北沢洋子

国連開発金融会議について

英文名:UN Conference of Financing for Development

開催地:メキシコのモンテレイ 

日時 :2002年3月18〜22日

議長には元メキシコ大統領のErnesto Zedilloが就任した。

NGOフォーラムも同時に開催

1.国連が開発金融会議を開催する理由

 冷戦後の1990年代、国連は、子ども、環境、人権、人口、社会開発、女性、人間居住などグローバルな課題についてサミット級の会議を開催した。ここでは、国家首脳が参加し、2000年までに達成すべき「行動計画」を採択した。途上国の貧困の根絶、とくに子どもや女性の人権の尊重、地球環境の回復などがメーン・テーマであった。国連は、国家の安全保障より人間の安全保障を優先し、経済開発よりも社会開発を重視する、さまざまな行動計画を採択した。

 2000年には、国連はミレニアム・サミットを開催し、「ミレニアム・グローバル目標」を決議した。

 国連決議は、安保理事会を例外として、加盟国に拘束力を持たない。しかし、これらサミットでの決議は、国家首脳が公約したものであり、「国際法」である。しかも、冷戦後、国連決議は、それまでの多数決ではなく、「コンセンサス」方式を採ってきた。そのため、すべての加盟国が参加する2週間という長期の準備会議を3回以上もち、決議文の1字1句について合意して行くという気の遠くなるような作業を積み重ねてきた。

 加盟国政府は、単に、「拘束力がない」ことを理由に、自身が合意した「行動計画」を実施しないということは許されない。

 しかし、これらの決議は、ほとんど実施されなかった。それだけではない。とくにこれらグローバルな課題をめぐる途上国の状況ははるかに悪くなっている。

 その理由は、「資金がない」ことに尽きる。これら「行動計画」の実施には、巨額の資金が必要である。しかし、先進国は、「新しい資金」の支出を拒んできただけでなく、従来のODAを減額したのであった。

 1998年の国連総会で、開発金融会議の開催が決まった。開発金融会議は、この「資金問題」を解決するサミット級の会議であった。また、会議の担当機関である国連経済社会理事会だけでなく、IMF、世銀、WTOなどの国際機関、NGO、ビジネスなどとの協議を行うことも決めた。

 2000年8月、ジャカルタで、アジア太平洋地域の諮問会議が開かれた。ここでは、政府代表、IMF、世銀、NGOが対等の立場で発言し、レポートの作成に参加した。

 第4回準備会議は2002年1月、ニューヨークの国連本部で開かれた。ここには、修正された決議草案が提出された。

 2002年1月27日付けで、「モンテレイ・コンセンサス」というタイトルの最終の決議草案が発表された。

2. 開発金融会議の開催をめぐる米国の妨害

1)開催地をめぐって

 米国政府と議会は、開発金融会議の開催そのものに反対した。まず、米議会が、1996年、「サミット級の会議を国連本部で開催すること」という決議を採択した。これを盾にとり、米国は、一連のサミットが採択した「行動計画」の5年後のレビュー会議をニューヨークの国連本部で開くよう主張した。社会開発サミットの5年後のレビュー会議だけがジュネーブの国連本部で開催されたのを除いて、すべてニューヨークで開かれた。

 ニューヨークの国連本部で開催されると、NGOフォーラムを開催しなくても良いことになっている。しかも、途上国のNGOが米国への入国ビザを取得することは難しい。

 2001年に、南アフリカのダーバンで、国連の反差別会議が開かれた。これは、さまざまな背景もあって、開催地については、ニューヨーク外という例外になった。そこで米国は、この会議をボイコットした。

 開発金融会議も開催地をめぐって、紛糾し、2転3転した。最初はチリのサンチャゴが候補であったが、米国は、チリが準備会議の議長になることは好ましくないとして、サンチャゴ案を拒否した。メキシコになったのは、妥協の産物である。しかも、米国との国境に近いモンテレイが選ばれた。

2)「トビン税」問題

 UNDPが、1994年の人間開発レポートで、「新しい資金」源として、「トビン税」を提起した。それ以来、国連サミットでは、この「トビン税」が提案されるようになった。

 米国議会は、「国連がトビン税について言及するなら、米国政府は一切の国連への拠出金を差しとめる」という趣旨の決議を2種類も採択した。それ以来、国連では、「トビン税」はタブーになった。しかし、NGOの「トビン税」キャンペーンが高まり、フランスにはATTACが誕生した。1996年、カナダ議会は「トビン税の導入」を決議した。今日では、フィンランド、ノルウエー、フランス議会が採択している。

3)会議のレベルをめぐって

 当然、開発金融会議はサミット級の会議でなければならない。しかし、米国は、「会議」という言葉にも反対し、「イベント」にするよう要求した。「ハイレベル」という言葉にも反対した。結局「国連開発金融会議」で妥協した。しかし、米国がボイコットする可能性は大きい。米国の参加を確保するため決議文の「最終草案」は大幅な妥協の産物になった。

3.準備会議の経過

 国連は、これまで、3回×2週間にわたる準備会議を開催してきた。

 2001年2月に開かれた第2回準備会議に、国連事務総長の「報告書」が提出された。これは、177パラグラフ、80ページにのぼる文書であった。以後これは「事務総長報告書」と呼ばれる。

 実質的な議論は、第3回の第2期準備会議(2001年10月、第1期は同年5月)から始まった。ここには、Zedillo議長のパネルの勧告案が提出された。

1) パネルの勧告案の内容

 パネルの勧告案には、NGOの提案が多く取り入れられていた。

その主な内容は以下の通り;

―ODAをGDPの0.7%にする、及び国際的に合意した、2015年までに貧困を半分にするという「ミレにアム・ゴール」について、グローバル・キャンペーンを開始する

―「経済安全保障理事会」を設立するために、国連が「グローバル経済ガバナンス・サミット」を開催する

―2001年11月、カタールのWTO閣僚会議において、多国間貿易交渉による「開発ラウンド」を開始する

―低開発国(LDC)のために、多国間の「一次産品のリスク管理スキーム」を設立する

―これまでの開発援助を、「共通のプール」に自発的に移して行き、受け取り国が決める開発戦略に資金が出されるようにする

―適切な課税対象の設定を追求し、「Global Public Goods(GPGs、地球公共財)のために支出する。

―いわゆるトビン税のフィージビリティと効果についてさらに研究する

―温室効果ガスを減らし、収入を増加させるために、炭素税の導入を考慮する

―国連の環境諸機関を「グローバル環境機構」に統合する

―ILOとその労働基準の執行能力を強化させる

―「国際税機構」を創設する

であった。

 同時に、パネルの勧告案に基づいて、ファシリテイターが決議文草案の形に起草した文書が、準備会議で議論された。

 前文には、とくにミレニアム宣言など、国際的に合意したグローバルな開発ターゲットを達成するために、国内、国際的に資金を動員する、国内的な開発努力には、それを可能にする国際的な環境作りを必要とする、また、持続可能で、ジェンダーの視点に立った、人びとを中心にした開発でなければならない、などが記されていた。

 先進国は、この草案を全面的に拒否した。途上国寄りすぎるというのがその理由であった。しかし、実質的には、途上国の意見どおり、この草案をめぐって議論がなされた。ここでの意見を取り入れて、2002年1月19日、2人の共同議長とファシリテイターの共同作業による第2次草案が、2002年1月の第4回準備会議に提出された。

 第2次草案は、考えられないほど、先進国寄りの内容であった。

第4回準備会議では、途上国側の撒き返しで、いくらか改善したとはいえ、先進国寄りの最終草案になった。

4.会議の問題点

1) 南北間

 途上国は、「行動計画の実施を可能にする国際的な環境の整備」を主張する。そのため、「先進国は“新しい資金”の供与を公約すべきである」と主張する。

 先進国は、「実施されないのは、途上国のガバナンスがないためである」、したがって「腐敗、財政、税、経済改革、資本市場整備など国内のガバナンスの確立が先決」だと主張する。

 最終決議案(14パージ、64パラ)は、先進国の主張がほとんど取り入れられたものになった。

2)「新しい資金」をめぐって

 「新しい資金」とは、債務帳消し、ODAの0.7%、CTTという3項目である。

(1) 債務帳消し

 先進国は、一貫して、IMF・世銀の「拡大HIPCsイニシアティブ」の維持と、債務国が債務管理の能力の向上をはかるべきだと主張した。

 激論の末、債務の持続可能性を評価(レビュー)する時、「ミレニアム開発目標」を参照することに同意した。しかしこの「評価」については、HIPCs適格国に限られることになってしまった。

 中所得国の債務問題の解決については、「革新的なメカニズム」を探っていくことを、奨励する。

 自然災害、貿易条件の悪化、紛争などがもたらす債務が非持続可能になった時、債務の持続可能性を根本的に改正することをIMF・世銀に求めた。しかし、ここでは、債務救済はオプションの1つに留まっている。  

 HIPCsイニシアティブの実施にあたって、ODAを使わないことを、先進国に対して「奨励する」という弱い表現に変えられた。

 金融危機の解決と介入に際して、政府の公的機関と民間の銀行、債権者間、債務者と債権者/投資者の間のバードン・シェアリングの原則が明記された。また間接的な表現だが、「すべての関係者が参加する国際的な債務の解決メカニズム」が明記された。これは、NGOのFTAPに比べると、あまりにも漠然としている。

(2) ODA

 アナン事務総長は、エイズ根絶、貧困根絶のプログラムを遂行するには、今日のODAを倍増する必要があると訴えている。実際、2000年の国連「ミレニアム宣言」に沿って、2015年までに世界の貧困を半減するという「ミレニアム・グローバル目標」を達成するために、ODAをGNPの0.7%以上に増やすことが必要である。

 すでに先進国は、1972年のUNCTAD IIIでこれを承認している。しかし、現在のGNP比は、0.3%を下回っている。0.7%を達成しているのは、北欧諸国など5カ国にすぎない。最終草案は、達成していない先進国が、「明確な努力」をするよう励ますだけに留まっている。NGOが要求したような、達成の期限を付けた決議文ではない。

(3) トビン税

 「トビン税」は、現在、「為替取引税(CTT)」と呼ばれている。

 2001年1月の国連「事務総長報告書」の113パラグラフには、2000年6月、ジュネーブの国連社会サミットで採択された、CTTに関する決議が引用された。決議文は、

「新たな、かつ革新的な資金源についての提案の有利性、不利性についての活発な分析をすること」と記載されたが、最後の全体会議で、CTTの推進派のカナダとタイが、「新たな、かつ革新的な資金源」とは「CTT」を指すというスピーチを行った。このくだりが事務総長報告書に精しく記載された。

 2001年10月の準備会議、2002年1月の第4回準備会議に提出された草案には、「CTT」の文字は消えていた。最終草案には「可能性のある革新的な資金源についての事務総長の報告書で要請された分析の結果を、適切な場で、研究することに同意する」(38パラ)という幾重かの間接的な表現に終わっている。これでは、CTTはいつのことになるやら全く検討もつかない。

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