頭を拭きながらバスルームから出ると、ヴィリーが小さな声で歌っていることに気が付いた。
ドイツ語で歌っているので意味は判らなかったが、もの哀しげな調子が伝わってくる。
声は意外なほどに澄んでいて、深いバリトンだった。
近寄って隣りに腰掛けると、ヴィリーはちょっと困ったような顔をして歌うのをやめた。
「なに歌ってたんだ?」
訊くと、ヴィリーの表情が恥ずかしそうなものに変わった。
「レクイエム」
ポツリと言って、黙り込む。
「久保の為にか…。じゃ、オレは日本式にお経でも読み上げてやるかな」
元気づけるつもりで明るく言って肩に手を置くと、ヴィリーに向かって至近距離で笑い掛けてやる。
途端にヴィリーの顔が、泣きそうに歪んだ。
「!おい、どうしたんだよ」
慌てて訊いても、ヴィリーからは返事が返って来ない。
心配になり覗き込むと、不思議な色をたたえた瞳に出会った。
―とても静かで寂しそうな、深い湖の色。
「なんだ?久保の死が今頃になって堪(こた)えているとか?…ホームシックって柄じゃないもんな」
ヴィリーを励ます為と自分の動揺を隠す為に、わざとオチャラケて言う。
しかしヴィリーは、否定の意味で首を振った。
「ならどうしたよ?言ってkれなくちゃ解んないぜ」
本当に途方に暮れてしまったような東に、ヴィリーはそっと唇を寄せた。
そのまま東を抱き締める。
今度のキスは、先程とはまったく別のものだった。
いきなりの深いキスに、驚きを通り越して戸惑ってしまう。気持いいとか悪いとか以前に、本能がヴィリーの心の叫びを察知して、拒絶する事が出来なかった。
どのくらいそうしていたのだろう。―顎か痺れた頃に、ようやくとヴィリーがキスを解いた。
視線を合わせないように、東の肩口に顔を押しつける。
「…おい、どういう事なのか説明しろ」
静かに怒りの響きを込めて東が訊ねると、
「ドウしよう。オレはユーゴを愛してイル」
とんでもない答えをヴィリーが返した。途端に東の表情が驚きに引き攣れる。
「愛してる、なんて言葉は気軽に言うもんじゃないんだぞ!まったく、だから外人は…」
何とかヴィリーを引き離そうともがくが、それは上手く行かなかった。
「ユーゴは特別ダ。特別…。ドウしよう、困っタ」
耳元の囁きが擽ったくて、東は身を反らした。
伸ばした首筋にヴィリーのキスが降りる。
「うわっ!」
色気も何もない悲鳴が上がる。
がむしゃらに暴れて、今度こそヴィリーを引き剥がす事に成功した。
「なにすんだよ!」
立ち上がって怒りのままにヴィリーを見下ろすが、そこにあったのは真剣な瞳だった。
「ユーゴが特別と思ったのは、愛しているからダト気が付いタ。…ドウしよう…離れたくナイ。オレはもうすぐ帰らなくテハならナイのに…」
戸惑いの色を隠さないヴィリーの言葉に、そう言えばこいつは『久保との決着をつけるまでの約束』で国を出る許可を取り付けていた事を思い出した。―帰れば家族と、プロの選手としての生活が待っている。
そう、思い出した。この男はそんな奴だったのだ。いつも一緒にいて『双頭の竜』と呼ばれるようになり、忘れかけていた。
ヴィリーの居場所はここではない。本来の場所に戻る時が近付いている。
「この気持ちが愛じゃナイなら、オレは日本語をモウ一度勉強し直さなくテハ…」
ボソリと呟く様を見て、東から怒りが消えた。考えてみれば、実に素直な奴じゃないかと微笑ましくなる。
「だったら『愛』の意味を言ってみろよ」
ちょっとした意地悪のつもりで訊ねてみると、
「…一番好き、自分ヨリ大事、離れたくナイ、特別…」
ヴィリーは真剣に考え込んで、指折り数えながら言葉を紡いでいく。
そんな姿を目の当たりにして、東もまんざらではなくなってきた。
「だからキスして抱き締める、か。ま、大体意味も合っているようだな」
にっこりと笑いかけてやると、ヴィリーに戸惑いが浮かんだ。
それにたたみ掛けるように、
「で、キスだけで満足か?」
屈んで顔を近付けて、からかってやる。
「まぁいいか。オレもお前は特別だって思ってるしな」
軽いキスを送ってやると、ヴィリーの白い顔が途端に赤く色付いた。
「ゆ、ユーゴ?」
しどろもどろになってしまったヴィリーに向かって、
「雰囲気に流されるってのも、たまには良いかもな。愛してるかどうかなんて解らないけど、好きだぜ」
笑いかけて抱き締めてやる。
許されたことを知って、ヴィリーが幸せそうに笑う。
抱き締め返すと、東をベッドの上に引き倒した。
無我夢中でキスを送る。
浴衣の前をはだけて胸に唇を落とすと、触れられた擽ったさに東が笑い声を上げた。
「お…おい待て!こらっ!」
笑いながら、素早い動きで体勢を入替える。
今まで身体の下に引き込んでいた東に伸し掛られて、ヴィリーがびっくりして瞳を見開いた。
「ま、親交を深める事には同意したけどな。なんでオレがやられなきゃいけないんだ?」
にっこりと笑いながら、ヴィリーの浴衣を剥いで行く。
現れた白い肌に手を這わす。
首筋から始めて、胸、下腹へと辿り股間を握り込む。
「…ユーゴッ!」
跳ね上がりながら名を呼ぶと、
「こんなデカイものでやられちゃ、明日の試合なんか見に行けなくなっちまうよ。…外人のはデカイって言うけど本当にお前も立派なの持ってるからなぁ」
飄々とした答えが返ってきた。
言われてヴィリーの脳裏に、着替えの時に見た前工の選手達のサイズが思い浮かんだ。
そして、納得する。確かに日本人とは随分違う
「ワカッタ。ユーゴとなら、どちらデモ構わない」
改めて東の背に腕を回すと、そっとキスをねだった。
お互いを確認するような触れ合いは、すぐに深く、まるで自分の中に相手を取り込むような物に変わる。
興奮で上気した顔に疑問の色を浮かべるヴィリーに、
「こういうのも、結構良いもんだな」
東は喘ぎで掠れてしまった声で、そっと囁いた。
そのままヴィリーの身体を敷き込む。
「どうやったらいいかなんて解らないから、辛かったら言ってくれよ」
足を開かせ身体を割り込ませて言うと、
「
アイシテイルヨ」
母国語でヴィリーが答える。
良く聞き取れなくても意味は通じて、東が破顔する。
逞しく鍛え上げられた二つの身体が絡んで行く。
上がる悲鳴を飲み込んで、『双頭の竜』が喚起に身体を捩らせて空に舞う。
そして想いは、昇華された。
ホテルのチェックアウトの時間を控えて、荷造りをする。
乾いた掛川の10番のユニホームに、ヴィリーは小さいキスをした。
その様子を訝しげに見る東に、
「ユーゴに引き合わせてクレたお礼をシタ」
晴れやかに笑ってみせる。
笑顔に誘われて、東はヴィリーの肩を抱いた。
思わぬ勢いで交わしてしまった『愛の行為』は二人だけの秘密となったが…。
決勝戦の行われている国立競技場の観覧席で、コーヒーだの何だのと気を遣う東と、それをごく自然に受け入れているヴィリーの姿が、何よりも雄弁に二人の関係を語っていたのは衆目の事実であった。
終わり
初出の時にイラストを描いた豊平瑞穂さんのリクエストで書いた話です。
交換条件は「あのシーンの挿し絵も入れること…」
美味しかったですvvv
1995年5.月6日脱稿
初出:PENALTY サークル・SENSE TANK
「REMIXES<omnibus>」再録(完売v)