コレクションホール訪問記・1

 

グッドウッド遠征の事前テストを見に行った際に
コレクションホールにも行ってきました。

このページではコレクションホールの展示車輌を
少しずつ紹介したいと思います。


 

ようこそ
 ホンダコレクションホールへ

 
   第3回テーマ展「夢・人・技術 ホンダモータースポーツ 情熱と挑戦の軌跡」では、
  世界最高峰のレースを制する技術研鑽(けんさん)の道のりや、
  情熱を燃やし  「夢」を追い続けてきたホンダモータースポーツの歴史をご紹介します。
  どうぞ、ごゆっくりとご覧ください。            
(ホンダコレクションホール パンフレットより)
     
ホンダR125   <ホンダ R125 1954年>

 コレクションホールに入るとまずこのバイクが
迎えてくれます。
 詳しいデータは分かりませんが(メモを取るの
を忘れた)、この年ホンダはサンパウロ国際オー
トレースに参加しています。その時の車輌のよう
です。?詳しい方がいたら教えて下さい。

 またこの年、ホンダはTTレースへの出場を宣
言しています。いよいよ”世界のホンダ”への第
1歩を踏み出そうとしていた年ですね。
     
<RA099 1999年>
 水冷4サイクル V型10気筒 出力500kw以
上 縦置き6速 セミAT

 1998年3月に発表した第3期F1復帰に向け、
新世代ホンダ技術の粋を駆使して開発されたマ
シンです。
 エンジンはもとよりシャシーまで独自設計し、
2000年F1復帰に向け準備したマシンです。
 このままの姿で(エンジン、シャシー独自設計
の姿勢も含め・・・)F1に復帰して欲しいと思っ
たのは私だけではないと思いますが・・・。
 どうせならフロントノーズに「日の丸」を付けて
派手なスポンサーのステッカーは一切無しでサ
ーキットを走ってほしかったです!
 
     
  <五味渕あかねさん 19??年>

 コレクションホール内の案内のお仕事をしてい
る五味渕あかねさんです。製造年(?)は聞けま
せんでした(女性には聞けません)。
「ホール内の車両の写真を撮ってHPに載せて
もいいですか?」と聞いたところ担当の方に問い
合わせをしてくれました。実に丁寧な対応をして
頂きありがとうございました。
「ついでに電話番号を・・・」とも聞いてみましたが
それは見事に玉砕されました。
 写真がボケちゃってごめんなさい。
 
     
<カーチス号 1924年>

 宗一郎氏がアート商会に”奉公”していた時に
主人の榊原郁三氏や彼の弟、真一氏と共に製
作したレーシングカーです。

 シャシーはアメリカの”ミッチェル”製、エンジン
は津田沼の飛行学校から払い下げられた”カー
チスジェニー”複葉機のV8ユニットを自動車用
に改造したものです。

 排気量は8233ccで90ps/1400rpmを発揮。
飛行機用エンジンと自動車用エンジンでは回転
数が全く違うため乾式多板のクラッチやギヤ類
は全て手作り(!)だそうです。
 
 大正13年に行われた「自動車国際大会」に参加。宗一郎氏はコックピットから点火時期の進角
調整を行うコ・ドライバーとして同乗し見事優勝を飾りました。ホンダのモータースポーツの”原点”
なんでしょうね、この車は・・・。

 1999年10月に行われた本田技研50周年記念イベント「ありがとうフェスタinもてぎ」では息子の
博俊氏が乗り、茂木のオーバルを駆け抜けました。
 また、その年の”グッドウッド”では前社長の川本信彦氏がハンドルを操りました。
     
  <RA271 1964年>

 ホンダがF1参戦を決定した当初はロータスに
エンジンを供給するエンジンサプライヤーの予
定でしたがロータスに契約を破棄され急遽、オリ
ジナルシャシーを開発する事になりました。
 元々エンジンテスト用としてあったRA270を
進化させこのRA271を完成させます。

 1495ccの60度V型12気筒エンジンを横置
きするという2輪の世界GPで得られたノウハウ
を生かしその他にも”F1初”のメカニズムが満
載されていますがエンジンの重量は209kgと重
くなり、これを支える為のシャシーを頑丈にした
為車両重量はF1のレギュレーションの最低重
 量を75kgを上回る525kgにもなってしまいました。
  1964年の8月、ドイツGPにてデビューしたRA271はロニー・バックナムのドライブで3レースに
 出場しましたが車重の重さが災いしてか最高位はドイツGPの13位でした。
     
<マクラ―レンホンダ MP4/5 1989年>

 カウルを外し、”粋”な展示をされていたのは
アイルトン・セナがドライブしたMP4/5です。

 ホンダは1987年、マクラ―レンとのジョイント
を発表します。同時にロータスからアイルトン・セ
ナが移籍。1988年のシーズンではアラン・プロス
トと共に世界最高のドライバー2人を擁する事に
なり、16戦15勝という驚異的な記録を打ち立て
ました。

 その翌年、レギュレーションが大幅に変更、1.5
リッターのターボエンジンが全面的に禁止となり
自然吸気の3.5リッターで争われる事になりまし
た。
 ホンダもこれに合わせて72度、V型10気筒の
新ユニットを開発しました。当初はV12気筒の噂
も飛びましたが、この年V12気筒を投入したのは
フェラーリチームだけでした。
 
 そのフェラーリの健闘もあり、前年程の勝ち方はできませんでしたが、それでも16戦10勝、コンスト
ラクターズ・チャンピオンと共にドライバーズ・チャンピオンにはアラン・プロストが輝くという結果になり
ました。展示車はセナがドライブしたMP4/5です。
     
   MP4/5のシートです。今は亡きアイルトン・セ
ナがまさにこのシートに座ってドライブしました。

 外観の派手なマルボロ・カラーとは裏腹に、
コックピット内は速く走るためだけのシンプルな
”男の仕事場”です。






                        つづく

 

 

 


 

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