四月十六日。
城門が、開いた。
開けたのは巌木五郎(いわきのごろう)という城方の武将である。管領方と内通し、春王丸と安王丸の両公達の身柄をさらって、城を出てしまったのだ。
旗印を失った結城城は、これで総崩れになった。寄手の総攻撃の前に、結城氏朝、里見季基ら有力武将の討死が伝えられると、残った城兵たちは我先にと逃げ出し、運の悪いものは捕らえられ、そして殺されていった。
そんな阿鼻叫喚の世界をよそに、番作は、父である大塚匠作と城内のとある一室で向き合っていた。近習として本丸御殿のそばに詰めている匠作と、一兵卒として兵舎に住む番作とが顔を合わすのは、実に久びさのことであった。
番作は、父が嫌いであった。
永享の乱の戦火が広がる鎌倉を疎開し、もともと先祖の土地である武蔵国大塚に母と姉と共に潜伏していた番作のもとに、生死もわからず行方不明になっていた父から書状が来たのは、今から二年前のことであった。そこには鎌倉を脱出した両公達が無事に結城氏朝の元に身を寄せたということが克明に記されてあり、書状の最後に付け加えるように、結城に籠城して管領軍を迎え撃つのでおまえも来るように、と書いてあった。
当時十四歳であった番作はその夜、眠ることが出来なかった。命を落とすかもしれないという不安と、手柄を立てて一城の主へと出世する夢が、頭の中でないまぜになっていたのだ。どちらにせよ、番作が思い描いていたのは、戦場を駆ける勇者としての栄華であり破滅だった。
だが、数日後、結城城へとたどりついた番作が最初に連れて行かれた場所は、薄暗い曲輪の片隅だった。そこで番作は、色に餓えた荒くれ者たちに押し倒され、踏みにじられ、そして犯された。
父はそのことについて、何も言わなかった。番作が会おうとしても、近習の職は重責で私事のために持ち場を離れるわけにはいかないと、面会も許されなかった。ようやく顔を合わせたときには、番作はもう自分の立場というものに馴染んでしまっていて、父から話すことも、番作から話すことももうなかったのだった。
その父が、落城寸前の今になって、わざわざ自分を呼び出した。
番作は、これから父が何を言おうとしているのか、だいたいの予想がついていた。父は、両公達を奪われた責任をとって、死ぬのだろう。そして自分も、道連れにするのだろう。
そして自分は──
何も言わず、それに従うのだろう。
そう思っていた。
「番作よ、この戦は我らの負けじゃ。春王丸さまも安王丸さまも、すでに管領方に捕らわれてしもうた」
父は神妙な顔つきで口を開いた。
「わしは御側近くに仕える身でありながら、結局若君をお守りすることができなかった。恥ずかしい限りじゃ」
どうして両公達が捕らえられたのか、番作は詳しい事情を知らない。だが知ったところで、今さらどうでもいい話だった。
「泣くな、泣くでないぞ番作」
泣いているのは父だけである。番作は、何ともない。ただ父が語り終えて、刀を抜くまで待つだけだった。
「じゃがのう、これですべてが終わったわけではない」
少しばかり、様子が違ってきた。
「たとえ捕らわれ給うたといえども、若君は将軍家のご親族、そう簡単にお命を奪われることはあるまい。わしはこれより城を抜け出し、ひそかに護送される両公達の後をつけ、隙を見てお救いするつもりじゃ。もしそれが叶わねば、ただ追腹を切るのみ」
どうやら今死ぬのではないようだった。だがどうせ、死ぬのが少し遅くなったというだけで、さほど変わりはないことだった。
しかし、父が続いて言ったのは、番作の予想にはどこにもなかった言葉だった。
「だが番作よ、それにお前を連れていくわけにはいかぬ。お前には別に、より重大な役目を与える」
「え」
「これじゃ」
父が膝の前に、錦の袋に入った刀を置いた。
「春王丸さまの佩刀(はいとう)、村雨丸じゃ」
袋の模様は、遠くから見たことがあった。父が両公達の背後に控えるときにいつも抱えていた、あの太刀だ。
「殺気を含んで抜き放てば、刀のなかごに露が滴り、人を斬るにおよんで水気はいよいよ流れるごとく、血潮を洗って刃を汚さぬという。そのさまが村雨の梢を洗う異ならずとて、村雨丸と名づけられたという。まさに源氏重代の宝刀であれば、先君持氏公は早くより春王君にお譲りになり、若君の護身刀と定められたのじゃ」
番作は、視線をただ一点その刀に注いだまま、頭の上から降りてくる父の次の言葉を待った。
「この太刀を、お前に預ける」
全身が、ぞくりと波を打った。
「わしはこれより春王君、安王君をお救いするため、敵陣に乗り込む身じゃ。もしも本意を遂げることなく敗れて死ぬならば、この太刀までもが敵に渡ってしまうことになる。それはいよいよ口惜しいことじゃ。よって、お前がわしの代わりに、この太刀を守るのじゃ」
父が太刀を差し出す。
番作はおそるおそる、手をさしのべる。
ずしりとした重みと太刀にやどる冷気が、手のひらから全身に伝わった。
「お前はこれより城を逃れ、武蔵国大塚に戻れ。管領方の落武者狩りが落ち着くまで、静かに身を潜めるのじゃ。そして春王丸さまが必死を逃れ、ふたたび世に出られたあかつきには、一番に馳せ参じて太刀をお返しせよ。また、もしも春王丸さまがお命を奪われることになれば、この太刀を君父の形見として、菩提を弔うがよい」
心臓は、どくどくと高鳴っていた。
番作はその気持ちを気取られないように、平伏したまま答えた。
「かくまで篤いご教訓を賜り、誠にありがたい限りでございます。命に替えても、この太刀をお守りいたします」
「うむ。よくぞ聞き分けてくれた。若いお前のことじゃ、血気にはやって共に死なんと言うかもしれぬと心配していたが、これこそが孝の道であり、忠の道じゃ。よいか番作、今よりこの太刀こそがお前の主君じゃ。ゆめゆめ疎略に扱うことなく、たとえ…」
もう父の言葉を聞く必要はなかった。
太刀はすでに番作の手にあった。かくなる上は、一刻も早くここから抜け出したかった。
「父上、そろそろ敵勢が…」
「うむ。それではここが親子の別れじゃ。番作、お前が先に行くがよい」
番作は、父の言葉が終わる前に立ちあがっていた。
「ご武運を」
それだけを言って、父のもとを辞した。
そして部屋を出ると、しっかりと村雨丸を胸に抱いて、駆け出した。
それからひと月。
番作は、凱旋する幕府の軍勢にまぎれこんで、京の都へと向かっていた。
村雨丸を、売るためである。
結城落城のおり、父と別れて城を脱出した番作は、敵勢が見当たらない場所まで逃げてから、父から預かった袋を解き、村雨丸の中身を確認した。
源氏の宝刀というには、あまりにも地味な拵えだった。だがその無骨さは逆に、刻まれた時代の古さを物語っているようだった。鞘を抜いて、刀身を見てみた。露が滴るという奇特こそ確認できなかったが、刃に走る氷のような文様は、それだけでも見るものの眼を捉えて離さない美しさだった。目利きの経験の少ない番作でも、はっきりとわかった。まぎれもなく、本物の名刀だった。
番作の予感は、このとき確信となった。
この村雨丸は間違いなく、今まで虐げられ辱められてきた自分に、ようやく与えられた幸運だ。
父はこれを春王丸さまに返せ、と言った。だが番作は、その春王丸が生きているとはとても思えなかった。
尊氏以来、常に内訌を繰り返してきた足利幕府である。両公達は一族にしてまだ年少の身であるが、むしろ一族にして年少の身であるからこそ、より早く災いの芽を摘もうとするだろう。
父も生きているとは思えない。両公達を救出するといっても所詮一人では殺されに行くのと同じだし、たとえ救出せずに生き延びていたとしても、そのときはもう村雨丸の所有についてとやかく言える立場ではない。
ならば、自分の思うように村雨丸を利用していい。
都まで行けば、村雨丸を高く買ってくれる商人も多くいるだろうし、この太刀を糸口にして士官の口を探すことだってできる。将軍家は無理だとしても、宝刀を欲しがる大小名はいくらでもいるだろうし、あるいは公家や禁中に取り入るなんてこともあるかもしれない。
後ろめたいことなど、何一つないはずだ。
なぜならこれは、今の今まで苦難に耐えてきた自分が、得ていいはずの出世の機会であり、復讐の権利だからだ。
これを利用しない手はないし、むしろこれを逃すことは天命に背く、番作はそう思った。
幕府の軍勢にまぎれ込むには、そう苦労はなかった。
どうやら関東の武将の隊で、何者かを護送しているのか、二百人ばかりの隊列の前方にはあやしげな二台の輿が見えるのだが、そこにさえ近づかなければ見咎められることはなかったし、村雨丸も拵え自体には特徴がないので、袋をはずして腰に差していれば、誰にも怪しまれることはなかった。
どちらにせよ一行はもう美濃国まで到達しており、あと数日の辛抱で京の都が待っているはずだった。
その夜は垂井の金蓮寺が宿舎となった。
わりあい早いうちから行軍が止まったため、番作はやや退屈気味に境内を歩いていると、その一角に、がやがやと人だかりができているのに気がついた。
潜伏中の身として、こういう人だかりには近づかない方が身のためである。かといって無理に避けているのでは余計目立つので、それとなく側によって兵士たちの話に耳をそばだてた。
「それにしても、将軍様も無慈悲なことをなさる」
「なんでも、今さら都に入れたてまつる必要はない、首だけを参らせよ、という仰せだとよ」
「だからって、お二人ともまだ子供じゃないか。いくら謀反人とはいえ、ご一族の春王丸さまと安王丸さまに、そこまでする必要があるのかねえ」
番作ははっとして、人ごみに割って入った。
四面を竹矢来で囲まれた刑場の中にはこうこうと篝火が焚かれ、中央に正座する、二人の白装束を着せられた子供の姿を照らし出していた。それは何度か遠目から見たことのあった、春王丸と安王丸の姿だった。
うっかりしていた。
番作はこの軍勢が、両公達を護送しているとは気づかずに、その中にもぐりこんでいたのだ。
「斬首のお役目は、春王丸さまが牡蠣崎小二郎(かきさきこじろう)さま、安王丸さまが錦織頓二(にしごりとんじ)さまだとよ」
「誰かがやらねばならないことだとは言え、よくなさる」
「だが、牡蠣崎さまは自分から斬首役を引きうけたらしいぞ」
「あの方は、血を見るのがお好きな方だからなあ」
「しっ、聞こえるぞ」
寺の住持の読経が終わり、春王丸と安王丸の背後に斬首役が立った。
二人の公達は目を閉じたまま、じっと両手を合わせている。
番作ははからずも、春王丸の斬首をこの目で確認することになった。
これで間違いなく、村雨丸は誰のものでもなくなる。
だが、あまりいい気分はしなかった。
覚悟を決めているはずの両公達の体が、小刻みに震えているのに気がついてしまったからだった。
番作が目を閉じている間に、両公達の首は落ちていた。
斬首役のひとり、牡蠣崎という奴が、自慢げに自分の落とした春王丸の首を拾って、周囲に見せびらかせていた。もうひとりの斬首役、錦織とかいう奴は、苦虫を押しつぶしたような顔でその様を見ていた。
番作もまた複雑な心持ちで、刑場を去ろうとした、そのとき。
刑場の向かい側で騒ぎがおこり、一人の武士が矢来を乗り越えて刑場に飛びこんできた。
そして太刀を抜くが早いか、手近な方にいた錦織の身体を、肩先から乳の下までばっさりと斬り裂いた。
「両公達のおん傅き、大塚匠作である! 怨みの刃、受けよ!」
大音声で、その乱入者が叫んだ。
番作はまた、うっかりしていた。
父が自分と同じ部隊に紛れ込んでいて、わざわざ斬首が済んでから、刑場へ乗りこんでくるとは思ってもみなかったのだ。
仲間を斬られた牡蠣崎はすでに、春王丸の首を捨てて、父へと躍りかかっていた。周囲はまだ事態を把握できていないのか、誰も牡蠣崎の援護に向かおうとはしない。はからずも、父と牡蠣崎の戦闘は、四方を囲む矢来の中での、一対一の果し合いになった。
番作は、父の闘いに興味はなかった。
たとえここで父が勝ったところで、この集団を相手にして生き残るとは思えないし、両公達が斬首された後に乗りこんできたということは、最初からそのつもりでやって来たのだろうから、おおいに本懐を遂げて一人で死んでくれれば、それでよかったはずだった。
しかし、番作はまたうっかりしていた。
不意に、父がこちらを向いたのだ。
番作は顔をそむけようとしたが、一瞬遅かった。
「番作!」
しまった、目が合った。
番作は動揺した。
だが、動揺しているのは父も同じであった。
父の視線が番作の方へくぎ付けになっている隙に、牡蠣崎はすかさず斬りかかった。
「ううっ!」
父の握っていた太刀が、右腕ごと落ちた。
「番作! 番作!」
狂ったように叫びながら、父がこちらを向いて走ってくる。
「番作、何をしておる! 助太刀せぬか!」
しかしすぐさま牡蠣崎に追いつかれ、父は背中から切り裂かれて、刑場に倒れ伏した。
父が死んだ。
それ自体は、いずれそうなることはわかっていたから、番作にとって特に感慨はなかった。
だが、父と目が合ったうえに、何度も何度も自分の名前を呼ばれたのは、まずかった。
「おい、そっちの方にまだ曲者いるらしいぞ!」
「このなかに曲者がいるのか?」
「探せ探せ!」
「おい、こいつ誰だ?」
「誰って、ずっと一緒にいた奴じゃないか」
「俺は知らないぞ、こんな奴!」
「俺もだ!」
兵士たちの注目が、こちらに向かっていた。
「おい、そいつを捕らえろ!」
最後の声が上がる前に、番作は矢来を乗り越えて、刑場の中へと逃げ込んでいた。
「…ほう、お前がもう一人の曲者か」
だが、そちらにも敵がいることは同じだった。
「飛んで火にいる夏の虫、って奴だな。歓迎するぜ」
篝火の中で、いま春王丸と父を手にかけた、牡蠣崎小二郎という武士が待ち構えていた。
番作は無言で刀を抜いて、正面の敵を睨みつける。
「おや、まだ小僧じゃないか。これの息子か?」
牡蠣崎は血刀で大塚匠作の躯を指し示した。番作は、答えない。
「まあいい。さっき曲者だけじゃあ食い足りないと思っていたところだ」
残忍な笑みが浮かぶ。
「おいお前ら! こいつは俺が殺るからな! 絶対に手を出すなよ!」
牡蠣崎が周囲に向かって呼びかけた瞬間。
番作は地面をけって、牡蠣崎へと斬りかかった。
「無礼者が!」
番作にとっては一瞬の隙を突いた渾身の一太刀だったが、牡蠣崎は難なく受けとめた。
「ふふふ。ちょっと隙を作ってやったらすぐこれだ。やるだろうと思ってたぜ」
そのままつばぜり合いになる。だが、単純な力では牡蠣崎の方が圧倒的に上だった。番作は弾き飛ばされ、地面に腰を打ち付けた。
「なんだ、あっけなかったな」
牡蠣崎の巨体が、番作を見下していた。
「曲者はお前だけか? まだ仲間がいるのか?」
番作は、尻餅をついたまま無言で後ずさる。
「まあいい。捕らえて体に聞く、というのも悪くないからな」
牡蠣崎は刃を逆にして、太刀を構え直す。
その目は、番作が何度も結城で見てきた男たちの目と変わらなかった。
番作の体勢は完全に腰砕けになっていて、ただ切っ先だけを相手に向けることしかできなかった。
「しばらく寝ていろ!」
牡蠣崎が刀を振り上げた。
番作は目を閉じて、もうやめてくれ、それだけを願った。
牡蠣崎の太刀は、外れていた。
番作がふりかえると、外れぬはずの一撃を外した牡蠣崎は、大きく体勢を崩して、前につんのめっていた。
番作は立ちあがり、その背中を切った。
さほど力を込めなかったはずなのに、まるではじめから切れ込みが入っていたかのように、牡蠣崎の体は両断された。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
「……」
番作は唖然として、太刀を見つめた。
たった今この刀で人を斬ったはずなのに、現に牡蠣崎の躯からは夥しい血が流れているのに、太刀はまるで研いだばかりのように、水に濡れて光っていた。
「これが、村雨丸の奇特…?」
そうだった。
番作が手にしていたのは、源氏の秘宝、村雨丸だった。
殺気を含んで抜き放てば、刀のなかごに露が滴る。
そんなものはあるはずのない、ただの謳い文句だと思っていた。
だが、本当に奇特はあった。
さっき牡蠣崎の太刀が外れたのも、切っ先から吹き出た水が、牡蠣崎の目に入りその視界を奪ったからだと考えれば合点がいった。
「これが、村雨丸…」
番作はうっとりと、刀を眺めていた。
「おい、牡蠣崎さままでやられたぞ!」
「いったい何が起こったんだ!?」
「ともかく曲者を捕らえろ!」
「であえ、であえ!」
そのとき、ようやく我に返った二百人の兵士たちが、矢来を乗り越えて押し入ってきた。
だが、村雨丸の使い方を学習した番作は、慌てなかった。
静かに、村雨丸を横に薙ぐ。
それだけで、ほとばしる水滴が、兵士たちの視界を奪っていく。
あとは撫でるように村雨丸を当てていけば、最前列の兵士から、ばたばたと倒れていった。
「意外と手ごわいぞ!」
「ひるむな、かかれぇ!」
次々と襲いかかってくる兵士たち。
だが番作は、何も怖くはなかった。
村雨丸からほとばしる水気は篝火さえも消し、兵士たちの間では同士討ちさえ始まっていた。
その中をかけまわり、八面六臂に立ちまわる番作の姿は、まぎれもなく、今まで自分が夢に思い描いていた、戦場の勇者だった。
「な、なんて強さだ!」
「何者だあいつは?」
「名を名乗れぇ!」
もうおびえて声が出ないということはなかった。
番作は、あらん限りの声で叫んでいた。
「俺は春王丸さま、安王丸さま両公達の近習、大塚匠作が息子、大塚番作一戍だ! 我はと思わんものは捕らえてみよ! あははっ!!」
それは、今まで言う機会さえ与えてもらえなかった、勇者の言葉だった。
つづく