○ 神主長屋惣八が事

浅草元鳥越明神前に、神主長屋といふあり。此長屋をあづかり守れる惣八といふもの、年ごろ多病なるにより、くすしの匙をつくせども、させるしるしのなかりしかば、ある人のすゝむるまにまに、俄に宗旨を改めて日蓮になりてけり。このもの元浄土宗にて、その菩提所は浅草なる小揚町の浄念寺なりければ、ある日、病の間ある折に浄念寺に赴きて、やつがり長病祈祷の為に、日蓮宗にならばやと思ひさだめ候。しかれど改宗は、只わが夫婦のみにして、子どもはさる望みなし。かゝればかれらは、いついつまでも貴寺を菩提にこそたのみ奉るなれ。この義をうけ引き給へかしと、亦他事なくまうしゝを、住持は聞きて、一議に及ばず。いはるゝ趣こゝろ得たり。更に仔細あるべからずと答へられたりければ、惣八ふかく歓びて、しからば今よりやつがりらは、何がし寺(寺号を忘れたり)を菩提所にたのみ侍らんとて、まかり出にけり。是より法華を信仰して、題目のみ唱えしかども、、病はいよいよおもりつゝ、ふるとし(文政七年)の大つごもりには、わきてあやふく見えけるに、みづから浄念寺に赴きて、過ぎつる比、しかじかと申して改宗したれども。病はおなじやうに侍り。かゝればいかで、はじめのごとくみてらに葬り給はれかし。やつがり、くすしの力にも及ばず、今はよみぢに赴き侍れば、又さらに此事をたのみ奉らん為に、病苦を忍びてまゐりぬといひ果てゝ、いでゆきけり。住持は窃にあやしみて、そのゆふべ人を遣わし惣八がりとはせしに、惣八はきのふ夕つがたに身まかりぬと聞こえけり。住持は聞きて且おどろき、さては来るはかの者のなき魂にこそありけれとて、いとど不便に思ひつゝ、すなはちかれが願のまにまに浄念寺に葬りぬ、こは今茲(文政八年)正月二日の事にぞ有りける。

訳文