今年はクリスマスイブと終業式が重なったおかげで、校内は浮かれ気分に満ちていた。
8日後に全国大会を控えたサッカー部も例外ではない。
「大会前の最後の息抜き」との特別な計らいで、今日の練習は3時までとなった。
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2学期の行事を全て終了した教室には、馬堀とトシしか残っていなかった。お互いの通知票を覗きながらはしゃいでいる。
先程からケンジとカズヒロを待っているのだけど、どういう訳かまだ来ない。
部活前の昼食を一緒に食べようと言い出したのは二人の方なのに。せっかく買いだしてきた弁当は、ビニール袋に入ったまま冷めだしている。
まぁ馬堀にとっては、ケンジ達が来ようが来まいがトシといられれば幸せだし。
トシの方も―実は胸の奥が暖かかったりする。
『二人』でいるのが自然になりつつある。
ただしまだちょっと擽ぐったい。
お互いの成績を比べ終わって、馬堀が悪戯っ気たっぷりの笑顔でトシに突っ込んだ。
「トシの成績表って、6段階評価?それともオレのが変なのかな。9とか10があるんだけど」
からかう『恋人』を怒りはしたいのだけど、本当に情け無い自分の成績に、それも叶わない。
「…おれだって、9と8、あるぞ」
一応反論するけど、9が保健体育で8が音楽なのだから、あんまり自慢はできない。
「あ、ホントだ。い〜子、い〜子v」
愛おしそうに頭を撫でてくれたけど、全然嬉しくなんか無い。
「ガキ扱いすんなよ」
「じゃ、大人向けのご褒美」
素速く身を屈めて、唇に軽いキスをする。
「ま、馬堀!」
「あれ?これじゃ不満?」
赤くなったトシに向けて、馬堀はもう一度フワリとしたキスを送った。
トシの顔色が、一層真っ赤に染まり上がる。
「好きだよ」
小声で送られる言葉がこそばゆい。
困ってしまう。―ついこの前までは嫌だったのに、今ではとても嬉しい。
でもそんなこと、馬堀に言ってなんかあげない。
『だって、何だか悔しいじゃないか』
好きだと告白され、追いかけられて―捕まって押し切られて…気付いたら好きになっていた。
『キスされて嬉しいなんて』
胸の内で小さく毒づく。
そんな想いがしっかり顔に出てしまっていることに、本人は気付いていないようだ。
馬堀は尚も告げ続ける。
「トシ、すきだよ。大好き」
「馬鹿」
トシは好きと言われて照れてしまうのを隠すように、ぷいとそっぽを向いてしまった。
馬堀にちょっと意地悪な微笑みが浮かぶ。
「じゃ、嫌い」
本心とは反対の言葉。
その言葉を掛けられたトシの反応は見事だった。肩を激しく跳ね上げて、慌てて背けていた顔を戻す。
正面から目が合った。
トシの見開かれた目を、馬堀の笑った目が受け止める。
瞬時にトシは、からかわれたことを理解した。
「!ま〜ほ〜りぃ〜」
「ウソv」
怒って睨み付けてくるトシの感情を解す為に、こちらもちょっと不機嫌な顔をしてみせる。
「だってトシ、素直じゃないんだもんナ」
「え…あ」
見透かされている。
怒りの後に来たのは恥ずかしさ。
赤面して困ってしまったトシに、馬堀は改めて笑顔を送った。
「いいよ。さっきの反応でちゃ〜んとトシのきもちは解ったから。それに今日はデートだし」
「うん」
顔を見合わすと、自然に笑顔が浮かぶ。
―と、急にトシの顔に疑問の色が浮かんだ。
「何で鏡の練習、短くなったんだろう?」
トシの台詞に一瞬呆けた後、馬堀はニンマリと笑った。
「クリスマスに恋人と過ごしたい、っていうのはオレ達だけじゃないって事だよ」
『恋人』と言われてまたもや真っ赤になってしまったトシに向け、馬堀はウインクを送った。
二人の世界が出来上がりつつある時―
教室のドアが勢い良く開けられた。
「トシ!大丈夫か!?」
「遅れてごめん!」
やっとケンジとカズヒロが現れたのだ。
「無事…って?」
「トシならオレがずっと見ていたから無事だよ」
訳の解らないトシと、解っていてとぼける馬堀の対比は、『トシの守護神(ガーディアン)』の神経を逆撫でする物だった。
「お前が一番危ねぇんだよ、このカマ堀!」
「何もされなかったよね、トシ?」
「されるって…」
言われて先ほどのキスを思い出し、ほんのり頬を赤く染めたトシが馬堀の方にそっと視線を送る。
途端にカズヒロがキレた。
トシの背に手を回し、勢い良く抱き寄せる。
「ごめん!ケンジを助けるのに時間が掛かって…ケンジなんか、放っておけば良かった」
「カ、カズヒロ、離せよ」
「あ、ああ、ごめん」
トシに訴えられて、慌てて抱き締めていた腕を解く。バツが悪そうに俯いて、メガネを指で少し押し上げた。
「…ったく、オレよりも平松の方が危ないんじゃないか?」
「確かにちょっと、過保護が過ぎるぜ」
馬堀の意見に、珍しくケンジも同意する。
「何だよ〜、みんなしてオレを子供扱いする〜」
むくれるトシのボディアクションは、しかし訴えとは裏腹にとても子供じみている。
そんな動作が、場を一気に和ませた。
話題転換させようと、馬堀がケンジに話しかける。
「ところで白石…。平松に助けられたって、何やらかしたんだ?」
「…あ、あははは!あ〜、数Tと物理と英語、赤ザブ喰らった」
赤ザブトンとは、ようするに落第点。
「職員室でお説教、か」
「ピンポ〜ン♪ホントは冬休み中補習授業だったんだけどさ、そんなことになったら大会に出られないだろ?」
掛高にはキーパーとして小笠原もいるが、如何せんレベルはケンジを大きく下回る。
「だからオレがケンジの勉強を見るから、次週で許してくれるように先生達に交渉したんだ。ケンジ無しで勝ち進めるほど、全国は甘くないからね」
「そ。オレ様がいなくちゃ始まらないって事」
胸を張るケンジを、非難の目でカズヒロが見る。
トシは顔色を青ざめさせて冷や汗をかき、馬堀は開いた口が塞がらないと言った風情だ。
「あれ?あははは」
流石に気付いたケンジがごまかし笑いをするが、笑い声は教室に虚しく響いた。
「ケンジ…」
オドロ線を背負ったカズヒロが、ケンジに迫っていく。
「ほ、ほら、それよかさ、急いで弁当喰って練習に行こうぜ」
「ケ〜ンジ…」
「カズヒロく〜ん、な、そんな顔しないで…」
ジリジリと、カズヒロが迫ると同じだけケンジが後ずさっていく。
そんな様子を、トシと馬堀は少し離れた安全な場所で見つめていた。
「…まったく、ケンジの奴」
「トシ、お前より頭悪い奴が居て良かったな」
会話はしっかりケンジに届く。
「馬鹿で悪かったな〜!!」
ついに背中が壁に付いて逃げ場を無くしたケンジの叫びは、人気の少ない校舎に虚しく響くだけだった。
その頃、まだ皆の集まらない部室では、神谷・大塚・赤堀の三人が弁当を囲んでいた。
「本当、ごめん神谷、無理言っちゃって」
細い目を更に細めるようにして、赤堀が頭を下げる。
それを受けて、気にするなと言う風に神谷は軽く手を振った。
「ま、他にも結構喜んでいる奴もいるようだし。大会前最後の息抜きだ。その代わり明日は朝から晩まできっちりしごかせてもらうからな」
実際早終いだと告げた反応は、これで良いのかと思うほどの好感触だった。意気が上がるなら、休息は無駄じゃない。
「しかし、お前が彼女持ちだったとはなぁ」
神谷の呟きに、赤堀は赤くなり、大塚はワハハと笑う。
「そういえばしばらく見てねぇが、河田の身長のびたのかよ?」
「し、繁樹ぃ…」
背の高い身体を猫背にして、赤堀の顔が益々赤くなる。
その様に、大塚がまた豪快に笑った。
今日の練習を早めに終わらせてくれないかと言い出したのは、赤堀だった。
その理由は「『毎年イブには彼女とデートしているから』。
彼女の方は大会前なのだから気にしないでと言ってくれているけど、それでなくても練習優先でほったらかしにしてしまうことが多かったから、今日は一緒にいてあげたいと思ったのだ。
聞けば中学の頃から付き合っているそうで、そんな素振りを全く見せていなかったチームメイトの告白に、神谷は少なからず驚かされた。
でも思い出してみれば、以前美奈子達とのグループ交際に誘った時に、赤堀は乗ってこなかった。
ずっと口止めされていた大塚は、もう神谷には隠す必要が無くなったことで、すっかりはしゃいでいる。
「こいつと河田、40センチ近くも身長差があるんだぜ。もう、遠くから見たら大人と子供」
「40センチじゃないよ。32pだよ」
ユデダコと化してしまった赤堀の姿に、神谷はゆったりと微笑んだ。
これぞ正しい『高校生の交際』だ。
このシャイで優しく、そして頼もしい長身のスイーパーは、きっとその誠実さ通りの『恋人関係』を彼女と育んでいるのだろう。
―それに比べて…
『あいつらと来たら…追いかけっこしてるときも面倒だったけど、くっついても面倒を起こしてくれる…』
溜息は深い。
思い浮かんだ一年共の姿に、もう習慣と化した頭痛が一層強くなる。
馬堀とトシの恋愛騒動に取り敢えずの決着が着いたのは良いものの(自分も脛に傷持つ身だから、あるていどの理解はある。)どうもその後がいけない。
公認の仲となった途端に、馬堀は遠慮なくトシにいちゃつくし、トシの方も戸惑いながらも受け入れている。
―そこまでは許そう。子犬のじゃれ合いだと思えば気にならない。
ところがこの子犬の一方には『守護神』が二体付いており、特にメガネを掛けた守護神の方がキレまくっている。
一般常識に照らしてみれば、親友が『世間では許されづらい恋愛』の道にはいるのは、やはりいけないと思うだろう。
『あいつら全員、サッカーに響かせないのは誉めてやれるけど…』
人間関係の調停で、胃に穴が空きそうだ。
鏡の練習切り上げも、赤堀に頼まれたことも理由の一つだけど、自分の骨休みの意味も結構大きい。なにしろ大会中も、あいつらのフォローに入らなくてはいけないのだから…・。
「しっかし彼女持ちはいいけどよぉ、独り者にはなぁ。今更サンタも信じてねぇし…。!、そうだ神谷、一緒にナンパに行こうぜ」
大塚の誘いを、神谷は即座に断わった。
「パス。今日ぐらいのんびりしたい。―そうだなぁ、大会前の報告も兼ねて、久保ん家に線香あげに行くか。お前も来るか?」
意外な神谷の申し出に、大塚は目を見開いてブンブンと首を大きく横に振った。
「おまえ、それマジか?」
「…変か?」
いや、変…ではないけれど。
大塚と赤堀の脳裏に同時に浮かんだのものは『頭の上に天使の輪を浮かせた久保と談笑している神谷』 の映像。
クリスマスらしい光景…かもしれないが…。
なんか違うという思いに襲われて、大塚と赤堀は視線を交わし、肩を竦めた。
続く
1996.04.14.発行「ず〜っと好き!」(コピー本・絶版)
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