様子だとヤマタイには無いようですね。信じられません。
 そもそも外交は国家を背負った人間同士の戦いです。戦いは武器と兵士がやるものとは限りませんよ。外交官の武器は情報です。情報戦です。相手の国の要人の弱みを握り、交渉を有利に進めたり、邪魔な要人を消すことなど日常茶飯事です。いやはや、ヤマタイには戦国時代に忍者とか乱破とか云う組織が有ったではないですか? 彼らを高度に活用した英雄が天下を取ったワケですよね。更に下れば、貴国とペートルが戦争をした時、貴国の明石大佐は今で云う1億ダラーほどの工作資金でもってペートルの転覆を謀ったと云う歴史もあるではありませんか。その同じ国が、要人秘密ファイルの整備を怠るとは、一体どうしてしまったのでしょう。本当にアイギスに魂を抜かれてしまったのでしょうか。驚きです」

「ああ、そうさ。我々は既に魂も誇りも失っているんだ」

「…ならば、独立国ヤマタイを復活して差し上げましょう」

「なに?」

「その代わり、ヤマタイは東アジア連合の一員になって頂きたい」

「話を詳しく聞かせてくれ」

「されば、です。ヤマタイをアイギスの属領から解放して、真の独立国にします」

「だが、軍事的経済的に組み込まれている」

「アイギスとの安全保障条約は破棄します」

「ムリだ。国民は全て反対するだろう」

「なぜでしょうか? 外国基地が幅を利かせる独立国などありますか? 弱小国ならまだしも、GDP世界第2位の超大国がそんな状態だから、いまだに属領なのです。独立国はその安全を自分の力で守れるからこそ独立国と呼ばれるのです。よって、ヤマタイは自国の安全を自国で確保する事にした為、安全保障条約を破棄する。問題有りません」

「政治家や役人が反対するだろう。それに行動を起こす前にアイギスに消される」

「スパイは事前に処理しておかねばなりません。方法は至って簡単です。我が国の所有する要人秘密ファイルを全てお渡ししましょう。これで脅せばよいのです。アイギスの味方をすれば潰すと。板挟みで自殺する者も多いでしょうが、代わりは幾らでも居ます。また、貴国の治安組織が信用おけないと云う事であれば、我が国の公安省の職員を使う事も可能です。3万人ほどでしたら、すぐに用意できますが」

「い、いや。そう云う事は自分の国民がやらないと後で面倒になる」

「結構です。何れにせよ、反対する者は居なくなるでしょう」

「だが、アイギスは黙っていないだろう。大きな利権の損失になる。反撃が予想される」

「当然です。それに対しては、東アジア連合として貴国の周辺海域に兵力を動員し、アイギス軍の撤兵を要求します。100万人程度でしたら、すぐに用意出来ますが」

「兵力はともかく、アイギスが大量破壊兵器の使用をちらつかせたらどうする」

「大量破壊兵器なら、我が国も所有しています。それに、アイギスは属領のために自国の安全を脅かす事はありません。そのぎりぎりの土壇場に追い込むつもりです。そのほか、要人秘密ファイルも使います。アイギスの反撃は阻止できます」

「それからどうなる?」

「貴国はアイギスからの独立を宣言すると共に、東アジア連合への加盟を宣言します。東アジア連合は貴国の独立を脅かしませんし、軍事基地の設置を要求しません。貴国は本当の独立国として、東アジア連合の発展に邁進して頂ければそれで良いのです。経済的発展こそが、東アジア連合の目的です。領土拡張や覇権主義とは無縁です。よって、戦争放棄を唱える貴国の憲法との整合性も全く問題有りません」

「うむ。なんだか夢みたいなんだが、本当に実現できるのだろうか?」

「閣下。実現させるんだと云う意思が無ければ、実現はしませんよ。閣下には極めて強力な統帥力が求められているのです。ヤマタイの新しい時代を切り拓くという強い願望と意思。それがありますか?」

「あると思う。いや、ある」

「では、我々と共に前に進みましょう」





第14話 「バレッタの復活」

 起こしてしまってから後悔するのが、虎の眠り。


 ヤマタイ自治共和国がアイギスとの安全保障条約を破棄し、チョンファーレン包囲同盟からも脱退すると云う、極めて重大な事態が進行している。しかし、ここ数日、アイギスの外務省は沈黙していた。国家にとって最も重要なこの時に、上層部の権力闘争で外交が機能しないと云う、愚劣な状態にあった。この瞬間にも、ジュリオはその網をヤマタイに広げているのだ。
 バレッタは身柄を拘束されたまま、包囲同盟司令機で本国に輸送されていた。見張りの大統領警護隊はうわさ話に花を咲かせている。

「まァ、さすがのバレッタもこれで終わりだな」

「そうそう。なんと云っても冷酷非情なレーダー閣下に睨まれたからにはお仕舞いだろう」

「敵国と通じたと云われているが、本当か?」

「レーダー閣下がそう云っているから、そうなんだよ。確認するなんて野暮なことは誰もしないさ」

「閣下が馬を鹿と云えば、そうなるって事か」

「触らぬ神に祟り無しってことさ」

「どんな処分になるんだ」

「まァ、国家反逆罪とかで懲役50年が相場だろう」

「銃殺かもな」

「で、バレッタはどうしている」

「今は…部屋で大人しくしている」

「バレッタは片付けないのか? レーダー閣下は黙認するって話だろう」

「ああ。とっくに行ったヤツが居る。レーダー閣下の取り巻きさ」

「で、どうだったんだ? 助けてくれとか泣き叫んでいたか?」

「いや。思いっきり説教された上、自分は再び元の地位に戻るので、変なマネをしたら後悔するぞって脅されたそうだ」

「元の地位に戻る? そんな事有り得るのか?」

「いや、無いとは思うんだが、彼女の気迫は物凄いものがあったとの事だ。まるで獣を相手にしているようだったと怯えていたぞ。それどころか、その時にバレッタ親衛隊が飛び込んできたそうだ」

「どうやって? 連中は部屋に閉じこめておいたし、しかもリンチでボコボコにしたはずだろう。武装解除の時抵抗しやがったからな」

「さすがはバレッタ親衛隊って事さ。扉をぶち破ってきたんだ。まァ、肩は外れているし、全身血まみれだったそうだが。閣下に手を出すなって物凄い剣幕で飛びかかってきたそうだ。そいつらを短機関銃で殴りつけて叩きのめしたんだが、倒れても倒れても立ち上がり、こっちの方が恐くなるくらいだったそうだ。バレッタは親衛隊の返り血を浴び、立ちつくすその姿と眼光のすさまじさはまるで鬼神だったそうだ」

「凄いな…」

「バレッタ。部下を心酔させ、死さえも恐れさせないその統帥力、やっぱただ者じゃないな」

「賭けるか? バレッタが復帰するかどうか」

「いや。賭けにならん。これはちょっとヤバイかもしれないぞ。レーダー閣下とは格が違いすぎる」

 やがて、司令機はアイギスの空軍基地に到着した。バレッタと親衛隊はそのまま基地の格納庫にぶち込まれ、移送を待つ状態となった。バレッタ親衛隊の内、隊長のマールス他10数名は頭蓋骨骨折や内臓破裂、出血多量で重傷であり、彼らは直ちに軍の病院に収容された。ただ、日頃から鍛えていたためか、命を失うことはなさそうである。

 大統領警護隊長は事前の指示通り、バレッタから預かった虎の置物を大統領官邸に運んだ。国防大臣レーダーはそれを検分した。が、どこから見ても何処にでも有る安物のお土産品である。

「問題ない。大した物じゃないし、キミから大統領に届けろ」

「はっ」

 大統領警護隊長は大統領執務室を訪れ、バレッタの土産を渡した。

「容疑者バレッタが、最後の願いと云う事で、大統領閣下に渡すよう希望しておりました」

「ほう? これは何だ?」

「虎の置物と思われます。危険はありません」

「最後の最後まで何を考えているんだ、あの女は」

 そう云いながら、置物を受け取った。思ったより重い。大統領はふと、何かを思いだした。

「虎…か。そう云えば、虎が3匹、いや…虎が出た、か」

 大統領は何事かを考えながら、椅子の周りをぐるぐると回り始めた。まもなく止まった。

「…警護隊長」

「はっ」

「バレッタの行動と各国の動きを時系列的に知りたい。資料は用意できるか?」

「はい。保安局情報部で要人の行動記録と通信記録は全て用意できます」

「持ってきてくれ。30分以内にだ」

「了解しました」

25分後、資料は用意され、保安局情報部分析官も5人やって来た。分厚いファイルをずらりと並べ、ノートPCを保安局のイントラネットに接続した。

「先ず、知りたいのは、バレッタがわざと行動を遅らせ、チョンファーレンの特使の行動を助けたかと云う事だ」

 分析官の主任が答えた。

「バレッタは、インドラに特使が向かったという情報を受け、早速に司令機で向かいました」

「アイギスからインドラまでの最短経路は北極回りとなり、チョンファーレンを回避して約1万キロメートルあります。司令機の速度は最高速度に近いマッハ0.9でした。約8.5時間の行程です」

「バレッタの司令機は、途中で進路を変え、ペートル首都に向かいました」

「理由は、ヤマタイで政変が発生したことです」

 大統領が聞いた。

「なぜ、ペートルに進路を変えたのだ? ヤマタイではないのか?」

「親衛隊長マールスの話では、インドラへの見せしめのため、ヤマタイが利用された。つまり、インドラもヤマタイも堕ちたと判断。よって、最後のペートルに向かったとあります」

「特使の工作はそれほど早かったのか?」

「情報はそう示しています」

「で、ペートルに向かったわけだが、特使より遅かった理由は」

「特使が早かったのです。インドラとペートルの距離が近い上、特使の工作は実に迅速でした」

「要は、特使に振り回された結果であると判断できます」

「判った。次に、バレッタが特使と顔見知りと云う件はどうだ?」

「これは事実です」

「但し、なれ合いや癒着の事実は認められません」

「そうか。では、ヤマタイの首相に失言をさせた理由は?」

「失言はヤマタイの首相が自ら主導的に行っています」

「ヤマタイの首相は首相官邸が盗聴されている事実を知らなかったのです」

「バレッタの責任はどうか?」

「盗聴の事実を伝え、発言を控えさせるべきだったと考えます」

「バレッタの過失は有ったと云うことだな。次にインドラのサボタージュが皇帝自らの指示で行われている事実を隠蔽していた理由は?」

「その事実の出所は国防大臣です」

「事実が判明したとき、バレッタは司令機に乗っていました」

「つまり、隠蔽していたのではなく、知らなかったのです」

「なるほど。こうやってみると、バレッタは敵に出し抜かれはしたが、意図的に我が国に害を及ぼそうと計画した痕跡はないと云う事だな」

「事実はそう示しています」

「では、国防大臣の云ったことは何だったのだ?」

「事実と異なっています」

「では、国防大臣の行動で不審な点はあるか」

「はい。国防大臣は外務副大臣と個人的に密接な関係があります」

「ほう?」

「通信記録によりますと、大統領に会った外務副大臣は直後に国防大臣に電話をしています。内容は『ああ、私ですが。例の件、思ったより上手く行きましたよ。今がチャンスですよ』との事です」

「あの時、外務副大臣はインドラ大使館で不愉快な事件があったと云っていた。バレッタの代理だと優遇されて、わたしの代理だと冷遇されたと」

「外務副大臣がバレッタの外務大臣就任後にインドラ大使館に行った事実はありません」

「何だって? じゃあ、あれは嘘だったのか」

「事実はそれを示しています」

「じゃあ、単にわたしを不愉快にして、今がチャンスとして、国防大臣に繋いだと云う事だったのか…」

「そう判断できます」

「つまり、こうだ。国防大臣と外務副大臣は、わたしを利用して、バレッタの失脚を謀ったと」

「それが今回の真相だと判断できます」

「しまった…。そう云う事だったのか。では、わたしはバレッタの仕事を邪魔してしまったのか?」

「帰国命令が出たとき、バレッタはヤマタイに向かおうとしていました」

「ヤマタイに何があるのだ?」

「現在、チョンファーレンの特使がヤマタイで工作中との情報があります。ただし、首相官邸の盗聴は既に妨害されているので、事態は不明です」

「なんだって。それはまずい状態ではないのか? バレッタを出し抜けるほどの外交官がヤマタイで自由な行動を取っているなんて、これ以上まずいことはないだろう」

「現在、外務省は大臣不在により外交機能を停止しています」

「外務副大臣は何をしている?」

「国防大臣と密談をしております」

「内容は判るか?」

「はい。『上手くいった。大統領の単細胞には笑える。バレッタは終わりだ。これからは我々が包囲同盟を進めて、ついには世界を牛耳ろうではないか』と云っています」

 大統領の顔色は赤くなったり、青くなったり、土色になったりと忙しい。ついには真っ赤になり、怒鳴り始めた。

「く、うぬ。おい…警護隊長、その反逆者共を逮捕して、ここに連れてこい!」

「はっ。あの…反逆者とは誰の事でありますか? バレッタですか?」

「違う! 今までの話を聞いていなかったのか? 国防大臣と外務副大臣だ!」

「わ、判りました!」

 まもなく、警護隊に囲まれて、国防大臣と外務副大臣がやってきた。大統領執務室に入った。中央に大統領が立ち、向かって右側には保安局情報部職員、左側には警護隊長が立ち、物々しい雰囲気である。

「閣下、これは一体どうした事ですか?」

「まァ、掛けたまえ」

 大統領は穏やかな調子で、ソファを勧めた。

「我が国にとって重大な事が判ったよ」

「そ、それは何ですか? バレッタですか?」

「キミ達の正体だ」

「え?」

「何の事やら判りませんが…」

 大統領は冷たい声で始めた。

「外務副大臣。キミはインドラ大使館に行って、不愉快な対応を受けたとか云っていたね。それは事実か?」

「はい。その通りです。あの時は…」

「判った。で、それはいつのことだね」

「詳しくは覚えておりませんが、バレッタが大臣になってからまもなくだと記憶していますが…」

「言い遅れたが、この場での発言に嘘偽りのないことを宣誓して欲しい。全員だ。良いね」

「はい、閣下」

「保安局員に聞く。外務副大臣がバレッタの大臣就任後にインドラ大使館を訪問した事実はあるか?」

「ありません、大統領閣下」

「無い、との事だ。では外務副大臣の発言は嘘だったのか?」

「閣下! 保安局員の発言は事実ではありません。わたしは実際にインドラ大使館を訪問したのです」

「証人はあるのか?」

「インドラ大使館に問い合わせて下さい」

「どうだ、保安局?」

「確認済みです。訪問の事実は有りませんでした」

「外務副大臣の発言は嘘だったと判断する」

「閣下!」

「次に、外務副大臣がわたしに嘘をついた直後、国防大臣に電話をしている。この内容を覚えているか、外務副大臣?」

「覚えておりません」

「では、国防大臣は?」

「覚えておりません」

「保安局」

「はい。『ああ、私ですが。例の件、思ったより上手く行きましたよ。今がチャンスですよ』との事です」

「これはどう云う意味なんだろうね、外務副大臣」

「いや、一向に覚えておりませんし、一体何の事やら」

「国防大臣はどうかね?」

「抽象的でなんの事を指しているのか判りません」

「で、翌日、国防大臣はバレッタの陰謀を、わたしに吹き込みに来た。国防大臣、電話の内容とキミの行動は無関係だったのかね?」

「無関係です」

「無関係と云うからには、電話の内容が示している事柄を判っているはずだね。それは何か?」

「いや、判りません」

「キミの云っている事は辻褄が合わない。いや、事実を隠蔽する行動とすれば、合点がゆく」

「事実とは一体なんですか?」

「国防大臣と外務副大臣による、バレッタ外務大臣失脚の陰謀だ」

「バカな…」

「そう。実にバカな事をやったものだ。キミ達のバカな行動のおかげで、我が国の外交は今危機に直面しているのだよ。とにかく、君らはわたしに嘘を吹き込んだ。バレッタがチョンファーレンの特使に出し抜かれたのを良い事に、全ての失敗は意図的と言いふらし、失脚に結びつけたのだ」

「それこそ陰謀です。我々を陥れ、我が国の外交に打撃を与えようとするチョンファーレンの陰謀に間違いありません」

「いいだろう。じゃあ、この通信は一体誰の発言なのだろうね。保安局」

「はい」

 保安局員は音声データを再生した。

「上手くいった。大統領の単細胞には笑える。バレッタは終わりだ。これからは我々が包囲同盟を進めて、ついには世界を牛耳ろうではないか」

 まさしく、国防大臣の声であった。

「どうかね、国防大臣。君の発言に聞こえるのだが」

「ねつ造です。音声データなど簡単に合成できます」

「どうだね、保安局」

「この音声データには特殊な信号が混ぜられています。盗聴防止、音声合成防止の為の、一種のIDの様なものです。このIDを解析した結果、この建物で国防大臣本人と外務副大臣本人が会話したものに間違いありません」

「つまり、これでチェックメイトと云う事だ、キミ達」

「く、くそ」、「なんて事だ…」

「警護隊長!」

「はっ」

「この反逆者どもの身柄を拘束し、別命有るまで監禁しておけ! 抵抗したら射殺しても良いぞ」

「はっ」

「…か、閣下!」

「見苦しい! 恥を知れ! この国賊どもが」

 警護隊により、国防大臣と外務副大臣は連行され、保安局員は器材と書類を持って職場に帰った。大統領はちょっと嘆息して、警護隊長に命令した。

「バレッタ外務大臣をお連れしろ」

 空軍基地の格納庫で大統領警備隊の一斉の敬礼を受け、大統領専用車で大統領執務室に戻ってきたバレッタは全身血まみれだった。警護隊員が衣服を換えるよう勧めたが、「これは英雄の血です。洗うわけにはいきません」と云い、頑として受け付けなかったのだ。大統領はその姿に驚くと共に、自らバレッタの手を取り、共に泣き崩れたと警護隊長はのちのちまで語った。隊長はとてもいたたまれず、大統領執務室のドアの外に立ち、ひたすら待ち続けたとのことである。
 後日談になるが、バレッタの血染めのドレスはバレッタ親衛隊の隊旗に縫い込められた。また、国防大臣と外務副大臣はその後、国防大臣の自宅で共に争って死んだ。その様な状況で発見された。更に、大統領警護隊の内、国防大臣の取り巻きはバレッタ親衛隊に激しい暴行を加えたが、その連中は後に輸送機で移動中、エンジントラブルにより墜落し、全員死亡した。




第15話 「東アジア連合の成立」

 弱点は強さのウラにある。


 ハデス大統領とバレッタ外務大臣が関係の修復を行っている最中に、歴史的発表は行われた。

 東アジア連合の成立である。

 ペートル共和国、チョンファーレン帝国、インドラ帝国、そして、ヤマタイ自治共和国による巨大地域同盟である。
人口26億7千万人、常備軍490万人、GDPは世界の18%を占める巨大勢力である。因に、
エウロペ同盟は人口4億6千万人、常備軍140万人、GDPは世界の31%
アイギス連邦は人口3億人、常備軍150万人、GDPは世界の28%
である。
 東アジア連合はペートル共和国を盟主とし、東アジア地域の繁栄と安全保障を共同で運営する組織である。連合本部をペートルの首都に設置し、各国の代表が常駐して、会議により方針と施策を決定し、各国が実施する。各国は独自の軍事力を保持するが他国に基地を設けることはしない。地域同盟の中に存在する所謂「緩衝地帯」は近々独立させ、東アジア連合に組み込む。この地域はアイギスの手先であったヤマタイとチョンファーレンの緩衝地帯であったが、ヤマタイとチョンファーレンが同盟を結んだ為、そのレーゾンデートル(存在理由)が無くなったからである。
 この連合の成立により、従来存在したチョンファーレン帝国包囲同盟はアイギスを除く構成国家の全てを失い、事実上崩壊した。

 ヤマタイはアイギス連邦と安全保障条約を結んでいたが、これを一方的に破棄する事を宣言した。「我が国は独立国である。よって、領土内に外国の軍事基地を認めない」として、軍事基地の期限付き撤去をアイギスに要求した。これに対して、アイギスは本国の安全保障上重大な事態であるとし、太平洋艦隊を動員して軍事的威嚇行動に出たが、ヤマタイの軍は怯まず、また、東アジア同盟は事前の計画通り、一致してヤマタイの主張を支持し、ヤマタイ周辺に100万人を超える陸海空及び宇宙軍を展開した。更に、ミサイルによるアイギス軍事衛星の撃破と大量破壊兵器によるアイギス本国の攻撃も辞さないとした。

 それから3日が過ぎた。

 アイギスの外務大臣兼国防大臣となったバレッタは、情報分析に余念がない。権力闘争で空費した数日間はただの数日間ではなかった。極めて重要な動きが有ったため、それは一ヶ月にも相当するダメージであった。それを急ぎ取り戻さなければ、いつまでもジュリオに追いつけない。
 余談だが、血まみれのバレッタは大統領との会見の後、空軍基地格納庫にバレッタ親衛隊を訪れ、大統領の言葉を伝えると共に、ようやく素肌の血の痕を拭ったとのことだ。だから、ここに居るバレッタは以前の姿をしている。
 但し、今回の事件により、大統領の信頼は飛躍的に高まり、併せて権力も大きく集中した。文字通り大統領すら超える権力者となったワケだが、大統領の信任と云う裏付けがある為それは許されている。一方で、包囲同盟が崩壊した責任も感じている。自分の構築した同盟がジュリオによってあっけなく倒されたというその事実は、大きな悔しさとと共に、自分よりも遙かに優れた者が存在するという畏れを彼女に醸し出した。

「ヤマタイの国内状況はどうですか?」

「はい。旭野総理の独断とも云える安全保障条約廃棄ですが、政治家、財界、マスコミ、文化人を含めて、極めて好意的な反応になっています」

「アイギスの協力者たちはどうしたのですか?」

「寝返ったか、暗殺されるか、それとも、自殺しました」

「理由は?」

「我々が使っていた手口を旭野も使っています。つまり、要人の弱みを握り、協力を強制することです」

「データはチョンファーレンから手に入れたのですか?」

「その通りです。ジュリオが提供したようです。協力者は我が国と旭野の両方から協力を強制され、旭野に寝返るか、それとも板挟みになって自殺したようです。それ以外の者は当局によって拘束後洗脳されるか、消されています」

「アイギスに協力する者は居ないのですか?」

「全滅です。旭野は公安組織を動員して要人を常時監視しています。盗聴や暗殺もやっています。我々の活動は不可能です」

「我が軍の基地はどうなっていますか」

「完全に封鎖されています。電気・水道・エネルギーは制限されており、機能は停止状態です」

「基地は放棄しましょう。ヤマタイから撤退です」

「しかし、閣下。ここで引けば、東アジア連合は調子に乗ってますます要求をきつくするでしょう。1歩引けば、100歩引くのと同じと云うではありませんか」

「彼らはここを正念場と考えています。このまま押していても、結局、基地の機能は戻りません。それに兵站の問題が有ります。彼らは近くの自国から調達できますが、我々は近くに補給基地を確保できないので、はるばる地球の反対側に運ばねばなりません。緊張関係が長期になればなるほど不利です。ならば、彼らに油断させた方が得策です」

「つまり、我々が力負けして撤退し、彼らは増長してスキを作るって事ですか?」

「その通りです。緊張関係のママではいつまでもスキは出来ません。つまり我々はいつまでも勝てません」

「OK。それで行きましょう」

 アイギス軍はヤマタイから1ヶ月以内に撤退する事を発表し、直ちに撤退の準備を開始した。この結果、極東の緊張関係は解かれ、各国の軍隊が自国に戻っていった。東アジア連合本部はまるで戦勝の様な騒ぎであった。

 日を置かず、東アジア連合は「世界平和会議」を提唱し、開催した。目的は他の地域同盟とのパイプを構築することである。東アジア連合各国の首脳が出席し、アイギス連邦、エウロペ同盟からも代表が出席した。アイギスの代表はバレッタである。彼女はこの機会に東アジア連合の弱点を探るつもりだった。
 会議の前日には、情報スタッフを集めて情報の集約を行った。スタッフに好きなように喋らせ、最後にとりまとめるのがバレッタのやり方である。

「東アジア連合諸国の国内状況は?」

「極めて安定しています」

「反対勢力は沈黙しています」

「治安維持に関して、チョンファーレンは力を入れています」

「各国治安部隊の指導もチョンファーレンがあたっています」

「チョンファーレンのスケジュールでは1年以内に指導を終了する予定です」

「チョンファーレンは1千人規模の外交団を各国に常駐させ、極めて活発な工作を行っているようです」

「通信内容は不明ですが、通信量は極めて膨大です」

「東アジア連合には、チョンファーレン外務省外交戦略部が深く関わっています」

「彼らが黒幕です。緻密とは言い難いインドラやペートルを、あれだけ効率的に動かすのは自国の力ではありません」

「ジュリオを含めて11人いると云われていますが、会議には出てきませんね」

「あくまで黒子のつもりか」

「ジュリオはエウロペに行っているとの情報です」

「またしても先を越されましたね」

「あ、そう云う、引いたような云い方やめろよ」

「それはともかく、我が国の先遣隊もエウロペに送ってある」

「バレッタ閣下でないと説得はムリでしょう」

「エウロペも今の段階では東アジア連合の値踏みをしているはず。判断はこれからだ。まだ十分に間に合う」

「エウロペはどう動いている?」

「連合のポイントとなる、チョンファーレンとヤマタイの結びつきをチェックしている」

「結論はどうなりそうか?」

「旭野首相の気の弱さは弱点と見ているが、逆にチョンファーレンにうまく利用されているので、総合点はプラスだ」

「って事は、エウロペは東アジア連合を重要なパートナーと見るだろうな」

「そうなるだろう」

「東アジア連合が狙う、世界三分の計の実現か…」

「エウロペは覇権主義志向をどの程度持っているのか?」

「彼らは基本的に受け身だ。同盟を作ったのも、アイギスの覇権主義的外交に危機を覚えたためだ」

「おい、自分の事を覇権主義って云うなよ」

「客観的にそうなんだからしょうがないだろう」

「エウロペは危機がない限り、攻勢には出ないと云う事だな」

「局外中立って事です」

「3つのパターンが考えられる。1つ目。エウロペはどことも組まない。2つ目。東アジア連合と組んで、アイギスに対抗する。3つ目。アイギスと組んで、東アジア連合に対抗する」

「東アジア連合に対抗して欲しいのだが」

「そのためには東アジア連合がエウロペを脅かすと云う状況を作る必要がある」

「ペートルだな」

「ペートルが覇権主義的行動を開始する」

「ペートルとエウロペは隣接しているから、これは脅威だ」

「よって、エウロペはアイギスに助けを求める」

「エウロペ+アイギスの誕生だ」

「これは我が国に大きな富と繁栄をもたらすだろう」

「ペートルは東アジア連合の盟主だが、実際に手綱を握っているのはどこだ」

「チョンファーレンだ」

「具体的にはジュリオ」

「ペートルの首相ババチコフは野心家で知られる」

「彼をけしかけて、チョンファーレンとの間にクサビを打ち込み、ペートルを西に、つまりエウロペに向かせる」

「こうなれば、エウロペはアイギスと結び、東アジア連合は脅威の前に内部分裂を起こし、戦わずして亡びる」

「つまり、今回の会議の主役はババチコフって事ですね」

「文字通りね」

「バレッタ閣下。大体、この様な結論ですが…」

「みんな。有り難う。メインディッシュはババチコフ…ですね」

「はい」

「では、早速、ババチコフとの会談を設定しましょう」

 その時、

「閣下。火急の用件が発生しました」

 と、係官が会議室に連絡してきた。

「何ですか?」

「ペートル共和国ババチコフ首相が火急にお会いしたいとのことです」

「ババチコフが…」

 まるで計ったかのように、当のババチコフがやってくるとは一体どういう偶然なのだろう。いや、これほどの偶然など有り得ない。とすると、これは計略か?

「会いましょう。応接室に通して下さい」

「…閣下。これは謀略の可能性があります」

「おい。ここの盗聴防御は大丈夫なんだろうな」

「勿論、完ペキだ」

「ここの会議が漏れたワケではないのか?」

「なぜ、ババチコフが来たんだ」

「盗聴無しで、このタイミングにババチコフを寄こすとは、これはジュリオだ」

「閣下。ジュリオ襲来の可能性大です」

「ええ。その臭いがプンプンしますね。何れにせよ、避けて通るわけには行きません」

 バレッタは応接室に入った。そこにはババチコフと、そして、予想通りジュリオが居た。ババチコフが早速始めた。

「これは、バレッタ閣下、お久しぶりです」

「ババチコフ閣下。この度は東アジア連合の主宰とのこと。おめでとうございます」

「有り難うございます。そうそう、こちらが貴国とも縁の深いチョンファーレンのジュリオ閣下です」

「チョンファーレン外務省のジュリオ・劉(リュウ)です。初めまして」

 バレッタとジュリオが真っ向から向かい合って、相対するのは初めてであった。視線を交わした瞬間から、二人の間には激しい闘争心が燃え上がっていた。




第16話 「東アジア連合の戦略」

 攻撃は最大の防御、或いは、走っていれば倒れない。


「ジュリオ閣下ですか。初めまして。わたしはアイギス連邦外務大臣及び国防大臣のバレッタ・超(チャオ)です」

「こういう風にお会いするのは初めてですが、すれ違ったことは有りますね」

 ジュリオはさりげなく始めた。

「ええ。ペートルの宮殿でしたね」

「あれ以来数日間はバレッタ閣下も大変だったようですが」

「はい。かなり色々ありました」

 キミの行動はお見通しなんだよと云う、威嚇に似たジュリオのジャブは終わり、本題に入った。バレッタの一番痛い所を突いた話題であり、これは少なからずバレッタの精神を揺さぶった。計算され尽くした話題である。

「ところで、バレッタ閣下。我が東アジア連合は、貴国との相互不可侵条約の締結を望んでおります」

「…不可侵条約締結」

「はい。既にエウロペ同盟とは締結で合意しております」

「すると、貴国は我が国とエウロペの両勢力と相互不可侵条約を結ぼうというのですか?」

「その通りです。どんな計略があるのかとご不審かも知れませんので、ご説明いたしましょう」

「ええ。お聞きします」

 バレッタの予期しない攻撃であった。
 世界三分の計の次のステージは、3つの勢力の内2つを合体させて残りに1つに当てると云う作戦だと考えていたが、意外にもこの状態をキープしようと云うのだ。どうも、ジュリオには常に先手を取られている感じである。しかも、エウロペとは交渉済みとの事。攻撃の速さは見事である。バレッタは舌を巻いた。

「すなわち、世界三分の計は完成しました。世界は、アイギス連邦、エウロペ同盟、東アジア連合の3つの勢力に分かれました。これは器の脚が3つ有るのと同じで、極めて安定した状態です。かつて、世界が不安定で争いに明け暮れていたのは、多数の小国が勢力争いをしていたか、或いは2つの大勢力が世界の覇権を賭けて戦っていたかのどちらかでした。
 しかし、今や世界は安定の時期に入ったのです。我々はこの平和の時代に、経済的な発展を遂げ、国民の生活向上を得ようと考えています。よって、覇権主義はとりません。我々は宣言します。
 だが、世界には我々の意思を単なる方便、戦術だと考える疑い深い人々もいる。我々はその意思を明確な現実として世界に示す必要があります。よって、世界の他の勢力全てと相互不可侵条約を結び、相手を侵さない事を世界に宣言するのです。
 これが我々の平和への意思です。アイギスに於きましても、この我々の意思を理解して頂き、相互不可侵条約の締結をお願いしたいのです」

「東アジア連合+アイギス連邦、東アジア連合+エウロペ同盟の組み合わせと云うワケですね。では、アイギス連邦とエウロペ同盟の関係はどうなるでしょう」

「それは我が東アジア連合の判断を超えます。バレッタ閣下はどうお考えですか?」

「アイギスとエウロペが安全保障条約を結び、東アジア連合に対抗する…」

「はははは」

 ジュリオは笑った。

「いやはや。これは失礼しました。世界に鳴り響くバレッタ閣下ともあろう方が、そのような考え方を為さるとは。…ああ、これは冗談でしたか」

「いえいえ。本気かも知れませんよ」

「いやいや。バレッタ閣下の聡明さをもってすれば、そんな考え方は為さいません」

「なぜ、そう言い切れるのですか?」

 バレッタは、自分の考えが見透かされているようで、不快であった。そのため、わざと突っかかる様な云い方をしたわけだ。

「では、ご説明しましょう。そもそも、エウロペ同盟を生み出した最大の理由はアイギス連邦の覇権主義です。世界の軍事費の半分を消費し、世界のGDPの28%を生み出す超大国が軍事力で世界を制圧しようとしている。その姿はどう猛で巨大なライオンのようです。如何なる国家指導者でも畏れおののくのは当たり前でしょう。
 だが、力を恃(たの)むものは力で亡びるといいます。本当の大国なら徳を以て他国に接し、和を以て服従させることで、その偉大さを末永く保つことが出来るでしょう。だが、アイギス連邦はそうではない。暴力と破壊によって世界を我が物にしようとしている。それが産むのは恐怖と憎しみです。決して、尊敬や服従を呼び起こすことは出来ない。だから、何れは全てを失う事になるのです。それを真の大国とは云わない。
 エウロペ同盟はアイギスの脅威から身を守るために同盟した。東アジア連合もアイギスの暴圧から逃れるために連合したのです。つまりは、この世界三分の計を生み出したのは他ならぬアイギスの政策なのです。
 そのアイギスとエウロペが安全保障条約で結び、我が東アジア連合を攻めたらどうなるか。例えて云えば、ライオンに命令された犬が、他の犬を襲うのと同じです。両犬は傷つき息絶え絶えとなり、それを楽々とむさぼり食ってしまうのはアイギスに違い有りません。そのようなあからさまな事実の前に、エウロペ同盟はアイギスと条約を結ぶでしょうか? そんなはずがありません」

 これは事実であった。バレッタとしても、包囲同盟が破綻した理由の半分はアイギスの覇権主義による脅威だと判っているから、否定しようもなかった。わざと明るい顔をして云った。

「単なる冗談を云ってみたまでです。確かに、ジュリオ閣下の云われることは一面正しい」

「では、相互不可侵条約締結の件、了解していただけたでしょうか?」

「いいでしょう。大統領には話しておきます。大統領は承認されるでしょう」

 自分が了解すれば、それは大統領が了解したことと同じである。大統領の信任厚いバレッタだからこそ云える言葉である。

「さすがはバレッタ閣下。お見事でございます。では、我々は用件が済みましたので、下がらせていただきます」


 ババチコフとジュリオが退出した。バレッタはスタッフの居る部屋に戻った。応接室での会話は盗聴されており、スタッフも聞いていた。バレッタが戻った途端、スタッフに取り囲まれた。

「閣下! 東アジア連合と相互不可侵条約など結んだら、彼らの思うつぼではないですか?」

「閣下、チョンファーレンの脅威は消えては居ません。彼らに時間を与えてはなりません」

「まァ、みんな。落ち着いて。ちょっと考えてみなさい。東アジア連合とエウロペ同盟の条約締結は確かなようです。これは先ほど別ルートから確認しました。と云う事は、ここで我々が東アジア連合と相互不可侵条約を結ばなかった場合、彼らは我々の覇権主義を疑います。侵す意図があるからこそ相互不可侵条約を結ばない。東アジア連合とエウロペ同盟に敵対する明白な意思表示だと。とすれば、東アジア連合とエウロペ同盟はどう出ると思いますか?」

「…それは、彼らの条約が対アイギス共同安全保障条約になると云う事です」

「そうです。つまり、アイギス対2大勢力と云う構図が出来てしまうのです。これはまずい。だから、我々は相互不可侵条約を結ばざるを得ないのです」

 熟慮すれば、確かにそう云った答えしか出てこない。選択の余地すら与えない、ジュリオの提案の怖さに、スタッフ達は改めておののいた。

「更に、考えて欲しいのは、ジュリオがババチコフを連れてきたこと。これはどういう意味だと思いますか?」

「それは、我々の考えていた作戦、つまり、ババチコフを扇動して東アジア連合とエウロペ同盟を戦わせようとする策は効かないぞと云う事です」

「お見事です。残念ながら、我々はジュリオの前に為す術がありません」

「しかし、これではチョンファーレンの脅威を押さえる事ができませんよ」

「そんな事はありません。そもそも条約は一枚の紙切れです。遵守すると云う意思がなければ意味がありません。どうです?」

「でも、それは国際外交にとっては禁じ手ですよ」

「もちろんです。云いたいのは、破ることもできるよと云う事です」

「それは判ります」

「もう一つ。既に手を打ちつつあります」

「何ですか?」

「東アジア連合の中心はチョンファーレンです。これを内側から崩す」

「なんですって? 内乱を扇動しようと云うのですか?」

「その通りです。東アジア連合の中心が崩れれば、東アジア連合は崩壊します。これは明らかです。つまり、チョンファーレンを揺さぶるのです。あの国には今大きな矛盾が存在します。富の不平等と役人の腐敗です。これに対する国民の不満は爆発寸前です。我々は、最後の一押しをしてやればいいのです。国民は外からの脅威には一致団結しますが、国内の腐敗には驚くほど無力です」

「確かに、一見盤石なチョンファーレン外交も一皮剥けば、不安定な国内状況と云うワケだ」

「そうです。そこに付け入るのです。既に反乱教育を施した秘密工作部隊を送り込んであり、現地の人々を扇動しつつあります。成果は徐々に出ています。あと1ヶ月もすれば、面白いことになるでしょう。我々は包囲同盟でその力を削ごうとしましたが、彼らはこれからは世界の厄介者として、自らその力を失うことになるでしょう」

「戦わずして勝つ…と云う事ですね」

「そうです。外交は戦わずして勝つのが上策。戦って勝つのは外交の下策です。確かに戦争は外交の一部ですが、無駄なエネルギーを使うのは下手な証拠です」

「閣下。見事な戦略です。ただ、一つだけ問題が有ります」

「それは何でしょうか?」

「我が国の産軍複合体です」

「相互不可侵条約では、戦争屋に仕事が無くなるって事ですね」

「その通りです。かつて弱腰の大統領さえ殺した連中です。仕事が無くなると云って、閣下の失脚を図る可能性大です」

「彼らとは打合せも持っています。不可侵条約は一時的だと云う事を説明すれば納得して頂けるでしょう」

「そうですね…」


 その頃、ジュリオとババチコフはペートルの宮殿で会談をしていた。

「ジュリオ君。バレッタはどう出るかな?」

「彼女のことです。大人しくしているはずがありません。多分、チョンファーレンへの攻撃を考えているでしょう。チョンファーレンを崩せば、東アジア連合は崩れ、世界三分の計も崩壊。アイギスの前には料理が並ぶとでも考えているのでしょう」

「あんな危険な女性は、そろそろ歴史の舞台から退場して欲しいのだが」

「同感です。直接会ってみて、その怖さが判りました。で、既に手は打ってあります」

「本当か? さすがに素早いな。どうやるんだ」

「我々は手を汚しません。今は大事な時ですので、少しでも疑わしい事はやるべきではありません」

「…とすると」

「アイギスの連中にやらせるのです」

「不満分子を使うのか?」

「その通りです。閣下はアイギスの産軍複合体の恐ろしさをご存じですか?」

「噂は聞いている。アイギスの真の政府だと云うんだろ」

「その通りです。今回のアイギスと東アジア連合の相互不可侵条約で最も打撃が大きいのは彼らでしょう。戦争や緊張が無くなっては武器が売れなくなりますからね。まァ、中東やアフリカ辺りで我田引水の騒動を起こして市場開拓をしていますが、アジア、ヨーロッパの市場もデカイですからね。と云う事は、彼らにとって邪魔なバレッタを消したい。その最後の一押しを我々がやれば、目的は達せられます」

「出来るのか?」

「勿論です。ただ、バレッタは賢い。産軍複合体とのパイプも持っていますので、このままでは目的を達することが出来ません。よって、彼らをけしかける人間が必要です」

「キミか?」

「いや。わたしは既に顔が知れているので、足がついてしまいます。別な人間にやらせます」

「なるほど」

「バレッタが消えれば、アイギスの外交は武力による脅迫外交となるでしょう。その脅威は東アジア連合とエウロペ同盟の結束をより強固にするでしょう。経済成長の著しい我々がアイギスに代わって世界を制する事は時間の問題です」

「キミに任せよう」




第17話 「バレッタ暗殺計画」

 鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス。


 ダイダロスと云う企業がある。世界最大の軍事大国であるアイギス連邦。その軍需産業の1/3を占める巨大軍需企業集団の中核となる企業である。その総帥である社長のアレクトーは、当然ながら巨大な権力を手にしている。軍事力と云う暴力と、金と云う暴力を併せ持ち、しかも選挙による国民のチェックを受けないこの権力者は、羽の生えた虎に例えられる。いわばアイギスの真の王である。アイギスの政治の1/2、軍事の2/3、経済の1/5は動かせる為、人は彼を「大統領」とすら呼んでいる。
 今朝、彼の元に1本の電話が掛かってきた。重役の一人からである。彼が云うには、スタッフの一人がバレッタの危険性を指摘しているとの事だ。権力者であるアレクトーの周りには、派手な献策をして首脳部に認めてもらおうという若造が大勢居る。そのスタッフも多分その一人だろうが、一応話を聞いてみるのも悪くはないだろう。総帥としてのアレクトーの良い点は、人の話を聞けると云う事である。100人中1人でも優れた話の出来る人間が居れば、それを抜擢してやるのが総帥の仕事であろう。
 研究員のエンディ・ミオンと云う若造がやってきた。金髪で緑の目をしている。すらりとした体型に細面よりはちょっとぼちゃっとした感じの青年である。

「エンディくんと云ったな。まずは君の話を聞こうじゃないか」

「社長、お初にお目に掛かります。早速ですが、私の献策をお聞き下さい」

「うむ」

「先ずは、社長にお聞きしたいのですが、アイギスと東アジア連合の相互不可侵条約をどうお考えですか?」

「外務大臣バレッタの話では、一時的なものだそうだ。東アジア連合とエウロペ同盟の結束を弱めるために、やむなく結んだそうだが」

「東アジア連合はますます強くなり、我が国の大きな脅威となるのではないのですか?」

「やつらは未だ小さい。それにチョンファーレンは国内に病を抱えている。それを起爆させるので、少し待って欲しいそうだ」

「それをお信じになりますか?」

「無論だ。バレッタは我が国の強さの根源が軍事力だと云うことを十分に理解している。だからこそ、条約締結直後に、直接我々に説明をしにやってきたのだ。その聡明さと誠実さをわたしは買っている」

「では、お聞きしますが、条約締結を主導したのはバレッタだったのでしょうか? それとも東アジア連合のジュリオだったのでしょうか?」

「ジュリオだ。東アジア連合とエウロペ同盟は既に同盟を結んでいたので、対抗上、アイギスも結ばざるを得なかったのだから」

「つまり、バレッタはジュリオに出し抜かれたと云う事ですね」

「そう云うことになるな」

「バレッタがジュリオに出し抜かれたのは今回だけではないのをご存じですか?」

「うむ。チョンファーレン包囲同盟の崩壊がそうだ」

「社長。つぶさに見ると、バレッタはジュリオに負けっ放しなのですよ」

「…確かに、云われてみるとそうだ」

「ジュリオに勝てないバレッタは、我が国の外務大臣かつ国防大臣であり、しかもハデスは彼女を重用し、罰しようともしない。これで我が国の安全保障は保てるのでしょうか?」

「なるほど。キミの云いいたい事は判った。だが、彼女の作戦は大きいので時間が掛かるのはやむを得まい」

「チョンファーレンがまもなく内乱化するので、相互不可侵条約はすぐに破綻すると云う説ですね」

「そうだ」

「果たして、ジュリオに勝てないバレッタの計画が成功するのでしょうか? またジュリオに出し抜かれてしまう可能性大です。と云う事は、相互不可侵条約は維持され、チョンファーレンが世界を牛耳り、我が国の国威は失墜し、ダイダロスも潰れてしまうのですよ。果たして、社長はそれでもバレッタを支持できると云うのでしょうか? それは、国家と会社に対する背信行為ではないですか?」

 きつい表現でアレクトーを挑発するエンディであった。このパターンは良く有るが、今回はなかなか筋が通っているようだ。検討に値することだと、アレクトーは判断した。

「…これはまた、強烈な言葉だな。しかし、キミのいう言葉も正しい。キミの意見が正しいとすれば、我々は今何をすべきだと考えているのだ?」

「大統領の暗殺です」

「おい。それは聞き捨てならないぞ。我々に過去の失敗を繰り返せと云うのか?」

「違います。アイギスの国威発揚に必要だからです」

「で? 抹殺するとどうなるんだ?」

「暗殺はチョンファーレンの仕業に見せ掛ける工作を行います。大統領暗殺と云う事で世論は理性を失い、チョンファーレンに敵対する政策を支持します。副大統領はタカ派ですから、当然、チョンファーレンに軍事的攻勢を掛けます。戦力差から我が国は優勢に軍事的外交を押し進めることが出来ます。我が国の国威は高まり、チョンファーレンは落ちぶれます。新大統領はバレッタは採用しませんから、結局、大統領一人を暗殺することで、大統領とバレッタ及びそれに連なる臆病者の一派を根絶やしに出来ます。もし、バレッタを暗殺した場合は、大統領に対する警告とはなっても、根絶やしと云う効果は得られません」

「なるほど。しかし、今のタイミングで大統領が暗殺されたら、相互不可侵条約に反対する勢力の犯行と判断されるだろう。チョンファーレンに見せ掛けたとしてもだ。暗殺は一番得をしたヤツが犯人だと云うじゃないか。そうじゃないかね? 詰めが甘いんじゃないか?」

「恐縮です…」

「でも、キミの情熱は判る。そうだな。じゃあ、バレッタを暗殺したらどうなる?」

「大統領に対する警告にはなるでしょう。弱腰外交をやっているとこうなるぞと云う事で」

「そうだな。大統領はもっと物わかりが良くなるだろう。圧倒的な軍事力の前では、チョンファーレンだろうが、東アジア連合だろうが、エウロペ同盟だろうが、無力だと云う事を。
 戦争は外交の一部なのだ。国威発揚のためには軍事力を容赦なく使わなければならない。我々は今現在、世界最強の圧倒的軍事力を持ち、誰も我々を止めることは出来ない。このチャンスに世界制覇を成し遂げずに、返って、他国が強力になるのを待つと云うような政策など、到底認められない」

「その通りです」

「となれば、バレッタを消して、ハデスに刺激を与えるのは実に有効だろう。エンディくん。キミの力を見せて欲しい。私のスタッフ会議の主宰をやってくれ。議題はバレッタ暗殺計画だ。会議で実行計画を立てれば、スタッフは正確に行動してくれる」

「社長。そのような重要な会議の主宰をやらせて頂けるのですか?」

「暗殺計画が上手く行けば、キミは我が社の重役になってもらう。もし失敗したら亡命でもするんだな。それで良いだろう」

「かしこまりました」

 才能のテストをするため、エンディは任務を与えられた。目的はバレッタ暗殺計画の実行である。
 1時間後、会議室には5人のスタッフが集まった。裏世界のボスたちである。軍、情報組織、軍需産業のウラの代表である。

 アレクトーがエンディを紹介し、目的を明らかにした。アレクトーは退席し、エンディが始めた。

「今回のプロジェクトの目的は、バレッタを暗殺し、ハデスに軍事的強硬策を採らせる事です」

「見せしめと云う事だな」

「どういう状況で殺すかが重要だな」

「チョンファーレン空港で爆殺」

「公海上で空中爆発」

「チョンファーレン系のテロリストが銃撃」

「執務室で拳銃自殺」

「暴走トラックにはねられる」

「毒蛇にかまれる」

「バレッタは我が国の英雄、殉教者として死んでもらわないと、あとが続かない」

「戦争のきっかけになる位の派手さが必要だ」

「やっぱり、空中爆破か」

「近々、チョンファーレンで会議がある。それに出席する」

「公海上か、アイギス領内か、チョンファーレン領内か?」

「領内は探知されやすい。公海上がいいだろう」

「バレッタ専用機だな」

「高度10キロメートル」

「護衛機は5機か?」

「F22が遠距離からミサイル攻撃を行う」

「バレッタ専用機だぞ。偽の熱源からチャフまで備わっているぞ。IR(赤外線パッシブホーミング)+ARH(アクティブレーダーホーミング)なんぞ、通用するものか」

「しかもバレッタ親衛隊の護衛機だ。自分たちがミサイルの盾になるぞ」

「例の、肉の壁か…」

「連中の忠誠心は絶対的だ」

「では、時限爆弾を使おう」

「取り付けられるのか?」

「我が社に任せろ」

「機体の残骸から時限爆弾だと判るとまずい」

「やっぱり、海の上が良いな」

「残骸が出てこないのがベスト」

「水深3000メートル」

「では3段構えで行こう」

「うむ。先ずは時限爆弾」

「主翼の付け根がいいな」

「設置はウチがやる」

「次がミサイル攻撃」

「バレッタ機に発信器をつけてくれ。主翼両端だ」

「その電波でミサイルを誘導する」

「電波発信は時限式が良いな」

「よし。それも我が社がやる」

「最後に、IR(赤外線パッシブホーミング)+ARH(アクティブレーダーホーミング)ミサイル。中間誘導は慣性誘導だ」

「弾の数は?」

「ミサイルは2種類各10発だ」

「随分と盛大だな」

「バレッタ機と親衛隊の両方を叩くためだ」

「F22の調達は?」

「5機出そう」

「ミサイルはウチが用意する」

「パイロットは?」

「良いテストパイロットが居る。任せろ」

「大体、こんなところか」

「あとはタイムスケジュールを決定する必要がある」

 エンディが立ち上がった。

「OK。では、私がバレッタのスケジュールを元にタイムスケジュールを作成します。皆さんは分担に従って、準備を始めて下さい。次の会合は1週間後。進捗を報告してもらいますので」

「了解」

 計ったように、アレクトーが入ってきた。

「みんな。ご苦労だった。隣で呑んでいってくれ」

「サンキュー、ボス」

 アレクトーはエンディに近づき、云った。

「どうだ。私のスタッフは」

「見事です。仕事が速いですね」

「エンディくん、忘れるなよ。オレ達がアイギスを守り、支えているんだ」




第18話 「バレッタに死を!」

 沈む太陽、昇る太陽。


 チョンファーレンへの出発を控えたバレッタ親衛隊が重大な情報をキャッチした。バレッタ暗殺計画である。

「どうも、軍需産業関係者が妙な動きをしているらしい」

「空軍の一部に頻繁な命令変更が出ている。どうやら、作戦を隠蔽している気配がある」

「情報部員が早期警戒システムに干渉しているそうだ」

「警戒システムの情報をいじくる準備だな。それは」

「総合的に判断して、バレッタ閣下暗殺計画が存在する」

 バレッタ親衛隊隊長マールスは保安会議の席上、そう断定した。彼はペートル空港でのバレッタ外務大臣更迭事件の際、大統領警護隊から激しい暴行を受け、その傷からやっと回復して職場に復帰したばかりである。皮膚の移植手術などで外観は元通りであるが、右目を失明していた。

「隊長。今回のチョンファーレンへの飛行は危険です。警備体制はどうしますか?」

「上空の監視衛星を確保しろ。複数だ。ステルス機の出す、熱を監視するのだ。それとAWACSも2機動員しろ。護衛機は10機に増やせ。乗員は死を覚悟しろ」

「はっ! 護衛機をミサイルにぶつけてでも、閣下をお守りします」

「早期警戒システムに、係員と完全武装の部隊を派遣しろ。暗殺者の妨害を阻止するんだ。必要ならば施設を奪え。発砲を許可する」

「はい! 敵の動きを必ず掴みます」

「機体の整備は?」

「部品1個ずつ調べています」

「まァ、さすがに常時警備している機体までは手が出ないだろうが…。そうそう、燃料とか食事とかもチェックしろ。異物や発信器が入っているかも知れない」

「了解しました!」


 一方、軍需産業ダイダロスのエンディ側にもこの情報は入っていた。

「我々の動きがジャジャ漏れじゃないか。一体なにしてるんだ」

「情報屋と情報の取引をしているからな。やむを得ない」

「護衛機が10機だと。戦争でも始める気か?」

「やつらはその積もりだよ」

「ミサイルを倍にしろ」

「こちらもAWACSを用意しろ」

「早期警戒システムの妨害はどうだ」

「やつらの邪魔が入っているので、うまく行っていない。なんとか時間までには介入するさ」

「時限爆弾と発信器は?」

「既にセット済みだ。やつらが動き出す前に付けておいたからな。必要部品との区別はつかない」

「OK。なんとかなりそうだ」

 両者の暗闘はバレッタの出発まで続いた。バレッタはタラップから挨拶し、機内に消えた。バレッタ機はそのまま離陸し、後ろから護衛機が続々と現れ、バレッタ機を取り囲んだ。空中給油機は太平洋上に待機しているはずである。その頃には追加の護衛機も追いつくはずだ。目的地はチョンファーレンである。今回の旅は緊急でないため、北部太平洋ルートを採っている。対外的は通常の飛行に見えるが、その実、内容は最高度の警戒態勢を採っている。バレッタ機の機内では、マールス隊長がバレッタにパラシュートを付けていた。


「本当にこんなものが必要になるんですか?」

「間違い有りません。敵は必ずやってきます。ターゲットは勿論閣下です」

「その際は他のメンバーも脱出してくださいよ」

「当然です。それはお気になさらないで下さい」

「現状報告をお願いします」

「はい。アイギス及びチョンファーレンの政府関係機関には特に動きはありません」

「チョンファーレンの内部ではどうですか?」

「暴動の数は先月と変わっていません。散発的で組織的な動きはありません。気になる点と云えば、組織間の通信量が次第に増大しつつあります。それに伴い、保安省の通信量も増大中です。これはちょっとした予兆の可能性があります」

「わかりました。有り難う」

 取り敢えず、今は平和だ。バレッタは眠りについた。
 どのくらい経ったか、軽い警報音が響いた。マールスがやってきた。

「閣下。ステルス機が現れました。機数5、後方約200キロメートル」

「ダイダロスですか?」

「たぶん…。だが、ご安心下さい。この機はECM、フレア、チャフなどの対空ミサイル妨害装置が付いています。しかも、護衛機は10機です」

 アナウンスが低い声で語った。

「本機ECM作動開始…。AWACS、電子戦開始」

 バレッタはふと思った。電子戦装備を施した本機を襲うと云う事は、こちらの装備以上の攻撃方法を持っていると云うことではないか。つまり、通常の対策では不足だ。

「隊長。敵は我々の力を知っての上で攻撃しています。想定外の攻撃を掛けられる可能性が高い」

「…たしかにそうです。しかし奴らはミサイル攻撃をするしか方法がないはずです。ならば、我々の装備で回避できます」

「もし、この機体に仕掛けがあったら?」

 アナウンスが再び語った。今度は少し高ぶっているようだ。

「マールス隊長。本機から強力な誘導電波が発信されています」

「なに?」

 マールスは司令所へ走った。バレッタも走った。

「先ほどから始まりました。機体から強力な電波が出ています。ミサイルを誘導するためのものです」

 バレッタが反応した。

「隊長。このままでは危険です」

「よし、急降下だ。本機及び護衛機は一気に500メートルまで降下せよ。…閣下、このままではやられます。脱出ポッドで脱出して下さい。ポッドは途中で開き、あとはパラシュートで降下できます」

「しかし、あなた達は?」

「…閣下。いつかこんな時が来る事を我々は判っていたんですよ。それが我々の望みなんです。我々の望みを叶えて下さいよ」

「それでもわたしには出来ません」

「閣下、残念ながら現実は劇とは違い、語り合う時間が無いものなんですよ」

 その時、管制官が叫んだ。

「敵機、ミサイル多数を発射。距離40キロメートル。速度マッハ4。約40秒で命中します」

「お別れです。お元気で、閣下!」

 マールスはそれでも拒むバレッタを無理矢理脱出ポッドに詰め込み、後方に護衛機がいないことを確認してから、射出ボタンを押した。急降下の中、上空1500メートルで射出されたポッドは途中で開き、バレッタは空中に放り出された。自動的にパラシュートが開き、バレッタは海面に向けてゆっくりと降下した。彼女は叫んだ。

 「隊長!」

 バレッタ機と護衛機を追って、多数のミサイルが接近してきた。その内の半数はECMの為に目標を失い、海面に向かった。残りの半数は、誘導電波を発信するバレッタ機を執拗に追いかけた。護衛機がバレッタ機の盾になろうとした瞬間、突然バレッタ機が爆発した。時限爆弾である。ミサイルは護衛機を追い抜いて、四散するバレッタ機の残骸に命中した。

「閣下ぁ!」

「隊長ォ!」

 護衛機のパイロット達の悲鳴が海面に跳ね返った。

 それから、暫く経った。バレッタは付近海域に配置されていた大型巡洋艦に救助された。バレッタ親衛隊の手配である。バレッタは垂直離着陸機で艦を離れ、バレッタ機の護衛機の生き残り8機を伴い、一路チョンファーレンを目指した。チョンファーレンに到着後、会議に出席した。特に変わった様子は見せなかったが、バレッタ専用機ではなく、大統領専用機がチョンファーレンに迎えに来た事だけが周囲の注目を引いた。
 そして、アイギスに帰国後、彼女は突然、辞任した。外務大臣及び国防大臣をである。理由は、チョンファーレン包囲同盟の失敗の責任を取ったものである。後任の外務大臣及び国防大臣は無名の政治家である、エンディ・ミオンであった。これはバレッタの登場の時以来の話題を集めた。巨大軍需産業ダイダロスのプリンスと称されつつあるエンディが、政府の要人となった事で、アイギス連邦の外交は覇権主義へと大きく傾斜するだろうと云うことは、外交通の一致した見解であった。

 これより先、アレクトー社長はエンディと会談を行っていた。

「エンディくん。作戦成功おめでとう」

「社長。これでは成功とは云えないのではないでしょうか? わたしは亡命すべきかも知れません」

「ははは。上手い冗談だ。いやいや、確かにバレッタの暗殺には失敗したものの、彼女は政界から去り、事実上死んだも同然だ。更に、ハデスは我々の警告を真摯に受け止め、物わかりが良くなった事を我々に示してくれたよ。彼は土産をもってきてくれた。バレッタの代わりに、外務大臣と国防大臣をキミにやってくれないかと云うことだ」

「それは名誉なことです」

「そう。その通りだ。わたしは引き受けたよ。やってくれるね」

「はい。喜んで」

「これでダイダロスは政界の3/4をコントロールすることが出来る様になった。大きな成果だ。で、キミには早速やってもらわなければならない事がある」

「はい。我が国の外交を覇権主義に切り替える事だと考えますが」

「…すばらしい。見込んだ通りだ」

「先ずはチョンファーレンを集中攻撃し、東アジア連合の自壊を促す事だと考えますが」

「それでよい。全て、キミに任せよう」

「バレッタを処理すべきと考えますが」

「トドメを刺せと云う事か。いいだろう。キミの好きなようにやり給え。結果だけを報告してくれればよい」

 エンディはその足で、スタッフ会議に臨んだ。

「皆、ご苦労だった」

「はっ! エンディ閣下も大臣就任とのこと。おめでとうございます」

「ありがとう。全て、キミ達のおかげだ。で、今回の作戦の反省会を行い、戦果を確実な物にしようと思う」

 姿勢を改めて、エンディは云った。

「バレッタは攻撃されたが、命を失うまでには至らなかった。よって、アイギス政府はこの事件を隠蔽した。だが、我々のメッセージはハデスに十分伝わった。バレッタは辞任し、ハデスは覇権主義へ傾斜することを誓った。つまり、我々のプロジェクトの目的は達せられた」

 間を置いた。

「我々は成功した。では、反省会を始めよう」

「まず、時限爆弾と誘導装置の設置は完ペキにうまくいったと自認します」

「見事だった。あれがなければ、トドメを刺すことは出来なかっただろう」

「早期警戒システムへの介入は、バレッタ親衛隊が戦闘部隊を送り込んできたために出来ず、代わりに中継回線を遮断することで行いました。しかし、効果が出たのはミサイル発射後でした。これは失敗だと考えます」

「もっと前から介入しておく必要があったと認める。これは反省点だ。次回までには解決しておくように。いいね」

「はっ!」

「攻撃部隊は全て予定通りのスケジュールでした。うまく行ったと考えます」

「見事だった。パイロットにも礼を言っておいて下さい。反省会は以上だが、他に議題は有るか?」

「閣下、バレッタはこのまま放置しておくのですか?」

「聞けば、彼女は帰国後放心状態となり、自ら辞任を申し出たそうだ。辞任後に失踪している。だが、油断は出来ない。彼女を捜し出し、始末せよ」

「判りました。我が情報部が探索と処理を行います」

「よろしく頼む。定時報告を怠るな」


注:
ECM:Electronic Counter Measures 、電子対抗手段
電子対抗手段は敵のレーダーを妨害または騙し、敵の指揮、統制、情報収集機能に混乱を与える兵器である。

チャフ(chaff)
レーダーによる探知を妨害する物体である。レーダー波を乱反射させることで、自機の探知を妨害したり、レーダー誘導のミサイルを回避したりする。

フレア(Flare)
赤外線誘導ミサイルの命中を回避するために航空機から空中へ放出する欺瞞装置の一種であり、航空機のエンジン排気口から放射されるのと同じ周波数帯の赤外線を出しながら燃焼するように作られている。




第19話 「バレッタの失踪」

 乙女座。思いがけない出会い。ラッキーアイテムはハンバーガー。


 外務大臣と国防大臣を辞任したバレッタは、表舞台から消えた。彼女は、殉職した30人の親衛隊隊員たちの故郷を訪ねていた。先ずは隊長のマールスの両親に会った。

 「これは、バレッタさん。わざわざ息子に会いに来てくれたんですか。あの子は昔から不器用でしたが、忠義に篤い子でしたね。親衛隊の隊長になってからは、一度も私たちの顔を見に来てくれたことはないんですよ。仕事が忙しいとか云って。まァ、電話は良くくれたんですが。その度にバレッタ閣下は凄い、バレッタ閣下は大した人物だと、そりゃあ、誉めてましたよ。自分はその閣下を守るために頑張っているんだ、それは誇りだとも云ってました。最近、怪我をしたとか云って、暫く電話もくれなかったんですが、やっと治った矢先に、事故で死んでしまうとは。でも、バレッタさんが無事だったんで、あの子も満足しているでしょう。お墓に行ってこられたんですか。それは有り難うございます。危険な仕事だが、国の名誉を守り、しかもやり甲斐のある仕事だと云っていましたから、本人は満足しているでしょう」

 まさか、その国家によって殺されたのだとは云えない。バレッタは目を伏せ、沈黙を続けるしかなかった。マールスの実家を出、次の目的地である、護衛機パイロットの実家に向かって車を走らせた。なぜ、こんな事をするのか。それは自分の命を守るために散った30名の人間への謝罪なのか。それとも30人の死を背負った自分の背中を軽くする為の贖罪の旅なのか。いずれにせよ、いたたまれない想いをなんとかしたいと云う気持ちから出た行動であった。

 ドライブインが目に入った。ちょっと休憩して行こう。ドライブインに車を乗り入れた。

 そこから数キロメートル離れた幹線道を1台の大型キャンピングカーが走っていた。エンディのスタッフに雇われた探偵である。歳は40過ぎ、小太りで、顔はちょっとぶくぶくしている。東洋系で目は小さい。彼の使命はバレッタの発見と抹殺である。発見次第、スタッフに連絡しろと云う命令も受けている。また、抹殺はひっそりと行い、他の人間を巻き込む事は禁止されていた。失脚したとはいえ、前の外務大臣且つ国防大臣が白昼堂々、黒眼鏡とダークスーツの連中に短機関銃で蜂の巣にされたなんて云う状況は、エンディとしても我慢できないだろう。

「無茶な命令だ。と云うか、付帯事項が多すぎる。抹殺というなら、発見次第射殺と云うべきだろう」

 ぶつぶつと独り言を云っている。

「まァ、だから上手く行っていないんだ」

 マールスの実家を見張っていた探偵から、バレッタはこの付近を通過中との情報が入った。

「これらの条件を満足する方法は、つまり、この大型キャンピングカーさ。バレッタをここに連れ込んで抹殺。あとは車ごとエンディに渡すか、崖の下に叩き落とすか、お気に召すまま」

 探偵は更に続けた。

「バレッタはマールスの両親に会って、気に迷いが生じたはず。すると、どこかで休憩したくなるだろう。それが、あそこのドライブインと云うワケだ。ほら、ちゃんとバレッタの車があった」

 探偵は、ドライブインにキャンピングカーを乗り入れた。

「バレッタの好きな食べ物は意外なことにハンバーガーだ。まァ、合理主義だろう。よって、あの店だ」


 ぶつぶつ云いながら、その店に入る。客は一人しか居ない。予定通りバレッタは一番奥でハンバーガーを食べている。

「やあ、バレッタ」

 バレッタの座る席に近付き、探偵は声を掛けた。バレッタはハンバーガーをくわえたまま、眼をパチクリして、この見知らぬ人間を値踏みしている。

「誰だ?」

「エンディの手の者だ。お前を殺しに来た。座って良いか?」

「あ…あぁ」

 ウェイトレスがやって来た。探偵はオーダーをした。

「こちらと同じヤツを。それとコーヒーはエスプレッソでな」

「かしこまりました」

 バレッタはどう反応して良いのか判らず、取り敢えず、ハンバーガーをかじっている。

「バレッタ。色々大変だったようだな」

 まるで、知り合いか友達の会話である。

「一体、お前は、いや、あなたは何者なんだ」

「だから、云ったろう。エンディの手の者だと」

「殺し屋は相手と同じテーブルでハンバーガーなんて食べないぞ」

「新しいタイプの殺し屋なんだよ」

「ぶぶぶ」

 自分でもヘンだとは思うが、どうにも笑ってしまった。ウェイトレスが探偵の食事を持ってきた。彼も食べ始めた。

「ところで、バレッタ。キミはキミを襲った連中を知っているか?」

「ああ。ダイダロスだろう?」

「その通りだ。東アジア連合との相互不可侵条約で仕事が無くなると危機感を持った軍需産業が、ハデスに覇権主義的外交を迫るため、キミを見せしめにしたと云うのが、今回の事件だ」

「…どうして、そんな事を知っているんだ。特別機密事項だぞ」

「それは良いだろう。それより、ダイダロスに今回の襲撃をけしかけたのはエンディだよ」

「エンディは何者なんだ。急に現れたが」

 バレッタは、探偵がただ者ではないことを悟り、なんで知っているんだと云う事は聞かないことにした。最高度の情報スタッフに対する話し方に変えた。

「元々はダイダロスの数多い戦略スタッフの一人だが、相互不可侵条約をテコに、影の大統領であるダイダロスのアレクトー社長に献策して、能力を認められたのだ」

「そういう事か」

「それだけじゃない。エンディの正体はただ者じゃないんだ」

「どう云う事だ?」

「ヤツはジュリオの手先だ」

「まさか! 敵国だぞ」

「いやいや。そこがチョンファーレン外交戦略部の恐ろしいところだ。敵味方両国の首脳がサル芝居を演じているとは誰も気が付くまい」

「目的は?」

「東アジア連合はエウロペ同盟との連合を狙っている。アイギスに対抗するには、2大勢力の結婚が必要だからだ。その為にはアイギスが凶暴でなければならない。よって、アイギスには覇権主義的な外交をやってもらう。それがエンディの役目だ。その間、ジュリオはエウロペにアイギスの脅威を説き、東アジア連合との結婚にこぎ着けると云う計画だ」

「では、世界三分の計は何だったんだ?」

「東アジア連合とエウロペ同盟の結婚への地均しだったんだ。つまり、先ずは世界を3分割しておいて、アイギスの脅威をテコに、アイギス対その他世界と云う構図でアイギスの孤立化を図る作戦だ」

「壮大な計画だな。これに比べれば、わたしの考えたチョンファーレン包囲同盟なんて、小さい小さい」

「だが、キミはその計画を自分一人で考え出し、自分の足で駆け回り、成し遂げたんだろう。それは凄いことだと思うよ」

「それはともかく、あなたはどうして、そのような最高機密をわたしに教えてくれるんですか? …ああ、これから殺すので、教えても構わないとか。いや、あなたほどの人なら、そんな油断はしないでしょう」

「キミに、昔の自分を見てしまったんだよ」

「国家指導者に戦略を売り込む人間ですか。…ひょっとして、あなたはチョンファーレン外交戦略部の人間ですか?」

「よく判ったね。さすがはバレッタくんだ」

「でも、今居る11人の中にはあなたに似た人間も居ませんよ」

「外交戦略部だったと云うべき人間だ」

「で、そんな凄腕の方が、わたしに何をせよと云うのですか?」

「チョンファーレンに行ってもらいたい」

「チョンファーレンに?」

「そうだ。あの国は今病んでいる。動乱は近い。何しろ、バレッタくんが扇動部隊を送り込んでいるくらいだから。いや、それ以前に、社会の不満は爆発寸前だ」

「それは事実です。しかも動乱の兆候が既に出ています」

「苦しむのは民衆なんだ。今苦しんでいるのも。そして、扇動により動乱を起こし、その銃弾の中で死ぬのも大半は民衆だ。更に動乱の後、政府の過酷な弾圧で苦しむのも民衆なんだ。それを見るのに忍びない。外交戦略部のスタッフなら、そんな事は気にせずに、人民を国家の利益のために碁石のように自由に扱うべきなんだろうが、わたしにはそんな神経が無かった。しかも、わたしは行動力が小さい。勇気がないんだ。自分では出来そうにない。だからキミにやって欲しい。動乱を最小限に食い止め、しかし、そのメッセージだけは政権の中枢に届けて、社会改革を強力に押し進める力になって欲しい」

「判りました。その気持ちはわたしも同じです。世界制覇と云う政府の野望のために、命と平和を失う人々の悲惨さは、アイギスであれ、チョンファーレンであれ、同じです。それを救わずして、それを救えずして、何が世界制覇か。わたしはやっと判ることが出来ました」

「わたしの車には変装道具が満載してある。そこで化けて、普通にチョンファーレンに出国すれば良いだろう。まさか、正々堂々と出国するとは考えない」

「それは良い考えですね。でも、DNA検査とか有りますよ」

「犯罪歴のない人格を何種類か用意済みだ。そのIDセットを使えば問題ない」

「判りました。依頼事項、承りました」

 席を立とうとして、ふと気が付いた。

「そういえば、お名前を聞いていませんでしたね」

「名前など何の役にも立たない。強いて云えば、単なるマークだ。そうだな、アルファとでも云ってくれ」

「判りました、アルファさん」

 数時間後、ドライブインに自分の車を放置したまま、バレッタの消息は忽然と途切れた。ドライブインに居た人間は誰もバレッタを見てはいなかった。ハンバーガーショップのウェイトレスもバレッタを知らなかった。ましてや古ぼけた男が一緒に居たことも覚えていなかった。残飯を検査しても、DNAの痕跡はなかった。
 時を同じくして、一人の探偵も消息を絶った。だが、そんな小さな事に注意を払う人間など一人も居なかった。

 数日後、このドライブインから数百キロメートル離れた山岳部で、1台の大型キャンピングカーの残骸が発見された。見通しの悪い道路から転落し、炎上したものと考えられた。車の中には2人の焼死体があり、歯の並びとDNA検査から、一人はバレッタ本人である事が判明、もう一人は不明であったがバレッタの知り合いだと想像された。。当局はバレッタが事故死したものと判断、マスコミはこれに従って報道した。

 この件の詳細な内容は、エンディの元にも入っていた。情報スタッフが報告している。

「間違いありません。DNAその他は、あれがバレッタ本人であることを示しています」

「もう一人は何者だ?」

「バレッタ親衛隊員の一人です。副隊長です。なお、この情報はマスコミの注目を引きそうなので、隠蔽しています」

「その二人がなんでそんな所を走っていたんだ。目的は?」

「判りません。ただ、バレッタは殉職した隊員の実家などを訪問していましたので、それが目的かと」

「しかし、バレッタは自分の車をドライブインに置き去りにしているんだぞ。ヘンだと思わんか」

「ならば、こう考えては如何でしょう。副隊長がバレッタを拉致した」

「なるほど」

「副隊長はどこからかの指示でバレッタを搬送途中であった。ところがバレッタが暴れて転落した」

「キミは推理小説家になれそうだな」

「いや。そう云う積もりでは…」

「どこからの指示があったと考える?」

「バレッタ親衛隊の残存勢力があります。そこからかも」

「或いは、軍か情報部辺りか…」

「調べますか?」

「そうしろ。意外な動きをしている奴らが引っ掛かるかも知れん」

「何れにせよ、バレッタは死亡しました。社長に報告しますか?」

「それはわたしがやっておく。有り難う」


 それから更に数日後、チョンファーレンの沿岸部に近い空港に一人の女性が降り立った。バレッタである。化粧と髪型を少し変えているだけだが、誰もそれがバレッタだとは気が付かない。乗降客に目を光らす公安省の制服警官や私服警官も一度は彼女の顔を見て、オヤと云う態度を取るのだが、すぐに何かを思い出したように目をそらし、次の顔を探す。何しろ、バレッタが死んだことは世界中の人間が知っていることだから。
 一度も職務質問を受けることなく空港を出たバレッタは空港のタクシーに乗り込んだ。バレッタが何処に行ったのかを知る者はなかった。




第20話 「チョンファーレン帝国の暗雲」

 小さい穴から堤防も崩れる。


 チョンファーレン帝国中部山岳地帯。沿岸地方の経済的発展とは無縁の、所謂、ど田舎である。ほんの百年前までは、子供は裸と裸足が当たり前であり、唯一の大河の氾濫で、常に飢餓の恐怖に怯える貧しい土地であった。やっと数10年前に国土を統一する英雄が現れ、経済発展により子供は服を着ることが出来、靴を履くことが出来、死者は葬式で弔うことが出来るようになった。
 そんな幸せが崩れるのはあっと云う間だった。経済発展、世界の強国、世界の中心の国…。貧しい人も豊かな人もない、平等な世界がいつの間にか、昔の殺伐とした世界へと変貌したのは。
 沿岸地方は急速な資本投下と制約のない開発により、爆発的な成長を遂げた。1万年掛かっても手に入れることの出来ない大金を1年で手に入れ、テレビで見るアイギスやエウロペの人々の生活と同じ生活をする、選ばれた人々。自分たちも同じ夢を見ることが出来ると、沿岸地方に出稼ぎに出る若者。幸せと徳の世界ではなく、欲望と傲慢の世界へと人民は走った。
 その結果生まれた世界は、遙か昔の呪われた世界だった。働くことは愚かであり、賢く美しく気高い人々は、働くこともせず、ただ、刺激と快楽を求めるだけ。欲望に誘われ大都会へと出た人々は、蔑まれ、利用され、搾取され、失望と絶望と全ての喪失を携えて、故郷へと落ち延びた。
 だが、現実は逃避者を追ってきた。
 金儲けをして沿岸地方の様な裕福な生活をしませんか? そんな誘いが地方の役人を襲った。彼らは乗った。
 この土地の発展のために、工場を造りましょう。従業員はこの土地の人達だ。彼らにカネがはいる。よって、地域は発展する。だから、土地を提供して下さい。何? 農民が居る? 頭を切り換えて下さい。時代の風を感じませんか? 地域の発展こそが必要です。農民には代替地を与えましょう。土地の代金は当然払います。役人の皆さんには色々と大変なことをお願いすることになるでしょう。これは些少ですが、お礼です。よろしくお願いしますよ。

 役人は工場を誘致するために、農民を追い出した。草も生えない代替地を与え、土地の代金は自分たちが着服した。そう、ここはチョンファーレンなのだ。役人が仕事をするときは、何らかの役得がなければならない土地なのだ。
 土地を奪われた農民は怒った。素手で役人に向かった。役人は銃と剣で農民を鎮圧した。逮捕者は国賊の烙印を押され、獄死する者も多数発生した。そうさ。ここはチョンファーレン。金持ちは牢屋に入ることがない世界なのだ。金がない者は命すらなくなってしまうのさ。力もなく、金もない貧民になった農民は、のたれ死にでもするんだな。歴史にはキミ達負け犬のことを記載するスペースは無いんだよ。

 既に数千万人の農民が自分たちの土地を奪われ、流民と化した。彼らは沿岸地域に流れ込み、労働力として搾取されつつ、摩耗して滅んで行くのだ。なにしろ、大帝国を築くためには巨大なエネルギーが必要なのだ。そのエネルギーは無名の労働者が無償で提供すべきものなのだ。

 この土地に話は戻る。
 地域の名士に王(ワン)先生と呼ばれる人物が居た。改革と発展という美名の下に、搾取と破壊が行われていることに憤慨している人物である。多くの農民が自分の土地を奪われ、支払われるはずの土地代金は役人の懐に消えている。役所に文句を言っても、そんな事実はないと取り合ってすらもらえない。農民は救い主を求めていた。王先生は、農民の希望の星だ。彼は、役所に出向き、役人とやり合って、多少の金を取り戻してくれた。
 役人達は考えた。こんな事が続けば、我々の取り分が少なくなる。そうだ。王先生が居なくなれば、金を取られる必要はない。だから、彼を殺すことにしよう。
 それは白昼堂々と行われ、ついでに役人に逆らった数人も同じ運命になった。民衆は憤慨した。しかし、役人は押さえつけようとした。

「国法を犯す者は死刑である」

「民衆は土地を奪われたと云っているが、契約書では代替地と代金が保証されている。全く問題がない」

「代替地は豊かな土地であり、収穫は以前よりも多いはずである。なぜ、彼らは文句を言うのか? それは彼らが欲深いからである」

「土地の代金はちゃんと払われている。受領書にもちゃんと農民のサインがしてあるではないか。これは正統な契約である」

「農民は4千年前からずるい。自分の持ち物をちょっとでも多くしようと嘘を平気でつくのだ」

「この土地が発展して最も利益を得るのは農民である。それなのになぜ反対するのか? それは彼らが自分の取り分を少しでも多くしようとするからである。つまり、欲深いからである」

「自分の利益しか考えない保守的でわがままな農民は武力で鎮圧すべきである。なぜなら、彼らの欲望を放置したのでは国や地方の発展は見込めないからである」

「農民は暴徒と化した。彼らは扇動者により操られている」

「扇動者は国家に対する反逆者である」

「扇動者はアイギスのスパイとの情報がある。彼らを捕縛し、拷問せよ。依頼主を吐かせるのだ」

「扇動者もしくは政府に対する反逆を試みる者は、国家反逆罪により無条件で死刑に処す」

 役人の対応は苛烈を極めた。3人以上の人間が集まることを禁じ、それを破る者は国家に対する反逆を計画するものとして、容赦なく捕縛し、拷問をくわえた。

 公然と殺された王先生には息子が居た。民衆は、彼に王先生の跡を継ぐことを希望した。

「息子先生。先生もわたしたちの生活をご存じでしょう」

「省政府のやり方をご存じでしょう。こんな事が人の道として行われても良いのでしょうか?」

「もし天がこの様な事を許すとすれば、我々は一体何を頼りに生きて行けば良いのでしょうか? それは先生です」

「王先生は我々の味方でした。わたしたちは先生のような方無しでは生きて行けません」

「息子先生に、王先生の跡を継いで頂きたいのです」

「先生こそがこの国を正して下さる方なのです」

「我々は先生に従います」

 この様な民衆の懇願により彼はついに立ち上がり、民衆の代表として役人に対抗した。役人は彼を捕縛し、拷問を7日間にわたって加え、ついに殺した。
 殺された息子には子供が居た。まだ10歳にも満たなかったが、民衆は彼に親の意思を継ぐことを望んだ。

「孫先生はまだ子供ですが、我々には生きる希望が必要なのです」

「王先生や息子先生のような方が我々には必要なのです」

「息子先生の妻でいらっしゃる奥様は、この様な政治を許せるのでしょうか?」

「息子先生は拷問で殺されたのです。この恨みを晴らし復讐する事は人の道として天も許し給うでしょう」

「孫先生を支え、息子先生の意思に報いるのが妻の本分と云うものではないでしょうか?」

 この様な民衆の懇願により、後見人の妻は子供に父親の遺志を継がせることにした。役人はその子供と妻を捕縛し、拷問により殺した。

 民衆は怒った。農具や棍棒を持って、役所に押し掛けた。王先生らの遺体を渡すように要求した。役人はそれを拒み、返って、ベランダから遺体を投げ捨てた。
 民衆は更に怒り、役所に突入した。これに対して、役人は重機関銃で応戦した。役所の前は死体で山ができ、血は川のように流れた。民衆は逃げ帰った。

 既に戦争であった。血は新たな憎しみを生み、それは更に新鮮な血を求める。その限りなき循環が始まったのである。

 民衆は怯えていた。役人の容赦ない殺戮にである。

「どうしよう。王先生一家は既に無く、戦うにしても武器はない。勇者は既に骸となった。オレ達はどうすれば良いんだ」

「どうしようもないだろう。このまま役人の言いなりになって、あの荒れ果てた土地にしがみつくしか無いんだよ」

「いやだ。それは死ねと云うのと同じじゃないか」

「そうかも知れないが、今死ぬよりも少しはマシだろう」

「おい。イイ話が有るぞ」

「イイ話? どこかの土地に逃げる話か?」

「いや。役人共を皆殺しにして、この土地に、オレ達の政府を作る話だ」

「なんだ、それ」

「夢を見るのもいい加減にしろよ」

「何をどうすれば、そう云う話になるんだ」

「ふふふ。武器がある」

「武器?」

「そうさ。それも大量にだ」

「どこからそんな物を手に入れたんだ」

「首都に知り合いが居るんだ。そいつが地方役人の腐敗に理解があってな。どうしても必要なら、武器をやるから使えと云っている」

「武器って、何だ?」

「自動小銃だ」

「そんな恐ろしいことを…」

「戦争をやるつもりか?」

「政府軍が出てきて、皆殺しになるぞ」

「いや。大丈夫だ」

「なぜ?」

「実は、各地で一斉蜂起の計画がある。それに便乗すれば、オレ達を止めるヤツは居ない」

「一斉蜂起?」

「本当なのか?」

「いや。ダメだ。そんな事をしたら、一家皆殺しになってしまう」

「そうだ」

「…実は、もう遅いんだ」

「え。何が遅いんだ?」

「省政府に密告したんだよ。オレ達が反乱を起こすって事をな」

「なんだって!」

「そんな事をしたら、政府軍がやってくるじゃないか!」

「わあ、もうダメだ!」

「その通り。政府軍はやってくる。オレ達は皆殺しさ。さァ、どうする、待っていても皆殺し。だったら、乾坤一擲。軍事蜂起をして、ここにオレ達の政府を作ろうじゃないか。オレ達の行動を聞いて、全国で一斉に蜂起してくれれば、政府軍はどこに行って良いか判らなくなり、オレ達は救われる」

「なんて事をするんだよ。もう、それしか無いじゃないか!」

「終わりだ…。もうやけくそだ」

「うわぁ、みんな死んでしまうんだ」

「愚か者。そうと決まったわけじゃない。オレ達の頑張りようで、生き残れるんだ」

「もう、やるしかないな」

「武器をくれ。こうなったら、とことんまでやってやるさ」

「武器は既に倉庫に運び込んである」

「どれだけ有るんだ」

「自動小銃AK−47が2万丁。銃弾は4200万発だ」

「そ、それほどか?」

「軍隊が一個師団できるぞ」

「こ、これは本当に勝てるかも知れないぞ」

「よーし。やってやるぞ」

 民衆は武装して、役所に夜襲を掛けた。役所側では民衆の攻撃に備えて、数百名の兵隊を備えていたが、完全武装の数千人の民衆には叶うはずもなく、役所は炎上し、兵隊と役人達は全員号泣しながら投降したものの、磔にされ、自動小銃の的として肉塊となった。

 その報を受け取った省都では、早速探偵を派遣して、敵情を探った。

「反乱軍はどの程度か?」

「はっ。総数20万人と思われます。但し、武装しているのは、その内2万人と見られます」

「武装は?」

「AK−47を2万丁装備している様です」

「大軍だな」

「弾薬は?」

「不明ですが、最低でも1丁当たり200発は撃てる様です」

「手強いな」

「他の武装は?」

「棍棒や農具です」

「現地への道路は?」

「道は堅固ですが、阻止線を各所に敷いています」

「手強いぞ。心して掛かれ。反乱を許しては中央政府に聞こえが悪い。手段を選ばず短時間で片付けるんだ」

「はっ!」

 省政府は兵力10万人、戦車200両、戦闘爆撃機50機と云う大火力を3方から投入した。作戦時間僅かに8時間。民衆は正規軍の圧倒的火力の前にアリのように殺され、女子供といえども、生き残った者は皆無であった。山野には草すら残らず、地面は血で固まり舗装でもした様になった。川も血で染まり、河原に追いつめられた女子供の死体で、川の流れが変わったと云われる。所謂、阿鼻省事件と呼ばれる反乱であった。




第21話 「動乱」

 振り子は先ず大きく揺れ動く。


 阿鼻省事件は全世界に衝撃を与えた。インターネットで世界が繋がっている時代であり、如何にチョンファーレン公安省の妨害があろうと、事実は国内と世界に伝わった。それは自然発生的なものだけではなく、反乱を扇動しているアイギスの部隊によって、組織的且つ大規模に持ち出され報道された。その結果、東アジア連合を含めた世界各国は阿鼻省と共にチョンファーレン帝国政府を非難し、アイギスを先頭に国際的な経済制裁を行うべきと云う意見が主流を占めた。エウロペ同盟との相互不可侵条約はおろか、東アジア連合崩壊の危機に至った。
 これに対して、チョンファーレン政府は緊急会議を開き、対策を協議した。

「恐慌になる事が敵の目的である。先ずは落ち着こう」

「先ずは、状況の把握だ。省の地方の役所の騒動が、どうしてこんなに大規模になったのだ」

「農民は武器を大量に持っていました」

「どの程度だ」

「自動小銃2万丁、銃弾は420万発以上です」

「費用は約3百万ダラーです」

「農民にとっては大金だな」

「入手経路は?」

「アイギスの特殊部隊が持ち込んでいます」

「チョンファーレン全体ではどの程度持ち込まれているのか?」

「不明ですが、アイギス方面からの情報では200万丁、弾薬は6億発との事です」

「費用は約3億ダラーです」

「アイギスとしては大した事はない」

「やつらの国では市民が1.5億丁もの銃を持っている」

「話を進めよう。つまり、アイギスが農民に武器を与え、且つ扇動することによって反乱を起こしたと云う事だな」

「その通り」

「反乱軍の規模が大きいため、省政府は大規模な軍隊を投入した。軍事的には当然の対応だ」

「対応が遅いと中央政府に処罰されるとの恐怖心もあったそうだ」

「これも地方役人としては当然だ」

「アイギスが扇動したことは判った。だが、火種があってこその反乱だ」

「地方役人共の腐敗はひどい」

「農民は土地を奪われ流民と化している。これを直さなければ反乱は限りなく起きるぞ」

「よし。対策は二つだ」

「そうだな。先ずは、外国からの攻撃に対抗しなければ、我が国は滅んでしまう」

「我が政府が悪者になっているが、アイギスが内乱を扇動していると云う事実を明らかにすべきだろう」

「他の反乱軍やアイギス本国にスパイを送り込んでいる。情報はかなり集まっている。明日中には発表して良いだろう」

「外務省からも悲鳴が聞こえているので、これは迅速且つ非の打ち所もない位完璧な証拠が必要だ」

「アイギスの潜入特殊部隊隊員、各種命令書、傍受した通信、武器の運送業者、武器の密売人、なんでも公表しろ」

「悪党は我が国ではなく、武器を与えて扇動したアイギスだと云うことを証明するのだ」

「次に反乱軍対策だ」

「武力鎮圧」

「勢いに乗った連中を甘やかせば、もっとつけあがる。ここは叩き潰し、政府の意思を示さねばならない」

「その後に、対策を示して、民衆の反発を解消する」

「政府も頑(かたく)なではないと云う事を示すのだ」


 その頃、チョンファーレンの首都から千キロメートルほど離れた都市では、不穏な動きが具体化していた。彼らも阿鼻省事件を知り、且つ、アイギスの運動員による扇動も受け、武器も溢れるほど手にしていた。彼らと同じ様な状況の人々は数多くいたが、蜂起するまでに至る人々は僅かであった。それは、阿鼻省事件の殺戮が余りにも徹底していた為、逆に恐怖してしまった為である。
 小都市とはいえ、20万人もの老若男女が皆殺しになったのである。地方役人の腐敗に対する憤り、阿鼻省事件に対する共感、アイギスによる扇動と武器供与。これらの刺激があっても、「じゃあオレ達もやろう」と云う決断は出来にくかった。自分たちも皆殺しになってしまうのではないかと云う恐怖心が先行した。
 だが、一部ではこの都市のように蜂起が起きた。それは扇動家が優れていたからかも知れなかった。彼らは叫んだ。

「チョンファーレンの国民よ、立てよ。我々は犬のように殺されるために生きているのではない。
 思い出せ、我々の先祖の偉大さを。かつて、世界最高の文化を誇り、東は緩衝地帯から西はエウロペまでを統べた大帝国だった我々の先祖を。
 更に、その偉大さは近代に於いて一層輝いている。文化的停滞により、我が国は一時的に三等国に転落した。列強の植民地として領土を奪われ、東の島国であったヤマタイにすら蹂躙され、多くの英雄が散った。恥ずべき時代であった。
 しかし、我々はかつての栄光を忘れはしなかった。一人の英雄の下に分裂した国家は統一され、ついにはかつての世界帝国への道が開けたのだ。
 しかし、スズメには大鳥がなぜあれほどの高みを飛ぶのか判らないようだ。スズメは昔の役人のように賄賂を受け取り、仕事を汚している。そんな事をしていて、世界の高みに届くのか? 届くはずがない!
 役人共は自分の一族だけの繁栄を望んでいる。国家の繁栄など興味はないのだ。やつらは自分たちが天に選ばれた民であると考えている様だ。もし、天に選ばれた民ならば、国家のことを考えるべきではないのか? 国家は役人に権力を与えた。だが、それは役人個人の繁栄のためではないのだ!
 役人は自分の繁栄が子々孫々まで伝わるように仕組んでいる。だが、人間は平等だ。王族、将軍や役人の遺伝子などないのだ! 国民よ立て! そして、国家の栄光のために戦い、その名を永遠のものとし、そして、死のうではないか!」

 最初、1万人の民衆が立ち上がり、首都に向かって行進を始めた。途中の町々で彼らは歓迎を受け、武器や食料が続々と集まり、同調者も群がって来た。100キロメートル進む内に、行進は30万人に増え、更に200キロメートル移動したら、100万人を超えた。武装は自動小銃100万丁、銃弾2億発を超えた。軍隊から流れたバズーカ砲や、軽戦車すら有った。彼らは首都を望む川岸にたどり着いた。川幅は300メートルだった。

 対岸には、チョンファーレン帝国最強と云われる、陸軍歩兵第11軍及び第12軍、第2及び第5機甲軍団、空軍第1軍団が既に布陣していた。臨時最高司令官は陸軍大将 李(リー)であった。

「将軍。反乱軍は対岸に布陣しました。総数は100万を超えます」

「将軍。橋の数は19。全て我が軍が押さえています。また、爆薬を装填していますので、命令一下、爆破できます」

「将軍。我が軍の戦闘配備は完了しました。敵正面への攻撃及び、敵背後からの攻撃、両方が可能です」

「諸君、ご苦労だった。これから我が軍の作戦を説明する。参謀長」

「はっ。先ずは状況を説明します。我が軍の目的は首都の防衛であります。
 現在首都に向かって進行している反乱軍は10あります。この内、最も首都に近く、かつ最大の物が、現在我々の正面に展開しているものであります。これを反乱軍Aとします。
 敵の総数は100万。武装は自動小銃100万丁が中心であります。敵は橋を使ってこちらに渡ってくると考えられます。川幅は300メートルを超えますので、泳いで渡るのは困難であります。
 次に我が軍の作戦を説明します。先ずは反乱軍Aに対して、解散を命じます。これに反する場合、攻撃を加えます。攻撃は橋の爆破を行い、通路を遮断します。次に、我が川岸からの歩兵砲及び戦車砲による砲撃及び戦闘爆撃機による銃撃と爆撃を行います。敵の反撃が予想されますので、戦闘爆撃機は高々度からの攻撃を行います。この様な連携した攻撃を行い、敵が壊滅するのを待ちます。以上であります」

「参謀長。質問がある」

「第11軍。何でしょうか?」

「敵は大軍である。川を渡って我が陣地に突入する可能性への対策はどうか?」

「既にバリケードを川岸に設置しています。歩兵による機銃陣地も設置済みです。よって、川を渡ってやってきた敵に対しては、バリケードで阻止し、足止めした上で、機銃により殲滅します」

「判った」

「参謀長」

「はい。12軍」

「敵の武装は自動小銃とは云え、100万丁もある。それが対岸から雨霰のように撃ち込まれては、露出している機銃陣地の兵隊の損失が大き過ぎるであろう。それへの対策は?」

「機銃陣地は土嚢と装甲板で防護されています」

「敵は射角を変えて、真上から弾を落下させるぞ。それも大丈夫なのか?」

「上空からの攻撃にも対応しております」

「だったら、良いだろう」

 将軍が立ち上がった。

「戦闘は先手を取った者が勝つ。それは皆も知っているだろう。敵が自由に攻撃する前に叩き潰す。これが戦闘だ。そうすれば、我が方の被害も少なくなる」

「そうだ」

 参謀長が締めた。

「では、他に質問がなければ、この方針で作戦を実施します。各軍団の参謀は命令書を渡しますので、集まって下さい」

 かくして、李将軍の準備は出来た。

 一方、反乱軍Aと名付けられた連中の方は迷っていた。

「ここまで来たのは良いが、どうやって川を渡るのか?」

「橋は軍に占拠されている」

「川を渡ったのでは、2割くらいは溺れ死ぬぞ」

「対岸はバリケードが作られている」

「機銃陣地もだ」

「野砲と戦車砲がずらりと並んでいる。偵察の情報だと、後方には戦闘機も居るそうだ」

「爆撃が有るな」

「弱気を吐くな。100万の銃があれば、これだけの近距離だ。やつらは撃てないし、戦闘機は撃墜できるさ」

「敵は李将軍だぞ。勝てるのか?」

「こちらには兵站の問題もある」

「食糧が不足だ。略奪に走ったら、民衆の支持はあっと云う間に無くなるぞ」

「だったら、どうするんだ。ここで解散するか?」

「オレ達が立ち上がった意味はどうなるんだ」

「他に蜂起した連中も大勢首都に向かっている。我々がここで踏ん張らなくて、一体誰が踏ん張ると云うんだ」

「他のグループの手本になるため、弱気は禁物だ」

「しかし、ここで李将軍と激突すれば、我々は全滅するぞ」

「当局は反乱軍に容赦ないからな」

「じゃあ、どうするんだよ!」

「オレはやる。止めるというヤツは今すぐに田舎に帰れ!」

「ああ、命が惜しい。オレは帰るぜ」

「この軟弱者が。卑怯者が!」

「おい。敵を前にしての仲間割れほどみっともない物は世にないぞ」

「判っている。判っているが、どうやって川を渡るんだ」

「ふふふふ」

 女の笑い声が響いた。みな、ぎょっとした。

「なんだ?」

 幹部達をかき分け、一人の若い女が現れた。薄汚れた戦闘服。細面にボブカット。顔は陽に焼けて、しかも長旅で砂塵を被っているため、茶色になっている。しかし、目だけはきらりと光っている。

「これだけの強者どもが居ながら、李将軍一人にびびっているとは恥を知らないのか。お前達は!」

「な、なんだこいつ」

「敵は我が国の最強軍団、30万人だぞ」

「そ、そうだ。烏合の衆100万なんて勝てるワケ無いじゃないか」

 女は居並ぶ男共をぎろりと眺め回し云った。

「いいか、お前達。相手は李将軍一人だけだ。もし彼が我々の味方になったらどうなるか、考えたことがあるか?」

「…李将軍が、我々の味方?」

「そ、それは、凄いことになる」

「何と云っても、首都を守っている軍は李将軍だけだ。他は遠くに行っている」

「そうとも、李将軍が寝返ったら首都はお仕舞いだ」

 女は云う。

「…だろう。だったら、それを実現させれば良いだろう」

「しかし、そんな事出来るはずがないだろう」

「そうとも、皇帝の信頼が厚いからこそ、首都の防衛をやっているんだから」

 女は遮った。

「だから、云った。それを実現させれば、全てはうまく行くと」

「誰が? どうやって?」

「私が行って来る」

「まさか、お前のようなみすぼらしい者に云われて、李将軍が寝返るなんて」

「ふん。結果を見てから判断しろ。で、もし、それが上手く行ったらどうする?」

「そりゃあ、あんたは英雄だ」

「当然だ」

「将軍と呼ばせてもらうよ」

「決まったな。では、これから私のことを、超(チャオ)将軍と呼んでくれ」




第22話 「動乱2」

 革命家は最後に国賊と呼ばれる事を覚悟しろ。


 反乱軍Aに対して、李将軍の解散勧告が届いた。

 「直ちに解散せよ。さもなくば必ず皆殺しとなるであろう。1時間以内に行動せよ」

 これに対して、反乱軍Aは勝ち目がないことを悟ると共に、退却することも体面上不可とし、窮した挙げ句、試みに超将軍を派遣することとした。

「どうだ。そろそろ時間だが、反乱軍Aからの回答は無いか?」

「何やら使者らしき者が旗を掲げて5人ほどでやってきます。橋を渡り、こちらに向かっています」

「ほう。少しは理性の残っている人間が居るとみえる。こちらに連れてこい」

 使者は李将軍とその幹部達のいる小屋に連れてこられた。布陣の最も後ろである。

「将軍。敵の使者を連れてきました」

「よし。入れろ」

 5人の人間が入ってきた。先頭は短髪の女、残りは4人の背の高いゴリラのような若い男達である。先頭の女は、この敵陣の威圧を全く感じないように、涼しい顔で堂々と進んだ。それに続く4人は眼を白黒させ、体格に似合わずびくびくしながら歩いている。女は李将軍の前に進み、胸を張って止まり、将軍とにらみ合った。李将軍は、その女の風格と貫禄に内心驚いた。女は云った。

「私は、所謂反乱軍の代表、超将軍だ。李将軍に話があってやって来た」

 李将軍は見上げるほどの背丈と、歳には似合わないほどの筋肉質の身体を持った老人であり、白いヒゲが顔を覆い、威厳と風格を醸し出している。

「うむ。わしが李だ。話とは何だ? 降伏の条件か?」

「あなたは銃口を向ける方向が間違っている。それを云いに来た」

「なに? それはどう云う事だ」

「あなたの敵は我々ではないと云うことだ」

 参謀長が割り込んだ。

「閣下。お聞きになってはなりませんぞ。これは謀略です。言葉巧みに閣下を陥れようとする策略です!」

「参謀長。判っておる」

「はははは」

 超将軍が高笑いをした。

「これはこれは、李将軍ともあろう方が、何と臆病な」

「ナニぃ?」

「そうでしょう。将軍は我が国最強の軍団30余万を従えているのです。如何なる敵、如何なる鬼神でも将軍を畏れ、避けるでしょう。その方が、私のような一人の人間の、しかも1枚の舌を怖がるというのですか? いやはや、将軍を尊敬する人々がこれを聞いたなら、どんな反応を示すでしょう。なんと小心な将軍であることかと噂することでしょう」

「ええい。黙れ! わしはナニも怖がってはおらん。ましてやお前の話など畏れてはおらん」

「閣下、これも策です。乗らないように」

「黙れ、参謀長。お前はわしを臆病者にするつもりか?」

「いえ。そう云うワケでは…」

「ならば、黙っていろ」

 参謀長が引き下がったのを見て、超将軍は続けた。

「李将軍。先ずお聞きしたい。あなたはなぜ、我々に銃口を向けるのですか?」

「知れたこと。それはお前達が反乱軍だからだ。つまり、我が政府に楯突く者だからだ」

「では、なぜ、政府に楯突く者に銃を向けるのですか?」

「これまた、当たり前のこと。我が軍は政府を守り、ひいては我が国を守る事を目的としているからだ」

「では、なぜ、政府を守る事が国を守る事になるのですか?」

「我が政府が我が国を治めているからだ」

「我が政府は我が国をどのように治めているのですか?」

「国を栄えさせ、国民を富ませ、繁栄と平和をもたらす為だ」

「ならば、お聞きします。もし、政府が国民を不幸にし、国を衰えさせる政策を実行しているとすれば、どうですか? 将軍は政府を守るのですか?」

「守る。それは我々軍人の役目であり、軍人は政治に干渉しないと云う無形の決まりがある」

「将軍、それでは悪しき政府を盲目的に守ると云う愚行を犯すことにはなりませんか。つまり、国民と国家の敵に成り下がって、しかも自らの行いを省みることのない、愚かな軍人とは云えませんか?」

「けしからん! 我々はそんな愚かな軍人ではない」

「李将軍、失礼はお詫びします。賢明な将軍ならばお判りのはずです。聞こえるでしょう、国民の怨嗟の声を。
 将軍の部下の皆さんも家族が犠牲になっている方は多いはずです。役人の腐敗堕落により、国民の権利と自由は奪われています。土地を奪われ、流民に成り下がった人々。無実の罪を着せられ、獄死した人々。彼らの声が将軍にも聞こえるでしょう。
 政府は正しい政府ではない。国民の幸福と国家の繁栄をもたらす政府ではない。そのような政府を守る事は、国家と国民に対する反逆です。いやしくも国家と国民の守護者たる軍人はその様な卑劣な行為に手を貸してはいけない。軍人は国家と国民を守るために立ち上がり、政府の腐敗勢力を粛正しなければならない。そうではありませんか? 銃口を向けるべき相手は腐敗堕落した政府と役人であり、我々反乱軍ではありません。
 故に私は云いました。銃口を向ける方向が間違っていると」

「将軍! こんな話に乗ってはなりませんぞ!」

「参謀長。ならば、キミはどう思うのだ。この話を」

「…そ、それは。しかし、我々は政治に干渉しないと云う立場を守るべきであろうと」

 李将軍は参謀長の答えを遮り、云った。

「わしとて、この国の国民である。何のための軍隊なのだ? 国民のための政府ならば、それを守る事は国民を守る事と同じだ。誇りを持って政府を守るだろう。だが、わしにも聞こえる。天命が改まったのだと云う声が。わしは国家と国民を守るべき軍人だ。だから、わしは政府よりもまず、国家と国民を救いたい!」

 超将軍は顔を輝かせ、李将軍に近付いた。その時、李将軍の一人の幕僚が列から飛び出した。彼は特別の赤い制服を着ていた。それは将軍を監視するために皇帝から直接遣わされた皇帝側近の証であった。彼は叫んだ。

「謀反だ! 李将軍が謀反だぞ! 兵隊はこの謀反者を捕らえろ!」

 その途端、超将軍の随員が拳銃を抜き、その幕僚を射殺した。李将軍はうろたえた。

「な、なんて事をするんだ。彼は皇帝側近だぞ」

 超将軍は冷たい眼で李将軍を見つめ、云い放った。

「覚悟を決めて下さい。この状況で皇帝の側近が死んだ。もはや将軍が政府に対して謀反を起こした事は明白な事実。如何なる弁解も通用しません。将軍のみならず、ここに居る幹部の皆さんも全ての名誉は奪われ、家族もろとも死刑になるでしょう。こうなれば、ハラをくくって、首都に進軍し、政府を軍事力で改革するしかありませんぞ」

「うーむ」

 参謀長が紅潮した顔で云った。

「閣下。もうこうなれば、やむを得ません。超将軍の云う通りにするしかありません。引けば反逆者として殺されるでしょう。進んで政府を動かせば、我々が政府の実権を握ることになります。利害得失ははっきりしています。やるしかありませんよ」

 李将軍は決めかねているようだったが、死んだ側近の赤い制服をちらと見て、決心がついた様だ。

「判った。我が軍団はこれより首都に進軍する。先遣隊を出し、進路上の町々に宣伝しろ。我々は政府の腐敗堕落を正すために立ち上がったと」

「はっ」

 命令が下り、部下達が李将軍の周りに集まった。

「閣下。閣下ならやってくれると思っていました」

「我々も閣下と同じ気持ちです」

「国民を敵に回すことは出来ません」

「共に政府を正しましょう」

 李将軍は云った。

「有り難う。諸君らの支持があれば、この作戦は成功するだろう。共に最後の最後まで戦い抜こうぞ」


 超将軍が近付いて李将軍に云った。

「閣下。有り難うございます。無礼の数々、お許し下さい」

「いやいや。超将軍、良い話を聞かせてくれた。我々が過ちを犯す前に正してくれて感謝する」

「これから、我が反乱軍も共に首都に向かいたいと考えますが」

「うむ。反乱軍と共に首都に向かえば、民衆も我が軍の意図を正しく知るだろう。よろしい。その様にしてくれ」

「判りました」

 参謀長が言い添えた。

「超将軍、先ほどは失礼しました。こうなったからには将軍の力に頼るところ大であります。よろしくお願いします。早速ながら、反乱軍が我が軍と合流して首都に向かう際は、軍紀が一番心配です。これはお願いできますか?」

「まさしく、その通りです。軍紀が乱れ、略奪などやってしまったら、民衆の支持は永遠に失われるでしょう。これは厳しく守らせます」

「有り難うございます。では、両軍が委員を出し合って、打合せをしながら進軍する形に致しましょう」

「お見事です。その様に致しましょう」

 超将軍と随員は対岸に戻り、待ちかまえた反乱軍に首都進軍を報告した。100万の反乱軍は緊張が一度に解け、狂喜乱舞した。早速、全体を進軍に参加する者と、地元に戻る者に分けた。進軍に参加する者は、出身地域ごとに団を編成し、団の責任で風紀を取り締まることにした。違反者は銃殺という厳しさである。進軍組は橋を渡り、李将軍の軍隊の前後について移動を開始した。

 この情報は早速に首都にもたらされ、巨大な衝撃を中央政府に与えた。曰く、

「李将軍を総帥とする、軍及び民衆合計100万人が首都に向かって進軍中」

「首都周辺には防衛軍はなく、警察隊を大集合させているが、総数10万に過ぎず、しかも装備は自動小銃10万丁のみ」

「各地の防衛軍は各所の反乱軍と対峙しており、退却すれば背後を襲われる。よって、早急に首都へ向かうことは出来ない」

「李将軍は中央政府に要求している。腐敗役人の殲滅と国家機能の改革を」

「李将軍は進路の町々に宣伝を行っており、同調する民衆が加わり、総数は200万人を超えつつある」

「反乱軍は軍紀厳しく、違反者は容赦なく射殺されている。よって、民衆の信頼は極めて厚く、各地で熱烈歓迎されている。よって、食糧補給は潤沢である」

 中央政府は緊急会議を開いた。例によって、重臣メンデが仕切っている。

「国難の時が来た。阿鼻省事件に対する外国からの攻撃に対しては、間もなく反撃できる。しかし、問題は国内だ。李将軍が謀反を起こし、中央政府に要求している事態をどう解決すべきかだ」

「反乱軍は皆殺しです。家族も同罪。よって、反乱軍の家族を拘束し、見せしめに処刑して、我が政府の意思を示すべきと考えます」

「バカな。そんな事をやったら、首都は焦土と化してしまうだろう。皇帝はおろか、我々も家族もろとも皆殺しだ。最強の正規軍30万人。主力戦車だけで500両、戦闘爆撃機100機、しかも大量破壊兵器も装備しているんだぞ。その上、武装民兵70万人も加わっている」

「我々の防衛は、武装警察隊10万人に過ぎない」

「敵が来たら、みな逃げてしまうぞ」

「我々も逃げる支度をしなくては」

「貴様。裏切る気か?」

「見苦しいマネをするな」

「反乱軍は民衆に圧倒的に支持されている」

「結局、腐敗堕落した役人が我が国を滅ぼしているのだ」

「そんな事は判っている。では、反乱軍の云うとおりにするのか?」

「それしか選びようがないではないか」

「大義名分は反乱軍にあり」

「軍事力も反乱軍にあり」

「民衆の支持も反乱軍にあり」

「天の時、地の利、人の和、全てを握った反乱軍は我々の敵ではない」

「我々は屈しよう」

「負けた…」

「彼らを懐柔して、何とか今の役職を維持しなくては…」

「そうそう。今さら路頭に迷うなんてまっぴらだ」

「李将軍に渡す金を用意しなくては…」

「早く海外に送金をしなくては…」

「飛行機だ。飛行機を用意しよう」

 敗北と決まった途端、大臣達は早速、保身に奔走し始めた。メンデは呆れ返りながら、総括した。

「我が政府は反乱軍に降伏する。直ちに彼らと連絡を取れ」

「それと、国境線を封鎖しろ。また、国内からの送金を直ちに停止しろ。悪徳役人の国外への逃亡を阻止するのだ。命令に付け加えておけ。今までとは違うのだ。買収されて国外に逃がした場合は、親族を含めて公開処刑に処す。なお、摘発と処刑を実施するのは反乱軍なので、買収は効かないぞ」




第23話 「首都へ」

 人の心を動かすのに、多くの言葉は必要としない。


 首都から100キロメートルほど離れた地方都市で、会談は行われた。反乱軍と中央政府の会談である。反乱軍は名誉の意味で、自らをいまだに反乱軍と呼んでいる。
 出席者は反乱軍から李将軍と参謀長及び超将軍、中央政府からはメンデと随員数名である。互いに陣営の全権代表であることを示した後、メンデが口火を切った。

「我が政府は李将軍らに降伏することをここに伝えます」

 李将軍が受けた。

「確かに受け取った。文書の交換を行おう。その後、直ちに我々の要求である政治改革について話し合いたいのだが」

「判りました」

 降伏文書の受け渡しの後、座を改めて会議に入った。李将軍が云った。

「国難の時である。不正役人の横暴を許しておいては、国民の不満が高まり、ひいては国家に対する敬意が失われ、ついには亡国となるだろう。これを阻止するために、我々は立った」

「理解しております」

「よって、次の政策を要求する。国家親衛隊を組織し、全国の省政府以下の地域を回り、不正役人と不正商人の摘発及び処刑を、民衆参加の上で行う。尚、この国家親衛隊は我が反乱軍の武装民兵から組織するものとする。そのメンバーは警察官、検察官、弁護人、裁判官、処刑人、警備部隊から成り立ち、一つの隊は1千人とする。これを500ユニット作る。隊の軍紀は厳しく、自分の意志で買収を受けたもの、規則に反する者は容赦なく銃殺するものとする。また、国家親衛隊には中央政府内部の高級役人を摘発する組織と、経済犯罪の専門家を集めた組織も設ける。以上だ。質問は?」

「国家親衛隊に関しては特にありませんが、新政府に於ける李将軍らの地位と、我々政府高官の処遇はどう為されるお積もりですか?」

「我々反乱軍は政権に関与する気はない。貴官らは今まで通りやってほしい。だが、国家親衛隊は全てに優先する。もし、貴官らの行動に問題が有った場合は、命がないと考え給え」

「では、将軍らは、国家と中央政府の監視機関の役割を担うと云う事ですか?」

「その通りだ。それが国家と国民を守るのに最も効率的な役割と判断した」

「国軍はどう為されるのですか?」

「国軍は国家親衛隊の後見人となる」

「それでは事実上の軍事政権なのではないですか?」

「国家親衛隊と国軍の統帥権は皇帝にある。わしは皇帝を補佐する立場となる。国家親衛隊と国軍は政策に口出しはしない。単なる警察官だと考えれば良いだろう」

「国民は将軍を事実上の皇帝と見なすのではないでしょうか?」

「我が国の腐敗をここまで放置した責任は皇帝にある。皇帝独裁と側近政治だ。そのシステムを変えない限り、同じ悲劇は何度でも繰り返すだろう。よって、システムを変える。監査役・補佐役を置くのは必要な処置であろう」

「判りました」

「では、この政策を実施すべく貴官らも動いて欲しい。良いな」

「ははっ」

 かくして、談判は成立し、「反乱軍」、いや、ついに改名して「李軍」は再び首都へと進軍を開始した。武装民兵は最初は烏合の衆だったが、行軍しながら規律を叩き込まれ、首都に着く頃には立派な国家親衛隊員となっていた。

 李軍は首都に入城した。民衆は門に入る遙か前から歓呼を以て軍隊を迎えた。王宮の前の広大な広場に整列した軍隊は皇帝ルワールスに敬礼し、皇帝も軍の到着を歓迎した。これは単なる儀式ではあったが感動的な光景であった。
 李将軍は、中央政府に対して参謀長と超将軍を送り込み、その意思の徹底を図った。

 少し先の事になるが、事態は以下の様に展開した。
 先ず、国家親衛隊の発足と、全国への展開である。続いて、各地の反乱軍の平定である。李将軍の示す大義名分に賛同する者は速やかに武装を捨て、国家親衛隊に参加するよう、呼びかけた。逆らう者には正規軍を送り込み、国賊の名の下にこれを殲滅した。
 政府が改まった今、政府に対する反乱が正義であった時代は終わった。それが判らず、いつまでも革命家気取りをやっているヤツは国民の敵なのだ。
 中央政府内部の粛正も進んだ。腐敗した政府高官は親族や実業家を隠れ蓑に多額の資金を隠匿しており、これを海外に送金しつつ自らも逃亡しようと考えた者が多かったが、メンデの先制攻撃によりその目論見は破れ、国家親衛隊により捕縛されて親族もろとも処刑された。財産は全て没収され、国庫を潤した。その金額は国民の想像を超え、数兆ダラーに達した。如何に腐敗が進んでいたかが判明した。
 悪徳商人や悪徳実業家の実態も次々と明らかになった。政治家とつるんでの土木工事費着服や、架空会社を使った国際的な資金迂回による巨額政治資金の捻出など、その広さと深さはまるでチョンファーレンそのものが汚職システムであると錯覚するほどに根深く、巧妙に仕組まれていた。そのパズルを、国家親衛隊経済犯罪調査部は丹念に解きほぐし、ある時は政府中枢にまで追及の手を伸ばし、ついには捕縛・処刑にこぎ着けたこともある。
 これらの事実はマスコミを通じて国民に伝えられ、政府高官の腐敗に対する怒りが改めて高まると共に、新政府への信頼感が急上昇した。その信頼感は国家親衛隊に対する圧倒的な信頼感になり、地方役人腐敗摘発も急激に進むことになった。
 地方巡察に伴う各種の巧妙な買収に対して、国家親衛隊は鉄の規律を以て対処した。内部からの監査だけではなく、密告などの情報を利用した外部からの監察も入り、汚職した隊員に対しては公開裁判を以て罪を明らかにし、公開処刑により、その罪を処断した。
 買収側が隊員に罠を仕掛けたり、家族などの弱みにつけ込んで買収に関与させると云う悪質な手口に対しては、買収に関与した隊員が即刻告白し、全ての情報を公開した上で自己批判することにより、その名誉と命を保全することが出来た。
 この様な徹底した情報公開により、国民の信頼は確固たるものとなり、隊への協力者や不正の通報者は津々浦々に満ちた。不正役人は住む場所を失いつつあった。全ては新政権の計画通りであった。

 時間は李軍の首都入城に戻る。
 超将軍は、その交渉能力を買われ、外務大臣に任ぜられた。その報を聞いた外務省外交戦略部では、話題が沸騰した。ジュリオがさかんに冷やかされている。

「ジュリオ。お前の命ももうすぐ終わりだな」

「さよなら、ジュリオ。オレが貸した金は返せよ」

「バレッタ閣下、もうすぐ来るかな」

「死んだはずだよ、バレッタ閣下。生きていたとはお釈迦様でもご存じあるめぇ」

「我々は知っているけどね」

 ジュリオは頭を抱えたふりをして、答えた。

「うわぁ、困った困った。こんな事なら、彼女がアイギスの大臣の時にもっと優しくしておくべきだった」

「そうそう。それどころか、何度も殺し掛けたんだからな。これは只では済まないぞ」

「バレッタ親衛隊を殺しているからな。彼女は部下想いだ。これはポイントきついぞ」

「おいおい。なんだか、本当にヤバイ感じになってきたじゃないか」

 電話が鳴り、外務大臣、バレッタ・超がまもなく訪れることを告げた。部員は全員起立して待ちかまえた。まもなく、ドアが開き、バレッタ大臣が現れた。黒の軍服風ジャケットに同じく黒のスカートと云う精悍な姿である。案内の役人が紹介した。

「閣下、ここが外交戦略部です」

 部員は一斉に敬礼した。彼らは軍隊経験はあるものの、この職場は軍隊ではないので、そんな事をする必要はないのだが、彼女の姿を見た途端、誰もが自然にそんな行動を取ってしまった。バレッタは素早く眼を走らせて、部員を確認した。ジュリオに視線を止め、それから皆を広く見つめた。

「わたしがバレッタ・超(チャオ)です。新しい外務大臣として着任しました。これからよろしくお願いします。そうそう、ジュリオ。お久しぶりですね」

 早速のご指名に、ジュリオは恐縮したような顔で答えた。

「ははっ。バレッタ閣下、閣下がアイギスの大臣の際には数々の失礼を致しました。まことに申し訳有りません」

 バレッタは、それに対して、微笑んだ。

「ジュリオ。それは違うでしょう。それに、あなたも心にも無い事を云う必要はありません」

 ジュリオもにやりとした。

「お見通しでしたか…」

「ジュリオと私は共に国家を代表して、国家のために戦ったのです。その時、ジュリオと私はたまたま支えるべき国家が異なっていただけのこと。国家目的のために、相手の完全殲滅を計ることは我々の当然の義務です。確かに私情から云えば、辛いことが多かった。バレッタ親衛隊の死を私は忘れることが出来ません。しかし、この様に、共に同じ国家を支えると云う立場になった以上、共にその目的のために協力して邁進しましょう。今日の所は、以上です」

 バレッタは日焼けした顔を輝かせて語った。そして、短い髪を揺らして、くるりと振り向き、颯爽とドアに向かった。

 バレッタが去った後も、部員には声がなかった。待ちかねて、ジュリオが始めた。

「どうだい。生のバレッタ閣下は?」

「…いや。これは大物だ」

「ジュリオに意地悪するんじゃないかとか云っていた、我々が恥ずかしい」

「ほんの一言で、我々のやるべき事、我々の目指すこと、そして、指揮官としての自分の統帥力の高さ、人間としての懐の広さと愛情の深さを、ここまで我々に印象づけた人間をわたしは知らない」

「恐ろしい人間だな」

「よもや、これほどの人物とは思ってもみなかったよ」

「ジュリオは彼女を相手に戦ってきたのか?」

「いや。私はジュリオを見直してしまった」

「何れにせよ、彼女が我がチョンファーレンの力になったと云う事の意味は想像以上に大きいぞ」

「ああ、彼女の下なら、よほど大きな絵が描けそうだぞ」


 さて、バレッタは次に外務省対外宣伝部にやってきた。阿鼻省事件に対する外国からの攻撃に対して、この事件はアイギスの扇動によるものであることを暴露し、それを以て、アイギスに反撃を加えるという作戦である。その準備が完了し、大臣らのチェックを待つのみである。
 バレッタは、大型ディスプレイの前に陣取り、情報主幹員の説明を聞いた。バレッタが口火を切った。

「外国のマスコミは意地が悪い。なかなか信用しないぞ。しかし、一旦信用すればあとは楽だ。扇動の証拠が揺るぎないものであることが必要だ。扇動の証拠はどれだ」

「はっ。先ず、アイギスの特殊工作員の自白ビデオです」

「ビデオカメラの脇で銃を構えているんじゃないかと云うぞ、連中は」

 バレッタは、人差し指で鼻をちょっと押さえ、続けた。

「しかも、ここに写っているのは誰だと言ってのける」

 ちょっと怯んだ主幹員は続けた。

「次は、武器の輸送伝票です。アイギスの特殊工作員と業者のサインがあります」

「書類は全てねつ造である、と云うぞ」

「…次は、取引の様子のビデオです」

「顔を判別できるのか?音声は?」

「やや不鮮明ですが、十分です」

「よし。これはOK」

「特殊工作員が反乱を起こすように、扇動している映像です」

「内容は判りやすいのか? 顔を判別できるか。音声が同期しているか?」

「全てOKです」

「よし」

「以上ですが」

「弱いな。トドメが欲しい。そう、アイギスの国防省高官が特殊工作員のトップに指示を出している映像か、音声はあるか」

 とんでもない物を要求する、とちょっと狼狽(うろた)えたが、映像は無いものの、音声だけの物が有ったことを記憶していた。

「盗聴した音声があります」

「本人の音声であることを証明するために、本人の別音源から声紋を採って一致していることを確認する映像を入れろ」

「了解です」

「他に、事件の発生を聞いて、そいつらが喜んでいる音声なり映像は有るか?」

「執務室内での映像があります」

「そいつも使え」

 バレッタは、ディスプレイの前から立ち上がり、主幹員に向かって云った。

「有り難う。良いデータが揃っていた」

「ははっ。恐縮であります」

 次にバレッタは居並ぶ職員に向かって云った。

「諸君、アイギスは我が国の民衆を扇動し、その結果、我々は国民の虐殺という大きな罪を負った。
 だが、我々はその原因である役人の腐敗堕落を解消しつつある。国家親衛隊の行動が我が国を一秒一秒良くしてくれている。我が国は虐殺を演じた時の政府を克服した。我々はそれを以て、世界に胸を張って主張して行こう。アイギスこそが国民虐殺の真の扇動者だったのだと云うことを!
 諸君。これは物的証拠という武器を使った戦争なのだ。そこには我が国の名誉と未来が掛かっている。
 我々は必ず勝利する! 国家は諸君らの能力に期待する!」

「おおっ!」

 期せずして、職員から喚声が上がった。かくして、対アイギス戦は始まった。




第24話 「アイギス連邦の失敗」

 自分が弾を撃っているときには、敵の足音に気付かない。


 時間は阿鼻省事件の前のアイギスに戻る。

 チョンファーレン帝国の腐敗に対して、多くのチョンファーレン人が立ち上がりつつあった時、アイギスは秘密裏に、しかも大規模且つ組織的に、チョンファーレン国内深く食い込んでいた。アイギスはチョンファーレンの反政府分子に同情し、涙し、支え、煽り、時には脅迫して、反政府分子が腐敗に対する怒りを破壊行動に移すよう仕向けた。簡単に云えば、反乱扇動を行った。
 その目的は、2つある。先ず、チョンファーレンの国内を揺さぶって、帝国政府に統治能力が無いことを内外に暴露することである。最終的に帝国政府は倒れるであろう。次に、帝国政府に国民虐殺と云う犯罪行為を犯させ、チョンファーレンと云う国は恐ろしい国だという事を印象づけることである。これにより、同盟を結んでいる国々は怯え、ついに同盟はバラバラに解消してしまうだろう。バラバラになった国々はアイギスの餌食となる。
 帝国の腐敗が進んでいたため、アイギスの扇動による成果は予想以上であった。反政府活動が活発だった省の一つ、阿鼻省政府は、民衆の軍事反乱に怯えて必要以上の強硬策を実施し、一地域の民衆を全滅させたのである。その数は20万人と云われる。
 計画に従い、アイギスはその「成果」を外交に最大限に利用した。「悪魔の帝国チョンファーレン」キャンペーンである。最も刺激的な虐殺映像は、アイギス工作員やチョンファーレンの協力者、監視衛星や無人偵察機を動員し、かき集め、ばらまいた。マスコミ各局に対しては、最大限の圧力を掛け、キャンペーンに沿った番組造りを内々に指示した。ニュースキャスターはニュースをホラー映画のように作り上げた。
 同時に、それに対するチョンファーレン政府の狼狽(うろた)えた対応の映像も配信され、諸国民の嘲笑と侮蔑と憎悪を増大する結果となった。
 諸国民に対するキャンペーンと同時並行に、各国政府に対する外交攻勢も行った。先ずは東アジア連合である。「恐るべきチョンファーレン」と云う云い方で、チョンファーレン脅威論を掻き立てた。

「自分の国民ですらあの様に容赦なく虐殺する、虎のような国家です。その国と安全保障条約を結んで、果たして、貴国の安全は保たれるのでしょうか。いや、逆に虎を家の中に入れるようなもので、亡国の原因となるでしょう」

 この様な論理が強い共感を得た。ペートルにしても、インドラにしても、ヤマタイにしても、国民世論は沸騰し、自国政府の対応のぬるさを批判する世論が形成された。各国政府は沈静化を図ろうにも、反論・反撃の材料はなく、「チョンファーレンに確認中であり、ちょっと待ってくれ」と国民に対してぶざまに説明するだけであった。

 エウロペ同盟に対しても、アイギスは攻勢を掛けた。チョンファーレン脅威論により、まもなく東アジア連合は崩壊する。脅威はエウロペまで押し寄せるだろう。このまま東アジア連合と結んでいたのでは、チョンファーレンに喰われてしまう。ならば、アイギスと同盟を結ぶしかないではないかと。

 この様なゆゆしき情報は刻々とチョンファーレン外務省に入ってきたが、チョンファーレンは為す術を知らなかった。対策として、事実の確認と責任者の追求などと云うありきたりの方法を持ち出したが、そのようなもので火を消すことは出来なかった。
 各国外交筋は、あと2、3日でチョンファーレンの同盟政策は崩壊の危機に瀕することになると判断していた。

 更に国内情勢が緊迫してきた。最大規模の反乱が発生し、彼らは大挙してチョンファーレン首都に向かった。これに対し、反乱軍を撃退する為に最強の軍隊が出動、再び大虐殺が発生するかと思われた。これ以上の虐殺は帝国政府の致命傷になるだろうと云う見方が主流であった。
 ところが、意外なことに、反乱軍退治に出動した軍隊が寝返った。寝返ったどころではなく、自分たちが反乱の中心となり、首都に進軍を開始し、帝国政府に対して政治改革を要求し始めた。帝国政府は外側からだけではなく、内側からも追い詰められてしまったのだ。
 この要求に対して、帝国政府はついに政治改革を呑み、事実上、クーデターによる新政権が発足した。
 阿鼻省事件はついに政権を転覆させる事態にまで発展したのである。

 国内は片づいたとしても、海外からの攻撃は未だ健在である。政権が代わり、政治改革が行われることで、阿鼻省事件の原因となった役人の腐敗堕落は改善するかも知れないが、国民を容易に大量虐殺する体質は不変であろう。その虎のような体質こそチョンファーレン脅威論の根拠なのだ、とチョンファーレンの敵は主張するのだ。完全無欠の論理であり、消しようの無い証拠で幾重にも固められているこの論理は、絶対に揺らがないと考えられていた。

 ところが、チョンファーレンはしぶとかった。最初の衝撃とパニックから立ち直り、チョンファーレン外務省は反撃の準備をとりつつあった。
 アイギスの工作員による扇動という情報は以前から入っていたものであったが、各情報機関の情報を総合することにより、アイギスの大規模な作戦の全貌が見えてきた。チョンファーレンの数10カ所での扇動活動だ。アイギス工作員は現地人工作員を含めて1万人にも及び、工作資金総額は10億ダラーにも達する。金の出所はアイギス国防省の、報告義務のない項目である。チョンファーレンは更に、盗聴情報なども集めて、アイギス工作員の命令系統も把握できた。
 これらの情報を判りやすく編集した。マスコミで公表した際には、視聴者は速やかに真実を理解できるであろう。アイギスに反撃する準備はできた。バレッタが外務大臣に就任したのは、ちょうどこの時であった。

 アイギスはすっかり油断していた。マスコミを通した圧倒的な大攻勢が続き、アイギスの主張を遮る物は何もなかった。チョンファーレンは守り一方であった。各国世論、マスコミ、外交筋、全てがチョンファーレンを非難しており、明日にでも同盟政策は崩れるかの様であった。しかも、反乱軍を抑えることも出来ずにクーデターで政権が倒れると云う体たらく。それが更に非難と批判を呼ぶ悪循環さえ発生している。正に、みるも無惨である。アイギス外務省では既に余裕が生まれ、チョンファーレン同情論すら登場していた。

 その時に、チョンファーレンは世界同時に攻撃を開始した。曰く、

「アイギス国防省の陰謀。チョンファーレンで反乱扇動。総額10億ダラーの秘密工作費用」

「アイギス、阿鼻省高官を買収し、暴動の皆殺しを誘導」

「アイギス秘密工作員、武器をばらまく。自動小銃200万丁、弾薬6億発」

「アイギス国防省高官、秘密工作員に直接指示。死体の山を築けと明言」

「ハデス大統領、反乱扇動を直接指示か? アイギスのために数千万人死ぬのもやむを得ないと発言」

「軍需企業ダイダロス、武器弾薬を一括納入。巨額の裏金が動いたか?」

「阿鼻省事件生存者の証言。わたしは見た! アイギス秘密工作員と阿鼻省高官の癒着の実態を!」

「アイギス外務省高官、国防省高官と密約。民衆の救助より、刺激的な映像を撮れ」

 アイギス政府は何が起きたのか、判らなかった。しかし、全世界のマスコミやインターネットを通じて流れるニュースと映像は、アイギス国防省が阿鼻省事件の黒幕であることを克明かつ客観的に証明していた。
 世界の世論は急展開した。

「なんだ、これは。アイギスが犯人だったのか?」

「武器を渡し、扇動し、大規模な反乱を起こさせた」

「省政府はそれを鎮圧するために、より大規模な軍を動員せざるを得なかったと云うことか」

「しかも、アイギスの目的は最初から死体の山を築くことだったのだ」

「アイギスは省役人をも扇動し、大量虐殺を行わせた」

「死体を外交に利用しようとしたのだ。なんと云う卑劣」

「アイギスこそ悪魔ではないか」

「10億ダラーもの秘密工作費を使ったのだ」

「国民の税金でなんと云う事をやっているのだ」

「チョンファーレンに対する明らかな内政干渉である。いや、これは侵略だ」

「我々はアイギスに対して抗議する。弁護する言葉があるなら、云うがよい」

「チョンファーレンは被害者ではないか」

「内政に問題が有るとは云え、その国民を殺すという罪を背負わされた」

「チョンファーレンは十字架を背負わされたキリストである」

「アイギスはチョンファーレンに直ちに謝罪せよ」

「この様な外交的犯罪行為は決して許されない」

「恐るべきは陰謀国家アイギスである。この様な恐ろしい国と同盟など結ぶことは出来ない」

「アイギスこそ、世界の虎だ。我々は虎の跳梁する世界に居るのか?」

「我々は一致してチョンファーレンを支持する」


 まるで、チョンファーレンとアイギスの立場が逆転したようである。それも1日で。
 東アジア連合は崩壊どころか、結束が一層強まり、対アイギス抗議決議を全会一致で可決し、直ちに宣言した。エウロペ同盟も東アジア連合に身を寄せる姿勢を鮮明にした。
 アイギスは早速、この一連の報道に対する抗議を行ったが、全ては事実なので説得力は全くなかった。

 アイギス連邦は世界から孤立するハメに陥ってしまった。
 国内では事態は一層深刻であった。「悪魔の帝国チョンファーレン」キャンペーンはでっち上げであることがばれてしまった。しかも、政府によるマスコミ操作まで暴露されるに及んで、政府とマスコミに対する国民の反発と不信は極めて深刻な状態になった。大統領ハデスの進退問題まで取り沙汰された。

 アイギスの真の大統領と云われる、軍需産業ダイダロス社長アレクトーは執務室にスタッフを集めて、対策会議を開いた。

「僅か1日だぞ。僅か1日で形勢逆転だ。それどころか、我が国の権威は地に堕ち、ハデスの進退すら危うい。原因把握と対策を行いたい」

「まず、この事変の原因ですが、大量の機密情報が使われています。大統領の通信が傍受されています。副大統領、外務大臣兼国防大臣、上院議長、下院議長、国防次官、前線司令官…すべて筒抜けです」

「これはチョンファーレンの情報部が深く関与した盗聴です」

「それは判っているが、どうして防げなかったのだ?」

「やつらは昔から盗聴をしていた。しかし、それは秘密だった。なぜなら、盗聴をしていると云うこと自身が重要な秘密だからだ。盗聴がばれたら対策されてしまう。そうすれば次からは盗聴できなくなるからだ。今回、追い詰められたやつらはついに切り札を切った。そう云う事でしょう」

「たしかに、その通りだろう」

「我々に油断があったと云うことか」

「やつらが公表した情報から、やつらの盗聴能力が判る。次に勝つのは我々だ」

「次に勝つ前に、今勝たねば次はないぞ」

「どうやって、この事態を乗り切るかだ」

「こちらも盗聴情報をバラして、反撃するか?」

「いや、こちらが持っている情報は、政府高官が右往左往している声だけだ」

「では、もっと黒幕が居て、それはチョンファーレンだというストーリーはどうだ?」

「ボスは誰なんだ?」

「バレッタはどうだ?」

「なるほど。アイギスを追われてチョンファーレンに行った」

「アイギスでは動乱扇動を指揮していた」

「チョンファーレンでは反乱軍に加わっていた」

「彼女こそが黒幕ではないか?」

「うむ。これなら行ける!」

「…ところが、そうは行かないんだよ」

「なぜだ。これほど上手いストーリーはないだろう?」

「先ず、アイギスがバレッタ暗殺を計画し実施していた。これがばれている。チョンファーレンの盗聴情報も確認した」

「なるほど。ウチの弱みを握られているって事か」

「しかも、彼女はアイギスでの経歴や実績、情報を全く漏らしていない。しかもそれに関して、ハデス宛に宣誓書まで送ってきている」

「…彼女らしいな」

「政府内部で検討した結果、バレッタ黒幕説を使った場合、反撃による被害の方が大きいとの評価結果だった」

「アイギスは自国の政府高官すら暗殺するような国家だと、再認識させる必要はないと云う事か」

「だったら、ハデスに責任を取らせれば良いだろう」

「ハデスに?」

「ハデスはバレッタ大臣暗殺を承認した。チョンファーレンの反乱扇動を指示した。虐殺を容認した。考えてみれば全てハデスの責任だ。彼は祖国を裏切り、祖国の旗をドロで汚した。彼はその責任を取って、大統領を辞任する」

 その時、アレクトーが呟いた。

「いや、インパクトが足りないな…」

 スタッフ達はそれを聞いて、一様に黙ってしまった。

「社長、まさか…」

 だが、アレクトーは言葉の調子すら変えずに続けた。

「いや。そのまさかだ。我が国の権威をここまで落とした責任は取ってもらわねばならない。そして、我が国の名誉は彼の命によって取り戻すことが出来るのだ」

 スタッフは最後の抵抗をした。

「…しかし、社長…」

 その言葉をエンディが遮った。

「いや。社長の云う通りだ。決して媚びているわけではない。失敗を逆転させて成功にするには、客観的にこれしかない。この大仕事は彼だけが出来る事だ。やるしかないな」

 アレクトーはうなずき、云った。

「大統領は国家により巨大な権力を与えられている。彼個人の繁栄のためではない。国家の生け贄となるためだ」

「では、直ちに作戦を実施します。状況はどうしますか?」

「…昔、同じ様なことをやった。あの時は時間が有ったので暗殺を偽装できたが、今回は時間が無い。自殺だな」

「了解しました。状況。ハデスは執務室で拳銃により自殺。遺書を数通置く。作戦完了時間は22時丁度だ」

「各員は作戦に掛かれ!」

 アレクトーはエンディに近付き、云った。

「エンディくん。良く云ってくれた。これで我が国は汚名から救われるだろう」

「我が国と我が社に必要なことです」

「ハデスが死ねば、キミも責任を取って大臣を辞めざるを得ないが、それで良いか?」

「まだ、チャンスはあります」

「そうだな。キミは若い。それにわたしもキミの才能を忘れはしない。すぐに引き上げてやれるだろう」

「有り難うございます。社長」

 それから、数時間後、アイギス連邦大統領ハデスは執務室で自殺した。

「チョンファーレン帝国に於ける、今回の反乱扇動の責任は全て自分にある。犠牲になったチョンファーレンの国民、そして、我がアイギス連邦の国民の皆様には謝罪の言葉もない。せめてもの償いとして、我が命を、亡くなった人々の鎮魂として捧げる…云々」

と云う始まりの遺書は人々の心を打ち、アイギスへの非難を大幅に軽減した。それに伴い、軍需産業ダイダロスへの批判もすっかり影を潜めてしまったのだ。

 アレクトーは一人になった時に、周りを十分確認してからつぶやいた。

「そして、みんな、末永く幸せに暮らしましたとさ(And they all lived happily ever after)」




第25話 「チョンファーレンの栄光」

 夜明けの前が一番暗かった。


 チョンファーレン帝国東南部の鄙びた地方都市が舞台である。

 帝国政府が李将軍のクーデターで倒れる前、この地方は他の地方と同じく、役人の腐敗による経済的な行き詰まりの状態にあった。所謂、役人が栄え、民草が枯れると云う状態である。

 アイギスの秘密工作員はこんな辺鄙な都市にまでやってきた。彼らは宣教師の格好をしていた。教会を造り、拠点とした。役人は金を握らされているのか、ニコニコしながら、文句も言わなかった。
 秘密工作員はどこでどう嗅ぎつけたのか、不満分子のたまり場に行き、酒を呑みながら人々の怒りを黙って聞いた。次には、人々の悩みを聞きながら、助言をしてくれた。
 あの人の所に行けば、運動資金が手に入る。ここに行けば、武器が手に入る。あそこに行けば、他の都市でどんな事が起きているのかを知る事が出来る、と云った様な事だ。
 その輪はどんどん大きくなった。教会の中で政治の勉強会を開いたり、扇動のやり方、銃の使い方、秘密通信のやり方などを学んだりした。

 やがて、どうやら隣の都市で武装蜂起がありそうだという情報が入り、では、我々も一緒に蜂起しようと云う話になった。早速、教会には大量の武器が持ち込まれた。いままで観た事もないほど大量の武器だ。千人もの人間に配ることが出来るだろう。
 蜂起の日にちを決め、手はずを整えた。夜、教会に集合し、武器を配り、一旦散開するも、市の役場前に再集合し、武装蜂起すると云う計画だ。
 しかし、当日になって、教会は軍によって抑えられてしまった。噂によると、不満分子の中に公安省のスパイが居たとのことだ。宣教師とそのシンパは軍に連行され、彼らの姿を二度と見ることはなかった。

 武装蜂起は潰され、武器は奪われたが、民衆の不幸はそれだけでは終わらなかった。宣教師に協力したと見られる多くの若者が、軍と公安省警察隊によって連行された。数日して帰ってきた者も居たが、大半は他の地域の収容所に連行されたと云われた。国家に対する反逆を企てたと云う事で、「再教育」ということを行うそうだ。その内容は判らないが、強制労働と軍事教練だと云われている。家に戻れるかどうかは判らない。

 民衆はこんな状態だが、宣教師と仲の良かった役人共には何の処罰もなかった。あれほど親密にしていたのだから、連行されるのは当たり前のはずだった。しかし、現実には何の罰もなく、相変わらず平気な顔をして、元の役目に就いている。宣教師から受け取った金を、今度は公安省警察隊に渡して、自分たちの罪を逃れたのだと噂された。そう云う事なのだろう。

 そんな鬱々とした日々が続いたある日、どこかの省で大規模な反乱が起きたと云う情報が入った。テレビでは放送していないが、民衆は秘密通信でその事実を知った。
 街をうろついていた軍隊の様子が変わった。民衆への態度が激しくなった。職務質問でちょっとでも気に入らないと、殴る蹴るは当たり前。あまりのひどさに仲裁に入った人間も同じ運命になった。ある時にはみんなで金を集めて渡し、許してもらったが、別の隊に絡まれた人間は何人かがどこかへ連れ去られたようだ。これでは逆に反乱を扇動しているのと同じじゃないかと噂しあった

 秘密通信で、例の大規模な反乱が住民皆殺しで終わった事を知った。民衆はみな恐怖した。そこまでやるのかと。同じ通信で、皆殺しとは余りにひどいので、国際社会は激しく怒り、帝国政府は対策に困っているという情報も有った。みんな笑った。民衆は外出すると軍隊に殴られるので、家にこもって、びくびくしながら暮らした。

 何日かして、新しい反乱が起きたという情報が入った。民衆は思った。どうせ政府軍に皆殺しになってしまうだろうと。なんて愚かな事をしたんだと。聞けば、首都を守っているのは李将軍という帝国一番の勇猛な将軍だそうだ。だったら、ますます勝ち目はないなと。

 ところが更に何日かして、その反乱軍が勝って、政府が倒れたと云う、ビックリするような情報が入った。民衆は、最初はウソだと思った。なぜなら、帝国最大の暴力集団である軍隊を握る帝国政府は無敵であり、どんな敵がやってこようが倒れるはずがないからだ。

 しかし、政府が倒れたのは事実だった。こんどはテレビで放送していた。李将軍の軍隊が政府を倒したのだ。帝国軍最強と云われる李将軍。その将軍が反乱を起こすほどに、帝国政府は腐っていたのだ。

 新政府は民衆が驚くような政策を始めた。国家親衛隊による役人腐敗の殲滅である。1千人もの軍隊がやってきて、市や町の役人を公開裁判に掛け、罪人は即刻死刑にしてしまうと云う驚天動地の仕掛けである。

 この新政策が発表された途端、腐敗役人は国外逃亡を図った。蓄えた金を海外に送金、一族は国外へ逃亡。国境や税関などは買収すればよい。だが、既に遅かった。新政策発表前に送金は停止され、空港や港、国境検問所には国家親衛隊が配置され、賄賂など渡そうものなら、即刻射殺する有様である。
 それを漏れ聞いた腐敗役人は政府高官のつてを使って国外逃亡を図ろうとしたが、政府高官の足元にも国家親衛隊は迫っており、とても役人の世話までは手が回らない。
 かくして、腐敗役人とその一族は国内に閉じこめられ、国家親衛隊の軍靴の音が近付くのを待つしかなかった。銃口は目の前であった。

 結局、最初の1週間で、約10万人の腐敗役人が逮捕され、その内の悪質な1割が銃殺された。生き残った腐敗役人及び一族には強制労働が数10年分待っていた。


 この、帝国東南部の鄙びた地方都市にも、国家親衛隊はやってきた。

「我々は国家親衛隊である。我々の目的は国家の敵である、腐敗役人の摘発と処罰である」

「諸君らは怖がらずに、不正を犯した役人を教えて欲しい。諸君らの安全と秘密は我々が守る」

「役人の不正とは何か? それは、賄賂を取って便宜を図ることである。また、賄賂を取って不正を見逃すことである」

 そんな街頭宣伝をしても、だれも信じようとしない。これはワナなのだ。不満分子をあぶり出すワナなのだ。民衆は今までに何度も騙されてきたので、もう何も信用しようとしなかった。
 国家親衛隊の宣伝部隊もそれに気付いた。

「…ちょっと固いな。もっと判りやすい云い方にしないと信頼してもらえないぞ」

「じゃあ、こんなのはどうだ?」

「諸君。役人が賄賂を取るのは当たり前だと思っている者は居ないか? 居るだろう? 実は、これは悪いことだったのだ。
 賄賂の何が悪いのか? 賄賂を取ってもお日様は出、そして沈むから問題ないと考える者は居ないか? 居るだろう。
 だったら、こう考えればどうだ。同じ事をやって、或る者は罰せられ、或る者は無罪だ。これは平等か? 違うだろう。不公平だ。不公平は好きか? いやだろう?
 人間は平等であるべきだ。金を役人に渡したヤツが無罪で、金を渡さなかったヤツが有罪と云うのはおかしいと思わないか? 人を殺したら有罪で、人の物を盗んだら有罪なのだ。どんなヤツでも罪を犯したら罰せられる。平民でも皇帝でも同じだ。法の下に人は平等だ。それが法と云うものだ。この法のおかげで、自分は何をやって良いか、何をやってはいけないかを知る事が出来るのだ。多くの人間が平等に安心して生きて行くために法は必要な物なのだ。
 ところで、法の力は役人よりも強いと云う事を知っているか? 役人は法を実行する為の役目なのだ。だから役人というのだ。ところが、それが逆転して、役人の方が偉いなんておかしいと思わないか? 法を犯しても、役人が賄賂をもらって許せばOKだなんて、これはおかしいのだ。
 このおかしい世界が我々の今までの世界だったのだ。だから、諸君らは幸せになれなかった。役人に金を渡さないと仕事が出来ないからだ。
 知っているか? 役人は給料以外の金を受け取ってはいけない。それは法で決まっている。
 賄賂を取らないと仕事をしない役人は帝国にはいらない。だから、オレ達はここにやってきた。賄賂を取る役人は法を破る犯罪者だ。その犯罪者を発見し、罰し、ひいては諸君らの生活を安定しようと云うのだ。どうだ。オレ達に協力してくれないか?」

 周りに集まった民衆の顔つきがちょっと変わった。みなでひそひそ話し合っている。周りを伺って疑り深そうな眼をしている者も居る。やがて、一人の長と思われる人物が親衛隊に近付いた。

「ようがす。あんたたちの云う事は難しいが、なんだか、オレ達の生活が良くなるような気がした。だから協力しよう」

「ありがとう。では、ここで諸君らの話を聞かせてくれ。諸君らの話を秘密で聞くために、ここに部屋を用意した。ここは盗み聞きが出来ない様に特別に作った。ここで話を聞こう。そして、悪い役人が捕まったら、我々を信用してくれ」

 先ず、リーダー格の人物が命の危険を冒して、情報を提供した。群衆の中には当然不正役人の手先が混じっているから、まさに命賭けである。事情聴取の後も、群衆の中には戻さない。暗殺を避けるためだ。

 そんな事を半日ほど続けた。夕方になり、国家親衛隊の中から裁判官役の人物が現れ、いよいよ人民裁判が始まった。

「これより人民裁判を行う」

「被告。金市長。立ちなさい」

 金市長は、被告席にあり、立ち上がった。

「ワシは何も悪いことはやってないぞ」

「検事は被告の犯した罪を述べなさい」

「はい。裁判長」

 検事が立ち上がり、金市長の罪を挙げた。

「一つ。金市長は20年に渡り、市の行政を支配し、その間、50の公共事業の官製談合を自ら指揮し、多額の還流金を着服した。その総額は5千万ダラーである」

「違う!そんな事はやっていない」

 裁判長が遮った。

「被告人。弁解はあとで時間を設けるので、今は大人しく聞け。では、検事」

「続けます。二つ。金市長は局長クラスの人間から多額の上納金をせしめた。その総額は1千万ダラーである」

「三つ。金市長は下級役人の昇級の見返りに、多額の賄賂を受け取り、かつ要求した。その総額は3千万ダラーである」

「四つ。金市長はアイギス連邦外務省の特殊工作部隊と接触を持ち、かれらに便宜を図り、見返りに多額の金品と武器などを受け取った。その総額は5千万ダラーである」

「五つ。金市長は隠匿した賄賂を外国に送金しようとした。また親族を外国に逃亡させようとした。それに伴い、役人に多額の賄賂を送ると共に、自分の職権を盾に、違法行為を強要した」

「以上です。裁判長」

「弁護人。云う事はあるか?」

「全て真実であり、証人も重複して何人もおります。よって、異論はありません」

 金市長が激怒した。

「おい! 弁護人がそれかよ! 事実認定の証拠提出くらい要求しろ!」

「証拠はこの書類だ。厚みは1メートル80センチあるがな」

 裁判長は断じた。

「では、判決を下す。金市長。貴様は国家反逆罪により強制労働2億3千万年もしくは、人体実験或いは銃殺刑に処す」

 裁判長は続けた。

「金市長、キミには選ぶ権利がある。どれがいい?」

「こんな裁判は茶番劇だ!」

「何を云う。この、国を滅ぼす悪徳役人風情が! 希望がなければ、一番安い銃殺刑だ。すぐに執行しろ!」

 隊員が連行していった。やがて民衆の前に引き出された市長は、殴られた上に猿ぐつわをされて、捨て台詞を云うチャンスも与えられず、10発1ダラーの銃弾を5発食らって地獄に堕ちた。

 民衆は信じられない思いだった。あれほどの暴政を誇った市長が、ほんの1日であっけなく死んだ。この世から消えた。そんな事が本当に出来るのだ。と云う事は、今までやりたい放題だった、あの役人連中を地獄に送ることが本当に出来るのだ。解放された民衆の心に生まれた憎しみと怒りは、怒濤の如くに荒れ狂い、次々と密告者を呼んだ。

 市の役人の内、1/3が銃殺された。残りの役人は罪が軽いとして、民衆に対する絶対忠誠を誓うと共に、いままでの行為の自己批判を行い、全ての財産を喜捨して、銃殺だけは無期延期された。


 因に、彼らは国家親衛隊と契約を結んだ。それは次の様なプロセスにより行われた。

「A君。キミの罪状は明らかだ。キミの犯罪行為を証明する証言はこれほどあるのだ」

…と、国家親衛隊分隊長は机に積み上げた報告書を指した。

「わたしは本当に何もやっていない」

「何もやっていない? いままで役人でやってこれた事自体が既に賄賂と犯罪の結果であると証明している。そうじゃないかね」

「わたしは民衆を苦しめたり、犯罪を見逃したりはしていない」

「そうかな? キミはBを知っているね? Bに便宜を図った。金をもらってだ」

「あの時は、家族が病気で金が必要だったんだ」

「ほら、やっぱりお前は犯罪者だったじゃないか? しかも、何もやっていないなどとウソまでついて、罪を重ねた」

「それは…」

「おまえはもうお仕舞いだ。国家反逆罪だ。市長のように、家族の目の前で無様に汚らしく死んで行くのだ」

「うわぁ、助けてくれ! 何でもやる! 何でもやるから、命だけは助けてくれ!」

「ふん。役人はいつもそうだ。都合が悪くなると、助けてくれ、便宜を図る、金を渡すからと。いつもの様に、えばりくさって、金を持ってこい。そうすればやってやるぞ、となぜ云わないのだ?」

「助けて下さい。自己批判もします。財産を全て差し上げます。だから、家族の前で殺すことだけは止めて下さい」

「そうかい。因に、オレの父親は、役人にちょっと逆らったために、町の真ん中で、それもオレや家族の5メートル前で銃殺されたんだよ。飛び散った血で、オレ達も濡れた。母親は1日後に狂い死んだ。それを許せと云うのか? ずいぶんと虫のイイ話だな。
 だが、オレは昔のオレではない。国家親衛隊の分隊長だ。国のために生きる人間だ。お前らのような腐った豚どもとは違うんだ。それこそ、遺伝子からな。
 いいだろう。お前の命は預かる。その代わり、お前には国家親衛隊に絶対の忠誠を誓ってもらう。そして、職務上知り得た犯罪行為は全て密告してもらう。もし、手抜きしたり、裏切ったりしたら、お前の最も恐れていることが即刻現実となるだろう。絶対の忠誠を約束できるのなら、お前の銃殺刑の執行は延期してやる。どうだね?」

「はい。はい。喜んで忠誠を誓います。そして、必ず密告します」

「そうか。期待しているぞ。因に、お前は常に監視されている。スパイはお前の周りの全ての人間だ。ジョークでも皮肉でもない、事実だ。それを忘れるな」


 ある役人の風景である。
 便宜を図ってもらおうと、昔ながらに料亭に役人を招いて一席設けた者が居た。

「お役人様。どうぞ召し上がって下さい」

「いや、これはまずい。話を聞くだけなら構わないが、こんな接待は困る」

「なんの。大したものではありません」

「いやいや。わたしはこれで失礼する」

「お役人様。それでは、土産の品だけでもお受け取り下さい」

「こ、これは何だ。これは受け取れん。だめだ、だめだ」

「お役人様。何とお気の小さい。誰も見てはおりませんぞ」

「誰も見ていないとはとんでもない。先ず、天が見ている。地が見ている。お前が見ている。わたしが見ている。どうして、誰も見ていないなどと云う事が出来よう。それに、国家親衛隊は千里眼だ。どこにでもその眼と耳を置いている。わたしとお前が会ったことも、筒抜けだ。わたしは命が惜しい。だから、何も受け取らないし、何も食べないぞ」

役人は見えない何かに怯えるように、さっさと逃げ去ってしまった。


 各地はこの様な次第で、僅か1年にして、4千年の悪弊を一気に清掃してしまうほどの勢いで浄化が進んだ。
 この間に銃殺された多くの役人に対しては、一部の国際世論が沸騰したが、チョンファーレン国民のインタビューでは賛成派が圧倒的であり、その結果、海外からの反発も力を失ってやがて消えてしまった。

 所謂、平等で平和な世界が今やチョンファーレンに現出しようとしていた。それは国家親衛隊という強大な力を持つ秘密警察により支えられたものではあったが、13億人もの超大国は、きれい事では統治できないと云う証拠なのかも知れない。将来のことは判らないが、とにかく今の彼らは幸せであり、その未来に希望を持てる人生を送っていたのだった。




第26話 「世界制覇をキミに」

 チョンファーレン帝国外務省に付設された職員用サロンである。
 盗聴を気にせず、職員が酒を飲める場所である。

 10人の男女が、円卓を取り囲んで、既に一杯やっている。酒のつまみに大した物はないが、どこからかもらってきた高級そうなワインを飲んでいる。

「世界に偉大な人物は数多いが、この人に世界を任せたいと思う人間は殆ど居ないな」

「大体、所謂偉大な人間ってのは、その実、弱かったり、虚勢を張っていたりして、内容の無いことが多い」

「そうそう。そこで、世界の指導者の人物評をやろうってのが、今日の趣旨だ」

「先ずはジュリオくん」

 …と云うことで、この集まりは、チョンファーレン外務省の誇る、外交戦略部の面々であった。要は、サラリーマンが帰りに一杯やって、上司の悪口やら、愚にも付かない話題で盛り上がるって状態なのだが、彼らの場合は話題が世界の外交と云う事だけが違っている。

「ペートル共和国の首相ババチコフはどうだ?」

「こいつは最低の部類だな。なるほど、権謀術数にたけ、部下の制御も見事だが、何しろ、野心が大き過ぎるし、露骨だ」

「そうそう。東アジア連合の盟主と云うエサに食らいつくときの浅ましさと云ったら、無かったわ」

「ペートルより外の国々を巻き込んだ大戦略を立てることは出来ないタイプだな」

「結局は、外交家に利用されるだけの存在だ」

「よし。次はインドラ帝国の皇帝カルルはどうだ?」

「これも全然ダメじゃん」

「優柔不断で、自分ではろくな決断もできないだろう」

「大臣は外国の息の掛かった者ばかりだし、そう云った連中に動かされている人間だ」

「世界の大局を見渡すとか、大戦略をもって国を強大にすると云ったタイプではないな」

「アイギスとか、我が国に対する恐怖心だけだ」

「大臣と外交家に動かされるタイプだな」

「はい。では次、行ってみよう。」

「ヤマタイ自治共和国。総理大臣は旭野か」

「これも大した人物じゃないな」

「前の総理だった、那須香はどう?」

「那須香も酷かったな。惨めな敗戦国、アイギスの奴隷の鬱屈した心情を吐露したのはいいのだけど、世界中にばらまいたのが運の尽きだったな」

「今、どうしてるの?」

「いや、消息不明だが、生きているのやら、死んでいるのやら」

「地下組織でリベンジ図っているって聞いたぞ」

「まさか。ヤマタイでそんな事は出来ないだろう」

「大体、東アジア連合の中で、ちゃんとした独立国になったワケだし、国民も喜んでいる。そんな時に地下組織なんて、誰も支持しないだろう」

「その変な事をやりかねないのが、ヤマタイの遺伝子なのさ」

「で、旭野の方はどうよ?」

「すっかり憲兵生活に馴染んでしまったらしいよ」

「芸能記者並に、他人のプライバシーや秘密を嗅ぎまくり、それをネタに自分の権勢を延ばすってワケだ」

「大丈夫か? 行き過ぎになると、問題多いぞ」

「適当な時期に極東担当が処理するだろう。定期的な政権交代ってヤツだ」

「よし。ヤマタイはそんなところだろう」

「次、エウロペ同盟の統合会議議長ローレンツは?」

「これも問題外だな」

「結構保守的な人間らしいね」

「面白みは全然ない人間らしいよ」

「ただ、エウロペで云うと、ブリアリオ公国のサーター大公が結構野心家で、ローレンツの後がまを狙っているらしい」

「サーターはアイディアマンよ」

「でも、エウロペをまとめて行くには、野心家ではムリだろう」

「調整能力と統率力が必要だ」

「それは実務派のローレンツの独壇場だろう」

「でも、エウロペのもう一段の飛躍のためには、大戦略が必要だな」

「そんな事をしたら、また世界が大混乱になっちゃうわよ」

「彼らの考えを先取りして、我々の利益につなげる必要があるってことさ」

「アフリカと中東が次のターゲットか?」

「それは既に手を着けているわ」

「よし。次は我がチョンファーレン帝国の皇帝ルワールスと重臣メンデ」

「うーん、自分の国となると、ちょっと云いにくいわね」

「大丈夫。酒の上の話だし、給料には響かないから」

「ホントか?」

「お前って、口は上手いからな」

「人のこと、云えないだろ。ジュリオなんか世界一のペテン師って云われてんだぞ」

「ほほう。それは誉め言葉として受け取っておこう」

「はい。ルワールスとメンデ」

「皇帝は残念ながら、大人物ではない」

「って云うか、皇帝は大人物である必要はなく、有能な部下が自由に仕事を出来るよう支援してくれればそれで十分だ」

「その通り。そう云った意味では、ルワールスとメンデの組み合わせは悪くない」

「では、新星、李将軍は?」

「今のところは政治的な野心はないが、今後、皇帝の座を狙うかも知れない」

「国家親衛隊と云う強大な権力を持つ集団を握っているから、やがて部下達の突き上げで、そのような事態になるかも知れないな」

「となると、李とメンデの関係を良好にしておかないと、国が傾くと云う事だな」

「李の力が国内では狭すぎる状態になったら、東アジア連合にその力を伸ばせばよいだろう」

「更には、アイギスにまで」

「全世界的な情報組織を構築できれば、世界制覇も夢ではない」

「それも広く、深く、もっと深く」

「さて、最後はアイギスか」

「アイギスと云えば、ダイダロスの社長アレクトーだな」

「そう。ハデスは単なるロボットに過ぎなかったというのがバレてしまったからね」

「ハデスはハデスで、なかなか優れた人物だったのだが…」

「人が良すぎた」

「そう。すぐに騙される」

「国民を操縦するには法、部下を操縦するには術と云うが、その術が使えなかったな」

「アレクトーはどうだ?」

「こいつは食えない」

「目的万能主義で、手段を選ばない」

「冷血非情」

「大胆不敵」

「切れると恐い」

「新米の部下に重要な仕事を平気でやらせる」

「部下は消耗品?」

「外交戦略という物は余り無くて、武器を売るために、どうやって戦争を起こすかと云う所で完結している」

「その為の外交だ、と云っていた」

「とんでもないヤツだな」

「こうやってみると、世界の指導者にはろくなヤツが居ない」

 ジュリオが言葉を引き取った。

「…だが、世の中、捨てたものじゃない」

 ちょっと間を置いて云った。

「我々にはバレッタが居る」

「お、ついに来たな…」

「みんな。バレッタはどうだ?」

「可憐にして凶暴、冷静にして熱血」

「戦略家だ」

「チョンファーレン包囲同盟を作ったくらいだからな」

「行動力も高い」

「ある時はアイギスの外務大臣兼国防大臣」

「あるときは、反乱軍の将軍」

「またある時はチョンファーレンの外務大臣」

「彼女が口を開くとき、世界の同盟は崩れ」

「再び彼女が口を開くとき、新たな同盟が生まれる」

「部下の忠誠心は高い」

「バレッタ親衛隊を見たか?」

「彼女のために喜んで死んだ」

「志も高い」

「人を救えずして、何が世界制覇か…と云ったとか」

「彼女こそ、世界を任せても良い人物ではないか?」

「異議なし」

 そのとき、インターフォンから守衛の抑えた声が聞こえた。

「外務大臣です…」

 ジュリオが皆の顔をぐるりを見回し、云った。

「諸君、バレッタ閣下だ」

 ドアが開いて、バレッタが小走りに入ってきた。

「ごめんなさい。遅くなっちゃって」

 外交戦略部のメンバーは一斉に立ち上がり、酒が回ったために少しよろける者も居たが、バレッタを迎えた。ジュリオが代表して云った。

「閣下。お待ちしておりました。閣下の就任祝いとして、簡単な席を設けました」

「まあ、気を遣ってもらって、悪いわね」

「では、バレッタ閣下の外務大臣就任を祝して、乾杯を行いたいと思います。みんな、用意は出来たか。閣下も…。それでは、乾杯します」

 一同、声が揃った。

「バレッタに!」

「ありがとう、みんな…」


完 2007.06.07


nausicaa@msa.biglobe.ne.jp、佐藤

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