讃美歌140 第二編「ながき道 ひとりあるきて」

■作詞者藤田昌直(1905-1982)は,日本基督教団 小石川白山教会の牧師を40年近く勤められ、同時に日本聖書神学校の経営と教職に永年奉仕され1982年、77歳で召天された。

1967年に編集された日本基督教団の讃美歌第二編の編集委員長に選任され、歌詞専門委員主査も兼任され、多大の貢献をされた。同じく音楽専門委員をとして作業された藤田昌克氏は昌直氏のご子息である。昌直氏が作詞された第二編の賛美歌には36「はたらき人らは」,62「とこしえにいます」,63「主のみたまは」,66「朝のみどりに」,72「喜びは満ちあふる」,140「ながき道 ひとりあるきて」がある。

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■曲は、スペイン民謡Juanitaを中田羽後氏が編曲したとある。中田羽後氏について、日本イエス・キリスト教団の荻窪栄光教会のホームページに次の記載がある。

「荻窪栄光教会は、昭和35年(1960年)当地において、森山諭牧師中田羽後音楽牧師によって始められました。ですから今も両師の精神を受け継いで伝道と教会音楽には熱心な教会となっています。

中田羽後は明治29年(1896年)99 父重治と母かつの次男として生まれ、教会音楽に生涯を捧げられた。 昭和491974年)年714 荻窪栄光教会の説教中に召天された。 荻窪栄光教会は中田師の住んでおられた場所に建っている。

中田師は、日本を代表する教会音楽の権威者として著名であった。また、教会の礼拝で歌われる聖歌の編纂者としても知られている。昭和44年、建堂されたばかりの教会にパイプオルガンを寄贈された。木製の暖かい音色のオルガンは、毎週の礼拝の他、音楽特別伝道集会、メサイア公演などで大活躍している。」

原曲である “Juanita” は、「スペイン民謡」とみなされることが多い。これは、英米の多くの楽譜・歌集で "Spanish ballad" あるいは "Spanish melody" などと記されていることに拠っている。
しかし、最近の研究によると、イギリスのノートン夫人(
Mrs. Norton (Caroline Elizabeth Sarah Norton), 1808-1877)が、歌いだしの旋律はヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「涙の流れるままに」("Lascia ch'io pianga";「私を泣かせて」の邦題もある) を下敷きにして作詞作曲し、1855年に自分の作品集に収めた「擬似スペイン歌謡」である。スペイン語の歌詞は英語版からの訳詞であり、1930年にウルグアイで作られた。アメリカでは南北戦争時に流行したため、その時代の歌謡と受け取られることが多い。

日本では1882年の『小学唱歌集(第三編)』で「忠臣」という国家主義的な歌詞が当てはめられた。讃美歌としては、『改正ゆにてりあん唱歌集』(1906)に「聖子降誕(嗚呼あまねし御神のさかえ)」として取り入れられ、現在までいくつかの讃美歌の旋律に採用されてきた。アメリカではファニー・クロスビー(Fanny Crosby)作詞の "What a Friend Thou Art To Me" の曲("O My Redeemer")でもある

背景のmidiは新たに作成しました。

 

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