「引退試合をするなら、掛川とやりたい」
加納さんの言葉に頷いた宇堂監督は、その足で職員室に行き電話をして、掛川からの了承を取り付けた。
嘘のような本当の話。
行ってみるもんだと呟いたキャプテンに、サッカー部全員が同意した。
その晩、早速田仲の家に電話を入れると、笑いながら教えてくれた。
『神谷さんと磯谷先生でどこからの試合申し込みを受けようかって話をしていた所にそっちから電話が入ったんだ。」で、1秒で決まったって』
冬の選手権優勝以来、掛川は一躍有名校となった。
強さはもちろんの事、全員が一年と二年ということは来年も同じメンバーが出て来るということで…練習試合の申し込みはもの凄い数なのだそうだ。
藤田東(うち)だって実力も知名度も負けていないけれど、掛川には不思議な『魅力』がある。きっと今現在、どこのチームに聞いても『一番戦ってみたい』のは掛川だろう。
『はやく土曜にならないかな。松下と戦うのって久しぶりだろ?すっごく楽しみだv』
電話の向こうの笑顔が想像できて、自然にこちらにも笑みが浮かんでしまう。
「こっちは最初からフルメンバーで行くからな。何せ3年の引退試合も兼ねてるから」
『あ〜!そんなこと言ってプレッシャーかける〜!でも、負けてなんかやらないからな』
「そうこなくっちゃ。だけど、勝つのはオレ達の方だからな」
『お、強気の発言だな』
「藤田東は、負けないのさ」
オレと田仲は友達以前にライバルで、そんな微妙な関係を互いに楽しんでいる。
―でも、オレは…それ以上の感情を抱いている。
『フン!試合の後までその台詞忘れんじゃないぞ』
「お前こそな」
電話の向こうから愉快そうな笑い声が帰って来た。
たったそれだけの事で、胸の奥が熱くなる。―全くもって、重傷だ。もちろん病気の名前は『恋煩い』
電話を切るのが惜しくて会話を引き延ばしているうちに、掛高(あっち)も藤田東(うち)も試合の次の日の日曜は練習が無いという事が判明した。
「じゃあさ、家に遊びに来ないか?なんなら土曜から泊まりがけでさ!」
ほとんど反射的に誘いの言葉が出てしまった。
『う〜ん、どうしようかな…』
田仲の考え込む気配に、我に返る。お…オレはいったい何を言い出したんだ?あ、いや、ただ単に遊びに来ないかと誘っただけで、下心なんかこれっぽっちも…。
「あ、なんか用事があるんならいいけど」
情けない事に、完全に声が上擦ってしまっている。ただ夜通し語り合ったらとか、サッカー以外の事で一緒に遊びたいとか、普段妄想するようなデートの真似事みたいなのが出来たらいいなぁなんて…。げっ!立派に下心だっ!!
そんな心の葛藤はどうやら田仲には気付かれないで済んだらしく、次の瞬間に受話器から流れてきたのは明るい声だった。
『せっかくだから泊まりに行くよ。練習用のトレーナー買いに行こうと思ってたんだけど、付き合ってくれる?』
「!もちろん付き合うよ!」
ついでに同じトレーナー買ってペアにしたらとか…頭の中に走馬燈のように幸せの光景が駆け巡る。天にも昇る心持ちと言うのは、きっとこんな気持ちなんだろう。
『じゃ、土曜日』
「ああ、土曜な」
浮かれた気持ちのままに受話器を置く。
田仲が来たら何を話そうかとかどこに連れて行こうとか、さまざまな計画が頭をよぎる。
そしてそんな浮かれ気分が落ち着いてきた途端に、胸に痛みが走った。
田仲はオレの本当の気持ちを知ったらどう思うだろう?
受話器を見詰めながら、思わず深い溜息を吐いた。
土曜日は綺麗に晴れてはいたけれど、気温は低かった。
吐く息が白く濁り、丹念にアップしたというのに身体からすぐに熱が奪われてしまう。
それでも掛川の赤と白のジャージがグラウンドに入ってくると同時に、寒さなんか全然気にならなくなった。
誰よりも最初に、田仲の姿が目に入る。
白石と平松の二人と何か談笑しながら、かじかんだ指先に息を吹きかけて暖めている。クルクルと良く変わる表情が、笑顔になり顰(しか)め面になり、見飽きない。
視線に気が付いた田仲が、大きくこちらに手を振ってきた。
つられて手を振り返すと、隣りに立っていた小柳が小さく咳払いをした。
「何?」
「お前ってホントに…、いや、いい」
モロに呆れたという風に首を振って、溜息を吐かれてしまった。
解ってる。気持ちを隠すことが難しくなっている。古くからの付き合いのこいつになんかバレまくりだ。
…それでも黙っていてくれる小柳には、一応感謝しなくちゃならないんだろうな。
気を引き締めるために、夏のインターハイで優勝した時につけていたバンダナを、お守り代わりに頭に巻いた。
試合開始は予定通りの2時半。
キックオフのホイッスルが冷たい空気を切り裂くと、加納さん達3年生の高校最後の試合が始まった。
久しぶりに戦う掛川は、恐ろしいほどに強くなっていた。
最初から攻撃布陣を組んで、見事なパスワークで迫ってくる。
しかし、こちらとてパスには自信がある。改良したフラッシュパスで、守備から攻撃に切り替える。
今度のフラッシュパスは、平松も簡単には見破れないだろう。パス展開の種類を増やし、
指示もキャプテンだけが出すとは限らない。
最初に均衡を破ったのは藤田東(うち)だった。
新しいフラッシュパスの展開に戸惑っている掛川を突破して、西尾先輩の司令合図の元、ボールはハーフからフォワードに回り、最後はオレをスクリーンにするように走り込んでいたキャプテンがボレーで決めた。
所が相も変わらす掛川は、先攻されてからが強い。
改良したとは言えまだ付け焼き刃に過ぎない新・パスへの対策を、掛川はハーフタイム中に見つけた。
後半は指示の起点の要となる二年生に徹底的なマークが付き、パスが動き出すと神谷さんと平松が中心となって、コースを読みカットに入る。
そんな防衛戦を突破してゴール前に持ち込んでも、白石のファインセーブに阻まれて追加点が取れない。
そうこうしている内に掛川の十八番(おはこ)・アイコンタクトが始動し、あっという間に田仲が同点のゴールを上げた。
掛川のメンバーが田仲に駆け寄っていく。
祝福され揉みくちゃにされながら、田仲の顔に幸福そうな笑みが浮かんでいる。
―あの笑顔がオレのものだったら?
ふと浮かんだ想いを、首を振って消す。
隣りに立った加納さんが、オレの肩を叩いた。
「…取り返すぞ」
低く、呟く。
試合再開のホイッスルを合図に、全力で走り、ボールを追う。
オレ達は、サッカーだけに夢中になっていた。
グラウンドにタイムアップのホイッスルが長く響く。
試合は結局、2−2の引き分けに終わった。
「凄かったぜ、新しいフラッシュパス。カズヒロがパターンを読まなかったらやられてた」
終了の礼を済ますと同時に駆け寄ってきた田仲に肩を組まれて、耳元に弾む息で話しかけられ、鼓動が跳ね上がる。
「やっぱりお前が見破ったのか」
何とかごまかそうと目の前に立つ平松に尋ねると、
「作戦は神谷さんだけどね」
言いながら平松が視線を彷徨わせる。
その視線を追うと、加納さんと神谷さんの姿が目に入った。握手を求めてきた神谷さんの手を、加納さんは
しっかりと握り返した。
高校生活最後の試合…きっと良い想い出として、一生忘れる事は無いだろう。
オレ達の時は、どうなるだろう。
もうすぐ2年生…残る高校生活はあと2年。
「お〜お、な〜にカッコつけてんのやら」
加納さんと神谷さんに気付いて、白石が笑う。
「でも、カッコいいな」
田仲が羨ましそうに呟くと、居合わせた皆が頷いて同意を示した。
掛川が引き上げ、オレたち藤田東が部室でミーティングしている間、田仲はオレを待ってグラウンドの隅で一人ボールを蹴っていた。
外に出ると、夕焼け色に染まり始めた空の下、のびのびとした動きでボールを追っている姿に目が釘付けになる。
それにしても、なんて幸せそうなんだろう。真剣な表情の中に笑みさえ浮かべて走っている。
吐く息が冷たい外気に触れて白く濁り、動きに連れて少し伸びた前髪がなびく。
声を掛けるのも忘れて見惚れていると、小柳がいきなりオレの目の前に部室の鍵を突き出した。
「?」
「鍵当番、代わってやろう」
鍵当番とは、その名の通りに朝一番に来て部室の鍵を開け、練習終了時には最後まで残って鍵を閉める当番の事で、一年が順番に担当することになっている。週末毎に次の当番に引き継ぐことになっていて、来週は小柳で、オレはその次の週のはずだ。
「???」
「この寒空にあんなに汗かいた格好で歩かせたら、風邪引くぞ。お前、シャツの予備持ってただろ?貸してやんなよ」
ウインクと共に鍵を手渡してくる。
言われて改めて田仲を見ると、ジャージを着込んで走り回っていたせいだろう、ずいぶんと汗をかいていることが見て取れた。
「これから日も暮れたら、もっと寒くなるぞ。愛しの田仲くんに風邪なんかひかせられないよな」
オレの気持ちを知っての上でからかう台詞は、はっきり言って心臓に悪い。
動揺も露わに鍵を握り込んだオレを見て、小柳は更にトドメの言葉を吐いてくれた。
「部室に二人っきりになったからって、悪さすんじゃないぜ」
恥ずかしさに頭に血が上る。きっと今のオレはユデダコよりも真っ赤だろう。
「こ…小柳ぃ」
「田仲く〜ん」
殴りかかろうとするオレを制して、小柳はあろう事か田仲を呼ぶ。
こちらに気付いた田仲が、ドリブルで走って来た。
「ごめん、つい夢中になっちゃった。ミーティング終わったんだ」
息を荒げ紅潮した顔に浮かぶのはキラキラの笑顔。思わず目が眩んでしまう。
そんなオレを無視して、小柳は田仲に話しかけた。
「今日こいつン家、泊るんだってな。松下って夜中に寝言いうから、楽しみにしてろよ〜」
「ふ〜ん、ほんと?」
「そりゃもう起きてるみたいにはっきり言うんだぜ。夏のインハイの時に同じ部屋だったんだけどさ、夜中にいきなり『田仲〜!』なんて叫びやんの」
小柳の問題発言に、田仲がオレの顔を不審そうに覗き込んでくる。
「あ…あの時は県予選決勝の夢を見てたんだよ」
しどろもどろの言い訳を、田仲は『ふ〜ん』と納得し、小柳は笑いを噛み殺す反応で受け止めた。
「そ、それより田仲、そんな格好じゃ風邪引くから着替えろよ。オレ、余分に練習用のシャツ持ってるから貸すよ」
ごまかすために早口で言うと田仲はベンチに置いた自分のバッグを指差した。
「着替えなら持ってるよ?」
泊まりに来たんだから着替えを持っているのが当たり前な事にも気付かないほど、どうやらオレは浮かれていたらしい。
「ははは…。あ、そうだよな。今部室開けるから、着替えた方が良いよ」
「そうだな、ずいぶん汗かいちゃったし」
田仲がバックを取りに行く間に、復讐とばかり小柳の頭を小さく叩いた。
「変なこと言うなよ」
小声で文句を言うと、
「だって本当なんだから、しようがないじゃないか。…でも、試合の夢なんか見たんじゃないだろ?あん時の語尾にはしっかりハートマークが飛んでたぜ」
懲りずにからかって来た。
そのまま荷物を肩にかけ直して、振り上げたオレの拳から逃げる。
「じゃ、オレ帰るわ。田仲く〜ん!またな〜」
わざと大声を出して走り去っていく。
「あれっ?帰っちゃうの?」
バッグを取って戻ってきた田仲が、残念そうに呟く。
「用事があるんだってさ!」
すこしムッカリした声で答えると、田仲はキョトンとした目でオレを見上げてきた。
続く
ちょっと長い話しなので、よろしくお付合いくださいねv…行くとこまで行きます(笑)