内蔵助の闘病記
このページには、内蔵助がこれから戦うだろう見えない相手との闘病の記録が残してあります。
私自身が内蔵助の病気とどこまで向かい合って闘う事ができるか、そのやる気が失せてしまわないように、私が内蔵助の飼い主として、彼女にしたことすべてを記録として残して置こうと思いました。

彼女が男の子として生まれて来たなら、手乗り鳥でなく、自然界を悠々と飛んで暮らす、鳥として生まれて来たなら、こんな目に遭うこともなく、楽しく暮らすことができたでしょう。鳥の女の子、それも手乗り鳥の女の子の宿命を一人担う内蔵助。そうしてしまったのは私。
かわいい内蔵助の運命を変える事ができるなら、神よ、内蔵助を見捨てないで、どうか哀れとお思いになって、救い給え。(2002年7月16日)
7月28日(日)晴

良くお薬を飲む内蔵助、お腹もぺちゃんこになって、換羽も始まりました。今日は比較的大きな羽根が抜けていました。昨日から今日にかけて、20枚はぬけているでしょう。
内蔵助も感じているのでしょう、ペレットをたくさん食べるようになりました。
羽根が抜けるときはストレスが大きいと言います。こんな場所にかごをうかれていることで十分ストレスを感じているはずなのに、この上換羽のストレス・・大丈夫かしら、とかごをのぞくと、元気そうな内蔵助。
そろそろいいかしらと今日は少しの時間でしたが、外に出して遊ばせてみました。内蔵助はぶんぶん、飛び回っていましたが、水浴び用の容器を準備すると、ほんの少しですが、水浴びをしてくれました。よかった。水浴びができるほどになったのね。お腹もすっきりとなっているといいのにね。
7月27日(金)晴

内蔵助が病院へ行ってから、一週間たちました。発情も止まり、からだも軽くなったと思います。かごの中の生活にも慣れてきて、一日外にだすことはありませんが、さびしがらずになんとかがんばってくれています。体重は今日計ってみましたが、45グラムぐらいでした。
左の画像は、18日に病院から帰ってきて、撮影したものです。
お腹がぽっかり膨らんでいて、そのせいで、お腹の柔らかい毛が、飛び出して見えています。このときは。体重56グラムぐらいあって、本当に絶好調でした。卵を産んでくれるものとばかり思っていた私がばかだったと思います。今までずっと卵を産んでいて内蔵助でした、まさか始めての巣引きで卵を生めなくなってしまうなんて。考えもしないことでした。お腹に卵の黄身を確認してから2日たった時に病院へ行きましたが、すでに腹水が貯まっていました。このまま放っておいていたらと思うと、ぞっとします。
7月23日(月)晴

体重50グラム、食欲普通、多少元気なし。

内蔵助が多摩へ行ってから、数日経ちました。この間、内蔵助はほんの少し外に出してもらう以外は、ずっとかごの中でした。
今朝、内蔵助を観察すると、お腹が少しですがすっきりしていました。うんちも普段の大きさに戻りつつありました。おしりはまだまだもとに戻っていませんが、お腹がすっきりしていたことだけでも、私には大きな喜びでした。
体重も計ってみました。あまりさわって、内蔵助を疲れさせてもと思い、体重を計るのをためらっていましたが、お腹がすこしすっきりした内蔵助の体重は50グラムでした。
発情もだんだん収まってきたようで、よく鳴いていました。夜かごを暗くして、びっくりしたのですが、内蔵助は、ヒーターのごく近くにいて、吐き戻しをしていました。2回で収まったのですが、内蔵助は具合が悪いのでしょうが。
7月18日(木)晴

体重55グラム、食欲普通、うんち真っ黒

今日はどうしてもいかなければ、どうしても多摩へ、行かなければ。
朝7時過ぎ、内蔵助を小さなキャリー入れ、家をでました。
あまり噛まなくなった内蔵助、どうして、まえはもっともっと強く噛んでいたでしょう。
どこか痛いの。どこが苦しいの。内蔵助。
道は空いていて、思っていたよりも早く病院へ着きました。時計は8時半を指していました。
今日、内蔵助は車の中で、一度も鳴きませんでした。
普通なら、車の中で、
「くらのすけちゃ〜ん、くーちゃ〜ん、フィフィー」と鳴いてくれます。
きっと具合が悪いのでしょう。車で行くのも疲れるのでしょう。
先生の説明は、大変微妙でした。良くなるとはおっしゃらず、「様子をみましょう。」
で終わってしまいました。

今日の内蔵助のお腹は、私が火曜日に見たときのお腹とは違っていました。
内蔵助のお腹には、なんと腹水が貯まっていました。ベージュ色の水溶性の物でした。
これはどこから来たのでしょう。治療をすれば、これはどうなるんでしょうか。
頭の中は、あれこれといろいろな事がぐるぐる回っていました。
内蔵助のお腹はどうなってしまったのでしょう。
腹水が無くなった後、お腹の中は、どうなってしまうのでしょう。
先生には、たくさんの事をお聞きしてみたかったのですが、先生のお答えと私の考えがもし一致していたら、と思うと、何も聞くことができませんでした。

家へ帰ると、内蔵助はぐったりした様子で、止まり木に止まっていました。
闘病用のかごを準備しました。小さいかごです。止まり木も高いところには付けず、下に一本付けました。本当なら、かごは静かな所において、安静にしなければならないのですが、それでは内蔵助の発情が止まりません。「発情を止めてください」と先生がおっしゃっていましたので、今回はかごを床の上に直に置きました。大好きなのあとも会えないようにしました。

内蔵助は本当にかわいそう。心細いだろうと思います。こんな時には優しい彼にそばに居て欲しいでしょう。できるなら私もそうしてあげたいと思いました。でもできません。内蔵助の発情が止まらないからです。内蔵助はずっとのあを探していました。のあも内蔵助を探していました。見ている私もつらい一日でした。
がんばれくらのすけ。
7月16日(火)晴

暑い日が続いていました。私は内蔵助の事が気になり始めていました。発情が止まらなくなったからでした。夜遅くまで起こしていても、ひとりぼっちにしても、発情が止まりませんでした。それもそのはず、内蔵助には大切な彼ができたのです。
やっと見つけた彼と仲むつまじく過ごす内蔵助。彼女は今2歳と半年を過ぎようとしていますが、今までずっと男の子に嫌われ続けていました。それがやっと、のあという名前の男の子と一緒に過ごすことができるようになったのです。のあから吐き戻しをおねだりする内蔵助、

「あなたにもやっと素敵な彼ができたのね。おめでとう内蔵助。
でもね、少し心配があるのよ。あなた、卵産みたいでしょう。
卵、あまり産んで欲しくないの。
卵、そう、睦を奪った卵、あなたも同じ原因で失いたくないの。内蔵助、おねがい。」

私の心配をよそに、のあと仲良く過ごす内蔵助、最近体重が増え、私の心配は的中してしまいました。
お腹が膨らんできたのです。
いつもなら、卵を産んでいるはずの体重、なのに内蔵助は一向に産みません。

「内蔵助、ねえ、卵あるの。もしあるのだったら早く産んでちょうだい。」
「お腹が膨らんで、心配よ。」今日体重を計ると、内蔵助は56グラムありました。

小柄な内蔵助はいつも体重が55グラムぐらいで卵を産んでいました。
それなのに産まない、変だ。すごく変だ。おかしい。
私は内蔵助を捕まえて、お腹を濡らしてみました。
お腹の上の方に、クリーム色がかった黄色の固まりがはっきりと見えました。

「えっ。」これはなんなの。

本を開け、ページを開くとそこには卵管炎の文字。あわてて多摩へ電話。先生と話しました。
できれは時間外でもなんでもいいから早く診て欲しかったのです。が、先生は冷静でした。
「たぶん慢性です、急性の病状ではありません。ですから今日明日どうこうなるものでもありません。日を改めてお越しくださっても大丈夫です。急変してどうこうなることはまずないでしょう。レントゲンを撮り、調べてみましょう。」と。
「今あなたにできることは、内蔵助ちゃんの病気を嘆く事ではありません、病気の進行を止めるために、行動を起こすことです。発情の原因となっているものはすべて取り去ってください。もちろん彼もです。」

「分かりました。」と返事をして電話を切りました。
大声をあげて泣きたかった私を優しく見つめておしゃべりをする内蔵助がそこにいました。

とりあえず木曜日の朝、病院へ行くことにしました。

内蔵助のかごを部屋の入り口近くの床に直に置きました。
外で遊ばすことは避け、彼の顔が見えないようにしました。
一晩中明かりを付けることにしました。内蔵助は環境の激変で夜中までずっと鳴いていました。
仲間が寝ている方を見ては、鳴いていました。