TVを消すと、外から聞こえてくる虫の音だけが微かなBGMになった。
「おじさんとおばさんは?」
「親父は大阪行きで、お袋はパート仲間とカラオケさ。どうせ帰りは夜中だ。オバタリアンにゃ、勝てねえや」
茶の間を通り抜け、二人は神谷の自室へと移動した。
いつものように、ガラスの小さなテーブル越しに向かい合うようにして、床に直接あぐらを組んで座る。
「で、話って?」
首に掛けていたタオルをベッドに放り投げて、改めて視線を合わす。睨み据える神谷に、久保は小さな溜息を吐いた。
「良いか、嘘は無しだぜ。もし言ったら、すぐさま追い出すからな」
静かな口調に怒りが滲み出ている。
―本当に昔に逆戻りだな。
久保がもう一度溜息を吐く。
「…嘘はつかない。でも本当の事も言えない」
「!なんだよそれは!」
激するままに腕を伸ばした神谷は、久保の胸ぐらを掴んだ。そのまま顔を引き寄せる。
怒りの視線と、哀しげな視線とが絡み合う。どちらも目を逸らす事はしなかった。
「お願いだ。心配かけたくないんだ」
神谷の瞳から怒りの色は消え、代わりに戸惑いが浮かんだ。
胸倉を掴んでいた腕が離され、乗り出して浮いていた腰が下ろされた。
「…そんなに身体、やばいのか?」
声がかすれる。
「皆の手前、簡単そうに言ったけど…、結構難しいって医者に言われてる」
今言える精一杯の真実を告げる。
「お前、まさか…!」
「大丈夫、成功するさ。サッカーで体力つけてるから」
ここから言うのは全部嘘。神谷がショックを受けて真実を見通す余裕が無いうちに、丸め込んでしまおうと判断した。
『すまない、オレはずるいな』
蒼ざめた神谷を前に、心の中だけで謝る。
「どこが悪いんだよ」
「ちょっとな、この中」
腹を指して見せる。神谷の視線が下りて、そこで止まった。
「病名は?」
「ごめん。でも大丈夫。治療さえ終われば、後は通いだけで良いって言うし。もちろんサッカーもしていいそうだ」
下がっていた視線が上がり、真剣な瞳が久保のそれを覗き込んでくる。
「どこの病院なんだ?」
その瞳から逃れたくなるのを我慢する。ここで逸らしたら、せっかくの嘘がばれてしまう。
「今は教えない。オレは見栄っ張りだからな、弱ってる所なんて見られたくない。回復して会えるようになったら
真っ先に連絡するから、信じてくれ」
神谷が大きく息を吐いた。そのまま後ろのベッドにもたれかかる。
「ま、お前らしいな。信じて待つしかないか」
口元に、小さな笑みが浮かんだ。どうやら久保の言葉を信じてくれたらしい。
「すまない。部活のことは頼む」
「仕様がねぇな。どうせまだ一年目だ。じっくりやるさ」
「なんだよ、予選頑張ってくれなきゃ困るぜ」
「お前がいないんじゃ今回は無理だって。オレにはチームを引っ張っていけるだけの経験は無いし、所詮まだ1年生だけの寄せ集めだ」
「もっと自惚れろよ。お前にはゲームメイクの才能がある」
「天才に言われちゃ、くすぐったいな」
「本当だって」
膝で這うようにしてテーブルを回り込み、神谷の隣に座り直す。同じようにベッドに背をもたれると、お互いに顔を合わせて静かに微笑んだ。
どちらからともなく肩を抱き寄せ、互いの体温を伝え合う。
「早く戻って来いよ」
「ああ。国立に行こうな」
―国立じゃ無くてもいい。お前と同じグラウンドに立ちたい。
想いのままに、そっと神谷にキスを送る。
神谷は一瞬驚いたが、そのまま瞳を閉じ、口吻に応えていった。
唇から始まった口吻が、すぐに全身に広がっていく。
「お前、オレが初めてだなんて言って、ドイツ辺りで教わってきたんじゃないのか?」
憎まれ口に苦笑する。
「そう言う神谷だって、二度目にしちゃあ感度が良過ぎるぜ」
神谷自身を握り込むと、全身が面白いぐらいに跳ね上がった。既にそこは首をもたげかけている。
「仕方ないだろ」
荒くなり始めた息を抑え、言い返す。久保のものを握り返すと、そこは自分以上に熱くなっていた。
「アアッ!」
思わず抑えきれない悲鳴が上がる。
「そんな大声を出して。おばさんが帰ってきたらどうする?」
言われて慌てて息を飲む。確かに母親がいつ戻ってきてもおかしくはない。おばさん連中のカラオケなんて、盛り上がればいつまでも続くが、しらけると即解散なんて事は度々だ。
縋るものを求めて彷徨った手が、投げ出していたタオルを見つけた。声を噛み殺すために、口に銜える。
そんな神谷の様子を、久保は楽しげに見詰めた。もっと感じさせてやりたい。全身で神谷を憶えていたい。
―そして全身で神谷に憶えていてもらいたい。
もし病気が悪化して、二度と会えなくなってしまっても耐えられるように。
会えないままに逝くような事になっても、神谷といっしょに居たい。
「ごめん、オレの我儘だ」
そっと呟いて、愛撫を再開する。
「受け入れてくれ。神谷の中でいきたい」
見る間に神谷の顔が上気して行く。しばらく躊躇った後、肯定の意味で首を小さく振った。
指が、受け入れる場所を慎重にほぐしていく。
内部を擦られる奇妙な感覚に、羞恥ともどかしさが交互に訪れる。
神谷がそんな感覚に慣れて緊張を解くのを認めると、久保は指を抜き、代わりに痛い位に張り詰めた自身を慎重に進めた。
途端に神谷は耐えきれない程の圧迫感に襲われる。
内臓が押し上げられ吐き気がする。仰け反る顔は、苦痛に歪んだ。
久保は神谷に包まれて、強烈な快感を抑えきれなかった。強く締め付けられ鼓動が高まっていく。
辛そうな神谷を気遣いながらも、奥を極めるべく身体を進めていく。
硬く強張った身体に、優しい愛撫が散らされていく。
いつしか痛みでは無いものが、神谷を支配していた。
「あア、…フッ、くうっ!や…」
舌っ足らずな甘い声が漏れる。声はひっきりなしに続き、やがて久保の唇に吸い込まれた。
「…篤司、ごめん」
吐く息で囁くと、やおら上体を起こし、インサートしたままの神谷を向かい合わせに膝抱きにした。
「!アア〜ッ!!」
今までになく奥を抉られて、神谷の絶叫が響く。
「愛している、篤司…」
神谷の中で久保が弾ける。
痛みと快感とでボロボロと涙を流しながら受け入れた神谷も、遅れて自身を放った。
軽い失神状態に落ちながら、久保が泣いていると感じた。
実際には心配げに覗き込んでくる久保には涙は無かったが、心が泣いていると感じた。
まだ力の入らない腕を久保に回し、抱き寄せる。
「泣くなよ、久保…」
言うと、久保の目が大きく見開かれ、やがて優しい笑みが浮かんだ。
向けられた笑みに安心して、目元を綻(ほころ)ばす。
そのまま神谷は眠りに落ちた。
「泣くな」と言われてはっとした。
眠りに落ちた神谷の腕が、背中から滑り落ちて行く。
代わりにこちらから抱き寄せた。
熱い時は過ぎ、外の虫の声がまた聞こえてくる。
秋の最後の虫たちは、残り少ない生涯の間に、無事に番(つが)いを見つけられるのだろうか。
その点だけは、自分は幸運だと思う。腕の中のこの存在は、共に夢を追える大切な仲間で、愛する者だ。
しかしこのままだと、一人で残してしまう事になる。
肉親や親戚筋で見つからなかった骨髄の提供者(ドナー)が、他人から見つかる確実は実に少ない。
「間に合わなかった時は、お前の側で死にたいな」
言いながら、涙が一滴(ひとしずく)零れた。
朝練で、久保が病気でしばらく学校に来られないと言う事が発表された。
皆の動揺は、昨日の内に告げられていたメンバーの取り成しもあって比較的少なくて済んだ。それでもその話題は、学校中の重大ニュースなのには変わりがなかった。
すぐに久保の休学の情報は広まっていった。
『見舞いに押し掛けられちゃかなわないから』と、軽いジョークのように、久保は代わる代わる訪ねてくる追っ掛けの女の子をあしらっていく。
そんな久保の様子を、神谷は複雑な気持ちで見ていた。
結局昨夜は、母親に心配掛けたくないと、久保は深夜直前に帰っていった。
目覚めた時には神谷の身体はすっかり清められ、着替えまでされていた。
玄関口で見送る時に訊ねると、
「加減が利かなくて、無茶やっちゃったお詫び」
と、ばつが悪そうに笑った。どうやら失神していた間中、久保は神谷を見ていたらしい。
「いつから入院だ?」
予鈴が鳴って人がはけた時に、すぐ後ろの席の久保に小声で訊ねる。
「わからない。病院から連絡が来たら、すぐって事になってる。先生が言うには、今週中にもらしい」
やはり小声で返される。
「その時には母さんか父さんと一緒に、校長先生に休学届けを出す事になるだろうな」
「…そうか。ゲームメイク教わる時間は少なそうだな」
「自然のままでやれば良いんだよ。神谷になら出来る」
教室の前のドアが開いて、HRの教師が入ってくる。
「まずは出席を取ります。相田さん、秋山さん、井上さん…」
いつも通りの授業風景が始まる。
「…神谷さん、久保さん」
名を呼ばれて、続けて返事をする。
この穏やかな日常が残り少ないことを、二人とも感じていた。
終わり
★この作品が、私にとっての転機となりました。
「月シリーズ」として意識して書き始めたのが、ここからです。
ちなみに副題の英文は、某洋画のサントラに入っていた挿入歌から取りました。
さて、なんという映画でしょうvvv
1994年5.月21日脱稿
初出:BACE
SCHON サークル・掛川高校OG会
「天の軌道」再録(初版・再版とも完売)