ずーっと好き!(後編)







 様々な思惑を秘めた練習は、当初の約束通り3時半で終了した。




 まだ陽の出ている内に自由になった部員達は、着替えながら各自のこれからの予定を語り合い、盛り上がっている。
「オレのバンド、今夜ライブなんだけど、誰か来ないか〜?」
「あ、行く行く!」
「新田も当然行くんだろ?」
「うん。去年も行ったもん」
 部室の中は和気藹々。『夢の国立』を目の前にしても、やはり遊びたい盛りの年頃なのだ。

 しかし全員が浮かれているという訳では無く…
 その中の一角に、異様なほど緊張した空間があった。


「いいか?」
 大急ぎで帰り支度を整えた馬堀が、最後のボタンをはめているトシの耳元で囁く。
 無言で頷くトシを確認すると、さりげなく自分とトシの荷物を持って立ち上がった。
「んじゃ、お先失礼しま〜っス!」
 声を掛けて馬堀が退室する。
 馬堀がトシを残して帰ったことで、それまでピリピリと緊張していた『守護神』は安堵の息を吐いた。
「何だ、馬堀の奴、拍子抜けだな」
「でも、なんか変だ。まさか夜に会うなんて約束してるんじゃ…」
 鋭いカズヒロのカンに、トシの額には冷や汗が浮いた。
「あ、あのさ、カズヒロとケンジはこれからどうすんの?」
「オレは集会。ちょいと早いけど、今年の走り納めだな」
 楽しそうに笑うケンジに、横でカズヒロが顔を顰めた。
「駄目だよケンジ。先生と約束しただろ?今日からバッチリ勉強してもらうからな」
 途端に『しまった』と言う風にケンジが頭を抱え込む。
「ちゃ〜っ、もう約束しちまってたのによぉ。今日ぐらいいいじゃねえか〜」
「その代わり母さんの手作りケーキがあるからさ」
 ケーキは好きだけどとブツブツ小声で不平を言い続けるケンジから視線を外すと、カズヒロはニッコリとトシに向き直った。
「トシも来ないか?母さんのケーキ、好きだって言ってただろ?クリスマスイブだから、いつもより豪華だよ」
 カズヒロの母親が作るケーキ。中学の頃から何度か御馳走になったことがあったけど、確かにそれは絶品だった。思い出しただけで涎が出そうだけど…
「あ、い、いいよ。勉強の邪魔しちゃ悪いし…」
「?トシにまで勉強しろなんて言わないよ」
「でもさ、横で遊んでちゃ気が散るだろうし…」
 しどろもどろなトシの様子に、カズヒロだけじゃなくケンジも不審な匂いをかぎ取った。
「…まさか、あのカマ堀野郎とデートっちゅうんじゃねぇだろうな?」
 ギクリ、とトシの表情が引きつった。ウソが苦手で表情が豊か―顔色が図星を指されたことを物語っている。
「「トシ〜!?」」
 カズヒロとケンジの声が重なった時―

 パパァーッ!

 外から車のクラクションの音がした。
「じ、じゃあお先に!」
 それを合図にトシが部室を飛び出す。
「トシ!」
「逃がすか!」
『守護神』も飛び出そうとするが、不意を付かれたのと着替えの途中だったせいで一瞬出遅れた。
 慌てて後を追った二人が見た物は、正門前に止った1台のタクシー。
 後部のドアが開けられていて、中には二人分の荷物と共に馬堀が手招きをしてトシを待っている。
「トシ!止れ!」
 しかしトシの足は止らない。
 部一番の俊足なカズヒロをもってしても追いつけない内に―
 すでに馬堀が運転手と打ち合わせを追えていたのだろう、 トシが飛び込むように乗り込むと同時にドアは素速く閉まり、タクシーは滑らかに発進した。
「トシ!」
「こんのぉ〜、馬鹿カマ堀!!」
 残された『守護神』の叫びが響く。


 その背後10メートルほど離れた所で、野次馬と化していた部員一同の反応は様々だった。

「ここまでするかぁ?」
 呆れる者

「すっげ〜!ドラマみてぇ」
 感心する者

「ホモの駆け落ちだ…」
 変な発想を展開する者

「しっかし派手なことしてくれるな」
「そうだね…」
 冷や汗を垂らす大塚と赤堀の横で、
「…やってくれた」
 痛む胃と頭を同時に手で押さえながら、神谷はその場に屈み込んだ。












 タクシーの中。
 トシの心中は複雑だった。
「なんか…オレ。カズヒロ達に悪いことした」
 本来の打ち合わせでは、皆に気付かれないように脱出する予定だったのだ。それがどうしてこんなに大事になってしまったのだろう。
 落ち込んでしまったトシの肩を、馬堀が優しく叩く。
「オレとの約束の方が先立ったんだから、気にしなくて良い。それに―もし二人が怒っていたら言えばいい」
「何て?」
「『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ』ってさ」
「こ…恋路」
 ぼっと赤くなってしまったトシを覗き込むように、馬堀が余裕たっぷりに微笑んでみせる。
「あれ、日本語やっぱ変?ちゃんと向こうでは日本語学校に通ってたんだけど」
「あ…」
「オレの名字に『馬』の字があるから、ちょうど良いと思ったんだけどナ〜」
 カラカラと笑う。―運転手を気にしているトシを思い遣り、発言を冗談に切り替えたのだ。
「まったく、いいかげん日本人に戻れよ」
 ホッとしたように軽口を言ったトシの腕に、優しく触れる。
「だから、トシ、教えてくれよ。もっといっぱい、いろんな事」
「うん。その代わりおまえも、ブラジルのこと教えてくれよ」
「!ああ、いいぜ」
 思わぬトシの言葉が嬉しい。

 可哀想なのは運転手。すっかり混乱してしまった。
 若い客の会話に頭を捻りつつ、彼はひたすら職務に集中しようとする。

 タクシーは一路、馬堀家へ向う。












 トシにとって三度目の訪問。
 不思議なことに、すっかり慣れてしまった家だと思う。
 外見はちょっと洋館風。二階建てなのに三階建てのような印象を与えるのは、天井が高いせいだ。

 ただ初めて気付いたこともある。
 庭だと思っていた玄関前が、実は2台分の駐車場だった。
 だけど車の姿は無く、馬堀の自転車だけがポツンと停まっている。

「家の人、出掛けてるの?」
「あれ、言わなかったっけ。父さんも母さんも、今頃夏のブラジルだよ」
「え?」
「クリスマス休暇で旅行中。外資系だから、クリスマス休暇が長いんだ。出、息子を置いてあっちこっち旅行しまくってるんだ。全く優雅だよな」
 鞄から鍵を取り出し、ドアを開けてトシを中に促す。
「じゃ…一人?」
「晴れ舞台は見るからって、大晦日には戻るけどね」
「…寂しくないか?」
「結構気軽で良いよ」
 誰も居ないと知った家の中は、ひっそりとしていて冷たい。

 二階の馬堀の部屋に入ると、やっとホッとした。ここには生活の香りがしている。

「さっさと着替えて、出掛けようぜ」
 ヒーターを付けながら言う馬堀に、トシは迷った。
―この後の予定では、浜松に出て食事して、話題のアクション映画を見て、電車が動いている内にそれぞれの家に帰る…
『この寂しい家に、一人で帰るのか?』
 このラテン気質で明るくって強引で、誰よりも一人が似合わなさそうな奴が…
「出掛けるの、やめよう」
 考える前に言葉が出た。
「え?」
 びっくりして見つめ返してくる馬堀に、今度は言葉を選んで話しかける。
「オレん家、泊まりに来いよ。大丈夫、電話し解けば母さんも食事用意してくれるし、うちって大勢で騒ぐの好きだしさ」
 しかし馬堀の方は、いきなりの提案に戸惑うばかりだ。
「母さんもお姉ちゃんも、お前のこと気に入ってるから喜ぶよ」
「トシ…」
「でさ、みんなで騒ごう。ブラジルでのこととかさ、教えてくれよ」
 妙にはしゃぐ様子に不安が過ぎる。
「オレと二人でいるのが…嫌なのか?」
 演技ではない寂しげな表情が浮かぶ。
 慌ててトシは首を振った。
「違う!」
「じゃ、何でそんなこと言い出したんだ?」
「だから、一人で留守番だなんて、寂しいじゃないか!」
 叫ぶように言ってしまってから気が付いた。
―今の発言って、つまり『一人っきりにしたくない』って事で、これってつまり…
 顔が火照る。
 心臓の鼓動が跳ね上がり、馬堀に聞こえてしまうんじゃないか?
 慌てて発言をごまかそうと言葉を探すが、その前に幸せに輝く馬堀の顔が近付いてきた。
「ありがと。心配してくれたんだ」
 そのまま優しく抱き込まれる。
「ま、馬堀!」
「なんか嬉しくって、どうしよう」
 囁かれて、居直った。
 大人しく抱かれたまま、腕を回して抱き返してやる。
「クリスマスだから、特別だからな」
「毎日がクリスマスならいいのに」
「馬〜鹿」
 指先に力を入れ、爪を立ててやる。
 でもそれは、馬堀には愛撫に感じる。
「好きだよトシ。初めて会った時からずっと、毎日どんどん好きになる」
「恥ずかしい事言うなよ〜」
「誰にも聞かれてないからいいだろ?」
「う…ん、それもそうか」
 腕の中で考える。
 確かにここには二人っきりで、誰にはばかることもない。
「オレも、お前が好きだ」
 言ってみると、胸がすっと軽くなると同時に、とてつもなく暖かくなった。
 そんなトシに、馬堀は愛しさでいっぱいになる。最高のクリスマスプレゼントだ。


 全く自然に、二人の顔が近付いていく。
 キスをすると、素直にキスを返してくる。
 どうしよう、嬉しくてたまらない。


 長く深くなってしまったキスを終え、上気した顔を見合わせる。
「一つ提案。トシん家に行くのもいいけどさ、トシがここに泊まるのってどう?」
「え?」
「なんか今日はもう、離したくない」
 途端にトシが狼狽える。それってもしかして…アノお誘い?
「あ…あ」
「ダメ?」
 真剣な瞳が追い詰める。 頷きたい気持ちはあるんだけど、アレは困る。痛いし辛いし、途中からは気持ち良くなってしまうのが何より恥ずかしい。
 トシの困ってしまった原因に気付いている馬堀は、もう一度軽くキスをした。
「大丈夫。大会が終わるまでは、理性総動員してるから」
 またもや赤面。しっかり馬堀にバレている。
「ほ、本当に大丈夫だな」
「神掛けて」
「今日は神様の誕生日なんだから、ウソは無しだぞ」
「正確にはキリストの誕生日は明日なんだけどね。誓うよ」
「じゃ、泊まってやる」
「うん、嬉しい」

 手にした宝物。こんな幸せなことはない。
 誓いのキスは、深く熱く
 ヒーターが部屋を暖める前に、二人はとても暖かくなっている。


「あ、でも食事には出掛けないと」
「?」
「外食のつもりで、食べ物買ってない」
「何もないのか?」
「朝食用のパンと、カップスープぐらいなら…」
「やっぱりお前、一人暮らしは無理だよ」
「じゃ、親が帰るまで泊まってくれる?」
「図々しい!」
 ようやくトシがいつもの調子を取り戻し、腕から抜け出してアカンベするように舌を出す。
 お返しに、馬堀は悪戯っぽい笑顔と共にウインクを送った。












 ライブハウスに、佐々木のギターが響く。
 何のかんのと結構な人数の掛川メンバーを集め、ライブは大盛況だった。






 クリスマスソングが流れる街を、赤堀が彼女と楽しげに歩いていく。
 二人の身長差は、中三の時より5p縮まっていた。






 神谷は久保の家に寄った帰り、息子の代わりに国立に連れて行ってくれと託されたサッカーシューズを手に、墓まで足を延ばした。
 墓前に立ち、今は亡き大切な『相棒』に、そっと微笑みかける。






 近所のファミレスに向う馬堀とトシ。
 トシのセーターは馬堀から、馬堀のシャツはトシからのクリスマスプレゼントだった。










 皆それぞれが、大切な人と楽しい時間を過ごしている。
 そう、今日はそう言う特別の日なのだから。






―但し皆がそう上手くいくとは限らない。
 カズヒロの家では、不機嫌を隠そうともしないカズヒロに、ケンジが勉強を強いられていた。












 その夜は結局、トシは馬堀の家に泊まった。
 馬堀が神への誓いを守り切れたかどうかは…
―皆様のご想像にお任せいたします♪











                               終わり



              1996.04.13.発行「ずーと好き!」(コピー本・絶版)







『Bitter Sweet Samba』シリーズの、後日談。
トシ達はまだ1年。(神谷達は2年)
冬の全国高校選手権を目前にした、クリスマスイブの光景です。
赤堀の彼女は、勝手に作ってしまったオリジナル。赤堀が彼氏だったら、女の子ってかなり幸せに慣れそうな気がしますv






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