時々日記2002年5月
5月31日(金)曇

こうちゃんはあれから、ずっと元気でした。
種子をおいしそうに食べて、体重が少し増え、36グラムになりました。
外にだして欲しそうに鳴いたり、かごにしがみついたりするようになりました。
我が家にはノーマルの小桜がいます。
こうちゃんは、ふうちゃんと同じ子がいると思っているのでしょう。
昨日はこうちゃんが水浴びもしました。
5月23日(木)曇・晴

昨日、携帯が鳴りました。多摩からでした。電話にでると、先生の元気な声で、
「こうちゃん、退院できますよ。いつでもお越しください。」とのメッセージ。耳を疑いました。
「ふうちゃんはどうでしょうか」と、ふうちゃんのことも伺ったのですが、
ふうちゃんはまだ入院の必要があると先生はおっしゃいました。
そうか、明日迎えに行こう。

それで、今日23日、お迎えに行きました。
内蔵助の様子も診ていただきたいと思っていましたし、ちょうど良い時期でした。
診察の結果内蔵助は何事もなく元気で、ほたるも、ばい菌は消えたけれどもう一週間お薬を飲むことになりました。

朝、病院へ着いたとき、こうちゃんはネブライザーをしてもらっているところでした。
10時をすぎるころでしょうか、先生が「かごの準備をしましょう。」とおっしゃってくださり、
用意して行ったかごをスタッフの方にお渡ししました。
数分後「はいどうぞ」と受け取った小さなかごには、元気そうなこうちゃんが住んでいました。
入院前とは見違えるようなこうちゃん。
まだ消化不良などがあるものの、ご飯もよく食べて、元気いっぱいだと先生はおだやかに話してくださいました。
そして、「おわかれをしましょうか。」とふうちゃんを連れてきてくださいました。
別々のかごに入っているこうちゃんと、ふうちゃん、2羽も分かっているのでしょう。
かごを引き離すと、お互いがお互いを求めて、鳴いていました。
元気の無いはずのふうちゃんなのに、必死で羽根を広げ、こうちゃんを呼んでいます。
「仲がよかったものね、こうちゃんと、ふうちゃんは。」先生も悲しそうでした。
こんな知らないところへ連れてこられて、2羽はお互い寄り添うように生きてきたんだわ。
と思いました。私はそんな2羽を引き離しているのだわ。
たとえそれが退院ということであっても、彼らには分からない。

「ふうちゃん、お別れよ。こうちゃんはおうちに帰ります。」
「あなたもはやく元気になって。おうちに帰りましょう。」
先生に「ありがとうございました。」と言える日をこうちゃんと待っていますからね。
複雑な気持ちを持ったまま、病院を後にしました。

こうちゃんは、家に帰ってからも、しばらくはどきどきしていたようでしたが、すぐに慣れて、ご飯を食べていました。
5月16日(木)曇・雨

本当は明日の午後予約を取ったはずの多摩行き。ところが、お薬が無くなってきました。
それに、ほたるの具合もいまいち。
明日を待たないで行った方がいいよ。と家人にも言われ、それならと、今日出かけました。
入院しているこうちゃんとふうちゃんも気にかかります。
確か、面会時間は夕方だったはず、朝では会えないかな。
あれこれ考えながら、多摩に着いたのは8時45分ごろでした。
雨も降っていて、出足が遅いのでしょう、今日は一番でした。

診察の結果、思った通り、ほたるはまだそのうにばい菌が居ました。
「らせん菌の死骸がたくさんあるんですよ」と先生の言葉。
「やっぱりですか」と私。
2週間お薬をいただいて、みんな同じように飲ませたのに、どうしてほたるだけ、と気になりましたが、もう2週間お薬を飲むことになりました。
ほたるは、自宅に帰ってからも、ずっとヒーターに寄り添うようにしています。
やっぱり調子が悪いのね。
ほたる、ほたる。かわいいほたる。
早く良くなろうね。

こうちゃんとふうちゃんには会えました。
先生も気を使ってくださって、診察室に入ると
「こうちゃんとふうちゃんに会いますか」とおっしゃってくださいました。
朝、ネブライザーが終わった所なんですよ。と先生が説明してくださいました。
こうちゃんもふうちゃんも、羽根が少し濡れていました。

病院に連れてきてから、かれこれ10日ぐらい経っていました。ふうちゃんも、こうちゃんも羽根がすっかり整っていました。

こうちゃんの入っているプラケースに近づいて、元気にしていてね、と話しかけました。
こうちゃんは驚いたのでしょう、私の手に「ふ〜」、と威嚇しました。
こうちゃん、ママよ。怒らないで。大丈夫よ、なにもしないから。
こうちゃんのプラケースにはペレットを砕いたものと、小松菜が入っていました。
そうよね、こうちゃん、あなたにとってはここがおうちなんだものね。悲しいおうちだけれど。

ふうちゃんは隣のプラケースにいました。私に驚いた様子もありません。
具合が悪いのでしょうか、それともおっとりした性格のせいでしょうか。じっとしていました。
ふうちゃんはとっても大きな目をしていました。
病院へ連れて来たときには、小さな目だったのに、私は驚きました。
あれは、そうね、苦しくてお目目が開けていられなかったのね。今は良くなったのね。
ふうちゃんのプラケースには種子のご飯と小松菜が入っていました。

先生は「活動的になりましたよ。」とおっしゃって、連れてきていた子達の診察が終わり、帰り支度をする私に「もう一度会って行きますか。」と言葉をかけてくださいました。
「はい、ありがとうございます。」と私は言い、カーテンを開けて、こうちゃんとふうちゃんとお話しました。
「先生のおっしゃることを良く聞いてね」
「いい、良い子でいるのよ」
「みんなおうちで待っているの。早く帰ってきて。」
「たくさん食べて、ばい菌をやっつけて。」
言いたいことはたくさんありました。
ふたりの姿をきちんと覚えて置かなくてはと必死でした。
優しい表情で私たちを見守ってくださっているスタッフの方々にお礼を述べ、診察室を出ました。
友人にメールを書きました。「きっと良くなって帰ってくるから、会いに来て。」
友人にもたくさん書きたかったのですが、期待と不安が入り混じっていて、ろくな言葉が浮かんできませんでした。涙をこらえながらやっとの思いでメールを送り、多摩を後にしました。
5月13日(月)曇・晴

先週の11日、12日、携帯が鳴りませんでした。多摩からの電話はありませんでした。
今頃、こうちゃんとふうちゃんはいったいどうしているのだろうか、と気になりながらも、
なかなか電話することができませんでした。
日曜日、一日家を空けていました。
携帯の電源も切っていましたから、夕方用事が終わり、携帯の電源を入れて着信履歴を見るのには、
かなり勇気が必要でした。
「着信がないわ。」
よかった、今日もこうちゃんとふうちゃんは生きているんだわ。
この空を見ながら、がんばっているんだわ、また明日がやってくるのね。新しい明日が。
「月曜日には電話をして先生に様子を聞伺いましょう。」

今日の昼過ぎ、先生とお話をしました。まだ、一進一退を繰り返しているようでした。
体重も増えないそうです。あれだけの感染症があるのですから、しかたない。
むしろへっていないことに感謝しなければ、そう思いました。こうちゃんは、食べたり食べなかったり、昨日はよくペレットを食べたのに、今日はあまりたべていないんですよ。と先生。
体調も良いときとそうでないときがはっきりしているんでしょう。
私は、
「元気になりますよね」
と先生にさりげなく聞いてみました。
「がんばりましょう」先生はおっしゃいました。

が・ん・ば・る・・・そう、まだまだ、良くなったとは言い切れないのだわ。
一週間がんばったのに、まだまだがんばらなければならないのね。
「金曜日に会いに行きますのでよろしくお願いします。」私は悟られないように先生に言いました。
大丈夫、きっと良くなる。良くなりますよ。
もう少しだよ、こうちゃん、ふうちゃん。
5月10日(金)雨・曇

7日にこうちゃんとふうちゃんを病院へ入院させてから、私は忙しく動き回りました。
まず、消費者生活センターに、今回のことを話し、なにか私にできることはないか、聞いてみました。
2羽をこんなに苦しめたあのショップが2羽の苦しみを何一つ知らないという事実が許せなかったからです。
センターの女性は「管轄の保健所に電話をしてみてください。それから今回の事は、賠償問題ですから、ショップと相談なさったほうがいいですよ。」と話してくださいました。保健所に電話をする・・・
そうだわ、動物虐待防止法もできたのよ。保健所の方に聞いてみよう。
私はすぐに保健所に電話を入れました。

保健所の方は「そうですか、わかりました。それではこちらから行政指導に参ります。あなたからも、先方のショップに連絡を取ってください。あなたからショップに苦情を伝えてくださった方が、こちらは動きやすいですから。」
保健所としては、行政指導しかできなくて申し訳ない。ともおっしゃってくださいました。
さらに、消費者生活センターの方と同様に、今回の事は賠償問題だから、そのことは先方にきちんと伝えなさい。ともおっしゃいました。ありがとうございました。

と電話を切り、すぐにショップの主に電話を入れました。ショップの主はあわてた様子でした。
しばらくして鳥担当の方が電話に出てくださり、今回の事について話し合いました。
ショップには雛の飼い方についてのマニュアルがあるそうです。読んでもらいました。
それには、本当にまともな事が書いてありました。が、現実は、何も実行されていませんでした。
怒りがこみ上げてきました。小さな小鳥たちは、こんなばかな人たちに殺されてしまうんだわ。

命なのに。あなた達と変わりない、命なのに。たった一つしかない命なのに。
それがわかっているの。悲しさと、悔しさがこみ上げて来ました。

私は、担当の方に、「今回の事で、あなたに賠償責任があると保健所の人にも言われています。今後治療費を含めてあなたに請求させてもらいます。」と話し、電話を切りました。
むなしさだけがこみ上げてきました。こんな事で、あの2羽の苦痛が和らぐはずがないことはわかっていましたが、今はこれぐらいの事しかできません。

良くなってほしい。元気になってほしい。

おととい病院へ電話を入れたとき、先生が「こうちゃんはあまり食べていませんが、ふうちゃんは食べています。」とおっしゃっていました。
こうちゃんはうちでペレットの粉を食べていましたので、うちで食べていたものであれば食べてくれるかもしれない、と、急遽病院宛にご飯を送ることにしました。
うちて食べさせていた、ヒギンズとズプリームのペレットを砕いて袋にいれ、みんなが食べているご飯も用意しました。先生と、こうちゃん・ふうちゃんに手紙を書きました。

こうちゃん、ふうちゃん、
先生のおっしゃることをよく聞いてね、
早く良くなってかえって来てね。パパとママはずっと待っているから。
あなた達の仲間も、
いっしょにあなたをショップから連れてかえった、せいちゃんのママもせいちゃんも、
ずっとずっと心配しているの。あなた達の柔らかい感触が、忘れられません。
がんばるのよ。

今日病院へ電話を入れると、昨日送ったご飯類はちゃんと届いていて、
食べさせますね。と先生はおっしゃってくださいました。
こうちゃんとふうちゃんを入院させるときに先生がおっしゃっていた、
「今は症状がないけれど、鼻が汚れてくるでしょうね」の言葉通り、
今日は2羽とも鼻が汚れていて、ネブライザーをしてもらっているようです。電話をした私は、そんな事よりも、「今日も生きていたんだ。良かった。」と喜びました。
生きていればきっといいことがあるわ。
そのうちばい菌もいなくなるもの。だから生きていなくては。
2羽に私の気持ちが届くよう、空をみながらお祈りしました。
5月7日(火)雨・曇

我が家に連れて帰った雛ちゃん達は、あれからそれなりに過ごし、下痢をすることも食欲が無くなることもありませんでした。
でも元気がありません。
飛ぶ練習もしません。
雛ってもっともっと活動的なはずなのに。
午前中はたいへんに忙しく、雛たちをみている余裕はありませんでしたが、午後じっくり観察することができました。体重は相変わらず、ふえもせず減りもしません。うんちも堅いのですが、なにげに粒が粗くて、ぼそぼそしています。うつらうつらする様子も見えて、なんとかしなければと思う気持ちがだんたん強くなって行きました。
とりあえず体力を付けなければと思いました、多摩に行けるほどの体力にしなければ、それがまず先決。知り合いの先生に電話をしたのですが、あいにく忙しそうで、相手にもしてもらえませんでした。

電話の向こうの声は、私の気持ちを逆なでする、冷たい言い方に聞こえました。
あなたは獣医師でしょう。飼い主の気持ちをお分かりないのか。
あなたも動物を飼い、病院へ連れていったらいい。
そのとき今のあなたと同じ事を、あなたに向かって別の獣医師が話したら、
あなただって傷つくでしょう。あなただって、悲しいでしょう。あなただって怒るでしょう。

私は医者、患者さんと患者さんのご家族に対してぞんざいな態度であってはいけないと、何度も聞かされてきました。

あなたはそれがお分かりないのか。まあいいでしょう。

やっぱり多摩へ行こう、後悔はしたくないし。そして多摩へ電話。期待通りの先生の快いお返事。
「生後40日ぐらいの雛なのですが、具合がよくありません。たぶんかびと、そのう炎だとおもうのですが、今から行ってもよろしですか。」との私の問いかけに、
「どうぞお気を付けて、準備して待っておりますよ。遅くなる時は、なるべくお電話してくださいね。」と、おっしゃってくださいました。

病院での診察の結果、入院となりました。2羽とも、予想と同じ症状で、かび、と細菌にやられていました。やっぱり、あの腐った粟玉が原因なのだわ。
先生は、ぽつりと、
「今年の春の雛はことさらに弱く、小さい子が多かったのよ。」とおっしゃいました。
ばい菌も、ふうとこう以上の子は多かったとか。うんちももっともっと状態の悪いこはたくさん来たのだそうです。体格も、こうとふうは相当小柄と思っていましたが、もっと小柄の子がいたそうです。
5月4日(土)曇

長野に静かに眠る睦に会いに行きました。睦が家に来た時は電車でしたから、私も睦には電車で会いに行きました。
ふくちゃんの横で眠る睦のお墓の上で、トスカナブルーのローズマリーが、静かに咲いていました。新芽ものぞいていました。今年の始め、ここに植えたローズマリーは、睦の分身となって、ここに咲いているのでしょうか。
睦は、お花になったのね。そう思うと、涙がこぼれました。
寂しくはなかったの、ふくちゃんとはいいお友達になれたかな、なにかほしいものがあるかしら、たくさんの事を話したかったのですが、睦のお墓を前にして、なにもはなせませんでした。
蘭丸、そして睦、まだまだ生きていたかったでしょうに。
お墓まいりの帰りになにげなく立ち寄った、ところで、見てしまいました。戯れる2羽の鳥たち。まだまだ幼さの残る2羽は、飛ぶ練習もせず、寄り添ってじっとしていました。傍らには、ふやけた粟。。。。。。
連れて帰ろう、とにかく連れて。店員の女性に叱りつけること約30分、言いたいことは山ほどありましたが、アルバイトとも見える女性に責任はなく。ため息がでました。じっと何かに耐えている2羽でした。ルリコシボタンはこうちゃん(幸ちゃん)、小桜インコはふうちゃん(風ちゃん)と名前を付けました。元気になって、飛ぶんだよ。いっぱい食べてね。
体が大変小さくて、びっくりでした。大きくなろうね!ペレットぼりぼり、シードもぼりぼりよく食べてくれますが、青菜が嫌いみたいです。
5月2日(金)晴

なんだか宙とほたるのようすがおかしい、のあも健康診断してもらわないと、と今日多摩へ行きました。
結果は、宙とほたるは「やっぱり」でした。
最近鳴かなくなった宙、この暖かさというのにひよこ電球のそばから離れないほたる。2羽とも、ここの所おでぶさん気味で、体重は増加する一方でした、水浴びもよろこんでしていましたのでそれほど心配していませんでしたが、今日つれていって良かったと思いました。 
結果は、2羽ともりっぱなそのう炎でした。
宙は大腸菌まで持っていて、私は開いた口がふさがらない状態でした。
どうして、なぜ大腸菌なの。わからないわ。どこからくるの大腸菌。なぜ増えたの。

のあも、そのうが荒れているそうで、同じ薬を処方されてしまいました。
今日は病院が混んでいましたが、私以外の方もそのう炎と診断され、前回来たときにはなにもないと言われたのに、どうして今日はそのう炎といわれるんだ。とおっしゃっていました。
先生曰く、今年はそのう炎がとても多いのですよ。冬が暖かだったことが関係しているのでしょうか。
本当にびっくりするほどのそのう炎です。と。ごもっとも、私の所も含めて、友人宅の子達も「えっ、あなた達もなの」と言われるぐらい、そのう炎の子に出会いましたから。

2週間のお薬をいただいて帰りました。
夕方、みんなを放鳥しました。宙とほたるはかごに監禁、のあは症状も軽く、先生も用心のため、とおっしゃってくださっていましたので、みんなといっしょに放鳥しました。ところが、なんということか、最近していなかったのに、のあは、内蔵助に吐き戻しをプレゼントしていました。
「あーあ、あーあ、のあ、のあ、ちょっと、だめ〜、だめ〜、内蔵助もだめ〜、だめ〜」叫ぶ私を無視しているのでしょう、おいしそうに吐き戻しを食べる内蔵助、一生懸命に吐き戻すのあ。
やれやれ。
今日いただいた、お薬を内蔵助にも飲ませることにしました。
お薬足らないよきっと、来週もいかなくちゃあ。
今年は年明けからこの子達のことでごたごたがずっと続いています。大事にしているつもりではいけないのだわと。反省しました。