時々日記2002年1月
1月24日(木)晴

朝ルチノーのイブとノーマルのヨハネを連れて八王子へ行きました。里親さんにお会いするためでした。私より経験豊富な方で、安心してお任せ出来る方だと思いました。
楽しみに待っています。とおっしゃってくださっていて、私も大変感謝しました。
イブとヨハネには絶好の旅立ち日和でした。朝から良く晴れ、富士山もくっきり、
2羽は、パパとママにさよならをして、八王子へ行きました。何度味わっても寂しいものですが、2羽にはきっと幸せな日々が待っていることでしょう。里親さんは、大変におだやかで、気さくなよい方でした。いろいろな鳥を飼っていらして、たくさんのお話を伺うことができました。私には大変勉強になりました。
せいちゃんのママからメールが届いていました。なんと昨日睦のお墓参りをしてくださったとのこと。なんという偶然でしょう。睦がせいちゃんのママを呼んだのかもしれません。やっぱり寂しかったのかな、と思いました。ごめんね。睦には近いうちに会いに行きたいです。
神ともにいまして ゆく道をまもり、あめの御糧をもて ちからをあたえま。
また会う日まで、また会う日まで、神の守り汝が実を離れざれ。

荒野を行くときも、あらし吹くときも、ゆくてをしめして、たえずみちびきませ。
また会う日まで、また会うひまで、神の守り汝が身を離れざれ。

御門に入る日まで、いつくしみひろきみつばさのかげに、たえずはぐくみませ。
また会う日まで、また会う日まで、神の守り汝が身を離れざれ。      (賛美歌405)
1月23日(水)晴

きょうは睦の誕生日でした。2歳になるはずの日でした。長野へお墓参りに行けそうになく、長野との県境にある山々を眺めて、睦のことを思い出しました。
あの高い山の向こうに眠る睦。ふくちゃんと一緒だから寂しくないよね。寒くないよね。せいちゃんのママがあなたのためにと、湯たんぽまで一緒にお墓に入れてくださったのだもの。わざわざふくちゃんの隣に眠らせてくださったのだもの。
ほがらかに うぶごえあげぬ、はるかなる 行く手も知らず、
ものはみな かがやくとみし 今日のこの日ぞ。

新しき いのちの門出、けわしかる 旅もおもわず、
すべて世は うたうと見えし 今日のこの日ぞ。

その頃の 夢もうれしや、声くれば なみだの谷も、
みめぐみの いずみなりしと さとる今日かな。

うつし世も うつくしき世と うたいつつみ手にすがりて、
行かましと いのるなりけり、今日この日に。      (賛美歌426)
1月22日(火)晴

多摩の先生の所へ行って来ました。ちびたちのかびも無くなっていて、投薬終了。ほっとしました。ノアの様子も診ていただきました。
ノアは一週間、足のテープを囓ることもなく、気にする様子もなく、この足で生きていこうとしているようでした。先生にテープを外していただき、新聞の上を歩かせると、先週よりずっと足の状態はよくなっていました。左の足がまだ少し外に流れる様な感じになりますが、両足で立つことができていました。テープを囓らなかったノアを先生はがんばったね、とほめてくださり、私はうれしかったです。ノアは、我慢強い子なのでしょうね。先生も、こんな性格の子はいいわね、とおっしゃいました。
だた、ノアが女の子である場合、産卵には危険が伴うのだそうです。ノア男の子であって欲しい・・・・・。ノアは甲高い声で鳴きませんし、なんとなく女の子のような感じがします。睦のこともあり、複雑な気持ちでした。
1月15日(火)晴

睦がお☆さまになって2週間たちました。お外に出して欲しくて、かごの入り口をがしゃがしゃ鳴らす子がいなくなり、夕方の放鳥の時も静かになりました。睦なら、「早く出してよ」と怒っているだろうな。いまでも思い出すたびに残念でなりません。
どうして・・・・りく。
睦は変わった子でしたが、それだけにかわいかったのです。りく、忘れられないかわいいりく。りく。りく。
上の卵は睦が産んだものです、睦が私に残してくれた唯一の宝物。先日買った陶器で出来た小さな宝箱に羽根と一緒にしまいました。
あの夜、どうして何回も布を開け、睦の様子を見なかったのでしょうか。もし覗いていれば、睦がお尻を噛むのを止められたかもしれません。卵はすんなり産んでくれるだろうと思っていた私がばかでした。睦にどんなに謝っても、泣いても決して帰ってきません。私の不注意で、大事な命が消えてしまいました。今でもとんでもないことをしてしまった後悔でいっぱいです。
睦のように、卵で命を落とす子が、一羽でも少なくなれば、私のように悲しい思いをする人が一人減るでしょう。おねがい、睦、女の子達を守って。
1月13日(日)晴

雛が入っているケースが手狭になったので、大きくなった子と小さい子に分けました。飛ぶ練習を始めた子は、ガラスの大きなケースに入れました。昔内蔵助が発情を止めるのに使ったガラスの水槽がありましたので、それにヒーターを取り付け、使うことにしました。ヒーターで水槽をあたためると、25度ぐらいになります。これでいいかな・・・・。まだ羽根のそろわない子達は、今までのケースで暮らしてもらいました。
足をテープで巻かれているノアもいっしょにしました。ノアは兄弟達から、変なやつと思われているらしく、ケースをそっと覗くたびに、一人離れたところでじっとしていました。テープを巻かれたことがいやだったのか、意地悪されたと思ったのか、ご飯を食べさせよとしても、知らんぷり。私の方に近づきません。
これは困りました。手が嫌いになりたいノアの気持ちは分かるけれど、ご飯を食べないなんて大変。ノアに元のように手を好きになってもらわなければ、そこで、ノアだけケースから出して、ご機嫌をとることにしました。ノアは兄弟の中で眠れないのか、私が用意したタオルのベッドで、すやすやと眠りました。顔をなでてあげました。かわいそうなノア足が元に戻るかしら。来週もういちど病院へ行きます、そのとき足が少しでも普通の子と同じようになっていますよう、お祈りしました。
1月12日(土)晴

多摩の先生の所へ行きました。高速で1時間、下におりてから30分、ちょっと疲れました。もっと近くに病院があったら良いのにと思いますが、自宅から2時間以内で行ける病院があるのは、まだ恵まれている方かもしれません。車の中で、雛達は大変元気でした。病院での診察の結果、かびがすこし出ています。ということで、お薬を頂いて帰りました。
一番気になった、クリームルチノーのマリアは、そのうに雑菌多し・・・。お腹がはち切れんばかりに食べる子なので、こうなったのか・・だめな飼い主。
もっとちゃんとしなければ、雛たちがかわいそうなことになるよ独り言を言いつつ帰ってきました。腱はずれのノアは、先生のお薦めで、テーピングすることになりました。足をそろえてサージカルテープで固定したまま、2週間がまんさせてくださいとのことでした。
サージカルテープを外したら、まき直してくださいね。とおっしゃったものの、うまく巻けるかな・・・と、心配でした。テープで固定すると、ノアは2本足できちんと立てました。足が元に戻るかどうか分かりませんが、少しでも元にもどるなら、と先生もおっしゃってくださって、心強かったです。家に帰ってノアの様子をみたのですが、テープを外そうとしている気配はありませんでした。まだ嘴が強くないのでしょう、よかった。とほっとしました。8羽の投薬は大変でした、でもがんばって飲ませないと。
1月10日(木)晴

子煩悩な歩緒は、雛が鳴くたびにかごの中で暴れ、脱走して雛ところへ一直線。今日も脱走して雛のいるケースの上に乗ってずっと鳴いていました。そっとふたをあけると歩緒はすぐにケースの中に入り、必死で雛に吐き戻しを食べさせようとしていました。雛は、そんな歩緒を完全に邪魔者扱いで、頭をつつきます。それでも歩緒は必死で吐き戻しを食べさせようとします。この写真を撮った後、すぐに歩緒はかごに帰されてしまいました。雛、恐るべし、チームワーク抜群でした。
1月6日(日)晴

睦を連れて信州・塩尻まで行きました。睦と同じことが原因で亡くなったボタンのふくちゃんの横に寝かすことになったからです。ふくちゃんのママにお願いすると快く承諾してくださって、本当に感謝しました。
私たちはマンションに住んでいて、お墓を作ってあげる場所もないのです。かわいい睦をひとりぼっちにさせるなんて出来ませんでした。
睦には、復活のローズマリーを持たせ、ご飯もお水も、大好きだった紙も持たせました。
卵も睦の宝物だから一緒にしてあげようかと思ったのですが、ふくちゃんのママから、睦の分身の卵、睦が残してくれた唯一の宝物だから大事にしてあげて、といわれ、にくい卵だけれど、大切にしようと自宅に残しておきました。
晴れていい天気でした。ふくちゃんのママは睦のためにいろいろ準備をしてくださって、本当にありがたく思いました。お墓に睦を横たえ、ローズマリーの苗を植えました。
りく、元気でね。ふくちゃんや蘭丸と仲良くするのよ。たくさんの友達がいるわ。
自宅に帰ると主人のいなくなったかごが一つ。見ていると泣きたくなりました。
夫が、睦は泣いてなんか欲しくないはずだよ。笑ってなくちゃ。泣いたら睦がかわいそう。と言います。蘭丸が亡くなったときは、本当に悲しかった。自分の無力さを痛感しました。睦が亡くなった今回は、ちょっと違っていました。私なりにあれこれしてみたけれど、だめだった。というあきらめにも似た気分だからかもしれません。睦の命のろうそくは、あの長さしかなかったのでは、と思えました。睦、元気でね。また会いましょう。
1月4日(金)晴

昨日。「元気がないので、一度あいに来られた方が良いと思います。」
と病院から知らせがあり、明日参ります。と返事をしていました。
午後から出かけようと、朝から急いで仕事を片づけていました。10時ごろ、手が空いたので、睦はどうしているだろうと電話を入れました。
でも、病院の先生の言葉は、私の予想を裏切る悲しいものでした。
「今日朝6時ごろ亡くなりました。午後まで持ちませんでした。院長がずっと付いていたのですが、ちょっと目を離した時亡くなったようです。」

りく、りく、りく、かわいい子でした。福島から我が家にやって来てすぐ、足を骨折、その後も声が出なくなったり、といろいろあった子でした。赤目の子は弱い。とある病院で言われていました。りくもそうかな?と思ったこともありました。でも、うちの睦にかぎってそんなことはないだろう、ないはずだ。とずっと信じてきました。
睦はとってもひょうきんでかわいかったのですよ。もう少しで2歳になる、冬の最中に、一人で行ってしまいました。睦を迎えに病院へ行きました。睦の命をうばったにくい卵を見せてもらいました。先生のお話では、卵はすんなりと出たそうです。ただおしりを噛んでいたため、出血が多く、それが命取りだったそうです。どうして噛んだりしたんでしょう。うずくまっていればよかったのに。そんなに卵が産みたかったの?冷たくなった睦を抱きしめて、涙が止まりませんでした。きれいな睦の羽根、私たち夫婦にはかけがえのない子でした。たかが鳥といわれればそれまでですが、子供のない私たちに取っては、かわいい子供だったのです。自宅に帰り、しばらくはなにもしたくありませんでした。
1月2日(水)晴

とんでもない事が起こってしまいました。
いつもの様に朝、かごに掛けてあった毛布を取りました。
夕べ、睦のお腹に卵があるのを確認していた私は、ヒーターの温度を上げて置きました。産んでいるかな?と睦のかごを覗いたのですが卵はありません。まだかな? と思いながらかごを見ると、かごの中には血の付いたテイッシュが散乱しています。
睦、どうしたの?
どうして血が付いているの?
睦、あなたお腹の毛に血が付いているわよ。いそいで睦のお腹をみました。睦のお腹は血だらけでした。血は止まっているようにも見えましたが、よくわかりません。
今日はお正月2日、診療していらっしゃる病院はあるかしら??? 友人に電話をして、病院のリストを教えてもらい、やっと川崎の病院が診療中であることが分かりました。急いで電話をして、睦を連れ、電車に飛び乗りました。自宅から約2時間、長い旅でした。
病院の先生は、急いで卵を出しましょうね、入院になります。4日ぐらい見ておいてください。とおっしゃいましたが、睦の様子はすでにおかしくて、嘴の血色はありませんでした。覚悟をして睦を病院に残し、自宅へ帰りました。睦はお腹を噛んで出血していたようです。どうして噛んだのか分かりませんでした。