敵討裏見葛葉・あらすじ
羅字第一
河内国矢田部の領主・清原定邦(きよはらのさだくに)は、安和二年(969)の田原千晴の謀反における軍功によって、新たに和泉国信太(しのだ)の郷を領することになった。その年の六月、領地の検分に赴いた定邦は、信太の森の中に、小さな祠(やしろ)を発見する。村長が言うには、それは楠本稲荷という神社で、齢数百年の白狐を神体として村人から尊信されていた。これを聞いた定邦は、もともと神仏を恐れない性格のため、淫祠を禁じると称してこの神社を取り壊してしまった。このとき、宝殿の中から一匹の白狐が逃げ出した。定邦はそのあとに残された二個の玉を、自分の物にしてしまった。
この郷には、信田庄司晴俊(しのだせうじはるとし)という郷士が、妻の真葛(まくず)と十八歳になる娘・葛の葉(くずのは)とともに暮らしていた。この庄司はかつて都に上り、陰陽師・加茂保憲(かものやすのり)に師事し、〓〓内伝(ほきないでん)・金烏玉兎集(きんうぎよくとしう)の書物と荼祗尼天(だぎにてん)の法術を伝授されていた。しかし師の保憲は、陰陽道の奥義である識神(しきじん)を継ぐことができるのは庄司の未生の外孫であると予言して、自分の識神を一条反橋(いちでふもどりばし)のほとりに封じ込め、庄司には陰陽道で身を立てることを禁じていた。
さてこの日、信太の森が焼けているのを見た庄司は、定邦を途に出迎えて楠本の祠を破却したことを諌める。しかし心猛る定邦は聞き入れるはずもなく、捕縛しようとしたため、それをなだめるためにやむを得ず定邦の吉凶を占うことになった。その吉凶とは「今日一人の愛臣を得る」こと、そして「白狐の祟りによって今後三つの愛するものを失う」ことであった。
土字第二
信太から宿所である正覚庵へ戻った定邦は、喉の渇きを癒すために湯を所望する。そのときに現れた美少年は、最初にぬるい湯、二杯目は少し熱い湯、三杯目には熱い湯を持って来た。この少年は千枝丸(ちえまる)といい、この寺の住持が十数年前に阿倍野で拾った捨子であった。定邦は千枝丸の才智に感動し、自らの従者とし、楠木千枝丸と名乗らせることにした。これが、庄司の予言した「一人の愛臣を得る」ということだった。
河内の本領へ帰った定邦は、郎党の庭井十郎から、妾の宮木が病に臥せっていると報告を受ける。宮木の体には白狐が取り憑いていることを悟った定邦だったが、斬ることもできず、加持祈祷もまるで効果がなかった。
そのとき、同国瀧畑に、石川悪右衛門(いしかはあくゑもん)という浪人の噂を耳にする。その男はかつて知徳法師(ちとくほうし)に陰陽道を学び、罠を使って狐を捕らえることにかけては名人であった。定邦はさっそく悪右衛門を招き、狐を祓うように依頼する。悪右衛門は白狐の行動を観察し、宮木の体を離れた隙をついて、それを捕らえることに成功した。白狐は簀巻にされて、大和川に沈められた。
水字第三
そのころ摂津国阿倍野に、安倍保名(あべのやすな)という若い売卜者がいた。その父・保明はかつて加茂保憲の弟子であったが、身持ちを崩して若死にしており、保名は病身の母を抱えて、貧しい暮らしをしていた。
その保名が母に魚を食べさせるために、大和川で漁をすると、とつぜん網に大きな獲物がかかった。引き上げてみるとそれは悪右衛門が沈めた白狐で、哀れに思った保名は家に連れて帰って介抱した。狐はニ三日後に去っていったが、それ以後保名の家の門前には、誰からともなく魚や鳥がもたらされるようになった。
一方、清原定邦の家内では、狐を祓った勲功によって悪右衛門が出頭し、譜代の郎党よりも重用されるようになっていた。また宮木はほどなく病死し、代わりに千枝丸が定邦の男色の相手として寵愛されるようになっていた。千枝丸は早く正覚庵に帰りたかったため、同僚の罪を被ることが多かったが、定邦はそれでも千枝丸を手放そうとはしなかった。
金字第四
定邦は公務のため上洛することになり、千枝丸に留守を任せ、二つの玉を管理するように命じた。かねてから千枝丸に横恋慕していた悪右衛門は、主人のおらぬ間に千枝丸に迫るが、つれなくされたため逆恨みし、玉を盗もうとして部屋に忍び入る。しかし慌てて玉の一つを落として割ってしまい、その現場を千枝丸に発見される。千枝丸が情に厚いことを知る悪右衛門は、玉を二つとも割ったと偽って、切腹する振りをして情に訴え、その責任を千枝丸に転嫁する。
やがて定邦が帰郷し、玉を見せるように千枝丸に命じる。千枝丸は正直に玉の破片を差し出すが、それが一個分しかないのを見て定邦は激怒し、千枝丸を斬り殺してしまう。玉の破片は庭に投げ捨てるが、そのとき、にわかに現れた白狐が、その破片を飲み込んで去っていった。それを見て正気に戻った定邦は、かつて庄司の予言した「三つの愛するものを失う」とは、宮木、玉、千枝丸の三つであると気付き、大いに後悔した。
やがて定邦は、もう一個の玉を盗んだ犯人を探すため、信太庄司に陰陽道を用いるように使者を派遣する。かねてから師によって、五十歳の年に災いが起こることを予言されていた庄司は、妻の真葛と娘の葛の葉に、自分の死後に摂津からやってくる男を婿に迎えるように遺言し、定邦の屋敷へ旅立った。
日字第五
庄司は定邦の願いを受けて、封印していた荼祗尼天の法を用い、玉を盗んだ人間を特定しようとした。その法に立ち会った悪右衛門は、ことが露顕するのを恐れ、定邦の名代として祭壇に飾られていた田原千晴の刀を奪い取り、庄司を殺害し、多くの郎党を斬って逃走した。庄司の従者であった与勘平(よかんべい)は、悪右衛門の着物の端をちぎり取るが、結局外へと逃がしてしまった。
同じ日、安倍保名は大和川で漁をしていると、またしても大きな獲物が網にかかる。引き上げるとそれは、人間の首であった。不憫に思って家に持って帰ると、保名の母はそれを見て、恩人・庄司の首であることを息子に告げる。父の保明と母はかつて、京を駆け落ちするときに、庄司に援助してもらったことがあったのだった。保名はその恩に報いるため、庄司の首を送り届けるために、和泉へと旅立った。
夥字第六
かくして保名は和泉に至り、庄司の家を訪ねた。保名が摂津から来た人間であることを知ると、真葛は夫の予言どおりであったことに驚き、つづいて遺言のとおり、秘蔵していた箱の中身が何かと質問する。保名がそれは〓〓(ほき)内伝・金烏玉兎集である、と正しく言い当てると、真葛はこの男こそ葛の葉の婿になる人だと確信し、庄司の敵討を依頼した。保名はそれを了承し、庄司の首の前で葛の葉と祝言を挙げ、また引出物として〓〓(ほき)内伝・金烏玉兎集の両書と荼祗尼天の法書を授かる。
翌日、保名は阿倍野に残してきた母の身を案じ、夕方に帰ることにした。正覚庵にさしかかったとき、千枝丸の追善のために接待風呂(無料で入れる銭湯のようなもの)を立てているのを見て、湯浴みすることにしたが、そのとき偶然、石川悪右衛門が同じ風呂に入っていることに気付かず、暗闇にまぎれて衣服と旅包を間違えてしまったため、追手に悪右衛門と誤認され、棒で打ち倒されてしまった。
目を覚ますと、保名を介抱していたのは葛の葉であった。夫のことが心配で追ってきたのだと言う。保名が間違えた包みを確認すると、そこから出てきたのは、一個の玉であった。これを見て、自分が間違えた相手は悪右衛門であったことを知るが、悪右衛門には代わりに、庄司の秘蔵の書物を持っていかれたのであった。
計字第七
阿倍野の自宅に葛の葉とともに帰りついた保名は、母に事の次第を語る。すると母はこれまで隠していた事実を語る。実は千枝丸は、かつて母が旅僧の前に棄てた、保名の弟だったという。悪右衛門は弟の敵でもあったわけで、いよいよ敵討の決意を固くする。
しかしその後、信太から与勘平がやって来て、姑の真葛が出家して諸国行脚の旅に出たことを告げる。そして唯一悪右衛門の顔を知る与勘平自身もひとりで旅出ってしまったため、保名は病身の母のこともあり、旅立つ機会を失ってしまった。
その翌年、保名夫婦の間には男の子が生まれた。名前を童子というこの子は、野遊びや虫取りが好きな子供であった。いよいよ旅に出にくくなった保名と葛の葉は、晋の予譲の故事に従って悪右衛門の衣服を切り裂き、一時の溜飲を下げた。
そうして七年が過ぎ、保名の母は亡くなった。その百箇日の墓参りのため、葛の葉に童子を任せて四天王寺へ赴く折、保名は道の向こうからやって来る三人の旅人と出会った。それは、今自宅にいる葛の葉と、真葛・与勘平の三人であった。保名は訝るが、三人もまた訝る。三人の話によると、保名は正覚庵での騒動で死に、また母親も時を同じくして死んだため、その仇を探すために諸国を旅していたという。ここに至って保名は、現在家にいる葛の葉の正体が、かつて自分の救った白狐であり、信太と阿倍野の家の連絡を断っていたのだと気付く。
保名は三人をつれて帰り、家の中を覗く。狐葛の葉はすでに真の葛の葉が旅から帰って来たことに気付いており、眠る童子に、命を助けられた保名に恩返しをするために葛の葉の姿に化けたこと、そして今後は真の葛の葉を母とすることをいい聞かせ、障子に短歌を書き残して姿を消した。
保名は童子を連れて信太の森へと行き、狐葛の葉と再会する。保名は一個の玉を返そうとするが、玉は定邦が先非を悔いて自ら返したときに受け取ると言って受け取らず、また仇敵・悪右衛門について教える。悪右衛門は、本名を近江太郎逸澄(あふみのたらうはやすみ)という、もと田原千晴の家隷であり、それを討った清原定邦を倒すために定邦に取り入ったのだった。しかし庄司にそのことを暴かれそうになったために播州に逃亡し、図らずも手に入れた庄司の秘蔵書を使って陰陽師となり、現在は芦屋道満(あしやのどうまん)と名乗っているのであった。そしてこの度、帝(円融帝)の病の祈祷のために上洛することになったが、実はこの機会に帝を調伏しようと画策しているのであった。狐葛の葉は今こそ道満を討つべきときだと保名に知らせ、再び白狐の姿に戻って叢に隠れた。
月字第八
敵の居場所をつきとめた保名は、一人で上洛し、加茂保憲の嫡男・光栄(みつよし)に面会して事の次第を告げる。光栄にしばらく連絡を待つように命じられ、保名は旅宿に帰るが、その帰途、一条反橋のほとりで多勢の癖者に襲われる。これは保名の上洛を知った悪右衛門(道満)が、荼祗尼天の法によって生み出した幻で、保名は殺され、玉を奪われる。道満は下僕の段平に命じて保名の死体を埋めさせるが、そのとき、昔加茂保憲がこの場所に埋めていた識神が蘇り、中空へと消えていった。
一方、信太の郷では、葛の葉たちが童子とともに保名の帰りを待っていたが、そこに突然風が吹き、童子を吹き倒す。目覚めた童子は自分が識神を受け継いだことを伝え、都へと走っていった。
識神の神通力で一瞬にして加茂光栄の家に到着した童子は、光栄に面会して自分が保憲の弟子であると告げ、一条反橋において生活続命(しようくわつぞくめい)の法を行い、保名を蘇生させる。光栄はその日、摂政実頼(さねより)に道満が帝を傾けようとしていることを告げ、保名父子の敵討を認めてもらうように請う。実頼は術比べによってそれを確かめることにする。
木字第九
翌日、摂政殿において童子と道満との術比べが行われる。その課題は、箱の中身を言い当てることであった。道満は冬瓜と土器だと答え、童子は土器と蛇だと答える。ふたを開けると冬瓜と土器が出てきたので、道満の勝ちだと思われたが、光栄がその瓜を切り開くと、その中から赤い蛇が出現した。童子はさらに、帝の病気の原因は田原千晴の名剣を清原定邦に賜ったことにあり、その剣はかつて千晴の父秀郷が龍宮から得たもので、徳の低い定邦が所持したことで、多くの禍が引き起こされたのだと告げる。そしてその剣を下野国に奉納するべきであると告げ、その剣は現在、道満こと悪右衛門が所持していることを指摘する。そこに蘇生した保名も現れ、道満が悪右衛門であることを証明する。また童子は、土器が帝の調伏のために道満が使用したものであることを明かして、道満の陰謀を暴く。道満は慌てて、術を用いて逃走した。
童子は実頼から敵討の許可を得、保名とともに一条反橋へ向かう。童子の法術によって足止めされていた道満は、父子との立ち合いの末、ついに討たれる。またその下僕段平も、与勘平によって討たれた。
こうして玉と秘書を取り戻した保名父子は、折からやってきた真葛・葛の葉とともに摂政に賞賛される。その後千晴の宝剣は下野の誹来矢権現(ひらいしごんげん)に奉納され、帝の病気は平癒した。また清原定邦は先非を悔い、改めて楠本の社を再建し、玉を奉納する。また千枝丸の追善のため正覚庵に堂舎を建立した。実頼は童子を天文博士から後に播磨守に任じ、童子は安倍晴明(あべのせいめい)と名乗り、衰えた先祖仲麿の家を見事に再興したのであった。
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