御来光へ間に合うようにと、宿の人から起床の合図がかかります。 御来光の予定時刻は4時半。 本当だったらもう少し遅くても良いのですが 今はまさしく人出のピーク 登山道の大渋滞に巻き込まれること間違い無し、と言う事なのでこの時間となりました。 ただ、小さな小さな山小屋に100人以上押し込まれての仮眠です。 眠れなかったり、酸欠状態になったりして 高山病症状の人が沢山でました。 私達8人グループの中でも2人が起きあがるだけでも気持ちが悪い、 という症状を訴え、登頂は断念し、山小屋で待つことになりました。 こんな時は無理は禁物です。 2人を残し、私達は頂上へ向けて出発しました。(その2人の中にブラパパ含む) ところが、宿をでてしばらく登っているとブランママの体にも変調が起こりました。 体の筋肉は全く平気なのに、既に5合目からあった頭痛がひどくなり、 脂汗と体のふるえ、そして気持ちが悪くなり立っているのもやっとになってしまったのです 酸素を吸ってももうダメです。 しかも、下からは数珠繋ぎのように人が押し寄せてきています。 ちょうど8.5合目に”御来光館”というのがあったので、そこのベンチに座り込み ”もう私は無理なので、リタイアします。みんな行って下さい”と頼みました。 突然の事だったのと、後ろから押されるような形でみんなは登っていきました。 30分位、身動きできずにそこに座っていました。 ”ここまで来たのに登頂できなかったなあ”とか、いろんな事が頭を駆け巡りました。 すると突然、先ほどまでのあの気持ちの悪さがすっと消え、頭痛も無くなりました。 体が気圧に順応したのでしょう。 その時、”ここで終わりたくないぞ~(大袈裟)”&”みんなの電話番号聞き忘れた!” という思いにかられ、ブランママは頂上目指して一人で登ることにしました。 ”頂上に着くまでにみんなに追いつかなくては” 火事場の馬鹿力とでもいうのでしょうか? いきなり調子よく登れるではありませんか。走れそうな勢いです。 |
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大渋滞と言うこともあり、御来光は9.5合目付近にて たった一人で見つめました。 でも、雨雲に阻まれ、頂上付近ではこれが限界でした。 |
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人・人・人 これじゃあ、途中から下山するなんて 出来ないですね....。 |
この後、無事頂上の手前でみんなと合流することが出来ました。 まさか一人で登ってきているは知らないみんなに驚かれました。 みんなの顔を見つけた時、本当に嬉しかったです。 追いついてしまった自分にも少し驚いてしまった.......。 |
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頂上から下界を臨む いつしか雨もやみ、陽が射してきました。 |
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写真じゃ分からないかもしれませんが かなり深くて急で のぞき込むのは恐かったです 写真上の方にはまだ雪(氷)が あります |
みんなで朝食もとりました。 宿で出して貰ったお弁当は、とてもお弁当と呼べるものではなく (山なので仕方ないですが) 泣きたくなりました。しかし一緒に行ったメンバーが山に慣れている人だったり 準備万端の人たちだったので 暖かいスープにラーメンという山の上にあっては”ご馳走”をいただきました。 ブランパパもいない状態で、ブラパパの職場の人たちに助けられて 登頂することができたのでした。 |
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メンバーの1人から衝撃的な一言が! ”ここは頂上だけど、一番高いところ、つまり3776mはあそこだよ” と写真中央の白い観測所を指さしました。 今、自分たちが立っているところよりかなり遠い。そして高い。 すでに登頂は終了気分だったブランママは登る気ゼロでした。 ”わ、私はここが頂上でいいです!” と言ったものの、笑顔で”じゃあ、ゆっくり頑張ろうね”と言われ 本当の最高地点に向かいました。 富士山は頂上が火口を巡って鉢状になっています。 一周、約1時間の行程です。 |
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![]() 人がいっぱい |
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やった~これが3776mだ!! みんなのお陰で本当の頂点にたどり着きました。 とっても苦しかったけど、達成感がありました。 この後、下りも雨が降り、足場が悪くかなり辛い行程になりましたが 本8合目で待っていた2人とも合流できて、全員無事に下山することが出来ました。 高山病で登頂できなかった人達は沢山いたみたいです。 自分も気持ち悪くなったので、どれだけ辛いか分かるような気がしました。 勇気ある撤退も必要です。 帰ったら、文字通り爆睡。 次の日は筋肉痛で階段を下りるのが一苦労でした。 ふう。 度重なる、不運(?)に少し参っていたブランママでしたが この富士登山で何となく厄払いが出来たような気がしました。 頂上の浅間神社にてお守りを購入して、気持ち新たに暮らしていこうと思ったのでした。 |